7月
8月
9月
10月
11月
12月
全2件 (2件中 1-2件目)
1
ども、福田へたれです。いやはや、ナカナカ更新ができなくて、本当に申し訳ないです。本来なら、この時期だからこそ強行スケジュールで更新作業を進めなければいけなかったんですが、タイミングを逸してしまったことが今となっては悔やまれます。ただ、副業の方が安定してくるまでは、どうしてもそちらの時間を優先せざるを得ないので、申しわけありませんが今しばらくお待ちください。さて。捕鯨問題が異常な盛り上がりを見せている昨今、「動物愛護」視点での捕鯨反対という意見がかなり多く見受けられますね。http://plaza.rakuten.co.jp/fuguchanincanada/例えば、↑のブログでは批判コメント封殺で、調査捕鯨をバッシングしています。僕も2つの記事に「もっと調べて書くべきでは?」というコメントを入れさせていただきましたが、一晩経ったらキレイに削除されていました。書かれている事柄は、穏やかそうに見えるのですが、動物愛護のことに関してはヒステリックで、なおかつ底の浅い知識を「真理」と思い込んでいるせいで、他の意見や更なる情報の精査が行われていないという、まあ、動物愛護方面に方々に多い無いようでした。こういった方々は、なぜか「私たち人間はこんなに残酷なことを、動物に対してしているのですよ! ムキーッ!!」って感じでお怒りのご様子です。まあ、わからなくも無いんですよ、そういう感情を抱くのは……。ただ、それってあまりにも短絡過ぎませんか……?確かに、人間の生活というものは、多くの犠牲の上に成り立っています。ひと昔前のツマンナイ映画(この辺の突っ込みは無しの方向で)でも似たようなことをいっていたと思うんですが、そういうことを誰かに言われない限り、実生活でそのことを思い出すことも無いでしょう。まあ、そんなもんなんですよ。人間の罪悪感なんて……。ですが、逆にその罪悪感を一生意識し続けて生きるというのも、かなり間違っています。なぜなら、人間も、動物も、植物も、全ての生き物の生は何かの犠牲の上に成り立っているのですから、その罪悪感を人間だけが負う必要もありません。犠牲というと語弊があるかもしれませんが、その関係を言い換えるなら生態系という言葉になるでしょう。人間だって、例外ではありません。本来なら、その輪の中に組み込まれるはずの存在なのです。しかし人間は、現在はその輪のかなり外側にいます。それは一体なぜでしょうか?その原因は、文明であったり、産業であったり、科学であったり、宗教であったり……思いつくところはいろいろあります。ですが、それらが人間を自然から完全に切り離すことはできないことに、多くの人が気づいていないようです。なぜなら、人間自体も自然の恩恵を受け、自然の猛威に畏怖を抱きながら生きているわけですから、完全に自然から切り離しようも無いわけです。繰り返しますが、人間はその他の多くの生き物同様、様々なものの犠牲の上に成り立っています。ただ、その犠牲の量が他のものよりもはるかに多く、地球にもその犠牲を求めている事が問題になってきています。人間の活動が大きくなりすぎて、人間の営み自体にも多くの影響を与えてきているのです。そのことは適切に研究され、人間の自助努力で改善されるべき問題なのですが、そのことに異を唱える人たちがいます。その一つが動物「哀誤」団体です。「哀誤」としているのは、哀しいくらいに誤った活動だと、僕が感じているからです。彼らはいいます。人間のしていることは間違っている、野蛮で残酷だ……と。しかし、残念なことに、その考えもまた間違っているのです。例えば、現代では、実際に家畜を屠殺することを目にすることはありません。スーパーでパック詰めにされた牛肉358グラムは、一年前はオーストラリアかアメリカか、どこかの牧場で草や飼料を食んでいたということを、今晩の献立を考えている方は意識などしてはいません。しかし、実際には膨大な数の人間の胃の腑を満たすために、同じく膨大な肉牛が犠牲になっているのです。このことに関して、僕は批判できる立場にありません。なぜなら、そのシステムに加担し、これからも依存せざるを得ない立場なのですから。この部分だけを取り上げると、人間というのは本当に罪深い生き物の様に見えます。しかし、その根幹になる捕食活動はどの生き物にも等しく存在しています。動物はもちろん、植物も大地の滋養を必要とします。大地の滋養の多くは動物の死骸であったりするわけです(無論、その他にもいろいろとあるのですけどね)。そうやって、様々な生き物が何らかの形で、何かを体に取り入れて生きています。どうしてそれを人間がすることだけ、責められなければならないのでしょうか?動物「哀誤」団体は、その問いには答えてくれません。ただ、「どんな目的であっても、○○○を殺してはいけない!」とヒステリックに叫び続けるだけなのです。確かに、保護されるべき動物はいます。彼らがいうところの「後世に自然を伝える」っていう意見もわからなくもありません。しかし、増えまくったミンク鯨をその中で論じるのは、かなり無理があるというもの。ましてや、膨大な畜産によって大きな環境負荷が懸念されるのであれば、その負荷を軽減させるために何らかの手を考えるというのが、人間が手に入れた進化というもの。そのために豊富な鯨資源を活用する事が、マクロな視点から見て大きな意味があるわけですが、その事に対して動物「哀誤」団体は批判の声を上げます。ですが、その声もやはり間違っているのです。なぜなら、彼らもまた生態系にかかわり、別の方向へ生態系を変えてしまうわけなのですから。それが果たして本当に正しいことなのか、彼らは一度自問してみる必要があると、僕は思います。追記:前述したサイトの管理人からメッセージをいただきました。大まかに内容を書くと、「知らないあなた方と討論・協議するつもりは無い」んだそうです。思うんですが、Blogを運営している以上、意見というものはネットに公開されているわけで、様々なコメントが書かれる可能性があるわけで、その中で自分の意に反する意見は封殺して、擁護するコメントだけを掲載するというのは、どこかの団体のようです。さらにいえば、何かいわれるのがお嫌なら、コメントもトラックバックも閉じて運営されればよいわけで、事実、そういった「閉鎖的な」Blogも、そちら方面には多数存在するわけです。まあ、僕がどうこう言うことではないのかもしれませんが、自分のいっていることに対して、根拠を担保できないのであれば、もうちょっと調べてから書けばいいのではないかと思う次第です。
Jan 20, 2008
豪連邦裁判所、日本捕鯨船に操業停止命令 オーストラリア連邦裁判所は15日、同国が国内法に基づいて南極沿岸に設定した「鯨の保護区」で、日本の共同船舶(東京)の調査捕鯨船が操業しているのは違法だと動物保護団体が訴えていた訴訟で、訴えを認め、日本船の操業停止を命じた。 オーストラリアの動物保護団体ヒューメーン・ソサエティー・インターナショナル(HSI)が2004年、日本の調査捕鯨船がミンククジラ計428頭を殺したなどとして提訴していた。……なんというか、ここまで愚かなことを言い始めるとは思わなかったので、仕事中に思わず更新しちゃっている自分がいるわけなんですが、最近のオーストラリアの動きは常軌を逸しているように思える。先日の「日本の捕鯨船を『軍艦で』監視します」というアナウンスの時も、事態の収拾をどうするかをワクワクしながら見守っていたわけなんですが、今回はワクワクを通り越して呆れて果ててしまいました。日本の捕鯨船が調査捕鯨をする海域は、オーストラリアの領海ではなく公海のはず。しかも、南極は南極条約で科学調査の自由が保障されている場所なのに、自国の法律で操業停止だとか言い始めるなんて、どっちが「かんしゃく」を起こしてるのかと……。そう言えば、未だに捕鯨モラトリアムとか南氷洋鯨類サンクチュアリとかを持ち出して、調査捕鯨を批判している人がいますけど、そういったまやかし目を覚ますべきなんじゃないかと思う。あと、調査捕鯨は国際捕鯨取締条約(ICRW)によって認められている行為です。そのことを知らずに調査捕鯨に関わる人たちを罵倒する愚か者は、もうちょっと捕鯨問題をしっかり知って欲しいと思う(反捕鯨国や反捕鯨主義の団体も、その辺を学ぶべき)。そもそも、IWCって加盟国が鯨資源を持続的に活用するためにあるわけですよね?それを、よくわからない理屈や自国のメリットだけのために反故にするのは、IWCの存在を無視して自国の利権や自分達の主義主張のみを考えた暴走なのではないだろうか?鯨も、南氷洋も特定な誰かの物ではない。それをオーストラリアやイルカイダな方々は学ぶべきじゃないかと思う。
Jan 15, 2008
全2件 (2件中 1-2件目)
1