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幸せというものは目指すものではなく訪れるものだ.と捉えていることにある。.これは奥ゆかしいが、誤りが一つある。.がつがつする必要はないが、望みを持ち続けることは最低限必要なことだ。望みを持たぬことは、質素倹約にして、時に体制側に都合の良い方便であり惑わされてはいけない。.むしろ、それは、自分に対しての裏切りである。...Eili ...
2019年12月30日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~三日目にガリラヤのカナに婚礼があってイエスの母がそこにいた。イエスの弟子たちも、その婚礼に招かれた。..葡萄酒がなくなったので、母はイエスに言った。「葡萄酒がなくなってしまいました…」.イエスは母に言われた。「…私の時は、まだ来ていません。」.母はしもべたちに言った。「この方が、あなたがたに言いつけることは、何でもしてください。」.イエスは彼らに、「かめに水を一杯入れなさい」といった。さらに、「さあ、くんで料理頭のところに持っていきなさい」と.料理頭はそれを見て、このように感嘆する。「どんな人でも、初めによい葡萄酒を出して、酔いがまわったころに悪いのを出す。」「それだのに、あなたはよい葡萄酒を今まで取っておかれました…」..ヨハネ福音書 第二章~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.僕はこの一説は読んでいたにせよ、この奇蹟のシチュエーションについては謎が多く、自力で読み解くこともできず、遠く頭を離れていた。それどころか、奇蹟の演出にしてはベタすぎるそれは、今の時代にはそぐわないとさえ感じていた。..しかし、この一説は改めて読みとくと、奥が深いのである。.このくだり、アリョーシャ(※)の捉え方は異なる。まどろみの中で、この朗読を頭に響かせながら、彼は、このシチュエーションをありありと描写してゆくのだ。.そして、今僕自身にもいろいろ思い悩み巡らしていることと照らし合わせると、妙に神秘的な響きを感じる。...キリストが訪れたのは、悲しみの場所ではなく、人間の喜びでありはじめて奇蹟を行って、人間の喜びに、力を貸したのだ….人を愛する者は、 人の喜びをも愛する…. 喜びがなければ、生きてはいけない。.真実で美しいものはすべて 常に寛大さに充ちている….この時のアリョーシャの気づきで重要な点は.救済者であるイエスは、単にその恐ろしい偉業の為だけに、この世界に降りてきたわけではないこと.に気づくことにある。.通常の素朴な人の営みの中にも、その喜びを理解できぬイエスではないことを「そっと」示しているのだ。.ただし、奇蹟をむやみに信じることは、危険だ…その希望のほとんどが無残に引き裂かれている事実をみれば、これらの神話に類する話の多くは、人につかの間の希望をあたえ、そして奪いとり、さらには神への信仰すら奪う結果となるからだ。.謎めいて奥行きがあり、この話の真髄に触れた気がするが、それを振りかざすわけにもいかない物語だ….彼がゾシマ長老から学んだことは、こういうことになる。たった一本の葱を必要としている人に与えてあげること…それがいかに重要なことなのかそれが、愛を波及させることにつながるのだ、ということ。.それに対し、僕が学んだことは、「葡萄酒がなくなってしまいました…」ということを正直に訴えてしまってもよいのだということ。...※)カラマーゾフの兄弟...Eili ...
2019年12月30日
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思索というものはとめどなくうごめくものだけれども、それをすべて摘み取って、言葉に落とすようなことは、しない。.今は、しないように心がけている。それを学んだ。.逆説的だが、以前は真逆…ただそれも、沈黙の時期が訪れて、何も語れない時期が数年は続くのだ。. すべてを摘み取らなければ、その答えは得られないもの….と感じていた。.いわば、使命感に近いものがあった。そしてこのどうしようもない感覚は抜け出せない。.周囲への違和感と、内面と外面で演じなきゃいけない世界観の圧倒的なギャップでも、それは、悲惨では決してない。.以前よりよっぽどうまく生をやりくりできるようになった。それは奇蹟的なことだが、あの下手糞で一本気な頃の自分は、貴重な時期だと感じている。ここには、その痕跡がある。.自分が幸せをかみしめているすぐ横で、悲しみに暮れている人がいる。それは彼らの不行き届きによるものでなく、全くの理不尽で不可抗力的なもの…それに気づいてしまう。.それは大人になること…なる言葉なんかでは、くくれないほどの深みがある。神の意志はどこにあるのかを問いかけたくなる誘惑にかられるし生の意味を問いかけたくなるし慈愛や慈悲といったものの真意を問いかけたくもなる.もう本質的に、無邪気に喜ぶことはできないんだってことだ。.ここまで世界をごまかしなく分析したあと、釈迦の教えに出会うんだ。それは強烈なはずで、ここに反応できない人は、まだ「気づいていない」んだ。.そして、そこからも 離れるべきだと…僕は感じる。あるいは、離れるべき時期が訪れるのではないか…という感じがしている。...宗教的な友人に言いたいことは、彼らがその生を宗教的神髄に触れるがごとく全うしたとして僕の境地とはどの程度かけ離れているか…だ。.人の生を踏みにじって、なお、至福を感じているならば、真逆だ。どこかがおかしいのだ。.でたとえ、そういう体験がなく、<安全に>宗教をやれたとしても何かが足りないのだ。.カルトの間違いを指摘することは、たやすく、賛同も得やすいだろう。。過ちを後悔することも。でもそれだけじゃ意味はない。.しかし、3大宗教の神髄を手放すことができない人たちもいる。何千年にもわたって。そこに安らぎや救いや達観を得た人たちだ。多くいる。.でも、それも、その世界を否定しないとしても、宇宙を包含してはいない。宗教的な次元を超えた宇宙観というものがあり、宗教がそれを包含しているつもりでいて、たどり着いてはいない。.ところで、課題はもっと身近なとるに足らないようなもの…そこまで大きな宇宙観を携えなくとも、生かされている事実.今年はもうすぐ終わる。.普通人は日々の生活に追われながら生きる。酷使された労働者には、一編の詩が必要になることがある。...Eili ...
2019年12月29日
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記憶が消されてゆくことは不幸なのかそれとも記憶に縛られ、残されることのほうが不幸なのか.答えはでている.人は過ちを犯しそれを受け止められず消し去りたいと思う時がある.また人は楽しみを体験し少しでも永く味わおうと望みながらその記憶は薄められ、いつしか去ってゆく.たとえそれが無意識なものであるとして忘却が訪れる.不思議なことにつらい記憶は刻印されやすく、いつまでも残響し楽し気な記憶は、忘れやすい.忘却はいわば緩衝装置むしろ生命を守ってさえいる.しかし、本人の表層意識から消え去ったとしても本質的には、消すことはできない.この世に生じたことは…メッセージ起こされたことは、どこかに必ず刻印されており消すことができない.それは我々の生命の謎でもある..自分の記憶と他人の経験してきた記憶の境界線がなくなってゆくような不思議な感覚….それは自分だったかもしれないもしくは、自分が自分である必要はなかったかもしれないあなただったかもしれない….きわめて曖昧な自己の輪郭.自と他の区別は溶け出してゆき過去と現在の区別が記憶の深さの尺度では意味をなさなくなってくる.そんな世界の感覚に包まれる目の前の光景を見ている自分が、自分ではなくなったかのような誰かの共時体験のような過去かあるいは未来の兆しなのか...いずれにせよ驚くほどの静けさに包まれながら明日は嵐が来ることが、確実視されている。まだ訪れてはいない、確定されていない未来を変えようがない未来の事であるかのように語られている。...Eili ...
2019年10月12日
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昨年の今頃は、一番一時を深く感じる時期だった。豊田君をはじめ、残された死刑囚の執行が気になって仕方がなかった。折しも仕事がめちゃハードで、なかなかスイッチを切り替えるのが難しい時期でもあり、どうも落ち着かなかった事を覚えている。.今年も、同様にして掛け持ちの仕事を抱えてたりして、意識チェンジがうまくできない。正直忘れたいし、忘れられないし、忘れちゃいけないし。変なコメントがつくようになったから、記録しずらい。.結局、人はいずれ死ぬ。その時、生きてきたフェーズをどのように振り返るのだろう…忙殺された毎日は、どれだけ印象に残るのか…?むしろ、たったひと時でも、忘れられない時間を過ごしたとしたら、その記憶の刻印が、集合意識に刻み込まれるのではないだろうか。。。.人生は大切にしなければならない。個人にとっても、社会にとっても、未来にとっても….僕はこう感じる。なにもかも、忘れることが出来ず、情け容赦なく、刻み込まれているのだ。。生きてきた行いの数々の責任を取らず(…人は結局誰も責任を取ることが出来ないのだ)、連綿と続いていき、場は彩を増す。。それは汚点ともいえるし、色彩ともいえる。人によっては、それを罪と言い、また別の人によっては、業という。.時代は流れる.宇宙は様相を変えてゆく...ダイナミックな精神活動も、どこかに伝播しているのではないかと感じる。...Eili ...
2019年07月24日
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あれから、あっという間に1年がたった。あの頃も忙しい時期で、僕には余裕がなかった。今年もそうだった。七夕のシーズン.彼の最後の手紙では、本当に自分の最後の時を察知したかのような言葉が綴られていた。常に死を感じながら生きる….逆説的だが、命の尊さを知るには、終わりが来ることを受け止めないといけない。罪と罰というよりも、生と死このテーマは普遍的だ。...Eili ...
2019年07月06日
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平成最後の日、東京はどんよりとした曇り空、そして雨、雨、雨晴れやかな気持ちにはしてはくれぬ一日だった。.昨日ちょっと過去の人とあっていた。過去というのは、不思議な表現だ。でも驚くほど僕はそう感じた。似たような境遇を経ている方なのに、この視野の違いはなんだろう…本当は友人の話が聞きだせるチャンスだったのだが…ほとんど聞き出すことができなかった。.僕は、もう離れなければならない….異質だ…何か、本質的に...時が経ちすぎたのだろうか…おそらくそうなんだと思う...傷ついた人が多い。本質的にはその人たちを、癒すことができない。体験している時空間において、共時体験でありながら受け止め方が異なるわけだから。なのであれば、静かに立ち去る事...ここにはなかった…ということだ。...Eili ...
2019年04月30日
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平成最後の日、東京はどんよりとした曇り空、そして雨、雨、雨晴れやかな気持ちにはしてはくれぬ一日だった。.昨日ちょっと過去の人とあっていた。過去というのは、不思議な表現だ。でも驚くほど僕はそう感じた。似たような境遇を経ている方なのに、この視野の違いはなんだろう…本当は友人の話が聞きだせるチャンスだったのだが…ほとんど聞き出すことができなかった。.僕は、もう離れなければならない….異質だ…何か、本質的に...時が経ちすぎたのだろうか…おそらくそうなんだと思う...傷ついた人が多い。本質的にはその人たちを、癒すことができない。体験している時空間において、共時体験でありながら受け止め方が異なるわけだから。なのであれば、静かに立ち去る事...ここにはなかった…ということだ。...Eili ...
2019年04月30日
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.しばらくここに訪れることができなかった。.ここは特別な場所で、正直、日常生活とは相いれない。激しく屈折率が異なり、今の僕の生活スタイルでは共存不能。本来ここで語り合えるような事が現実世界でも語り合えればいいのだろうが、それは無理だろうし、期待もしない。日常生活で接する人とは、不用意に、この領域には近づいてきてもらいたくはない、とさえ感じる。僕の見つめている本質は、知らなくていい。.嘉浩君や亨君や広瀬健一さんの辿った人生は、もしかしたら僕もその道に踏みこんでしまったかもしれない…これは、極めて恐ろしい領域の思索で、僕の精神をキリキリさせる。だが反面、究極の哲学的テーマを手に入れた事になる。.平成という時代に刻まれた悪夢は、普遍的な人間のテーマだった。. 人はなぜ、この時代に生きているのか… この世界は、終わらせたほうが良いとでもいうのか…!.それを眉一つ動かさず、馬鹿げたストイックさで真面目に問いかけ、挑み、砕け散っていった青年たちが、僕の魂の親友達だった。.もうすぐ、平成が終わる。この時代は、アーカイブされ、人々の記憶の片隅に配置され、圧縮された記憶が展開されるのは、歴史学者の仕事となる…...もう今の時代の方々とは、十分に話をしてきました。100年後、1000年後の方に、メッセージがあります。. 「人間の本質はなんだろうか…」.その問いかけに、あなた方の時代にはどんな言葉が返答されますか…できれば、僕はその答えを垣間見たいです。.今まで、たくさんの立場の人々と、このテーマについて話し合ってきました。これほど重すぎるテーマなのに、僕の手元には、1000通を優に超える<小さな哲学者>からの言葉が寄せられました。皆この事件を自分の事のようにとらえ、感じて頂けた言葉が綴られていました。.ここに再現できればいいのですが、それも難しいことです。.僕の思索は、現在過去未来に飛び回ります。今はおそらく生きているうちに到来するであろうAIに支配される時代の事と、その後の人間のありかた、存在価値…についての模索.より優秀な人材を選別する遺伝子操作とゲノム解析による選別…そうした支配層の「抗えない欲求」の末の世界に訪れる、超人の世界と機械人間の世界…しのぎあいながら、優劣については、圧倒的な差を見出され、自分たちの手で自分たちを除外し始める人間の姿…それが性なのだろうか、その姿が100年後には結果として現れているはずです。.そうした世界が、僕たちの存在をどの程度受け止めているのか…想像すると、暗く感じられます。破滅を予言した人物がかつて現れ、早急に自滅していった時代の刻印を、紐解き、あなた方の時代には、どういう答えを得たのか、興味があります。...Eili ...
2019年04月27日
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「悔悟」p152,p153,p169,p170...彼の残した言葉と思考は、彼が気が狂う前なのか後なのか…も知っておきたい。僕はまさに今、文献哲学の巨匠であるニーチェやドストエフスキーの取り組んだテーマよりも遥かに生々しく深遠なテーマに触れているという気がしている…この課題は、麻原の置き土産なのか、不始末ともいえる惨劇の放置の中に一人取り残された元凶として彼がポツリとそこに存在しているかのような…圧倒的な孤独を感じる。.彼はこう主張しているに等しい….私はマインドコントロールされて、この事件を起こしたのではない…それは救済だと認識していたのだ、と。騙されていたとも思っていない、思考停止もしていない…深く落とし込むことが出来てしまったのだ…と.教祖はこう述べ(p152,p153)、しかと救済の目標を掲げ、その課題の意図を述べたのだ…ともちろん、それはその後の自身の犯した罪で苦しむ被害者の慟哭を耳にして、爆死するほどの後悔の念に滑落してゆく事になるわけだが、彼はそれを正直に誠実に告白することで、事件の動機に関する真相究明に、寄与するつもりだったのだ….彼のこの気迫は凄まじい….嘉浩君の独白と悔悟にも鬼気迫るものがあり亨君のストイックすぎる沈黙にも、その無念さの深い色に眩暈がしそうでおぼれそうになる。広瀬さんの分析は、精神の中枢にある骨髄から髄液が滴り落ちるほどの苦痛を伴っての、告白なのだ….こうした取り組みを、嘉浩君も亨君も横山さんも林さんも、できずにいた…言葉にできぬほどの「理解不能の世界」であるために、避ける避けないではなく、で・き・な・い のだ。己の犯した罪の大きさと被害者の苦しみを背負った時点で、火に焼かれるほどの精神状態になるわけだから…弁明はすべて「言い訳」にしか響かず、嘉浩君の言葉などはほぼすべて、正直であるものであるにもかかわらず、「情けないもの」として悉く葬り去られていた。.事件に関与することなく「かろうじて」救われた同列の幹部信者は、この課題の考察と分析から、遠ざかった。.そして、それをすべき責任は、教祖であった麻原にあることは言うまでもない。言うまでもないのだが、それを誰もしないので…広瀬さんは、それを独り背負ったのだ。.「私は思考停止などしていない…ちゃんと己の頭で考え、落とし込み、そこには教祖なりの理論が存在し、それは当時の自分を納得させており、他の同列の幹部連中もみな、そのように受け止めていたはずなのだ…!」と…そこに誰一人彼を知り、彼を分かるはずの朋友達が、名乗りをあげなかった….この圧倒的な孤独をなんと表現したらいいだろう….その時、隣にいる「同じ境遇」の「同じ理解をしていた」と思われる朋友が、沈黙を貫き…見ていたはずのものを見てはいなかったのごとく、「思考停止した…」と表現した際に、見捨てられてしまった…とまで感じてしまったであろうことは疑いがない….ただしかし、そこまで神のごとく麻原の像を捉えていた人は、いたのだろうか…それは固くなまでの広瀬さんの信仰の彩であり、「他の信徒たちもそうであったに違いないのです」という発言が、虚しく空を切って手ごたえを失う….おそらく、この分析は、限りなく真相解明に近い段階まで肉薄しているにも関わらず、後のない他の実行犯の境遇でさえ、それを認めるわけにはいかぬほど恐ろしい領域の心理分析であり…不明瞭な心のよりどころのなさに、弱々しく顔をそむけるしかないものであったに違いない。.そして、広瀬さんと豊田君の教祖に関する捉え方の違いは、「神のような完全な人」という広瀬さんの認識に対し、「神のよう意識の及ばないうかがい知れない人」と捉えていたであろう点であり、同じようでいて、この認識は信仰において大きな差異があり、不安にさいなまれていた亨君の心情を僕は感じてならないのです。。。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「なぜ教団が事件を起こしたのか、知りたい」.被害関係者のこの慟哭を、B弁護団もBも直接聞いているはずです。それを考慮すると、Bらの「思考停止」の主張が妥当なものか、再検討を要するかもしれません。Bは前述のように、麻原からの指示の目的・結果を考えて(あるいは知って)いました。これは動かしようのない事実であり、証拠の上でも明らかです。.「悔悟」 p169 広瀬の言葉~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...Eili ...
2019年04月02日
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p149~p170 p203.彼の生死をかけた貴重な分析でもあり、とはいえそのまま受け入れるわけにもいかない繊細で深遠なテーマしかも、ここには、豊田亨君の存在が大きく関与していた….平成も残すところ1か月という時期に、最も重いテーマを投げつけられてしまった…...第三章第二節.まず、論点としてマインド・コントロール下の心理状況についての分析があり、Bさん=つまり、豊田君の弁護団が用いた弁護方針に疑義を提示するという、大胆な内容になっている。この背景には両者の弁護方針に食い違いもあり、3人同時に法廷で裁かれるという異常さもあり、広瀬さんは豊田君の弁明の仕方を、じっくりと「批判」しているのである。.彼の沈黙はの姿勢は、彼の誠意の弁明に沿うものはなかったのか、広瀬さんの精神を追い込んでいったのかもしれない。亨君の沈黙に耐えられなかったのは、僕だけではなかった…当事者である広瀬さんは気が狂わんばかりだったのかとも思う….僕は、この章は胸騒ぎをおこさず読み通すことはできなかった。.これは、豊田弁護団への批判という形をとりながら、亨君本人へ向けられたもので、広瀬さんにとって、「彼にしかわかってもらえない」切実な訴えだったのだ。そしておそらく、彼は、亨君に裏切られた…とまで感じていたかのような内容だった。.そして、それは、本来であれば、教祖が背負い、弁明していかなければいけない事を…広瀬さんは、それを背負い、私は教祖のヴァジラヤーナの教義の意義を深く理解し、同意し、違和感なく受け止めていた…つまり、救済だったのだ…との認識を示すことで、真実の解明を志すというものだった….それをする機会を奪ったのだ…とまで手厳しく追及する。.彼のこの血のにじむ回心を嘉浩君も嘉浩君流のやり方で示すわけだが、彼は部署も任務も違う。亨君は、いわば実行犯としてもステージにおいても同格であるために、広瀬さんにとっては、当時の信者の心情を示す段階において、これほど同様の境遇にあったものはなく、彼がヴァジラヤーナ教義という、凶悪で恐るべき思想の落とし込みについて、自分の心情を吐露した時に、亨君は、思考停止を訴えたことに、腹を立てているのだ….あの静かな面持ちの広瀬さんが、彼の姿勢に我慢ならなくなるのは、おそらくじわじわとだろう…最初の数年しか傍聴に耐えられなかった僕は、この彼の心情の変化を捉えることができなかった。その後、彼にこれほどの重しと、おそらく、亨君には強いやるせなさを感じ…報われない感じまで起こしていたことが予想できる。.それは、ディープすぎるテーマだった。サリン散布の目的、動機に関するものだった.広瀬さんは、ひとつ亨君の事を誤解…買いかぶりすぎている側面がある。僕は、嘉浩君と亨君の弁護側証人として出廷までしている…しかし、接点がそれほどでもなかった広瀬さんのものは…できなかった。.今ここで、当時の広瀬さんの苦しみを解きほぐすことはできない…しかし、これだけは言える…広瀬さんほどではなかったのだ、豊田君は。...89年3月31日に出家し、教祖からヴァジラヤーナの教義をふんだんに聞かされ続けていた広瀬さんと92年93年頃(正確な日を失念してしまった)に出家した彼とでは、その洗脳の度合いが異なる。僕は、亨君が在家時代である91年11月頃に発言した言葉が頭にこびりついている。.「とても、彼ら(先達の出家修行者)のようにはいかないですよ…」「私は、今生は、在家で十分です…」という超控えめな姿だったのだ。在家信者にとって、出家信者の焦燥感は、一種引き気味で、そこまでは埋没できない苦悩を僕も豊田君も感じていた。...その後、嘉浩君や野田成人の強い勧めで、教祖のシークレット・ヨガを受け、そのまま出家してしまった…と聞いている。強烈なオルグで強引だったことは疑いもないだろう….広瀬さんのように、教義を落とし込み、感動し、親も大学の教授たちも入信を勧めるような活動はしておらず、亨君は、内緒…秘かに自分のペースでヨガがやりたかっただけなんだ。だから、ご両親は、彼が宗教やっていたことも出家したこともどこにいっていたのかも最後まで知らなかった….ある時、行方不明の息子が、変わり果てた姿で、TVに出ており、サリン犯となった事を知るのである。.ヴァジラヤーナ教義を、心底落とし込んでいたなどとは、到底考えられないんだ。.あの時、そうヴァジラヤーナ決意がサマナに配布された当時、僕が第九サティアンの麓で、彼と長々と話し合う際に、彼に問い詰めたのは僕だ。「ヴァジラパーニ師長は、これをどう思うのですか?ヴァジラヤーナを…こんな過激なもの信じられますか?」と.その時、彼は彼なりの理解で僕を説得しようと試みるも、それは叶わず、「私にもヴァジラヤーナな教義は、深遠すぎ深く洞察できるものではございません…」との趣旨を述べていた。「時代はカーリ・ユガ、我々の通常の認識で救済できる時代ではなくなってきた」.だから、p159 にあるような疑義、亨君に対しての心情は…救済だからやらなければ…という圧力下において、行為として負けるものの、だが、しかし、心情においては、広瀬さんが感じるほど落とし込めぬ上での犯行だったと僕は思うわけです。。。.その残酷さが、この事件の実行犯に襲い掛かった悲劇だと僕は感じています。...Eili ......
2019年03月31日
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.東京は、少しひんやりと冷え込み、曇り空であるものの風は一切なく、まるで静止した絵の中にいるかのような、静かな春の彩りが感じられる。.昼間であるにも関わらず薄暗い灰褐色の空に淡いピンク色の桜の花のコントラスト.それは、あまりに繊細で、空と地上とがかろうじて識別できる程度の色の差異しか感じさせない。.そして何よりも風がないために、時間が止まっているかのような錯覚に陥る。....僕は豊田、広瀬、杉本被告の公判には何度もあしげく通っていたので、広瀬さんの事がやはり気になる….一度精神崩壊をされてしまっていて、その後復活したようだが…でなければ、あのような冷静な分析による手記などかけはしない…それがいつ頃なのか、どの程度のものだったかを想像できない。.麻原にはできれば出会いたくはなかった…彼の半生と僕の半生もかぶってゆく。時期がずれていたことが僕の救いだったのか、それとも、麻原との直接の縁が強すぎる彼の不幸なのか…彼も餌食になってしまったことには変わりはない。..明晰な分析が出来る方だ。頑なな印象はあるものの、それはある意味僕ら全員がそうであったわけだから、彼の内省に違和感はない。しかし、彼はそれでもとびぬけて真面目な方だった事を知る。.彼は帰依の駒を、更に一歩、更に一歩と進めている。(僕は、それができなかったのだ…)(豊田君だって、正直広瀬さんほどには落とし込めなかったはずだ。)(豊田君は92年か93年、僕は94年だし、広瀬さんとほど長くは麻原思想に汚染されていない)深い理解に落とし込むために、体感的な事実を裏付けにして、無理難題な教義を自身に落とし込んでいこうとする。.この表現は秀逸で、嘉浩君の内省とはまた一味違った深淵にたどり着こうとしている。本音を言って、今僕自身の精神状態はあまり余裕がなく…彼の冷静な<悔悟>につきあっていけるだけの胆力があるかどうかは不明だ。だが、頑張ってみよう。....広瀬さんの、主眼となるテーマが「生きる意味」についてだったために、僕は彼の手記を手に取り、まず面食らった。元を言えば、僕はこの「生きる意味」のごまかしのない徹底追及の末に、喪失感と虚無感、空虚感を招き、学生時代日常生活が破綻し、精神科に通院する毎日だった背景があった。広瀬さんの体験した精神状態は、痛すぎるほど理解できる….僕は自分の手記「オウムからの帰還」にかけなかった逸話がある。.学部三年時にこの症状は深刻で、単位をすべて取っているにも関わらず、僕は留年して通院する。嘉浩君に出会う1~2年前だ。この時に主治医の精神科医の方に言われた言葉は、こうだった。「…もしかしたら、あなたは宗教的なものが起因かもしれない」「宗教的な鬱に陥っていると言えそう」.むしろやんわりと、宗教に関心は示せないのかしら…とまで進言されていた。.「それで解決する若者を知っている…年のころはそう、あなたのように 22~23歳の方が陥る症状」.僕は、その頃はまだ宗教に低俗な誤解を抱いており、僕はずっと哲学的かつ科学的な真理探究になると思っていた。.僕は一年にわたる通院で回復の見込みがなく、入院を勧められた…だが僕はこの申し出も、何の解決の見込みもないものとしてしり込みしており、焦燥感に襲われていた。.その時、処方されていた睡眠導入剤を備蓄しており、それを一気に飲み干すという生と死の賭けに出た。…激しい頭痛と嘔吐下痢によって、試みは失敗する。後には引けなくなっていた。入院を断るための唯一の道は進学だった。.運よく院の試験だけはこなし進学したのだった。モチベーションは、奇跡的に降ってわいた天文学への道だ。折しもその頃、自分の所属する地質学科に、異質の地球物理学者が赴任してこられ、いきなり野辺山天文台での研究への道筋を作ってくれたのだ。僕は、その後、天文台の実際の職員の方々、研究者の方々と研究し、実質的には大学を飛び越えていきなり「本物の学問」の道へと分け入ってゆく。野辺山天文台で見せられた 赤方偏移(※)は、僕の初めての神秘体験だった。.これでかろうじて、一旦は救われたんだ。僕の場合。でも、この「生きる意味」への問いかけは、いわば真理への問いかけ、そう簡単なものではなかった。その存在の意味の喪失と渇きは、再び襲い掛かってくる事となる。.※ 赤方偏移は光の波長が伸びて観測される現象のこと。いわゆるビックバンの観測的事実とされる現象の事。天体現象において赤方偏移を生じる状況は3つに分けられる。 第一には天体がわれわれから遠ざかる運動をする場合に,音の場合のドップラー効果と同様に、光の波長が長くなる現象。...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ウイリアム・ジェイムズの宗教的心理学によると人は、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われてゆく憂鬱状態から、心休まることのない問い…生きる意味に対する…に駆り立てられ、宗教・哲学に向かうとされています。また、この「宗教的憂鬱」はしばしば、突然の宗教的回心によって解決されるとジェイムズは指摘しています。「悔悟」 P200~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~広瀬さんは、ご自身の状況を、これと一致している、とそれは、僕も同様でした。切実なほど。...Eili ...
2019年03月30日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この記事は、思いがけないコメントにより、あらぬ方向を恐れ、一旦削除してしてしまった記事ですが、僕の24年来の究極とも言える最重要なテーマとなるため、復活させることにしました。僕の生きてきた中で重要なひとときであると同時に、日本の歴史の一幕でもあると感じています。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...先日、嘉浩くんのお父さんにようやく会うことができ、ご挨拶をすることができた。証人出廷後、22年ぶりだろうか…当時は何度も法廷では会っていたのだけれども、休廷の僅かな時間しか声を掛ける機会もなく、また、語りかける言葉とて、言葉を失うほどの事件…何を話したのか記憶にはない。.当時は、それでも気丈な面持ちで、証言を傍聴していたと思う…表情は固く、引き締まり緊張が抜けない、そんな感じだった。.二十数年の時を経て、改めて対面すると、目元にそれまでの歴史が刻まれていた。驚くべき証言を聴き続け、世間からの非難を浴び続け、息子からの悔恨の手紙を受けとめ続けた父親…何という深みだろう…その柔らかな面持ちと苦悩を受け止め続けた瞳に、世間に向けられた贖罪の気持ちと、息子に対する慈愛が宿されれているようだった。.僕がしたためていた手紙・詩は、嘉浩くんの仏前に供えられているらしい…そして、僕を通じて嘉浩君にメッセージを下さった方の言伝も、供えてありますとのこと….僕は、年末年始たくさんの事象に見舞われていて、うまく言葉を落とせなかったのだけれども、地下鉄サリン被害者のご家族の方から、僕と嘉浩くんへ向けて語られたメッセージがあるんだ。。。.それを是非、お父様に伝えたくて、それをお伝えすることができました。.被害者から加害者への言葉…なんと重く、身の引き締まる…それでいて、なんという憐れみ深いお言葉なのだろう…この23年間に渡り、極端に引き裂かれてしまった人達をつなぐ言葉が存在する…それだけで、僕は救われる思いがして、胸が熱くなった。.本当に、本当に、ありがとうございます…...Eili ...
2019年03月30日
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.もううまく言葉が落とせなくなってきてしまった。がんばって書き留めておきたい記事がいくつかあった。.向き合えない…のだろうか、そんな事はなかったはず。向き合うべきではない、という示唆だろうか…そうかもしれない。.このままだと書けない。.バランスは大事?…それはそう現実世界と遊離してる?…そうかもしれない。いや、かろうじて地に足はついているはず。仕事は決して休まない。人と会いたい?…渇望。いや、もう会いたくはない。.自問自答.3/20 以前に書きたかった記事が書けなくなり、激しく自己嫌悪もう機会を永遠に失ったから….それ以降では、時代が異なる通り過ぎる言葉を拾い上げることができなかった。...季節は春の訪れ待ったなしで訪れる否応なく変化してゆく.春の嵐春の気候この不安定さが、身に染みている...世界の事象が、体の中を通り抜けてゆくような感覚散逸した意識...出版されたばかりの広瀬さんの手記を読みふける。意味を求める病….僕と同じ症状の彼が綴った手記だ恐るべき手記...彼と僕の人生の展開は天と地ほどの差があるが、僕と彼の虚無的意識は根底が同質のものであり、物理的にも、彼の第六サティアンでの小部屋は僕の斜め向かい、距離にして 1m くらいだった。この寡黙な青年は、うつむき加減でいつも何かを思念しているような…そんな感じだった。極めて高度な集中力、場合によってはそれは強烈な視野の狭さでもあり、ひた向きさでもある。それは科学者の風貌でもあり、僕はそうした人種に囲まれていた。サンジャヤ、ヴァジラパーニ、ゴーサーラ二人は刑死、一人は廃人となった。...いけないな….桜だ…桜が咲いている...すぐに散ってしまうだろうが、今は考えるべきではない。.....Eili ...
2019年03月29日
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無明.拒絶.孤独.鍛錬.集中.信仰.裏切.絶望.悔悟.刑罰.死.恩寵...Eili ...
2019年03月25日
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関係者の方々、示唆的なコメントを寄せられていますね。江川さんが紹介した杉本さんの言葉など、感銘深いものがあります。「騙される」というよりも「違和感」を素直に大切にしようという事です。.こうした意見は貴重ですね。.ああ、でも思い起こせば、この「違和感」正常に生起させていましたね。そのことごとくを、先達の信者の方々が、ぶった切って、強引な信仰に誘ってましたね。。。背景に教祖の意志、説法があり、その焦燥感は半端なかったです。.だから、当時の末端信者でも、こういう訴えをふんだんに先達に向けていたものの、彼らが聞く耳をほとんど持っていなかったのも事実で、.「違和感を持つ」だけでは足りなくて、「違和感を維持する」事が大切なんだと、そう思います。...そしてそれを失わせる働きが、マインドコントロールであり、非常に強い圧力があるものです。教義やマントラのみならず、薬漬け、寝たきり点滴まで、あの世界ではされていましたから….では、彼らから離れてみて、こちら側の政治や経済や会社や学校といった<通常の世界>では?.これも、また大いなる違和感を感じませんか?若い人にとっては特に…そうした大人達の社会の欺瞞を、尾崎豊が、当時、歌や詩で訴えていたわけですから。...Eili ...
2019年03月23日
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ちょっとしばらく、頭の中に不用意に入ってきてもらいたくはないので、しばらくコメントとかいらないです。。。.(停止すると今までのものも全部見えなくなってしまうような古いシステムのようなので、できませんでした。。).とても丁寧に見据えているものはあるのですが、その時期にしか記せないものがあります。残念ながら機会を失ったものや、記事を引っ込めたものもあります。.その必要はなかったと、思うものもあり、僕は、雑念を追い払うことに失敗しました。.好意的なコメントは多いのですが、感情的なものも多くなってきており、暖かなものではありますが、その内容の発展もどこか変です…気に留めていただく事は嬉しいのですが、特定の方のみのものや、しだいにバイアスのかかったものへの変遷などゆるやかに感じます。素直で率直なご意見は貴重でもありました。.それは感謝しております。しかし、このスタイルでの続行、やはり無理かもしれない…と思うようになりました。.とても、繊細な事柄を扱う空間であり、生と死、罪と罰、道徳と宗教…に踏み込みます。限りなく神話に近い不条理な事件を、観念ではなくリアルな人間の営みそのものとして体験したのです。深い次元で交流したいのです。時流や報道の表層部分には、もう一切惑わされたくはないです。.事件は歴史に移行する時期であり、被害者の方々はまだご健在であり、また加害者のご家族もいます。.そして、事件を振り返り反省なさっている方も多数いる中、ほとんど悪影響しか示さない自己主張する方々もいます。配慮したいものや、誠意の裏切りも体験します。実に様々なものを感じさせる事象であり、年月でした。.そして、僕自身はいまだに家族との縁は崩壊したままですし、壊れた友人の精神をケアしていきたいし、あくまでも、裁く側ではなく、裁かれる罪びとの立場に依拠したいと思っています。...沈黙と沈黙の隙間から漏れてくる言葉に注目し、その声ぶりがもし獣のようなものならば解読を試みます。悲し気な旋律であれば、それを愛に変換したいと想っています。純粋に傷を帯びた精神が呪う言葉もあるでしょう…それもしっかりと受け止めたい。.漏れいでる形象をもたない存在が、発する言葉に転じる時、それは美しく、詩になります。.人が神に意見ができるのは、哲学や思想ではありません。詩でしか、伝えることが不可能です。...Eili ...
2019年03月23日
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支援者の会の方々との交流…僕は、なぜ彼が生存している間に、彼らに会いにいけなかったのだろう。彼の苦しみを、僕もしっかりと受け止めて、彼に何か一言伝えることができなかったのだろう。.心で通じていたのだと…そんな思い込みではなく、彼と真実の心をやりとりを実際の言葉を交えてできなかったのだろうか。僕はこの空間にしか、想いのたけを吐き出せなかった。.支援者の方々の、心配りの様は、改めて僕の心を揺さぶるものがある。そして正直、うらやましい気持ちもある….でも、同時にこうも感じていた。僕のような、一旦自分自身も絡んでしまった関係者抜きで、全くあの教団と縁をもちえない人達の目線から彼を慈しむ心が生起するのならば、嘉浩君の心が本当に回心する手掛かりになりえる…それはもう重すぎて、ご家族だけでも無理だ…その時、全くの他者だったものの目線から…いや、彼が破壊しようとした世界の住人から手を差し伸べられること….この体験が必要だったのだ…彼にとって、それはかけがえのない奇跡的な事…..~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.「ある日突然」.ある日突然あなたと最も親しい関係にある人達があなたの愛する人 あなたを愛する人 がサリンの攻撃を受けて 命を奪われたとしようその時 あなたの憤怒と悲しみはどれほど 深く 激しいか計り知ることさえできない.ある日突然私が 何の理由もなく無差別テロの 犠牲になって生涯 癒されることのない重い障害を受けたとしよう.その時 私の苦悩と悲しみは何によって 乗り越えられるか思い描くことさえできない.ある日突然例えば 林郁夫や井上嘉浩のように自分が 最も尊敬し 信頼していた人が偽物であり 裏切者であると 知った時その悔しさと悲しみは 心身に喰い込んでもはや 生きていけないほどにやりきれなくて 切ない.悲しみは Com-passion でありコンパッションは 共に 同じように 苦しむことその Com-passion が不条理な現実を受け止め それを課題へと転換する...オウム真理教が 引き起こした事件は表面だけを見れば たしかに ひとつの劇画ですしかし この事件が提出した問題は 深刻であります.それは、虚偽の宗教の姿を 現すことによって宗教そのものが虚偽なのか? それとも真実の宗教 と 虚偽の宗教とがあるのか?あるとすれば どうして区別するのか?と問いかけるそれは 更にわれらの 思想を質し我々の 一人一人に向かってあなたの人間観は?あなたの歴史観は?あなたの社会観は? と 今も 問いかけている.私たちは「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会を発足させました.それは死刑から守る会でありますが同時に 井上さんが 生きて罪を償う ことを助ける会でもあります私たちは 井上嘉浩さんが 生きて罪を償う事に少しでも 力を興えることができるようにと念願してこの雑誌を通じて 井上さんと そしてこの会に参加してくださる人人に 語りかけまた ご意見を聞き 執筆をお願いして共同の課題に応答するために学び続けてまいります..2007.4.8 稿 児玉暁洋.創刊号 April/2007年.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~...Eili ...
2019年03月10日
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....嘉浩君のご友人の方の寡黙さが、なかなか胸に染み入りました。簡単に落とし込めるものではないんだ…ということを改めて感じ、自分がよく知る知り合いがこういう人生を歩むという事を受け止めなければいけない辛さが、にじみ出てました。.「被害者の方々がおられるので、何も言えへん…言えへんけど」と、言葉を飲み込む。.「そんなやつやなかった…ほんま、まじめで大人しゅー感じで…」と言葉を詰まらせ、それ以降の言葉はなかなか出てこないようだった。.話が終末観に及ぶと、僕は自分の失態についても、披露せずにはおれなかった。彼らがあまりに遠い目をするものだから、僕は自分の高校時代の友人とのやりとりを紹介することにした。.あれは、僕が嘉浩君に勧誘され、次第に宗教観や終末観を強めてしまったある日…いや、正確には、僕がもう既に出家の意識を固め、今生最後のお別れだと思って、高校時代の友人を呼びだして、最後の挨拶をしようと思った頃だった。僕はこちらの世界には、もう戻ってくる事はないだろうと思いつめていた。.「僕はこれから出家しようと思っています。」「だから、今生、みんなに会えるのはこれが最後になると思います。」「これから、過酷な時代が訪れると予感しています。」「だから、みんなも大変だろうけれども、逞しく生き抜いてください…」.「僕はたぶん、ハルマゲドンがやがて来ると思います…」.その時、ドン引きして絶句している高校時代の友人の顔が忘れられない。その時の彼らと同じ表情をしていた。..確か、反応は「おう…なんかわからないけど、わかったよ」「大変そうだな…」.だった。この話を紹介すると、どっと笑いがあふれだし、.「嘉浩君だけじゃなくって、僕もだいぶいっちゃってたんです…」(笑)「返す言葉も見つかりませんよね…普通」と続けた。.彼はしばらく、当時の思いつめる友人である嘉浩君がどうしてそんなにも…という想いを感じる反面、自分たちだって、その頃、世の中がそう綺麗なものではなく、すんなりと受け止めていたわけじゃないんだというやるせなさも感じていたことを素直に語ってくれた。.そして尾崎豊の詩につづられたような世間と折り合わない疎外感に似たものを、その後の人生で味わったことなども語ってくれた。「自分は、大学に進んだ後、一度ドロップアウトしました…」「僕は卒業手前…」と.ああしたモラトリアムでニヒルな心境って、人によって時期が異なるけど、僕らには切実だったんだ。人生哲学そのものと言ってもよく…嘉浩君と同じでした。..でも、普通、世界の破局ってところまではいかないですよね…と、述べた後、311の話題を振った。...たしかに世の中は悲惨かもしれないけど、そう簡単になくなりはしない。破局なんて、神話の世界だよ…でも、あの終末観にやられてしまっている頃…2000年あたりに、もし…あれが起きていたら…...もし、311が、2000年頃に起こされていたとしたら、悲惨な終末思想は、なかなか抜けられなかったと思います。脱会したサマナの半数以上は、おそらく…残ってしまったでしょう…...僕はそう言うと、みんな黙りこくってしまった。.今だって、かろうじて綱渡りの平和を得ているにすぎません。それも事実でしょう…...なんかやりきれませんね。...Eili ...
2019年03月10日
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昨日、嘉浩君の高校時代の友人だった方に会いに京都へ行ってきた。空は碧く晴れ渡り、春の近づきを感じさせている。.高校時代というのは、本当に貴重なひと時で、人生の分岐点を決める時ではないかと僕はと思っている。.そしてどこか哲学的な時代であった。晴れやかな気分する明るい色ではなく、思慮深い碧色の時代.みなどうだろう…大学に進学する際や、就職する際に、一度は気心知れた仲間たちと互いの門出を祝う同窓会など開かなかっただろうか。(僕だって、本当は自分の旧友たちと気さくな会話をしたかった。).僕はまるで自分の学友に会いに行くような胸躍る気分で、待ち合わせの洛南高校に向かった。初めて会いに行く人なのに、そんな気がなぜかしない。.校舎の前で、一人の男性が腰かけていた…遠目から一発で「あの人に違いない」と確信し、僕は小走りに近づいてゆく。彼もそれに気づいたのか、すっと立ち上がり僕を見るなり笑みがこみあげてくる。.「…お会いしてみたかったです!」「こちらこそ…」と固く握手をして、変わり果ててしまった洛南高校の校舎の周りを散策し始めた。.「ここらへんは、みな雰囲気変わってしまったな…」と彼は零した。月日は流れ、建物の姿が変わり果ててしまっており、当時の事に思いを馳せたくとも、それを容易にはさせてはくれなかった。.「そんなものかもしれませんね…」と精一杯のフォローをしたつもりなのだが、容赦のない諸行無常を突き付けられた感じがした。.「いや、ここらへんも、ここらへんも、もう当時とはだいぶ違っている。かろうじて、ここは…」と隣接する東寺を指し.「ここだけは、当時のままだ」と参道を歩きながら彼は呟いた。.僕は改めて京都の歴史に感謝しつつ、神社仏閣といったマーキングスポットは、それだけに時代を繋ぐ異世界への入り口のようだなと感じたところだった。.東寺の境内に入りながら、嘉浩君に関する談話を始めた。「彼とは何年間?」「3年間ずっと一緒でした。」「クラスも?」「ええ、クラスもずっと3年間一緒だやったんです。」「席も近いというか、隣やったし」「部活は?」「彼は部活はやっとらん…極真空手やっとった」「やっとったみたいなんやけど、途中から様子が変わり始めた」.話しながら講堂に入り、高さ8メートルくらいはあろうかと思われる荘厳な大日如来像に圧倒され、しばし言葉を失った。華麗な仏像で、本尊を中心として、阿弥陀、宝生、不空成就の像の顔つきがやたらと凛々しかった。.「彼は途中から、瞑想ばかりをはじめだした」当時の彼の変化に「なぜ?」と思いを馳せている様子だった。.「なんかヨーガを始めたらしいだけど、詳しくは俺も知らんのやけど…のめりこんどったな」「もう空手はせんようになっとったみたいやし…」「授業もいつも嘉浩だけは、蓮華座組みながら聞いとった」.「こういう仏像とかも見ると、何か印を結んどったな…そういえば」「それは、こういうやつですか?」僕は智拳印を組み、確認した。「そう、そういうやつや…」.金堂に入り、薬師如来を拝みながら、しばし沈黙の時を過ごした。普段は入れないとされる五重塔を参列し、ここは当時は見れなかったので…と心奪われていた。.そして観智院、宮本武蔵が描いたとされる、大きな水墨画を観たり、立派な枯山水をみた。みながら、仏教ってなんだろう…なんでこんなにも静かな世界もあるのに、世は喧噪しているのだろう…それに観音様のような優し気な像もありながら、一方で明王のような憤怒系の仏像も多い…憤怒そんって、なんで怒っているんだろう…そんな事を考えていた。.「もっと色々嘉浩君事知りたいです」「そうおっしゃられるかと思って、一人友人を呼んでるんです」「一人しか呼び出せなくて申し訳ないんですけど、みな井上の事は、重いんです…話したがりません。」「…そうですか」「場所を移動しましょう」.僕が京都に来ると言うので、もう一人の学友の方も急遽呼んでいただく事になった。それだけじゃない、支援者の会の平野住職や、今回の会合のきっかけを作っていただけた心理学者の方たちと落ち合う事になり、互いに時期は異なるとはいえ、全員嘉浩君の素性を幾ばくか見る事ができた人たちばかりだった。.高校時代の友人二人、僕、一審を傍聴し心理鑑定にも少し加わっていた方、刑確定後の支援者の方 が一堂に集いそれぞれの時代の彼を語り合った。.「洛南高校では…彼の存在は、存在自体がタブーとなってしまとるところがあります。」「触れたくないというか…触れることができないというか…」「皆、口は重いです。」.「彼の高校時代のやんちゃな面とか砕けたところ…あったと思うんですけど、そういうのむしろ聞きたいです」「…そういうとこ、あんま、ないです。」「…めっちゃまじめでおとなしいやつやったです。」「下らん話の輪には入ってこんかったし…なんかやつは、やってた。取り組むべきものを既に持ってた。」「次第に達観した目つきになるっちゅうか…」.時期的には、すでに彼は神仙の会に入信していたし、ヨガのインストラクターだって任されていた頃だ。急激なのめり方と適性がマッチしていたのか、彼のヨガ修行の成果が、在学中から変化をもたらしていたんだと思う。.何か違和感のようなものを感じていたようだ。「当時、俺は何感じ取ってたんかな…井上の変化は気になっとった、だって隣の席やし…」.洛南高校は真言宗系列の学校だ。だから宗教の時間という道徳の時間が存在している。.嘉浩君はその授業で何かを言っていなかったか、気になってしょうがなかった。.「当時の記憶は薄く、なかなか思い出せない。」.その教師であった虎頭先生が、きっかけで嘉浩君の支援者の会が発足することになるのだが、どうやら発足当時はかなり風当たりが強い中で、嘉浩君のために有志が集いあっていったようだった。.「…そうおもって、色々探しとったら、こんなん見つけました。僕の当時の授業ノートなんですけど、嘉浩の変化に違和感を覚えた僕がレポートにしたためたものです。」.そこには、最近の井上はおかしい…と友人の目から見た変化が、率直に吐露されていた。.「あと、これ、成績表ですが、全教科のほとんど10位以内に井上の名が出ている記録です。正直賢かったです。」「…でも瞑想するようになってから、彼、勉学に意欲なくしていったようです。」.「彼、このころ神秘体験の事とか、前世の話とかしてませんでしたか?」「ゆっとった」「お前は、白熊の生まれ変わりや…と」「半分冗談として言っていたと思うけれども、なんか妙やった」「自分は何か修行僧の生まれ変わりやとも」..宗教の授業のレポートには、こうしたためられていた。隣に座る友人は、彼を心配したのだろう…虎頭先生に向けられたレポートの中でこう記されていた。.「最近の井上は変わってしまった…」「ついに、彼は、世界が破滅する日は近い…とか言い出している」「彼の言うアストラルの世界も、妙なもので、彼の心の中にしかないものだろう…彼は精神異常者になってしまった…」...サインは出ていたんだ。そしてそれを虎頭先生は受け止めていた。それが、支援者の会の発足の原動力になっていったのだろう…..数年後、彼がTVで騒がれたとき、彼らは、心底驚いたに違いない….彼等自身、何度も嘉浩君の事で取材攻勢を当時受けたようで、その表情にはいつも深い何かが突き刺さっているような…そんな表情だった。...Eili .....本来もっとのんびりしてもいいはずの旅行でも背筋をまっすぐに伸ばして、気を張っている嘉浩君の姿.....
2019年03月10日
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12人の死刑囚に対する精神鑑定にも、もちろん興味がないわけではないのだが、僕は、この手の領域に踏み込んだ場合には、教祖の精神構造にどうしても着眼してしまう。.アメリカ精神医学会発行の「精神疾患の分類と診断の手引」第四版によると、反社会性人格障害の臨床診断では、以下の7つの特徴のうち、少なくとも3つを満たすことが条件とされているようだ。.1、社会的規範に順応できない。2、人をだます、操作する。3、衝動的である、計画性がない。4、カッとしやすい、攻撃性がある。5、自分や他人の身の安全を全く考えない。6、一貫した無責任さ7、他の人を傷つけたり虐待したり、物を盗んだりした後で、良心の呵責を感じない。.教祖、麻原はどうだろうか…見事に7つとも当てはまっている。事実、彼をサイコパスとして判定することは有効だろうし、それらの分析に矛盾はない。※1,2:(エニアグアムT8の素質と同類)3:(多くの幹部が幹部会議で経験しているはず)4:(カレーを投げつけたり、飲み物を投げつけたり、特に村井氏への扱いは過激だったと聞いている。)5:イニシエーションで一体何人の信者が亡くなった?6:裁判を傍聴していただければわかるだろう7:信者拷問殺人と言える、マハームドラーや、監禁致死…枚挙にいとまがない。.ただ、この精神医学的な分析に、僕は何も驚かないし、宝のような発見というほどではなかったのだ。あたりまえだよな…ある意味。目から鱗ではなかったのだ…僕らの背負った傷を癒しもしない。.なので、実を言えばこれまで、このブログ空間であまり教祖の精神鑑定的なアプローチに、特段の関心を示してこなかったわけだけど、有効で見落としているものがあるのであれば、どなたかに披露していただきたい。おそらく、どなたかがやられている事だと思うのだが…。.問題は、こうした良心の呵責を持たない人々が、人口の4%はいるという事実だろう。ここまでの犯罪を犯さずとも、ほぼ似た精神的素養を兼ね備えた反社会性人格障害に疾患しているものはいる。.もし社会にとって有効となりうる警鐘は何か?と問われれば、彼をモデルとして、このような人物が存在しうるのだという事をしっかりと認知することだろう。そしてしっかりとぬかりなく対処すること。.ただし、本当に認知してもらいたい人間の耳に届いているのか…という点においては疑わしい。事実、アレフは残り、光の輪も残存している。その他の分派の存在もあり、正直有名になっていないだけで、コテコテに当時の麻原と同じ精神状態のままの団体も存在している。国家公安が注意すべきは、アレフでも光の輪でもない、もっと危険なやつらが分派しているという噂がある。彼は、神仙の会の頃の麻原とほぼ同じようなふるまいをし、数多くの女性信者をはべらせ、彼は言説において人が変わったように弁舌巧みになった…という噂を聞く。そして本人が麻原の法身が乗り移ったと称しているらしいことから、こういう人間はまじで危険だ。.しかし、その後目立った反社会的な行動をとったという事象は起こされていないようなので、小規模なカルトで起こりがちなプチ教祖の誕生にすぎないと見ることもできる。.源である教祖の禍々しさ、毒々しさは、表現しきれない…深刻に受け止めていただける学者の方々とも膝を交えて話はしたが、とても伝えきれるものではなかったし、彼らの水準がどの程度教祖を見定めたのか…も実ははっきりとしていない。.しかも、カリスマ的魅力は十分備えており、適度に知性を備えたものにこそ引き込む力は抜群のものがあった。悪を断罪することは、言説においてたやすく、しかるに、僕らのようなPTSDに似た症状を経験した者にとっては、全く物足りない的のずれた指摘と批判が多く、げんなりとした鬱を背負い込む者が、「そうだったのか…だまされていたよ!」なんて元気を取り戻すほどの軽いレベルの障害ではなかった。.むしろ、いまだに教祖をどこかで信じているよ…と発言している元信者のほうが、率直に彼の魔的な奥行きの深さを洞察していると言ってよいだろう。.ただし…ここで彼の病理だけにスポットを当てたところで、構造は見えてくるだろうか…そういう疑問は残る。しかし、あまり広げすぎるとそれは専門の方々の範疇を超えてしまうので、論じにくくなるだろう…..病的に嘘をつき、人をだます….この性質は半端なく、本人自身をも騙しとおしていたと言ってよいのだが、それこそ、その才能においては随一であり、そのような人間はほとんどであったことのない多くの人にとって、彼は真実を言っているように見えた。いや、実を言えば土壌として宗教やスピリチュアルな土壌ほど、彼らにとって居心地の良い環境というものはなく、サイコパス/ソシオパスの温床となりうる。..そして、彼らは口が達者だ…実に講話/説法における話術は、魔力があると言ってもいいだろう。.魔力/魅力を持ち合わせていた人間として麻原をとらえなければならない。これまでの20年間は、極度の恐れと生理的嫌悪感から踏み込むことのなかった彼の本性について、研究者は果敢に挑んでもらいたい。.その上で、ぞっとするほどの恐ろしさに、気づいていただければ、警鐘を鳴らす価値は十分にあると思う。.本人が悩み苦しんでいるような精神疾患であるのならば、本当に手を差し伸べてあげる必要があるのだが、本人が唯我独尊状態となって、他を受け付けない頂点に達し、満足しきっている場合、果たしてこうした人物を、どう扱えるのだろうか….彼は病んでいるだけでなく、もうすでに反社会的になっている。腕力による暴力ではない、兵器を開発して、無差別に攻撃したがっていたのだから….歴史上、類を見ない、精神疾患者だと言える。...Eili ...
2019年02月25日
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この空間には切り口がいくつか存在する。思索や詩、エッセイ的なものを好んで記事にしているのだけれども、その中で、最も大切にしているのは詩の世界。.しかし、分析という分野にも切り込んでいかないといけないと思っている。事実、僕はたくさんの聡明な学者の方々と対談をしてきたし、その中のほんの一部しか世に公表はされてはいない。有名無名はともかく、鋭い切り口で、現象を読み解き、内在する構造的な問題点を指摘されている方もいらっしゃった。.ここには、様々な層の方々が、声もなく読んでくれてるということを知った。元オウムの方も多いようだが、彼らはひとつにくくることが決してできない多層的な心理構造をしている。時期も年代も見てきた側面も、関わってきたワークも異なる。…しかし、みな「なぜ…?」という共通課題を心にとどめている。そしてより本質的には、「あなたにとって麻原はどういう存在?」という問いかけは生涯続くのだろう….信仰の問題もちろん、これは批判的な側面を回避できないが、そのターゲットは表面的なマスメディアで流布しているような大衆的なレベルでの批判の類では決してなく、もっと内臓をえぐるような…そんな分析になると感じている。.一人の人間の犯した罪としては、かつて、ここまで大それた事件を起こそうとした人がいろだろうか…人を殺さないと救いにならないのだと…?.…瞬間的に拒絶反応が生じてしまいそうになる、この魔の心理的な構造にスポットをあてると、あろうことか、実に平和に生活しているはずの私たちの普段の生活の中に、心理的な落とし穴と社会や一部の人間がそうした心理的な状況を生み出している構造に気づくことができる。加害者と被害者の密接な関係と、それが複雑に結びついた構造そのものがある。.これを指摘する人物は、いるにはいた。しかし、彼等「洞察者」たちの声は、メジャーなそれではなく、マイナーな学術系の、マイナーな論文にちらっと載っているにすぎない。.彼らは、そこで力尽きており、響かせるすべも持たずに、亡くなっていった。そしてきつい言い方をすれば、それだけしか自分の役割ではないとして、悲惨な事象に気づきながらも放置し、逃避したのだ。.また、歴史というカテゴリにおいては、僕自身が生身で、あの事件に深く関わってしまった人たちと交流していたのであるから、それを記憶の限り、書き留めておこうと考えているところがある。そして、これはこの記事を書いているこの時代だけをターゲットにはしていない。.今後、このような事が起きないために、僕はこれを秘かに書き記しながら、それを送り届けたいのだ。もっと先の時代に、河に精霊流しをするように、言葉をつづっていきたい…そう思っている。.さて、僕は年末から年始にかけて、実に様々な人たちと精神交流が実現できているのだが、出身者の方々以外では、臨床心理士の方々との縁も何人かできた。複数の方々の意見を聞きおよび、共通したご指摘もいただいており、彼らは控えめに自説を展開するも、それはしっかりと、どこかで語り落して頂きたいものばかりだった。.僕の嘉浩君への入れ込みは、異常であり、そこまで想いれるべき人物なのか…?というご意見はあるだろう。事実昨年、門田さんの書籍が出るまでは、実に孤独に…僕は、呪われた彼の人生から心の断片を拾い集めるという行為を続けてきたんだ。僕のブログで彼に関する記事は極めて多く、かなり昔から書いている。でもそれは学術的な分析ではない。地獄に落ちてしまった友への言葉だった。.趣を異にする、取り組みをせねばならないのは、彼は歴史的に刻印されてゆく運命なので、彼の精神や心は遠からず、骨の髄までしゃぶりつくされる事になるだろうという予感からだ。.昨日お会いした人は、学者の類ではなかったが、嘉浩君をよく知る人で、彼の二面性を指摘されていた。「あなたには、優しかったようだけど、彼は、他の人たちには全く異なった態度ではなかったかしら…」「二面性があったのよ、きっと、そうに違いない」.でも、どうして、こんなにも違うんだ…それは僕の抱えた、嘉浩君の謎として沈殿する物質のようだった。.ただし、彼らに言われてなお、僕の頭に去来するのは、彼の「背負いこみ」と「緊迫感」のそれだった。僕は彼の過ちというのは「背伸びし続けてしまった」ことにあると思っている。.彼は、僕が在家の頃に、感極まった瞬間だったのか、夜中に電話をかけてきてくれることがあった。僕自身がいろいろな問題をかかえ、不眠症に陥っていた時期でもあり、夜中の2時や3時というありえない時間帯にかかってくる電話に、不謹慎な…とか、なぜこんな時間帯に、と思ういりも「示唆的な電話」と受け止めてゆく。.むしろ、とっさに「アーナンダだ、アーナンダからに違いない」と感じたのだ。そしてそれは見事に当たるのだ。.彼は、開口一番、ハルマゲドンの話をしていた。もう時期は本当に迫ってきているのではないか…というものだった。「教祖は、亡くなってしまうかもしれない…でもそうなれば、人類にとってとても大きな損失になるのではないかと感じている。」.そんな内容だった。もちろんまだ信があった時期の言葉だ。彼が他の信者や幹部と異なるのは、目下の信者への気配りがあったことだ。これが他の高弟達と違う点。.彼らは高弟同士競いあい、自分とグルとのパイプだけを信じ、横のつながりをほとんど気にかけない。上祐氏の本にも、同僚の幹部の話が驚くほど出ていないし、野田氏だってそうだ。.彼らから感じる違和感は何か?っと問われれば、どうしようもない高みに立った唯我的心理状態だった。彼らは集いあうすべての信者を、半ばコケにしたように下に見ている傾向が強いのだ….彼らは、自分たちこそ、グルの真意を知る稀な弟子だと自負し、そのプライド感は半端ない。落ち着いて冷静に仏教を論じるのではなく、まずはグルとの縁の深さに着目し、それで判断しているのだ。.君は、麻原とどの程度、縁があったのだ…?という勘繰りが彼等にはあり、それは今現在でもあるだろう…非常に残念だが否定できまい。. 僕は、そんな彼らの価値観を見抜いてしまうし、そんな彼らの価値観が、嫌いである….今では少しは丸くなったのではないか…という気持ちが生じる反面、僕は信頼することがとうとうできなかった。なぜなら、彼等もまた、発信者であり、ブログやホームページで自分の意見を披露している。.それらの発言をみるにつけ、彼らはまだまだ、できていない…と感じるに至ったのだ。どんなに仏教の法話が出てきてもダメ…僕は生理的に受け付けない。なんて傲慢な人なんだろう。。。こういう性格は治らないものなのかな….正直、改めて彼らの発言を見て、幻滅を感じてもおり、(どの発言が問題なのかは敢えてあげないよ、自分で自分の発言振り返ってみればいい)23年経過しても、そんな発言しかできぬのか…という想いはショックな事であった。...彼らも苦労しているだろうし、少し弁護してあげたい気持ちが生じていたのに…やはり、ちょっと無理だな。相容れないよ…僕の境地とは.ごめん、君たちは背負っているようでいて、何も背負っちゃいないし、他ならぬ君たち自身が、果てしなくエゴが強いよ…人を教え諭す前に、人を救い出す虚構に甘んじることなく、原点に一度立ち返るべきだろう。.嘉浩君なんかと同じ地点には、生涯立つことは難しいだろう。(とはいえ、彼が完成した人だなんて僕はこれっぽっちも思っちゃいない。)(すごい人ではあったが、彼は唯一到達できなかった世界観があるとみている…).先達の幹部の発言をよく読めば、いかに人々を見下しているのかがわかる。もう、見え隠れしている…この世界にうまく迎合しているようでいて、持ち上げるべきではないよ。. これは僕からの警告だ。 特に、無非難に持ち上げる人も見かける…オウマーの方々も心配になることがある。 いいことも言っていることだろう…彼等だって齢を重ねた。でも彼らから「蔑み」を感じないかい? よく彼らの言説を読んでみよう…どうしても香ってくるから。.実にサリン事件後、自ずから自分の心に問いかけることもせず、なし崩し的に教団から離れることになった彼らに、思想的かつ心理的呪縛の解放が訪れたのかは、今もってなお、疑うしかない…こう言うしかないだろう。.僕のように、95年4月23日、脱会宣言をした元信者とは、異なる。. まさか、事件を教義に落とし込んでいたの…?.それをマインドコントロールと言えば、そうかもしれない。彼らは深刻なマインドコントロール下にあったのだろう、.でも、23年という時の流れで、どうしてもぬぐい切れないものがある。まさか、本当に自分たちは救済だと思っているの….かつての行動を振り返っているようでいて、過ちだったと認めているような、しおらしいふりをしてもいるようだけど、その実、本心ではどうなの?.残念でならないし、信頼はできない…...Eili ...
2019年02月23日
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彼はだいぶ長い間しっかりと眠りに落ちることはなかった。しなかったのではない。.できなかったのだ。.眠りに陥ると、自分が意識の管理下から逃れてゆき夢で何をしでかすかわからない….だから、それを極力避けたのだ。いや、表現がぬるい…眠りに陥ることを怖れたのだ。.彼は複雑な精神構造をしている…傷がついているというべきかまるでひび割れた水晶の塊が、内部で光が屈折するように心の中に二面性を宿しているのだ.それは僕も同じだ…どこか精神の内部の奥底のほうで、ひきつっている繊維の存在を感じる極度の緊張状態を怖れながらも、避けることができない.まるで、望みながら絶壁に立っているような感覚そして、それは生命としての危機感のみ、己の生の感覚と意識を確かめることが可能となるという不可思議な感覚ではないだろうか.普段はそれを緩衝装置の中に隠している…若いころはそれはニヒリズムの中に宿し表には出さぬように管理している.年を重ねると、それはニヒルに馬鹿げたことだと目の前の曇りを追い払うように遠ざけるのだ.しかし、極論を言えば、このテーマは解決はしていないただ、やり過ごしているだけだ人は生きながら死ぬことができないただ仮死状態にあるのだ.ここで、彼の取り組みを振り返る彼は事件に加担することで人間性を失ったとされるが一方で、固くなまでに保持し続けたのだ.熱く焼けた信仰を持ちこたえることが困難なほど危険な信仰を…持ちこたえてしまった….一体、何に彼は捧げていたのだろうか…?. 神にだ….その神は死んでいた…いや、死ぬ前に変貌を遂げていたとみるべきだろう.では、彼は変貌を遂げる神の像に気づかなかったのであろうかいやそれは、的を得た事だとはいえ、酷な事だ。.近づきすぎた彼は見なかったのではない…通り越してしまったのだ.いつしか神の背後にまで貫いてゆき神の陰に降り立ってしまった.そこは…光り輝く世界とは真逆の鏡像世界だったのだ彼はこの鏡の中に閉じ込められ我を失ってゆく….暗い夜に見る悪夢ではなく活動的な昼間に見る、白昼の悪夢に包まれていた.ああ、ここで人はやはり日の光を待ち望むその切望は、夜の錯覚、すなわち日蝕….彼は信仰の世界で、日蝕に出くわしてしまったのだ…それが不幸にして悲劇を招く.鏡の世界で歓喜の祝杯をあげる彼の姿は何もかもが裏返り、悪魔的….こんなにも純粋な魂が汚されてゆく.彼の記憶が覚めるころ彼の手には、武器が握られておりそれを収める鉾だけが存在していないのだ.この切り裂かれた世界の身体に彼が苦しみ聖なるものへの希求が招いた辺境の地に僕は驚きを隠せない.意地悪く、それがお前の求めた世界だ…とでも言いたげなそんな風の音が吹きすさび.それを何事もなかったかのような顔をして時が過ぎさろうとしている.そして彼が跪き祈る光景の中に救われたとでも、言わせたいのだろうか….この欺きに対しどのような備えをしろと言うのか.神のふりをしていた悪魔は、正体を明かし満足げに述べる.絶望の美酒を味わったなよくぞ堪えた、乾杯だ….一人の男の絶望が世界中に轟く時破壊しつくされた心のがれきの中で残されたものは何か?.見出すべき真理はどこに存在するのか…...Eili ...
2019年02月20日
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僕は何かに取りつかれているのかなって感じることがある。街を歩いている時も、風を頬に受けている時も、何かいつも考え事をしている。実際にはそれってみんなもそうだろう?て思うけど、それほどには自信がない。確かに人はせわしなく動き回りながら、各々なにかやらなきゃならないことに頭が支配され、何某かに打ち込んでいる。.喫茶店にいけば、みな勉強ばかりしているし、それは学生たちばかりではない。勤め人だってそうだ。みな何かに打ち込んでいる。僕も同じさ…といいたいところだけれども、僕の場合、自分を高めるそうした時間ではなく、思い出ばかりが巡っている。昔は仕事関連の技術習得にばかり時間を割いていたが、昨年からがらりと変わってしまった。もっと本質的なもの…について思いめぐらす日々が始まった。もう、そろそろ日常に戻らなきゃ…と思いつつも、頭をよぎる…それどころか、幻影を見たりする。.恵比寿駅を降りると、僕は、なぜか気になる後姿に目を留め、知らず知らずに、その人物が知り合いではないかどうかを思いめぐらし、それを確認せずにはおれなくなる。ちょっと似てただけだっていうのに、僕は、もしかしたら…と思ってしまうんだ。どうかしているよな…で気が付くと、まったくもって似ても似つかない人だったりする。.雑踏の中で、まだ彼がどこかにいるんではないかという錯覚が起こる…でもそれはありえない。あたりまえだよな…と思い直して、また向き直る。.今日は音がやけにうるさい。普段からそうなはずなんだけど、とにかく世の中はうるさすぎる…。.僕はまたフェルメールを鑑賞しに来ていたんだ。それと読書。併設のサンマルク・カフェでいいだろう…どうせ読書するのなら、落ち着いたところがいいし、隣に神聖な場所がある。先週は嘉浩君の手紙をじっくり読んでいたけれども、今日はカラマーゾフ…闇に落ちそうになったら、フェルメールの例の絵、「窓辺で手紙を読む女」を見に行こう…それだけを励みに、一日を生きることとする。.僕はドミートリィの独白を読んでいた。.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.どうせ奈落に落ちるんだったら、いっそまっしぐらに、頭からまっさかさまに飛び込むほうがいい、まさにそういう屈辱的な状態で堕落することこそ本望だ。それをおのれにとっての美とみなすような人間だからなんだ。だから、他ならぬそうした恥辱の中で、突然俺は讃歌を歌い始める。呪われてもかまわない、低俗で卑しくとも構わないが、そんな俺にも神のまとっている衣の裾に接吻させてほしいんだ…一方では同時に悪魔にのこのこついていくような俺でも、やはり、神の子なんだし、神を愛して、それなしにはこの世界が存在も成立もしないような愛を感じているんだよ。...神の子なる人の魂を永遠の喜びはうるおし、発酵の神秘な力もて生の杯を燃え上がらせ小草を光にいざない混沌を育てて太陽となし星占いの力にあまる広大な空間に満ち溢れる。.恵み深き自然の乳房より生あるものすべてこの喜びを吸いすべての生き物、すべての民をこの喜びがひきつける。.不幸に沈むわれわれに友と、ぶどうの露と、美の女神の冠とをさずける。情欲は虫けらに与えられたもの、だが天使は神のみ前に立つ。. シラー『歓喜の歌』~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.このくだりを読んだだけで、また彼に重なってゆく….僕はこの小説の中の世界と、この小説よりも何倍にもドラマチックな生きざまを見せつけた嘉浩君の言葉を思い出していた。。.彼には悔悟しかない…激しい悔悟と己への幻滅の中で、告解を受け止めるべき相手を希求してもいた。ミーチャ(ドミートリ)がどうしようもなく実直で不器用な性格のまま、暗闇に突き進んでいこうとしている…その予感を彼自身が感じるように、彼も当時を回想しているシーンがある….それは、あまりに壮絶で、胸がきしむ….彼はもうすでに人生を終える出来事をしでかしてしまっていた…世を救済すること…世界を終えること…人生を終えること….どこに向かっていたのか、突然にしてわからなくなってゆき、果てしのない暗闇の中で、彼は怯えながら眠りに落ちてゆく。.神は…いてほしい。そっとでいい。垣間見てもらいたかった。この瞬間にだけでも、人類でこれほどまでに見放された地点にまで来てしまった若者に目を向け、何か語りかけてはくれなかっただろうか。。。...Eili .....
2019年02月19日
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..何人か、ソウルメイトと呼べるような人と出会うことができた。それぞれに人生があり、彩は違うし、主義主張は異なるんだろうけれども…同じ時空間で、知らないうちに、人生の意味を突き付けられている点で同志だと言える….頭の中でたくさんの人と出会っている…夢の中でも恐ろしいものだけでなく、非常に美しいものも多いそして現実の世界と交錯しては離れ、何か香りを置いていかれる気持ちだ.今日は朝、散歩しながら、いつものコースで、サレジオ教会に訪れていた。日曜なのでミサをしている…何度か潜りで入り込んでいるんだけど、僕は実は生のパイプオルガンを聞くのが好きなんだ。CDやYoutubeではだめだ…教会で聴きたいんだ。正直演奏は下手くそでもいい。.実際には、僕の好きなブクステフーデなどを演奏してくれるわけではないんだけれども、いつか聴くことができるかもしれないのではないかと…淡い期待を込めながら立ち寄っている。.僕は、普段は誰もいない教会が好きだ。人気がなくなる15時ころから17時ころは、僕はこの教会を独り占めにできる….小説デミアンに出てくるピストーリウスではないけれども、僕は、神聖な空間がないとだめなんだ。それは心の中にしかないものなんだけれども、たまに、身体を含めて満たしたくなる…魂を浸したいというか….僕はこっそりと、最後尾に並び、カソリックの信者に交じって、静かに讃美歌が始まるのを待っていた。そこに、アキレ・ロロピアナ神父が通りかかる。.僕は実は彼には、いつもびっくりしたように顔で見つめられ、困っている。今日は徹底的に気配を消しているつもりなのに、彼は僕を見つめるなり、誰だったかを思念し始め、記憶をたどる。(彼はおそらく地区のすべての信者の顔と名前を憶えており、その辞書に載っていない僕の存在が混乱させているようだ。)そしてまるで、迷える子羊に手を差し伸べずにはおれないような錯覚を起こすのか、宗教者の性なのか。.「どこに住んでいる?名前は何という?何か迷ってはいないか?どこかで会わなかったか?君は信者ではないのか…?」.矢継ぎ早の質問をそれとなく交わしながら、このくだり、実は3度目なのだが…彼は思い出せずにいる。静かに傍らでみていたいだけなのだと伝えた。(本当は昨年末のヘンデルのメサイアが素晴らしかったです…と伝えたかったけど)..今日の教説は、イザヤが預言者として選ばれる部分それと、ペテロがイエスに使命を与えらえる部分。.独特の韻を踏んだ朗読で、これはギリシャ正教会でも感じたものなんだけれども、独特のトランスを誘発する。.この日の朗読では、いかに自分たちは罪深く、神にすがるしかないのだ…というような祈りの前段階の効果を促進しているんだけれども、この声の響きは、高い天井がある教会だからこそ効果があるものだろう。.正直、日本では立派な部類に入るサレジオ教会だが、本場イタリアの歴史ある石の教会に比べると、どうしても見劣りしてしまうのは、仕方がないだろう….一昔前、イタリアに旅行した際、僕は、フィレンツェ、シエナ、アッシジ、サン・ジミニャーノ…と教会を巡っていたのだけれども、.間違いなく神聖な香りが漂っていたのは、アッシジの聖フランチェスコ教会だった….10世紀11世紀の中世の街並みが、そっくりそのまま残る街…誰でもタイムトリップできるお勧めの聖地だ。.それと、ダンテ・アリギエーリが通っていた教会が今でもフィレンツェの片隅に残っており、そこにはなんと「神曲」読んでいた人なら、気になって仕方がないであろう、彼の初恋の人ベアトリーチェのお墓が存在する小さな小さな教会があるんだ。.サンタ・マルゲリータ教会 という。ダンテが膝をついた場所と同じところで、僕は祈りたい….時空の旅を続けたいな。...Eili .....
2019年02月10日
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..今日は朝起きると珍しく粉雪が舞い何かに守られるかのように白い世界に閉じ込められた.君は…守られている.友人は噛み締めるようにそうつぶやくと.僕をずっと見ていたと続ける嬉しかった.孤独になるとき人は深い次元で交わえる.逆説的な事かもしれないけど、真実さ僕はそれをヘッセから教わった.彼との再会は時間がかかったしかし、こんな体験、軽々しく語り合えるものでもない.本当に互いの友人の死を悼むなら彼等を自分たちの細胞に組み込まないといけない.神秘的な体験の多い友人は、ある時夢の中で僕に会い夢体験を語りたかったようだ.互いにトランスに入りやすい僕たちの会話は、ちょっとぶっ飛んでいてあまり一般的ではない.夢で告げられたんだ今Eiliに会いに行け…と彼との連絡手段を何も持っていなかったのだが、彼は僕を探し当ててくれた。.この数か月、たくさんの人たちとの交流が絶えない初めてお会いする人とも、いきなりヘビーで深層心理の世界の話題から入れる….僕は、今年一番大切な出来事は、被害者のご家族の方とお会いできたことそして嘉浩君のお父さんとお会いできたことを伝えた.実際にこれはミラクルな事で、テーマが極めて重いだけでなく僕自身が本来「引きこもり」な性格な上で極めて世間から遠ざかった森の中に身を潜めたような生活をしていることを考えれば奇跡に近い事だった。普段の生活で僕の素性を知る人はいない.mixiでもtwitterでもないfacebookでもない、僕はここにしかいないんだ彼のコンタクトを心の底からありがたく思いながら、僕は狭い入り口をくぐってきてくれた友人を祝福した.嘉浩君は、拒絶されていたんだイメージが悪すぎて、誤ったプロファイルで世間に解釈されしきってしまっているため、ある一部の人には決して彼の言葉は届かない.救いだった…彼はいたたまれない思いのまま亡くなっていったんだから彼の仏前には、彼女の言葉も供えることができただろう(本当に…ありがとうございます…!).僕のこのブログ空間は、本当に神聖な空間となったと思います…誰にも壊されたくないとても信じられない空間だよ….このまま、氷に中に閉じ込めて、眠りにつかせようかと、迷ってもいますもう、僕たちが生きている時代だけのものではないから.それに生きている間は間違いも犯すしもう誰も傷つけたくないから….そして汚されたくはない、決して.僕からすれば、皆さんの語り落す言葉は、貴重であるものの…受け止めたうえで応える言葉が見つからない事が多い.悲劇の中から、摘み取らなければならないものがある僕はそれをするしかない.そして摘み取ったものを、心ある人に渡したい…それができる唯一の空間を、僕はここに創ったつもりなんだ.逆説的だけど、すべての人を拒絶するような空間の中でしか僕の想いは守ることができない...Eili ...
2019年02月09日
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...今日はフェルメールの傑作を見てました。今恵比寿三越で小さなフェルメール展をやっていて、心が洗われます….この絵ばかりを見つめていました….併設のカフェで改めて、嘉浩君の手紙に向き合います。.『魂の遍歴』p423.昨年は、君代さんに会いに行く機会が多かった。9月、もう僕は仕事に手がつくような状況ではなく、この月は有休を使える範囲でだいぶ休んでしまった。事前にしばらく休みたいという事は連絡していたので、迷惑は極力かけなかったつもりだけど。.京都といえば嵐山、嵯峨、そう瀬戸内寂聴さんを思い出すのだけれども、彼女は僕を乗せて車を走らせると、思い出の場所があるから連れて行ってあげると、市内からちょっと離れたところにある広沢池に案内してくれた。.「ここが私の生まれたところだけど、実は嘉浩君もよく来てたんですって…」.粘っこい草木の香りが漂う素敵な場所だった。池の大きさはさほどではないが、実に静かで暖かな雰囲気のする場所だった。僕は一気に彼の少年時代にまで想いを馳せ、彼が太郎を連れて散歩に来ていたことを想像し、そこと同じ道をたどりたくなった。.池の周りはあまり手入れはされてはおらず、雑草も伸び放題で自然のまま、当時もそうだったのだろうか…。彼女も、何か物思いにふけっているようだった。しばらく池の周囲をぶらつき、近くの喫茶店に入った。.とてもすべては持ってこられないけれども…と言いながらも何十通かは持ってきてくれた。嘉浩君の直筆の手紙だ。それをすべて机に並べ、ある意味壮観な眺めの中、一通一通目を通していった。.彼は悔悟の念を語りはじめると、すかさず対応する仏法を引き出し、それを己に噛み締めるように律してゆく、そんな語り方だった。.法を語らせると、止まらない。仏典の引用個所も記され、まさしく僧侶との会話に深く突っ込んでいけるような内容だった。.しかし、しばらく交流していると、嘉浩君の心には、しっかりと彼女への想いが刻まれていったようで、詩にも柔らかな情景描写が増えてくる。まじめで悲壮な詩も多い中、時折、「たんぽぽ」のような詩が混じってくるんだ。.…そうか、拘置所で見れる敷地などに、アヤメのような花が咲いているわけではない…彼は己に許された空間の中で、瞳に止めた草花に想いを重ねていったのだろう。.そんな折、彼は二審で死刑の宣告を受ける。この絶望的な状況の中、君代さんは、「かける言葉が見つけられなかった…」と零した。.そして、ちょうどその頃の自分も思い出しながら、彼の境遇で最悪な展開のなか、僕はそれに気づいてあげることができずにいたことを悔やんだ。.しばらく支援者からの手紙も出せないような状況の中、彼のほうから手紙が届くんだ。.2008年12月24日.出だしはこうだった。.「前略、今24日の深夜です。メリークリスマス!」.こんな出だしで始めるのは、彼が自分を支援してくださる人に、その厚意に甘えながらも、無念の結果になったことへ(気にしないでください…)というねぎらいの気持ちだった。「…正直、残念だったけれども」…という言葉はあるのだが、残念で済む次元ではなく、まさに絶望的な状況だ。.だが、ここで彼は、はっきりと「死」を意識するようになる。彼は次の年に改められる面会者のリストに君代さんが漏れてしまう危険性を、とても恐れるようになるんだ。今年面会してくれていたとしても、来年同じ人が許可がおりるわけではない…この切実な思慕が、彼を行動に駆り立てていた。.ここが豊田亨君とは違うところだ…彼の手紙の交流者に対しては「ご負担に感じられたら、いつでもやめて結構です。ただ、その場合は、事前にその旨を知らせてください…」という、徹底した控えめな態度に対し、嘉浩君は、積極型.もう、本当に今生会えないかも知れないんだ…と気づき、彼は無謀なお願いを吐露する。詳しくは言えないけど、流れの中で.「僕の〇〇になってください!」と、そして「もしそうなれば、逆説な表現かもしれませんが、本当の意味で出家することを意味します…」と述べるに至る。.なななんと、無謀な嘉浩君!それでいて何人出家に導けば済むんだ(苦笑).…君代さんの前で、僕はお茶を零しそうになった。それまであくまで女性僧侶としての君代さんと接していたつもりが、いきなり嘉浩君の恋人に変身するわけだから….こんな流れがあっての、『魂の遍歴』p448 なんだ。.門田さんの文体だと、ちょっとメロドラマ風。。。でも確かに、ここでの二人の境遇は互いに切実なものがある。.「そんなこと言われたって…」という気持ちがまず先に「どんなに心で繋がっていると言われても、現実的には触れあうことができないから…」と切ない。.こんなやりとりがあってから、接見室での二人だけの儀式が始まる。面会時間終盤、彼は求める。アクリル板越しに、額と額、右手と左手を互いに合わせるようにして、しばし瞑想する。そして、彼は零すんだ。.「…生きて、生きて償っていきたい」.その切望は、愛する人を見つけてしまったからだろう…...Eili ......~~~~~~~~~私は君代さんとは交流を続けていきたいです。…問題は5名に君代さんを私が請求しても確実に許可が出るかは不明な点です。ただもし君代さんが私のお〇さんになってくだされば確実に会えます。親族の中に入るので!…私の花〇になることは大変な覚悟です。…逆説的な表現かもしれませんが、もし君代さんが私の花〇になれば、それは君代さんが本当に出家することを意味します。…~~~~~~~~~.
2019年02月02日
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奇跡を求めて…生きてきた感じがします。それは、とても信じられないことで、無理、無謀、起こりえない事…いかようにも表現できるだろうけれども神秘体験ではないです。そんなものをもはや求めてはいません。.傷つけてしまった人達と、回復不能まで傷ついてしまった人達が、互いの世界を垣間見る事ができるだろうか…この両極端まで引き裂かれてしまった人達にとって、互いを思いやることは果たして可能なのか…という視点でした。.僕は、それを楔のように胸に刺し抜いて、呼吸を続けてきた気がします。それは長く、沈鬱で、やはり不可能なほど困難なこと….今だって…傷はうずき、痛くないといえば嘘になります。空中でぶつかり合い、地上に落ちてしまった瀕死の小鳥たちが居ます。もう、彼らは死にそうです….でも片方が、一言だけ…「ぴよ」と鳴き、もう片方からも「ぴよ」と鳴いたのを.僕は聞けたのです。.もう、思い残すことなんてないほどにいたわってあげたい…ていう気が沸き起こりました。...Eili ...
2019年01月11日
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僕はオウムのその後に、同じようなものが出てくるとは思っていない。歴史は繰り返すと言うけれども、今度の時代はあらゆるものが昔の焼き直しにはいかない時代だと感じている。第一、オウムの焼き直しであれば、ああ、かつて日本に大被害をもたらしたあれね…となるだろうが、たぶんそんなに単純ではないだろう。密教が密教でなくなってしまった時代だ。もう誰も「秘密」になどできなくなってしまった時代…それが現代の特徴の一つだろう。.で、うやうやしく実は深い教えはね…と小出しにもったいぶる必要もない。ネットで調べれば、出てきちゃう時代になった。.その代わり、その信憑性が果てしなく疑わしい時代に突入してもいる。でもそれはよく考えてみたら今までだってそうなのだ。文献が古いから真理というわけでもない。文献がどこかに隠されていたからって真理なわけではない。.この点多くの人が混同している。確かに秘密にされると、人は知りたくなるし、その情報の価値を上げることに成功する。そして、ごく少数の人間に、うやうやしく開示された時、それは効果を発揮する。.それ自体が、虚構なのだ。極めて稚拙…であるが、当時の学者も含めてこれを誤読し、ロマンを持って嘘を信じたのだ。愚かにも。今でさえ、それをうやうやしく、真に優れた高度な教えと捉えている者たちの、なんと旧石器な考え方だろう….これは、僕の今まで付き合ってきた朋友にも言えることだが、ほとんどの人がこの点において目を覚ましていない。今年になって、テーマとして、オウム後の世界を模索する事にしたわけだけど、ちょっと乗り遅れているのはこの手の人達だ。.スピリチュアルをやっている人達が、本当に旧石器的で悲しくなっている。これは20年後に出会った朋友達の半分に、この傾向があったわけなんだけど、僕は彼らが唱えるほど、彼らに幸せを感じなかった。.僕は、こんなんだから(まあ、ブログは暗いよね…)、よく言われる。「君は傷ついているようだから、癒やしてあげよう…」「君はまだ悩んでいるようんだね、僕は脱したから、君に僕の掴んだ真理を語ってあげよう…」「貴方には、情けをかけてあげたくなる」.でもね、全くもって、反対だと思うよ…どうして成長しなかったんだ…と心の底で感じながら、彼らの慈愛をこちょばゆく受け止め、そのスピリチャルに救われているらしい彼らの言説を辛抱強く聴いていて、最後にこう言いたくなるんだ。.仕事しようぜ…そんなことよりも.とっかえひっかえ新しいスピリチュアル用語で自分をけむに撒くのは辞めてさ…もう20代ではないんだし….また、僕は宗教の教説をたくさん勉強して、説教垂れているばかりの朋友にも、実はげんなりしている。色々勉強できることはある、確かに。仏教なんて奥が深いよ。全く。でも、なんだかそれを体得した如く語っている人が、実感として体感しているようにも思えなくって…なんだか悲しかったのも事実だ。仏教の空の思想を切々と唱えられて、そこに自分は到達したがごとく説教を垂れ、被害者には一切意識を傾けない自己中の脱会信者にも、表に立って実名顔出しで社会の中で戦ってきた僕の気持ちなどわかりはしないな…と思っている。.そんなことよりも、一曲のすばらしい音楽を聴いて、心の奥が打ち震えているとき、教説によらない真実の愛を感じたりするしもはやそれは説得される必要もないんだ。包み込まれるから。.脱宗教の境地…これについては、前にどこかの記事で触れていると思うけれども、宗教ですらないという感覚は真実。僕がこれを言い出すと、ほとんどの人が黙り込んだ。僕の場合、朋友のほとんどが宗教的なやつや、実際に宗教を実践していたりする人が多いから、その人達に敬意を払いつつ、やんわりと異なる方向性を示しているだけなんだ。.まあ、でも井上嘉浩くんの魂の遍歴には、着目していて、彼がどんな思想に触れて感銘を受けたのかなどは、なぞらえながら味わうような感じかな…彼のことを僕は見捨てられないんだ。そしてやるんだったら、徹底的に彼ほどやってみて掴み取った真理があるわけなんだから、彼が獄中で掴んだ精神は、なにか書籍で書いている有り難い言葉なんかより、遥かに珠玉の宝の言葉だと僕は思っている。.僕が今回残念に思ったのは、もし僕が面会できるほどの人間であったのならば、まずはとっかかりとしてクリシュナムルティを彼に紹介しただろうということ。どうやら彼の獄中生活でKの思想には触れている形跡がない…とても残念なことだと思っている。.縁ある支援者は数少ない。親鸞の教えやチベット密教の教えで、それぞれパイプを繋いだ人が彼の魂を救う手立てを考えていたようだけど、僕は、実は親鸞の教えでも、チベット密教の教えでも彼を救うことなんかできないんだって思っている。またそもそもキリスト教との縁があるわけでなし、それで彼が満足するとも思えない。.もちろん、いい教えもあるだろうし、そこに示唆がある言説も存在したと思う。でも、そうしたものをすべて、否定し去るほどの思想をなし得たクリシュナムルティはもっと深遠だっただろうし、もし僕が彼と交流していたら、活発な話ができていたのではないかと思う。.そして、ずいぶんと違和感を感じてならなかったのは、まるで、井上嘉浩くんの魂を下に見て、間違ってしまった人を教え諭す側になることの傲慢ささえも僕は感じてならなかった。.実に井上嘉浩という人物は、そうした事でくくれない人物で、彼の悔いる姿は情けないそれなのであろうか?言葉を発すれば誤解を招いているし、いくらでも彼に一言言いたくなる想いは生じるだろうけれども、彼が事件を反芻しながら己の魂を磨き上げようとするあの姿は、…あの真剣な修行に打ち込む姿は、宝だよ。.その姿勢をもって「やれやれ、彼はまだ修行に執着しているのか…」と高みに立って見下している学者や僧侶の方々が多い。そして、彼らはこう言うんだ。「…かわいそうに彼はまだオウムが抜けていなかったようだね…」.ああ、まるでわかっていないよ。彼の姿を僕は全く見下せない。...こんな体験をする人はそうそういないんだ。まあ、確かに何らかのダルマを必要としている点で、僕の現在の方向性と、彼は違う。異なるが、彼の魂が稀有なものであることに変わりはないと思う。...僕たちの時代は次の時代にシフトする。もう戦うべき相手は、人間同士ではない…人間同士での争いはまだ絶えないだろうが、本当に恐ろしいことはそれではない。人類が作り出した至極の知性AIとビックデータのネットワークに、僕たちは誰一人逃れることのできない時代が到来する。.問題は、人間に解くことが難しかったその問題を、AIに託してしまう…いや自ら勧んで自分たちの権利を譲渡する事をもはや避けられなくなってしまい、我々は、情感を持たない完璧に純粋な知性だけのAIに、自らの生存の有り様を選別させられるのだ。もう、情状酌量の予知などない。データの説得力が数値となって現れるのだから。.未来予知技術の使われ方は手厳しい…あなたが、この会社に貢献できる可能性は、○○%であり、数年後○○%に下降することが確率95%で推測され、よって不合格になります…という時代が、まもなくやってくる。.そして刑期を終えた受刑者も不憫でならない。あなたが再犯する可能性は○○%と予測され、その精度は95%になります。、よって仮釈放の権利を剥奪することになります。次の申請まで刑期を伸ばします….これは、もう既にアメリカの一部の州の刑務所で取り入れられているシステムだ。...Eili ...
2019年01月05日
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人類のみ、フィクションを信じる力が備わっていた。それはリアルなものしか信じられないネアンデルタール人にはなかったものだった。そしてその事が、集団の力を結束した。そして個としての能力で劣るホモ・サピエンスが、彼らを結果的に駆逐する原動力となった。地球という惑星を種として支配したのはホモ・サピエンスだった。.そのフィクションとは、見えないもの、想像的な架空の存在だった。それは「宗教」になり、神を生み出し、幻想の中で獣を生み出し文化的な生活を豊かにした。人の間の諸生活においても「貨幣」と言ったフィクションなくして現在は成り立たない。我々の没入しきっている資本主義だって、それは壮大なフィクションの中での世界だと言える。.見えないものを、信じ、共有することで成り立っている世界…それが我々人類の姿だという。.そして、それを俯瞰的に見るには歴史を紐解き、様々な領域の分野に首をつっこんでいかなければ視点が得られないが、ここにオウム事件がある….この事件と、この事件を起こした教団は、歴史的に観て、ホモ・サピエンスの歴史の縮図とも捉えることが可能だと思う…優位に立つこと、闘いの肯定、他を破壊することで新たな世界を創造しようとしたこと…まさにヒンズー神話さながらに、それに沿って活動した、神話の世界の転写世界だったのだ。誇張する必要もない。寓話ではなかった。サブカルチャーではなかった。私達はそれを見た。僕は内部から…多くの人は外部からその様を見ることになった。.フィクションを信じる力が強いと、歴史は動かされる。.ある特定の集団において、共通のストーリーを共有し、彼らが暴走する時、それはとてつもないエネルギーを秘める。それは今まで国家間の戦争だった。しかし近年は違う。もう少し小さな集団で可能な時代に突入した。これをキリスト教の十字軍の遠征に視点を落としてみても感嘆とする思いに駆られるだろう。僕らは歴史を俯瞰する視点を、後世代の人間として、特権を得ている。歴史を学ぶ姿勢は重要だろう。.そして、同じように、誕生からわずか10年の興亡で、野心と破壊の限りを尽くし、全人類抹殺するだけの致死量のサリン製造を目論んだ人物・麻原がいた。その幻想を誇大妄想として病理的に決着を付けることも可能だが、その決着に喜びも安心も得られるものでもない。。。.歴史的事象を生々しく、人生に刻んだものとして、僕は、この後の時代はどう移り変わろうとしているのか目が離せない。.人間が最も危険であることに、我々自身が気づいてしまった。そして、より公平で精度の高い、AIに意志を託してしまう時代が到来しようとしている…いや、もう既に「到来した」と言えると思う。.中国では、すでに研究段階で導入されている、交通課の犯罪予知システムでは、顔認識だけで、その素性のものが、何%の確率で、どのような犯罪を未来に犯す危険性が有るのかを、瞬時に割り出せる。.それはビックデータと照合される。どのような顔の特徴のものがスピード違反や窃盗する可能性が、何%あるのか…それが監視されている。.犯罪を犯す前に抑止を…というスローガンのもと、高速道路に仕掛けられた、顔認証システムで、まだスピード違反を犯す前に検挙することができる…という研究論文が存在するのだ。.これは未来の話ではない。今これから起こる世界の秩序に向けて、人は不完全な人による監視を捨てて、正確なデータを蓄積しながら予測システムのもと、AIを駆使して、機械に人生を判定される世界が誕生するのだ。.数十年後の話ではない、おそらく数年後…サウジアラビアや中国、シンガポールなど、導入され始めるだろう…...Eili ...
2019年01月04日
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.今年のテーマは、もっと包含的な人類の進化に向けた考察をしていきたいと考えている。もちろん、オウム問題はリアルに僕達の前で起こった事実だし、まだしばらくは死刑執行を巡る、振り返り的な考察が続くとはいえ、この世界は止まってはくれない。先に進むのだ…では、どこに向かって?.このテーマは、大昔から繰り返されている命題ではあるが、この数年の時期ほど重要な時期はないだろう…もう既に始まっているとさえ言える。新しい生命が始まっている。(※生命と言えるだろうか…むしろ純粋知能としての意志だろうか…)AIを通じてアンドロイドが、世界の基準を提示し、それに抗うことが不可能な時代がもう到来してしまった…と言える。.ここで、僕たちは、ホモ・サピエンスとして、常に種族の頂点を目指し、非かいながらも生存を脅かされる度に、他を出し抜き、一歩でも前へ進もうとしてきた事実に目を落とさなければならない。.今我々が、ここに生をとどめているのは、歴史上、最も残酷な民だったからに他ならない…それは直接手を下さない「平和を望む人たち」ですら、その生まれは、その闘争原理の中から産み出された魂なのだ。.オウム事件は縮図であり、何度でも、その事件の中に隠されている「人類の性」的なものを垣間見せてくれる歴史的地図となった。僕は彼らが「超人」を目指したことに着目している。それは、実は、こちらの世界でも、すべての人が逃れられない方向なのだ…といえる。これに反駁する理論は多数存在する。.まずは、諸概念を並列に並べて、和を持って世界を統一する理想の話が、平和理に語られる。そして、もっとリアルな現状として、資本主義的な側面から、いかに人が貪欲に、上を目指し、あわよくば独り占めにし、抜け目なく支配し、他を奴属状態に置くことに、なんの躊躇いも持たないのかを、事例を元に示される。.そして、そこからの開放を求める「力ない」運動や、ブルジョアに身を置きながらプロレタリアートを気取り、世論と迎合する人達。それは安全な地に身を置き、TVのモニタで災害現場の報道を見ながら、ため息をつくのに似ている。.欺瞞はいくらでも見つかる。そしてそうした視点を若い頃に芽生えさせて、宗教なり、カルトなりに傾倒したとして、20数年後の結果はいかほどだろうか?.僕は、知人に壮絶な人生を歩んでいる方が多い。そして、彼らは間違いなく、この資本主義、貨幣経済の枠組みからの脱落者として、先の世界を夢想した。僕もだ。そして彼らは青臭い若者として当時だいぶやり込められたが、違和感があった。それは批判する方々の多くが、ではその先を自分なりに見出しているのかと問われれば、そのような方は自分の記憶のある限りいなかった。.それでも、学識有る学者の方々と対談などすると、それはとても有意義な話もすることができた。ただし、決して他に意志を委ねることのない彼らは、一線を超えた我々「宗教者」に未開の地の住人のごとく、不思議な視線を投げかけた。そして若干の羨望も見逃せなかった。.その先で体験できる秘境的な文化を垣間見てみたかったという願望は、どの聡明な学者にも感じたのである。.そこで、僕は「ごく一部の人が触れられる」と言われる「真理」を目指した。そしてそれは密教の中ではうやうやしく高度な教えとして丁重に埋蔵され、それが開示される時に、秘伝としての価値は衆生にわからむものと説明された。.ここにトリックがあるのは言うまでもないだろう…10世紀のチベット密教などに、聖なるものなどない…あれは、最もおぞましい類の「魔の教え」そのものだ…ゲルク派が主流になったのは、他のニンマ派やカギュ派以上に、力強い宗教的暴力を持っていたからに他ならない。それをダライ・ラマは言わない。ひた隠しにしながら、今日に至っている。.そして、それは一宗教に限ったものではなく、この世に普及しているほとんどすべての宗派に、争いと闘いの血なまぐさい歴史が折り畳まれている。.ただ、われわれは、その顕教的な側面に、たまたま道徳的に沿った安全で有り難いとされる教えの外壁に守られながら退避している。時代の移り変わりにも…しかし、それは、崩されるのだ。.神は守りはしない….この古臭いそれぞれの宗派の教えに沿いながら生活している何十億の人達がいる中で、ごく1%にも満たない人が、進化を勝ち得ている。古臭い宗教的文化と、現在の資本主義は、まことに彼らに都合がよく、まさに<支配しきった>と言える一歩手前まで来ている。.ワーキング・プア…なぜ、彼らをそれまでの「奴隷」だと種を明かさないのだろう…僕たちは、なべて騙されてきている。それは、カルトのマインドコントロールのようなわかりやすい縮図ではなく、こちらの世界そのものが包み込まれてしまっているマインドコントロールに人々は為す術はない。.社畜…なんと自虐的で本質を突き、そして、緩やかな牢獄に集っている様を表現しているものはないだろう….ここで綺麗事はよそう。そうした中にいる。やるせない思いには、酒やドラッグ以外にもっと手軽で高度な幻惑作用の世界が待っている。ネット世界やゲームの世界だ。.彼らは、そこで現実の生活を忘れるだけでなく、仮想世界で英雄になることで、擬似的な満足感を得ているのだ。性欲だってそう、もうリアルに異性を求めなくたってやっていける時代。.こんな時代は、20年前はなかったのだ。1995年…ここから変わったのだ。.僕らがどのような世界に移行しようとしているのか…それを真剣に見定めていかなければならない。...Eili ...
2019年01月03日
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いや、でもそれはないはずだ…僕が証人出廷した際に、彼と目があい、瞳だけで会話できた。気の迷いに過ぎない。.しかも彼は細かく覚えすぎているとさえ言われた人だが、その理由は、門田さんが面会時に、今回の手記を書く際に、本人の体験をまざまざと思い出し、書き留めるように指示していたからだ…だから、誰よりも彼は当時の体験を反芻し、苦悶の中で記憶を蘇らせていったのだ。.しかし、彼ら実行犯への扱いは本当に悲惨極まる…あれが弟子を愛し、衆生を憐れむもののすることだとは、到底思えない。魂の髄まで粉々に壊す人だった…麻原は...気を取り直そう…思索を通じてより、音楽を通じたほうが、心をまんべんなく癒せると感じる.ラ・カンパネラ ~パガニーニによる大練習曲 第3番_長富彩...Eili ...
2018年12月22日
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5年ぶりだろうか…いや9年ぶりだったかもしれない。音信不通となってしまった朋友と連絡を取ることができたんだ。僕にとっては大切で大切で仕方がない人だったんだ。.まあ、ある意味有名な人ではあるだけど…だって、あの巷に溢れているオウムアニメのほとんどは彼が手がけていて、彼の絵は世界中の人が見ているわけだ。.メディアに前面には絶対出てこない人だけど、彼もまたダークサイドを知る貴重な歴史の生き証人なんだ…彼もまた全くの冤罪で、とてもつらい思いをしている。.彼の立場では知りもしなかったサリン製造に関して、<知っていたこととして>供述しないと、拘束を解いてもらえなかったという強引な取り調べを受けている、悲劇を持っている人なんだ。.暫くは、世の中を本当に恨んでいて…僕以上に暗い人を、こんなに間近にみたのは初めてだった。..今日は一日中、彼と話していた。.互いに携帯が変わったり、メルアドが破棄されるなどして連絡が取れなかったんだ。互いに数年間は、オウムの事を忘れたかったんだ…悲劇な思い出しかない事件だし…しかも僕は、TwitterやFaceBookなどやっていないし、やるつもりもないし、他で発言することもないから…このブログという聖域で<リトリートに入るような>思いでしか発言はできない。.それだけデリケートな話をしているんだ…親族にも来てもらいたくない…正直言って。僕は、ここには、現実世界の自分の最も大切な人でさえも、寄せ付けていない…僕はEiliもし、この場所に気づいたのであれば…君にはそっと去っていってもらいたい。.もうここのブログで語る次元の話は…そういう日常の平安な世界を逸脱してしまっているから。沢山の人が実際に亡くなったから…僕は間接的かもしれないけれども、友を殺したから….寂聴さんから昔言われた言葉があるんだ。.「あなたは、生きながら死んでいるのよ…」.それは、心臓をえぐるほど、核心をついた言葉だった。僕はかろうじて現実生活を勝ち取り、片隅で生きているのだけれども、死を見つめながら生きている。.そうすると、自然に一瞬一瞬がかけがえのない時間に変わるよ。不思議なことだけれども。人を愛することや、一期一会の出会いですらも…なんて貴重なことだと切実に、切実に感じられるよ。.彼は僕と同じで、あの7月6日以降、13人の死刑囚のことばかりを考えていて、潰れそうになっているんだ。もう5ヶ月も経つというのに…一斉に執行され、誰も残っていないんだ。朋友だったあの死刑囚達は….その気持を共有できるのは、僕しかいないんだ…といって会いに来てくれた。.正直深すぎて、ここにも公開できないよ…全く報道されていないことだけれども、何人か自殺してる元信者も出ていたし、特に皆脱会後の数週間が精神的にやばいんだ。女性元信者だって、一旦は浮浪者まで落ちながら復帰しているような人も結構いるし、本当に世間やオウマーの人たちがお気軽に話題にしているのを見ていると、悲しくなってくる。.みんな上祐のような生意気な人たちがオウム信者だと思われているけど、繊細すぎる人は、たとえ自分がしていなくとも、自分のかつて存在していた団体がサリンを生成し撒いていたなんてことは、…到底受け入れられないんだ。そんなとこに居てしまった自分自身を、他ならぬ自分自身が許すことができないんだ…もう…自分なんて生きていちゃいけない…て思いつめてた人も中にはいて、そういう弱者は声もなく浮浪者となり、病気になって死んでいってるんだ。。。.僕も実はちょっとだけ浮浪者の時期があるんだけど、決して野田さんのお世話になんかなりたくないよ…彼があの頃近寄ってきたら、悪態つくだろうね…教団に居た頃の彼にはいい思い出は何一つないし…でも彼も変わったんだろう。優しい瞳になってきたよ。.あれから何年も経過したのに、この2018年は、僕たち元信者の記憶をまた、当時に引き戻してしまったんだ。この影響を受けて、言葉を発しない沈黙の人たちに、僕は語りかける。.僕らの経験したことは、本当は一冊の本にまとめたい…歴史に刻印したい。この悲劇を乗り越えるための資料として…(どなたか、僕のブログを一冊の本にして頂けませんか…詩だけでも掬い取りたい).でも、語り落とした後は、もう、この世界に存在していたくないんだ…本音を言ってそのくらいの事をしでかしてしまった団体だよ…生きていていいのかね…僕たちは、実際問題サリンだよ…毒ガスの…ヒトラーも使うのを躊躇った….ああでももう、これで日本の記憶の中から消されていくんだよね…13人が執行されたことによってサティアンの残骸すらないし、みんな忘れたがっていて、悪い思い出は、日本の記憶から排除されていくんだ….役目を終えることができるかもしれない。.大げさな表現に聞こえるかもしれないけれども、僕が本質的な事を匂わしながら、まだ触れていない事柄があるんだけど、僕はそれを言ってしまったら、もう自分の生を閉じてしまいたい…とさえ想うでも、同時に誰かがやらねば…とも想うし、上祐さんたちが、くだらん集いで自分達の存在をアピールしている実態にやるせなさを感じてならないし….それでいて、僕らはあのときほど、真剣に生きたことはないやがて訪れると言われた破局前の救済という物語にまんまと人生を奪われた…両親と縁を切り、全財産お布施...愚かだよね…全く僕たちは.今の生活を維持するための仕事に関するモチベーションや生と死に関する話題の重さからくるタブー真に宗教的哲学的な話の一切ができない現実生活の中で、何か充実感が生まれないんだ…...13人の死刑囚達の事を考える時、ごまかしなく虚構でない世界の本質を見ている気がするんだ。人生の縮図を、だから、僕は彼らの事を考えることをやめる事ができない。...Eili ...
2018年12月10日
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僕たちは…死刑囚を見習うべきではないだろうか…現実には罪に問われなくとも、そこかしこで小さな過ちを犯し、犯しながらも気づくことができず踏みつけた相手の苦しげな表情を後になって気付かされる時僕らはどうすべきだろうか….大抵そんな時、彼らは、大丈夫、もう済んだことだから…大丈夫、母さん僕は成長したから…とか言ってくれたりする。.この時済まないと思いながらも、そんな事がしょっちゅうありすぎて所謂お互い様状態になり、それらの小さな日常の罪はホワイトノイズの中に埋もれてゆく.でも、死後…それらは、しっかりと波形が取られて、その波長に見合った結晶の組成に身体が形成されてゆくのだ….例えば日常で車を運転している時、危険な走行に驚かされる時その煽る方も暗い波動を出し、煽られる方も自然と忿怒の波動を生起させてしまう…瞬時に心を正しい方向へ導くことは叶うだろうか….踏みつけて、気が付かず、恨みを持たれている人は、それに見合った歪み傷ついた結晶が心と身体の遺伝子となってしまう…まるで放射能汚染のように….でも、生前にできるだけ注意深く生き、全てのおいて感謝の思念と、見えない罪の認識に懺悔の気持ちを絶やさない人は綺麗な対称性のある結晶が組成の魂となるだろう….心の遺伝子を僕らはケアしていかなければならない…そんな事に取り組むことを使命とした彼らを、僕は敬意を持って接したい….確かに…彼らは多くの人を苦しませ、多大な迷惑をかけ、触れるものは火傷した。しかし、そんな彼らに改心が訪れた時、深く奈落の底まで陥った彼らが見出そうとする善性というものに真っ暗ななか、見えない瞳を精一杯凝らして仏性の灯火の火を再び点火しようとする彼らに…僕は目を見張るのだ….彼らは一切が許されなかったのだ…自分を弁明することや情けを受けることさえも、自ずからは奪われさられた位置に居た。.ああ、愚かさは悔いが残る…本当に気づけない頃には自信に満ち溢れさえする高慢さにはその幸運の犠牲になった魂がいかに多く居たことかを知らないでいるのだ.ちょうど競い合い、出し抜いて、頂点を極めたほまれ高い勇者が、その地点では称賛されるが多くの挑戦者の犠牲の上に成り立っていることを気づかぬようでは一流とは言えぬことと似ている.僕らの次元では、そうそう人を殺すなどということは起こるまい…しかるに油断をしていれば、僕らとて、彼らと同じような運命をたどるやもしれぬのだということを彼らは教えてくれている。...Eili ...
2018年12月09日
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この頃、再び死後の魂のことを思い巡らすようになった。生前の記憶や思い出ばかりではなく、まさに僕たちが死んだらどうなるのか…といった事や、死後、互いに近くに行けるのか行けないのか…など.たとえば、僕は朋友には声をかけてあげたいけど教祖には、ちょっと勘弁してよ…という想いが強い彼には自分の意志しか存在せず、人の意見を聞かないから.勘弁…いや、そんな甘い表現で足りるわけはない….彼に相対する時、自分の全生命力を使って対峙する覚悟がないといけなくなる.だから、正直に「御免こうむりたい…!」という激しい拒絶感を抱くのではないだろうか…(※それは、しかし敗北なんだ…ここで努めて冷静さを身にまとわなければならない)(僕が、彼の事を落とし込めたのは99年頃だったが、相当大変だったし、それを克服する精神的胆力はかなりのものだった).彼の求めたのは、その世界そのものの破壊…だから、生まれいでたその世界そのものにとって災いとなるのだと想う麻原の念は強く、僕はそういう意味で何ら心を休めることができない…彼がこの世界に存在してしまったことは事実だから.転生したくなくても、転生し、そこに麻原が居た場合、どのように対処すればいいだろう….多くの元信者が、魂の遍歴で、本物に出会おうとしたり、聖者にあったり、旅行したり、優れた文学に出会ったりしていると想う.そこでそれぞれに見出そうとしている.みんな乗り越えようとしている...Eili ...
2018年12月05日
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.自分のためには、努力することができない…それはどうしようもなくエゴだからでも…人のためになら、己を捧げて、自分を注ぐことができるなんでもしてあげたいと思える…...アーナンダの手紙には、このような内容の言葉が綴られていた.このフレーズを読み、僕は深く溜息をついて沈思した..それはある本質を突いている君は、全く正しいよ…僕も同じ思いに駆られるから.ああ、でもその相手が麻原だったんだだから、それは間違っていたんだ…て思わなきゃいけない.でも、そんな後悔をするくらいならば、死んでしまったほうがいいとさえ思ったはずだ….それはいつ頃だろうか…彼がそれを乗り越えるのはいつなのだったのだろうか彼は、それを本当に乗り越えたんだろうか.乗り越える必要があったのだろうか.神と思しき人に、見捨てられること君はその13人のうちの一人だ.君はしばらくは、彼を恨んだことだろう…でも、最後にはそれを手放した.そうする他なかったと言えばその通りだろうが君は、別の可能性を模索したはずだ.君の言葉を知って、どうしても思い出さずにはおれないエピソードがあった当時僕は、君にある悩みを告白していた。自分は信者になったというのに、教祖にどこまで自分を捧げればいいのかわからない…とそして、その時、君は正直に応えてくれた.それは実は僕にもわからないんだ…と己を捨てた思いで、これでもかって捧げても、何一つ満足してもらえないんだ…とそんな生易しいものじゃないんだ…とそして、日々の鍛錬を怠ってはいけないんだと諭された.僕はそれを静かに受け止め、自分にはとても君のようにはできはしないと限界を感じて自分に失望した.恥ずかしくもあり君を誇らしくも思ったそして、同時に危なっかしくも感じひょっとすると…と君の未来を案ずる思いが去来していた.それは、数年後、見事にまざまざと、示された世界中に…心の中で雷鳴が轟くような衝撃だった...Eili ...
2018年11月21日
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.ここは僕の聖域…精神世界.語り得ぬ領域をじっと見据えて.真理を導き出す時空間.とっても、とっても大切にしている空間なんだだから、どうか壊さないで欲しい…...すべてが赤裸々に現れては消えてゆく.言葉をかけて頂くものは精霊のようなもの僕はみなさんを大切にしている僕は青年期、本当に…長い間孤独だったんだだからこそ、詩ばかりを書いていた.でも、正直みなさんの言葉は粗雑な言語が多すぎるよ…...言葉は沈黙の世界から、語り落とされた瞬間に身体を得る.その纏いしベールの中に宿された精霊を守っていかなければならない...僕は、歴史に刻印されつつある、朋友たちに宿る霊を大切に供養してゆきたいんだ…...ここは神聖な場所なんだ...Eili ...
2018年11月21日
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.ようやく、現世を包含し、歴史を刻み込み、本来追い求めている「真理」に向かって、思惟を深めていこうかと想う…宗教も科学もフリンジサイエンスも文学も詩の扱っていきたい。そして、最も人が人らしい「芸術」にまつわる精神活動を取りこぼしなく….僕は、ここで悪夢を避けない。事実、この世界は悪夢そのものだと溜息をつきたくなるような側面が確かにあり、その環境に住まう人に笑顔はない。しかし、その一方で、ここはもしかして天界ですか…?と溜息が出るほどの美しさにも出会うのだ….麻原さん、聴いていますか?僕は、あなたに語りかけています。.この世界を三悪趣と断罪したあなたに、観てもらいたいものはいくつもあります。その神秘的で美しい世界は確かに人の世界にあり、瞬きのような時間に閉じ込められています。.焦らずに、4分間、見つめてほしいです…人が真に神々の如く集中して磨き上げた美を提示できる時空間が存在しています。.天使か妖精のように見える方たちの生き様をみて、この世界には、失うには惜しいものがあることに気づいてもらいたかったです。...僕たち人類は、飢えの克服や長寿を既に手に入れており、さらに不老不死でさえも得ようとしています。そして科学的知能においては、神のプログラムとされる遺伝子も読み解き、iPS細胞の研究によって無病の訪れさえも不可能ではない時代に突入しています。.人工知能は畏れられていますが、それはまさに神々が人間を創り出した時の怖れと同じようなものであり、人は自分の生み出した精度の高い知性に怯えだします。.ここで、人は病を克服し、不老不死を手に入れ、知性と知恵において、古代の神々に匹敵する存在になり、次に獲得しようと求めるものは何であろうかを考える必要があります。.おそらく、遠い未来ではなく、たった20年足らずで、信じられない変革を迎えるでしょう。もう、我々の生き方は、このような有り様ではなくなってきて、まさに新人類に生まれ変わろうとしている兆しが見えます。.依然として2000年来の争いが続く中で、シフトアップ、いや人類のアップグレードが始まろうとしています。その予兆が、23年前、ヨハネの黙示録を地で行い、ハルマゲドンを引き起こそうとした団体の中にありました。それは悲劇でしたが、世界中に示されました。.彼らは、超人を目指していたのです。もはや、人間であっては行けないのだ…というところまで行き着いていました。.それは、社会的な生活の中には存在せず、貨幣経済や民族意識や家族意識に至るまで、すべての今までの諸活動を捨て、一旦、生の有り様をとことんまでイニシャライズして見つめ直す機会がありました。.その上で、解脱を求めたわけです。そして、その解脱という究極的な目標に、1400人の人間が向かいました。それは、志半ばで崩壊し、すべての望みも初願さえも粉々に砕け散るという惨状でしたが、この宗教をベースにした機運は、やがて、普通の生活をした人たちの間に波及してゆくことでしょう….ごく自然に、アップデートボタンを押すかのごとく、僕たち人類は次のステップに移行するのだと感じます。....Eili ...
2018年11月19日
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.このブログ開設時に初願したコンセプト..見落とされてきたものや見落とされがちなものを… 掬い取ってあげること。 何気ない日々を大切にすること。.出会ってきた人を一人残らず大切にすること。 . 悪夢を乗り越えること。 ...開設以来13年貫き通しています….ただ当時僕は元オウム信者であることを知られたくはなかったので.そこはオブラートに包んでいましたが….これはPC版ではTOPに刻んでいるメッセージなんだけどスマホ版では出てこないんだね…....Eili ...
2018年11月18日
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...ここには2つの命題が潜んでいた。即答でやりとりすることもできないわけではなかったけれども、深く突き刺ささり、僕は、言葉を失った。.稚拙な勘ぐりに対しては反応する気も失せてしまうほどのものだったが、その言葉の刃先は、見事に僕の心臓をえぐったよ….何より僕は、論争をしたいわけでもなく、またこの部屋は沈鬱な事柄ばかりを扱うため、溜息しか出なくなりその事に僕は気づくから訪れてくださる人たちの精神のためにも暖かな心に応えるためにもせめて詩的な言葉の雫でしっとりと埋めてゆきたいんだ….僕はしっかりと受け止めているでも、応えを言葉にするまえに、倒れてしまいそうになる.突き刺さった言葉は、強力だった..ひとつは、罪を犯した人には、愛する資格すら奪われてしまうのか…ということ.そしてもうひとつは、罪を犯した人は、許されることは決してないのか…ということ..ここで甘えたことは考えない僕は、本音を言って…生きていてはいけない…と想うようになったここで、それを分析する気にはなれない.ただし、明確に応えることは、できる.ここに、次元を超えた愛が芽生えるのだとだからこそ、愛を芽生えさせる必要が彼にはあったのだと.このように、どうしようもなく救われない深淵に滑落してしまった魂が気絶することなく、意識を保ってしまっている悲劇がまずあるのだ….そして、その精神の淵に光を届けるような…そんな人が、この世界にはた…この事実だけで、まず、教祖・麻原に勝てている.この針の穴を通すほど難しく、奇跡的で稀有な体験を面会された方々、手紙のやり取りをされた方は、彼に行ってくださっていた.そして、それを受け止めるだけの器をしっかりと彼はもっており今では泣きはらした心臓の手前に腕いっぱい広げているのだ.これを笑いたければ笑えばいい蔑みたければ蔑めばいい唾を吐きたくなったのならば、吐けばいい.しかし、こんな彼の姿勢が、まさに心を打ち電撃が走る思いで見つめている僕がいる.この人こそ、僕が今生出会い…学び…習い…受け止め…しっかりと胸に刻み込んでいかなければいけない魂….そして、僕自身の思惟の末に自信を持って皆さんに紹介できる罪深くも愛おしい人間.このブログを見てくれている皆さんに示しておきたい人物は、たくさんいるが.まずもって、井上嘉浩君なのだ...Eili ...
2018年11月14日
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...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大自然の沈黙は人間に対して二様に作用する。一方では、自然の沈黙は、言葉以前に存在し、一切がそこから生じたところのあの偉大なる沈黙を感じさせるから、それは我々にとって悦ばしい。しかし、それは同時にわれわれを怖じおびえさせる。自然の沈黙は、人間がまだ言葉を所有して居なかった状態、人間がまだ人間でなかったあの状態の前に再びわれわれを立たせるからである。実際、自然の沈黙は、言葉が人間からふたたびあの太古の沈黙へと奪い取られるかもしれないという、一種の脅迫のようなものである。.「沈黙の世界」/マックス・ピカート~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~..人間は単なる自然の一部であることをやめた…それは確かだろう。自然の摂理に従うことはなく、今や自然をも支配しようと欲しており、事実、自然現象であれ操作する知恵を身につけている。治水工事や、農作物に関する干渉にとどまらず、天候そのものの支配、地震といった災害級の現象でさえも、そこに関与することを欲し、現時点で幾許かの成果をあげてもいる。.天にも届く建造物の建設はおろか、天から吊るす宇宙エレベータなるものを本気で計画する時代に僕らは突入しており、その意味で過渡期とはいえ、非常に貴重な時代に生を受けていると感じる。.人間の意識が飛躍的に拡がったのは、宇宙に進出してからだという。特に60年代の宇宙事業ラッシュの時期、宇宙飛行士が初めて、虚空なる宇宙空間からわれわれの地球という星を一つの視野の中におさめたときから、覚醒が始まったのだと言われている。.この美しさとともに、儚く、愛おしく、心もとない生命圏を知ってしまったのだ。この時、本当は人は宗教を超えていた。聖書の世界観に落とし込むことなど不可能なほど壮大な宇宙空間とそこに浮かぶ太陽系、そして水の惑星地球を感じ取ったはずなのだ。だから、この時、我々は、その人類を代表する宇宙飛行士を通じて、集合無意識にアクセスできた。地球上に住まう人類がこの時初めて一つになり、我々の環境である地球を共感したのだ。.天から見下ろした地上には、国境はなかった。うごめく生命体は小さすぎて識別できず、であるにもかかわらず、そこに確かに存在し生命を育んでいる真っ向方なき事実を捉えて感動しないものはいないだろう….人間など宇宙の構成上、極稀な創造物にすぎぬのではなかろうか…と思えたはずだ。.惑星上の身体を有する我々のような生物には、明滅する生命力に時間的な限りがあり、それは100年と短い。それに比べて恒星たちに住まう生物は(それが我々に認知されないだけであって、確かにいるであろう)、寿命はもう少し永いはずで、しかも地球からみて過酷な環境とも言える放射能の嵐の中で息づく生命力は力強い。.生命圏の層の違いから、まさに、これこそ天界に相当しうる世界だとも捉えることが可能だが、その恒星をも遥かに凌ぐ生命圏がある。銀河だ。銀河の生命体となると、これは時間、空間幅の両者を通じて、壮大なものとなり、われわれにとっては、それは「環境」そのもの、宇宙そのものとなってしまうであろうから、釈迦のような哲学者が居たとしても、この銀河の範囲内ではなかろうかと思うわけだ…しかし、実際には仏教の持ちうる宇宙観は、それを遥かに超えている。.宇宙の開闢から終焉までを何度も繰り返す世界観すら存在し、その世界観は、現在の量子力学、素粒子論、インフレーション宇宙論などに耐えうるほどに深遠な思惟がある。.※ ちなみに、麻原が輪廻や宇宙の話をするときに、4アサキャンカ、10万カルパの昔…というとんでもない時間が出てきていたが、この1カルパとは、138億年のことを意味する。...Eili ...
2018年11月04日
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「○○君、いいかい、神々に祝福されていなければ・・・カルマすら返ってこないのだよ」「悪いことをしている人間に、悪いことが起こらない・・・これは一見彼は何ものかに守られているか、徳が高いのか、それとも神自体が不在なのかを想起させる。けれども違うのだよ・・・本当は、心が回心した瞬間に過去に行った業が、結果として身体に現われなければ嘘なんだ・・・むしろそのもののほうが見放されているのだよ。」.アーナンダ(井上嘉浩)の言葉(91年11月ころ)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.200603160003.オウムの思想を語る上で、「カルマの法則」は外せない。もともとそれほど突飛な思想ではなく、ニューエイジ思想や宗教をやっている人には馴染み在る思想なのだが、このテーマについては、群を抜いてオウムは着目していた。このブログでも過去に何度かこのテーマに触れている。.200601120000.もし、ここでヤーヴェ自身について「神の不完全性」を指摘するのであれば、疑義が生じるだろう。だが、「神が完全である」とする意見に固執するのであれば、そのクリスチャンの方々は、残念ながらオウムが、アレフとなり、彼ら残留信者が依然として「麻原」だけを信じてしまっている構造と同じだと思う。.書かれたものを真実とし固執することは、パリサイ人と同じ過ちを繰り返すこととなる。.200604080002.このテーマについてきてくれる人を求めると、カルマを背負った人となる。ヨブに対する神のこらしめも、友人たちは「きっとヨブは表向きは信仰深くとも、自己の利する事で隠れて神を欺いていたに違いない、その天罰をくらったのさ」と考えており、真に彼の心に寄り添ったような発言は見受けられなかった。これと似たようなカルマ論を、僕はかつての教団信者にも見出しており、幻滅を抱いたのは、前回紹介した「第二のオウム」のレビュー記事に触れられている。.200605060000...Eili ...
2018年10月16日
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...きっとこういうことですよね…麻原がすべての人を殺そうとしたことは…それを救済と称していた意味は.彼は<すべての人>と縁を持ちたかった。集い合うことができない人間までも強引に振り向かせるには…暴力的にでも、殺すしかなかったそして、恨まれること自体をも本望とした.この身勝手な行いの確信が、彼を頑なに「神」の概念に固執させ自らを「神」と称し、「悪」に転落していった結果だったのだと.集い合う信者は、見捨てた手塩にかけていた弟子たちは、葬り去った見向きもしなかった人たちには、毒を持って振り向かせただ関心を持たせるためだけのために、殺した.彼から解放されるには受けた苦しみを自分のものとし避けることをしないこと.あなたのように生を諦めずにすべての関わった人たちに懺悔し己の背負った罪に苦しみ悩みそれでいて絶望せずに人を愛し自らの死を望んで受け入れること...Eili ...
2018年10月11日
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...まだ亡くなったという実感がわかない。多くの人が縁者を突然亡くした時に感じる不在感の受け入れの困難さ….存在とは肉体の世界のそれではないんだ。語り合う身体と語り合う精神、それが死者を死の世界だけに留めておけぬようにさせている。彼は今2つの世界にいる。ひとつは死後の世界、そしてもう一つは依然としてこちらの世界だ。彼の示したこと…彼の体験を通じて変容した精神の世界…その岩石はダイアモンドが気の遠くなるような圧力のもとで生成されるように、負荷の高い世界で形成された。.ここに僕は宝石を見る思いがする。彼は最後にすがりつくように<人を愛した>それが「神話」の世界で罰せられる人間が、神の暴挙に勝った証拠だ.ヨブ記における神は、間違いなく…悪魔だ僕は、ようやく畏れを逸して宣言できる. 神と自ら名乗るものは悪魔だ.神は人々からそのように呼ばれるが、自分からは決して神とは宣言しない神は常に呼びかけに「沈黙」するからだ。応える言葉を持つものは、まやかすもの…宣言するものは、操作するこのものに祈ってはならない。伺い立ててもいけないそれを教えてくれたのが、アーナンダ(井上嘉浩)だ...Eili ...
2018年10月10日
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...~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ほとんどあらゆるものが感受へとさしまねくすべての転向からそよいでくるささやきがある思い出せよと私達がよそよそしく素通りした一日がいつかふいに私達への贈物となる...『ほとんどあらゆるものが』 / ライナー・マリア・リルケ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.すべての事象が悲劇だったとどうして言えるのだろうか…あまりにも悲劇的であったが、仮初にも彼らに幸福はなかったのかそれを僕は考える.ここしばらくは、村井さんのことばかり考えていたむろん井上くんも絡んでくるのだが、村井さんを怪物のように見つめることはできない….ジョナサンも、その驚くべき飛行を目にした周囲のカモメたちに「悪魔だ」と怖れられる彼もまた、常軌を逸した信仰に、驚きを隠せるものではない…事実彼は、人を殺めていたのだから…しかし、彼が母親へ置き土産の言葉として、かもめのジョナサンの心境を口にした事を捉えるのであれば….彼はひたすら純粋に「超えいでようと」していた事は疑いない確かに多くの評論家に、その事自体を「高慢な」と非難されていた.しかし、敢えて己の願望を「避けている」言説者全てに問いたいあなた方も、同じではなかったかと自分にも、自分の限界を超えてみたいと思ったことはなかったかと.その道が、あそこでは示されたのだ彼がすべてを捨てた時、彼は驚くほどのものを得たのであり彼がそれを掴んだ時、平和な人たちにとっては暗雲が立ち込め彼がそれを示した時、この世は壊れ始めさらに示した時、彼は死を持って止められたのだ...Eili ...彼の潜在的無意識が、「月」のサビアンシンボルにあらわれていた。 -------- 月が乙女座28度に -------- ☆ 「個」としてのあり方を純化して、神聖な世界へ ☆『力をつかまえたはげ頭の男。』 伝統や形式は、つねに本質的な力に挑戦を受けている。分解作用のある人物が浮上し、とルディアは述べているが、あらゆる伝統の中で、変革的な強制的な力を実行する人物があらわれる。変化の必要性があるときに、非情なまでの決断力を実行しなくてはならない。力と意志とをもって状況に対処する。意味のないものを破壊する。強制的に突き進む。もし27度が神学構造での秩序正しいヒエラルキアを維持するものだとすれば、それらを破壊してもう一度本質的な力の活性化をはかろうとする、サマエル(サターン)が、この度数の象徴となる。だがこれは反逆者でなく、王(神)の裏の姿でもある。さけられない変化。 意志の強烈な人柄、ものごとを飾りでなく本質だけで見つめようとする姿勢。
2018年10月10日
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.村井さんのお母さんが彼の出家の経緯を語っている。https://dot.asahi.com/wa/2018072600075.html?page=2.かもめのジョナサン….~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「職場結婚して、妻ともうまくやっていた。それが突然、『会社を辞めて、オウムに出家する』というのです。理由を聞くと『この本に書いてある』と私に手渡したのが、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の日本語に訳した本でした。『読めば僕の気持ちをわかってもらえる』と言い残して、家から出て行った。かもめのジョナサンの本は大嫌いです」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.この本を読むと確かに、村井さんの知られざる心の内がわかる気がする。そして、そういう意味では、僕は五木寛之が言うような「違和感」のようなものは感じず、むしろ彼の徹底性について特徴を知ることができた。教団には確かにこのような至高を目指す若者が多かったが、その理想の着手と助走で終わっている多くの信者に比べ、彼はぶっち切りでジョナサンそのもののような求め方だった。.何度か村井さんの事は夢に出ている…ここ数日も再び彼の事を見るが、非常に不思議な感覚を覚えている。もしかしたら刺殺のきっかけは僕のTV出演だったかもしれない…と気に病んでいるのだが、それを彼が恨んでいるのかどうかという点で、ちょっと他の人の霊的なメッセージとは異なるんだ。アーナンダはビリビリする感覚だが、目のおけないやつで、はらはらするが、見守っていかなければいけない魂。村井さんは、正直伺いしれないんだ…僕には。恐怖?ちょっと違う。所謂強面の人に感じるようなものとはぜんぜん異なるし、人を手玉に取っていた麻原に感じるような警戒感とも違う。.彼は透明な瞳で人を殺めることが可能だったし、その後でさえも良心の呵責なく、爽やかな顔で過ごせる人になっていた。こんな人は大罪を犯したオウムの他の高弟たちでもいないんだ、一人も。このように表現すると、人間とはいえないようで、彼のことをまだ深く探り当てているとは言えないだろう。少し訂正したい…訂正したいのだが、僕を殺すような事はしなかったと思う。思うが救済の邪魔だと感ずれば、何もためらわなかったのかもしれない….しかし、あの占星術ワークで彼は、いろいろ配慮してくれていた。とにかく当時徹夜続きのワークで体が持たなかったが、4日目あたり、とうとう体に影響が出始め、僕だけでなく村井さんも意識朦朧とし始め、教祖に報告中に瞬間的に居眠りをしてしまうという珍しいことが起きた。僕はその時はじめて仮眠を許された。.この時、彼はしきりに、「いかん…いかん…」といいながら教祖に話しかけ、それでも意識が飛ぶのを避けられずにいた。それを教祖・麻原が聞いている最中に、今度は教祖も居眠りを始める…という珍しい状況だった。ふたりとも激務で疲れ果て、救済を間に合わせるために、ほとんど不眠不休だったのだ。.教祖は正直村井さんよりも更に眠そうで、常に意識が飛んでしまっている状況だった。信者としてはとにかくめったに見ることができない非常に珍しい光景を僕は共有していた。.限界への挑戦…それが彼・村井氏の姿であり、常識を超えいでること…を目指し、たとえそれが後戻りできないものでもためらいなく邁進できる人、それが村井さんであり、同じようなものを目指しながら、「ためらう」無意識が避けられなかったのが井上君だった。...Eili ...
2018年10月07日
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彼の不規則発言以降、弁護人とも意思疎通ができなくなり、家族との面会をも拒絶し始めた彼は、精神が壊れたとも言われている。表向きはその解釈が成り立つそぶりだったが、決して壊れきっているそれではない。もとより罪の意識にさいなまれる建ち性質ではなく、かといって憔悴し切るほど繊細な性格でもなく、ただ無駄なことを諦めたかに見える。そして背景には自分の犯した事件の意図が救済であったという認識が揺れ動くことはなかった。.彼は初公判か、2度目の公判で、検察側につぶやく。「お前らにはわからぬことだ…」確か、このような発言だった。.であれば、信者にはわかるような言葉はなかったか…なされなかった。強烈な説法は、同じ拘置所にいる弟子たちに語られていた。彼らしかわからぬ言葉があったのか…いや、犯罪を冒さずとも、彼を求めた信者には通じたのか….わからない…とつぶやく元信者や深遠な教えだ…と受け止める信者.この認識の層の隔たりは、しかし虚構かもしれない…相反するような反応は、実はひとつの「驚き」「畏怖」という点で一致し、この表裏を一体としての溜息だった。麻原の意図は、最初から「破壊」だったのだし、それがあまりにも「そのまま」だと言えないだろうか。.まさか、こうすることが目標だったのか?と驚きを隠せない時期があったが、幸か不幸か、この結末が目標ではなかった。しかし、安堵できない。.もっと恐ろしいことを、もっともっと大きな惨事を企んでいたのだから彼の振る舞いは、災いそのものであり、やっとのことで止めることができたのは、救いだったかもしれない。.いずれにせよ、麻原自身は、救済されることを、もはや望んでいない。彼が唱えていた発願を思い出す。.「マハーヤーナに入る最後の魂にならんことを…」.確かに、彼の意志どおり、最後の魂となりそうな、そんな彼の人生だった。...Eili ...
2018年10月06日
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.~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~神は、私達を愛するからこそ、私達が神を愛することができるようにと、私達から遠くへと退くのである。.『重力と恩寵』/シモーヌ・ヴェイユ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~.教団で最も身近にいた2人なのだが、不思議と僕はこの2人と共にする空間がなかった。そうあれだけ活発な活動をしていた2人だけに、各々の任務が際立っていたからだとも言えるが、3人で会話したことがないのだ….僕がアーナンダと話をする時には、村井さんはおらず、僕が村井さんと話をしている時には、アーナンダは遠慮している…あれはどういう事だったのだろうか….僕はアーナンダの元で出家したかった。しかし彼は、「君には役目がある…教団の占星術は君に任せられるだろう…」と言っていた。そして「それがどれだけ重要な任務であるか、わかっているかい?」ともそして、彼は彼でグルに与えられたミッションに忙殺されていった。.そして僕は、村井さんのもとに託されるわけだが、彼もまた、忙しなく動き回っていた。この2人を僕は教団で最も信の厚い人物だとみなしていたが、雰囲気はどことなく全く異なるものだった。.アーナンダは、マンジュシュリー・ミトラを避けていた…雄叫び祭の時もそうだった、避けていたのだと思うなぜ…?.まるで蛇を見るようにできるだけ接しないようにしていたように思える…第一僕が占星術のワークに就いていらい、アーナンダは僕の前に現れなくなっていた。警戒…何に?.ああ、でもその理由を今ではわかる。約1ヶ月前、僕はとうとう彼(アーナンダ)の秘蔵の手記を手にしたんだ。それはすごい内容だった…死刑執行以来、僕の精神は高ぶったままの状態がかれこれ3ヶ月も続いており、もうかなり疲れてきている。なんという精神状態だろう….アーナンダの精神はビリビリと刺激があり、ただでは済まない。でも、これは重要なことだ。人生で一番大切なものが、今降り注いでいる…という実感がある。.彼の中に溶け込んでいるオウムや教祖・麻原、そして村井さんがどういう存在だったのか、あんなにも異物なのにあんなにも交錯しあい、最後には二人ともに見捨てられてしまう彼なのだが、その村井さんに、僕はどうしても注目してしまう。.村井さんは、麻原の媒介者だったのだ…彼を恐れる理由は唯一つ、魔の麻原の言明を、村井さんから得ていたんだ。...Eili ...
2018年10月05日
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第2のオウム.最近、20代の若い方が、「日本社会がオウムを生んだ」のレビューをしていただいている。レビュワーの方ありがとうございます。.※ この本は1999年ころに出した本で、僕としては4年後の記録、前著よりも踏み込んだ内容を語っています。.今僕も、レビュワーの方が指摘されているような「受け皿」が依然として社会には欠落しているものと感じています。そして、それはユヴァル・ノア・ハラリ氏の『ホモ・デウス』で触れられているような目に見えない「現代の契約」を知らずに取り交わされている状況だと感じています。...Eili ...
2018年10月05日
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**************************************** * 西 洋 占 星 術 鑑 定 書 *****************************************=================================== 個人データ =================================== 氏 名 : マンジュシュリー・ミトラ 性 別 : 男性 生年月日 : 1958年 12月 5日 ユリウス日 : 2436542.50日 出生時刻 : 14時 48分 0秒 出生地名 : 京都府京都市北区 : 東経 135度 45分 26秒 : 北緯 35度 2分 16秒 解析データ 《 ネイチャー 》【採用しているデータ】 氏 名 : マンジュシュリー・ミトラ 性 別 : 男性 年 月 日 : 1958年 12月 5日 射手座 - 木星 ユリウス日 : 2436542.50日 時 刻 : 14時 48分 1秒 地 名 : 京都府京都市北区 : 東経 135度 45分 26秒 : 北緯 35度 2分 16秒 主 星 : 金星 * * * * *【惑星の配置】角度の算出方法 : 従来の占星術と同じ黄経のみによる算出 黄経 黄緯 星座 ハウス ---------------------------------------------- 太陽 252.591゚ 0.000゚ 射手座13゚ 8室 月 177.821゚ -2.025゚ 乙女座28゚ 5室 水星 263.514゚ -0.040゚ 射手座24゚ 8室 金星 258.430゚ -0.254゚ 射手座19゚ 8室 火星 48.123゚ 1.271゚ 牡牛座19゚ 1室 木星 228.665゚ 0.927゚ 蠍座 19゚ 7室 土星 266.331゚ 0.984゚ 射手座27゚ 8室 天王星 136.283゚ 0.685゚ 獅子座17゚ 4室 海王星 215.861゚ 1.717゚ 蠍座 6゚ 6室 冥王星 154.229゚ 11.888゚ 乙女座 5゚ 5室 ASC 39.166゚ 牡牛座10゚ MC 294.376゚ 山羊座25゚ ASCは出生時の東の地平線を表します。MCは天頂の点を表します。 * * * * *【ハウスの境】 1 ハウス 39.166゚ 2 ハウス 64.236゚ 3 ハウス 89.306゚ 4 ハウス 114.376゚ 5 ハウス 149.306゚ 6 ハウス 184.236゚ 7 ハウス 219.166゚ 8 ハウス 244.236゚ 9 ハウス 269.306゚ 10 ハウス 294.376゚ 11 ハウス 329.306゚ 12 ハウス 4.236゚ * * * * *【宮への配分】 火の宮 地の宮 気の宮 水の宮 5 3 0 2 活動宮 不動宮 柔軟宮 0 4 6 男性宮 女性宮 5 5 * * * * *【星座、ハウスの配分】 牡羊座 0 第 1ハウス 1 牡牛座 1 第 2ハウス 0 双子座 0 第 3ハウス 0 蟹座 0 第 4ハウス 1 獅子座 1 第 5ハウス 2 乙女座 2 第 6ハウス 1 天秤座 0 第 7ハウス 1 蠍座 2 第 8ハウス 4 射手座 4 第 9ハウス 0 山羊座 0 第10ハウス 0 水瓶座 0 第11ハウス 0 魚座 0 第12ハウス 0 * * * * *【惑星のアスペクト】 | 太陽 月 水星 金星 火星 木星 土星 天王星 海王星 冥王星-------+---------------------------------------------------------------------太陽 | -1.0 74.8 10.9 5.8 155.5 23.9 13.7 116.3 36.7 98.4 月 | ----- -1.0 85.7 80.6 129.7 50.8 88.5 41.5 38.0 23.6 水星 | ----- □ -1.0 5.1 144.6 34.8 2.8 127.2 47.7 109.3 金星 | ♂ ----- ----- -1.0 149.7 29.8 7.9 122.1 42.6 104.2 火星 | ----- ----- ----- ----- -1.0 179.5 141.8 88.2 167.7 106.1 木星 | ----- ----- ----- ----- ∞ -1.0 37.7 92.4 12.8 74.4 土星 | ----- □ ♂ ----- ----- ----- -1.0 130.0 50.5 112.1 天王星 | △ ----- ----- △ □ □ ----- -1.0 79.6 17.9 海王星 | ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -1.0 61.6 冥王星 | ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- * -1.0 吉座相 △(120゚) *(60゚) 凶座相 ∞(180゚) □(90゚) コンジャンクション♂(0゚) * * * * * * * * * *【アスペクトに採用されたオーブ】 太陽 ± 8.00゚ 月 ± 5.00゚ 水星 ± 3.50゚ 金星 ± 3.50゚ 火星 ± 3.50゚ 木星 ± 3.50゚ 土星 ± 3.50゚ 天王星 ± 3.50゚ 海王星 ± 3.50゚ 冥王星 ± 3.50゚ ハードアスペクト ± 1.00゚ 【 各鑑定結果について 】ネイチャーハウスで見る鑑定 マンジュシュリー・ミトラさんの1958年12月 5日(14時48分)におけるハウスと惑星の関係から鑑定しています。 一見矛盾する様な部分も出てくるかも知れませんが、肯定的にとらえるにせよ、否定的にとらえるにせよ、それらは全てあなたに内在している要素です。また、惑星の配置によっては鑑定結果が出てこない場合があります。例えば財運で文章がまったく出なかったとしても、それは象意として現れなかっただけで財運がないわけではありません。====================================== あなたの運勢====================================== -------------------------------- ☆☆☆ 個性・性格 ☆☆☆ --------------------------------[8室の太] この生まれの人の公正さと義務の履行に忠実な態度は人の信用を得易くし、金銭取引や、契約に関したことにも良好な結果を招く。太陽が金星とコンジャンクション(0度)しています。太陽と金星は最大離角が48度なので、成立するのは、合といくつかの効力の弱いアスペクトのみになります。太陽の自意識に金星が品性や優雅さを与えます。魅力的で異性に好感を与えるでしょう。しかし、3度以内のタイトな合の場合は、太陽の意志力が、金星の誘惑に負けやすく、人生の大きい目標よりも金星的な誘惑、目先の快楽や楽しみにおぼれることを意味します。そのためこのアスペクトを持つ場合は、金星の快楽によって身を減ぼさないように自制する必要があるでしょう。太陽が天王星とトライン(120度)しています。太陽の自己実現に、天王星の新しい意識や革新的な信念が新しい可能性を開きます。社会を改革するための新しいアイディアに満ちあふれ、信念を同じくする人々のニューリーダーとなって活躍するでしょう。月が水星とスクエア(90度)しています。周囲の人間関係によって月の感情がいらだちやすいでしょう。淋しがりで、大勢の人に囲まれることを好むが、つまらない中傷や対人関係のトラブルに巻き込まれやすい傾向移り気で、人間関係や仕事がめまぐるしいほどに変わるでしょう。男性であれば、妻のおしやべりに悩まされるでしよう。月が土星とスクエア(90度)しています。月の感情を土星の否定的な意識が傷つけます。疑い深く、ひがみっぽい性格のために、周囲に人を寄せつけません。感情的に立ち入られることを嫌います。感情的に弱い人々に対し、批判的。子供の頃のトラウマや、失敗が尾を引き、人間不信、家庭不信となりやすい暗示。 ○ 射手座の太陽 ○ 素直で解放的な性格です。正義への希求と高遠な心理を把握しようとする願望を持ち、知識と経験を人一倍求めます。精神性が高く哲学的思索を好み、個人を越えた人類の福祉や社会全体の進歩など、大きなテーマに関心を寄せます。ともすると不用心な楽観主義に陥りやすい傾向もありますが、大胆で冒険心に富み、自由を愛し、どのような環境におかれても精神と行動の独立性を保持し続けようとします。 ○ 乙女座の月 ○ 考え深く冷静な性格です。神経質で小心ですが、批判力は優れています。現実感覚に富み、実利的な取引をします。細部を見落とさない注意深さがある反面、些細なことを大げさに騒ぐ傾向があります。論争好きで一言多いため、仲の良い友達を失いやすいでしょう。いささかオールドミス的で本質的に冷たい性格ですが異性に親切なため、かなりの人気を集めます。 -------------------------------- ☆☆☆ 知力 ☆☆☆ --------------------------------水星が土星とコンジャンクション(0度)しています。水星の知性に土星が伝統的な知識や、忍耐力を与え、時には制限します。集中力にすぐれ、理論的で慎重です。そして、確実さを重んじます。専門的な知識や仕事を徹底的に深く追求します。職人タイプ。大器晩成型です。努力と忍耐によって才能を伸ばしていきます。伝統的な知識を貴重なものとして重んじ、こだわりが強いでしょう。 ○ 射手座の水星 ○ 射手座に輝く水星は、強い向学心を持ちます。興味あることに対しては熱中し徹底的にのめり込みますが、興味のないことは無関心で振り向かないので、しばしば一般常識に欠ける専門家や研究家を作り出します。よけいなことにこだわらず、単純で寛大なタイプ。誰とでも気軽に接し、細かなルールにはこだわりません。子供時代に自由な研究心や興味を伸ばすような思考形態を学んだことを示し、それらの能力を社会的に活かすことで、評価されるでしょう。 -------------------------------- ☆☆☆ 愛情と結婚 ☆☆☆ --------------------------------[5室の冥] 恋愛には深刻な性的情緒がともない、愛情や官能を求める気持ちが非常に強力である。[5室の冥が△:5室の冥△] 強い自制心と抑制力が働く。[月が土と□] 結婚の成立困難。[太が火と座相を持たない:火が天と□] 結婚運に恵まれない。金星が天王星とトライン(120度)しています。金星の愛情欲求が、天王星によって自由さを与えられます。博愛主義者自由恋愛をモットーとし、古い恋愛観にとらわれることを嫌います。中性的な魅力の持ち主です。恋愛によって芸術的な才能を刺激されたり、新しい考え方に目覚めるでしょう。運命的な変化の暗示も。異性への愛情や、恋愛モラルに関して疑問を抱いたり、悩みます。背徳的な恋愛にとらわれることも。恋愛に関する運命的な試練を数多く体験することになるでしよう。 ○ 射手座の金星 ○ 射手座に輝く金星は、衝動的な情熱のままに狩人のように恋のターゲットを追いかけます。しかし相手の心を手に入れるととたんに情熱は冷めます。愛に責任がともなうことも知らず、縛られることも嫌うタイプ。恋愛をスリルと刺激に満ちたゲームのように楽しみます。この金星が象徴する理想の女性とは、健康美を感じさせる女性、あるいはどこか未知の魅力を感じさせる女性でしょう。男性の場合は、外国人や異民族の女性にひかれがちです。 -------------------------------- ☆☆☆ 運命の傾向 ☆☆☆ --------------------------------[5室の冥] 投機や投資に非凡な観察力や洞察力があり、非常な成功を得る代わりに国際的な事情によって一挙にして幸運を失うような羽目になりやすい。[5室の冥] 非凡な子供を持つ傾向があり、子供によって目的を遂げるか、破滅を招くかいずれにしても平凡な運命ではない。[7室の木が火と□:7室の木が天と□] 信仰や宗教観の相違や、財政的な問題が原因で、紛争や離婚を招く可能性がある。[8室の土] 遺産相続や、利権の所得に苦労と困難をともなうことを示している。[8室の土が□] 他人名義の財産に責任を持たされたり、そのことから損失を被るような結果になりやすい。 -------------------------------- ☆☆☆ 才能 ☆☆☆ --------------------------------[5室の冥] あらゆる分野の思想や技術を吸収し、模倣し再現する能力をもつ。芸術的創造力や、演劇的表現力、物理学や原子力科学の分野に特異な才能をともなってあらわれる。 -------------------------------- ☆☆☆ 情熱 ☆☆☆ --------------------------------火星が木星とオポジション(180度)しています。競争心が強く、人に負けたくないとがんばり、社会的に認められる存在になるでしょう。傲慢ですが、強い自立心を持ち功成り名遂げることを夢見ます。火星が天王星とスクエア(90度)しています。火星のエネルギーが、天王星によって破壊的な反抗心を与えられます。刺激に対し、興奮しやすく過激で破壊的行動を起こします。わざと刺激的、破壊的なものを求め、事故や事件に巻き込まれやすい暗示。 ○ 牡牛座の火星 ○ 牡牛座に輝く火星は、所有に対する欲求が強くなります。獲得欲が強く、他人の持ち物や能力をうらやむ気持ちが強く、人のものほど欲しがります。独占欲がつよく、自分のものは守ろうとするでしよう。所有に関する欲求からトラプルを招きがちです。攻撃心は内にこもりやすく怒りをためて一気に爆発します。強い所有欲は嫉妬心を生み、特に嫉妬が性的な衝動をもたらす傾向があります。この火星の象徴する理想の男性像とは、頼もしさや力強さに満ちた男性てす。 -------------------------------- ☆☆☆ 運勢 ☆☆☆ --------------------------------[7室の木] 全ての共同事業や商業取引に、幸運と成功を招くことを示す。木星が天王星とスクエア(90度)しています。社会的な常識に従うことに疑問を持ちます。強い自立心を持ち、社会的組織に組みこまれることを嫌います。社会的組織への潜在的不信感を持ちます。世の中を騒がせるような革命的な出来事にかかわりやすい暗示。独善的になりやすく、そのため集団から阻害されやすい面も。 ○ 蠍座の木星 ○ 蠍座に輝く木星は、カリスマ性を示します。この木星の人は強い精神力を持ち、不思議な力や運命を信じる気持ちが強いでしょう。奇跡的に命を守られたとしかいいようのないこと、いわゆる九死に一生を得るようなことが一生のうちに何回かあります。また、財産に関しては楽観的で、誇大妄想症のような野望を抱くことが多いが、太陽やほかの重要な星が木星に強く影響されていれば、富に恵まれるチャンスを得たり、大きな金銭を動かすことになりやすいでしょう。 -------------------------------- ☆☆☆ 人生の課題 ☆☆☆ --------------------------------[6室の海] 人事に注意が行き届かないことから目下の裏切りや欺きに遭いやすい。[8室の水が□] 文書交換や重要書類の調印に注意を払う必要がある。 -------------------------------- ☆☆☆ 財運 ☆☆☆ --------------------------------[8室の金] 仕事の協力者や後援者から、金銭的援助を受ける場合が多い。 -------------------------------- ☆☆☆ 仕事 ☆☆☆ --------------------------------[1室の火] 活動的で、行動は迅速。激務や激職にもひるまない。[5室の月] 一般大衆や婦人、子供に関係のある企業によって成功する。[6室の海] 奉仕的精神に富む。サービスを主体とした職業や流動物や抽象的な事項を扱う仕事に適する。世間から隠れて働く仕事に関心を持つ。[8室の金] 心霊学や神秘学の研究などに概して成功を修めやすい。 -------------------------------- ☆☆☆ 健康 ☆☆☆ --------------------------------[6室の海] ガス中毒、食中毒、薬物中毒などの中毒性の病気、また消耗性の病気、衰弱する病気、麻痺性の病気にかかりやすい傾向がある。[8室の金] 心霊術に耽ることは神経系統に悪い影響を与えるから辞めなければならない。 -------------------------------- ☆☆☆ 趣味 ☆☆☆ --------------------------------[8室の太] 性的な事項や運命学、死後の問題に強い興味と関心を持つ。[8室の金] 降霊術や伝心術に強い興味を持ち、遊び気分でそうした実験を楽しむ傾向がある。 -------------------------------- ☆☆☆ 宗教・哲学 ☆☆☆ --------------------------------[8室の水] 未知の事項に知識の光を注ぎ、不可視の世界を洞察する能力と直感力を与える。心理学や精神分析学、神秘学、宗教の奥義、伝説、文献学や古い書物の研究に知的関心と科学的、哲学的追求を好む。 -------------------------------- ☆☆☆ 旅行 ☆☆☆ --------------------------------[(地宮)の月] 旅行中危険な出来事に遭いやすい。 -------------------------------- ☆☆☆ 肉体の衣を捨てる時 ☆☆☆ --------------------------------[8室の太] 死は中年の活動期に訪れることが多い。人々から惜しまれるような死である。(十分に注意深い人手あれば乗り切れる)[8水] 死は不注意による病気の場合が多いが、希に自殺の場合があるという。[8室の土] 手間取る死を示すので、病床につく期間は長くなるだろう。====================================== ジャンル別占い====================================== -------------------------------- ☆☆☆ 仕事運 ☆☆☆ --------------------------------○太陽と金星の合 自分の実力というより、世間的ひいきや有力者の愛顧によって成功するタイプです。激しい競争社会に生きるよりは美と快楽の追究に本質があり、芸術の世界や演劇界との接触に有望です。業種としては、芸能芸術関係、娯楽産業、流行品産業、その他、女性にアピールする一切の商品を扱う仕事があげられます。洗練された美的センスを必要とする職業であれば、どんな業種にも適します。○太陽と天王星の吉座相 進歩性と先見の明があり、未知の分野を恐れず果敢な挑戦を試みるタイプです。概して新時代の注目を華やかに集める、先端産業の分野に向いています。グループ企画に良く、団体職や公共職に適した手腕もあります。業種としては、航空宇宙関係、ハイテク技術、エレクトロニクス、コンピュータ関連などがあげられます。====================================== サビアン占星術======================================『はじめをあいまいにすると、あとで大きな不安が生じる』調波61 :魅惑の緑の中央の城ツォルキン 241日 : 赤い共振の竜★あなたは、人に先だってことを起こす人。前例のないところでは失敗も多い。失敗した理由をよく見定めて、次の一歩を確実にする。過程が困難なほど、成功は近づいている。 -------- 太陽が射手座13度に -------- ☆ 人の基準を古代の知恵に求め、偉大な進化を夢見る ☆『未亡人の過去が明るみに出される。』 ある周期とか、ある生活のサイクルが終了して、次の新しい生活がはじまったときに、かつて古いときに未解決だった問題があらためて復活してくる。それは以前は、まったく意識できず、漠然としたものだったかもしれないが、新しいサイクルに入ったときにはじめてそれが問題であることに気がつく。新しい出発に際して片づけねばならない、というよりも、新しいサイクルに入ってから、新しい見方のなかで、はじめて難問にかわる問題を片づけねばならない度数だ。だが、この未解決の素材に真剣に取り組むことで、初めて、新しい生き方が実質的にはじまる。 11度が古代の神殿の知恵、12度がそれを啓蒙活動に使うという流れで見ると、13度は、古代の知識を現代にもち込んだときに発生する諸問題を現実の生き方にあわせて、いろいろと調整しようとする意志をあらわしている。 -------- 月が乙女座28度に -------- ☆ 「個」としてのあり方を純化して、神聖な世界へ ☆『力をつかまえたはげ頭の男。』 伝統や形式は、つねに本質的な力に挑戦を受けている。分解作用のある人物が浮上し、とルディアは述べているが、あらゆる伝統の中で、変革的な強制的な力を実行する人物があらわれる。変化の必要性があるときに、非情なまでの決断力を実行しなくてはならない。力と意志とをもって状況に対処する。意味のないものを破壊する。強制的に突き進む。もし27度が神学構造での秩序正しいヒエラルキアを維持するものだとすれば、それらを破壊してもう一度本質的な力の活性化をはかろうとする、サマエル(サターン)が、この度数の象徴となる。だがこれは反逆者でなく、王(神)の裏の姿でもある。さけられない変化。 意志の強烈な人柄、ものごとを飾りでなく本質だけで見つめようとする姿勢。 -------- 水星が射手座24度に -------- ☆ 未来的な新しい世界への移動 ☆『コテージの門にとまっている青い鳥。』 青い鳥は幸福を意味。この度数をもつ人は、幸福である、といわれている。自分の属する社会とか集団、コミュニティに順応し、幸福で静かな、満ちたりた生活をすることのできる能力。これは23度で、それがいかなるものであれ、そこにすむ以上は、そこの環境の規律に従うという順応性を態度で示した後、与えられた新しい環境に平和的にとけ込むことができた、ということだ。一説では不動産に関する幸福といわれている。シンボルにコテージが描かれているので、家に関係した関心を示す人が多く、たとえば自分の家を持ちたいと夢見ている人も。幸福な家庭生活や、幸福な愛情関係。陽気で素直な性格が、人から好まれる。 -------- 金星が射手座19度に -------- ☆ 未来に生き延びる知恵 ☆『人々に脅かされたペリカンが、自分の子供たちを育てるためにより安全な場所を探す。』 これは危険な意味を暗示している。18度で、危険に無自覚な子供たちの危険を保護できたが、今や生き残るためには、違う場所を探さなくてはならない、という緊急状態を暗示している。ペリカンは、珍しいくらいに子供を大切にする鳥であり、この度数をもつ人は、絶滅に瀕している環境のなかで、生き残るための新しい解決策を考えなくてはならない。という立場に遭遇しやすいだろう。それが小さなことであるのか、大きなことであらわれるのかは惑星の種類などで類別すべきだ。18度が危険に対する正しい判断力を意味しているのに対し、19度はサバイバルに関しての対策を考える度数だ。動物保護などもこの度数に関連すると思うが、人間の可能性が小さな芽の段階でつぶされそうだというときに、その可能性を育てるためひとりで、いろいろと対策を考えるという性質が見て取れる。自分の子供が難病に冒され、それを解決するために苦労するなどの例。 -------- 火星が牡牛座19度に -------- ☆ 新しい個性を確立するための哲学的な戦い ☆『大洋から新しい大陸が浮上する。』 18度で、心が空にされ、言葉の定義とか、精神の葛藤やこだわりが消えたら、後は精神の汚染から自由になって、新しい生命の可能性が浮かび上がる。大洋というのは、巨大な集合無意識の象徴であって、ここから新しい生き方と、それにまつわる新しいビジョンや生命力が壮大な迫力で浮かび上がってくる。本来自分が生きて踏みしめるべき大地は、非常に単純なものだったと確信してくる。これは全く新しい境地。この度数を持った人は、人生の中で、者の見方を単純にしてゆくことで、新しい生き方の機会を持つことができる人。マインドは全く純粋なので、偏見や常識を超えて、物事から真実を引き出すことができる。 -------- 木星が蠍座19度に -------- ☆ 受容性を発達させる ☆『オウムが横で聞いていた会話をオウム返しに繰り返す。』 チャネルシップというのがこの度数のキーワード、簡単にいうとチャネリングの能力だ。オウムは人の言葉を理解しないが、わからないながらも、完全な模写をすることができる。この度数をもつ人物は、まるで透明なガラスのように純粋な精神をもっているが、オウムのように、十分に考え抜かないで、受け取った情報や印象をそのまま、人に伝達しようとする傾向がある。中途半端な場合には、これはものごとを深く考えないタイプの人になるだろう。媒体になりやすい傾向から、人の影響を受けすぎるとか、気がつかないでなにかを模倣しているとかの癖もあらわれる場合がある。うまく能力を磨けば、日常生活ではうかがいしれない超越的な意識や知性体の媒体として活躍することが可能だ。 -------- 土星が射手座27度に -------- ☆ 社会生活のなかでの代表的な活動 ☆『仕事中の彫刻家。』 仕事への自己投影の度数。自己を殺して奉仕する26度とは反対に、自分のイメージを社会とか外界の種々な分野に投影するタイプの人だ。自己が思い描くものを形にして人に見せる。社会に対して自分の印を刻印する。ナマの素材を変容する人間の能力。彫刻家は作品ができるまでは、自分の願望をはっきりと意識できないかもしれない。それらを映し出してくれる鏡としての素材に手をかけることで、初めて自分が望んでいたイメージに気がつく。彼はとても創造的で、環境にあるものはみな、彼の表現意欲を受胎してくれる素材だ。現実に彫刻的な仕事をする人と、もうひとつはプロデューサー的な立場などが考えられる。形成外科の医者も、この度数をもっていた。 -------- 天王星が獅子座17度に -------- ☆ 遊びがこうじて、真面目な探求心へと変わる ☆『賛美歌を歌う教会のボランティアの聖歌隊。』 ボランティアに利潤追求の意志はない、純粋な心で、人との共同の楽しみを暗示している。一緒に働くこと、そのものが楽しい。宗教のはたらきは、このただ一緒に働く共同体に、特別な神聖な感情と意味を与えることで、共有された共通の感情の鋳型に、神聖な生命力が流れることを意味する。深い安心感と、リラックスが訪れる。 獅子座16度の危機を切り抜けた瞬間の爆発するような新鮮な感情に比較して、安定した社会的な活動の穏やかな喜びを暗示している。この人が人と共同するのは、裏のない純粋な気持ち、奉仕的な仕事に向いているといえる。善意と無垢な感情。 -------- 海王星が蠍座06度に -------- ☆ 冒険がつくり出すダイナミックな感動 ☆『ゴールドラッシュが、郷土から人々を引き離す。』 新しいわくわくする体験を求めて、いままでなれ親しんだ環境や風土、考えから離れていく。つねにより大きな感動を求めて、過去を犠牲にするという度数。新しい野心のために、いままでのすべてを犠牲にしても構わない決意をあらわすので、思いきった行動に出る人だ。ただし、ゴールドラッシュというシンボルからわかるように、孤独な独自の夢を追いかけているわけではない。比較的流行しているものに飛び込むという傾向が強いからだ。対向にある度数は牡牛座の6度、渓谷にかかる橋。他者との共同をあらわすので、複数の人々が共同して、新しい野心に生活や夢をかける、という意味が背後にはたらいていると思われる。新しい企業アイディアに思いきって飛び込むという人にこの度数を見かけた。 -------- 冥王星が乙女座05度に -------- ☆ 自己を外側から見つめる ☆『自然霊や通常は見えない霊の代理者の存在に気づくようになる人間。』 日常の生活の中で、あらゆる物の形、名前、事物がどうやって形成されているかなどに関心がある。乙女座1度は、結論として、これらが生み出される過程を理解し、見えない物が次第に形になるプロセスを漠然と理解する。 物理的な特徴を越えた自然界の原理について、シンボリックな形でそれを認知しようとする。この度数の人は、分析的な心によって、物事に名前と形を付与しようとする傾向が見られる。ものの名前はひとつの精霊のようなものだと直観する。名前や形が独立して生命をもつようなイメージに執着する。童話的、ファンタジー的な創作のセンスとしてあらわれる人もいる。
2018年10月04日
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