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私が旅に出るときは、いつもこの時期。1月の半ば。なぜかは、、、正月明けで客が少なく、旅費も安い、、ただそれだけです。旅先によっては、気候が悪い時期でも有るのですが、まあ、対外は1日中雨、とか、雪とかには会わないので、旅先で、気候に苦労したことが有りません。で、調子に乗って、この時期を選んで行くようです。実はこれは建築関係のパックツアー。パックツアーが苦手になった原因の旅でもありました。大阪を出発し、北回りでアンカレッジへ。そこでしばし給油休憩。機内から見る外は、1面雪雪雪、、、「さっぶそ~~~」と思いながら、機内から通路へそして、空港内へ出かけた。さっぶ~いのは通路だけで、やはり空港内は問題なし。生まれが大阪なもので、あまり雪に縁が無いこともあり結構、うれしくて浮ついていました。1時間の待ち時間も忘れ、うろうろ。ぎりぎりになってから、ふと我に返って大急ぎで機内に戻る。「早く戻ってね」添乗員さんに早速しかられる。仕事で時間厳守はちゃんと守れるのだけど、こういう場合の時間厳守は苦手なエナエナです。しかし、乗り遅れないでよかった!と、安堵。無事一路ギリシャはアテネに向かいました。
Jan 31, 2002
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”でこでこクールで6時間~~~”て、言うコマーシャルがありますよね。ご存知ですか?今、うちの子あれに凝ってて、熱もないのに貼ってくれ~と頼みに来ます。「熱が無いのに貼ったらあかんねんで~~」と、言うと「なんか熱くなってきた~お熱あるんちゃうかなあ~」だって。あまりに言うので、はさみでちょっとだけ切って、おでこにピッタン!すごくうれしそうです。鼻歌なんか歌ったりして、、、「でこでこくーるで10じかん~~♪」時間が増えとる、、、、。で、貼ったままゆっくりお昼ねしてしまいました。実は、普段風邪などで熱がでても嫌がって貼らないんです。それが、なぜか調子がいいときに限って貼りたがる。もったいないなあ~何とかならんかア~ところで、すごい私的なお話なんですが、(日記というものはそういうもんだなあ)インドネシアに住む友人が先日2児目出産いたしました。昨日、幼稚園のクラス発表の時に携帯にインドネシアからメールが入り、し~~んと静まる中、わが子と2人でこっそりメールを読みました。とっても不謹慎だ、、、とは思ったのですが、、、、無事生まれて、安心しました。良かったね、おめでとう!(もしかしたらこの日記、読んでるかもしれないなあ~)*************************************明日から旅日記復活します。場所はギリシャ、イタリア、フランスなんですが、はっきり言ってもう、おぼろげになっている記憶を掘り出して断片的な日記になるかと思います。
Jan 30, 2002
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今日、幼稚園のクラス発表でした。うちの子が通う予定の幼稚園。結構マンモスで、1クラス30人、同じ学年で6クラスあります。と言うことは、1学年180人と言うことになるのですが、 180人中だいたい半分は男の子残り半分は女の子です。(当たり前じゃ)その90人の女の子中名前が一文字の子。たとえば純ちゃんとか愛ちゃんとか言うお名前のお子さんが、13人。名前がひらがな、たとえばさくらちゃんとかゆりちゃんとかのお子さんが4人。どう考えても読めない当て字風のお名前のお子さんが14人。そしてびっくりしたのが、「子」が付く、たとえば花子ちゃんとか、明子ちゃんとかのお子さんがたった2人。なんともびっくり!「子」は女の子の名前の象徴と言う感覚の中で育った私にとっては、この人数の少なさに驚きました。全体の名前の雰囲気は、以前よく見かけた洋風のお名前を漢字で当てた風のものたとえばアリスちゃんとかミルクちゃん(どんな字だったか忘れました)は少なく、どちらかと言うと古風な感じが多かったです。たとえば「琴」や「乃」「織」「音」などが付くお名前。読み仮名が日本的なものも多かったです。 ちなみに男の子なんですが、読めない当て字のお名前は女の子より多くて、読みはやはり和風が多いようです。雄太くんとか健太郎くんとか、、、 ところでわが子なんですが、例に漏れずこの過半数の「子」がないお名前、おまけに和風と来てる。今思えば「花子」とかにしとけば、結構目立ったかもしれない。おまけなんですが、私も「子」が付きません。
Jan 29, 2002
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何処まで乗りやすいか、、この性格。フリマ出品爆走中!が、プレゼントがいただけるのは、初めて出品された方だけのようで。とことん調子がよすぎる私。お時間が有りましたら、みてくださ~~いお気に入りが見つかったら、よろしくお願いいたします!日記は後で書きます。出品作業に奮闘してます!←もう見るのが大変になった 「インド・ネパール友連れ旅日記1~99」もこっちに大移動しました。今のところ、私のベストな旅先です!何書こう。そうそう、、、うちの子は今年4歳になるんですが、女の子だけにお口が達者で、時々とんでもないことを言うんです。思えば1歳半の頃のこと、玄関で自分で靴が履きたくて四苦八苦しているのを、私、無責任にもじ~~~とわが子のその賢明な姿を見守っていました。なかなか履けなくて、ため息をひとつ「ふ~~~っ」ともらしたと思ったら、娘「えらいこっちゃなあ~~」と、一言。私は耳を疑った、、、、。そんな言葉は教えたつもりも記憶も無かったんです。でも、そのことをママ友に話したら、「あんたは日ごろからそういう事言うてそうやで。やっぱりあんたの子やなあ。」だって。そうなんやろか?今日もおもちゃにうずもれていたので、いったい何を一生懸命してるのかと尋ねたら、娘「いやあ、どうもこうもないで。」と、なんだか苦心している様子。丸まる関西弁なのは仕方が無いと思うのだけど、何処までわかっててその言葉を使っているのかが、問題である。女の子は耳から入った言葉を、勝手にに解釈し、すぐに使いたがる。そういうことって、もう生まれつき遺伝子に組み込まれているものなんでしょうか。こっちはぽかんと口を開けたまま、言葉が出なかった。
Jan 28, 2002
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アクセス9599踏んでしまった。あっぶね~~~!日記はまた後で!***************************************次の旅のお話まで、少しお時間いただいて昨日試みた、手抜き手作りお菓子のことを少しお話します。実は、バウムクーヘンを作ってみました。今月発売されている、バレンタイン用、のクッキング雑誌に載っていたのですが、ホットケーキの粉で作るんです。卵とバターと牛乳とホットケーキの粉とフライパンさえあれば、簡単にできる!と言うわけで、挑戦いたしました。材料を混ぜるのは結構楽なんですが、焼くのが大変だった。バターをフライパンに敷き、材料を薄く載せ、こんがり焼いてひっくり返し、また、その上に材料を載せ、こんがり、ひっくり返し、、、、、、、の繰り返し。がんばりました。で、結果は上々。かなりバウムクーヘンに近いものができました。うひょひょひょ、、、、まんぞくじゃ。本日の英会話のお勉強。我が弟が言ってたのですが、英語のテープは1週間のうち1日休んで、また、1週間聞くというのが、理想なんだそうです。で、今日は日曜日なんで、我が家の英会話教室もお休み。明日からまた、1週間楽しくやろうと思ってます!!
Jan 27, 2002
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フリマオークションシステム料1が無料!に釣られてまたもや出品!覗いてください!よろしくお願いいたします。英会話、テープを聴きながら娘とたのしんでやってます。あせらず、のんびりやって行きます!がんばりマース!*******************************************旅日記後日談②ナンですが。実は、ジャイサメールの砂漠で呑んだお茶が悪かったのか、、、それともガンジス川の沐浴が原因か、、、、帰国数日後、目もお肌も真黄色~~~になった。黄疸が発生!おまけにウンチは真っ白!あわわわわわ、、、、これはもしかして肝炎か!???やっぱり、予防接種しといたほうがよかったのかしら?気分も最悪、食事も取れなくなりました。すぐさま知り合いの病院へ、、、、。エコーによる診察結果は、胆のうが少し腫れているとのこと。症状は肝炎ぽいと判断される。詳しく調べるため、総合病院に入院。そこでもはじめは肝炎と判断された。で、2~3日点滴のお世話になる。だが、一向によくなる気配は無い。どうなるエナエナ、、ここで命を落としては、2度とインドに行けない。おかしいと思った主治医。何度も血液を採り、調べられ、私は吸血鬼に変身直前。超低血圧症の私、採血も時間がかかる。もう搾り出し状態。腫れている胆のうを調べたいと言う。口から胆のうまで管を通して、胆液を取るというのだ。胃カメラだって呑んだことは無いエナエナ。この検査に耐えられるだろうか、、、、。いやあ、耐えなくては!私は生きてインドに地をもう一度踏むんだ!いや、こんどはアフリカにでもするかなあ~~!直径1CMぐらいの金具のついた管を口から入れ、げほげほ言いながら飲み込む。うまく胃から胆のうにいかなくて、管が胃の中をぐるぐる廻る。何度もやり直し。結局、1日目は失敗。再び挑戦したときには、胆液見事に採取。夕刻には検査結果が告げられた。「貴女の胆のうの中には虫がいます。」「????@@???・・・・むし??」説明はというと、インドなど南アジアによく寄生している、水に住む虫だそうです。なんかの拍子に体内に入り、繁殖。そして胆のうをいたぶっていたのでした。あの毎日痛いと思いながら受けた点滴はいったいなんだったのさあ~(^^;それからは錠剤の殺虫剤?を毎食後飲み続け、体調は元に戻り、すんなり元気になった。ウンチは正常になり、黄疸も消えた。おお!私は完治に向かっている!もうすぐ退院と言うときに、「一応完治したかどうか調べよう」ちゅうことで、また管を飲む。うげ~~~検査結果は良!無事、退院!主治医から退院祝いのプレゼントをもらった。何かと言うと、、、、私の胆のうを荒らしまくった、虫さんたちの写真。目もあり、手足もある。ちょっとグロ、、、。それも、ご丁寧に額に入れてくれてるでは有りませんか。小じゃれた主治医ではないか!後で話を聞いたのですが、この虫に犯された人は、日本全国でもあまり例が無く、関西では私が初だったそうです。結局、その虫さん研究材料となった。と言うことは、医療費負けてもらえるのかなあ~なんて、甘い考えでいたのですが、さすがに、それはだめのようでした。しらみに、ダニに、南京虫、、、おまけに変なやつに胆のうまで、、、どうやら虫には最後まで、お世話になったようです。********************************************と、言うわけで、この99でインド・ネパール友連れ旅日記はおしまい!です。長々とお付き合い戴きありがとうございました。また、思い出したら番外編などでも、UPしようかなあ~なんて思ってます。で、次なんですが、、、思考錯誤してます。
Jan 26, 2002
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本気で英会話の勉強しようと私決意しました!いや、ほんと!三日坊主にならないよう、ここで決意表明!三週間坊主にならないよう、ここで報告!三ヶ月坊主にならないよう、ご披露!??三年坊主にならないよう、また、どこかに出かけようかなあ~~**********************************************************旅日記はちょっと後日談を、、、、私と相棒は、この日無事我が家に到着。散々心配した母が、私の好物である散し寿司を作って待っていてくれました。相棒も私んちのチラシが大好きで、もう涙涙物でした。向こうから出した絵葉書は、3分の2だけ届いており、さすが郵便事情に問題ありと言うことが確認されました。とほほほ、、それに、私が戻ってきてから届くものもありました。相棒は一晩我が家に宿泊し、次の日故郷に戻っていきました。学生時代から6年間、散々、2人でやんちゃしてきて、いつも一緒にいて、たのしくて、、、、でも、残念ながら、これからはしょっちゅう会うと言うことができなくなります。彼女を空港まで送っていきました。泣くつもりは無かったんですが、ネパールでの別れよりつらくて、勝手にぼろぼろ出てきました。別れはつらいけど、これからはお互いそれぞれに歩む第一歩としての出発でもありました。2年後ぐらいかなあ、、彼女はこのときの旅で知り合った日本人旅行者と結婚。1児の母となるのでした。で、私、、、、???
Jan 25, 2002
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やっと日記が書けるようになりました。お待たせしました!************************************************* さすがタイ航空。定時に大阪国際空港(現在の伊丹空港)に到着。大荷物を受け取り、入国手続きに向かう。搭乗客も多かったので、並んだ。私と相棒の身なりもまあまあなんで、変に呼び止められることは無いだろうと思っていた。まずはパスポートのチェック。係員「長いこと、あちこち行ってたんだね~」私たち「はい」係員「面白かった?」私たち「はい、とっても」係員「荷物、開けてくれる?」私たち「はああ、、」私たち以外に荷物を開けて調べている人はほとんどいなかった。ラッキーと思っていたので、ちょっと残念に思った。係員、入念に調べはじめる。で、係員発見!水パイプのレプリカ係員「これなんだか知ってる?」私たち「ハイ。お土産やさんで買ったんです。レプリカです。」係員「使えるものもあるんだよ。日本じゃ使っちゃいけないものを使うものなんだよ。」私たち「だから、レプリカです。」係員「悪いけど、詳しく荷物調べさせてもらいたいので 2人とも別室に来てくれる。」ええええええ!係員目つきがさながら密輸組織を見つけたかのように、らんらんとしている。やだ~~この人疑ってる、、、。私たちは大荷物とともに別室へ。荷物はすべて開けられ、私たちの身包みもはがれる。チェックはもちろん女性。ボディーチェックをしている間に、荷物はめちゃくちゃ。壊れないようにと、必死で工夫してつめたものが、無残な姿になっていた。散々あら捜しをされた後、何も見つからなかった(あたりまえじゃ!)で、誤りのひとつでも言うかと思ったら、「はい、ご苦労さん」だって!おまけに「私たちは悪気が有ってやったんじゃない」ようなことを言って、弁解し、誤るなんて気持ちもなさそうだ。こいつら!私たちは裸にされたんだぞ~~!一言誤れよ~~!荷物はむちゃくちゃに詰め込まれ、個室から追い出されるように退出を命じられる。大切なお土産が心配だった。2時から外で待っているはずの弟が心配だった。外にでたのは4時ごろ。弟が何があったのか心配そうに待っていた。理由を話すと笑って許してくれた。とにかく、荷物を車に積み、家路へ。車の中でずっと思っていた。 うう、、訴えてやる!くそ~~~お土産の3分の1は破壊されていた。もちろん水パイプのレプリカも。 ううう、、訴えてやる~~くそ~~
Jan 24, 2002
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ごめんなさい。旅日記の更新遅れそうです。もうちょっと、待ってください。ほんと、ごめんなさい。
Jan 23, 2002
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日本の自宅に電話をする。「明日、2時に空港に着くから、とっさん(弟)にお迎えお願い!」本当に日本に帰る準備を始めた。日本は10月上旬。肌寒いかもしれない。私たちの身なりは、Tシャツによれよれの綿パンツ。タイではこれで十分だけど、日本はこれではちょっと、、、それに、相当心配させてるのに、これで帰ったら、とんでもないことになりそうだ。2人の所持金を合わせ、そこから空港税と荷物代相当の金額を引く。残り日本円で約6000円ぐらい。何とかなるなあ!と、気持ちが大きくなる。ホテル代を払っても、5000円は残る!よし!服を買いにいこう!!!お馬鹿なこの2人、そさくさショッピングセンターへ行く。で、小奇麗に変身。と、いってもGパンにGジャンなんだけど、、、。靴もサンダルを買って、よしよし!!満足!気持ちが大きくなりすぎ~~~翌朝空港へ向かい、チェックイン!大荷物を預け、これで日本まで軽々と行動できる!と、思ったのもつかの間、多額の重量追加料を請求される。えええええええ!!持ってる?無いよ。真っ青~~~。ネパール出国時にわりと安かったもんだから、甘く見てしまった。ド~するこのピンチ。すると、後ろに日本人観光客の女の子3人組発見。よし!あの手でいくか!デリーのアメリカ人のお姉さんの行動を思い出した。声をかけ、話をして、こっちの住所、電話も伝えて、6000円借りることになる。(もちろん帰国後ちゃんと返したよ~~~)彼女は神戸の人で、近いしと快く貸してくれた。もう、神様のようだった。ありがとう~~!無事、荷物とともに、搭乗。だが、この時点でホントに帰るなんて、実感がわかなかった。と、言うか、なんだかいやな予感がしていた。なにかって?ふふふふふふふ、、明日の日記に、UPします。
Jan 22, 2002
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こっちに←「ちょっとだけ我が家のお話3」更新しました。「おジャ魔女どれみ」話です。*****************************************先日、全員プレゼントに釣られて10品出品したフリマオークション。今日、夕方確認したら、入札が4件も有った!うれしい!ありがとうございます。今はうれしくって、その余韻に浸ってます~~~~~!!*********************************************実は、バンコクで何処に泊まったのか、全く覚えてないんです。でも、とにかく都会で、何処に行くのも結構便利。ネパールに比べるとかなり都会!寺院めぐりも、雑貨屋嵐も、(また買ったのかよ~~)満喫。ひとつ不便だと思ったのは、タイの人の性格。彼らはとってもシャイだ。バス停で、「このバスは○○に行きますか?」と、尋ねても、ニコニコして何も答えてくれない。はじめはいじわるね~~~と思ったが、恥ずかしがりやサンだったようです。で、ちっこい三輪タクシー(あれなんて言ったっけ、トゥクトゥク?サムロ?、、忘れた、、)に乗ってうろうろしてみた。これが間違いだった。時間的に道路は大渋滞。全く動かない。小回りが訊いて良いかなあと思ったのにバスの方が早かった。市場の中をうろうろしていると、声をかけられ、水上マーケットに誘われる。いろいろうわさでは聞いていたので、はじめに値段交渉する。追加料金不可!場所はこことここ!それ以外は行かない。○○バーツ!高い!では○○では!おし!OK!これくらいつめても、まだまだだった。船に乗ったら、船頭さんの言うがまま~あちこち連れまわされるのは、当たり前の状況。私たちも、行きたくもない博物館や、昼食に誘われる。「いいから、ここは大丈夫!」「何が大丈夫なのよ。お金ないからね!」「マイペンライ、マイペンライ、、」(なんとかなる!)「無いものは無いのだ。何とかなんてなりゃあせん!」結局、後で追加料金を請求される。しかし、インドで鍛えた、精神で持って、はじめに提示した料金だけ渡して、面白くなかったからと告げる。悪いけど、ホントにもうお金ないんだよね~~
Jan 21, 2002
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←こっちに 「ぶつぶつ真夜中の独り言4」完結!を更新しました。*******************************************そろそろビザも切れそうだし、相棒の体調もよさそうだし帰るか!テナわけで、大荷物をまとめ、帰国準備。明日、変えると回りの人たちに告げる。みんな「明日朝、うちに来なさい」という。ナンだろなあ~~~??翌日、出発。とりあえず、荷物は部屋の中に残し、おさわになった方々にあいさつ回りをする。何処に行っても、「寂しい、、」といっていただき、「また来てね」といっていただき、旅の安全祈願にティカを受ける。おでこ真赤々。優しい人たちの心に感謝。そう思ったら、こみ上げるものが、、、。いや、ここで泣いたら止まらなくなる。ぐっと抑える。皆様にありがとうを告げると、部屋へ戻る。宿の前にはタクシーが1台止まっていた。誰かが用意していてくれたのだ。あれに乗って帰らなきゃあいけない、、、まだ居たい、、、荷物をつみ、タクシーへ。そして空港へ。みんなが見送ってくれる。もう、我慢の限界。タクシーの中で、声を殺して、泣く。あまりの荷物の多さに、心配して3人の青年が空港まで見送りに来てくれた。荷物は難なく預け、超過料金もたいしたことが無かった。と、言うより払った記憶が無い、、????いよいよ搭乗というときが訪れる。「また、おいでよね」「楽しかったね」「うんうん。ありがとう」あかん!もうだめ~~私は、こみ上げるものを抑えきれなくなってもう、ぼろぼろ、、、(まさに「うるるん○○記」状態。当時そんな番組は無かったが)みんなさよならとは一言も言わなかった。又、すぐに帰ってくるような気がした。タラップを上る。そして機内へ。離陸。遠くにかすんだヒマラヤが見えた。またね!ネパール!私たちは1度タイのバンコクに向かった。
Jan 20, 2002
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楽天フリマオークション10品、出品してしまいました。釣られてしまった。プレゼント何があたるかなあ~~楽しみじゃあ~~~~~♪ところで、さっき、携帯にメールが来ました。内容は「25日楽しみにしてます。」????25日何かあるの?私は特に何も予定してることは無いけど、、、、送信者は知らない人。間違い電話ではなく、間違いメール。こんなことってあるんでしょうか??????この方、メール初体験だったみたいで、間違って送ってしまったこと、知らないのかなあ~うううう、、ちょっとかわいそう、、、、******************************************ネパールでもサッカーは盛んです。やはり、ボール1個で何処でも楽しめるスポーツゆえに小さい子供も真似をして遊んでいます。ある日、インドVSネパールと言う試合が、カトマンズの競技場でありました。私はサッカーには全く興味が無かったので、ルールは全く分からなかった上に、生で見るのは初めてでした。(ゴールに玉を入れることと、足を使うスポーツだってことは分かってますが、、、)日本語のなんとなく分かる人1人と、全く分からない人3人と、私とで見ていました。おしゃべり好きな一人が、私が余りに退屈そうに見えたのかいろいろ話してくれました。言葉はネパール語ではなくネワール語。で、全く私は分からない。彼は面白がって、私にネワール語講座をはじめました。まず、~する=ドゥ知ってる=シュわかる=トゥハイ!=ジュで、これを否定するときは、この言葉に「mu、mo」などが、つきます。(発音記号はわかりません。多分こんなんだろうと思っただけなのです。)ム シュム トゥム ジュドゥのときは、話の内容によります。疑問形は「ラ」が最後に付く。たとえば、「食べた?」は「ネヤ ドゥ ラ」「食べた」は「ドゥ。」「食べてない」は「マ ネヤニ」これだけ教われば会話が出来る!当然、彼の問うことに、私の返事は「ム トゥ」が大半である。あまりの会話の単純さに、彼は一言。「子供の会話のようだ!シュ、ムシュ。ジュ、ムジュ。トゥ、ムトゥ、、」と、くすくす笑っていました。でも、なんだか結構楽しかったです。
Jan 19, 2002
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まず、迦楼羅天様から、クマリについて、教えていただきましたので、ここに記載いたします。迦楼羅天さん、ありがとうございます!クマリは1年に1度人前に顔を出すのですが、その時のクマリ様の表情や何に興味をもたれたかなどで、その1年を占うのだそうです。私エナエナが見たクマリ様はただじっと前を見据え、ブスッと座っているだけだったので、その年はいったいどんな年になったのか、、、、。ま、悪くも無く、良くも無い、、、ちゅうことでしょうか、、、*****************************************ところで、ダサインと言うことで、近所の青少年たちが、すずめの丸焼き(ちょっとグロテスクです。丸焼きなもんで、、、(^^;)とロキシー(焼酎)を持ってやって来たんです。お祝いに酒盛りということでしょう。その子達の中に、日本人の男の子が混じっていました。彼は幼い頃に両親を亡くし、おじさんに育てられたのですが、このおじさんのお仕事の関係で、このネパールに住んでいます。彼はしっかりバイリンガル!ネパール語、ヒンズー語、英語、日本語を話します。環境と言うものはすごいと思います。宴の最中、彼がぼそぼそ私に悩みを打ち明けて来ました。やはり中身は日本人、ネパールにもたくさん友人がいるんですがなかなか話せないこともあるようで。宴は勝手に盛り上がっていたので、外に出て話すことになって、結構長い時間だったんだろう、いつの間にか宴は終わってみんな帰っていったんです。バイバイ!ごめんね~また明日~~問題はその後、我が相棒、ご立腹!「みんな心配してたわよ!」「勝手なことしないでよ!」とにかくぎゃあぎゃあまくし立てる。悪いのは私だけど、やっぱり悩める日本青少年が心配だったから、、。思わず私も反撃してしまった。とにかく、これまでの旅で、お互いがお互いのために我慢していた部分が、このときどどどどど~~~と崩れ落ちた。散々言い合った後、2人とも泣いてしまった。でも、悲しくて泣いたんじゃあないの。実は彼女と私は以前2年ぐらい共同生活をしていた。その間、1度も喧嘩した事が無いのだ。きっとその頃からお互いのことが分かりすぎてて、何も言わなくても、了解していたり、伝わっていたりしてたんだろう。その反面、どこかでストレスもためていたのかもしれない。2人がおいおい泣いていると、下階にいた居候さんが上がってきて、心配そうに「どうしたの?けんかしたの?」と尋ねた。2人が声を合わせて、「違うねん、うれしくって、、、、」「そう、私らでもけんかできるんやなアって思ったらうれしくって、、、」居候さん顔が???????マーク。
Jan 18, 2002
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もう7年目になるのだそうです。1月17日午前5時46分私はマンションの10階に住んでいて右足を骨折していて、全く動けずゆれがおさまるのを待っていました。食器棚が揺れる音本棚から本が落ちる音電灯がぶらぶらする音一定のリズムを刻むように、、、、動揺、恐怖、惑い、、、今でもはっきり覚えています。その日は仕事で現場に行かなくてはならなくて電車が動いてなかったので、車を運転し、出かけようとしましたが、大渋滞。イライラし、やはり車は置いて、とにかく事務所に向かうため、電車が動くのを待っていました。年末に打ったコンクリートの躯体はどうなっているんだろう、、クラックは入っているのだろうか、、、何もかもめちゃくちゃになっていたら、、、、不安の中、神戸の火災やビルが倒れているのを、テレビで目にしました。それどころじゃあない!事務所の同僚にも神戸に住んでいる人がいた。思わず、誰かいるかもしれないと、事務所に電話をするが、つながらない、、、、。電車が動き出したことを確認すると、すぐに出発。神戸から通勤している同僚は無事でしたが、住んでいたアパートは全壊してしまったそうです。事務所の方は本棚は倒れ、めちゃくちゃでした。たくさんの方が犠牲になった日。忘れたくても忘れられない。そして忘れてはいけない、出来事です。黙祷。***********************************ところで、全く話は変わりますが、うちの猫の額ほどのお庭に猫さんの訪問がありました。こやつ最近よく来るんです。うちの相棒(娘)にも愛想良く「猫しゃ~~んこっちおいで~」と言うと、にゃああああんなんて返事をしたりして。ところがこやつの目的が今日判明。やつは毎日我が家のお庭をトイレ代わりに使っていた。やつが帰った後、どうもにおう、、、、木の根元を確認してみると、発見!こんもり盛り上がった土の山。周りには確かにやつのものと思われる爪あと。そして過去のものと思われる、干からびた残骸。一度匂いがついたら、必ずソコでするという習性。何とかならないもんだろうか、、、、どうせうちの庭は、猫のトイレほどの大きさだわよ、、、くっそ~~~(さっぶ~~~)*****************************************←ぶつぶつ真夜中の独り言4続きをUPしました。よかったらこちらにも寄ってください。
Jan 17, 2002
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まいった、、、、日記を書き上げ、【日記を書き込む】をクリックしたら、メンテ中の表示が!今書いたものはいったいどうなるの?としばらくして、アクセスしたら、やっぱり無かった、、、、。くっそ~~~!脱力感のエナエナ。再起不能じゃ、、、ぐぐっぐぐぐぐ、、落ち込み、、落ち着いたら、書きます、、、、、
Jan 16, 2002
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←こっちにtetywestさんに教えていただいたネパール最新情報をUPいたしました。是非是非、読んでください!!さてさて、ダサインと言うお祭りなんですが。9月末ごろより、10月中ごろまで14日間に渡る、ネパールでは最大級のお祭りでもあります。町中、正月のような状態で、髪に大麦の芽を飾り、あちこちの家の屋上では、子供たちがたこを上げたりしています。旧王宮では悪魔祓いの儀式が行われたり、各家ではやぎを神様にお供えし、ご馳走を作ります。お祭りの意味はわからなかったのですが、やはり日本の秋祭りのように、豊作や恵みに感謝するものではないのでしょうか。とにかく10日目ぐらいに、宿のオーナー宅に呼ばれ、ティカを受ける。ティカは米粒に赤い染料を混ぜて、おでこにポテッとはっつけるもので、乾燥してすぐに固まるんです。それから、新しい服に着替えて、肉の入った料理を、たくさん食べます。街を歩いていると、「ちゃんとお肉食べた??」「ティカしてもらったのね~~」「うちにも食事においで~」と、声をかけられました。うひょひょひょ!ダサインはご馳走なので、大好きです。もともとヒンドゥーのお祭りなんですが、今では国民的お祭りになっていて、チベット人も仏教徒もみんなでお祝いします。
Jan 15, 2002
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本日、成人式をお迎えになった方、おめでとうございます。私にとっては、何十年も前のこと、、、???卒業制作の真っ最中で、成人式にいけなかったことを、この日、いつも思い出します。いまだに、なぞの世界です。ネパールでは、8,9,10月がもっともお祭りの多き時期だ。もう、ネパール暦カレンダーは文字がたくさん書いてあって真赤々!学校も其の度お休みで、夏休みなんだか、お祭り休みなんだかよくわからない。たくさんありすぎて、どれがどのお祭りだったか、それもほとんど定かでない。(ちゃんと書いておくんだった、、)其の中で、印象的なものを、何個かお話します。インドラザットラ クマリの山車巡行クマリと言うのは何ぞや?なんですが、いわゆる生き神様です。以前UPしたかもしれませんが。クマリは、女神です。クマリはネパール国民から選ばれるのです。カトマンズにも居られますし、パタンにもバクタプールにも、、、どうやって選ぶかと言うと、まず、初潮を迎えていない、少女から選びます。これは自薦、他薦なんでも結構。立候補するわけです。その候補の少女たちを真っ暗な部屋に閉じ込めます。そこで最後まで泣かなかった子がクマリになります。クマリは初潮を迎えるまで、その座に着きます。そして任期を終えるとまた、同じ方法で次のクマリが選ばれるのです。カトマンズだけで行われる、クマリの山車巡行(3日間)に顔だけでも見てやろう!と、出かけました。ダルバール広場には、人目クマリを見ようとたくさんの人が集まっていました。で、最後まで泣かなかったクマリ。どんなお方かといいますと、ムス~~~~としてて愛嬌が無い。ニコリともしない。見るからにタカビ~~~!目線はまっすぐ前方を見据え、めんどくさそうにただ、座っているだけだった。(笑っちゃいけないのかもしれません)私はふと思いました。この子もやがて任期を終えるのだけど、その後どう過ごすのだろうって、、、、。多感な少女時代を、いろいろと規制され、ニコリとも出来ず、神様とあがめられ、外で遊んだり、友達を作ったりもできない。これは一種の虐待だな、、、とも思った。後日偶然、元クマリさんに出会うのですが、適齢期を越えてられるのに、やはり未婚。(結婚される方は少ないそうです)神様は王様より偉いわけですから、なかなかお相手は見つからないと言うことだそうです。やっぱり廻りは引いちゃうよね~。確かに、聡明な感じで、いかにもかしこそ~な雰囲気がありましたが、少し安心したことは、彼女はわりと普通で、タカビ~な感じがしなかったことです。そして、明るくて、ニコニコしていました。任期を終えてから、いろいろ苦労しただろうな~。がんばって!元クマリ様!なんて、心の中で、応援したりしてました。
Jan 14, 2002
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←こっちにtetywestさんに教えていただいたネパール最新情報をUPいたしました。是非是非、読んでください!!ただ今、エナエナ撃沈状態。アクセス9000自分で踏んじまって、ちょっと落ち込み加減です。しかもゲストで入ったもんだから、もうどうしようもない、、、、。出来事ではなくお土産の話なんかでもして、景気付けようと、必死で這い上がってます、、。パタンには、クラフトショップや、ファクトリーが集まっている場所がある。街のガキンチョ様たちに誘われ、行ってみた。どんなものがあるかというと。木彫り製品:お面や、ネパールの町でよく見かける彫刻窓のレプリカ、仏像などなど、、、シルバーなどの金属製品:アクセサリーや置物、小物入れなど。編み物:ヤクのセーターは定番物。帽子や靴下。めちゃあったか~~!織物:手織りのショールやマフラー、トピー(男の人がいつもかぶっている帽子)お財布(ネパールの主婦が自分で作っていつも持ち歩いてるものと同じもの)ネパール絨毯。ネパール製綿のサリー。紙製品:手漉きネパール紙のカレンダーやレターセット、ランプシェードなど。絵画:タンカ(曼荼羅や仏様を描いたもの)など。他:ククリ(短刀)マニ車(チベット仏教のもの。お経を読みながらくるくる回すもの。オーマニパドマニ、オーマニパドマニ、、、)ティカ(女性がおでこに貼っているもの。結構きれいで安いんだけど、持ち帰っても使いように困る。でも私は持っている!シールとして携帯に貼ってもアジアンでかわいい!)髪飾り(ツケ毛のようなものの先にきれいな装飾あり!素材は毛糸みたい。これは結構おしゃれです。)石製品:仏像や、建物をかたどった彫刻品。大小いろいろあるので手ごろで良い!壊れないように持ち帰るのがちょっと困難かも。などなど、、、、お土産になるものはたくさんあります。もう迷って迷って、たくさん買いました。(それ迷ってないってことじゃ・・・)そのほか、街の荒物屋さんで、ステンレスのお弁当箱や食事に使うプレートなど。ほしいものを洗いざらいと言う感じの買いっぷり!インドで買ったものをあわせると、すごいことになった。80CM×50CMぐらいのアルミのケース2つ買い、プラス自前のバック、それにデイパックとカメラバック。それでも入りきれず、手提げの布製ボストン形バックを買い、帰りの飛行機で、荷物の追加料金はかなりすごいだろうなあ~~と、ちょっとビビッた。(ちょっとでは済まされなかったが、、、)みんなにどうやってもってかえるの~~~???と、非難ごうごう!いやあ、意地でも持って帰りますよ。いつの間にかバックパッカーエナエナは、ネパール商人のようになっていた。追伸:::半分ぐらいは日本の友人やお世話になった方へのお土産なんだよ~~~!あしからず、、、、(^^;
Jan 13, 2002
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やはり知っている街、勝手のわかる街、と言うことで、相棒とも単独行動が多くなった。彼女はわりと、街の青年に誘われ、どこかに観光に行くことが多かった。私はと言うと、街のガキンチョたちとその辺で遊んでいることが多くなった。おかげで街の人たちとも仲良くなれた。ビデオ会に誘われたり、(全く言葉がわからないインド映画だったが)赤ちゃん誕生祝いに誘われたり、(これが結構お祝いにお金がかかる)買い物をし、自炊までやってみた。観光にいかないので、時間が余っていたのだ。その辺はなんだか寂しかったけど、どっぷりパタン人だった。その頃、仏教のお祭りが始まった。お暇な私はしっかり参加する。1日中、仏教寺院を回り、お参りすると言うもの。お供え物は、お菓子や米など。さて、このパタンの中に仏教寺院はいくつあるか???そんなのわかりませ~~~ん!しかし無数にあることは間違いない。100は超えてるはず。長蛇の列がお参りをする。いつ終わるのかと、不安になるくらい、長い時間をかけて、1戸1戸お参りする。たずねると、1日中やっているとの事。途中リタイヤ、、、、、。疲れたよ~~~~!この国の信仰心に感心する。
Jan 12, 2002
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ネパールに戻ってきたのが、だいたい7月半ば。雨季真っ只中。ヒマラヤは毎日かすんで、ほとんど見えない。ネパールの雨季は、それこそ1日一度、バケツをひっくり返したように、どさ~~~~と降って、さっと止む、というもの。インドほど暑くないので、乾きも悪く、砂利泥舗装の道は、すぐにでこぼことなる。足元が悪いので、カトマンズに用があって出かけるのもタクシーを利用することが多くなった。贅沢だなあ~~と、思いつつ。が、しかしこのタクシーも大変なんだ。雨が降り出すと、ドアの足元の隙間や、底から雨水が入って来る始末。使われている車種は日本車の個人タクシーのお古。ドアのゴムパッキンなんて、腐食してしまい、何の役にも立たない。結局トレッキングシューズや靴下などは履いていても、乾かすのに困るだけ、、、、。やはりチャッパルが便利だ。(参考:その82)おかげで、毎日足は泥だらけ。それもほとんど気にならなくなり全く、現地人生活を送る。近所の子供をつれて、お散歩がてらカトマンズに出かけたことも有った。そのこはまだ小学校にも行ってないのに、ぐずることも無く私たちに付き合っていた。やはり、何処も大家族で、こんな小さな子も、家族にもまれ、しっかりしていくのだなあ~と感心した。核家族化もいいけれど、このとき私は私の兄弟とその家族と、おばあちゃんとみんなで暮せたらいいなあ~~なんて事を考えてた。しかし、15年後、今だ実現せず。
Jan 11, 2002
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←こっちにtetywestさんに教えていただいたネパール最新情報をUPいたしました。何かと9月11日のあの事件の影響も大、そして、ネパール自体の経済力、政治力にも問題ありです。是非、一度読んでいただきたくてこちらに記載させていただきました。tetywestさま、ありがとうございました!!ところで、インド番外編、と言ってもこのたびがここで終わったわけではないのですが、思い出したことがあり、ここで一息入れることにしました。あるホテルでのお話です。泊まったホテルは安宿の割には広くて、(ツインここも250円ぐらい)明るくて、清潔そうでしたが、荷物を置き、さてとトイレにでもいってくるかな、と個室に。真っ白なペンキで壁を塗られ、床も白い石張りで、シャワー室もあり、広い。で、用を足そうとしたところ、部屋の片隅に黒く光る物体が目に入ったんです。よく見ると、その黒いものの脇で白いものがなにやらごそごそと動いているではありませんか。幅2CM長さ6~7CMぐらいの虫らしきもの。「ナンだろう?」怖いもの見たさの好奇心。虫さんにズームイン。ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、、ゴキブリさん?しかも脱皮してる。でかい!インドで20CMはあるだろうヤモリクンやげじげじ君にはであったけど、こんなにでかいゴキブリ君は初めてだった。「ども、、」と挨拶し、用を足すのも忘れて、個室をでた。しかし、その後即座に考えた。今、脱皮中だった。今行って置かないと、やつは脱皮を終えた後、空中戦になるかもしれない。おどおどしながら再度、トイレに向かう。で、用が済んだらあわただしく、立ち去る。どうか、そのまま窓から立ち去ってください、、、、南無~~~夜になり、もう一度トイレに行ったら、すでにお留守。抜け殻だけが、かさかさと風にさらされていた。ある場所のトイレの一幕でした。
Jan 10, 2002
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2日ほどデリーにいた。お土産を買ったり、絵葉書を家族や友達に送ったり、ネパールに戻るために、飛行機の予約をしたり。結構長くて、大変なたびだったが、名残惜しい。できればもっと行きたいところがあった。スッキムやダージリン、チャンディガール。しゃ~ない、(仕方が無い)とりあえず帰るべ。生きてりゃ又来れるさ。飛行機であっけなくネパールに戻る。カトマンズ空港がやけに懐かしく感じ、パタンに戻ると、家に帰ってきたかの感覚になる。戻ったとたん、周りに非難轟々!「何ヶ月も戻らないし、連絡もないし、心配したんだから!」「前にも行方不明になった人だっていたんだから~~」ずいぶん心配させてしまった。その上、送ったお土産の品々に、税金がかなり付いたらしい。ごめんよ~~。と支払う。2400Rs!高い!商品代より高い!参った。2400Rsというと高給の人で月給が5000Rsと聞いたから、その半分ということ、、、。そんなお金誰が払ってくれたんだろう。集めるのに大変だったろうなあ~~~ホントにごめんよ~~~!気持ちが緩んだか、相棒疲れのために寝込む。あまり調子がよさそうではなかったので、カトマンズの国立病院へ。やはり過労のため、休養を取らなくてはならないと、2~3日入院。(なぜか、私はぴんぴんしている、、、、)ちゅうわけで、私は病院通いをすることになった。入院!となると、ぶっ飛んでくるのが日本大使館の大使。日本の住所や名前を聞かれ、家族に連絡されてしまった。たいしたこと無いのに、、、、、。(いや、私が言ってはいけない。病人は相棒だぁ!)家族には心配かけたくなかったが、仕方が無い。前もって知らせてあったパタンの連絡先に国際電話の嵐!「大丈夫だから、、、」の連発。「迎えに行こうか~」「いや、大丈夫」「何か手伝うことは?」「お金送って!」「それだけ?」「うん、他は大丈夫」入院した!それがどれだけ家族に心配をかけたか。ごめんなさい、、、、。家族の優しさが身にしみた。やさしさといえば、このパタンの宿の主人の家族が、水牛の肉のミンチで作ったスープを病院まで届けてくれた。私も出来るだけ、家で何か作って病院にもって行こうと思った。無事、4日目に退院。はちゃめちゃコンビ復活!とは言えども、とりあえずパタンの宿ではなく、カトマンズのホテルに泊まろうと言うことになる。やっぱりお互いちょっと疲れていたんだ。2日ほどホテル住まいをしていたら、パタンの人たちが「なんで?ホテルに泊まっているのぉ~~!待ってるんだから~早く帰っておいで~~~」とわざわざお迎えに着たくれた。パタンの街は、いつの間にか家族になっていた。
Jan 9, 2002
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←ぶつぶつ真夜中の独り言4更新しました!インド料理ばかりで、あきてきた私たち。宿の傍にある、アメリカ料理屋というものに挑戦。実際、アメリカ料理って良く知らないので、興味があった。メニューを見ると、ハンバーガー&チップス&ナントカ、、というものが多くて、まーチップスならいいかぁ~と、注文。やってきたものを見てびっくり!山のように盛られた、フライドポテト。肉は何処だぁ~~と探さなきゃいけないくらいだ。こんなに芋ばっかり食べられないよ。もっと違う野菜も付いていると思ってたのに、まさにそのままハンバーガー&チップスだ。でも、もったいないし、しっかりたいあげる。やっぱり明日はインド料理にするか、、、、、、。と思った。
Jan 8, 2002
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レーを満喫し、いざデリーへ、、、と、思い出したのがシュリナガルからデリー間のバス路のこと。やっぱりバス?お金はないし、やっぱりバス、、、。こんどは約2日がかりでデリーを目指す。恐怖の道を、、、、、。意外と慣れてしまっていたのか、疲れていたのか、眠ってしまい知らぬ間に到着と、いう感じだった。久しぶりのデリーは、にぎやかで相変わらずやかましいところだった。デリーは元気ってことかな。以前と同じニューデリーのバザール沿いに宿を探す。アメリカ人と称する2人の女性に声をかけられ、話を聞くとパスポートとお金をなくして困っているという。少しお金を貸してほしいという。目つきや身なりを見ても、相当長くここに居る様だ。同じバックパッカーといって、油断は大敵。で、一言。「大使館に行けば?助けてくれるよ。それに、私たちも帰るところなんで、貸せるほど持ってないよ。」貸すったって、いったいどうやって返してくれるのよ~!保障もなのに、、、、、頂戴ってことじゃない!冷たいようだけど、、、、日本人を狙っているのは、インドの悪人さんだけではないのだ。もし、本当だったら、同じアメリカ人にお願いすればいいのだ。これは絶対日本人狙いだぁ!そう判断した私たち。これが冷たいなあ~と思われるかどうかは、お任せいたしますが、確かに、インドにとどまりたいために、こういう手を使って現金を手に入れようとする、旅行者が居ることは間違いないと思います。
Jan 7, 2002
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年明け早々、わが弟のお仕事のお手伝いに借り出され四苦八苦しております。日記書けな~~~い、、、メッセージもいただいているのに、お返事がかけなくてすみません、、、、また、すぐ舞い戻ってきます。私を見捨てないでくださ~~~~い
Jan 6, 2002
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レー王宮を散策した帰り、いろんなものを売る屋台群発見!本物かどうかわからない骨董銀食器、チベットデザインのシルバーアクセサリー、後は生活雑貨などなど、、、。私はウォークマンの電池切れが心配で、もしここにあればほしいと思った。電化製品の店によると、単4電池は普及してないので無い!と言われた。が、しかし、そのウォークマンを売ってくれと言われた。むむむ、、、?今、電池がないと言ったじゃないか!だのになぜこれがほしい?問い詰めた!デリーまで行くと何とか電池は手に入るそうで、やはりソニーなどの有名日本製は高く売れるのだそうだ。やだ!これはまだ売れない。まだまだほしい音があるんだ。電池はあきらめデリーで手に入れるとして、気になっていたのが、エセシルバー食器。似非とわかっていても、結構面白いのでほしくなった。ティーポットとカップ2個のセット。価格は250Rs(約650円)ぐらいだったと思う。たか~~~い!もっと安くしろ~~!お金は無い~~!因みにゲストハウスの宿泊料はツインで300円ほど!そこで店主が目に付けたのが、私の足元。「これと交換しよう」と指差した。んんん、、、これでいいのか・・・いや、即決は無難ではない・・・・即座に悪知恵が廻る。「ええええ!だめよ!これは日本で買ったばかりなのに~それに250Rsでは譲れないわ~~」(すでに6ヶ月使用済み、おまけに色のくすんだところもありの有名メーカーのバックスキン&防水加工のトレッキングシューズ・・・)「他にほしいものある?」「んんんん・・・これとこれ、それから代わりのサンダル」「OK!」これが得だったか損だったかはわからないが、私にとってはトレッキングシューズはすでに必要なかった。と言うより、どこかで脱ぎ捨てたかったのだ。それがお土産に変身するなら、私にとってはお買い得!それから私の足元は軽くなり、何処に行くのもチャッパル(ビーチサンダル)。こいつが結構便利なのは、寺院なんかで革製品はだめ!といつも靴を脱がされていたのだが、これなら誰も文句を言わなくなったこと。(はだし前提のところも有るが・・)
Jan 5, 2002
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5日間たっぷりお休みいたしました。正月休みボケで、ぼ~としてますが、一応復活~~~~!今年も長々とよろしくお願いいたします。正月の間にこそっと←こちらに「私の奇妙な収集癖?」をUPしました。とんでもないものの宝庫ですが、良かったら見てください。エナエナの性格がどどどど~~~~と感じられます。*************************************************チャンディガールをあきらめた私たちは、レーへレーはインドの中のチベットのようなところだ。ガイドブックによるとヒマラヤの西端の裏側、インダス川の上流にある街、とされている。この時期気候は涼しいぐらいで、長袖Tシャツぐらいがちょうどいい。残念ながら私たちにはそういうものがなかったので、ちょっと寒かった。まずは宿探し。チベット人が経営する、とっても家庭的な宿に決める。朝夕の食事つきで、食事は1階の広間のようなところで、みんなが集まってきて食べる。なんだか温泉地の旅館のような雰囲気。出かける前に、夕食の予約をしておくと、時間を知らせてくれ、それまでに帰っておいで~と告げられる。なんだか、ホントに家庭的で、お母さんと話をしているようだった。さてさて、レーの街の探検を始める。目指すはレー王宮。レー=チベット=あのラサにあるポタラ宮殿を想像するんだが、あれよりちょっと小規模のレー王宮が、岩山の上に地から生えたように建っている。ぼちぼち歩いて1時間ぐらいだったか、乾いた山道を延々のぼった。景色が良かった。夢中になって写真を撮っていたら、連れとはぐれてしまった。ま、行き先はわかってるんだ。後で急いで追いつこう。ちょっと早歩きで、必死で向かったが見当たらない。途中喫茶店(日本にあるようなおしゃれなものでは有りません)が有り、通り過ぎ、まだ上に上る。いない、、、いったいそんなに急いで何処まで行ったのか?だんだん不安になる。まさか誘拐?そんな、、、大の大人が、、、ええ、、!!!とりあえず上まで登って、探す。いない、いない、、、。どこかで抜かしたのかなあ、、、岩陰に隠れててわからなかったのかなあ~どうしよう、、このまま迷子になってたら。まさか、、こんなに視界が広いのに、迷子や誘拐は考えられないよ~~~。仕方がないので、来た道を降りてくる。また、途中の喫茶店の前に着く。まさか???喫茶店の入り口でニコニコ笑って手を振っている姿。あれは!相棒じゃあないか!えええええ、、お茶してたの~~~??「だあ~~~てエナエナ遅いんやもん」「ここ入ったなんて、わからへんから、上まで探しに行ったのに。心配したのに、、、お茶してたのお~~~」ちょっとムッとしながら、もう一度登る。このたびも6ヶ月を超えている。いくら仲良しでも、以前共同生活していたことがあっても、24時間こんなに長く一緒に行動したことは無い。お互い、お互いのわがままも、要望もちゃんと話し合い、納得して行動していたつもりだが、心のどこかでちょっとだけストレスもあったんだろう。少し、離れて行動したかった。お互いがどこかでそう思っていたのかもしれない。おまけそういえば、あのシュリナガルのハウスボートのオーナー。私と相棒を仲たがいさせようと必死だった。私の目の前で、相棒に言い寄る。彼女をべたほめし、私を堂々とけなす。めっちゃ感じ悪い、、、。そりゃあ私はブスデスヨ~~~~だ!プップのプ~~~だ!な~~~んて思ってはいけません!それがやつらの手なんです。これで別行動とれば、誘惑しやすくなる。と、言うわけです。お気をつけください。インドの心理作戦!危ない危ない、、、、、
Jan 4, 2002
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新年あけましておめでとうございます2002年になっちゃいました。皆様、新年をどう過ごされますか?年越しをどう過ごされました?とりあえず私は寝正月を予定してます。コタツにミカン、おせちに御とそ、テレビにビデオ、おっと忘れちゃいけない、、親父(私の)の墓参り。今年もいい年でありますように。際立ったイベントは予定されていませんがのんびりぼ~~~~とするつもりです。先日録画したAKURAでも見るべ。お年玉プレゼントは年末に間に合いませんでしたがそのまま続行いたします。では本年もよろしくお願いいたします! 自作のケーキに満足気な相棒
Jan 1, 2002
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