全113件 (113件中 1-50件目)
新しく入ってきた子供たちも、実に個性豊かで面白い子たちばかりでした。しかもみんなまだ3歳になったばかりで小さくて可愛い!その中で、実はまだ2歳の男の子デイビッドは実に2週間ずーっと、休むまもなく泣いてくれました。
Apr 29, 2007
コメント(72)
そんなこんなでまだこのモンテソーリスクールに残れることになった私。プリスクールのクラスルームで9月の新学期を迎えました。いつものとおり9時に学校に着くと予想通りたくさんの子供が大泣き!!もちろんまだ保護者の方々もたくさん残っていて、泣き喚く子供たちをどうにかして泣き止ませようと必死になってました。私も、イアンと言う男の子のお父さんがもう帰らなくてはならないと言うので代わりに彼をひざの上に乗せようとしたら・・・、彼はお父さんを追って泣き叫び、逃げ惑ってしまいました。例の2歳の男の子、デイビッドは、お父さんはとっくに帰ってしまっていて、先生のひざの上でずーっと「ダディー!」と言って泣いている。他の子供たちも何が起こっているのか理解できずうろちょろしたり、騒ぎ立てたりと、教室はまさに地獄絵図(?)と化している状況でした。このままサークルタイムを続けるには無理があると踏んだ先生はみんなでプレイグラウンドに出ようと提案し、私たちはそのまま泣いている子供たちの手を取り外へ出ました。それでもやっぱり泣き止まない子もいたけれど、みんなだんだんと遊びに気を取られ、涙も止まってきた頃、新しい子供たちの名前を覚える為に、今度は私が必死になりました。遊んでいるので動き回る子供たちを見ながら、「あの子がパリス、あっちの髪の長い小さい子がテイラーで、その子はGG。で、そこにいる男の子がワイアットで、こっちがソロモン。」ともう1人のアシスタントのパムが説明してくれました。しかし、みんな動き回るので一瞬ごちゃごちゃになる。でも私の得意技は、名前と顔を見たら大体一度で全て覚えてしまう。と言うものなので、その日の帰りまでには全員制覇しました。余談ですが1人男の子でトルコ出身のふっくらした可愛い男の子の名前が何と「フセイン」。初めて聞いたときは「エ?この国で(サダム)フセインはまずいだろう。」と思ったのですが、この場合は苗字ではなくて名前(ファーストネーム)がフセインなので、全くの別物としよう。もちろん彼の名前と顔は一発で覚えました。このクラスには新しい子も何人か入ったのですが、もちろん以前からいる子供たちも数人残っていたので、彼らが頼もしく他の子供の良いお手本となってくれました。初日なんて、こんなものです。ほとんどの子供たちははじめて自分のパパやママから離れて過ごす時間な訳ですから、不安もいっぱいでしょう。私だって実は幼稚園のときは毎朝お母さんと離れるのが嫌で大泣きしていたという過去があるし(笑)、彼らの気持ちも痛いくらい分かりました。そのうちみんなここに慣れれば、学校に来るのが大好きになってくれる。そんな日が待ち遠しいと思っていました。
Apr 3, 2007
コメント(0)
サマースクールが終われば、9月からは新学期が始まります。今までキンダーガーテンで過ごしてきた子供たちはついに小学校1年生になります。6月に、サマースクールが始まる前に卒園式が行われ、その時なぜか私もPre-Kの担当教師としての栄光をたたえると言うことで、他の先生たち共々舞台の上に立たされ、花をもらったりもしました。いつものことだけれど、こんなことになると知っていたら、もっといい服を着て化粧もちゃんとしてきたのに・・・。常にいつもきちんとしていなければなりませんねー。(全く過去から学んでいない・・・。)そう、それで話を元に戻すと、9月から新学期が始まるけれど、私がOPTで働ける期間は12がつ10日まで。なんとも中途半端な時に終わってしまうので、雇ってくれた校長先生たちの方も、私をどうするかでかなり悩んでいたみたいです。例えまた私を同じクラスでアシスタントして雇ったとしても、そんな中途半端な時期にいなくなられても、また人を探すのに大変な思いをすることになるだろうし、どうせ雇うならこの学期が始まってからすぐにの方が、全てスムーズに行くと言うのは誰でも分かることなので、私もそれならば大変残念だけれど、他を短期で当たってみようと言う覚悟はできていました。さようなら、モンテソーリ、さようなら、可愛い子供たち!!しかし、本当に運がいい時に、Lower Elementary (小学校低学年)のクラスのある先生が出産の為、ちょうど私のOPTが切れる時期まで休職すると言う話が舞い込んできて、私にその代わりをやってもらいたいというのでした。しかも校長先生直々にお呼び出しを受け、是非私をまだキープしたいから、引き受けて欲しいと言うことと、給料UPまでしてもらってありえないほどの幸運でした。私もそれならと即OKをだし、10月の初めからそのクラスで働くことが決まったのです。そしてそれまではまだプリスクールにいていいとのこと。オーバースタッフになるのでは?と思ったのですが、これまだうまい具合に2歳の男の子(10月で3歳になる)が入るのでその子の頭数を入れるとそのクラスには3人の先生が必要になるとの事なので、まだ私の首もうまく繋がったのでした。あまりにうまく行き過ぎて、正直恐ろしかったのですが、やっぱりそう甘くは無いと後に体験するので、そのお話はまた後日詳しく書いていきたいと思ってます。
Apr 2, 2007
コメント(0)
今日もまた記憶をさかのぼってサマースクール編を修了させたいと思います。その2で教えた日本文化と日本語。実はJapanese Weekの最後の日、先生に頼まれて手作りで簡単な日本語と、日本の文化をまとめたプリントを図々しくも子供たち一人一人に配っていたのでした。どうせこんな物、家に帰っても誰も読まないでごみ箱行きになるだろうに・・・と思いながらも下手な挿絵などまでつけてがんばって作ったかいがありました!というのも次の日、何人かのペアレンツから「あのプリント、楽しませてもらったわよ。あれを見て今日本語を練習しているの。」という意見や、子供を迎えに来たパパからいきなり「コンニチハー!」「サヨナラー!」などと言われたりしたのです。ホントになんて素敵な親御さんたちなんだろう。苦労した甲斐もあったってもんです。他にこのサマースクールでしたことといえば、クッキングもよくやったし、鉢に一人一人が好きな絵をペイントして、自分の気に入った植物の種を選んで植えてそれを持って帰ったりもしました。もちろん私もいつものごとくちゃっかり便乗して子供たち以上に楽しんでペイントした鉢に大好きなひまわりの種を植えました。(しかしいいかげんな私のせいで、この花が育つことはなかったのですが。。。)また、Big kids(小学生)達は、この夏、実に週に3回は遠足に出かけていて、そのプレゼンテーションや劇を見に行ったりしました。私はプリスクール担当だったので、遠足は1度もなく、つまらないなーと思っていましたが、後にこの小学生たちのやることの多さを見て、彼らを指導するのはもっと大変だろうと思い、ほっとした記憶があります。(後に身を持って体験するのですが。)私のいたリノは1年のうち300日以上が晴天と言われている所だっただけあって、夏もずーっといい天気が続き、外での日焼けを恐れながらも子供たちとたくさん遊びました。いつもより、プレイタイムが多くて子供たちも毎日おおはしゃぎで学校に来ていました。夏は私の大好きな季節ですが、特にこの年(2006年)は、大学のサマースクールも無かったし(卒業したから当たり前だけど)、たくさんの子供たちとずーっと一緒に過ごせたので本当に思い出深い夏となりました。
Apr 1, 2007
コメント(0)
通常モンテソーリの朝は約3時間ほど丸まるレッスンの時間に当てられているのですが、サマースクールはそういったレッスン重視というよりも、楽しいイベントがたくさんありました。ある1週間、私は日本について子供たちに知ってもらえるようにと“Japanese Week”という1週間を任せられました。以前もキンダーガーテンでの教育実習をしていた時、子供たちに色々と日本のことを説明したりそれに関わる楽しいアクティビティーを用意したりしたことがあったので、同じ物を使おうと思っていたのですがここでひとつ大きな問題が。私がその時働いていたのはpre-kクラス。つまり年齢は3歳~6歳のmixグループで、年齢的にもまだまだ幼い子供たちが大半を占めていたのです。それなので、以前のようには行かなくなり、小さな子供たちでもわかるようにいかにして分かりやすく簡潔に説明するかが重要なポイントになったのでした。そこで、細かいことは抜きにしてビジュアル中心に進めてゆきました。日本地図を見せてどこで私が生まれ育ったか、他には友達に借りた京都の絵葉書なども見せたので、ここがその写真の場所ですよ、とか、ポスターを使って日本の主な伝統的な祝日や遊びなどを紹介したりしました。そのあとはお決まりの“YOKO”の本を読み、歌を歌って、折り紙を教えてあげたりしました。ちなみに簡単な日本語“こんにちは”と“さようなら”も練習しました。そんなこんなで1週間、私が日本から取り寄せた同様の歌のCDも暇さえあればずっとかけていたので子供たちも自然と歌詞をおぼえたりして口ずさんでいたりしました。「む~す~ん~で~、ひ~ら~い~て~」などという声がしょっちゅう聞こえ、改めて子供たちの学習能力の高さを感じました。
Feb 11, 2007
コメント(1)
信じられないことに、この間のモンテソーリスクールでの仕事体験の日記を書いてから1年以上も空いてしまいました。でもその間も毎日ちゃんとしっかり仕事してました。夏休みも春休みも取らず、サマースクールにも出勤して毎日子供たちと楽しく過ごしました。サマースクールは主に遊びがメインで、朝の1時間ほどはモンテソーリのレッスン、または特別プロジェクト(クラフトなど)その後はお昼までずっと“水遊び”という毎日。子供たちにはあらかじめ、大きなタオルと水着、靴、日焼け止めを用意してもらい、最高の天気の中外へ2時間ほど繰り出すのでした。子供たちは水遊びが大好き。けれどその支度を手伝うのは、私たち先生にとっては、とっても大変な時でした。それぞれの子供たちにあらかじめ名前を書いた専用の袋を渡しておいたので、脱いだ服、靴は全部その中に入れさせ、決まった場所に置かせました。このおかげで、誰も自分の所持品を無くすことなくスムーズに着替えができました。大体の子供たちはもう自分で着替え、片付け、全てができたので私たちは体全体くまなくさんスクリーンを塗りたくります。日本より標高が高く、日差しもかなり強いので、特に白人の子供たちはすぐに真っ赤に日焼けして見るも無残な姿になってしまうので、ムラ無くたっぷり塗るよう注意が必要です。これに、実に時間がかかったのでした。サマースクールに来ていた子供たちは全部で25人弱、先生は2人、たっぷりと日焼け止めを手に取って、はしゃぐ子供たちを落ち着かせながらできるだけ素早く全身に塗りたくります。全員が完了してようやく外へと出れるのでした。本来なら特別にウォータースライダーが設置され、子供たちはそれで遊ぶ予定だったのですが今回は場所の都合や準備など遅れていたこともあり、始めの数週間はビニールプールとスプリンクラー、そしてホースで水遊びをしました。その数週間後、無事に大きなウォータースライダーが設置されました。これは大人でも十分滑れるくらいのもので、私も何度かチャレンジするようにみんなに言われたのですが、水着姿になることと日焼けが恐ろしく、いつも断ってました。炎天下の下、日焼け止めを片手に子供たちを見守る毎日。今となってはとても楽しい思い出です。
Feb 10, 2007
コメント(0)
長い留学生活を経て、2007年2月9日、ついに日本に帰ってきました。帰る直前は、やっぱり帰りたくないという気持ちのほうが強かったのですが、それまではずーっと日本に帰りたくて仕方なかったので、最終的には残れるように努力もせず素直に帰ってきました。日本での生活は久しぶりなので、逆カルチャーショックもあり、外に出るだけで頭がクラクラしてしまう始末。せっかくなので、私の記憶が許す限り、帰る直前までのアメリカでの出来事を日記に書いてみようと思います。
Feb 9, 2007
コメント(0)
なんと、今日になって衝撃の事実が。と言うのは、最近ずっと平和な日々が続いていたのですが、その大きな原因であったあのイアンが、私のことを大好きでいてくれた彼が、なんと、いきなり学校を辞めてしまったのです!!!理由は全く持って不明ではありますが、ただ分かっていることは彼のお母さんがもうこの学校で働かなくなったということと、彼の喘息がひどくなったと言うことのみです。これには、結構ショックでした。さよならもいえないまま、確か彼と最後に会った日(1週間ほど前)には、いつものようにお母さんと一緒に高学年のアフターケアに残っていて、帰り際に私にbyeとハグをしにきてくれた時、私もいつものように“see you tomorrow!!”と言ったのでした。それが最後になってしまうとは・・・。彼は本当に手のかかる子でわがままっだたし、一人いるだけで10人分くらいの世話を焼かせるトラブルの多い子供でしたが、でもそれなりに子供らしい面もあって、私にもすごくなついてくれていました。いつも私にたくさんの絵をかいてはプレゼントしてくれたりすなおに“I love you Miss. Ena!”と言ってくれたりもしました。こんな突然に別れが訪れるとは思っても見なかったので、切なさを感じます。彼も、彼のお母さんも色々と大変そうだったし、決して良い環境にいたとも思えなかったので、せめて学校にいるときくらいはいっぱい楽しんで欲しかったのに今彼はどこでどうしてるんでしょうか??他の学校に通っているのか、それともどこにも行ってないのか。。。他人事ながら心配です。
Feb 6, 2006
コメント(2)
今日はもうトータルで11時間くらい学校にいました。と言うのも、5時半からトレーニングがあり、どうしても出なければならないものだったので、9時から5時半までいつも通り働いて、そのまま7時半までトレーニングで学校に居残ったのです。トレーニングの内容は、フードアレルギーについて。新しく入ってきた子供たちの中に、ありとあらゆる食べ物にアレルギーのある子が何人かいて、それがかなり深刻なものだったのでそれについてちゃんと勉強しようと言うことでした。このフードアレルギーと言うもの、ただある特定のものを食べたら体に失神ができて痒くなるとか、そんな簡単なものではありませんでした。Life Thretning(命に関わる)重要なものなのです。隣のクラスのある男の子は、ピーナッツアレルギーでほんのちょっとでもピーナッツに関するものに触ったりしただけで体が拒否反応を起こしてしまい、最悪の場合は死につながってしまうと言うのです。そのため、学校では一切のピーナッツ食品を全面的に廃止せざるを得なくなってしまい、子供たちのランチからもおなじみの“ピーナッツバター&ジェリー”が消えたのでした。ほかにもコーン、チーズ、ミルク、オレンジ、ソイなどにアレルギーの子もいて、その子たちはアフターケアにもいるのでその時に出すスナックなど選ぶのにも神経を使います。フードアレルギーなどない私は、それがどれほど恐ろしいものかまだあまり理解していませんでしたが、今回のこのトレーニングでその深刻さに改めて気づきました。その治療法も気の遠くなるような話で、親の身になって考えてみればいかに大変で苦労しているか分かると思います。そのピーナッツアレルギーの子は、今まで学校などに行ったことが無く、今回初めてたくさんの子供たちがいる公の場に行くことにしたわけですが、親としては子供の命を危険にさらしていると言うことで相当の不安があると思われます。それなので私たち教育者が、みんなが安全に過ごしてゆける場所作りをしてゆかなければなりません。かなり疲れた1日でしたが、学ぶことも多かったです。何より心配だったのが、かわいそうな私の娘、11時間も一人ぼっちで家で留守番してました。デイケアは6時に終わってしまうので、どう考えてもそれまで迎えにいけないと思い、泣く泣く彼女を家に残し、お互いながーい1日のたびへと出発したのでした。
Feb 1, 2006
コメント(1)
以前の日記にも度々登場するシムカと、今日もまたいっしょにランチをする約束をしました。かなり最近ラブラブな二人です。サークルタイムのときも絶対に私と一緒に座りたがり、私の足に絡み付いてはなれないくらいの仲なのです(笑)。ところが、今日はわがままっ娘のジェイドが私と二人でランチを食べたいと言い出して、仕方なく彼と離れ離れになってしまったのです。。今日の彼女はとても機嫌が悪く、(最近はずっとご機嫌ですごい良い子ちゃんになっていた彼女でしたが!)外で遊んでいるときもある男の子に噛み付いてそれを注意した私にまで手を出してくる始末。久々に大荒れの彼女が、私がシムカの座っているところを見るや否や、「今日は私と一緒にランチを食べてくれると思ったのに・・・・!!」と、その場に泣き崩れてしまったので、「シムカとはもう何度か一緒にしてるから、今日はジェイドのことろへ行こうかね。」と言い、彼女と一緒に座ったのでした。するとたちまちご機嫌になってくれました!ほっとしたよ、ホント。途中、離れたシムカに手を振ると、やきもちを焼いて怒り出すところも可愛いと言えば可愛いモンです。ところで今日も引き続き先生がいなかったので、またもや仕切ることになった私でした。もう慣れたよ、ホント。。そういえば、クラスのとってもよい男の子の1人であるリッチーが5歳の誕生日を迎えました。みんなでモンテソーリ特有のバースデーセレモニーをして、彼の晴れの日を祝ったのでした。
Jan 31, 2006
コメント(0)
あっという間の週末も終わり、また気合を入れなおして仕事へ行くと、あれ??ミス・タマラがいないぞ・・・。サブの先生が来ていて、子供の話によるとどうやら彼女はまたもや風邪をこじらせてお休みらしい。いつか見た光景だな。。でも今日はサブの先生が一緒だからよかった!!と思ったのもつかの間、サブの先生は、「今日はそんなに子供の数が多くないから帰るわね。」と言って去って行き、教室には私と子供10人が取り残されてしまいました。と言うわけで、またもやこのクラスの主担任に昇格してしまった。朝のこの時間は、レッスンとworkが基本なのだけれど、ひとりの子供ばかりにとらわれてはいられないので、とにかくみんなに簡単なworkをさせるために必死になってしまいました。ちょっとでも目を離すとすぐに遊びほうけて何にもしない子供が出てきて、しかも先生がいないのをいいことに、しめたとばかりに好き放題の子供もいました。なので、ここは心を鬼にして子供たちを諭し、できるだけたくさんのworkをさせることを年頭において独り大奮闘したのでした。10時ちょっとすぎに、いつもお手伝いをしてくれるおばあちゃん(82歳!!)が登場して、少し楽になりました。彼女、本当に元気でしっかりしていて、とても82歳には見えません。子供を寝かしつけるとき、いつも私が独りになってしまうのでその時に一緒に手伝ってくれたり、ブレイクをくれたりするのです。しかし今日はもともと私が一人ぼっちの為、朝の10時から2時までずっと一緒にいてくれたのでした。助かりましたよ、彼女のおかげで。そしてお昼寝のあとはまた独りで大奮闘しながら子供を起こし、荷物の用意をさせ、早く帰宅する子供たちとアフターケアに残る子供たちを分けて並ばせ、私はいつものとおりアフターケアで引き続き子供の世話となったのでした。今までいろんな経験があったからこそ、こんな状況にも何とか対応できましたが、やはり主任になると言うのはとても大変なことだと改めて感じました。
Jan 30, 2006
コメント(0)
幼児教育友達の明日香さんから、初めてバトンをもらいました。ので、早速ここでお答えしたいと思います。ホント、簡単&短い内容でよかった(笑)・・・。【1.モテたって思う時期はいつ?】 小学校4~6年の間かな?若いね。幼いね。あ、今もクラスの男の子たち(平均4歳)にモテモテですよ(笑)♪【2.似てると言われた事のある芸能人は? 】 あまりない。けど、林家パー子(自分の名誉の為に言っておくと、“笑い声、笑い方が”と言う事で御願いします)、小島聖(まだいるのか?)、昼ドラ「ぽっかぽか」のあすか(子供じゃん!) など。この3人、何の共通点もありませんが・・・。【3.恋人を選ぶ時のポイントは? 】 まず絶対に、背の高い人!(希望180cm以上190未満)私も背が高い(167cm)ので、ずっとこれがコンプレックスだった為、相手の身長にはうるさくなってしまいました。あとは優しく誠実な人、約束を守る、そしてやっぱり黒髪の人に惹かれます。【4.ここぞ!という時の服装や香水はありますか?】 仕事柄上、いつも汚れてもいい服を着ているので、ここぞと言うときはスカートやブーツをメインに普段できないような格好をしてます。香水はエスカーダのセクシーグラフィティーが好き。【6.わざとデートに遅れて行った事がありますか?】 ないです!時間にはかなり正確。【7.このバトンを渡す5人は?】 もちろん、大好きな友達英子、なっちゃん(でも日記は書いていなかったかな)、最近どうしてる?の万希子、くらいかな。5人もいないわ・・・。なかなか面白かった。明日香さん、バトンありがとうございました!
Jan 29, 2006
コメント(1)
私の愛娘、タウニーに最近デイケアでボーイフレンドができたとのこと。いつもタウニーの世話をしてくれているデイケアのおばさん(リサ)が教えてくれました。彼はダックスフントで名前はWeenie(ウィーニー)。しかしその彼、毎朝私がタウニーをドロップする8時半頃はまだ来ておらず、迎えにいく6時ごろにはもういないため、残念なことに今まで私は一度も対面したことがないのです。。しかしリサの話によると、この二人はいつも一緒に遊んでいるんだそう。タウニーが、そのウィーニーのことが大好きらしいです。そして金曜日、迎えに行ったときリサが何枚か写真をくれました。ウィーニーとタウニーのラブラブ写真です。二人仲良く追いかけっこや寝そべったりしていてすっごく微笑ましい光景の数々。それではじめて彼を見ることができたのですが、タウニーの2倍ちょっとくらい大きい子でした。タウニーは、もう1歳半なのですがたったの2.5lbしかない超小さな子なので、彼女より小さい子を見たことがありません。どこへ行っても大体、一番小さい(けれど一番気が強い)ので、みんなに可愛がられていると言うラッキーな子であります。とにかくデイケアが大好きなタウニーです。私もフルタイムで働いているので家に長時間独りにしておくのは心もとなかったので、多少出費はかさみますが(涙)、できる限りデイケアに連れてゆこうと思ってます。娘の為にも仕事がんばらねば~~~~~!!
Jan 28, 2006
コメント(2)
働き始めた頃はまだ、自分でランチを用意しておらずに近くにあるファーストフードに行って毎日ランチを独り寂しく済ませていました。しかしこれが毎日となると、いくらサラダを食べていると言ってもあまり健康的ではないし、何より余計な出費がかさみます。大体1日6ドルとして、6×5で1週間で30ドル。結構なものであります。それでなくても愛犬タウニーのデイケア代もかなりのものなので、ここは一つ自分でランチを持参して少しでもお金をセーブしようと考えた結果、クラスに残って子供たちと一緒にランチを食べることにしたのです。他の先生たちは、せっかくの昼休みなのに大騒ぎの子供たちとこの教室に残っていなくても・・・と考えたらしく、色々気を使ってくれたのですが、独りで寂しく別室でランチをするくらいなら、多少子供たちに邪魔されてもここでみんなと一緒に食事をしようと決意したことを伝えました。しかも、私の昼休みのスケジュールが変わり、今まで1時からだったのが12時半からになり、まさに子供たちと同じ時間帯になったのです。だから結局は好都合でした。今日は以前の日記にも書いた“ストレンジャー”の話が大好きなシムカとご飯を食べました。彼はそれをとても楽しみにしていてくれたらしく、私がスタッフルームでランチを温めに行っている間もずっとドアの前で私の名前を叫び、待っててくれたらしい。なんて可愛いのでしょう!と胸が熱くなりました。今日はもともと子供たちの数も少なかったので、私とシムカのたった2人だけが大きなテーブルに座ることになり、シムカも「このテーブルにいるのは僕とあなただけだね。」と嬉しそうに言っていました。お互いランチマットを忘れてしまったので、ペーパータオルを代用してランチを広げました。シムカの今日のランチは、バナナ、りんご、クッキー、大きなきゅうり(笑)、ツナサンドとバラエティーに富んだものでした。私はといえば、ワカメご飯とふりかけと言う実に貧乏くさくてでシンプルなもののみ。時間のあるときはおかずも用意するのですが、最近は全然さぼり気味。しかしそんな私のランチにも彼は興味心身で、あれこれと質問をぶつけてきました。特に私の使っている箸が気になったようです。そして自分も箸を持っていると言うこと、自分の部屋は2階にあって、クローゼットがついている、お母さんはお金を持っていないけれどお父さんはたくさん持っている、そして弟のことなどを話してくれました。しかしあまりにたっくさ~んのお話をしてくれた為、彼の食事は全然進んでおらず、30分近くたっても未だにりんごしか食べ終わってませんでした・・・。「もうお片づけの時間になっちゃうから、もっと食べな。お話はその後でまた聞かせてね。」と諭しましたが、それでも一生懸命いろんな話をしてくれました。本当に可愛いんだ、これが。そして私が食べ終わり、ブレイクも終わったのでまた仕事に戻るときに、「Miss Enaが終わっちゃったら、僕は独りになっちゃうよー。」と言い笑っていたのでした。なんとも微笑ましいランチタイムでありました。
Jan 27, 2006
コメント(0)
金曜日は、前にも言ったように、なぜか子供の人数も少なくて他の日に比べると楽に感じられる日であります。今日のアフターケアの時は、昨日話し合ったように注意深く子供の話を聞いて、何か問題が起こる前にそれを防ごうと心に決めていました。特に問題をよく起こす子供たちを中心に、付いて回ろうと思ってたのですがアフターケアの子供たちを集合させてみて驚きました。今日はたったの15人しかいなかった上に、あのベンが残っておらず、平和な環境となったのです。イアンはいたので、彼を中心に見張り、ちょっとうざったいかと思うくらいに彼の後をついて回りました。今日は大好きな親友、アレックスが一緒だったので、ずっと二人して遊んでいました。アレックスと遊んでいるときは本当に楽しそうで、問題を起こすことも今のところないのですが、それでも万が一のことを考え、彼らの後を付きまとう私。しかしこれが正解でした。彼らは、銃や爆弾ごっこをして遊ぼうとしていたのです。なのですかさず私が、「銃や爆弾ごっこはしてはいけないの、知っているよね~?その代わりに、スパイダーマンやスーパーマンごっこでもしたら?」と言うと、イアンは「イエス!そうしよう、僕がスーパーマンになるよ!!」との好反応を見せたのです。それからは二人とも平和に遊び、アレックスが帰ってしまった後でもイアンは他の友達と仲良くやっていたので、ほっとしました。彼の良い行いは、たとえそれがどんなに小さなことであろうと、私はわざわざ誉めることにしています。「I like the way you play nicely with your friend!(他の友達と仲良くやっているのを見て、嬉しいな!)」「Thank you so much for doing your work quietly!(静かにお仕事してくれて、どうもありがとう!)」「You are such a great helper for your friend!(あなたは友達のビッグ・ヘルパーだね!)」 などなど。特にいつも怒られてばかりの彼なので、もっともっと良いところをたくさん見つけ、“誉められて伸びる”を徹底してゆこうと思っています。私が誉めたときの、彼の嬉しそうな誇らしげな顔を見るのが私の楽しみのひとつです。
Jan 20, 2006
コメント(0)
アフターケアとは、通常の学校が終わる3時以降も、ケアが必要な子供たちの為の時間です。私はこの役目に抜擢されているので、5時半まで、大体いつも20~25人の子供たちと遅くまで残っています。この時間は、先生は私ともう1人の女の子の2人のみで子供の世話をしているので、なかなか大変であります。そして今日は特に、たくさんの子供とトラブルの連続でした。外のプレイグラウンドについて早速、一人の男の子、ニコラスが泣きながら私に、「ベンがパンチしてきた。」と訴えてきました。ベンはいつも他の子供をたたいたり、蹴飛ばしたり、押したりしてなぜか意地悪なことばかりを繰り返す男の子です。何が彼をそうさせるのか、さっぱりわからないのですが今回も早速やってくれたようです。「またか・・・」そう思ってベンの元へ向かいました。自分が怒られると知ったベンは、早速逃げ回り、狭いタイヤの奥底へと隠れてしまいました。他の子供たちが一生懸命彼の居場所を教えてくれ、私と一緒に彼の元へ向かいます。タイヤに隠れたベンは、私が出てくるように行っても全く言うことを聞かず、グラウンドの藁をつかみそれをみんなにめがけて投げつけてきました。私は、「一体ニコラスと何があったの?彼が私に、あなたにたたかれたって言ってきたけど、何でそんなにmadになってるの?もし何か嫌なことがあったら、手ではなくて言葉を使って相手に伝えなきゃダメだよ。それでもまだダメだったら、私のところに話に来ること。そうしたら、私がヘルプしてあげられるからね。だから、すぐに他の友達をたたいたりしたら絶対にいけないよ。ニコラスは悲しんでるでしょ?私はもう2度と、誰からも、ベンにたたかれた、とか言う話は聞きたくないよ。分かった??」と彼に言いました。するとベンも、タイヤの奥底から、「分かった。」とうなずいていたので、ニコラスに、今はベンから離れているようにと伝えました。その後、パムが私の代わりに外に来てくれ、私は掃除機をかけに教室へ戻りました。それが終わって外に戻ろうとした時、今度はイアンが何か大変なことをしでかしたらしく、プリスクールのディレクターの先生と、イアンのお母さんと話し合いをしていたのです。後から聞くと、外で遊んでいるときに他の男の子と喧嘩になった彼は、“言ってはいけない言葉”を大声で叫んだらしいのです。これはかなり深刻だったらしく、すぐに話し合いの場がもたれたのでした。その後また、ベンがそのディレクターの先生に呼び出され、かなり長い間話をされてました。また性懲りもなく、他の子供をたたいたらしいのです。その後、私たちスタッフも今日の出来事について、これからどのようにしていったら良いのかなどを話し合いました。まず、もしこういった暴力沙汰が起こってしまったら、まず両方(被害者、加害者)の話をよく聞き、一体何が起こったのかを明確に知る。周りの子供の話も聞いて、それによって対処の仕方も変ってくるというのです。でも、まずそういったことが起こらないように、子供たちを監視している間はできる限り動き回り、子供たちの話を聞きながら様子を見ながら、未然に防ぐことが大事だと言うのです。これが結構大変な仕事で、特に今日のように子供が多い日は、2人で監視していても、次々にトラブルが起こります。でも、ペアレントを巻き込んだ大事になってしまったら私たちの責任でもあるし、ここはアメリカ。訴えられでもしたらもう二度とこの国の土が踏めなくなってしまうので、そんなことが起こらないようににこれからもっと気を使って子供たちの成長をサポートしてゆかなければ、と思いました。
Jan 19, 2006
コメント(0)
今日朝起きると、何となく外が明るい気がしたので、「今日は晴れか!!」と思ってブラインドを開けると、大雪でした・・・。久々のすごい大雪。もうすべてが積もりだしてました。私の車も雪に埋もれていたので、今日はいつもより早めに家を出ました。タウニーをデイケアに連れて行く途中、車のタイヤが雪に取られ、赤信号で止まろうとしたのにそのままツルツル~っと前へ。幸い、前に何も車がいなかったので誰にもぶつかることなくセーフだったのですが、一歩間違えば事故るところでした。だから雪の日の運転はだいっ嫌い!私のタイヤはスノータイヤでないので、よく滑るのです。こんなことなら早いうちにタイヤ変えておけばよかった。今週末でも行ってこようかな。本当に事故に遭う前に・・・。いつものように9時ちょっと前に教室に入ると、たったの4人しか子供がいませんでした。みんな雪で遅れているらしい。先生もたった今到着した、といってました。そしてそのまま時間は流れ、結局15人中9人しか集まりませんでした。ランチ前になってまた2人子供が帰り、昼寝の時間はたったの7人のみ。しかもいつも手のかかる子供たちが、今日はゼロでした。雪の日は大嫌いだけど、たまにはこんな日も悪くはないなと思った1日でした。
Jan 18, 2006
コメント(0)
今日は朝からいましたよ、イアンが。3日ぶり(連休)に彼の額を見ると大きなあざと、血の後がくっきりと残っていたので、一体どうしたものかと聞いてみると、飼い犬に思いっきり飛びつかれて噛み付かれたとのこと。イアンはボクサーのミックスの犬を飼っていて、学校によく連れて来られて、車の中で待たされているのを見ていたので、どんな犬かは知っています。でもいつも車の中から思いっきりほえているので、この犬好きの私でもちょっと怖いと思ってしまうような、大きくて凶暴な犬です。とにかく、この犬に噛まれてしまったらしく、かなり痛々しい姿でした。しかし、彼はいたって元気いっぱいで、今日も思う存分クラスを乱してくれました!!特に昼寝の時間、全く寝てくれないどころか一人で教室中を歩き回り、大きな音を出してみんなを起こしそうになり、しかも全く言うことを聞いてくれない・・・。「残念だけど、ママとお話しなきゃならないね。」と言うと、一瞬だけ効果があるのですが、それでもぜんぜんダメ。なので、今日は特別に隣のクラスに送り込まれ事なきを得ました。そんな彼にも親友ができ、(新入りの男の子、アレックス←ジェイドの愛すべき彼でもある)お互いを"friend!"と呼び合っています。アレックスと一緒にいるときは、実に楽しそうでこっちも安心してみていられるほど仲良く遊んでいます。しかし、ひとたび彼がいなくなると大変なことになってしまうのです。こうして平和は終わり、また大忙しの日々が始まりました。がんばらなければ・・・。
Jan 17, 2006
コメント(0)
もうかなり前の話ですが、面白いことがあったので番外編で残しておきたいと思います。私のクラスに、シムカと言う名前のと~っても可愛い男の子がいます。そして彼には一つ年上のお兄ちゃん、レイブがいて、この二人はアフターケアまでいつも残っているので、1日の長い時間私と一緒にいます。彼らはいつもお父さんが迎えに来るのですが、いつも話しているときにすごいアクセントが強く、子供たちの名前も珍しいので、きっと違う国の出身の人なんだろうとずっと思ってました。ある日、兄レイブに聞くと、やはり両親はロシア出身だと教えてくれました。なるほど、何となくそんな気はしていました。それは特にこれから書く話とは関係ないのですが、ある日のアフターケアのこと、5時を過ぎた頃、めずらしくシムカとレイブと私の3人だけ残ってしまいました。すると何がきっかけだったのか、ストレンジャー(知らない人)の話になり、彼らが一生懸命それについての質問を私にぶつけてきたのです。レイブ:「もしストレンジャーが迎えに来たらどうするの?」私:「ストレンジャーが来ても、絶対に一緒について行ったらいけないよ。いつもお父さんが迎えにくるんだから、絶対にお父さんとだけ一緒に帰るんだよ。」レイブ:「もしストレンジャーが無理矢理引っ張ってきたらどうするの?」私:「もしストレンジャーにつかまれたら大声出して逃げなきゃね。でもストレンジャーが迎えに来ても、先生(私)がちゃんと見張ってるから、そんなことは起こらないよ。それが私たちの役目だからね。」シムカ:「でも先生がもし死んじゃったら?」私:「先生はそんな突然に死んだりしないから大丈夫だよ。万が一死んだとしても他にたくさん先生がいるから大丈夫。」レイブ:「もしダディと手をつないでいても、気づいたらストレンジャーの手をつないでいたらどうするの?」私:「それは怖いことだね。でもちゃんとダディだと確認して、ずっと一緒にいるようにすればそんなことは起こらないと思うよ。」レイブ:「でももしストレンジャーが銃を持ってて、教室の窓を突き破ってきたら?」私:「それもまた、考えたくないほど恐ろしい話だね。そしたら警察にすぐ連絡しないとね。」シムカ:「ストレンジャーがおもちゃをくれるって言ったらどうするの?」私:「たとえそれが欲しいものだったとしても、絶対に知らない人に付いて行ってダメだよ。知らない人とは話さないこと!!」レイブ&シムカ:「でももしストレンジャーが・・・(永遠に続く)」彼らの質問は延々と、お父さんが迎えに来るまで続きました。次から次へと、ストレンジャーに関しての質問をぶつけてくる二人。だんだんと質問の内容もエスカレートしてきて、私も答えに戸惑いまくりました。でも最終的に、「知らない人が話し掛けてきても、絶対に話さない、ましてや絶対について行かない事!!」と言うことで、締めくくりました。それから数日間、彼らは私の顔を見るたびに、ストレンジャーについての話をず~っとしてきたのでした。疲れたよーー。
Jan 16, 2006
コメント(0)
ジェイドは今4歳で女の子だけれど、と~ってもわがままでかんしゃくもち、いつもみんなの手を焼かせている子供です。彼女は、午前中は他のクラスにいるのですが、お昼、昼寝、アフターケアまではずっと私と一緒です。昼寝から起きると彼女は、ものすごい機嫌が悪く帰りの支度をしたがりません。これはいつものことなので、もう驚くことではないのですが、今日は久々に寝起きの良い彼女。みんなと一緒にアフターケアに向かいました。その時のできごとです。どうやらジェイド、うちのクラスの新入りの男の子、アレックスに恋をしてしまったらしいのです。外で遊んでいるときもずーっと一緒で、アレックスについて回り、手を握り、話そうとしません。私が、「二人とも仲良いのね。そうやって仲良く友達と遊んでいるのを見て、私はとてもハッピーよ。」と言うと、ジェイドはすかさず、「私たち、結婚するの!」といい、そのまま無理矢理アレックスの首に巻きついて唇にキスをしたのです。アレックスは、特に嫌がるわけでもなく、でも自由に動き回っています。その後をジェイドがずーっと追いかけ、手をつないだままどこでも一緒。この調子でずっと二人はくっついたままだったので、私は一緒に働いている女の子にこの事を報告しました。そして私とその女の子が見守る中、隙さえ見ればずーっとひっついたり、キスをしている二人・・・。私たち二人は、その大胆なジェイドの姿に大笑いでした。ジェイドも、私たちに見られていることを知っていて、わざとそのアツアツぶりを見せ付けてくるのです。それからしばらくして、アレックスのお父さんが迎えにきて、ジェイドはもちろん大声で「I love you~~~!!!」と叫びながら彼を見送っていたのでした。これからの彼らの恋物語に注目です。それにしてもなんてませているんだろうか・・・。
Jan 12, 2006
コメント(2)
今日はようやく水曜日。朝もいつものように早起きし、ランチの準備をし、タウニーをデイケアに連れてゆく。そして9時ちょっと前に教室に到着すると、いつもより平和な雰囲気が漂っていました。「??」と思ってよく見てみると、いつも大騒ぎでやりたい放題のイアンがいなかったのでした。彼が一人いないだけでこんなにも平和になれるものか、と思いつつ、スナックの準備に取り掛かりました。スナックの準備のときは、2人子供に手伝ってもらう(ヘルパー)のですが、選ばれる子供は“ちゃんと静かにworkをやっている子供”と言うことになっています。しかし、イアンがいると毎日必ず頼んでもいないのに(笑)絶対にヘルパーになりたがり、しかもヘルパーと言うよりはこれまた私の話を聞かずに好き勝手やってしまうので大変です。ところが今日は、他の子供を平和に選ぶことができたのでかなり楽でした。その後のworkの時間も、誰も大騒ぎをする子がいなかったので長い2時間半が実に平和に過ぎてゆきました。水曜日は毎週、ライブラリーと言って、時別な先生が本読みをする時間が設けられていて、その時にイアンのお母さんに出会ったので(彼女は他の学年でアシスタントをしている)、「イアン、今日はどうしたんですか??」と聞くと、朝少し具合が悪く、首の筋を違えてしまったらしい。でもこの後1時に戻ってくるわよ、と言われ、正直「ひえっ」となったのは確かです。イアン、ごめん!彼はハイパーだけど機嫌の良いときはすごいスウィートで私のことも大好きでいつも「I love you, miss. Ena」と言って抱きついてくれるのですが、我侭放題になってしまうと言うことを聞いてくれなくなるので本当に困ってます。他の子供に危害を加えることも多いので、彼がいるときはいつも神経を使います。この平和な日々が長く続かないことを知りながら、つかの間の平和を楽しんだ私です。
Jan 11, 2006
コメント(0)
2週間の休みを経て、またまた仕事に戻ってきました。あのだらだらした生活から、またフルで働くと思うとちょっとげっそりしたけれど、このままずっと何もしないままだったら余計に疲れると思うので気合を入れなおして学校に出陣しました。朝も早く起き、まずタウニーをドギーデイケアへ。久々のデイケアに、タウニーもちょっと興奮気味。いつものお婆さんチワワ、トリーナがまたすぐにタウニーを迎えてくれ、二人してささっと仲良く寄り添い歩く姿を見て、ほっとしたのでした。このトリーナは、もう12歳で、さすがお婆さんだけあってタウニーにもとても優しくしてくれている様子。いつもは他の犬に怒ってばかりの困ったチャン、タウニーも彼女だけには絶対逆らわないのです。タウニーの姿を見届けてからいよいよ学校へ。教室に着くと当たり前だけれどいつもの面々が揃っていて、プラス新しい男の子が入っていました。新しい子供が来るとやはりどんな子か知るまでは結構緊張するのですが、今回入ったその子は、今日1日で見る限りは良い子でした。そして今日は、いつもより多めに子供たちからたくさんの絵をもらい、大量の紙と共に帰宅することになりました。これからまた、がんばろうと思います!
Jan 9, 2006
コメント(1)
アメリカ生活5年とちょっとにして今日ついに、あることを初体験しました。それは・・・、“アメリカの美容室に行く”と言う事です。こっちに住んでいる日本人ならほとんどの人が、アメリカの美容室、ヘアカット技術の悪評を聞いている事と思います。それは、アメリカ人に髪の毛を切ってもらうと変になると言うことのみです。理由としては、こっちでは日本よりはるかに簡単に美容師になれてしまうということや、ましてや免許がなくても人の髪を切ることができるらしいです。また、“日本人(アジア人)の髪の毛はアメリカ人とはぜんぜん質が違うので、切るのが難しい”と言う理由も。過去にもかつて数人の勇気ある友人たちがアメリカでのヘアカットに挑戦しては哀れな姿で戻ってくる、と言うことを何度か見ていたので、周りの誰もがそこまでハイリスクを犯してまでアメリカで髪の毛を切ろうとは思わなくなっていったのです。大都会であれば、日本人のスタイリストがいたり、トップスタイリストなどがいると思うので、彼らに任せていると思いますが、私の住んでいるような田舎ではそんな人達はいないので、余計恐ろしいことです。私も今までずっと年に2回日本に帰っていたので、それまでの辛抱と言うことでこっちで髪を切ろうとは思っても見ませんでした。去年の夏は珍しく日本へ帰らなかったのですが、6月頃友達4人とSFの日本人がやっている美容院へ行き、集団で髪を切りに行きました。しかしそれっきり、冬も帰らなかったので既に半年以上が過ぎてしまい、私の髪の毛はだんだんと爆発し始め、もうついに我慢できなくなってしまったのです。というわけで、“今より悪くはならないだろう”と言う思いのみで、近くで見つけた雰囲気のよさそうなヘアサロンに勇気を出して予約を取ったのです。つくとすぐに私の担当のお姉さんが出迎えてくれ、思ったより丁寧にシャンプーなどをしてくれたので、まずほっとしました。言葉で言ってもうまく伝わらないだろうと思ったので、あらかじめ用意しておいた雑誌の切抜きを見せてから、簡単に説明を加えました。お姉さんはとっても明るいいい人で、その写真を見て「あら、可愛い髪形だわ!あなたに似合うと思うわ!」と言ってくれ、素早い手つきで私の髪の毛を切り始めました。こっちでは髪の毛をすく、と言う技術がないと聞いていたのですが、初めに「髪の毛が多いのですいて下さい。」と言っておいたせいもあって、軽い感じに仕上がりました。最初にあまり期待をしていなかったせいか、思いの外良い仕上がりに満足です。夜になって友達に更に髪の毛をすいてもらい(結局・・・ですが。)、更に良い感じになったのです。これでもう半年も待たずにまた気軽に髪の毛を切りに行けるな、と思い安心しました。
Jan 5, 2006
コメント(1)
クリスマスあたりからずーっと、悪天候が続いておりました。学校は2週間のバケーションに入ったので、久々にゆっくりさせてもらってます。久しぶりに色々出かけたりしようと思っていたのですが、この悪天候と金欠で結局たいしたこともできないまま、1週間が終わってしまいました・・・。しかし今日ついに、久々の太陽が!やっぱり天気のいい日は気分もうきうきしますね。タウニーもぜんぜん散歩に連れて行ってあげられなかったので、今日こそは!と思っていたのですが、、、、昨日降った大雪が、完全に固まってしまってます。さすがにメインの大通りなどは雪かきされていますが、そこらへんの道はもうツルッツル。危なくて下手に歩く事ができないようです。私、よく転ぶので、あの硬いコンクリート+アイスの上にすってんころりんと行ってしまいそうなので、ちょっと外に出るのが怖いです。車もタイヤがよくすべるので運転も怖そうだけれど、そんな事を言っていたらどこにも出かけられない!引きこもりの生活はもう嫌なので、勇気を出して出かけてみようと思ってます。事故りませんように・・・・。ところで、もうアメリカも1月3日。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。もう2006年なんて早いですね。今年も良いことがたくさんありますように!!
Jan 3, 2006
コメント(0)
今日はちょっと番外編で、お昼寝の時間について書きたいと思います。モンテソーリのプリスクールでは、ランチが終わったあと、大体1時から2時半までをnap/rest time (お昼寝・休憩時間)に当てています。本当ならば、ここが一番先生にとってリラックスしてほっとできる時間なのでしょうが、私にとって、1日で一番疲れる時間なのです。まず第一に、寝てくれない子供が多い!と言うこと。寝れる子は自分でマットの上に行き、そのまま寝転がっているだけでいつのまにか寝てしまっている、と言うパターンなのですが、そういった子供はクラスに2~3人くらいしかいないので、あとはもちろん、一人一人背中をさすり、寝かし付けるしかないのです。そのときの私のミッションはまず、“このまま起きていたら大変なことになってしまうであろう”子供たち数人を重点において、その子供たちから寝かしつけることにしています。しかし!そのマットの上に寝かす(横たわらせる?)と言う作業だけでも苦労を要します。もちろん子供たちは寝たくないので教室中をうろうろ。次から次へといろんな物を引っ張り出したりして遊び始め、ちっともマットの上に来てくれないのです。ようやくマットの上に戻したところで、素早く行動を開始します。ブランケットをかぶせ、そのまま背中をさすりまくります(笑)。そうすること数分(長い子で20分ほど要します)、要約うとうとし始めるので、ここで一気にラストスパート!さらに優しく背中をさすります。一度眠りについてくれれば、もうよほどの大きな音などしない限り、みんな起こすまでぐっすり寝ててくれます。いつも絶対寝ない子供2人を除いては、大体うまくいけば全員2時半まで寝てます。しかし更なる憂鬱はこの、お昼寝終了後なのでした。やはり気持ちよく寝ているところを起こされるのは、誰も良い気分ではありません。それは子供たちも一緒で、大体の子供たちは起こされるとびっくりしてしばしの間ボーっと放心状態。それならまだいいのですが、毎回必ず機嫌が悪く怒り出してしまう子がいるので、いつも困ってます。最近ではもう慣れたので、まず先にそういった子供たちを起こして時間を与えるようにしてるのですがもっと良い方法を思いついたので、それを実行中です。それは、まだ眠っている間に靴を履かせてしまうことと、起こすとき、他の子供たち(特に彼らと中の良い子供たち)に起こしてもらうこと。その方が、子供も起きた直後に友達を見て笑顔になることが多いのでした。でもたまにそれでも怒られて、とばっちり受けてしまった友達もいるので、この効果がいかなものかはまだ、検討中です。
Dec 29, 2005
コメント(2)
来週から2週間、冬休みに入るということで、今日金曜日は一応面目上はハーフデイ、午後1時には学校は終わりということでした。じゃあ私も早く帰れるのかと思い、ちょっとウキウキしていると先生から、「プリスクールは関係ないのよ。だからアフターケアも普通にあって5時半まで残る子供もいるのよ。」と。なのに先生は1時半頃涼しい顔で「Happy Holiday!」といって帰ってゆきました。がっかり。私はアフターケア担当。。でも帰れる子供は1時ごろ帰ってゆき、後はいつもより少ない子供たちが3時まで、そしてアフターケア組が5時半まで、結局いつもと変わらずでした。しかし時間が経つに連れて、いつもより確実にみんな早く帰っていきます。いつもは最後まで残る子供も、今日は早めのお迎えが来ていて、これなら少し早めに帰れるかな~?とまた余計な期待を。しかしこれが甘かった・・・。いつもはアフターケアにいるはずの無いサラが、今日はなぜかアフターケアにいて、しかもお迎えがなかなか来ない・・・。他の学年の先生たちも、もうとっくにいなくなっていて、そうこうしているうちに私のクラスに2人ばかり高学年の女の子たちが送り込まれてきました。そのうちの1人の子はすぐに帰ったのですが、その後、取り残された女の子が不安になってしまい、泣いてしまったのです。時間はもうすでに5時15分頃を回っており、学校全体には私とサラとその女の子のみ。このまま迎えが来なかったらどうしようと私も不安になりつつ、その泣いてしまった子をなだめました。サラは何にも気にしていない様子で、相変わらずのやりたいほうだい(笑)。そして5時20分頃になってようやくその女の子のお母さんが登場しました。一安心し、サラのお母さん(この時点ではお母さんがいつも迎えに来ていたので)を待ち焦がれていても、一向に現れる気配がありません。そして5時半。待ちきれなくなったサラと外へ飛び出し学校の入り口を見ていると、1台の車とライトが見えました。サラに、「あれ、お母さん?」と聞くと、「ママじゃない!ママの車じゃないよ!」というので、いったい何者かと思っていると、突然、「ダディーだ!」とサラ。しかもサラ、お父さんを見るとはしゃぎだし、「お父さん、嫌いだよー。やだよー。」と言いながらあっちこっち走り回り、それを追いまわす私。ようやくお父さんの登場でした。しかし父さん、なぜか車を入り口のドアぎりぎりに止め、トランクを開けます。そして学校に入ってきて、「リザード(とかげ)を持って帰らなきゃならないんだけど、どこにあるか分かるかい?」と聞いてきました。トカゲのことなんて何も知らない私は、「とかげ?でもなんか生き物ならその辺に置いてあるのを見ましたけど、その探しているとかげがどこにあるかは分からないですねー。」と答えました。そしてそのまま父さんは、どこからかものすごい大きな水槽を探し出し、その中には巨大なトカゲが2匹も入ってました。その水槽を懸命に持ち上げて、車まで運ぼうとするのを、私もただ黙って見ているわけには行かないのでドアを抑えたり、大慌てで手伝う羽目に。その後、これまた大きなライトなども持ち帰り、「もうこれで必要なものは無いですかね?」と聞くと、「もう無いよ。」と父。これでようやく安心してタウニーのデイケアに彼女を迎えに車を飛ばしたのでした。タウニーも6時までにピックアップしなければならないので、ギリギリでした。
Dec 23, 2005
コメント(0)
前日(水曜)は、突然謎の奇病に襲われてしまいダウン。学校もお休みさせてもらいました。後にこの病気は、今子供たちの間で流行しているものの一つということを知りがっかり。何で私の体はこうもいつもどうでも良い“流行”というものに敏感で、いち早くそれをキャッチして波に乗ってしまうんだろう・・・。子供に関わり、子供と働き始めてから今まで何度もそういった“流行風邪”のようなものをもらい、苦しい思いをしてきました。でももう5年目だし、いいかげんに免疫もできてきたのでは??と思ってたけれど、やっぱりまだまだ流行をキャッチしてしまう悲しい我身でした。今日もまだ完璧に具合が優れないけれど、これ以上職場にも迷惑をかけられないので無理矢理出勤してきました。今日は、本来ならば昨日からやるはずだった折り紙を子供たちに教えることから始まりました。クリスマスに向けて、お父さん、お母さんに子供たちからのプレゼント、ということで私の折り紙に白旗が上がったのでした。ここで、以前に母から贈ってもらったいろんな色や柄の可愛い折り紙たちがまたもや大活躍しました。以前も教育実習の時に、彼女からの折り紙などの援助品が大活躍をしたのです。感謝、感謝!まず私のクラスからはじめ、他の2クラス、計50人ほどの子供たちと一緒に折り紙をしました。でもまだまだプリスクールの子供たちには難しすぎるので、まず自分の好きな折り紙を選ばせ、何を作りたいかを聞き、後は私が折るのを所々手伝ってもらいました。その後に自分で名前を書ける子は書かせ、ラッピングをして出来上がり。どの子もみんな楽しんでくれて、何個も違ったものを作りたがっていましたが、時間も無いので一人1つづつしかできませんでした。でもまだまだ折り紙は残っているので、また別の機会に子供たちに作ってあげたり作らせてあげたりしようと思ってます。
Dec 22, 2005
コメント(0)
今日はウォーカーが居なかったので、昨日に比べると少しは楽に思えた日でした。しかし朝からイアンは大暴れで、やりたい放題のわがままっぷりを発揮して私たちの手を焼かせていました。彼は何でも自分の思い通りにならないとすぐに泣き叫ぶので、またいつものごとく、「もし何か嫌なことがあったら、叫ぶのではなくて、何がしたいのかちゃんと言葉を使って相手に伝えてね。」という教えを繰り返し、そのあとはちゃんと他の子に言葉を使って気持ちを伝えていました。イアンは何かして欲しいときには“Please”、何かしてもらったら必ず“Thank you”と言えることに気づいたので、それについてもたくさん誉めて彼の良いところを伸ばすように努力しているところです。金曜はなぜかアフターケアも含め、子供の人数がいつもより少なく、他の日に比べるとだいぶ楽です。でもやっぱり5時半ぎりぎりまで双子の女の子が残ってしまい、早く帰れると言うわけにも行かなかったのが残念です。その双子の女の子は台湾人で、前の日記にも書いたプリシラと、妹の名前がゾーイというのですが、これがまた二人双子ならではか、いつも二人仲良く遊んでいる半面、しょっちゅう言い争いをしてたりもします。それがまた見てて微笑ましくもあるのですが。とにかく、彼女のママが5時半ぎりぎりに小走りでやってきて、私もついに帰れるぞーと、彼らとほぼ同じに学校を出たのですが、そのとき後ろから「せんせーい!待ってー!」とプリシラ(多分、予想ですが)が追いかけてきて「ハグしてー」と言い、続けてゾーイも一緒になり追いかけてきて、そのあと二人揃って「バイバーい、先生!」と手を振っていたのが、とても可愛かったのでした。
Dec 16, 2005
コメント(1)
今日は朝からずーーーーーっと、イアンではない、もう一人の手を焼かせる男の子、ウォーカーがいつものごとく言うことを聞かず、朝からクラスをめちゃくちゃにしていました。何度も先生にしかられても、ぜんぜん聞く耳持たずで同じ事を繰り返し、もちろん私の言うことも聞くはずがありません。クラスはそんな彼に振り回され、昨日よりも大変な雰囲気でした(昨日は不幸中の幸いで、ウォーカーは居なかったのです。)そのまま午前中は過ぎ、ランチ前にプレイグラウンドに遊びに行ったのですが、今日もまたものすごく寒くて死んでしまうかと思ったほどです。しかも私としたことが、命の手袋を忘れてしまったのです。こんなにも寒いと、手袋がない剥き出しの手は、外に出て5分もしないうちにあっという間に感覚がなくなってしまいます。あれだけ言ってもまだ手袋を持ってきていない子供たちのほうが多く、彼らも凍える手が痛すぎてすぐに泣き出すのでした。昼寝の時間は私一人ぼっちなのですが、その時も“絶対寝ない子供”の異名をとるウォーカーはもちろんいつものごとく寝るはずもなく、ずっと物音を立てたり自分のマットの上と教室をうろうろしはじめました。それに加え今日は、いつもだったら寝てくれるイアンまでちっとも寝ようとせず、最強の二人組が揃いも揃ってお昼寝をサボり、他の子供が寝ているときに騒ぎ出すと言う悪夢の自体を作り出してしまったのです。何度も静かにするように注意し、二人を別々に遠ざけたりしたのですが、それも長くは続かづに二人で騒ぎ始めました。そのおかげでいつもよりどっと疲れが出てしまい、アフターケアの時間のときは死んでました。。。
Dec 15, 2005
コメント(0)
今日はなんと、私のクラスの先生が週末からずーっと風で寝込んでしまっているらしく、休みでした・・・。教室に入ると、隣のクラスのアシスタントのパムがクラスにいたので、ほっとしたのですが、彼女は私を見ると、タマラ(先生の名前)がいないことを告げて、すぐに隣の部屋に戻ってしまいました。そこから私のいきなりHead Teacher (主先生)の1日が始まってしまったのでした。朝はずーっと教室でwork(お仕事)なので、子供たちが全員ちゃんと何かしらやっているかを確認する為に部屋をぐるぐる見回りました。しかしやはり集中力の続かない子、他人のworkにいちいち手出しする子、出したものを片付けない子、なかなか自分のworkが見つけられずに教室をうろうろする子、大騒ぎする子、などで大混乱に。モンテソーリでは静かに大人しく行動する事が重要なので、クラスが大騒ぎになることが一番良くないのです。何度「みんな、静かにしようねー。」と言ったことか。そして10時になり、天の助け!いつもは隣のクラスにいるおばあちゃんのアシスタントが私のクラスに来て、助けてくれることになったのです。彼女は見た目はもう70くらい行っているのではないでしょうか。とても優しいおばあちゃんなので、みんな大好きなのです。私も彼女が来てくれて本当にほっとしました。彼女のほうがここで働いている時期は長いので、分からないことがあれば聞いてみたり、助けにもなります。おばあちゃんはそのまま2時までいてくれ、そのあとはまた独りぼっちになってしまいました。実は1時から2時半まではお昼寝タイムで、その時は何人か起きている子もいてもまだどうにかなったのですが、そのお昼寝タイムが終わってからが、1日のうちで1番大変な時間でもあるのです。普段大騒ぎしていて、寝ないと大変なことになってしまう子供たちを中心に順番に寝かしつけることに成功!我ながらでかした、と思います。そこまでは良かったのですが、クラスで3人ほど、本当に寝起きも寝付きも悪い子供たちがいて、起こそうとすると例のごとく機嫌が悪く叫ぶのです。。そして起きたがらず、ずっとマットの上にいて動こうとしないのですが、3時になったらみんな自分の荷物を用意して整列しなければならないのです。なので、その寝起きの悪い子達をなだめるのがどんなに大変だったことか・・・。その子一人を待っているわけには行かないので、できるだけみんながみんな同じ時間に用意できるようにしなければならないのです。普段は私も含め、3人ほど大人の人たちがいて、手早くできるのに、今日は私1人だけです。私は更にアフターケアの係でもあるので、他のクラスの子供たちもまとめてプレイグラウンドに連れて行くという役目もあり、残された子供たちの行方も、誰も何も言ってくれなかったので、隣のクラスの先生に慌てて託したりと、もう想像を絶する忙しさだったのです。その後はどうにか、他のクラスからまたヘルプが来てくれ難を逃れたのですが、その人もその人手他にやらなければならないことがあり、ほとんどそこには居なかったのですが、もうここまで来たら怖いものなしです。改めて、今までのデイケアでの経験や、教育実習での経験が本当に役に立っているなあと思いました。自分ひとりで大勢の子供をコントロールする(年齢はばらばらではありますが)事に慣れていたので、突然の事態にそこまでパニックにならずにすんだのが何よりでした。アフターケアの時、ちょっと嬉しい出来事があったのでここに記しておきます。以前の日記にも書いた、クラスで特にサポートの要る男の子が居ると言うことを書きましたが、その子のお母さんも他の学年でアシスタントをやってるのですが、今日教室にやって来て私に、「イアン(彼の名前)がすごいあなたの事好きなのよー。いつもその話ばっかりしていて、初めはあなたの名前がわからなくて何のことを言ってるんだかさっぱりだったんだけど、最近ようやく新しい先生(私)の事を言ってるんだって分かったのよね。」っと言ったのです。彼は性格的に本当に大変だけれど、毎朝クラスに入るたびに一番に飛んできてくれる子なので、そのことを彼女に伝えておきました。私はまだまだ新しいと言うこともあって、なぜか普通の子供たちよりも多少サポートの必要な子供たちにすごい好かれています。休み時間にプレイグラウンドに行くと、他のクラスの子も含め、そういった子供たちに囲まれるので、嫌とも言えずに(笑)彼らとずっといることになります。その分彼らが度々問題行動を起こしたりしたら、私がケアしなければならないので、何となく“飛んで火に入る夏の虫”って感じで、余計な苦労を買って出ているような気もします。パムなどには、「彼らを甘やかさないでね!」って言われてしまいました。でもずーっと私の手を握ってくるのでどうしようもありません。またたくさんの子供たちが私と手をつなぎたいが為に喧嘩になってました(疲)。私が思うに、もしこういった子供たちをうまくサポートしたいのであれば、彼らの行動を厳しく非難する前に、まず仲良くなっておいたほうが良いのではないかと思うのです。甘やかすのではなくて、向こうがちゃんと心を開いてくれる関係になれるようにする。そうすれば、彼らもよりよく私の話を聞いてくれるのではないかと思ってます。
Dec 13, 2005
コメント(0)
今日が正真正銘、最後のマイケルのベビーシッターでした。私がモンテソーリでの仕事をGETしたのと同時期に、彼らはメキシコクルーズと言う長く優雅なバケーションに出ていて、先週の金曜に戻ってきたばかりなのです。仕事が決まったときに、今日が最後になってしまうと言うことを伝えておいたので、学校のファイナルもあることだし、今日はモンテソーリをお休みさせてもらいました。明日からは毎日働き詰です。久々に会ったマイケルは、私のことを少し忘れてしまったのか、はたまた長いバケーション中、毎日ママと一緒にいたからか、私が抱くとすぐに泣いてしまいました。せっかく仲良くなれてたのに、切ない話ですね。しかしママいわく、最近になってようやくおばあちゃんを見ても泣かなくなったらしいです。おばあちゃんって・・・。ほぼ毎日会ってるのでは!?それじゃあ私はいつになったら慣れてくれるだろう、と思っても、もう終わってしまったのでどうしようもありません。突然の辞表提出の為、次に人が見つかるまで、私の友達のエイコが引き継いでくれることになりました。マイケル、大丈夫かな~。機嫌が悪くなければ良いけれど・・・。今はただエイコの健闘を心から祈ってるところです。
Dec 12, 2005
コメント(0)
今日はランチ前の休み時間に先生とミーティングをした。これは毎週1回、行われるらしい。私の働いてるクラスの先生は、今の私のようにアシスタントを経て今年からこのクラスを任されているのですが、以前の日記にも書いたように、本当に優しくて良い人なのです。実は歳も私と1つしか変わらないので友達のように接することができるし、気を使わなくて良いのでミーティングも気軽にできました。彼女は“モンテソーリ教育”について3年も大学で学んできたらしいので、もちろんその道のプロでもあり、私も日々色々と勉強になっています。その時に、サポートが多く必要な子供(問題行動を多く起こしてしまっている子供たち)について、主に話し合ったのですが、今までもそうであったように、やはり家庭環境から来ていることが多いようです。4歳のサラと言う女の子は、気に入らないことがあるといつも泣き叫び、全く私たちの言うことを聞いてくれません。何を行っても「No~~~~~~~!!!!!」の一点張りで、さらに「ギャーーー!」と叫び狂います。先生が教えてくれたのは、彼女はここの学校に来る3日前に今の家に養子として引き取られ、それまでは実の両親と車の中で(家がないために)生活をしていたと教えてくれました。そして今その親たちは、二人ともjail(刑務所)にいると言うことでした。なので、彼女にはスペシャルなアテンションが必要なのです。初めは私も彼女の行動にとてもびっくりしていましたが、その話を聞いてからはできるだけ上手に手助けして行きたいと思いました。他にも男の子二人、まあさすがに男の子と言うこともあって多少暴力的で落ち着きのない子供がいて、彼らには特にサポートが必要なので、私も彼らを中心に毎日過ごしていると言っても過言ではありません。しかし、この二人は特にサラのように家庭環境に複雑な問題などなく、ただ単に家で何でも好き放題やらされている、つまりは我侭ほうだいやり放題なのでした・・・。このうち一人の5歳の男の子も、ものすごい発作持ち(?)で、何か気に入らないことがあるとまずとにかく耳を劈くような勢いで泣き叫びます。そしてさらにそのまま自分の体を投げ出すので、とても危ないです。しかも体が大きいほうなので、そうなると抱きかかえることもできません。なので、この子にはまず、何よりも叫ぶ前にもし嫌な事があったら、「言葉を使って説明しなさい。(Use your word please)」と繰り返し教えています。泣き叫んでも、私は何を言ってるのか理解できないから、助けてあげられないよ、と。この子とは、毎日同じ事を、根気よく話していくことが大事なのです。しかし、この子はとても人懐っこく、毎朝私がクラスにはいるたびに「わーい、enaだ~~!」と言って駆け寄ってハグをしてくれるのです。先日も、私を見つけて勢いあまって教室を走ってしまった彼は何度もやり直しさせられていました・・・。元いた場所へ戻って、ゆっくり歩いて私の元まで、と言うのを2回ほどやり直しさせられてしまったのでした。
Dec 8, 2005
コメント(1)
ある日のことです。いつも通りプリスクールで働いていると、ある先生が高学年の男の子を一人連れてクラスにやって来ました。どうやら彼は、授業中にしっかり先生の言うことを聞かなかったのか、こうして特別に他のクラスへ連れて来られ、本来やらなければならなかった勉強をここでしなくてはならなくなったのでしょう。私が教育実習を公立の幼稚園クラスでしていた時も、何度かこういったことがありました。やはり授業中にちゃんと言うことを聞けなかった子達が、たびたび幼稚園クラスに送り込まれそこで自習をさせられていました。これはある意味Punishment(罰)ととして、「こんな小さい子供たちでさえちゃんと先生の話を聞いているのに・・・」と言うことを考えさせる意味もあったのだろうと思います。そして何よりも、本人にとってはとっても恥ずかしいことになるのでしょう。子供たちが、。「何で彼はここにいるの??」と好奇の目で彼らを見ています。そんなこともあり、私も私のクラスにたびたび送り込まれて来る彼らと仲良くなり、クラスの子供たちを教えている一方で、もし彼らが分からない問題があればそれも教える、と言うこともしていました。小学校3年生は私の専門以上の学年だったけれど、まだまだ何とかそのレベルの算数やスペリングは何とか教えることができてほっとした記憶があります(笑)。それにしても、彼らはみんな良い子だったのになぜ???更に、その時また別のクラスの先生から直々に、「クラスで今とても問題を抱えている子がいるのだけれど、もしその子の態度がひどくなった時には彼をあなたのクラスに送っても良いですか?」と言う相談を受けたこともありました。その時はもう私一人でクラスをコントロールしていた頃だったので、私の先生と相談して、「それはena次第だから、よく考えてから決めなさい。」と言われ、考えた挙句OKを出しました。結局その子はある日突然転校してしまい、私の元へやって来ることはありませんでしたが。とにかく話を元に戻すと、その日プリスクールにやってきた先生を見て、私たちはお互い「あっ!!!」と言ってしまいました。なぜかと言うと、彼女は私が通っている合気道道場に最近通い始めたおばさん(彼女がここの先生だと知るまでは、失礼だけれど私にとってはただのおばさんでしかなかったので)だったのです。彼女はまだはじめて日も浅いのですが、息子さんと通っているところを何度が見ており、私はまあ、曲がりなりにも「先輩」なので度々教えてあげたこともありました。でもまさかこんなところで再会すると思っていなかったので驚きと同時に嬉しかったです。彼女も私がここで働き始めたことをとても歓迎してくれました。
Dec 3, 2005
コメント(0)
もう12月だから当たり前だけれど、ホントーに毎日寒くて寒くて仕方ないです。だけど子供たちが外で遊ぶ時には私も一緒に行かなければならないのであの極寒の中ずっと外に出てなければならないのが悪夢としか言いようが無いです。何人かの子供たちもあまりの寒さに涙と鼻水を垂らしながらぶるぶる震えているのにも関わらず、何でそこまでして外にいなければならないのか・・・。今日も朝から「わーい!またenaが戻ってきたー!」から始まりました。9時ごろ、先生がみんなを一度カーペットに集めたのですが、たくさんの子供たちが私の隣に座りたがり大騒ぎに。みんなが押し合いへし合い、何とかして私の横に腰を据えようと必死になりました。慌てて何とか子供たちをなだめ、「次の機会に一緒に座ろうね。でも今はここに座ってくれる?」と言ってその場は収まりました。ふうっ・・・。みんなが私と一緒に座りたがってくれるのは嬉しい事なのですが、それが原因で大騒ぎになったり喧嘩が始まったりしてしまうのは困りものです。朝のレッスンの時間に先生に、海の生き物の絵を書いて切り取ると言うレッスンの助けをする役目を頼まれたので、一度に3人の子供たちを呼んで彼らの手伝いをしました。もともと3つの海の生き物の型紙があって、子供たちにはそれぞれ好きな型と紙を選ばせて、型をなぞり、後は好きなように色を塗ったり顔を書いたりさせました。その後に、できる子ははさみを使いその絵を切り取ることにしました。しかしほとんどの子供たちはまだうまくはさみを使えないので、せっかくの魚がぼろぼろになってしまってました・・・。まあ、しかたない。その後、11時半ごろに、子供たちがまたみんなカーペットの上に集められました。クラスにいるソーンと言う男の子のお父さんがやってきて、パイレーツ(海賊)についての話をしてくれると言うのです。またなんで突然海賊なのか、と言うと、実は次の日の土曜日に学校のfound raising(寄付金集め)の為、私のクラスでは海の生き物をテーマに教室を飾りつけたりする予定だったため、上記の魚の絵のように海に関するものが必要だったのです。まずは彼が到着するまでみんなで海賊について知っていることを話し合いました。彼らはどんな格好をしていて、どんな船に乗っていて、どんな物を持っていて、どんな事をしているのか、などです。子供たちはもうすでに海賊についていろんな事を知ってました。そして遅れること15分、いまや海賊に扮したソーン父の登場です。髪は長髪で(もしかしたらカツラだったのかもしれませんが)バンダナを巻いています。洋服も、いかにも典型的な“海賊”ルックで偽者の刀までついてました。そしてちょっと変わったアコーディオンとギターを持ち出して、海賊がよく酒を飲みながら歌い踊るように、曲を演奏しだしたのです。これがとても上手で、まさに私のイメージしていた海賊そのものなのでした。その歌に合わせて子供たちも歌い踊りだしました。それにしても、彼はいったい何者なのか。。単なる“海賊マニア”か何かなのでしょうか??謎は深まるばかりでした。
Dec 2, 2005
コメント(0)
モンテソーリスクールでの仕事が始まって2回目。朝教室に入ってゆくともうすでに数人の子が私のことを、「彼女が戻ってきた~~!!」と歓迎してくれました。そして何人かの子が私の下へ駆け寄るとハグをしてくれたのでした。これが一番、幸せなひと時でもあります。まだまだ見習という感じなので、先生にいろいろと教えてもらい、頼まれたことを確実にやっていくように努力しました。朝は11時半までずーっと、子供たちは教室にあるものを使って、遊びを通していろんなことを学んでいきます。アルファベットや算数のレッスンをする子もいれば、ブロックやパズル、お絵かきなどをする子、水、石鹸を使って物や手を洗ったり、スプーンで物をすくったり、日常生活に必要なスキルを学ぶ子もいます。大体子供たちは何かをやるときに、私や先生に助けを求めてくるのでそういった子達の手助けをしました。また、ひとつのことが終わると片づけをせずにまた新しいものを出してしまったりする子も多いので、そういう時も片付けを促したりします。自分で出したもの、散らかしてしまったものは自分で片付ける、ということも大切なレッスンのひとつなので、先生はできるだけ手出しをせずに、自分たちでやらせるようにします。このとき、やはりまったくいうことを聞かずに片付けようとしない子も多いので、その子達をうまく誘導するのが大変です。たまに気に触ると泣き叫んだりする子供もいるので、そういう風にならないようにうまく彼らをまとめるのはまだまだ時間がかかりそうです。私と一緒に働いている先生は、本当にやさしくてしゃべり方もとても静かで、怒ったところを見たことがありません。モンテソーリの教育では、どんなにいうことを聞かない子がいても、決して怒鳴ったりはしてはいけないのです。なので落ち着いてじっくりと子供たちと話す必要があるのです。私も子供たちに怒鳴ったりしたことは無いですが、地声が大きいので気をつけなければ。。。特に今日室内では、できるだけ小さい声で話すように子供たちに教えているので。この日の昼寝の時間は悪夢に見舞われました。いつも絶対に寝ないという男の子を含め、数人の子供たちが更に寝ずに騒ぎ立てて大変なこととなりました。もう何をしても収まらない状況に一気に疲労が。そのまま5時半まで残り、家に帰ったころには疲れ果てて9時ごろ寝てしまいました。また明日も仕事です・・・。
Dec 1, 2005
コメント(0)
いつの日も、何においても初日というのは本当に緊張します。特に新しい仕事場となると、このドキドキは過去に味わってきたのといつも同じです。どんな子供たちがいるのだろう、みんなと仲良くなれるかな、どんなスケジュールなのだろうか、ちゃんと私の言うことを聞いてくれるだろうか、カリキュラムは、ルールは???などなど。。この5年間で、計4つの違った場所で子供たちと触れ合ってきました。いつも始めは戸惑ってばかりだったけれど、気づけばあっという間に1年、2年が過ぎている・・・という感じなので、今回もまたすぐに慣れてしまえばあっという間に時間が過ぎてゆくことでしょう。ただ、今までと違うのは、アシスタントとはいえフルタイム(朝9時から夜5時半まで)週5日ということでしょうか。初日の日は特に時間が経つのがおそ~く感じました。私のクラスには3歳~5歳のMixed Age (混合クラス)で、計15人の子供がいます。まず朝先生に紹介され、みんなの前で自己紹介をして子供たちに、これから毎日一緒に過ごして行きますよ、ということを知らせました。教育実習で行った幼稚園の子供たちとは違って、やはり年齢もまだまだ小さい子達ばかりなので、誰も私が日本人であることとか、見た目が違う(アジア人である)事などそこまで気にもとめずに、あっさり、すんなりと受け入れられたように思います。と同時に、かつての幼稚園の子供たちのように誰も日本について興味深々に聞いてくるということもないので、少し寂しくもありますが。あえて言うならば、クラスに一人台湾人の女の子(プリシラ)がいるのですが、その子も含め(笑)、いろんな子に「ねえ、あなた、プリシラのママなの?」とか、「プリシラのママに見えるよー!」とか言われたくらいでしょうか。数日後、彼女のママ本人に会ったのですが、全然似てなかったですけど・・・。とにかく、1日目とはいえ、もうほとんど全員の性格などが見えてきました。やはりどこにでもいる、なかなかいうことを聞いてくれない子供たちも数人いて、先生も私に彼らの手伝いをできるだけ重点に置いて欲しいといわれ、これからの苦労を思うとちょっと切なくなってしまいました。しかしこれもいずれいい経験、勉強になると思うと、がんばらなくては!と思いました。しかも、そういった子供たちに限ってすごい人懐っこくて、すぐに私の名前を覚えてくれて、ついてまわったりしてました。モンテソーリについては私もまだまだ学ぶことが多いのですが、クラス内ではぜったいに大きな声を出さない、先生もいつも小さい声で話す、できるだけなんでも自分でやらせる、もし汚したら自分たちで全部きれいに掃除する、自分のペースで物事を進めてゆく、など今まで働いていたところとは違ったことも多いので、戸惑いつつも面白いです。何より良かったことは、先生や一緒に働いてる人がみんなとても親切なこと。まだ何も分からない私にいろいろと教えてくれ、助けてくれ、そして私が働き始めたことを歓迎してくれます。余計な気を使わなくていいので、それだけでも良かったと思えるのです。
Nov 30, 2005
コメント(0)
なぜせっかくGetしたベビーシッターの仕事がたったの2ヶ月弱で終わってしまったかと言うと、思ったより早く新しいフルタイムの仕事が見つかったからです。思えばこの仕事が見つかったのも、マイケルとその家族に出会ったおかげであったのに、彼らを裏切るようなことをしてしまい今でも心が痛いのは確かです。。思えばある日のこと。マイケルのお母さんとお婆さんに連れられて、マイケルのお姉ちゃん、アレックス(5歳)の学校へ行ったことから始まりました。当日はちょっとした歌の発表会などがあり、彼女も歌を歌うからということで、見に行ったのです。その学校こそが今私が働いている、モンテソーリ・スクールなのでした。私の大学の幼児教育は、どちらかといえば“レジオ・エミリア”教育をメインにして教えていたので、モンテソーリ教育についてはちらっと勉強しただけで詳しいことはあんまり知りませんでした。しかしモンテソーリスクールと、その教育についてはマイケルの家族を含め周りからいろいろ聞いており、レジオ教育よりもはるかに浸透しているものだったのでどんなものなのだろうという興味はずっとありました。実際マイケルのお母さんが言うには、アレックスがモンテソーリスクールに行き始めたのは幼稚園に入ってからで、それまでは普通のプリスクールに行っていたらしいのですが、モンテソーリスクールに通い始めてから彼女のbehavior(行い、態度)がかなり良くなったというのです。それまで彼女はたまに問題行為を起こしてみんなを困らせていたらしいです。また、昔の私の英語の先生の子供も同じ学校に通っており、彼女からもその評判のよさを聞いていたのでますます興味が深まったのでした。それから少しして、ついに12月からの1年間の労働ビザ(OPT)が降りたので、早速就職活動を開始しました。就職先をいろいろ探していると、思ったよりたくさんのデイケアが先生を募集してました。しかし私的には、せっかく苦労して幼児教育学部を卒業したのだから、ただのデイケアでなくてもっと違ったところで働いてみたいという思いが強く、まずはダメ元で例のモンテソーリスクールに、アシスタントなり空きはないかと尋ねてみることにしました。もし空きがなければ、また他のデイケアをあたってみようと思ってました。校長先生直々にメールを送って次の日、もう早速返事が来ていました。内容は、「今すぐに私に会いに来て、話をしてください!私たちはスペシャルな人を探してます。できるだけ早く来てくださいね!」というものでした。メールからとはいえ、あまりの素早い好反応に私はうきうきで次の日マイケルのベビーシッターを終えて早速その学校へ直行しました。そしてドキドキしながら校長先生を訪ねると、彼女はすごい親切に私を出迎えてくれ、学校内を案内してくれたのでした。そして私の話を聞き、アシスタントを探している先生がたくさんいるからと言われ、私のメジャーが特に小さい子供を相手とする幼児教育ということもあり、プリスクールとキンダーガーテンで働くことを勧められたのでした。
Nov 29, 2005
コメント(0)
本当にありえないけど、またこの日記、復活しました。もっともっといろいろとアメリカ幼児教育や私の経験について書いてゆこうと思っていたのに、家にネットアクセスがなく(それもありえない話ではありますが)、全くといっていいほどこの日記を書くことができなくなってしまってました。今はワイヤレス・インターネットの時代なので、ありがたく他から電波(?)を頂戴して、またまたいつまで続くかわからないけれど、日記を書いてみることにしました。なので、これに懲りず、またちょくちょく見にきてください。さてさて、教育実習が終わってからもうかなり経ちますが、労働ビザが下りるまで足りなかった単位を取りつつ、ベビーシッターをしてました。毎日月曜から金曜の朝9時半から1時まで、隣町のある一家の家に行き、そこにいるまだ6ヶ月の赤ちゃん、マイケルの世話をしてました。私がマイケルを世話している間、お母さんは家にいて、コンピューターを使った仕事(詳しくは不明)をしてました。マイケルはとってもかわいい赤ちゃんなのですが、これがまあ、本当に良く泣く上に手のかかる赤ちゃんでした。始めた当初は、もう何をしても泣きっぱなしの彼に、さすがの私も参り気味。今までいろんな赤ちゃんの世話をしてきたけれど、ここまでひどく泣きまくって自分で自分を苦しめている赤ちゃんを見たのは初めてのことでした。いくら赤ちゃんは口を聞けないから泣くのが仕事とはいえ、マイケルははっきり言って泣きすぎ!!ハッピーでいる時間が、例えば10日ベビーシッターに行ったとして、そのうちの実に2日あるかないかしかないのです。毎日彼の機嫌をとるために、相当苦労しました。。。機嫌が良いときはとってもかわいいマイケル。彼の好きなことといえば、ベビーカーに乗って公園に行くことでした。大体私が9時半に毎日マイケルの家に行き、決まって9時50分頃にはもう何をしても機嫌が悪くなりぐずりだすので、ここで秘密兵器のベビーカー登場です。泣き喚く彼をベビーカーに座らせたとたん、たちまち笑顔になるのでした。そしてそのまま約1時間ほど近所を歩き回ったり、公園でのんびり過ごしたりしているうちに、マイケルは深い眠りへと落ちて行きました。しかしこんなマイケルとの生活もたったの2ヶ月弱で終わりを迎えてしまったのです・・・。
Nov 28, 2005
コメント(0)
いまさらですが、一生懸命記憶をたどって私の幼稚園の卒業式についてのリポートをしたいと思います。2005年6月16日木曜日。私のインターン期間が終わって1週間後に、子供たちの卒園式が行われました。日本と違って、この“式”というのはクラス単位でしかも教室で個別に行われるというもので、とても小さな式でありました。式は1時半からだったのでお昼過ぎに学校へ行くと、いつものようにみんなが「Miss. E!!」といって駆け寄ってきて、とても素敵なドレスやタキシードを自慢げに見せてくれました。そのうちちらほらと家族の人たちも来て子供たちもだんだんとエキサイトしていました。そしてついに式の開始です。はじめに先生が簡単に、今までの子供たちの成長や学びについてお話しました。そのときに私も紹介され、みんなの前に立たされ、予想外だったのであせってしまいました。ビデオカメラをとってる人もいたので、余計緊張したのです。そしていよいよ子供たちの番。子供たちは今まで練習して来た歌をみんなに披露する時です。中には相変わらず全然落ち着きのないままずっとふらふらする子もいれば、ずっと真剣に立って歌を歌う子もいました。式はざっと20分くらいで終わり、後はみんな自由に残ってちょっとした食べ物(保護者の方々が持ち寄ってくれたものなど)を食べたり、写真をとりまくったりして、あとはいつでも帰って良いという感じの、結構あっさりしたものでした。私はといえば、うれしい事に、写真の引っ張りだこになって何人もの子供たちとずっと同じ体制、顔で写真を取られました。そしてふと思ったこと。この写真が思い出の1ページとしていつまでも子供たちの記憶に残って、いつか大きくなった時にこの日を振り返って、「ああ、そういえば、こんな日本人の先生もいたんだな。」って思い出してくれる日が来るのかと思うと切なくなりました。私の存在というものがどのくらい子供たちに良い影響を与えられたか分からないけれど、少しでもいい思い出を作ってくれたとしたら本当にこの勉強をしていて良かったな、と思います。
Jul 10, 2005
コメント(0)
信じられないことに、前回の日記から早くも2ヶ月以上が経過してます。ぜんぜん更新できなかった理由は、ただ単にコンピューターが壊れ、うちのネットが繋がってなかったから。。。そして今友達に教えてもらって学校のコンピューターで日本語を打てるということなので、ようやく更新することができました!!今までの教育実習のことをすべて思い出すわけには行かないので、ここに記録として出来事を残すことができなくて残念です。でも無事に終わりました!子供たちもみんな卒業して、この7月から小学校1年生になります。すべての子供たちが同じ学校に進むというわけでもないので、もうもしかしたら2度と会えない子供たちもいるのかと思うととても残念ですが機会があったらまた戻って子供たちの成長を見てみたいと思います。これからもちょくちょくアメリカの幼児教育についていろいろ書いてゆきたいと思っているのでまた見に来てください。
Jul 7, 2005
コメント(0)
教育実習もいよいよ終盤に差し掛かり、今日ようやくミッドターム(中間審査)がありました。先生、私、S.Vがそれぞれ成績をつけてみて、それから話し合い、最終的な成績を決めると言うもの。そして今回もまたたまた優しい先生の助けで、そこそこの成績を収めることが出来ました。ファイナルは6月7日の予定です。それまでにSLSのまとめを終わらせ、(これが恐ろしい)全てのものをバインダーにまとめて提出して終わりであります。簡単そうに聞こえて、ほんと、かなり大変な作業なので今からぞっとしてます。それにしても毎日お疲れで、ろくに自分の時間が持てなくてストレス気味なのです・・・。
May 18, 2005
コメント(0)
今週でフルコントロールも終わりだから、もう来週からかなり楽になる!と思っていたのが甘かった・・・。先生が、キンダーガーテンの卒業に向けていろいろとテストやアセスメントをしなくてはならないため、私にもっと子供たちを教えてほしいと言われてしまったのです。そして私が教えている間に、先生は一人一人の子供をテストをしようというのです。さすがにずーっと自分ひとりでこれ以上やってゆくのは辛いものがあるなあ。だから何でもいいからもっと手伝ってもらって後はいつもどおり私が教えるか。はーーーーーー。本当に疲労困ぱいって感じです。しかも今日は残業で、5時半近くまで1人で残っていろいろやってました。インターンで義務付けられている、SLS(student learning sample)に使う子供たちのプロファイルを調べるためです。これがまた面倒くさい課題の一つであり、クラスで6人子供を選んでそのこたちがこのインターンを通してどのように成長したか、レッスンを10個も作り、それらを全てまとめて提出しなくてはならないのです。それもまだまだこれから・・って感じで、普段授業も全て教えてレッスンも考えているのに、どこにそんな暇があるのでしょう!??ところで、そのプロファイルを聞いている時に、家族のバックグラウンドも全て必要になるのですが、みんなやっぱり並大抵ではない複雑な家庭に育ってる子供たちばかりで、聞いていて胸が痛くなるようなものもたくさんありました。それなのにみんな、あんなに明るくて元気で。。。とにかく、卒業式が終わったのにまだまだ目のまわる忙しさの中にいます。
May 17, 2005
コメント(0)
すっかり忘れていたけれど、今日はS.Vが朝また来る日だったのです。しかしすっかりそれは明日だと思い込んでいたので何の準備もしておらず、大焦りの週の幕開けでした。しかも今日は月曜だと言うこともあってか、子供たちがいつも以上にうるさく、ちっとも私の言うことを聞いてくれません。そんな大混乱の中、ついてないことにS.Vにオブザーブされてしまうなんて・・・。いつも言うことを聞いてくれない子供たち2~3人が、いつも以上に態度を悪くして私を窮地に陥れました。何度注意しても上の空。いつもならほとんど怒ったりする事の無い私ですが、今回はさすがにストレスフルになってしまいました。何でこんなに騒がしいの~?!!いつもならもっとうまくやれるのに・・・。と思い、後からS.Vと話し合いに行くと、やはり「今日はいつもより大変に見えた。」と言われ、この間せっかく誉められたこともまたやり直し、考え直しをすることに。私も正直に、「今日はとーーーってもやりずらかったです。いつも以上にコントロール不可能になってしまいました。」と言いました。そしてここで学んだことは、もしあるひとつのプランがあってそれが今回はうまく行かない!と思ったら、もう即効でそのプランを他に変更してしまえ、ということです。やはりプランが出来ているとその通りにしようと思って無理やりことを進めても、それがうまく行かないままだったら何の意味も無いし、子供たちのコントロールも出来なくなる一方なので、思い切って違うことをするのが良いそうです。そうとは知らなかった私は、必死にいつもどおりのことを通そうとして失敗してしまったと言うわけです。そのあと先生が、少し落ち込んでいる私を慰めるために面白い話をしてくれました。それは、天気と子供たちは比例すると言うことだそう。今日の天気はとっても風が強い日だったのですが、風の強い日は、子供たちもなぜかいつもよりワイルドになる傾向があるらしいです。おまけに今日は月曜の朝と言うこともあって、休み明けで帰ってきた子供たちと、風の強い日が合わさって最悪の状況と化したのでした。そして午後になってもまだ騒いでいる子供たちに先生の怒りがついに頂点に達しました。「何で今日みんなはこんなにうるさいの!!可愛そうに、Miss.Enaringは一生懸命話をしてるのに誰も聞いてないじゃない!今日の朝もずっと、大学からMiss. Eを見に来た女の人の前でも大騒ぎして、彼女にbad timeを与えて、もういいかげんにしなさい!」と叱ってくれたのでした。これにより、子供たちもふざけすぎていたことを反省した様子でし~んとなっていました。私の気持ちも先生のお蔭ですっきりしました。こんな日もあるさ、タイミングが悪かっただけで仕方ない、いつもはもっとちゃんと出来ているから良いんだ。そう思うようにしました。
May 16, 2005
コメント(0)
卒業式の後、地元のとあるモールに行ったら何と、約半年振りにあのカイリーに会ってしまいました!!彼はお母さんとおばあちゃんと一緒にそこに来ていたのです。ひとつの洋服屋に入った瞬間、目と目が合ってしまい、私は思わず「カイリ~~!!」と叫ぶと向こうもまだ私のことを覚えている様子でニヤ~っと笑ったかと思うと恥ずかしそうにしながらすぐにお母さんの後ろに隠れてしまった。カイリーのママもすぐに私に気付いて、カイリーに「彼女のこと覚えてる??」と聞いていました。しかし相変わらずカイリーはニヤニヤしながら私を見ていて、それでもやっぱり私が気になるようで後ろに回って「ばぁ!」と言って追いかけてきたりしました。久々に見たけど、やっぱり少し大きくなった気がしました。そして可愛かった!そのうちプリスクールへ訪れようと思っていたところだったので、思いがけない偶然で彼に会えて嬉しかったです。
May 15, 2005
コメント(0)
今日はいつもと変わらないくらい朝早起きして、卒業式に出てきました!!本当はまだまだ教育実習も終わってないし、夏にも少し授業を取らなければいけないんだけど、式に出ることは可能だったので出てきました。友達とか他の日本人の子達は家族がたくさん日本からやってきていた様子だけど、うちの家族は残念ながら誰もこれなかったので、友達に親代わりとなって出席してもらいました。朝待ち合わせ場所に行くとたくさんの人たちでごった返していて、一体どこへ並べばいいのかとか何もはっきりしないままうろついてました。まだその時は友達は来てなかったので、仕方ないので誰か知り合いを探すことに。一緒の学校でインターンをしていた女の子が、明日一緒に座ろう!と言ってくれていたのでその子を探していたら、あんな大勢の中うまい具合に発見することが出来ました。その子も家族全員が来ていました。しかしその時、私たちの大学のデパートメントが実は違っていたことに気付いたのです。彼女はElementary Education (小学校教育)、私はEarly Childhood Education (幼児教育)なのですが、この場合、彼女のデパートメントはCollege of Education(教育学部)で、私はHuman and Community Science(人間発達科学学?)と言うことになってしまうのです。それなので、残念ながら同じ場所には座ることが出来なくなってしまい、二人ともがっかりでした。それなので仕方なく自分の学部へ戻ると、同じメジャーだった子達3人に会い、仲間に入れてもらいました。みんな私がなかなか現れないので心配してくれていた様子です。何はともあれ、幼児教育メジャーの卒業生が私たった一人というわけでなくて良かったです。それでも他の学部に比べると少ない、たった4人だけでした。いよいよ私も舞台に上がるという時、名前の書いてある紙を渡すのですがその人がどうやら最後の苗字が読めなかったらしく、ちゃんと呼んでくれなかったのが残念です。そしてその時、反対側に居た別の学部の友達Makichinががたっと立ち上がり、「enaring~~~!!!」と超でかい声で呼んでくれたので笑ってしまいました。しかし結構緊張していたので、他の友達にも気付かずさっさと席へ戻ってしまいました。その後はもう適当に立ち上がって他の友達や家族の人たちと合流していっぱい写真を取りました。式には出たけれど、明日からまた教育実習がんばらなければ・・・。早く本当に全てを完璧に終わらせてしまいたいです。
May 14, 2005
コメント(0)
今日は思いっきり楽してしまった。昨日医者にも言われたように、なるべく声を使わないように、と言うのがメイン理由ではなかったけれど、午前中で学校が終了することもあって子供たちには日本のアニメ、トトロを見せることにしたのです。子供たちはずっとそれを見ただけで学校が終わったのです。かなり大喜びしてました。だっていつものようにたくさんのライティング、リーディングなどしなくてすんだからです。みんな所々大笑いしたりしてとても楽しんでいたようです。よかった、よかった。そして相変わらず「スシーーー!」の声。懲りずにトリーク、まだずっと寿司を食べることばかり聞いてきました。何度なだめても私の顔を見るたびに「寿司はまだ??」と聞いてくるので、さすがに参ってます。またいつかやってあげようかな・・・。でもトリークだけに好評で他の子供たちはあんまり・・・って感じだっかたらなぁ・・・。
May 13, 2005
コメント(0)
朝、教室に入って来ると同時に「寿司~~!」の声が。誰だかもうお分かりでしょう。そうです、トリークです。彼はまだ寿司が食べたくて仕方が無いらしく、今日合計して約10回以上寿司のことについて私に聞いてきたのです・・・。「ねえ、今度いつ寿司食べれるの~??」「明日また寿司食べれる??」「ここに日本語で“寿司”って書いてー!」などなど。はあ、よほどトリーク、寿司が気に入ってしまったみたいね。。。ポートフォリオにのせるため、クラス全員でとった写真を撮ったときも「チーズ!」の代わりに「すーしぃ~~!」とトリーク。それに釣られて他の子供たちも「スーシーー!」と言ってました(苦笑)。今日も引き続き声が出ないまま学校へ行き、全ての授業を1人でやりました。大きな声が出せないってかなり辛いことですね。先生は子供たちに色々指示を出したり、みんなが騒いでいる時に大きな声を出して静めたり(怒鳴るわけではない)、もちろんリーディングのレッスンの時などはちゃんとクリアーに発音しなければならないので声が出ない=何も勤まらない、と言うことになります。それでも来週までは私がフルコントロールの役目なので先生に代わってもらってばかりは行きません。更に今週のテーマは“日本”なので日本人の私が教える以外、誰も代わりはいませんから。今日は扇子と獅子舞のお面を作りました。扇子は、ただの真っ白い紙に自分で好きな絵を書かせ、アコーディオンのように折りたたみ、下のほうを留めて柄にしました。そしてそこに自分の好きな色の画用紙を巻いて出来上がりです。今日何といきなり午後になり、気温がぐんと上がり外はとてつもない暑さになってしまったのですが、この扇子たちが大活躍をし、子供たちもみんな外に持ち歩いて仰いでいました。そして学校が終わるとすぐに大学内の病院(といってもたいした設備ではないけれど)言って今のこの症状を話すと、「それはただの風邪ではなくてウイルスにやられたのでしょう。それを直す方法は、声をなるべく使わないこと、話さないこと。」と言われてしまいました。明日もまだ授業あるのにどう考えても声を使わないなんて無理な話です。どうしたら良いでしょう????うがい薬だけもらって帰ってきましたが、1日5回ほど直接口に含んでうがいするようにと言われたのですがこれが驚くほどまずく、舌がしびれると言う最悪のものでもう2度とやりたくないです。早く治ってほしいーーーーーーーーーーーーー。
May 12, 2005
コメント(0)
あー、疲れました。今日は兼ねてから予定していたビッグイベント、ジャパニーズパーティーの日でした。浴衣を着ることになっていたので朝早くから友達の家にお邪魔してその子に着付けしてもらいました。しかし私の帯のせいで、思ったよりも時間がかかってしまったのです。8時ごろ到着する予定が、8時45分頃になってしまい、先生を待たせてしまったことのみが後悔です。学校に着くとたくさんの生徒たちがいる中、受付へ行ってチェックインしなければならなかったので、浴衣娘3人+ちゃんちゃんこ1人の私たちはみんなの注目の的でした。この学校ではみんな、ただの日本人ですら珍しいらしく、私が働き始めたばかりの頃もかなり注目されていたのですが、今回は更に大騒ぎになっていました。教室につくや否や、時間が無かったのですばやい速さで準備を始めました。今回の計画は、日本のカルチャーコーナーを4つ設けて、他の友達3人にもそれぞれのコーナーを担当してもらいました。私は“手巻き寿司"担当で、ルームメイトのMakichinは日本の伝統的なおもちゃを紹介する担当、ちゃっぴい。は折り紙コーナー、もう1人の友達なっつるは習字のコーナーを受け持ってくれました。そして昨日作ったパスポートを持って全ての体験コーナーに出発です。一番初めにどこへ行きたいか聞いたところ、おもちゃコーナーがやはり一番人気で、その次に私の寿司、意外にも折り紙と習字はあまり人気がありませんでした。しかし・・・。いざ私のコーナーで寿司を作ると、ほとんどの子供が拒否を示し、作ったはいいけれど一口も食べずに捨ててしまうと言うかなりもったいない事態が発生してしまったのです。「一口で言いからトライしてみなよ!」と言えばちゃんとトライする子もいれば、断固として拒否する子もいました。実際トライしてみて、「あれ、意外においしいじゃん!」と思った子も数人いました。この寿司コーナー、アメリカに住む子供のためにアレンジして、中身を日本人の子供なら誰もが大好きなツナマヨにしてみたのですが、どうも海苔がダメな子が多く、もうそれで巻かれているので手の施しようが無いためむなしく散ってゆきました。しかしそんな私の寿司を心から愛してくれた子供が1人。なんと食べることが大好きなトリークでした。(“愉快な子供たち”参照)彼は一番初めに私のコーナーにいて、ツナマヨ寿司をあっという間にぺろっと平らげてしまったのです。そしてその後、他のセンターに移動して、まだ他のセンターが全て終了しないうちに私の寿司コーナーへと舞い戻ってきて、また寿司を作りたい(正確に言えば、食べたい、でしょう)と言ってくれたのです。そして2個目の寿司もあっという間に食べ終えてしまいました。更にその後も、午後になってもまだ寿司の事を聞いてきて、トリーク:「MISS.ENARING,また寿司を作りたいんだけど!」私:「ホントに?そんなに寿司を気に入ってくれてとっても嬉しいよ!!今度また学校終わる前に出来たらもう一度やろうね。」トリーク:「ライスとかはどこにあるの?」私:「お店にまた買いに行かなきゃ。」それから数分後・・・。 トリーク:「MISS ENARING,お店に行かないの?」私:「えっ??今?!今は無理だよ。また今度、いつかね。」トリーク:「寿司食べたいよー。寿司大好き!」そして帰る直前まで、「明日寿司作る??」と聞いてました。可愛いもんだね。ところで、私の友達みんなとてもがんばってくれました!各センターの時間が終わった後、日本での有名な遊び(だるまさんが転んだ、いす取りゲーム、フルーツバスケット、ハンカチ落とし)をみんなで一緒にやり、大いに楽しみました。先生も子供たちもとても楽しんでくれたし、最後の別れ際になっても子供たちは彼女たちと離れたくないらしく、ずっとしがみついてました。「みんな、中国(何度言っても間違えている)帰っちゃうの??」と聞きながら・・・。最後車に乗るまでずーっと子供たちはついて来て、プレイグラウンドの金網越しにもずーっと立って私たちが去るのを見てました。まるで映画スターか何かのように、MAKICHINは投げキスまでしてました。(大笑い!!!)しかも子供たちもずーっと「バイバーーーーイ!!」と言って、車が走り出すと一緒になって走り出し、付いてきたりしてその姿は本当に可愛かったです。私はその後即効でうちに帰り、洋服に着替え、また何事も無かったかのように学校へ戻りました。朝早くからとても疲れたけれど、この大きなプランが大成功に終わってほっとしました。手伝ってくれた友達にもとても感謝です。
May 11, 2005
コメント(4)
昨日の夕方あたりから「ん??これは・・・まさか・・・」と思っていたら、案の定、今日朝起きたら声が出ない・・・。ぎゃー!!今日は、いや今週は日本について色々と子供たちに教えている週だから何があっても絶対に休めないのです。私以外誰も教えられないから、かなりの責任が伴います。こんな大事な時にまさか風邪をひいて声まで失ってしまうとは、自分で自分が許せません!しかも今日はS.Vも来るからもうやるっきゃありませんでした。声が出ないのは先生として致命的だけれど、何とか痛々しい声を絞り出し、マイクを使って子供たちに指示を出してゆきました。朝のライティングの時間の時、S.Vが来る予定の時間になってもなぜか一向に現れませんでした。またすっぽかしか~~~???!!その後先生のところに電話が入ったらしいのですが、他の生徒たちのファイナルの点数付けが終わらず、来れなかったらしい・・・。っていうか、そんな言い訳ありなわけ?で、結構みんな呆れ気味で先生が「どうやら何でもいいから明日来るらしいわよ。でも明日はパーティーがあるから、何をオブザーブできるんだか知らないけれど、もう心配しなくていいわよ!」と言いました。もうこれは私の責任ではないので、彼女は関係無しにやるべきことを進めてゆこうと思います。今日の午前中は、明日のパーティーの時に使うパスポートを作りました。これは明日のアクティビティーセンターの時に必要になるものです。そして午後には“福笑い”を作りました。結構みんなてこずっていました。うちの母が作った大きな福笑いは相変わらず好評で子供たちもいつも遊んでいます。でもいざ自分で作るとなると、結構難しいらしく、意外でした。明日に向けての準備も忙しくなります。色々と買出しにも出かけ、明日も朝早くから浴衣に着替えて登校する予定なのでちょっと緊張しています。うまく行くといいけれど・・・。
May 10, 2005
コメント(0)
今日は朝から、みんなが待ちに待ったフィールド・トリップ(遠足)の日です。ミュージカル、“眠れる森の美女”を見に行くと言うことで、昨日から子供たちにストーリーを読み聞かせ、どんな話であったかと言うことをもう一度確認させました。9時15分発のスクールバスに乗り、かなりウキウキぎみの子供たち(いつもより調子に乗っている感じが可愛かった!)を乗せ、学校から5~7分くらいのところにある劇場に着きました。するとそこには、他の学校からの子供たちもたくさん来ていて、ものすごい大騒ぎになっていました。劇が始まる直前までずーっとがやがやしていて、電気が消えて暗くなったと思えば、お決まりの「キャーーーーーーーーーーっ!!!」。それを静めようとする先生たちの「シーーーーーーーーーーーーっ!!!」という声もたくさん聞こえてきて収拾のつかない状況になるかと思いました。自慢ではないですが、私のクラスの子供たちは最年少でありながらもみんなとても静かにしていて感心しました。他の高学年の子供たちがうるさかったのです。何とか静かになりながら、ようやく劇が始まりました。しかし・・・・。私は期待しすぎていたようです。今回のこの劇、(もはやミュージカルではない)出演者はたったの5人で、壮大な音楽もなければセットもない、しかもストーリーも出演者の名前もオリジナルとは全然違っていました。それは言うなれば、本当に簡単な“劇”でした。でもそれはそうだよな・・・。こんな子供たちばかりで、しかもたった$5、すごいミュージカルが見れるはずはありません。何でか私は以前日本で見た“劇団四季"のようなミュージカルを想像していたのです。さすがに子供たちも途中疲れた様子を見せ始めました。隣に座っていた女の子は、「Miss Enaring、I'm so tired」といい、私にもたれかかってきました。しかし、これはまずい、と思ったところに悪の妖精と王子様の戦いのシーンなどが始まり、みんなも大盛り上がりになりました。最後にお姫様が王子様のキスで目覚めると言う最高の感動シーンなのに、子供たちはやっぱりお決まりの「eeewWWWW!!」でした・・・。この劇はたったの1時間もしないうちに終わってしまい、期待が大きすぎたために期待はずれではあったけどでもそれなりに楽しめました。学校に着いてすぐに子供たちにどの場面が一番好きだったかを紙に書かせ、絵も書かせて午前中は楽に終了しました。今週は“日本ウィーク”なので教室に飾り付けしたり、日本のドラマティックプレイエリアを設けたりして大忙しの毎日です。学校で借りた日本セットに入っていた浴衣、女の子用なのに男の子たちにも大好評で着せてあげたらとっても可愛かったです。そのほか、下駄、わらじサンダルも用意してみんな大喜びでした。あーあ、今週はいつも以上に忙しくなりそうです。疲労で倒れかけたので気をつけないと。しかも風邪をこじらせたらしくのどが痛くて声が出ません。明日SV来るのにな。
May 10, 2005
コメント(0)
全113件 (113件中 1-50件目)