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2009.07.28
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高校時代の卓球部のことを書く。二年の秋からマネージャーになった。いろいろな雑仕事をしなければならない。予算が限られているので、代々、藤枝の何とかいうスポーツ店で用具を買うことになっていた。というのは、領収書の値段から30%引きで売ってくれることになっているからです。裏金作りです。予算を要求する時に前年度の実績や成績に基づいて算定られるので、領収書の金額は多い方がいいし、余剰金を多くした方がいいからです。高校の時から、こういうことを勉強して、国や静岡県や市の要職につく人が多いのですから、そこでやること、考えることは、そんなものです。
完全に自主運営でした。講堂?体育館?が使えない時には城北へ電話してのこのこ出かけて行ったものです。先方も喜んだ。
野球部、バスケ、硬式テニスは、そのころでも、全国区級でしたから、クラスの先生も他の学校の先生も学生を知っていた。なぜか、一年時彼らと同じクラスになってしまった。一からビリまで、職員室沿いの掲示板に貼り出された実力テスト結果は下の方に集まっていた。運動能力テストは上位にいた。私も、そういう位置にいた。
よく、試合で授業を欠席する。しかし、出席扱いになる。どういうわけか私も一年の時から、体育祭などの県大会に出場する為に年に二三日休む。私の場合は職員室へ行って、休む許可をとりに、その授業の先生のところへ行くと、「君は何をやっているんだ?」必ず聞かれた。「卓球です」と答えるが、どうも信じてくれないようで、近くに担任や顧問の先生がいれば、そちらをちらっと見て、応援を頼んだものでした。
今はどうなっているか知りませんが当時は、学生が先生の教室に移動し、自分のクラスにいるのは朝と帰る前に集まるだけでした。だから、欠席はそれぞれの専門の先生に届けなければなりませんでした。中途半端な強さの私がどんなスポーツをしているのか知らないのです。

普段は全く、練習にも、市内で休日にやる試合にも、見向きもしない、顧問の先生が、平日、静岡市内でなく他の町でやる試合には何故か着いてきていた。学校を休めるのが、楽しみだったようでした。気持は分かった。

 当時、中卒の初任給が3千円だった。特別奨学生といって国から毎月3千円を受け取っていた。その内1千円返せばいいという制度だった。だから、勉強でも生活費でもクラブ活動でも既に自立をしていたので、自由な生活が高校時代から出来た。大学も9千円もらって3千円返せばいいという特奨生だったので、アルバイトもやって自立していた。





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Last updated  2009.07.29 00:08:54
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