破戒の沙門 八十年
自ら慚(は)づ 因果撥無の禅。
病は過去の 因果の果を被る、
今何を行じてか 劫空の縁を謝せん。
破戒に明け暮れた坊主の八十年だった
自分でも恥ずかしいよ 因果というものを念頭に置かなかった禅に
今の病は過去の因果の報いということか
今何をすれば、人生というものの縁に感謝できるのだろう
一休禅師、80歳頃の「病中」と題する二つの詩の一つです。
さすがの一休さんも老境にいたり病に気持ちも沈んでいたのかもしれません。81歳で勅命により大徳寺第48世の住持となりますが、
名誉職的なもので寺に入ることもなく直ぐに辞職しています。
言論や自らの破戒的な行動で、堕落した当時の仏教界を批判し続けた一休さんですが、
晩年は穏やかな境地を目指し、愛する森女との静かな暮らしを送ったようです。
しかしそこで終わらないのが一休さんです。85歳頃から88歳入寂までの3年間、
応仁の乱で壊滅した大徳寺の再興に最後の力を振り絞ったのです。
人生を冥土への道と考えた一休さんですが、この世でもしっかりとした足跡を残されたのです。
愚僧の及ぶところではありませんが、爽やかな人生、あやかりたいものですねえ。
合掌 観学院称徳
仏教を知るお奨め本(5)(Posted on 06/… 2016年01月19日
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