全30件 (30件中 1-30件目)
1
風の においが する小さなかばんと日傘だけを差し、とぽとぽとお散歩に出かけた。やっと体調が上がり調子なので、地元をぐるりと一回り。風に吹かれ、お花や虫たちはなにやら気持ちよさそう。トトロの入り口。
2012/05/31
コメント(0)
導かれるように私は、今仕事もせずにずっと自由な生活を送っている。家でゆっくり読書をして過ごしたり、カフェや美術館へ行ったり、ふらりと地元をお散歩したり、それなりに充実しているつもりだ。だが、心の隅っこでは、この生活を続けていていいのだろうか、とふと頭を過ぎることも正直ある。この間、そんなことを考えながら喫茶店にじっと座っていた。すると、『しばらくは休むのもいんじゃない。大丈夫さ。…。』と、レコードからまるで私に語りかけるように、女性の低い声ではっきりと発音された歌詞が耳に飛び込んできた。私の頭に残った言葉はたったそれだけだったが、後日まで妙にぐるぐるとリピートされ、勇気が沸いた。そうだ、今は休息の時間だった。「その時」が来た時にちゃんとそれに気付けるよう、「その時」が来るまでしっかり胸に刻んでおこうと思う。色っぽい。
2012/05/30
コメント(0)
さしこむ 月光例えば、「自分より不幸な人もいる」「自分より重い病気の人もいる」などと、自分より『下』だと思われる境遇の人と自分とを比べて、「自分は幸せだ」と思うのは、ちょっと違うんじゃないだろうか。
2012/05/29
コメント(2)
あっちと こっちから 見よう私は幼い頃から手足の裏に汗をかく体質で、とにかくそれが嫌で仕方がなかった。緊張してとか、夏だからとか、そんな理由でなく、いつも。自律神経が狂っていたのは、幼い頃からだったのかもしれない。数年前だったか、夏場に裸足で家の中を歩いていると、絶えず汗をかいている私の足には当たり前のようにほこりやゴミがくっつく。多発性硬化症(MS)になってからは足を擦りながら歩いていたので、私の足の裏のゴミは溜まる一方。それがどうしても苦痛に感じるようになった為、どんなに暑い夏の日でも、靴下を履いて過ごすようにした。そうやって一夏が過ぎた頃、ふと、何やら体調が良い自分に気付いた。汗のかき方が以前と違う…。全身に滝のように流れる汗を毎日かいていた私が、汗の量が比べものにならないほど少なくなっていた。それからというもの、一年中靴下を履くようにした。すると、やっぱり体調が良い。いろいろと考えた結果、おそらく足を温めたことが良かったのだろうという結論に至った。足が汚れるのが嫌という幼稚な理由から始めたことだったが、結果的に私には良いことだったようだ。
2012/05/28
コメント(0)
今度は あそこまで歩いてみよう私はコーヒーが好きだ。以前は朝夜関係なく一日1、2杯は必ず飲む日々を過ごしていた。だが、今は日常化することは止めた。コーヒーは身体を冷やしてしまうし、そもそもカフェインは摂取しなくてもいいものらしい。だから、まず家に豆をストックしていない。飲みたい時は遅くとも午後2時までに飲み終えるようにし、1日1杯以上は飲まないというルールを決めた。身体を冷やさないことと、夜に上質な睡眠を取りたい為だ。とは言え、やっぱり嗜好品を愛でる時間は日々の中で必ず必要だ。ストレスがかからない程度にカフェ時間を楽しみたいと思う。たぶん恋愛中のカップル。
2012/05/27
コメント(0)
水面に映る 過去の私今日、髪の毛を20センチほど切ってもらった。ほとほと髪の毛に無頓着な私。だから、髪にお金をかけることも美容院に行くこともほとんどなく、よく考えてみればカットしたのは1年ぶりだった。最近少ししんどい日が続いていたので、なにやら気分も軽やかになった気がする。清々しい。
2012/05/26
コメント(0)
公園で ほおばるパンはおいしいね今のこの時期が、一年の中で一番太っている時期だ。私はもともと夏に弱い。暑いというだけで体力が奪われ、食欲も落ちてしまう。冷たい物なら食べられるという人がいるが、そういう訳でもなく、食べ物を口にすること自体がおっくうになり夏にはいつも体重が減る。あまりに食べられなくなってしまうと、本当に力が出なくなり、とてつもなくしんどい。暑さのしんどさと、体力のないしんどさ。私にとってはかなり切実な悩みだったりする。今は冬から少しずつ蓄えた脂肪のおかげで、一番自分を維持しやすい体重を保っている時期なのだ。今年は毎年9月に出演していたピアノの発表会にも出演しないので、精神的ストレスもない。だから、なんとか今年は体重を減らすことなく今の状態をキープすることをがんばりたいと思っている。と言うものの、心と身体をコントロールすることが一番難しい。今の世の中ではあまり気安く口にできないことだが、痩せすぎのガリガリはやっぱり良くない。ある程度脂肪の付いた標準的な体型の方がいいに決まっている。人間、蓄えは必ず必要だと思う。減れば減るほどうれしいこと、なぁ~んだ?
2012/05/25
コメント(2)
想い出に浸りながら、お昼寝いまいち体調の優れない日が続いている。まだ今は5月。これから暑くなる一方なのに、今年の夏を越せるのか?私。わたぼうし、すき。
2012/05/24
コメント(2)
私の 雨の日コース夏には夏の速度、冬には冬の速度がある…。多発性硬化症(MS)になって5年を前にしても、まだこの感覚にさっと慣れずに落ち込んでしまう。夏から冬になる時はいい。逆に、冬から夏になる時は、これまでさっさと歩けていた分、あまりにもどかしい。もともと私は夏の暑さに弱い。足のしびれも体温が上がると増すので、歩く速度が遅くなる。今日は少し蒸し暑かった。頭では理解していても、身をもって知るということとは、また違うのだ。
2012/05/23
コメント(2)
ガラクタだと思っても、 大切なものは、みな違う多発性硬化症(MS)になり1年経った頃から、家の周りをお散歩するようになった。家の中が歩き回れるようになった、イコール、外でも歩き回れる、では決してない。家の中を歩くのと家の外を歩くのとでは、雲泥の差だ。初めは家の周囲を1周、その内に2周、さらに普通の足で10分で歩ける最寄りの駅までと増やしていき、そうして1年経った頃には最寄りの駅の次の駅までも歩けるようになった。ただ、階段を上り下りするのは、最後の最後まで辛さが遺った。階段を前にすると足がすくむ。そこで、かなり正確にエレベーターやエスカレーターの設置場所を記憶するようになったが、MS歴5年を前に、最近では進んで階段を利用している。階段は思いの外体力を消耗するが、少しずつ慣らしていくと上り下りすることが楽しくなっていく。いつしか足の軸も安定したようだ。ここ数日、MSになってからの5年間を振り返ることが多い。ふと気付くと頭の中では回想が繰り広げられている。この5年はとてもとても長い道のりだった。本当にここまで回復するとは夢にも思わなかったし、私にとっては実りすぎるほどに充実した5年だった。本来の「私」が歩き出した記念すべき5年。今私は、着々と夢に向かって歩んでいる。
2012/05/22
コメント(2)
たすけあい私は徒歩5分の図書館へ寄ることが日課だ。毎日のように借りては返し、借りては返し、そんな生活が続く。私の住む市の図書館のコンピュータには、貸し出し履歴が残らないシステムだそうだ。だから、軽い気持ちで、借りた本の題名を控えていた。図書館を利用するようになったのは多発性硬化症(MS)になってから。ふと数えてみると、借りた本は650冊を越えていた。小説や雑誌や画集が主だが、思いの外多くの本を手にしてきたらしい。本を読むことは楽しい。私の図書館生活はまだまだ続く。
2012/05/21
コメント(2)
夜のお散歩ピアノから離れているとは言え、やっぱり自分にはピアノがあるという揺るぎない自信は、ある。べっぴんさん。
2012/05/20
コメント(0)
存在価値は、みな平等家の中で日向ぼっこするにはちょうど良い季節だ。のらねこたちの壮絶なケンカ。小鳥たちの陽気な鬼ごっこ。近所の運動場からは、サッカーの声援が風に乗って聞こえてくる。私が「生きている」ということを肌で実感する瞬間だ。自然の中に身を置いている私。私は自然に包まれ生きている。
2012/05/19
コメント(2)
花籠私がお出かけすると言えば美術館だ。今開催中の美術展はやけに私の好みのものが多く、行きたい展示がいっぱいある。最近では、お寺や神社を拝観するのも楽しい。それにもれなくカフェが付いてくる。素晴らしい芸術品に触れた後、カフェでほっと一杯優雅な時間を過ごす。心も身体もふんわりと満たされる一時である。
2012/05/18
コメント(0)
私を 形成する 「経験」という 年輪年月が過ぎ去るのは、とても早い。今年だってもうお中元や花火という文字を目にする。あっという間に半年が過ぎ、年の瀬を迎えるのだろう。そう思うと、一生はあっという間なのだろうな。八。
2012/05/17
コメント(0)
変わらない、譲れない私はどうしても夢を叶えたいんだ。当たり前だが、この先も健康で生き続けなければ夢は叶えられない。8。
2012/05/16
コメント(2)
涙は、恵みをもたらす雨。そういや、私はよくお風呂で泣いていた。どんな時も家族にだけは涙を見せることは癪だったので、真夜中の一人きりのお風呂の中は格好な泣き場所だった。特にそういう時は感傷的になっている時なので、声を押し殺してただただひたすら泣く。ひとしきり涙を流すと、あら不思議、はたと気持ちが前向きになったりするものだ。お風呂のお湯と一緒に辛く哀しい想いも海の底へ。そして、それを見届けると、身体の奥からふつふつと勇気が湧き出てくる。今は泣くことはほとんどなくなった。心底、私は強くなったと思う。でも、泣きたくなったらお風呂で泣く、我慢せず。Bee!
2012/05/15
コメント(0)
明かりが 煌々と 灯るカルチャースクールの先生が言っていた。仕事にわくわくする感動はない。あるラインを自分で引いて、20年それに向かって淡々と歩んでいるのだ。と。
2012/05/14
コメント(0)
空を仰ぎ 過ごす 一日私は、俗にいわれる「パラサイトシングル」だ。母親に食べさせてもらっている身である。ただでさえ父親の遺族年金で慎ましやかに暮らしているのに。正直、まさか自分がそんな立場に立つなんて、夢にも思っていなかった。多発性硬化症(MS)だと医師に告知される1秒前まで、いや、この病気の本当の意味を理解したそのずっとずっと後まで、私の身に降りかかる現実だとは考えもしなかった。「現在の社会を象徴する中年女性」として、ちょうどすっぽりと嵌っている私。これからどうやって生きていくのか、言わずとも同じ境遇にいる誰もが抱く不安だ。それでも命ある限り生きていかなければならない。先はまだまだ永い。だが、私は、楽しい生活が続く未来があることを信じている。事実、不登校、引きこもり、父の死、MSを経験しても、ちゃんとこれだけ前に進んでいるではないか。毎日がこんなにも輝いているではないか。人はみな、みな平等だ。病気などに関係なく、自然に囲まれ、生の恵みを受け賜った一人の人間として、色が散りばめられた人生を最期の日まで全うできることを。
2012/05/13
コメント(0)
未来は、自分の手で 切り開く「死にたい」と「生きたい」は、表裏一体だ。ここは楽園。
2012/05/12
コメント(3)
気持ちが 伝わる 贈り物今日もいいお天気でてくてくとお散歩に出かけた。結局は、地元をぐるりと歩くことが一番楽しかったりする。大通りを横切ろうと思い、歩行者専用の信号ボタンを押して信号が青に変わるのを待っていたら、小学校1,2年生のまるこめ頭の男の子が、急に「ありがとうございます。」と私に頭を下げた。どうも自分の為にボタンを押してくれたと勘違いしたらしい。私は(いや、違うんだけど…。)と思いつつも、その姿が妙にかわいらしかったので、笑顔で手を振っておいた。ふかふかのベッドみたい。
2012/05/10
コメント(0)
嗜好品は 変わりますつい数年前まで、納豆があまり好きではなかった。元々好き嫌いはほとんどない私だが、唯一食べられない物がバナナと納豆だった。ところが最近は納豆がおいしくてたまらない。熱々の白ご飯に納豆を乗せれば、幸せの笑みが広がる。生活環境が変われば、趣味も変わる。はて、いずれバナナも好きになる日が来るのだろうか?
2012/05/09
コメント(0)
蔦のように例年なら、今の時期は、ピアノの発表会に向けて練習に励んでいるところだ。だが、今年は発表会には出演しないし、先生から身を引くことを決めた。一人だけ教えている高3の男の子にも了承済みだ。去年の9月の発表会に出演したきり、まともにピアノを弾いていない。というより、ピアノの蓋さえ開けていない。生き物が冬眠するように、言葉を発することなくじっと眠っている。私が産まれた時からピアノがすぐそこにあった。ピアノと共に成長し、ピアノと共に不登校と引きこもりを乗り越えた。私の一番近くで苦楽を共にしたパートナーだ。今は少しピアノから遠ざかっているけれど、いずれまたふと弾きたくなると思う。その時は、先生の力なしに自分の力だけで一曲大曲を仕上げてみたい。それこそ、これまでを生きた真の自分と向き合う時間だ。いつになるだろう。弾きたくて弾きたくてうずうずする日が訪れるのは。その日まではピアノへの想いも冬眠だ。
2012/05/08
コメント(0)
鳥かごを 木に ぶらさげて今日は、さっそくお手紙を持っておねえさんのカフェへ行った。おねえさんの優しい笑顔に癒された。いろいろなカフェへ足を運んでいるが、やっぱり私のベストカフェはここ。妹の結婚3周年記念に、ちょっとした物を手作りした。3年前は何もできず、だいぶん遅くなったけど、と一言添えて郵送した。気に入ってくれたら嬉しい。家へ帰ると、先日まで通っていたカルチャースクールの最終日に連絡先を交換した人から、お手紙が届いていた。一年間を共にした仲間とまた教室で会える日が待ち遠しい。今日は何やら、『お手紙』に縁のある一日だった。
2012/05/07
コメント(0)
優しい 味が した。大好きなおねえさんのカフェ。多発性硬化症(MS)になり2年が経った頃、たまたまお散歩した通りに見つけた。それ以来ずっと通い詰めているので、もうかれこれ3年になる。私はおねえさんの名前すら知らない。「こんにちは、ごちそうさまでした、また来ます。」その繰り返し。たったそれだけの関係だった。だが数ヶ月前、お出かけした先で購入したかわいらしい金太郎飴を、手土産として渡してみた。「いつもおいしくいただいてます。これからもがんばってください。」おねえさんにまともに話しかけたのは、これが初めてだった。すると、この間行った時、おねえさんが「国産でおいしいよ。」と紅茶の茶葉をくれた。私はとてもとても驚いたが、とてもとても嬉しかった。おねえさんと少し距離が縮まった気がする。次に行く時には、「紅茶おいしかったです。」のお手紙を手に出かけよう。見つけたら座って休憩、がお約束。
2012/05/06
コメント(0)
身体で 感じる 素晴らしさここ最近曇りや雨の日が多かったので、今日の日差しはとても気持ちよかった。いつもはこの気候でこの温度ならば間違いなく日傘を差すが、今日は身体が日光を欲したので、しばし日傘を差さずにお散歩した。なんて爽やかな気分なのだろう。気持ちが上がれば心も落ち着き、目に見えないいろいろなものが見えてくる。空気にも色がある。お花も色彩が増す。私の心も日々グラデーションを刻み、一日として同じ日はない。自然の力はすごい。勝るもの、なし。あっミッケ。
2012/05/05
コメント(2)
夜風に吹かれ、帰路に就く「嫌いとか好きとかない。母親は母親。」母より先に命絶えることだけは、それだけは、絶対にないようにしようと思う。右下の黄色いベンチでパン食べました。
2012/05/04
コメント(2)
重い重い 門扉先日のカルチャースクールの最終日に、ちょっとした茶話会をしてみなさんとお別れした。飲み物とおやつを各自持参し、世間話をして楽しんだ。だが、私は一言もしゃべることができなかった。しゃべりたいという訳でもないが、ただうんうんと頷き、笑っているだけ。時間が過ぎるのがやけに遅く、次第に泥のような疲れが溜まっていく。スムーズな会話のキャッチボールができないし、私に5人の視線が集まると思うと緊張してしまう。いや、とても楽しかったのだ。楽しかったことには変わりないのに、この心の疲労感…。毎日それなりに元気に楽しく過ごすことができているものの、人と交わることのない日々を送っている。私の唯一のコミュニケーションはパートナーだけだ。元々人付き合いが上手くない上に、母とも話さない、仕事もしていない、どこへ行くにも一人で行動。そして、月に一度のこの教室でさえ終わってしまった。ふと、不登校で引きこもっていた過去が頭をかすめる。あの時も社会から隔離されたじめじめとした場所に身を置き、人との関わりがなかったことに後々嘆いた。引きこもりからの復帰後に一番悩んだことは、友達との接し方だったのだ。身体そのものは健康になったとは言え、やっぱり完全なる社会復帰にはまだまだ長い道のりがあるんだと、痛感した。アオの妖精。
2012/05/03
コメント(2)
またひとつ、またまたひとつ、以前は、別に何の予定もない、することもない、それならば一日ぐうたら寝ていればいいじゃないか、と思っていた。もちろん身体がしんどいという理由でもあったが、ただ一日中家の中でごろごろとしていることが多かった。だが、最近は、やりたいことや行きたい所が山ほどある。決して早起きとは言い難いが、それでも以前より遥かに身体を横にしている時間は減った。今日はどこまでお散歩しよう。あの美術館へ行きたい。今は、自分の意志できちんと生活が循環している。
2012/05/02
コメント(2)
たゆたうように花は、水もやらず世話をしないのはもちろんいけないが、逆に手をかけすぎても枯れてしまうのだそう。人間も、花も、同じだ。
2012/05/01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1