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【左側の顔面痙攣 エピソード224】1/28(木)左の口角は痙攣、右の口角はヘルペス。見えないけど左の鼻の中にもヘルペス。いつもの如く顔が忙しい。1/29(金)苺大福がおいしい♪小説も順調に進み、ヘルペスが2つもできているけれど、ヘルペスに伴って片側(へんそく)顔面痙攣が若干ぶり返していることを認めざるを得ないけれど、雨だけど、今日も平穏なり。1/30(土)雨が降って、なんとなく空気が澄んだ。今日も心穏やかに本でもめくりながら体調管理。1/31(日)美術館へ行く。あー楽しかった!それにしても、これだけ頻繁に美術館へ通って私は美術の知識を増やしているようだが、それは一体何のためなのだろうか。ただただ欲望を満たす趣味なだけで、残念ながらこれと言って何かの役に立つとは思えないのだけれど…、まぁいいか。「こちらでお召し上がりですか?お持ち帰りですか?」「お召し上がりで」…なんだ?この会話。明らかに私より年上の男性だが(苦笑)ようやく明日から図書館が開館する。やったー!2週間の休館は私にとってはいささか長過ぎたな。
2016/01/31
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第五十三回「私、社会復帰できますか?」もうピアノを教える気はまったくない。潮時は見極めたつもりだ。だけど、ほぼその確率はゼロに等しいけど、たぶん私には、ピアノ講師のようにどこにも属さずに個人で自由気ままに働く働き方が向いていたのだろうな、とは思う。(2015.8.1. 11:00)
2016/01/30
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自分治療「冷えとり」のお話そんなある日ぴたっと下痢が止まりました。あれ?なんか腸の調子が変わったような気がする、というのが正直な感想。言葉にするのはとても難しいのですが、絵に描いたような良い状態の便になり、腸がすっきりとしていて良い方向へ変わったのは明らかです。とにかく体調が良いのです。宿便と呼ばれるものが全部排出されて腸がリセットされたのかもしれません。では、この1ヶ月にも渡った下痢は一体何だったのでしょうか。つまりこれは「好転反応」でした。「好転反応」とは、身体が快方に向かう時に一時的に強い症状が出ること。「冷えとり」を続けていって冷えが少しなくなっていくと、今まで体内に溜まっていた毒が一気に出るそうなのです。私の場合は下痢という形で体内の毒が出て、その後明らかに腸の調子が好転しました。(「冷えとり」ではこの好転反応のことを「めんげん」と呼びます。)これまたなんとも不思議な話。もちろんこの下痢は体調が悪い時の下痢とは違い、体内の毒が下痢として出たのだから、薬で止めたりしては意味がありません。せっかく排出されようとしている長年の毒をまた封じ込めてしまうからです。出すだけ出し切ったら、体も納得して自然に症状が止まるのが好転反応だそう。だから、とっさに薬を飲まないで様子を見ようと判断した私は正解だったようでした。この経験を経て、「冷えとり」という不思議な健康法が私の中で実態のあるものへと変化します。それまでは体はなんとなく理解できていたものの、頭がいまいちよく理解できておらず、靴下をただ重ねて履くだけで体内に溜まっていた毒が出るなんて実態のないものは、少し受け入れ難かったのです。ここで改めて「冷えとり」に関する本を読み直すことにしました。一度読んでいたにも関わらず、4枚重ねて履く靴下のこと以外はまったくの無知だったことに今更ながら気付き、もう一度一からちゃんと読んでみることに。でも、読めば読むほどわからなくなっていきます。靴下を14枚(両足で計28枚)履いているとか、骨折をしても一日中半身浴をして治すとか、若干オカルトじみているし靴下に取り憑かれているんじゃないかと思うような記述もあったりして、逆に少し気持ちが遠のいたような気もなきにしもあらず。4枚でさえ気が遠くなるような枚数なのに14枚って!いえ、1ヶ月以上もの下痢を経て、体は確実に良くなったはずなのです。だけど、私はもともと宗教や占いなどは信じないタチなので、骨折をしたならば間違いなく医者へ行って引っ付けてもらえばいいと考える訳です。いえ、それが一般的な考え方なのではないでしょうか。皮肉にも僅かな不信感を抱き始めてしまったようでしたが、でもやっぱり靴下を履いている方が調子が良いので、このまま重ねて履くことだけは日々続けていきました。
2016/01/29
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自分治療「冷えとり」のお話老廃物とは、小さなものから大きなものまでありとあらゆるものを指します。例えば、小さなものなら私たちが日々鼻から吸っている汚染された空気、食物や物から体内に入る農薬や化学物質、大きなものなら仕事や人間関係などの心的ストレスまで、現代を生きる私たちにとっては避けて通ることのできないものすべてのことです。「冷えとり」では、これらの老廃物全般のことを「毒」と呼びます。この避けられない日々着々と体内に溜まっていく「毒」が、実は靴下の破れの原因だったのです。重ねて履いた靴下が、絹から綿か毛(どちらでも可)へ、また3枚目の絹へと順々に外へ外へと毒を排出する際、これまで体内に溜まっていた毒が非常に多いと、その毒の強さのせいで靴下の繊維が耐え切れずに破れてしまうそうなのです。私は難病を発病した訳です。発病したのは26歳でしたが、当時、頭部MRIの病変跡から判断して、おそらくその10年以上も前からこの病気になっているよと医師から伝えらたものでした。つまりは高校生の、あのうつで引きこもって毎日自殺願望を抱いて心が病んでいた時期とぴったり合致するのです。さらに幼い頃から体が弱くアレルギー体質だったので薬漬け。おそらく、体と心と両方の積年の毒が粘着質のある泥のようにこびりついて、相当溜まっていたのでしょう。何せ新品の靴下が3日で破れたのですから。なるほどそういうことか。破れた靴下をまじまじと見て、腑に落ちました。とにかく、破れなくなるまで辛抱強く履いてみることに。絹と綿か毛(どちらでも可)を交互に履くのが「冷えとり」のルールですが、4枚セットの値段の高さからなかなか踏み切れず、履かないより履いた方がいいという記述をかなり自分の都合の良いように解釈して、絹綿綿綿になったりしつつも兎にも角にも続けました。そうやって、一日中、夜寝る時も履き続け、おそらく半年以上が過ぎた頃だったと思います。破れては繕い、また破れては繕いを繰り返しつつもまぁ順調な日々でしたが、ある日ふと下痢をしました。本当に体調の悪い時の下痢というものは、冷や汗は出てくるし体は震えてくるし、かなり辛いものです。でも、この時の下痢は催してトイレに行けばただそうだった、という程度。辛いなんて言葉とは無縁です。2日3日と続くので何だろうと疑問に思いましたが、特に重篤な感じはなかったし、ご飯はいつも通り食べられていたので、そのまま放っておくことにしました。この下痢、こんな調子で実に1ヶ月ほども続いたのです。
2016/01/28
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【左側の顔面痙攣 エピソード223】1/25(月)満月くちびるにまたヘルペスができる。1週間前に鼻の中にできたばかりなのだが…。まだ治っていないのだが…。妹に頼まれて「NHKおかあさんといっしょ」のコンサートを申し込んだら、まさかの当選した!いえ、なんでも、ものすごい倍率なんだそうですよ。1/26(火)ボタン付けやちょっとした繕い物なら自分でやる。プロに言わせればいろいろと間違いだらけの繕い方だと思うし、至って適当なのだが、売り物ではないのだから繕えていたらそれでいいと思っている。でも、お裁縫は決して嫌いではない。無心になれるし、精神統一にもなるように思う。ちょっと焦るとすぐに糸は絡まる。すいすい縫える時はなんだか気持ちもまっすぐな時らしく、なかなかお裁縫も奥が深い。1/27(水)日に日に暖かくなってくる。結局こちらはほんの一瞬だけ雪が散らついただけだったな。最寄り駅から5駅先の、私の家から一番近い主要駅。現在地上を走っているのだが、この度高架を走るようになるそう。神社の鳥居を巨大にしたようなコンクリートが等間隔に何本も聳え立った。この上にレールを敷くのだろう。数年前から大工事をしていてまだまだ終わりそうにないが、いつ地上から高架へと切り替えるのか、どうやって切り替えるのか、日々興味津々である。
2016/01/27
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真面目に ただただ真面目に働くと道が開ける「衣食住のすべてが大量生産という複雑な機構から生み出されるようになるとき、私たちの思考にも大量生産方式が入り込むことは避けられない。それは他の思考方法を排除する。大量生産の時代、集団生産の時代だ」「なるほど、二人がかりなら一人より大きな石を持ち上げられよう」「人間の心は体と違うからな。いまという時間にとどまれない」「人間はかつて木の上に住んでいたそうだぞ。誰かが高い枝に飽きたんだな。そうでなくちゃ、わしらはこの大地に足で立っておらんはずだ」「工事を急ぐつもりはなかった。「頑丈にしてほしい」と繰り返し指示した。「未来に建ちつづける家であってほしい。銅釘と硬材を使ってくれ。錆びたり腐ったりするのはだめだ」」「天と地を合わせたほどのケーキを食べても、まだ満たされない食欲というものがある」「明日の夢は一つの喜びだ。だが、明日の喜びは、さらにちがったものなのだ。そして、幸いなことに、自ら抱いていた夢と似ているようなものはなに一つないのだ。なぜかと言えば、物さまざまであればこそ、物さまざまの価値があるのだ」「人間を真っ二つに割って、いつも同じほうだけ見つづけるのは難しい」「罪の意識は不思議なものだ。内なるもの、外なるもの、一切合財投げ捨てても、きっと罪のいくつかはどこかに潜んでいてその人の居心地を悪くする。罪の意識こそ、人間が捨てようとして最後まで捨てられないものかもしれん」「謙虚はいいことに違いない。謙虚な心をまったく持たないという人はまれだ。だが、卑下というのは…どこに価値があるのかわしには見出すのが難しい。自虐の ー 苦の ー 喜びか。それは貴重なものか。苦は…いったい、これまで正しく検証されたことがあっただろうか」
2016/01/26
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アキヲハウス寒いですが、こちらは雪も降らず晴天です。かわいい♪青い空に蝋梅が映える。アキヲとアキヲの黄色いおうち(笑)
2016/01/25
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【左側の顔面痙攣 エピソード222】1/20(水)読みたい本が見つかったので、図書館にあるかどうか検索しようと思ったら、図書館は月末まで休館なのであった…。1/21(木)大寒暖冬から一転、文字通り「大寒」らしい。初めて訪れる美術館へ行く。ずっと行ってみたいとは思っていたのだが、なぜだろう、なかなか機会がなかった。そしてようやく今日!すごくよかった!!この美術館、実は少し変わっていて、1ヶ月ごとにころころと展示が変わる。つまり年12回の展示替えがある訳だが、頻繁な展示替えもきっと骨が折れる仕事だろう、とつい思ってしまう。と、もう一つ無料で見られる美術館もはしごしようと決めていたので、足取り軽くふんふんと鼻歌まじりで辿り着いたら、今日に限って臨時休館だと貼り紙が貼られている。えー、この気持ちの急降下を想像していただけるでしょうか…。1/22(金)歯医者で定期検診を受ける。虫歯はなく、よく磨けていますねと言われてうれしくなる。歯垢を取ってもらって歯がつるつるになる。ところで、私、歯をぐっと強く噛み締めてしまう癖があるそう。そういえば本を読んでいる時など集中している時は無意識の内にそうなっているような気がしなくもない。心がけ次第らしいので、気をつけようと思う。それにしても、いつの間にか歯医者でも汗が出たり緊張したりしなくなった。私、強くなったものですよ。1/23(土)食パンにスライスチーズを乗っけてチーズトーストにして食べたら、なんだか無性においしかった(笑)1/24(日)寒いですね。極端、ですよね。春と秋がなくなる、という話も、あながち、きっと、間違っていないようですよね。昨日、母が妹からお世話係の呼び出しがかかったため一日出張していたのだが、最近ついに妹の文句を言うようになってきた。なんというか、孫の世話というより娘の世話になっているのでしょうね。母の気持ちは、妹には悪いけど、わかります。
2016/01/24
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自分治療「冷えとり」のお話その時、31歳を迎え、さらに年が明けていました。とりあえず、1枚目に履くと良いという絹の5本指の靴下を買うことを決意します。綿の靴下は何枚か持っていたので、まずは一枚目に履く絹の5本指だけを買ってみて、あとは適当に綿を重ねて様子を見ることにしようと、そう思ったのです。少し話は逸れますが、この「冷えとり」用の靴下、実はなかなか良い値がするのです。当時の私は今ほど様々な知識を持ち合わせていなかったので、さすがに3足千円なんてことはありませんでしたが、それに毛が生えたほどの靴下しか履いていませんでした。「冷えとり」用の靴下は大体1足で千円なのです。高いな、という感想と共に、私は仕事をしていないからなんでも欲しい物を買えるような身分ではないので、靴下4枚に4千円は結構な出費だと思われたからです。しかも絶対に洗い替えが必要になってくるではありませんか。という、ごく私的な理由から、1枚目の絹の5本指靴下だけをまずは購入。すぐに届き、さっそく履いてみることにしました。すると、こんなにも頭を悩ました末に購入したにも関わらず、なんと3日で破れた!!えっと、どういうことでしょう。これは不良品だったのでしょうか。またその破れ方もちょっとやそっとの破れ方ではなく、大きく盛大に。針と糸でチクチクと繕えるような範囲なんてどころではなく、他の布で当て布をしたらこれは絹の靴下ではなくなってしまうのではないかと思われるほどの大きな穴なのです。相当落ち込みましたが、すぐに決意新たに新しく絹の5本指靴下を買い足したのでした。さて、この日記の冒頭で、「冷えとり健康法は簡単なようで実はとても奥が深い」という表現の仕方をしましたが、ここからその奥が深いという話に徐々に突入することになります。この「靴下が破れる」という現象。ただ奇妙に絹と綿か毛(どちらでも可)を交互に重ねて履くだけで、方法は至ってただ履くだけというこんな簡単な誰でもすぐできる方法をするだけで、おそらくいずれ訪れるこの現象。実はこれには大きな意味があったのです。以前、足の裏は内臓と直接繋がっていて老廃物が極めて出やすい部分だ、と記したことを覚えておられるでしょうか。次は、この老廃物のお話へと歩を進めたいと思います。
2016/01/23
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自分治療「冷えとり」のお話さて、ここである一つの疑問が生じてきます。私は体が熱くて暑がりだから汗をかいていたと思っていたのに、なぜ靴下を履いた方が気持ちいいのか。異様な汗がピタッと出なくなったのか。心が鎮まるのか。でも、それは不思議だけれど紛れもない事実なのです。調べてみるとその答えはすぐに見つかりました。なんと、その理由は、あまりにも、とてつもなく、私の体が「冷えていた」から!この文章を読んだ時、目を剥いた同時に妙に首を縦に振ったのを覚えています。というのは、人間はあまりに冷え過ぎたらカッと逆に火照るのだそうです。つまり、火照りは重症の証。極寒の冬の日など、火照るというのがなんとなくわかるような気がします。おそらく「霜焼け」のような感覚ではないでしょうか。そこで、これまでの自分を思い出してみることにしました。真冬に、ショーツ一枚に薄っぺらいストッキングを履いてスカートに足の甲の出た背の高いパンプス、タンクトップにぶかぶかのニットを一枚だけを着てコートを羽織るだけ、明らかにおかしい服装です。真冬でも冷たい飲み物。真冬、夜寝る時、氷のように冷たい足でなかなか寝付けない癖に、それでも対処はしない。なぜって、理由はたった一つです。「私は暑がりだから。暑がりだから、暖房の効いた屋内や満員電車などでは多量の汗が出ていたから、薄着にしたり冷たい飲み物を摂っていた ー 」。それなのに、真冬膝の辺りまで冷えて感覚はないし、暖房の屋内では汗が噴き出ているのに一歩屋外へ出ると急に体が冷えて唇は真っ青になったりします。なるほど…、暑がりというのは思い込みで、実は冷えていたのかもしれない…。思い当たる節が次々と浮かび上がってきて、「冷えとり」の4枚重ねて履く靴下の履き方を試してみようかという気持ちが湧き出てきたのでした。今振り返ると、私の生活全般が方向転換し、本格的な自分治療が始まった瞬間でもあったように思います。結果、お散歩を日課にしていたことは、下半身を温める効果があるので極めてよかったことだったようでした。
2016/01/22
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第五十二回「私、社会復帰できますか?」夢があるとこのブログで何度か公表しているけれど、もしかして、このブログを始めた時点でもう既に私の夢は叶っていたのかもしれないな。このブログぐらいがちょうどいいのよ、私のような者にとってはね。(2015.7.31. 23:30)
2016/01/21
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自分治療「冷えとり」のお話そう、あれは30歳の初夏。異様な汗が滴り落ちる季節到来です。一年の中でもっとも嫌いな季節であり、もっとも不快な季節でもありました。汗、汗、汗。また、汗。どれだけ汗が出るのだか。アトピーで肌はカサカサに乾燥している癖に手の平や足の裏からはベタベタの汗が出てきて、小学生の頃からプリントは私のものだけ濡れて引きつる始末。特に夏場は、足の裏の汗のせいで家中の埃という埃を私の足の裏が吸着しているのかと思われるほどに足の裏に埃が引っ付き、真っ黒に汚れるのがあまりに不潔不快で、暑さよりもその汚れが耐え難いために靴下を一枚履こうと思い立ちました。その数年前に流行したスニーカーソックスというくるぶしよりも浅い履き口の靴下が家にあったので、その靴下を。これならさほど暑さも感じないことでしょう。足の裏の埃を落とし、真っ黒な足をお風呂場できれいに洗ってから、渋々ながら履きました。するとどうでしょう。自分でも目が飛び出るほど驚いたのですが、靴下を履いたその瞬間にあれだけ全身から噴き出るように出ていた汗がピタッと落ち着いたのです。!!!!!いえ、夏なので汗は出ることは出るのですが、出方が明らかに違います。たった一枚の靴下で。しかもこんなに浅い履き口の靴下で。今考えると化学繊維100%のような靴下なのに。まさにこの一瞬間からなのです、私の自律神経がみるみる改善されていったのは!さらに、たった一枚の靴下が多大なる気持ち良さを発揮するのです。立っていた神経が鎮まって、なんて心が穏やか。もう、何だかよくわからないけど、目が点状態です。言うまでもなく、夏中このスニーカーソックスを履いて過ごしました。そして初秋。今ほど歩けなかったので、ゆっくりてくてくと1時間ほどかけて、リハビリがてら行ってみたかったある地元のカフェへ行きました。ちょうどお昼時が過ぎ、店内はがらんとしていてほぼ貸切です。本が何冊か置かれていたので、待ち時間読むことに。その時たまたま何気なく手に取った本が、正真正銘「冷えとり」の本だったのです。………………。読破。しばし無言、というか、絶句。たった、たった一枚のこんなに小さな靴下の威力とは!この時、私は「冷えとり」なんて言葉を見たことも聞いたこともなく、ただなんとなくこの本を手にしたのですが、あまりに引き込まれる内容にびっくり仰天してしまいました。ただ、一気に読み切ったものの、この時点では前回と前々回に書いたような「冷えとり」の意味などは一切頭に入らず、ただ靴下の4枚の履き方のところだけがやけに鮮明に記憶に残りました。なんか摑みどころのない不思議な話だな〜というのが正直な感想。絹?綿?5本指?4枚も?両足で計8枚??頭の中がハテナで埋め尽くされたまま帰宅しましたが、とにかく強烈な印象を与えられたことは確かでした。その後もやっぱり靴下のことが頭の片隅に引っかかっていたので、本やネットなどでいろいろと調べ始めるようになります。そういう頭で街へ出てみると、既にセットになった冷えとり4枚セットの靴下が服屋さんや雑貨屋さんで売られているのを見かけたりして、そうか、不思議な話だけど結構認知されている履き方なのだなと、そこでまた一つ納得。でも、この時点でもまだ私の中では「冷えとり健康法」というよりは「靴下の4枚の履き方」という認識しかありません。でも、なぜか頭で考えるよりも先に身体が靴下を履いている方が気持ちがいいし調子も良いのです。次第に手持ちの化学繊維の靴下を何枚も重ねて履くようになり、いつの間にか寝る時も履くようになっていきました。さらに、自然と化学繊維が退けられていき、綿などの天然素材の方がより気持ちいいことに気付き始め、気が付いたら、買い足す時はタグをひっくり返してまじまじと見、限りなく綿100%に近いものを探すようになっていったのです。
2016/01/20
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【左側の顔面痙攣 エピソード221】1/15(金)小豆粥を食べる。七草粥と並んで、こちらも毎日毎食でもいい。というか、近頃食欲旺盛すぎて自分でもびっくりする。とにかくたくさん食べたい。甘いものも欲しくなる。それでも、あれだけ中毒のようだったチョコレートはもういらないらしい。と、世の中はバレンタインって最近なんでも早過ぎるのじゃないかしら。早けりゃいいってもんじゃないと思う。1/16(土)〜だったり〜だったり、〜的な、落とし込む、の使い方がどうも気に食わない。1/17(日)左の鼻の中にヘルペスができる。ここ何日間か気持ちがささくれ立っていたから、このせいだったのだとわかって、なんか落ち着いた。これからの季節、要注意。お散歩、というより、いつの間にか、もうウォーキングに近い速さになっている。1/18(月)土用今日から31日まで市内全館の図書館が休館する。何でも、コンピュータシステムを大幅に更新するのだとか。いつだったか入口に盗難防止センサーが付いたのだけど、実はまだ稼働していなかった。おそらくこのシステムのことではないかと睨んでいる。図書館って市の所有物だから、手続きとかいろいろと面倒くさそうだよね。えっと、この長期休館は常連の私にとっては重大問題。うーん、どうやって過ごそうかしら…。それにしてもちょいと長すぎやしませんか?(たんまり借りておいたけど。)1/19(火)ほんの少しだけ、雪がはらりと舞う。初雪だ。冬本来の寒さになって、いつも思うことは、建築現場で働く人たちのこと。真夏と真冬は本当に大変な仕事だと思う。ここ地元の工事はまだまだ続きます。
2016/01/19
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自分治療「冷えとり」のお話さて、前回に引き続き、もう少しその具体的な「冷えとり」の方法から。半身浴については前回もお話ししたように、入浴時の習慣にします。38°Cぐらいの温めのお湯でみぞおちから下だけ長い時間温まります(腕と手は出す)。例えば休日など、いつでも何時間でも入っていていいそうです。ただし、水分補給はくれぐれも忘れずに。食べ過ぎに注意するというのは、つまり腹八分目にするということです。食べ過ぎると血行が悪くなってしまうので、胃腸を休ませてあげてお腹をすかすことが大事です。食欲がない時は無理に食べず、また、一日3食食べなくても可。体を温めてくれる食材である土の中に成る穀物類や豆類、海藻類などを中心とする玄米菜食をよく噛んで少量摂っていれば、栄養は十分足りるそうです。加工食品や化学調味料、白砂糖など、体を冷やしてしまう食べ物ばかり摂っていては本末転倒なので、なるべく避けるようにします。そして、「冷えとり」の方法の要の要は、体の末端の末端である足先を優先的に温めること。つまり、靴下やレギンス(ズボン下)を何枚も重ねてたくさん履いて半身浴に近い状態を保てるようにします。さて、この、靴下やレギンス(ズボン下)を何枚も重ねて履くという履き方。ただ闇雲に何枚も重ねて履けばいいという訳ではありません。実はこれにはちょっとした技があります。いえ、もちろん履かないよりは闇雲でも履いた方がいいのですが、その靴下の「素材」の重ね方が極めて重要な役割を果たします。まず最初に、絹100%の5本指靴下を履きます。次に、綿か毛(どちらでも可)100%の5本指靴下。そして3枚目に絹100%の先の丸い普通の靴下を。最後に綿か毛(どちらでも可)100%の先の丸い普通の靴下です。以上の4枚。これが、「冷えとり」健康法の靴下とレギンス(ズボン下)を重ねて履く時の「素材」の基本的なルールです。えー、急に不思議な話になってしまいました。では、なぜこんな履き方をするのでしょうか。しばしお付き合いください。足の裏というところは、ツボ押しなどでも有名ですが、内臓と直接繋がっていて、さらに非常に汗腺が発達しています。冬場でも、足の裏はなんとコップ一杯分ぐらいの汗をかいているのだとか。つまり、体の中で老廃物が極めて出やすい部位なのです。だから、足先を温めるついでにいらなくなった老廃物も一緒に出してしまおう、と一石二鳥の考えで考え出された方法がこの重ね方だった訳です。絹という素材は極めて秀逸な素材で、老廃物を吸うこともできるし吐き出すこともできます。素晴らしいですね。ただ、綿と毛は、老廃物を吸うことはできますが、残念ながら吐き出すことはできません。だから、一枚目に履いた絹が吐き出した老廃物を吸うことはできても吐き出すことができないので、また3枚目に絹を履いて2枚目に履いた綿か毛(どちらでも可)から吸ってもらうことにするのです。要するに、絹と綿か毛(どちらでも可)を交互に履くことで順々に外へ外へと老廃物が排出されていく仕組みです。因みに、もちろん指の間からも老廃物は出るので、1枚目と2枚目だけは5本指靴下を。綿か毛かは好みなのでどちらでも構いません。さらに4枚だけと言わずもっと重ねて履きたい時は、ひたすら絹と綿か毛(どちらでも可)を繰り返せばいいのです。たくさん履けば履くほど老廃物の排出は大きくなります。また、レギンス(ズボン下)を何枚も重ねて履く場合も、絹と綿か毛(どちらでも可)を繰り返してできるだけ靴下の順序と同じようにします。若干ややこしいお話になりました。繰り返しになりますが、ここに書いているのはあくまで私自身の見解なので、進藤義晴さん(と娘の進藤幸恵さん)の著書を読んでみてくださいね。もし少しでも気になった方は、「冷えとり靴下4足セット」という既にセットになったものが売られているので、こちらを試しに履いてみるのが一番いいかと思います。もちろん男性用もありますよ。今手持ちの靴下をとりあえず履いてみる場合は、なるべく化学繊維の入っていない自然素材のもので、尚且つ締め付けのないゴムの緩い大きめの靴下をたくさん重ねて履いてみてください。化学繊維は老廃物を吸う力も吐き出す力もありません。ということは、老廃物を体内に閉じ込めてしまうということです。また、いくら重ねてたくさん履いたとしても、極度の締め付けは逆に血流が悪くなってしまうのでご注意くださいね。とにかく重ねて履けば履くほど暖かくなるので、そこはかとなく気持ちがほんわかしますよ。次回は、やっと本題の私と「冷えとり」の出会いから始めようと思います。
2016/01/18
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自分治療「冷えとり」のお話自分治療のテーマとしてはこれが最後のお話になります。「冷えとり」のお話。簡単なようで実はとても奥が深い「冷えとり」のお話。私がこれまでずっと取り組んできた自分治療の中でももっとも書きたかったことであり、また、もっとも効果のあった自分治療でもあり、ようやく機が熟してここに書けるようになったことを心から本当にうれしく思います。ここ数年の集大成とも言える日記です。かなり長い文章になると思いますので、必要のない方は遠慮なくスルーしてくださいね。さて、「冷えとり」という言葉をご存知でしょうか。もしかしたら女性の方が聞いたことがある方が多いかもしれません。ではまず簡単ですが「冷えとり」とは何かというところから始めたいと思います。(ただ、これから書くことはあくまで私なりの解釈です。実はここまで理解するのにかなりの時間を要しました。もっと詳しく知りたい方は進藤義晴さん(と娘の進藤幸恵さん)の著書を参考になさることをお勧めします。)この「冷えとり」の「冷え」とは「冷え性」の「冷え」ではありません。人間はみな上半身に内臓があるので上半身の血行は良いですが、末端、特に足先は冷たくなったり感覚がなくなったりすることが多くありませんか?なんと、その温度差は実に5.0°C以上にもなるのだとか。つまり平熱が36.0°Cの人でも足先は30.0〜31.0°Cほどしかないのです。これは、病気だとかそういうこととはまったく関係がなく、健康な人も大人も子どもも男性も女性も、人間誰しも足先が例外なく冷えているということです。よく考えてみると、足には臓器がないのだから当たり前のことですよね。そこで、その上半身と下半身の温度差を極力小さくしようという健康法のことを「冷えとり」と言います。そうすることによって全身の血流が良くなり、老廃物が体内に留まることなく排出されて自然治癒力も高まるのです。とは言っても、内臓は上半身にあってそれはひっくり返っても決して変えられないのだから、下半身の温度をどうにかして上げるしかありません。つまり「冷えとり」とは、いかに下半身の血流を良くして温度を上げるかということなのです。もちろん夏も下半身を温めます。気温が高くなれば上半身と下半身の温度差が縮まるということはあり得ません。むしろ、炎天下の中で頭ばかりが熱くなり、足先だけ水に浸けてちゃぷちゃぷと水浴びをしていたら、上半身と下半身の温度差は大きくなる一方です。そこで出てくるキーワードが「頭寒足熱」。頭を涼しくして、足を温めます。年中そういう状態に体を保つことで、下半身の冷えが小さくなり、血流が良くなって自然治癒力が高まるので、日々健康な生活が送れるという訳なのです。さて、その具体的な「冷えとり」の方法とは、ずばり半身浴をすること!半身浴とは、大体38°Cぐらいのお湯でみぞおちから下だけ長い時間お風呂に入ることです。誰が考えても上半身と下半身の温度差は極めて小さくなりますね。しかし、一日中、または一年中半身浴をし続けることなど到底できるはずがありません。そこで、靴下やレギンス(ズボン下)を何枚も重ねて多く履いたり、入浴時に半身浴を習慣にしたり、食べ過ぎは血行が悪くなるので食べ過ぎに注意したり、一日中できるだけ半身浴の状態が持続できるようなことを日々の生活に取り入れる訳です。大まかですが、「冷えとり」とはこういう健康法のことを言います。
2016/01/17
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ぼくの砂時計はまだ落ちつくしてはいない「人間とは多かれ少なかれ暴力を内に秘めているもの」「理由がわかって何かをしている人間など、そう多くないぞ」「時間の経過というものは、実に奇妙で、矛盾に満ちている。無味乾燥な時間や、何事もなく過ぎていく時間は、無限の長さに感じられるはずだと思う。絶対にそうであるはずなのに、実際は違う。のんべんだらりと過ごした時間ほど、振り返ってみると短い。興味の川を下り、悲しみの岩に傷つき、歓喜のクレパスを飛び越えていた時間こそ、記憶の中では長い。考えてみれば当然のことかもしれない。時間の中の出来事は、記憶を支える柱だ。事もなく過ぎた時間にはその柱がなく、記憶のカーテンを吊るせない。無から無までの時間は、やはり無になる」「喜びが巨大なだけに悲しみも巨大であり、飼っていた犬が死ぬだけで、世界は壊滅した」「固定された生活パターンから離れることは、たとえそのパターンを嫌っていても容易ではない」「ゆるすか、それとも逆にうらみをあおり立てるか。甘受し、賛同し、他の歯車の中にあって、自分も一つの歯車となるか。それとも逆に、自分の心に動いている破壊の力をそそり立て、あらゆるうらみをこめて、既成的生活、道徳、家庭、社会に向っておどりかかって行ったものか」「大事件は歴史の方向をねじ曲げるという。だが、もしかしたらすべての出来事が ー たとえば、道で小石をまたいだとか、きれいな娘を見て息を呑んだとか、庭いじりで爪に傷がついたとか、そんな小さなことも ー それぞれの程度に応じて歴史を左右するのかもしれない」「人間は、出会ってしばらくすると、目で見るより肌で感じるものになる」「口下手の人にはそういう傾向がある。寂しさを書き、悩みを書いた」「おふくろが生きていた頃の家はきれいだった。どうやったんだろう。あれと同じ家にはとても見えない。何だかわからんが、何かが積もって、いくらこすってもとれない」
2016/01/16
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未来というものも、遠方と何の変りがあるだろう「君、ぼくらだって子供とどうちがうんだ。ぼくらはむしろぼくらの手本と仰ぐべきものを目下に見ている」「人間が互いに苦しめ合うくらい、ばかげたことはないんだ」「どうせ読むのならわたくしの趣味に合いましたものでありませんと」「いい心持だ、自分で育てたキャベツを自分の食卓の上におく、そしてキャベツばかりか、それを植えた美しい朝、水をやったたのしい夕べ、その育っていくのをうれしく見守った日々すべてを一瞬間のうちに再び味わっている人間の単純で罪のない歓喜をしっかりと感じるんだからね」「人間が出来て、何千年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えていえば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ」「人間は、とことん追い詰めてはならんものだ。誰にでも、逃げ道の一つくらいは残しておいてやらねばな」「善こそは、虚無を制しうるたった一つの力だからです!」「種のいい馬ははげしくせめられると、息を楽にするために本能的に自分の血管をかみ破るということだ。ぼくもたびたびそんな気になる。血管を切り開いて、永遠の自由をえたいと思うのだ」「ぼくばかりではないのだ。人間誰でも希望を欺かれ、期待を裏切られる」「あいつは怖がることを知らん。だから、勇気というものを知ることがない」
2016/01/15
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【左側の顔面痙攣 エピソード220】1/10(日)新月メジロが柿の木に止まっておいしそうに柿をついばんでいる。梅の木にメジロが常客だから、柿の木を背にしたメジロを見るのは若干の違和感を覚えるけれど、もう、春、でしょうか…。年代に関係なく、男女の二人連れは、例外なく女性の方がプンプンと文句を言って、怒っている…。1/11(月)家でゆっくり過ごす。上中下巻3巻に渡る小説の上巻を読み終える。佳境にさしかかってきた!それにしても、図書館で本を借りると、上巻はいささか手垢でくたっとして黄ばんでいるが、中巻、下巻、と巻が後ろへなればなるほど新巻のようになってゆく…。1/12(火)妹のお姑さんのお母さんが亡くなったそう。つまり、もんもんはひ孫にあたる訳だけど、もんもんが生まれた時、まさかの双子の誕生にそれはそれは喜んでらしたそう。家が九州だそうなので、しばらく大変になりますね。またもや、左側の片側(へんそく)顔面痙攣がむくむくと顔を出し始めた。なんとなく頬から下に違和感を感じる。はて、もう1年半以上も続いているのだが…。1/13(水)梅が咲いている。まだお正月明けなのに。地元の友達はみんな個性的なのだけど(私と馬が合うぐらいなので)、その内の一人から今日(!)年賀状が届く。「尚の年賀状のシュールさに早々笑わせてもらいました(笑)」と書かれていた(苦笑)パートナーは粋だと言ってくれるのだけども。1/14(木)ようやく冬が来た。この冬初めて手袋をはめる。電車で前に座る中年女性が眉を吊り上げて炎のように怒っている。眉間には縦に平行に2本線が入り、思わずカッと目を見開いた不動明王を連想してしまう。機関銃のように旦那さんへの文句を隣に座る友達にぶちまけている様子。離婚するのですって〜。
2016/01/14
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ぽかぽか地元のお散歩が楽しいです。梅。もう結構咲いてます。ぴょん!しばし戯れた(笑)椿。気に入ってる。
2016/01/13
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第五十一回「私、社会復帰できますか?」今になって冷静に振り返ってみると、以前働いていた職場はとてもとても閉鎖的な場所だったと思う。発病をきっかけに退職したけれど、遅かれ早かれ私には「脱落」という二文字が待っていたに違いない。ふと、今頃になって、なぜか思い出した。(2015.7.22. 21:30)
2016/01/12
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自分治療「お散歩」のお話今更わざわざ書くまでもありませんが、お散歩は本当に良いです。歩けば歩くほど距離は伸びて、今はどこまででも歩ける気がします。まず、新陳代謝が良くなりました。少し歩くだけで体の中からぽかぽかしてきて、清々しい汗が出てきます。幼い頃から体が弱く、決して丈夫な体ではなかったのですが、今はお散歩のおかげか年々元気になって風邪を引くこともほとんどなくなりました。年中風邪を引いていて内科の常連客のような状態だった私が、今は年に1回ほどに。しかも、この度風邪を引いていない歴が1年以上になりました!これまでの人生において初めてのことなので、自分でも驚くと共につくづく元気になったなぁと我ながら感心する所存です。おそらく、今後もっと更新されてゆくことでしょう。また、アトピーなのでこれまで神経質過ぎるほど紫外線を避けてきましたが、肌も着実に良くなり、日傘が邪魔になってきて昨夏からは帽子を被れるようになったので、ほどよい日光浴になっています。これがまた私には良かったようで、逆に日光浴ができない方が調子が悪いぐらいです。お日様こそが最大の恵みだと痛感しています。写真が趣味になったのもお散歩がきっかけでした。まだまだ歩けなかった頃は、歩く速さがとても遅いから、自然と道端に咲くお花に目が留まる訳です。野花ってなんて強く逞しく、そして楚々としてかわいらしいのだろう。当時はまさに人生の巨匠のようでした。季節の移ろいをいち早く知らせてくれるのも、野花や木々たちなのです。のらねこちゃんと遊ぶようになったのもお散歩がきっかけでした。ねこちゃんとカメラを通して話をしているとだんだん通じ合ってくるのがわかり、このアレルギー体質の私がのらねこちゃんに触れられるようにまでなりました。ねこちゃんは思わず微笑んでしまうほどかわいいです。ささやかな夢は、いずれどこかでふとした時に出逢ったのらねこちゃんを保護して飼うことなのです。ひどい方向音痴の癖に細い路地裏へずんずん進んでいくこともお散歩の醍醐味で、思わぬ道に出られたり雰囲気の良いカフェを発見できたりして、これがまたお散歩が止められない理由でもあります。どんなお散歩コースを辿っても、たとえお花やねこちゃんとの出会いがなくても、いずれにしても気持ちは晴れ晴れします。悶々と考え込んでいた悩み事もいつしかすっきりと解決していて、なんてちっぽけな事で悩んでいたのだろうと前を向いているのです。でも、誰しも生身の人間です。次の日には次の日の悩みが、またその次の日にはその次の日の悩みが心を覆うものです。だから、それらを背負ってまた歩きに行きます。そして自ら解決する日々の繰り返し。それでいいのです。それが生きるということだと思っています。未熟ながら、歩けば必ずその日の「心の目的地」へ辿り着けることを学びました。これからも日々の暮らしにお散歩は欠かせません。私にとって、心と身体の平衡を保つのはお散歩に他ならないのです。
2016/01/11
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無限に豊富なのは自然だけだ「もしわれわれがいつも、神が毎日授けてくださるいいことを味わう率直な心を持っていられたなら、たといいやなことがあっても、それに堪えるだけの力を持つことができるだろう」「わたくしは、どうも万事わたくしたちの心がけ次第だっていう気がしてなりません」「不機嫌というやつは怠惰とまったく同じものだ。つまり一種の怠惰なんですから。ぼくたちはそもそもそれに傾きやすいんだけれど、もしいったん自分を振い起す力を持ちさえすれば、仕事は実に楽々とはかどるし、活動しているほうが本当にたのしくなってくるものです」「作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱」「いい画を見る事は心楽しむばかりでなく、時に精神勇躍し、何ともいえない快い亢奮(こうふん)を覚える」「子供はいつか大人の正体を見抜く。大人にも神のような知性はないこと、常に賢明な判断をするとは限らないこと、ときには考えを誤ったり、不公正な結論を得たりすること。そのことに気づくとき子供の世界は瓦解し、恐慌状態が支配する。(略)完全無欠だった子供の世界はもはやなく、痛みをともなう成長がそこにある」「ひとは一瞬のあいだ、雨でずぶ濡れになり、雷に打たれる。雨や稲妻を前にしては、なすすべもない。だが、そのあと陽の光が射してくる。嵐のことを忘れてしまったわけではないが、残っているのは優しさだけ。悲しみはない」「人間なんてものは何の変哲もないものさ。大概の人は生きんがために一生の大部分を使ってしまう。それでもいくらか手によどんだ自由な時間が少しばかりあると、さあ心配でたまらなくなって、なんとかしてこいつを埋めようとして大騒ぎだ。まったく奇妙なものさ、人間というやつは」「その岸辺の左右には落ち着きはらった紳士諸君が住んでいて、自分たちの四阿(あずまや)やチューリップの花壇や菜園が台なしにされやしないかと心配して、将来の危険にそなえて時折ダムを築く、排水工事を施すという次第だ」「「犬は下っ腹に毛が生えていないから厭だ」そういえば猫の下っ腹には柔らかな毛が密生している」
2016/01/10
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【左側の顔面痙攣 エピソード219】1/6(水)小寒たぶん、3日ぐらい前から花粉が飛んでいる。ううん、たぶんじゃなくて絶対!目がしょぼついてかゆい。そういえば、推理小説はめっきり読まなくなったなぁ。唯一写真のSNSだけしているけど、このブログと同じぐらい楽しい(愛しのアキヲをUPしたりしている)。ひっきりなしにコメントし合っているような仲良しグループには一切入っていかない。いえ、入っていけない。コメントしなきゃいけないっていうその拘束感に疲れちゃうからね。そもそも他人にはあまり興味がなし。私は自由気ままでいたいのよ。きっと人生においてもね。ただ自分の撮った写真を地味にひっそりとUPするだけです(毎日)。のらねこちゃんにぱったり遭遇して、のらねこちゃんの写真がたくさん撮れた日は、あまりにうれしくてひとしきり写真を見てしまう。そしてそれらがどんなにボケていたり拙い写真であったとしても、削除することは決してしない。だって、ねこちゃんを見るだけで自然と口元がほころびるんだもの♪1/7(木)地元に活気が戻る。学校が始まるからね。(地元の工事も大きな穴を掘ったりして本格化。)やっぱりまだ左の口角だけが、そこに心臓があるかのようにドクドクと波打っている…。左側の片側(へんそく)顔面痙攣、一体いつ止まってくれるの?七草粥を食す。私、毎日毎食でもいいです(笑)1/8(金)発病した時に働いていた職場の上司で、唯一年賀状のやり取りをしている方がいる。当時はとてもお世話になった。今年は年賀状は来ないかなと思っていたら、かわいらしい薄ピンクの和紙の封筒に入ったお手紙が届く。桜の形をした小さなお花で封が留めてあり、なんだか春を感じさせてくれるお便り。はがきで十分なのに、わざわざお手紙にしてくれたところが上司らしいな、と心がポッとする。1/9(土)そう言えば、数年前から紙の年賀状は止めた、という不登校の時に担任だった先生にメールをするのを忘れていた。遅まきながら、あけましておめでとうございますとメールを送る。すると、すぐに返事が返ってきて、今名古屋にいてこれから博多へ向かうそう。先生、何してるんだ?晴れ!てくてくお散歩がてら初詣に行く。
2016/01/09
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峠は、かならず超えるときがきます「その日、その日を大事に、一歩一歩積み上げていく。その平凡なことを何十年も続け、ささいなことを積み重ねるならば、いつの日か平凡は非凡な結果に変わるのです」「悲しいとき、絶望しそうになったとき、握り拳をつくってみてください。そして、その握り拳で涙を拭くのです。そうすれば、もう一度生きてみよう、と立ち直ろうとする自分が、涙のなかから生まれてくるのです」「生命は、はかなく、か弱いものだが、一方で、したたかで強い面を持っている」「「あきらめるな!」と自分を叱咤しながら眼の前一メートルぐらいの地面だけを見て走り続けるというやり方です」「花の色ってのは、ところどころに白い花を添えると、いっそう引き立つんだよ」「確かに」「旱魃(かんばつ)の年には豊作の年を忘れ、豊作の年には旱魃の年を忘れる。人間とは、いつもそうしたものだ」「奸計(かんけい)や悪意なんかよりも、誤解や怠惰のほうがよっぽどいざこざの基になるんだね」「こうまでしつこく想像力をはたらかせて過去の不幸を反芻せずに、虚心に現在を生きて行けたら、今より苦痛がすくなくてすむんだがね」「それにつけても、この世の中を歩いて行くぼくらの道がほんのしばらくの間しか一緒でないのが恨めしい」「ああ、こんなにもゆたかに、こんなにもあたたかく己(おれ)の中に生きているものを表現することができたらなあ。それを画紙にとらえることができたらなあ。そうして、ちょうど己の魂が無限なる神の鏡であるように、それが己の鏡になってくれたなら」「たとえ十種の病気持ちでも運は天に任せて、できる限りおしゃれもして、この人生を楽しみたい」
2016/01/08
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自分治療「半身浴」のお話冬場には毎日真剣に1時間ほど入っていた時期もあったり、夏場は暑いから入らなかったり。ただ半身浴は発病前からなんとなく続けていたことだったので、おそらく10年以上は続いていると思います。半身浴とは、お風呂で熱過ぎないお湯でみぞおちから下だけ長く入ること。大体38°Cぐらいのお湯で30分以上でしょうか。体の表面ではなく、体の芯を温める効果があります。私はもともと熱いのが苦手です。暑い夏も嫌いだし、暖房も嫌い、辛いもしくは酸っぱい食べ物も嫌い、なんでって自律神経失調症で多量の汗をかくからでした。玉の汗のようなそんなかわいらしいものではないのです。本当にシャワーを浴びたような汗が噴き出るのです。ということで、以前から自然と温めのお湯を好んで入っていたように思います。発病後に至っては、お風呂に入ると足のしびれで足全体がかちこちに固まって動けなくなり、一時的にウートフの症状が出ていたので、必然的に温めのお湯になりました。最近は毎日40〜50分ほどまじめに半身浴をしています。私は湯船に浸かりながら歯みがきをする習慣があるので、歯みがきをしてからぼーっとしていたらそれぐらいの時間入っていることになっているようです。本を読んだりはせずに、ひたすらにリラックス。思考を巡らせる時間でもあります。しばらくすると新陳代謝が良くなってきて、お腹もぐるぐると動いてきて、しっとりと汗が出てきます。特にお湯の中というところは老廃物が出やすいところらしく、静かにお湯に浸かっていると一日の汚れを身体の奥から排出している感じがします。因みに、汗が出てこなくてもちゃんと老廃物は出ているそうですよ。そういえば、かなり以前のことですが、ただぼーっと入っているだけなのに、ふと気付くとお湯がうっすらと白く濁っていたり、黒い埃のようなものが底に沈んでいたり浮いていたりしたことがあったのです。しかも毎日のように。なんだろうと思っていましたが、これも身体の中から老廃物が出た証拠なんだとか!なんとも不可思議な体験でした。今はもうそんなことはなく、ちゃんと透明なお湯のままです。血行を良くすると免疫力が上がり自然治癒力が高まります。冬場だけと言わず、これからは一年を通して半身浴を習慣にしようと考えています。
2016/01/07
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のらねこちゃんコレクション最近撮ったお気に入りののらねこちゃんコレクションを何枚か。会わないと思いきや、結構、会うよ。なんか、楽しそう(笑)百獣の王。ガオー。この写真好き。ねこちゃんって、一番かわいい撮られ方を知ってると思う。
2016/01/06
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【左側の顔面痙攣 エピソード218】1/3(日)晴れてうれしいけど、日に日に春へ向かっていくかのような陽射し。もう少し寒くならないと冬という感じがしないですね。みんな福袋とかバーゲンと言って騒いでいるけど、何をそんなに買うのだろう。福袋にあれだけの闘争心と執念を燃やせる気力が私にはさっぱりわからない。欲しい物なんて、別にない。逆に何を買ったのか教えてもらいたい。そもそも私の欲しいと思うような物は、バーゲンもしなければ福袋もしない。だって、流行り廃りがない物なんだもの。何年も何年も定価のままで売り続ける物なんだもの。1/4(月)ようやく世間が日常を取り戻す。これでこの先1年間年末年始を経験しないで済む。ホッ。この2週間ほどは、正直気持ちがちょっとしんどかった。それは、おとといの妹一家ご来宅の件が要因。お正月から出かけたくもないのに出かけないといけない→どこへ?の自問自答の日々だった。妹としては、もんたともんじを叔母である私に会わせたかったみたいだけど、私が外出したものだから、ご立腹。加えておかげさまで「峠」も一段落して、そのストレスで過食に走ってしまった。でも、今年は年末年始が結構あっさり終わった気がするのは私だけかしら。きっと2日と3日が土日だったからだわね。地元はまだしんとしている、と思っていたら、お正月早々お葬式らしい。私のおじいちゃんも12月29日に亡くなったので、30日にお通夜、大晦日にお葬式だった。幼いながらに大変だったことをはっきりと覚えている。1/5(火)さーて、今年も美術館へ行きましょうか。今年はどんな展示をするのかしら。とりあえず今月中に行っておきたい目ぼしい美術展が3つある♪寿ぎの美術館♪大好き♪ということで、今日は無料で鑑賞できる美術展へ行く!年々興味の対象がピンスポットに縮まっているというか、先細りしている感は否めないが、そうは言っても実際そうなのだから、仕方がない。
2016/01/05
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自分治療「基礎体温」のお話自分治療の極意は、血行を良くして新陳代謝を上げて基礎体温も上げて自然治癒力を高めることにあると思っています。朝目が覚め、お布団の中でまどろんでいる時に、体温計を脇に差し入れます。まだ夢の中。ピピピッと体温計が鳴ると、現実の朝が訪れます。足首をぐるぐると回すと一気に体に血が巡るので、目がぱちっと開きます。毎日欠かさず基礎体温を計っています。女性には体温の高温期と低温期とがありますが、おそらく私の基礎体温は36.0°C。かなり低いです。せめて大幅に譲って36.2°Cにはしたいと思っているのですが、なかなか上がりません。というのも、体温が1°C上がると免疫力は5、6倍上がると言われているからです。どうしたら上がるのか、日々模索中。私の場合、筋肉がまったくないので、筋肉を鍛えるのがいいのかもしれません…。
2016/01/04
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人生は止まらない。乗り遅れないで。「遠い祖先の人たちは、みんな泉のほとりで知り合いになったり結婚を申し込んだりしたものなんだ。そうして、噴井(ふんせい)や泉のまわりには恵み深い精霊がすんでいたんだね。そういうことに思い及ばないのは、つらい夏の日の旅をおえて、泉の冷気にほっと息をつくという味を知らない人間だけだろう」「他人に向って胸襟(きょうきん)を開く大きな魂を見ることほど、本当のあたたかいよろこびをもたらすものはこの世にないのだ」「しかし山を一つ越えて行かなければならないのなら、仕方がないから越えるまでだ。そこに山がなければ、道中はむろんもっと快適だろう。距離も短くなるだろう。しかし現に山があるのだから、越えなければならんのだね」「いうまでもなく自分の物さしで他人を計ることの愚はぼくも次第に認めつつある」「ぼくたちはよくこう思う、ぼくらにはいろいろなものがかけている。そうしてまさにぼくらに欠けているものは他人が持っているように見える」「ぼくらがどんなに弱くても、どんなに骨が折れても、まっしぐらに進んで行くときは、ぼくらの進み方がのろのろとジグザグであったって、帆や橈(かい)を使って進む他人よりも先に行けることがある、と実によく思う ー そうして ー ほかの人たちと並んで進むか、あるいはさらに一歩を先んずるときにこそ本当の自己感情が生れるのだ」「不満はいつもばかげた虚栄心にけしかけられると嫉妬心と一緒になっているんですよ」「ぼくらの気持や行動の仕方は実に複雑なのだ。鷲鼻と団子鼻との間に無数の変化があるようにね」「人生のつける花々は幻にすぎない。たいていは跡形も残さず、たとい実をつけたとしても熟しきる場合はすくないのだ。それでも熟した実だって十分にあるのだからね。そういう熟した実をないがしろに軽蔑し、味わいもせずに腐らせてしまえるだろうか」
2016/01/03
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【左側の顔面痙攣 エピソード217】1/1(金)今年は申年。年女です。本厄でもあります。多少、年は、食っていますが、まぁ、もんたともんじと似たり寄ったりのお猿さんらしいです(笑)それから、左側の片側(へんそく)顔面痙攣さん、今年はいい加減に完全に止まってください。それにしても、妹はどうしても自分たち夫婦の写真を年賀状に載せたいらしい。そしてなぜか妹は浴衣を着ている写真を選んだ…。(もしやわざわざこのために浴衣を着たのか?)晴れ着姿を見てほしかったのね。私きれいでしょと言いたいのね。かわいいと言ってもらいたいのね。私なんかは 、もういい歳なんだし(今年33歳)もんもんの写真だけで十分だと思うのですが。いえ、もんもんだっていつまで続くことやら。まぁ、個人の自由だし、楽しそうだからそれでいいのですけれど。おそらく妹の友達がみんな夫婦の写真入りなのでしょうね。競い合い、なのでしょうね。というか、なんで妹から我が家に年賀状が来るのか。そういうものなのですか?1/2(土)妹家族が来るというので、私は外出することにする。私は家にはいられない(自分が蒔いた種だから仕方ない)。母は朝から唐揚げの仕込みに奮闘する(唐揚げは旦那さんの好物→だけど妹は家では洗い物が大変だからという理由で油物は作らない→だから旦那さんが来る時のメニューはいつも唐揚げ)。ということで、地元を歩くことにしよう。近所の人たちは結構家にいらっしゃるみたい。洗濯物が揺れている。家を出るとすぐにアキヲがちょこんと座っている。アキヲだっ!あけましておめでとう!なんだか良い1年になりそうな予感です♪こちらは決して田舎ではないので、飲食店もほぼ休まない。コーヒーチェーン店は私のように行き場のない孤独な人たちの溜まり場だ。みんな下を向いて決して目を合わさないけれど、親近感・連体感を寄せ合っているという空気をプンプンと醸し出している。右隣には一人ぽつんと座って将棋の本と睨めっこするおじいちゃん、左隣にはずーーっと自撮りというやつをしている私と同じ歳ぐらいの二人の男性。そんなにたくさん二人で写真を撮ってどうするの?私はおもむろにS・モームの「雨」を読み始める。読書とお散歩に没頭した一日になる。去年のお正月は風邪を引いて寝込んでいたから、結果、今年は良いお正月になる。
2016/01/02
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私サル年です、よろしくね。あけましておめでとうございます。なんら変わらぬ生活をしています。食っちゃ寝&読書正月です。おそらく今年もなんら変わらぬ一年になることでしょう。それが一番ですけれどね。みなさんにとって穏やかな一年になりますように。今年もよろしくお願いします。今年の年賀状は「出初式」にしましたよ♪消しゴムをカッターで掘ってはんこにして3つのパーツに分けて押してみました。おっとっとっ(笑)
2016/01/01
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