全31件 (31件中 1-31件目)
1
青春!まったくこんなにいいものはない「しかし、最悪の習慣だってそれが失われるとやはり物寂しいもんだ。おそらくそういう習慣に限って人間はいちばん心残りがするんだろうがね。われわれのいわば人格の中枢なんだから」「自己否定なんぞで損ってはいけない」「でも私は人間のない財産よりも、財産のない人間の方をとります」「時間の癌腫(がんしゅ)が、おれたちを食いほろぼしつつある」「朝から晩まで自分の臀(しり)の上に坐っているのに飽き、」「悲しみもなく、悔恨もない。過去もなく、未来もない。現在だけで、ぼくには十分だ。その日、その日。今日!美しき今日!」「いな、芸術家が欲するものこそ孤独なのである」「おれは忍耐の極限に達してしまったのだ。壁に押しつめられているのだ。もう一歩も退けない。歴史が進行するかぎり、おれは死んでいる」「なんたる恥ずべき腐敗しきった世の中でしょう」「落城しないような堅固なお城はない」
2019/01/31
コメント(0)
ふわふわ最近は、大体2冊の小説を並行して読んでいる。家と外と。家では分厚い本を読み、外出する時には薄い文庫を持ち歩く。そして、なるべくその2冊の読み始めと読み終わりは重ならないように気を付けていて、というのも、常にふわふわと小説の世界に浸っていたいからである。が、先日、ついのめり込んでしまってうっかりし、読み終わりが同時になってしまった。小説の読み始めというものは、なかなかその背景が掴みにくく、難儀する。ということは、その日私の中では浸る世界がないということになり、無の状態になってしまった。なんというか、久しぶりの感覚だった。何もない寂しさ。ぽっかりと穴が空いた哀しみとでも言おうか。これからはどうにかしてでも読み始めと読み終わりはずらすべし、と大きく決意新たにしたのだった。(次の日にはもうふわふわしているのだけど笑)
2019/01/30
コメント(0)
物の、憐れな一生。少々鳴りを潜めていた女王様、妹。先日メールが来る。もんもんが使わなくなったおもちゃなどのグッズを、フリマサイトで売ってくれないか、と。お菓子に付いていたおもちゃ、ポイントを使い切りたいが為に買ったおもちゃ、キャンペーンにそそのかされたおもちゃ、などなど。それらがすべて二つずつ。ほら、予想は的中した。そんなこと目に見えていた。次から次へと買い与えるからそうなるのである。使わなくなったというよりも、買ったその日にはもういらない物になっていたではないか。私はすぐさま返事する。私になど頼まず、しかも私はおもちゃの事などさっぱりわからないのだから、自分でフリマで売ったらいいではないかと。すると、それをする気力がないのだとか。物の、憐れな一生。最後まで面倒を見てあげることさえもできないのだと思うと、この社会の仕組みに悶々とし、ますます自分で何か物を買う時には本当に必要な物だけをよく吟味して買おうと、心に堅く誓うのであった。
2019/01/29
コメント(0)
大人のバレエ大人のバレエってやつを、やっぱり習いたいかもしれない。夢だけは大きく持っておこうね。早春。(今日花粉が飛び始めたと思う。)
2019/01/28
コメント(0)
ざっぱーんぶくぶくやっぱり化粧することは苦手。一枚ベールを貼り付ける違和感と面倒臭さ。アトピーだから、そもそも興味がなく、いえ、ファンデーションを塗りたくるなんてできなかったので、私の人生の中でそれでもがんばって着飾ったのは学生の頃3年間ほどか。素顔が一番良い。何も塗らないことほど調子が良いことはない。が、さすがに外出する時は保護の為に塗るが、結局は塗りたくないのである。なるべく大股でゆったりと歩く練習を重ね、さらに趣味がお散歩だから、結構な距離を歩くようになり、たぶん足はもう完全に治ったと思う。若干左足が前へ出にくかったことも解消したし、靴底も左右だいたい同じように減る。まだ下半身にしびれは遺っているけれど、それはもうただそれだけのこと。ざっぱーんぶくぶくと、頭から足先までお風呂に潜りたい。かなり耳の湿疹が良くなってきたので、おそらく近い将来夢叶うだろうと、とっても楽しみにしている。
2019/01/27
コメント(0)
規定することは限定すること「<絵に描きし悲しみのごとく面(おもて)はあれど心そこになく> ハムレット」「女が男を善導しうるただ一つの道は男を徹底的に退屈させて人生に対するあらゆる興味を根こそぎ失わさせることだけなんだ」「人間は人生の色彩を吸収すべきだが、人生の細部を記憶すべきじゃない」「過去の唯一の魅力はそれが過去のものだということなんだ」「そうだ、人生がすでに彼にかわって選択を決めてしまっているのだ ー 」「自分の生活の傍観者になることこそ人生の苦悩から逃れることなのです」「しかし、自分の血縁関係の者ばかりでなく文学の世界の中においても人間は祖先をもっているものである。おそらくタイプや性格の点ではその多くの者により近く、その感もより強く感ずる祖先がそこにあろう」「罪というものは人間の顔に現れてくるものだからね。隠せないものなんだ」「昔のことはいわないでくれ。過去はもう死んでいるのだ」「炉棚の置時計の秒をきざむ音が「時間」を苦悩の原子に細分するかに思われた」「人生は大きな失望ですからね」「情熱につかれると思考はぐるぐる回りをするといわれている」
2019/01/26
コメント(0)
手袋ふたつ電車の中に、黒い手袋がそっちとこっちに落ちていた。高校生の女の子二人が乗る。「バラバラ殺人事件や〜!」町の広告がしゃべっていた。「手袋落とさんといてや〜!」なんだか楽しい一日だった。あたしお留守番できるもん。
2019/01/25
コメント(0)
あまり世の中には私よりもっと大変な思いをしている人がいる、とか、私はあの人に比べたらずっとずっと恵まれているとか、そういう風にして自分を奮い立たせるのは、あまり好きではない。
2019/01/24
コメント(0)
心の「断捨離」この度、冷えとり健康法の半身浴生活を始めて2年半が過ぎた。ところで、2年半にして思う。私、身体が良くなるに連れ、性格までもが変わったような気がしてならない。上手く説明するのは難しいのだが、一言で言えば冷静沈着になった、とでも言うのだろうか。明らかに以前より心がどっしりと構えられるようになったし、くよくよしたりあまり細かいことは気にならなくなったというか、そんなちょっとしたことに構っているならば他にもっとやるべきことがあるし、それは時間の無駄だ、と思うようになったのである。それは自律神経が整ったから、とつまりはそういうことだ。自分自身に振り回され、よく自分自身で自分自身が変だと感じていたもの。それと、他人はどうであれ自分は自分だ、という気持ちがますます増したということもある。私本来のあるべき姿にようやくなれた気がしている。いえ、幼い頃からずっと不調だったから、本来の姿が今初めて現れた、と言っても過言ではないのかもしれない。あゝ、私ってこういう人間だったのか、今までは偽りの私だったのか、とさえ感じる。まだ体質改善の途中であり、まだまだ良くなれるとわかっているので、もっと突き詰めた本来の私とはどんなだろうと、日々楽しみでもある。不思議だ。40歳目前にして初めて本当の自分を知るなんて。人生の後半が良ければすべて良し。そう願いながら、今日もがんばる。
2019/01/23
コメント(0)
背骨が快感暖冬、なのか、今年は。とは言え、アトピー患者にとっては真夏と同じく最も辛い季節である。そんな私も、湿疹が出ているところは、僅かに悪化したような気がしている。悪くなったというのではなくて、冬のせいだけど。若干手の指が悪化。若干頭と顔が悪化。…背中はまぁまぁ辛い。背中は、一時期サーッと引いて楽になっていたのに、一気にぶり返してからずっと停滞状態だった。そしてこの寒さのせいで、またさらにひどくなる。胃が痛いなと思ったらそれは湿疹の痛さだったとか、夜かゆくてひたすらにかくというのは日常茶飯事で、最近では、湿疹の出ている背骨の上を背骨に沿ってボリボリかくのが、なんとも快感となってしまった。なぜだかわからないが、妙に気持ちいい。とにかく背骨をかくと、もっともっとかきたくなって、しこたまかくと心のどこかでホッと癒されている自分がいる。変な感情である。普通かいたら罪悪感やらが生まれるものだが、半身浴生活を始めて2年半、そんなものはここ最近皆無。それはもうしばらくかいておきなさい、という意味だと思って、今日もかく。
2019/01/22
コメント(0)
ミニ写真展お散歩が楽しいです。寒い日にたくさん歩くと、ポカポカしてきて、心も頭もスッキリします。お気に入りの写真が増えてきたので、今日はミニ写真展を。(最後の写真は特に気に入ってます。)一陽来復。別離。追悼。「家政婦は見た!」時代錯誤。
2019/01/21
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2年半。2年半だとは…。ようやく今になって両耳の外側が、本当に本当の完全に完治かもしれない!人目に触れる、耳たぶとかカタツムリのようなところとか後ろ側もめがねを置くところも、つるっつる。長過ぎた。辛かった。髪の毛で隠さないと、すべてがかさぶたで、耳の入り口をも塞ぐほどだったし、24時間黄色い汁が滴って夜も眠れなかった。両耳の中は一向に治らないけど、それでもかなり良くはなり、綿棒の量も目に見えて減っていく。がんばったと思う。もう少しの辛抱かな。…と思いたい。背中は…、ずっとヒリヒリしっぱなし。胃が痛いと思ったら湿疹の痛さだった(苦笑)激減したとは言え、黄色い汁は出るし、それがかさぶたになって、またかいて、いつまで続くのやら。でも、なんとなくだけど、湿疹の「根」は浅くなってきていて、ツルツルの皮膚が奥の奥の奥の方に生まれてきたように感じる。後は表面上の湿疹だけなのかな、と思う。あっという間に月日は流れていくが、人生なんて本当にあっという間なんだろうな、と38歳になってから妙に感じる。
2019/01/20
コメント(0)
素朴な生きるって何だろう、私。なんの為に生きてるんだろう、私。って、毎日考える。それは死にたいという意味ではなく、もっともっと素朴な疑問。
2019/01/19
コメント(0)
破れないよ最近、靴下が破れにくくなったように思う。片足15枚ほどは履く日々だが、以前は、特に一番最初に履く5本指の靴下がもうひっきりなしに破れていて、その度に針と糸と持ち出してチクチクと繕っていた。ほんの数日履いただけで破れることもあり、そんなに簡単に破れるものかと心底不思議だった。身体が悪いと破れるらしい。自分でも感じるほど体調は良くなっているので、さほど破れないということは、やっぱり身体は良くなっているという証だ。来客。
2019/01/18
コメント(0)
DVDプレーヤー我が家にはテレビが2台ある。1台はリビングに、もう1台は母専用。そのリビングにある方は、会話のない母と私が鼻を突き合わせて食事をする時にニュースを付けるので、大いに役立ってくれている。そしてそれは、母が寝静まった後には私専用になる。お風呂から上がり、寝るまでの束の間の娯楽である。録画していたものを見ることが多い。いえね、そのDVDプレーヤー、壊れてしまいDVDは見られないのである。録画したものだけが見られる。テレビはほとんど見ないとは言え、昔から決まって見ている番組は少しあるので、それらをいつも録って見る。ところが、さらに半年ほど前からは急に異様な音で唸るようになった。ウォーンウォーンと、なんというか、もう不快な雑音そのもの。今はまだ四六時中唸っている訳ではないが、その内プツンと完全に壊れるのだろうなと思っている。そこで、今後はもうDVDプレーヤーはいらないかな、と思う。そもそもテレビにはあまり関心がない上に、もし壊れたとして、再び新しいものを購入してまで録画したいかと言うと、まったくそうではない。それならば、古いモノクロ映画を見るためのホームシアター(プロジェクター?)の方がよっぽど欲しいし、何年もかけて身の回りの物を処分整理してきた私に、そろそろDVDプレーヤーは見合わないものになってきている模様。これも時の流れだ。寿命が来るまではもちろん愛用するけれど。
2019/01/17
コメント(0)
いそいそと挫折した小説が、数冊ある。以前は、一度読み始めたら、結末が気になる為、何が何でも読み終えていたが、これは読むまでもないなとか、単純におもしろくないなと思ったら、その時点ですっぱりと諦めるようになった。ま、読みたい小説は他にもたくさんあるので、次へ行こうと思ったのである。が、2冊だけどうしても気になって仕方ない小説がある。一度は挫折したものの、これは今もう一度チャレンジした方がいいという意味なのか。今読むと、その時にはわからなかった収穫があるのかもしれない。いそいそと借りに行く。さあ、私、読了できるのかしら?
2019/01/16
コメント(0)
「心の中でわたしは神に歯向った ー 」「夏の日はなかなか暮れにくいものなんだよ、」「だがどんなロマンスでも、とにかくロマンスを経験した人間にふりかかる災厄は、そのあとでひどく非ロマンティックになるってことなんだ」「生命は私には死である」「人生の目的は自己発展ということにある」「しかし多すぎるものは嫌気を起させると同じように、欲しいものが拒絶されると欲望は倍加するものでございます」「しかし、逆説の道は真理への道でもありましてね。現実(リアリティ)を検討するためにはそれに綱渡りをさせて見る必要があります」「この頃はたいていの人が、自分でも知らずに感染していた常識病のために死んでいます。もう手遅れという時になって、人生で後悔することのないものはただわれわれの失策だけだということに気がつくというわけです」「人間は自分をあまりに真剣に考えすぎますね。それこそ人類の原罪というものです」「人間は恋をするとたいてい自分自身を欺くことから始まって他人を欺くことによって終わるものなんだ」「人生 ー これだけが探究に値する唯一のものだ」「われわれは常に自分自身を誤解しているし、他人を正しく理解することも絶無に近い」
2019/01/15
コメント(0)
これからもそうすがりつくことはしない。執着もない。諦めはすっぱり早い。逃げる。自分には手に負えないと思ったらすぐに逃げる。それは楽な方へ行くという意味ではなく、むしろ苦の方へ行くようにも思われるが、心の赴くままにそうなったのだから、それはそう決まっていた事であり、私はそう生きてきたし、これからもそう生きる。
2019/01/14
コメント(0)
病める時も健やかなる時も、病める時も健やかなる時も、美術館が大好き。先日仏像を見に行った。ズラリと並ぶ中でも、とりわけ惹きつけられる仏像というものがあって、立ち止まらずにはいられない。首を外らせ、見上げてみる。初めのうちは、細部に至る彫刻へゆっくりゆっくりと目を這わせてゆく。次第に仏様の目と私の目が合わさって目が離せなくなる。そのまましばし静止。おそらく水晶なのだが、その目に私の浅はかな心なんぞはいとも簡単に見透かされているような気がして、私は目が泳ぐ。と、その瞬間が過ぎ去ると、次には涙が出てきて、気がつくと合掌していた。浄化作用がある。私にとっては美術館そのものが心洗われる場所。今年もできる限り美術館へは足を運びたい。
2019/01/13
コメント(0)
備忘録。靴下片足15枚。レギンス(ズボン下)5枚。足首〜太もものレッグウォーマー。ズボン。足首〜ひざ下のレッグウォーマー。ロングスカート2枚。部屋用の足首までのブーツのようなスリッパ。と、湯たんぽにホットカーペット。家での真冬の最大限の下半身の防寒。
2019/01/12
コメント(0)
「心構え」平成が終わるという現実が目の前に迫り、自分も2020年には40歳になるし、まだまだ元気とは言え、母だっていずれはそういう時が訪れるという諸々の些事が、現実味を帯びつつある。幸か不幸か、父親はまだ私が未熟な21歳の時に早々と死んだので、厄介事は母のみ。これも、神様の思召しか、はたまた父の忖度か。何はともあれ、尚家は「母だけでいい」という二分の一の負担と相成っている。何事も急に起こる。それは経験上の教訓であって、父だって突然倒れて1週間で死に、私だって突然歩けなくなった。誰にだって日々に保障などなく、私が母よりも先に死ぬかもしれない。が、心構えということだけは学んだ。少しだけ自分自身を俯瞰して見るという客観性も得た。いつどんなことが起こるか、そりゃあ気は動転するだろうけれど、心構えをしているのとしていないのとでは雲泥の差であるということだけは、常に頭に置くようになったのである。いつかは必ず訪れること。怖がることや不安がることではない。少しの「心構え」。
2019/01/11
コメント(0)
さて。さて。去年は、期待していなかったタイトルさえも知らなかった小説がすこぶるおもしろく、期待していた小説がことごとく見事に肩透かしを食ったという、まぁ拍子抜けで驚いた一年だった。なんでもそうですが、名が知れているとか、そんなことは一切関係ないですね。それを思い知らされた一年でもありました。自分の直感と感性を信じましょう。
2019/01/10
コメント(0)
もんたとガム今日はくだらない話です。以前、もんもんにガムをあげた。駄菓子屋で売っている一つ10円のガムを。子どもって、ちょっとしたキャラクターの絵が付いているだけでうれしいので、それぞれの手の平にちょこんと乗せて「どうぞ」と言って渡すとニコーっと笑った。と、そのガム、もんたにあげた方に当たりが出た!もんたはもう飛び上がって喜んだそう。そこで妹からメールが来る。「当たりが出たけどどうしたらいいですか?もんたより」私はおかしくっておかしくって笑ってしまった。「お店に持って行ったらもう一つもらえるよ。お店に持って行くから今度持ってきてね。尚より」無事にその当たりを預かった私は再びお店へ行き、もう一つもらってきた。もんたには一大事。そりゃあ誰だって当たりはうれしいものだ。心待ちにしているでしょう。今からもんたへ報告しましょう(笑)
2019/01/09
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて2年と5ヶ月と半月。あけましておめでとう。いよいよ平成が終わります。背中、が今一番ひどいところ。次に頭の一部、両耳の中。次に両腕、顔、首、脇、手の指、股、という感じか。でも、ピークの外出さえもできなかった頃に比べると、もう、べらぼうに良くなった。普通に外出できているし、メイクもできているし、夜もちゃんと寝られている。まぁ、今は背中には悩まされているけれど。良くなる気配はなし。頭の一部の小石がゴロゴロと張り付いた湿疹は、もう頭皮が引きつって引きつって気持ちが悪かったので、爪でカチカチのかさぶたを潰しながら1時間ほどかけて取ってしまった。また黄色い汁は出たけど、滴り出るようなことはなく、あれれ?と拍子抜けする。頭が軽くなった、が、ま、最低でも半年は湿疹は続くだろう。ただ一つ、気がかりなことが。ちょうど一年前の今頃から急に耳がぶり返してしまって、入り口はかさぶたで塞がれるわ、髪の毛で隠さなければならないほどどうにもこうにもひどい状態になってしまったので、今、若干、警戒中…。何せ、冷えとり健康法の湿疹は予測不可能なのである。この不可解な「ぶり返し」というものに何度悩まされたことであろう…。2日、妹一家が来ていたのでそそくさと出かけ映画を見る。なんと3本も!史上初!すべてジャンルの違うものにしてバレエで〆たのだが、どれも優劣付け難いほど感動し、ハンカチが手放せなかった。思った以上に満喫し、とにかく楽しい一日を過ごす。うれしいことに映画館はあちこちにあるので、映画館のハシゴもなかなか贅沢でいいなということを知る。(これも身体が良くなったから長時間でも座っていられるのだ。)年々、年末年始が普通の日になっていく。クリスマスもお正月も、別にスルーという感じで、そんなに心身はしんどくならなかった。(年末にできていた肩のヘルペスは年内で治ったし。が、色素沈着が遺ってしまった。)さて、今年はどんな年になるのかなぁ?特にあらゆる欲もないし、現状維持ができればそれだけでいいよね。
2019/01/08
コメント(0)
ごそごそ地元の神社へ初詣。前に住んでいた家の近くにあり、なんだかんだで毎年行っている。30歳代最後の年、去年同様何事もなく穏やかな一年になりますようにとお祈りした。福袋や初売りセールで買い求めたであろう巨大な紙袋を抱えている人たちを多く見かけるが、はて、何をそんなに買うものがあるのかしら?と首を傾げたくなる私。セールなんてもう何年も行ってない。だって欲しいものなんてないんだもん。大掃除はしなかったので、少しごそごそと整理する。結構ゴミが出た。
2019/01/07
コメント(0)
いられないピアノの先生から年賀状が来る。そこには、病気をしたからもう今年で年賀状を書くのはやめる、だから家に寄ってください、と書かれていた。先生ももう80歳に近い。そりゃあ先生だって年だ、病気の一つや二つするかもしれない。だが、寄ろうとは思わなかった。その年賀状を見ても心は揺り動かなかった。そうやってほだされて先生の手伝いをせざるを得なかった自分はもういない。あの時はまだ純粋だった。あの時はなんでも言葉通りに信じていた。いつまでもそんなお人好しな私でいるはずがないではないか。人はなんて冷たい、と言うだろう。変わったね、と言うだろう。別にそれでもいい。そんなに他人のことばかり構ってはいられないのである。
2019/01/06
コメント(0)
今年の目標今年の目標は、言うまでもなく冷えとり健康法を淡々と続けること。これのみに限る。半身浴と靴下をたくさん履くだけという至ってシンプルなものだが、医者には頼らない方針の私にとってはれっきとした治療であるので、とにかくまずは湿疹の完治を目指すこと、それだけでもう十分である。ところで、この「淡々と」という言葉が実は好きだ。淡々と、何も考えずにコツコツ淡々と。私はこれが結構得意なので、今年も淡々とした年にしたい。そして、もう一つささやかな目標は、コンタクト再開(笑)花粉症がほぼ出ないようになったし、おそらく目も以前よりも丈夫になったという実感があるので、そろそろコンタクトを入れらそうな気がするのである。もちろん目にとってはめがねが一番良いとはわかっていながらも、真夏は暑くて汗で不快だし、その時々に合わせてコンタクトと併用できると楽になるだろうなと思うので、花粉の季節が終わる頃にチャレンジしたい。特になんてことはない、2019年の目標でした。
2019/01/05
コメント(0)
あけましておめでとうございます。普通の日と特に何ら変わらない生活を送っている。敢えてお正月らしいものを避け、年賀状も辞めたので気が楽になった。家でちゃんと多めに借りておいた小説を読んだり、ごろごろしたり、1日と3日は完全に寝正月、2日は妹一家が来ていたので場を乱さないようにと一人ふらふらと出かけて映画を見に行った。(せっかくだから楽しまなきゃと思い、なんと3本も見た!結局とても充実した日となった。)と、ここ何年もそんなお正月を過ごしていると、お正月とは特別な日ではなく、意外と私のように過ごしている方たちが多いことに気付き、そんな過ごし方にもすぐに慣れ、私にとっては特別でない日の方がありがたい。クリスマスもお正月も。お祭り騒ぎは私の心身には良くないのである。(次の心配はゴールデンウィークだな…苦笑)今年の年末年始は軽いヘルペスはできたものの、体調を崩すことも気持ちが落ち込むこともなく、とかく「普通」だった。明日からも、また、普通。なかなか良い2019年のスタートだ。また一年よろしくお願いします。
2019/01/04
コメント(0)
いつも雨は花を咲かせます「しかし、人間は、あんまり待っていると、もう待たなくなるものであるし、」「なにごとでも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」「神さまのご計画は、私らにはわからないんだよ」「どんなにつらく思えても、今いる場所がいちばん良いと神さまがお決めになったんだよ。だから、満足しなければいけない」「その年がどんなものを運んでくるか、誰にもわかりはしないのだ」「疑うより信頼したほうが、いつでもずっと良いのだから」「「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、『わたしにはなんの楽しみもない』と言うようにならない前に」」「されど人類(ひと)の不完性(けってん)はわが美を悟らず喜ばずわれを蔑むのみなりき」「すでに詩人たちは、多くの金持が、その財宝の中に発見したよりも以上のものを、寓話の中に、みつけました」「美しいものの中に美しい意味を見出す人々は教養のある人々である。この人々には希望がある」「真の美というものは知的な表現が表れると消えてしまうものなんだ」
2019/01/03
コメント(0)
「なんだい!君はさほどに不幸じゃないよ!」「だが、この世のどこからも、救いは現われそうになかった」「金銭の心配は、ひとつの大きな癌のようなものであった。それはあらゆる階級のひとびとを食い尽くすものなのだ」「未来がどこにあるかは神のみぞ知る」「すべてのものごとの表面だとわれわれに思わせているこの世間が、じつは深い大洋の底ということは、まったく事実だと思います」「生きることは動いてゆくことです。前へ前へと動いてゆくことだ」「そこに、毎日の仕事のなかにこそ、確実なものがある」「働いている男、貧乏、徐々にふさがれていく未来、夕方食卓をとり巻く沈黙 ー このような世界に、情熱のはいり込む余地はない」「同情がむだである場合、人は同情にも疲れてしまうのである」「全か、しからずんば無である」「そうさ、僕たちは同じものを求めているんだ」「「つながり」がこれからの社会のキーワードだと言う人がいるし、私もそう思うけど、つながるためにはまず一人になることが必要なんだ。みんな知ってた?私は初めて知ったよ」
2019/01/02
コメント(0)
高く思い低く処す「芸術は個性以外のところでは呼吸しないものだ」「僕は確信していた、各人は、すくなくも選ばれた各人は、与えられたそれぞれの役割をこの地上にもつのだと、それはまた、他のどれとも同じでないはずの役割だと。だから、なにによらず、一般の法則に従おうとする努力は、僕の目にも、裏切りだと映った。そうだ、それは裏切りだった、僕はそれを、それによって、個人が、取返しのつかないその「持ち味」を、代替のないその正確な意義を失ってしまうものだとして、」「節度のないものは永続きいたしません」「外見的には、きわめて不幸な出来事も、考えかたによっては、僕らを教育するにもっとも役にたつのだし、損のなかにもかならずなんらかの得はあり、不幸もなにかのためには役にたつものだし、」「いちばんいやらしい虚言(いつわり)は、いちばん真実に近い虚言だ」「賢こさは危険の只中から人を救い出して、立派な安全な平穏の地に置くものでございますから」「虚無!生の大きな虚無を認容することが生きる目的に見えて来た」「けっきょく人は一度しか生きないのであるから、もしもバスに乗り遅れたならば、ほかの失敗者といっしょに舗道に立っているほかない」「<その流伝は止む時なし> ダンテ」
2019/01/01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1