佐々部監督の映画は、顔のアップの場面が多い。したがって、俳優は表情や目で演技しなければならない。
目が泳ぐ取調官と穏やかな目の容疑者。また、出てくるシーンは取調室と法廷が主です。
その限られた空間の中のドラマに、あらゆる人生を見せています。
人間の命の尊さ、命の繋がり、事件に関わっている人が抱えている家庭事情、そんなものが絡み合って出て来ます。
だんだん核心に迫る辺りは、まるで推理ドラマのようです。そして、人間の優しさに触れたような、
温かい感動が全身を包みます。
日本映画の質の高さが感じられた作品でした。
「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」
今回が完結編とあって、巨大な怪物などが総登場だった。戦闘場面も前回に比べても
遜色なく描かれていた。
この「ロード・オブ・ザ・リング」のアニメーション版は存在したが、実写版は到底
作れないだろうと言われていた。それだけ壮大な建物や様々な怪物、総登場人物の多さは
これまでの映画とは比較にならない。コンピュータ・グラフィックスの発達のお陰で
それらが、実際に存在して動き回っているように見える。特に巨大な象に乗った軍団と
人間が戦うシーンがあったが、これは見応えがあった。
余りにも映画のスケールが大きくなれば、ここの人物像の描き方が疎かになるものだが、各登場人物の心模様まで良く描かれていた。
「ほたるの星」
子役たちは、山口県の子供を使ったのでしょう。山口弁が自然な感じでした。
山村の棚田の風景などは、何処かで見たような景色でした。しかし、棚田の向こうに
海がある、これは映像を巧みに組み合わせたのでしょう。実際の風景を使って、
実際にはない場所を作り上げていました。
映画の中で、主人公の先生(小澤征悦)が生徒たちに語りました。
「ずーと昔に星たちは、大きな爆発で生まれた。その中に地球もあった。
だから地球もそして地球上の僕たち人間も生き物も、みんな兄弟なんだ!」
この言葉は、彼が恩師(役所広司)から教わった言葉でもありました。
これがこの映画の主題です。また、「命」の連鎖というものを説いていました。
生き物は他の生き物の犠牲無くしては生きていけない。
したがって、命をもらった分、しっかりと生きていかなければならない。
「イン・ザ・カット」
ニューヨークの下町を舞台にした女性教師と殺人課の刑事との恋というか関係を中心に、
連続殺人を絡ませてストーリーは展開されます。
結婚適齢期を過ぎたハイ・ミスの国語の教師メグ。血なまぐさい現場ばかりを見ている刑事との、
殺人犯かも知れないとの疑いを持ちつつ、関係を持ってしまうメグ。
その微妙な女心を見事に演じています。
地下鉄の車内で、ふと天井の広告を見上げるシーンなど、やはりメグ・ライアンでないと
出せないムードです。ニューヨークの街並みに自然と溶け込める数少ない女優です。
この作品のテーマ曲になっている「ケ・セ・ラ・セ・ラ」が、退廃的な気分を一層盛り上げています。
「トロイ」
話は今から3千200年前に遡ります。その時代、日本はまだ縄文時代で「クニ」という
意識もありませんでした。トロイは、古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩の中に出てくる
一節の中にありました。それを事実ではないかと思った19世紀のシュリーマンという人物
によって、発掘されて実在が証明されました。
この映画は、戦争の悲惨さも併せて描いているところが良いなと思いました。只、英雄豪傑が
出て暴れ回るのではなく、人間の悲しみも描いていました。ハリウッド映画の世界も少しは
進歩したのかと思います。
トロイの王に扮していたのは、あの「アラビアのローレンス」のピーター・オトゥールでした。
すっかり老けていましたが、あの目とバリトンの声は健在でした。私が彼をスクリーンで
最後に観たのは「ラスト・エンペラー」でした。
エーゲ海を舞台にした壮大な古代史劇、久々のスペクタクル映画でした。
人間はいつの時代も覇権争いに明け暮れています。それは3千200前も現代も変わり
ありません。そんな事を考えさせられる映画でした。