今回の作品も、人間愛に満ちた作品だった。佐々部監督の三作品に共通していることは、悪人が出てこないことだ。みんな一生懸命に生きているが、そこに運命という大きな試練が降りかかる。その試練に立ち向かう人々を温かな眼差しで追っている。
実際にはあり得ない話だが、映画の中に引き込まれていき、登場人物と一緒になって感動してしまう。この様な大きな仕掛けがないドラマならテレビでも良さそうなものだが、テレビだと雑音など身近な生活の音も気になる。映画館だと、真っ暗な中でスクリーンに集中できる。
今回は角島のロケーションが素晴らしい。紺碧の日本海が美しく、それに見とれてしまうほどだ。我々が見慣れている瀬戸内海とは、海の色も表情も全く違う。日本海を見て育つ人、瀬戸内海を見て育つ人、東シナ海を見て育つ人、そして太平洋を見て育つ人、人間の性格も違ってくるだろう。
「宇宙戦争」
スターウォーズが、ある星のお話で、我々人類とは全く関係なく自由に空想の翼を広げて展開されるのに対して、この「宇宙戦争」は、リアルに地球人の生活が壊されていく様を描いている。
特に主人公を演ずるトム・クルーズが、等身大の演技を見せている。ごく普通の中年の男性で、妻と別れて独身生活をしているが、元の妻との間に2人の子供がいる。そのトムが、週末に2人の子供を自宅に引き取って、3人だけの水入らずの生活を楽しもうとしていた矢先に事件は起こる。
夕方、突然真っ黒い雲が空を渦巻き、稲光がして、一ヶ所に連続して落雷が続く。映画では雨は降らなかったが、ちょうど、昨日の天気のような感じだ。やがて地下から巨大な宇宙船のような物が現れ、高速道路も根こそぎ壊される。高速道路が倒壊するシーンは、阪神淡路大震災を思い出した。このシーンは、あの地震直後の映像からヒントを得たのではないかと思った。
その映像のリアルさが見事だ。旅客機の墜落現場やフェリーの転覆など、実際にありそうな映像が臨場感ある音と共に観客を襲う。やはりこういう映画は、小さいテレビでは楽しめない。大きなスクリーンで、前後左右から音が響く映画館ならではの迫力だ。
やはりスピルバーグ監督である、この映画を只のSFで終わらせていない。この映画のもう一つのテーマは、家族の絆だ。トム・クルーズが2人の子供を元妻の元に届けるために、あらゆる苦難に立ち向かう。子供の演技がまた良い。特に女の子の演技を見ていると、父親というものはどのような存在なのかが自ずと分かってくる。
SFなのに見終わった後は、深い人間ドラマを観たような気になる作品だった。
「男たちの大和」
現在と60年前が交差するという作り方だった。現在を生きるある女性が、枕崎からある場所に船を出してくれと頼む。その地点とは大和の沈没地点だ。その願いを引き受けた老漁師も大和の乗組員だった。その老人の回想で60年前の大和が蘇る。
約2時間半の映画だったが、最初の1時間半は取り留めのない話だ。当時の普通の国民の生活が出てくる。今から見れば貧しい生活だ。日本中がそうだったのだろう。その貧しさの中に「大和」が存在した。大和という近代兵器の固まりと慎ましやかに暮らす国民、この対比がこの戦争の無謀さを語る。
さすがに原寸大の模型を使って撮っただけあって迫力がある。航行シーンはCGとは思えない出来だ。アベンジャー雷撃機が突入してくるシーンなど実写と見紛うほどだ。
映画の中で、「なぜ我々が死ななければならないのですか」という問いに、ある士官が「日本は進歩と言うことを忘れていた、進歩のないものは廃れていく。我々は日本の目を覚ますために死ぬんだ」と、答えるシーンがあった。
確に戦後の日本は、目を覚ましたように復興のために努力してきた。しかし、1980年代ぐらいから我々は目標を失ってしまったような気がする。気がついてみれば、借金にまみれた国に成り下がってしまった。政治家や企業のモラルもとうに無くなってしまった。
小さい頃にテレビで見た戦艦大和の映画では、大和が沈んだ後、波間に浮かぶ日本の水兵に、アメリカ軍機が執拗に機銃掃射を加えるシーンがあった。子供心にも卑劣な行為だと憤ったものだ。
しかし、「男たちの大和」ではそのようなシーンは無かったし、戦争をしている相手がアメリカだと言うことも殆ど言わない。何か奥歯に物が挟まったような映画だった。戦闘シーンの惨たらしさだけを強調して、誰が悪いのかをはっきり言わない映画だった。大きな力の作為を感じる映画だった。