日々徒然に

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私と病気5



 それまで掛かっていた外科の先生から、神経内科に新しい先生が来たから、そちらで診てもらった方が良いだろうと言われ、神経内科に替わった。その神経内科の先生は、まだ若く、張り切っていろいろな薬を試した。とにかく神経を押さえ込めば震えが改善されるという考えだったのだろう。そのうちに憂鬱な気分に襲われるようになった。

 これではいけない。こんなことなら、もう一度手術をした方が良いと思い、国立I病院で再び定位脳手術を受けることにした。今度は医師の方も注意深くやってくれた。8時間半掛かった。幾ら横になっているとはいえ、足が動かせないので苦しかったのを覚えている。

 治ることはなかったが、症状が進むのが止まった。それと、この手術を機に、それまで過去ばかり見ていた私の気持ちも前向きに変わっていった。翌年、私は県の身体障害者センターで1年間、機能訓練をした。それからもう1年、タイプ科で和文タイプの訓練を受けた。

 その後は地元の福祉作業所で和文タイプ、ワープロ、そして今はパソコンの仕事をするようになった。職安に登録はしてあるが、梨の礫である。この体では仕方ないかも知れない。十数年前からパソコン通信、そして近年はインターネットで外に向かって自由に発言できるようになった。パソコンのキーは左手の人差し指1本で打っている。慣れればかなり速く打てる。シフトキーを使うときは、体をひねって右手の人差し指で押さえておく。何事も慣れだ。

 デジタルカメラは持ってはいるものの、カメラのシャッターは全て右手で押すようになっている。従って写した写真は大きくブレたり、傾いてしまっている。しかし、最近は携帯電話にカメラがついた。これはいい。左手の親指でもシャッターが押せる。私の必須アイテムの一つになった。

 ここ4,5年でまた症状が進んだ。食事はスプーンとフォークでするようになった。液体はストローを使わなければ飲めない状態だ。

 2,3年前から足の方にも少し来たようだ。かつて身体障害者の国体で1500mや100mを走っていたことが嘘のようだ。また、筋肉を柔らかくする薬を1日3回飲むだけでは首の痛みが治まらず、最近は2週間に1度の割で、麻酔科でトリガーポイント注射を首の周りに打ってもらっている。特に寒いときは、首が痛くてたまらない。

 18歳の時の甘い誘いに乗って、一生医者とは縁が切れない体になってしまったが、残り少ない人生、前向きに生きて行こうと思っている。もし手術をしなかったら、それはそれで後悔しただろう。同じ後悔をするなら、行動を起こした結果の今を受け入れようと思う。ただ一つ言いたいことは、最初の手術の時、今で言うインフォームド・コンセプトを充分にしてくれたなら、術語の精神状態も違っただろう。この手術がまだ実験的要素を多分に含んでいると言うことを説明されたら、また別の選択もあったかも知れない。尤も、手術をしなくても加齢で症状が進んだかも知れない。

 この境地に達するまで長い時間を要した。心が千々に乱れたこともあった。しかし、人生そんなに悪いことばかりは続かないはずだ。また良いこともあるだろう。


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