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あれ、あれ、と思う間もなく1月も終わりに近づき、旧暦では今日は大晦日。明日は新月、旧正月で新旧共に新しい年になりますね。 今週の火曜日はふーちゃんこと津山文子さんの新春アートワークでした。11人の参加者が夫々に「ワタシを感じた」一日でした。 たくさんの動物の写真のカードから、気になるもの、ピンときたものを取って、感じる。 ペアでシェアしてから、それをキャンバスに表現していく。。。指を使って、筆も使って、クレヨンもある、気持ちがおもむくままに。。。私が選んだのはラッコ、ワタシの何に触れたのか。。。水の上にコロンと浮かんで、水に身を任せての、ゆる~い感じと、トロンとしたお目目に、おいでおいでの手が気になって。。。 キャンバスに気が向くままに、パステル絵の具を指につけて、こんなのが描けました。 夫々に心のままに、色と形も方法もそれぞれに、アートな時間を過ごしました。 ふーちゃん、毎年、楽しい時間をありがとう!今年は、このラッコのように流れに身を任せて、 何でもオープンに、ウェルカムの心で、過ごしたいと思っています。
2017.01.27
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Wai Ola も昨日が仕事はじめ、セッションしながら「私は本当に触れることが好きなんだなぁ」と思い、来てくださる方や、それが出来る環境に感謝で今年をスタートしました。 遅くなりましたが、Wai Ola 1月の予定です。 ★★★ Wai Ola 読書会 ★★★ 日時 : 2017年1月24日(火)10:00~12:00 内容 : 読書会 アイリーン・キャディ「心の扉を開く」 ポール・フェリーニ「無条件の愛-キリスト意識を鏡として」 会費 : 1000円お時間あったらお弁当を持って来てくださいね、ご一緒にランチしましょう。 この日の午後は恒例のふーちゃんこと、アトリエBambini 津山文子さんの「新春アートワーク」があります。 午前中の読書会から引き続きでも、こちらだけでもご参加いただけます。新しい年にアートワークを通して、「ワタシ」を感じてみましょう! 新春☆アートワーク「ワタシは、感じる」 “感じる”からの発露、一体何があらわれるだろう。 ワタシは、感じる。 感じるってどういうこと? ワタシのからだの中は動きつづけている 感じつづけている 今この瞬間も。 自分を止めないで 無視しないで 自分の手を取ってみて、 ワタシは、鼓動の中にいる。 日時:1月24日(火)13時~17時(時間は前後することがあります) 場所:Healing Space Wai Ola 参加費:5,000円(画材費を含む) 持ち物:特になし(画材はすべてこちらで用意します) *動きやすくよごれてもよい格好でお越しください(着替えできます) 定員:10名 お申込みはいずれも mami-miya@nifty.com までお願いします。 アレクサンダー・テクニーク講習会は講師の芹沢さんが、解剖の研修のためアメリカにいらっしゃるので今月はお休みです。
2017.01.10
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明けましておめでとうございます! お正月元旦は昨日と違う、何か新しい特別な今日、 時を区切り、それまでを祓い、心新たに始めるられる、という先人の知恵を思います。 昨年は、ワイオラでのエサレンのセッション、読書会、 クリスのGAP、GAPのスチューデントティチャー・クラス、GRACEと学びも沢山あり、 また、5回目になったシャーのワークショップ、坐禅合宿やウォンさんのライブなどのオーガナイズなど、 心の向くままに、皆さんと一緒に楽しいことも沢山できた年でした。 「学ぶ」ことについて、昨年末に読んだ、昔タオ指圧を学んでいたころの師、遠藤喨及先生のブログが心に響きます。 http://endo-ryokyu.com/blog/?p=11439 一部を書き出すと、 ・実は、「教えを受ける」とは、単に「教えてもらう」ことでも、 知識や技術を記憶することでもない。 他にバトンを渡すこと。後世に想いを託して、 同時代の他の人々に分かち合うために心を砕くこと。 学びとは、これの実践に他ならないのである。 ・そして行動の中に未来の原因を含まない現在は、やがて、ただの過去の記憶に過ぎなくなる。 ・仏教で「受持」というのは、教えを受け、 それを自らの霊(たましい)に保つ(持つ)ことを言う。 ・教えを受ける、と言っても、単に文字の羅列を記憶の中に留めるだけでは、 それは「教えを受ける」とは言わない。 教えとはスピリットのことだから、個人にとどまることはないからである。 ・「教え」とは霊的生命だから、そもそも、自分の中にとどまることなどできやしないのだ。 真の学びとは「教えに生きること」であって、 言葉を記憶し、動作を記憶通りにやることとは何の関係もない。 ・それらの実践によって味わう、様々な労苦や喜びを体験することをこそ、 「学び」と言うからだ。 そもそも、身をもって示された教えを実践せずして、 何をもって「教えを学ぶ」と言うのであろうか? ・教えは、他へに分かち合うための大河の一部となる者がいれば、、、 すなわち、真に学んでいる者がいれば、その霊的本流は、生命を保つことができる。 繰り返すが、仏教はこれを「受持」と呼ぶ。 ・自らが他に渡すパイプとなってこそ、常に新たな霊がたましいに入り、 その命脈は保たれるからだ。 これらの言葉を心に刻み、学んだことを、実践していく年にしたいと思っています。タオ指圧から離れても、遠藤先生から学ぶことは多々あり、ご縁に感謝です。どれだけ「学んだことを実践する」かが、そうあろうとすることが、私の学びの師たちへの感謝の表明とも思います。 年々、時は加速する気がしますが、健康でしたいことができることがありがたく、 昨年の新しいご縁や、様々な場でサポートしてくださったみなさまにも本当に感謝です。 昨年はありがとうございました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 昨日の夕方、ワイオラから見た西の空に輝く金星と細い細い月が美しかったです。
2017.01.01
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