暖冬傾向で、ゴルフ場の予約が多い!
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
205111
HOME
|
DIARY
|
PROFILE
【フォローする】
【ログイン】
どうよ
21世紀に生きる君たちへ
司馬遼太郎 大阪書籍「小学国語」6年下
私は、歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴
史を愛している。
歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生がそ
こにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにす
ばらしい人たちがて、私の日常を、はげましたり、なぐさめた
りしてくれているのある。
だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きている
ようなものだと思っている。この楽しさは--もし君たちさえそ
う望むなら--おすそ分けしてあげたいほどである。
ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがあ
る。未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間がすくない。例えば、二十一世紀と
いうものを見ることができないにちがいない。
君たちは、ちがう
二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがや
かしいにない手でもある。
もし「未来」という町角で、私が君たちを呼びとめることがで
きたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている二十一
世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいものだが、ただ
残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるには、今のうちだということである。
もっとも。私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の
生き方の基本的なことどもである。
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに
空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、
さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きていると
いうことである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸
うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、
かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のこと
を考えてみたい。
人間は、--繰り返すようだが--自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少し
も誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、そ
の力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
--人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、
ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということ
とはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは
自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそ
のように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、
二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげて
てみせた。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代
や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀
に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。
「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生
かされている。」
と、中世に人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、その
ようにへちくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたよう
に、近ごろ再び、人間たちはこの良き思想を取りもどしつつある
ように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀の希望であり、
君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、そ
の気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬す
ることになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしにつ
いても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない。
そのようになりことが、君たちへの私の期待でもある。
さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せ
ねばならない。
--自分に厳しく、相手にやさしいく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはなら
ない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、
科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己
といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの
画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きてい
る。社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会
をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつ
くられていない。
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道
徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという
感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそ
れを身につけなければならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。あ
あ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつく
りあげていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他
民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自分をつくっていけば、二十一世紀は人
類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもた
のもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、
たのもしきない人格にみりょくを感じないのである。
も一度くり返そう。さきに私は、自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという
言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練す
ることで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもし
い君たち“になっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえ
で、欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかと
した心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ
歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを身続けながら、以上
のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやい
ているように感じた。
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
あなたが夢中なセレブゴシップ&Kア…
天気悪いなあ~ 雨降り心配の小さく…
(2025-04-26 15:25:48)
映画作品紹介(楽天エンタメナビ)
白鳥哲監督 講演・上映・イベント情…
(2025-11-28 20:21:06)
ペ・ヨンジュンさま~♪
「ヨン様」の名付け親が初めて語る韓…
(2023-12-02 17:40:56)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Mobilize
your Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: