限界





すでに終電もなくなった時刻、渋谷の、とある深夜営業の喫茶店。

「自分なりにがんばった。がんばったけれど、いつも、どうしてもうまく
いかない。何をやっても中途半端だった。すべて、失敗ばかり。人生は、
努力だけではどうにもならないことばかり・・・」と、彼女は言った。

そう。

彼女の人生は、挫折と、失敗と、トラウマに満ちていた。

しかし、、、、それが、何だというのか、と僕は言った。

今までの歴史や環境だけが、これからの人生を決めるわけではない。

1000回失敗しても、1001回目で、今までの失敗をすべて帳消しにするような
大成功をすることは、いくらでもある。

過去はどうでもいい。いま、この瞬間に、何をするか、どう生きるかが、
問題ではないのか。




多くの人が、過去の「実績」や「経験」をもとに、自分の限界を自分で決めて
しまっている。

確かに、過去のデータや経験だけをもとにして自分の限界を決めてしまおうと
するのは、動物としての人間の本能的な心理なのかもしれない。

小さな箱に長い間入れられた蛙は、箱から出された後も、箱の高さ以上に
跳べなくなるという。

インド象は、人に飼い慣らされるため、子どもの頃に鉄球を足に結ばれる。
すると、大人になって鉄球など軽がると引きずれる力がついてからも、鎖の
長さ以上を動こうとしなくなる。

水族館で長く育ったイルカは、広い海に放たれても深く潜ることができず、
すぐに人間のいる船の近くに戻ってきてしまうという。

動物も人間も、ある環境で長いあいだ生活すると、自分がそれ以上の能力を
持っていることをすっかり忘れてしまうものなのだ。




しかし、同時に、人間はそれら記憶や経験に刻まれた限界を打ち破ろうとする
強烈な意思も持っている生き物だ。


“多くの人間は、精神的ブレーキの犠牲者になってしまっている。”

                      ―― ジャック・マイヨール


映画「グラン・ブルー」で有名になった自然児、ジャック・マイヨールは、
医師が口を揃えて、素潜りで人間が可能な深さは40メートルが限界だと言って
いた中で、56歳にして素潜り105メートルという驚異的な世界記録を達成した。

あらゆる事において楽観的でありながら、最悪の事態に対しても常にさりげなく
備えを怠らなかったというマイヨールは、他人が勝手に決めた人間の「限界」
など気にかけることなく、様々な工夫をしながら自分の限界に挑戦した。

小さな頃からイルカと遊んで呼吸法を学んだという彼は、「人と争いたかった
わけではない。人間の能力の限界を試してみたかっただけだ」と言う。




先日、結石の診察で病院で医者の話を聴いていたとき、言葉の端々に表れる
「~するしかない」という断定的な口調がやたらと耳についた。

「~するしか方法がない」というのは、現時点での西洋医学(のうち、その
医者がもっている知識)の限界を意味しているに過ぎない。

病院の医師の指示にだけ従っていると治るのに数か月から半年はかかって
しまうと直観した僕は、病院の帰り道、東洋医学の助けも借りることにした。

そして、漢方の総合的な処方を受けた2日後に、結石が流れて完治した。




「限界」とか「不可能」という言葉は、せいぜい現代の医学や科学や論理学に
基づいて、現時点での人間がとりあえず勝手にそうだと決めている仮説でしかない。

人間が『希望』あるいは『信念』という言葉を口にするとき、現代の未熟な科学や
論理学が出る幕はないのだ。


“わが武術に秘伝などない。ヘソを食い抜いても勝てばよい。”

                      ―― 関口柔心

武道にも、人生にも、王道などない。

「こうしなければ、うまく生きられない」などという決まったマニュアルなど、
存在しないのだ。







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