フロイト



フロイトは、 人間を動かしているのは「意識する自分」ではなく、
「無意識の自分」である
、ということを発見した。

彼によると、「自分」は3つの層に分かれている。

第1の自分: 本能のみにしたがう 無意識の 自分
第2の自分: ふだん我々が意識している「自分」
第3の自分: 本能を抑圧しつづける 無意識の 自分


だれでも乳児のときは、無意識に、「愛したい」「愛されたい」
「誰かにこうしてほしい」「食べたい」「休みたい」などといった
欲求を満たそうとする 快楽原則 のみにしたがって生きている。
これが、第1の自分である。

幼児期になると、親(またはその代わりの存在)との関係を通じ、
現実を無視したまま無制限に快楽を得ることはできないということを
学習する。
こうして形成されるのが、第2の自分である。

第2の自分は、欲望の実現を延期したり、別の欲望に転換したりする
ことで、逆に自分の本当に望むものが得られることもあることを知る。

本能的な満足を求める第1の自分と、現実への適応を求める第2の自分
との交流の過程を通して、 現実原則 にしたがって生きようとする
自分が形成される。

そして、 快楽原則の実現のためには、現実原則の実現が不可欠だ
ということを知るのである。

第3の自分は、第1の自分をコントロールする良心、あるいは
「理想の自分」である。
しかし、この第3の自分は、意識に表れない。
意識に表れないまま、第1の自分、第2の自分のもつ様々な衝動や
欲求を 抑圧 し続ける。
本人は、自分がどのような衝動を抱いているかさえ自覚しないまま、
第3の自分によって、無意識下へと衝動を抑圧されつづけるのだ。

第1の自分が強すぎる人は、幼児的な行動をする。
第3の自分が強すぎる人は、「いい子」あるいは「いい人」であろうと
無理を続けるため、ノイローゼになる。

フロイトは、精神分析により「自分」が無意識に抑えつけている「自分」
が何であるかを発見し、解放することができると考えた。






人間は、ずっと大昔から自分の中に無意識の動物的な欲望や衝動がある
ことを知っていた。

フロイトのエライところは、その動物的な本能を抑えている自分も
また無意識の中に存在する、と解明したことにある。

人間を支配するのは無意識である 、という彼のこの発想は、
後に、さまざまな分野の学者や芸術家に大きなインスピレーションを
与えることになった。


“我々は、語りうるより多くのことを、知ることができる。”
                  ----- M. ポランニー

「自分」とは、自分が意識し、コトバで理解しうる存在以上のもの
なのだ。

この世界もまた、コトバでは認識できないメカニズムに支配されている。
しかし、少なくとも人間はそれを知ろうとすることができる動物なのだ。


“我々にできるのは、事実を知ることではなく、解釈することだけだ。”
                    ----- ニーチェ



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