ネルフではどんな事があったとか、綾波が地下の巨人と一体化して、そして僕のことを思っていろんな配慮をしたとか………。
それらは総て何となく憶えているんだけど…自分では出来れば頭に遺したくない出来事だった。

僕とカヲル君が座っている所は、前は電柱だったのではないかと予想される、墓のような所だ。
僕は何故だか、このまま時が流れなければいいのにと、密かに心の奥で望んでいた。
世界が……僕とカヲル君だけで終わればいいのにとも、望んでいた。
カヲル君との何気ない会話のやりとり。
普通の人とは違う、落ち着いた喋り方。
いつ、どんな時でも、彼が僕を思ってくれているのが判る。
僕達を囲う景色は地獄の様だったけど、彼との会話はそれを忘れさせてくれた。
アスカには悪いけど、カヲル君と二人で孤独の時を過ごすなら、それも悪くないと思い始めていた。

とにかく、僕はこの閉塞した世界を好きになり始めていた。


何気なくあぐらをかいていた脚を組替えて、腕をカヲル君の方へ移す。
カヲル君はそれを見抜いていたのか、僕の手を握った。

「……めずらしいねぇ……君から甘えてくるなんて……何かを考えていたのかい?」

少し顔を赤らめながら、僕は返事を返す。

「ん……、NERVとか、綾波とか、ミサトさんとか……色んなことを考えてる。なんでこの世界には僕とカヲル君しかいないんだろう、とか………」

暫く沈黙が続く。そして、

「厳密に言えば、僕もこの世に存在していないと言うことになる」

少し悲しみに染まったカヲル君が、僕の目を見つめて話し始めた。

「彼女は……綾波レイは、君の側に居たかった。だが、君の求めた人物は僕だった。もしも君がセカンドチルドレンを求めたのならば、彼女が君の側についただろう」

カヲル君はとても悲しそうに、とても儚く微笑んだ。その笑顔は、今にも消えてなくなりそうだった。

「………え?君は、カヲル君は存在していない?何故?君は確かにそこに居るのに……!」

僕はカヲル君を、上から下までくまなく見た。

でも、いつもと変わらないカヲル君の姿がそこにある。そして、僕の左手からカヲル君の暖かい体温が伝わっている。

「僕は君の為に存在している。君が独りではあまりに寂しいから、綾波レイが、赤に染まった命の源から僕の身体のかたちを具現化している。何故なら君が僕を、求めてくれたからね。君が僕を求めなくなったら、君が自分の本当の気持ちに気が付いたら、僕も還らなくてはならないだろう。この赤に染まった血の海に。だがそれでも良いんだ。それが僕の求めるべき未来だったし、彼女もそれを望んでいる」

「僕が、カヲル君を求めなくなるなんて……そんなこと………」

その続きは声にはならず、口から言葉にならない彼への想いが出てくる。

僕は何だかカヲル君の顔を見たくなくて目線を膝の方へ移す。でも彼の手を離すことは無かった。

「―――――未来は誰にも判らない。それはこの惑星の新たな主である、綾波レイですら君の気持ちを未だ掴み取れていない」

カヲル君は優しく、自分に言い聞かせるように呟いた。

―――――少し沈黙。そこで、少し疑問にかられる。綾波の望んでいるものは何だろう?

「ねぇ……綾波は………綾波は、何を望んでいるのかな?何が……欲しいんだろう……」

少し、カヲル君の手を強く握る。大浴場にいたときは彼の手を拒否することも、受け容れることも出来なかったけど、今は自分からそれを求めている。

カヲル君は眉間にしわを寄せて思いつめた顔をして、そして先の笑顔よりもさらに儚い笑顔で言う。

「……おそらく、君の快楽。君の幸せさ……」

「僕の快楽、僕の……幸せ?」

目線をカヲル君の居る左の方へ移す。
同じく顔をうつむかせているカヲル君は、紅い海の方へ視線を移した。

何かを、悲しんでいるの?……何かを認めようとしているの?

……カヲル君はどうするの?何を、望んでいるの?


胸が苦しくなって、その思いは言葉になる。

「じゃあ、カヲル君は何を……何を、望むの?何が、欲しいの?」

カヲル君は驚いたのか、一瞬目を見開いて、その後平静を取り戻した顔をした。

「僕の、望むもの……かい?僕も君の幸せを望んでいる。当初は人類を滅ぼすために生まれてきたんだと思っていたが、君と話していくうちに、僕の心の真理が判ったよ。僕は君の幸せを願って生まれて、その為だけに生きてきたということをね……」

「その……為だけに……?」

僕の中に、呆れると言うようなものでも無い、同情と言うようなものでも無い、なんだかとても不思議な感情が芽生えた。

でも、僕には幸せになる権利なんかない。

「僕は幸せになっちゃいけないんだ。だって、カヲル君、君を殺してしまったんだよ?アスカだって――――――」

肩をすくませて、さっきよりも下に目線を膝に落とし、少し強くなっている血に染まった海の波の音を耳にする。
耳障りなこの音は、ともすれば、綾波の産声(聞いたことは無いけど)に聞こえる。

僕自身の幸せについて考えていると、この綾波の産声のように聞こえる波の音が、思考を邪魔する。
頭の中で波の音がノイズとなって、脳幹に絡まって、そしてやがては僕を殺す。
そんなイメージが僕の中に宿ってくると、僕は我に戻るんだ。

「…………シンジ君」

カヲル君は静かに口を開く。

「っ……。あ……」

僕はカヲル君の顔を見上げる。
そして、カヲル君は優しく話し始めた。

「そうだね、どんなに苦しみ、自己嫌悪に襲われても、君が僕を君達リリンの言う“使徒”として処理してしまったことも、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーを殺めてしまったことには変わりは無い。だが、それを反省して“未来”を生きる糧にも出来るだろう?君はそれを出来る立場にあるんだよ」

「未来…………」

カヲル君の話した内容から、よく耳にする言葉だけど、僕の心の中には光を持たない言葉をキャッチした。

僕は“未来”というようなものを考えたことがない。
父さんに言われるまま、僕はEVAに乗るしかなくて、それしかなかった。
今まで死にそうになったり、もうダメだと思ったことも何度もある。
でもどの時も全部、なんとかなって僕はまた“未来への路”を歩まなければならない、というのがそれだったから。

だから“これからの自分”というものは思い描いたことなんか無かった。

また暫く沈黙が続いた。カヲル君が話し始めた。

「だからね、シンジ君。僕は君にあまり心配をして欲しくないんだ。君の精神(こころ)が壊れてしまったら、僕の心もそれと等しく辛くなってしまうから」

カヲル君は優しい。

こんな僕を許してくれて、それに僕の幸せを望んでくれている。

……でも、本当にいいのだろうか?本当に、それに値するほどの人間なんだろうか?
僕はカヲル君に再度訊いた。

「カヲル君……。でも………でも、僕は……卑怯で、臆病で、ズルくて、弱虫で……」

「そんなに自分を知っているんだったら、自分に優しく出来るだろう?」

カヲル君は僕の手を優しく強く握っている。

「……僕は幸せになっても、良いの……?」

カヲル君の方へ顔を向けた。
カヲル君はいつも浮かべている悲しんでいる表情ではなくて、とても優しい顔で僕を見ていた。

その顔は、さっきの僕の問いかけについて、否定ではなく、むしろ肯定の意を表しているような感じだった。

「カヲル君…………」

少し、頬が熱くなったのを感じた。

「君は何を望んでいるんだい?」

カヲル君が僕の眼を見つめて言った。
この“絶望”しかない世界で、僕はやっと自分の“希望”について考えることができるようになった。
目の焦点を何処か遠くへやって、自分の心について考えた。

「僕の……望むもの?」


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