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今日は、わたしの誕生日。と、いうものの、56にもなると、「あぁ、またひとつ年をとってしまった(鬱)」としか感想をいだけないのであるが---。でも、うれしいことに、様々なひとから、祝っていただくとそんなひねくれた気持ちもどこへやらやっぱり、お誕生日はうれしいです。先日の宝塚歌劇 雪組公演「君を愛してる」も友人のレティシアさんからのバースディプレゼントたっぷりの歌劇と華々しいレヴュー「ミロワール」25kgもある羽根を付けての大階段でのフィナーレ男役の凛々しさに酔いしれた夜でした。そして、今日は友人の「うさぎ大好き」さんと「くまたろう」さんからプレゼントが届きました。これは、「うさぎ大好き」さんが贈ってくれたトルコのタイル いにしえのシルクロードの果てのチューリップの香りがします。そして、くまたろうさんからのプレゼントは、これこの土瓶、実は、南部鉄器なんです。とってもかわいいの。そして、みなさま、お気づきになったでしょうか?プレゼントを引き立てている、蝶々これは、北の国の魔女のお庭から飛んできたものです。バーネットさん、ありがとうございました。そして、メッセージをお送りくださったmegumegu001さんハイドシェック繋がりのお友達、magnetさんありがとうございました。そして、最後にビッグ・プレゼントがあったのです。エリック・ハイドシェックの日本公演の招聘元のコンサート・イマジンさんのHPで6月6日のサントリーホールでのコンサートのプログラムがアップされていました。なんと、演目はオール・ベートーヴェンプログラムとりわけ、わたしの大好きな「悲愴」がはいっているではありませんか!今からうきうき、6月の訪れを、首を長くして待っています。
2008.01.31
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昨日は、富士宮駅南のカフェ・ペイジで、オフ会をしました。メンバーは、こはるさん、ちびたろーさん、そしてEYASUKOです。はるばる修善寺からおいでくださった、こはるさん、ありがとうございました。こはるさんにいただいたお土産すてきなチクチクと栗の袋の中身は朝顔の種めずらしい種類とのこと。夏が楽しみです。そして、ちびたろーさんからの頂き物手作り石鹸と、マグネット、そして北の大地からの松ぼっくり写真には写っていないのですが、詰め合わせの籠は、メグさんからの頂き物おしゃべりとペイジのランチで、楽しいときを過ごしました。わざわざ富士宮まで起こし下さった、お二人に感謝です。ブログのお仲間についてもおしゃべりしましたよ。皆さん、くしゃみがでませんでしたか?☆ ☆ ☆ペイジでいただいたランチの写真をこはるさんが載せてくださるそうです。おいしかったんですよ!ちなみにこはるさんは、煮込みハンバーグちびたろーさんは、ボルシチわたしは、豆腐ハンバーグでした。画像をお楽しみに。
2008.01.29
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旅行の際、極力市場をたずねるようにしています。学生時代を過ごした京都は、あちこちに公設市場があって松茸のような高級品から日用品まで揃っていて学校の通学カバン代わりに買い物籠に教科書とペンを入れて持って行き帰りは、市場で買い物をしていたのが、癖になって「市場」ときくと、つい心がウキウキしてしまいます。ブダ=ペシュトにも中央市場という大きな市場があるというのでヴァーツィ通りから足を伸ばしました。中央市場は二階建てで一階は食料品、二階は雑貨のお店があつまっていました。果物やさん↑ このりんごは、1キロ160フォリント(約110円)↓ このみかん(マンダリン)は、148フォリント(約100円)びっくりするほど安かったです。りんごやみかんは小ぶりでしたが、美味しかったです。残念なことに、お店の探検に夢中になってしまってあまり写真を撮らなかったので、すてきなハンガリー特産のカロチャ刺繍や琥珀のお店などあったのですがこんなものしかうつっていません。なんとも、不気味なマトリョーシカ体制側の人物と、反体制側の人物が一同に会しているんですよ。こんなマトリョーシカ誰が買うんだろう?すごいブラックジョークよね。↓ こちらは、オーソドックスなロシアふうのお人形クリスマスが近いことを思わせるラインナップです。最後に、ハンガリーの特産品をご紹介しますね。フォアグラです。100gという小ぶりなパテでしたが、2900フォリント(約2000円)我々といっしょに旅をして、めでたく日本に来ました。お味は、まったりとしているくせに、脂くさくなく、とても美味しかったです。☆ ☆ ☆さあ、これでハンガリーの旅は終わりです。次はいよいよウィーン明日から、と行きたいのですが実は、明日・明後日と、宝塚にいる友人のお招きで、宝塚歌劇の観劇に行ってきます。それゆえ、ウィーン編は29日からとさせていただきます。ブダ=ペシュトもすてきでしたが、ウィーンもすてきなものがいっぱいありました。どうぞ、お楽しみに。
2008.01.24
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ブダ=ペシュト一の繁華街ヴァーツィ通りは、アンティークショップも多く我々のような貧乏人でも、快く受け入れてくれたこの踊り子人形は、昨日ご紹介したヘレンドの人形 ↓ によく似ている。彩色する前のものが流出したのかもしれない。実は、主人のお目当ては、KPMPのような陶板画このようなものがあったのですがお値段が高くて、あきらめました。そのほか、イコンの専門店本物かどうか、確かめる術もない「ガレ」のランプ一度でいいから、お金に糸目をつけないお買い物がしてみたいわ。宝くじ買わなくちゃ!
2008.01.23
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ここまで延々と書いてきましたが、実はこれは時間にして半日の行程です。マーチャーシュ教会の見学のあと再びペシュト地区に戻って、フリータイムとなりました。11月下旬ともなると、街はクリスマスの準備におおわらわツリーの周りの木の小屋は、クリスマス市の屋台です。ブダ=ペシュト一の繁華街ヴァーツィ通りに出てみることにしました。ウィンドウは、クリスマスムードいっぱいこんな風景も見られました。ハンガリーの名産品やブランドショップもいっぱいありました。琥珀のお店ハンガリーの名窯ヘレンドのショップもありました。われわれのお目当ては、骨董品店でした(続きます)。
2008.01.22
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ハプスブルグ帝国は、ハンガリーの独立を望む勢力の高まりにオーストリア=ハンガリー二重帝国を成立させハンガリーについては、君主はハプスブルグ家であるが内政はハンガリーの自主権を認めるという妥協策をとったその象徴が、1867年に、ここマーチャーシュ教会で行われたフランツ・ヨーゼフ一世と皇妃エリザベートのハンガリー王冠の戴冠式であった。その古の舞台がここ↓ ピエタの像が見られるとりわけ美しいのは、ステンドグラス外からは、石色の窓にしか見えないものが光により、このように美しく輝いて見えるまさに、ステンドグラスは、光の芸術作品である。
2008.01.21
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1896年、ハンガリー建国1000年を記念して作られた「漁夫の砦」はペシュト地区を一望できる絶好のロケーションに建っている。「漁夫の砦」という名前の由来は、昔ここに魚市場があったからとも漁師たちがここに砦を築き、蛮族の侵入を防いだためとの2説があるそうだがどちらかは、はっきりしていないそうである。こちら側から、階段を上りひょうきんなドラゴンの出迎えを受けて展望台になっている建屋にあがって、ペシュト地区を心ゆくまで眺めこちら側の階段を下りると目の前に、マーチャーシュ教会が見える。この教会は、13世紀半ばにベーラ4世が建造し、聖母マリアが祀られている。16世紀にトルコ軍に占領され、モスクに改装された歴史を持つが、その後17世紀に、元のカトリック教会に戻ったそうである。現在の建物は19世紀に立てられたネオゴシック様式のものでオーストリア=ハンガリー二重帝国の王としてフランツ・ヨーゼフ一世とシシィの戴冠式がここで執り行われたこの祝典で演奏されたのが、リストの「戴冠ミサ曲」であるという。ここは側面なので、正面に向かおうとすると騎馬姿の聖イシュトバーン一世にお目にかかる。王に送られて、マーチャーシュ教会の正面に廻る。教会は現在補修中であるが、中には入れるとのこと正面に薔薇窓が見える。ステンドグラスが楽しみである。(続きます)
2008.01.20
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「日本語は残念なんですね」と、ガイドのアドリアーナさんが嘆く「この街の名前は、ブダ=ペシュト日本語のブダ=ペストは、いけません。イメージが悪いです。」と、恐ろしい病気の名前に取り違えられそうな首都の表記を嘆く。「ここが、ドナウ川、そしてこの川の手目がペシュト、向こうがブダです。その境目にあるのが、この橋、『くさり橋』です。」と、われわれの乗ったバスは、くさり橋を渡ってブダの丘へと向かう。渡ったところで、「漁夫の砦」という観光スポットがあり、そこからペシュト地区が一望できるという。 ←漁夫の砦われわれの前に開ける眺望はすばらしいものであった真ん中に見えているのが、今渡ってきたくさり橋 写真には写っていないが、その下流にはエルジェベート橋がある。もちろん、シシィにちなんで付けられた名前である。左手側に泊まっているのが、ドナウ川周遊の遊覧船向かって左の尖塔が並んでいるところが国会議事堂中央のドームが、聖イシュトバーン大聖堂 ↓ これは、上流にかかる橋 よいお天気に恵まれ、幸先のよい旅になった。
2008.01.17
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昨日、1月15日は小正月「年中働き続けて疲れたから、一休み」と、思ったわけではないだろうがコンピュータが壊れてしまい、大騒ぎ娘が一日かけて直してくれて、やっと皆様にお目にかかることができる一日おいてしまったが、旅の続きです。☆ ☆ ☆イシュトバーン大聖堂の特徴は、その賢覧豪華たるモザイクにあるこれらのドームの下に礼拝場が設けられている。赤大理石は、また、こんな細工にも用いられている。門を出たところに、売店があり、いろいろなキリスト教グッズを販売していた。これは、お土産に買ったロザリオ十字架とブルーのビーズでつながれた金具には聖母マリアのレリーフが刻まれていた。われわれの旅は、ペシュトを後にしてくさり橋を渡って、ドナウの対岸ブダの丘に向かう。
2008.01.16
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いよいよ、聖イシュトバーン大聖堂の中に入る。19世紀後半のハンガリーを代表する彫刻家、画家の手によるモザイク・彫刻増、壁画で彩られているきらびやかな内部装飾に目を瞠る大聖堂正面のティンパヌムは、ドームの高さ96m、長さ86m、幅55mドームの中央はハンガリーの守護神である聖母マリアそれを取り囲んで、ハンガリーの聖人たちが描かれているそして、ここにも聖イシュトバーン一世の姿が---。じつは、この大聖堂にはイシュトバーン一世の右手が安置されている。今は、このように、きらびやかな箱に納められ、安らかな眠りについているこの右手は実は、数奇な運命を辿った末、ここにたどりついたのだそう最初は、バラトン湖とブダペシュトの中間にあるセーケシュフェヘールバールという街次は、トルコの侵攻の歳の略奪にあったためか、トルコの貿易商の倉庫に次にダルマチアを経て、1711年にブダへ最終的に安息の場をこの大聖堂に定めたのは、なんと1971年のことだったそうです。ほとんどの観光客がこの聖なる右手にご対面するそうですが中のきらびやかさに目が眩んで、ガイドさんの説明そっちのけで写真を撮っていたため何処がその聖なる右手の安置場所なのか、聞きそびれたわたしでした。大聖堂の中、もう少し続きます。
2008.01.14
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すっかり、道草をくってしまったが、今日から又ハプスブルグの旅を続けます。 西暦1000年、イシュトバーン一世は、マジャール7部族を統一し併せキリスト教に改宗、初代ハンガリー国王となった。その功績により、イシュトバーン一世はその死後わずか数十年後に聖人に列せられ聖人として信仰の対象となっているこの大聖堂は、1851年に建設が開始され、1905年に完成した。正面を入ったところの上に建設開始の年、1851年が刻まれている。そして、完成した1905年も正面の扉は神の通るところなので、我々は横の通用扉から入場する。続きます。
2008.01.13
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眞葛香山についてご紹介したこの稿もいよいよ最後である。最初に見たときには、華やかな高浮彫のみ目について「すごい、すごい」といい暮らしていたのだが後になってブログに載せるために整理してみると初代香山の多面性が浮かび上がってきたのである。いまだに、その技法が解明されていない高浮彫はたしかに豪華絢爛家に大鷲や熊まで飼って生き物の生態を研究したという香山の高浮彫にかける情熱の素晴らしさが、作品を通って伝わってくる。しかし、高浮彫でない作品を眺めてみるに、それらの出来も並大抵のものではない。昨日ご紹介した仁清ばりの色絵作品しかりまた、こういう作品がある↑ 青磁釉鳳凰水盤そして十一面観世音菩薩立像 ↓ その青磁、白磁の美しさは、目を瞠るばかりである。そして、染付け青華山水花瓶 高さ50cmほどの花瓶に呉須で描かれた精緻な山水その外、展示がなされていなかったが、田邊哲人氏の著作に載せられているものには多くの茶陶もあり、そのそれぞれがかなりの出来と思われた。これらから見るに、初代香山は陶磁に魅せられ、また陶磁に愛された生涯を送ったことが推察される。☆ ☆ ☆参考文献田邊哲人著「眞葛香山」東海道広重美術館「帝室技藝員 眞葛香山」展 展示解説Wikipedia「宮川香山」
2008.01.11
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明治29年、初代眞葛香山は、帝室技芸員を拝命する。帝室技芸員とは、明治23年に明治帝の命により設けられた制度で藝術の信仰を目的とした現在も人間国宝という制度があるが、この制度と大きく違うところは、その分野で一名のみという、大変名誉ある指定であったことだいうなれば、皇室のお抱え技芸員ということで天皇から直接年額100円を下賜され、さらに皇室からの注文品は相当の額で購入されたというこれは、その一つ明治天皇が香山に命じて作らせ、乃木希典に下賜したものであるという同系統の作品としてやがある。ここには、先に紹介したけれん味のある「高浮彫」の影は微塵もない明治25年に家督を息子に譲り、茶陶を作ったり、釉薬の研究をしていたというからその時期の作品であるのだろうか香山は、また仁清に倣ったこんな作品も作っている香山は、また雉の形の香炉を作っていてそれは、金沢にある仁清の雉香炉を彷彿とさせていて香山が一時期仁清に傾倒し、その作陶を研究したことをうかがわせ、興味深い
2008.01.10
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今回の展示品の中で、一番心を惹かれたのが これ ↓ 高浮彫桜に群鳩花瓶一対高さは7,80cmもあろうか、豪華な一対の花瓶である。花や鳩の細工の精緻を極めていること、驚くばかりである。 香山は、明治21年家督を息子の半之助に譲り、新しい釉薬の研究に没頭し、大正5年、75歳で死去した。半之助は二代香山、その息子の葛之助は三代香山を名乗り、跡を継いだが昭和20年の横浜大空襲で、三代香山とともに窯場も消失してしまい眞葛焼きの命脈は絶えてしまったという。作品の大部分が海外に売られていったことも影響し「眞葛焼き」「眞葛香山」の名は、いつしか忘れ去られ、「幻の陶器」の名のみ残った。ここに、運命の邂逅が起こる。由比町出身の田邊哲人氏が、横浜に居を定めたのである。奇しくもそれは、香山の窯場の近くであった。昔ここに「眞葛焼き」という窯場があり、沢山の綺麗な作品を作り出していたしかし、その製品はほとんどが海外に流失し、残っている物は少ないため「幻の窯」となっている、ということを聞いた田邊氏はどうかして手に入れたいと願い、やっと入手したその作品の美しさに打たれた氏は、海外のオークションや友人たちの人脈からの情報をつてに以後40年にわたる眞葛香山の作品の収集を始めるのである。この邂逅なくしては、眞葛香山の名は、幻のままに終わったであろうそう思うに連れ運命の不思議さと、田邊氏の情熱に、深く敬意を表するとともにできうるなら、このコレクションを公共の場で常設的に展示できる場を設けていただきたいと、切に願うものである。
2008.01.09
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香山の高浮彫は、身近な物の観察から題材をとって↑ 向って左が「鴫(しぎ)」、右が「ネズミと蓮」↓ 生き生きとした鶉を捉え さらには、雀を捕らえる大鷲をも描写する猛禽の猛々しさが活写されているそのまなざしは、自然界だけではなく空想の世界に及ぶ高浮彫四窓遊蛙獅子蓋付壷一対そして、風神・雷神を描く奇想さ 風神の袋の中には、青鬼・赤鬼が居て、遊んでいる雷神の太鼓は二匹の鬼が敲いている。その創造(想像)力は、森羅万象を写し取ろうとでも思っているがごとくである。
2008.01.08
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まだハプスブルグ帝國の旅は始まったばかりというのに眞葛香山の作品に魅せられてしまい性懲りもなく、昨日写真を撮りに出かけてしまった。高浮彫渡蟹水盤備前のような土物に、鉄釉をかけたものに渡蟹が二匹からんでいる。蟹のリアルなこと、とても陶器とは思えない香山の手になる同種の物が、国立博物館に所蔵されている。田邊コレクションは、それに匹敵する優品ということである「高浮彫」とは、精密な彫刻を掘り込んで表現する技法高度な技術を必要とされ、8年の長きを経て完成に至った物もあったという香山は、その精密を期するため自宅の庭に様々な生き物を飼育したり、植物を栽培して研究したそうである。これも研究の賜物か眠りから醒めたばかりの猫の表情が、生き生きと活写されているうちの「ゆき」に似ていて、可愛い。下部の「牡丹」も、すばらしい出来である。眞葛香山は、本名宮川虎之助天保13年(1842年)、京都眞葛ケ原の焼き物師宮川長造の四男として生まれ18歳のとき、父や兄が相次いで物故したため、窯を継ぎ色絵陶器や磁器の制作を行っていた。明治3年に横浜太田村不ニ山下(横浜市南区庚台)に窯を移し欧米の博覧会へ出品する陶器を製作していく彼の作る、彫像を生かした「高浮彫」は、たちまち評判を呼び、「けだし、見るもの、価を問わずして購入せしめんとす」とまで言われるようになりフィラデルフィア、パリ、アムステルダム、シカゴ等の万国博覧会や国内の内国勧業博覧会で、多くの賞を受けていった
2008.01.07
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今日は、静岡県庵原郡由比町にある、東海道広重美術館に行ってきた。友人の「うさぎ大好き」さんのお誘いで、眞葛香山(宮川香山)の展覧会があるということで由比町まで足を伸ばした東海道広重美術館はユニークな美術館では在るが、所詮地方美術館それほどたいした物は在るまいと、たかをくくっていたわたしは己の不明を恥じることとなった中でも見事なのは、高浮彫といわれる技法で陶器の壁面に、動植物を立体的に造形して貼り付けてあるのであるがその造形の見事さ、生きているかのような質感である。このコレクションは、由比町出身の実業家田邊哲人氏が30年以上の歳月をかけて収集した個人コレクションでご自分の出身地の振興のため貴重なコレクションの中の優品を貸与してくれたとのこと我々二人、その造形の見事さに、しばしため息をつくばかりだった。実は、カメラを持っていかなかったため画像が載せられない。館員のかたに伺うと、写真撮影OKとのことなので、ぜひ亦行って撮ってきたい。その折には画像を載せるので、ご期待ください。同展は、1月27日まで、お近くの方はぜひ行ってみてください。めったにお目にかかれない逸品にめぐり会えます。
2008.01.05
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バスはオペラ座を過ぎ、アンドラーシ通りから聖イシュトバーン大聖堂へここは、英雄広場で見た聖イシュトバーン一世 ↓ を祭る寺院聖イシュトバーン一世は、マジャール部族を統一し、異教徒であったマジャール人をキリスト教に改宗させたハンガリー建国の英雄その功績をもって、教皇庁から聖人に列せられこうして祀られているという。実際、この後も聖イシュトバーン一世には至る所でお目にかかるのである。
2008.01.04
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リスト・フェレンツは、ハンガリーの生んだ偉大な作曲家であり天才ピアニストブダ・ペシュトで音楽院を設立し、校長として後進の指導にあたりバルトークやコダーイを巣立たせたその功績を称えられオペラ座の入り口にその像が置かれているえ?、ちょっと待って?リスト・フェレンツ?偉大な作曲家であり天才ピアニスト?そんな作曲家聞いたこともない、ですって?実は、ハンガリーの言語マジャール語では人物の名前は、「日本語と同じように「姓・名」の順に表記します。ですから、彼の名は、一般にはその良く知られているドイツ語読み ウィーン一の繁華街ケルントナー通りに置かれている彼のサイン ↓ の通りフランツ・リストというほうが有名でしたね。実はリストは、れっきとしたハンガリー人父がハンガリーの貴族エステルハージー侯爵に仕えていた関係で10歳の時から音楽を学ぶためにウィーンやパリに行きパリで、若き天才作曲家としてデヴューその後ドイツやイタリアで活躍するが晩年はハンガリーに戻り、リスト音楽院を設立その生徒の中からハンガリーの民謡を取り入れた音楽を作り出したバルトークやコダーイという作曲家が育って行きました。リスト自身も「ハンガリー狂騒曲」という作品を書いているようにその精神の支柱はハンガリーの風土が大きく影響しているのです。ちなみに、このレース編みのパターンの名は「ラプソディー」(狂騒曲)北の魔女バーネットさん から頂いた物です。
2008.01.03
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昨日の夕方7時からのウィーンフィルのニューイヤーコンサートは素晴らしかった。指揮者のプレートル氏は、御歳83歳だそうでとてもそうは見えない健在ぶりで楽しい名曲の数々を指揮していた会場の「楽友協会」大ホールは、「黄金のホール」と名づけられたほどの素晴らしい音響だそういつかこのホールで、ウィーンフィルの演奏を聴いてみたいものである。☆ ☆ ☆さて、ブダ・ペシュトのオペラ座ツアーの続きムジーク・フェライン(楽友協会)の中も素敵だったがブダのオペラ座の中も、ハプスブル帝国の栄光に包まれていたホールの天井絵そして、皇帝が姿を見せる扉二階のサロンの装飾そして、シシィが座ったかもしれないロイヤルボックスの中ここにもいつか観劇に訪れたいものである
2008.01.02
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迎 春明けましておめでとうございます。全国的に大荒れの天気の中、ここ静岡だけは快晴の元旦みなさまにお約束した元旦の朝日に輝く富士山の姿です。お目にかけることが出来、安心しました。本年もどうぞ、よろしくお願いします。
2008.01.01
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