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今日は久しぶりのお出かけ、東京へ
美術館を三館まとめてアート三昧の一日でした。
まず、最初に上野の森美術館
「レオナール・フジタ」展
日本人の洋画家藤田嗣治(つぐはる)は
東京美術学校(現東京藝術大学)に入学し、画家を志すが
当時の洋画界で絶大な権力を持った教授黒田清輝とソリが合わず
その作品を完膚なきまでに貶され
新天地をそのころの藝術の中心地であるパリに求め、渡仏した。
パリで、彼は「エコール・ド・パリ」(パリ派)といわれる絵画集団に所属した。
「エコール・ド・パリ」は、主としてユダヤ系の人々により構成されていた。
モディリアニ、キスリング、パスキン、スーチン
これらの画家たちに影響を受けつつ、藤田が開発したものは
「素晴らしき乳白色」という技法だった
胡粉を混ぜた、と伝えられる、藤田独特の乳白色の下地に
面相筆を持って、さながらに日本画のように引かれる細い線
墨絵のようでありながら西洋的な物質感を持つ陰影
東洋的でありながら、西洋絵画でもある
そんな絵画が評判を呼び、藤田は一躍パリ画壇の寵児となる
その凱旋を持って、藤田は旧師の黒田や彼の弟子たちを見返そうと思ったであろう。
「完膚なきまでに貶された俺の絵が、けれどどの日本人画家にも出来なかった
絵画的成功を本場のパリでおさめたのだ。」
しかし、その藤田も時代の波に翻弄される
第二次大戦の勃発と、それに従軍画家としてかかわらざるを得なかった状況
敗戦後、戦犯探しが始まる
最大の戦犯は、最高の評判を取った戦争画の絵描き手、藤田だ!
当の藤田は、ただ驚くのみ
自分のこの絵が、どこに戦意昂揚の意図があるというのだ!
自分が書いたのは、玉砕する兵士たちばかりだ
一大叙事詩として、ジェリコーのような画が描けないものか、こころみただけ
題材として取り上げたのは、戦争の痛ましさを描いた題材だというのに---
現在も、この戦争絵画は、アメリカ合衆国の占領品として
ただ、身柄だけは国立近代美術館への「永久貸与品」として
年数回の公開がなされているだけの
非常にはぎれの悪い物となっている。
このようにして、藤田は故国を失う。
彼を迎えてくれたのは、青春を過ごした地、フランスだった。
藤田は日本国籍を離脱し、フランス国籍を取得
Leonard Foujita(レオナール・フジタ)が誕生する。
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