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夢には全く未経験の世界は出ないと思うが、行ったことのない場所にいることがある。脳は未経験の世界を作り出す能力があるのだろうか。案外と先祖から伝わるDNAにそんな記憶が組み込まれていたりして(笑)2台のピアノと言うのは確かに現職時代記憶があってそれが元になった夢だと思う。建設会社にいたわたしは、得意先の工場長から家庭の防音で相談を受けたことがある。娘さんが二人いらっしゃって、それぞれ自分の部屋でピアノ教師をしているとのこと、ご両親とも最初は気づかなかったが、半年もすると不眠や頭痛が出始め、それは娘たちのピアノ教室から漏れてくる音だったことに気づいたのが始まり。現地調査をすると、娘さんたちの部屋は2階で隣り合っており、肩やアップライト、もう一方は小さなグランドピアノが鎮座している。お二人とも同じ音大を出てかなりの腕前、生徒さんが立て込んでくるとどうしても同時にピアノを叩くようになるが、時間帯の調整は無理、防音設備を施すしかないが、2階どうしはまだしも2階から1階への音の遮断はかなり無理がある。そこで一番カネのかからない方法、庭にプレハブを作ってそこに防音設備を施せばいいという提案をしたが、庭を狭くするのは嫌だとの奥さんの話で、立ち消えになったことがある。あの時のご夫妻の精神的苦痛はやはり音楽が好きだからで、ただの雑音としか捉えない人だったら苦痛には思えないだろう。精神統一すれば耳から入る音も克服できる。すべて「陽気発処 金石亦透 精神一到 何事不成」で、この漢文はわたしの出た小学校のモットーであった。校門にこの石碑と二宮金次郎の像が建っている。また校歌も似たような内容で「志をいったん建てたなら石を貫く矢もあるように、一心腐乱に勉強すれば世の中のためになる。そうして誠の人と成れよ」との大意である。悪ガキ時代だから、こんな意味わかるはずもなく、つとめはげみて のところでハゲた先生を見て笑い、つぎの「まことのひととうたわれん」ではわたし(名がマコト)をふりかえって笑うというありさまだった。先生ごめんね今ではわたしが同じ境遇に・・・小学校の思い出になってしまった。
2022.06.30
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前からだが、悪いことは人に話す、いいことは話さないという親の言いつけを守っている。悪いことはどんどん人に話してお前の悪いことをどんどん暴いてもらい、批評してもらって糧とせよ、と言う意味でした。しかし年を取ると批評してくれる人もおらず、また反論でもされたらめんどくさいのでほっとこうとなると思う。また人を批判するって案外ストレスがかかるのだ。昨日、変な夢を見た。場所はレストランか集会所かわからないが、公衆が集まっているところで二台のピアノがあり、それぞれ違う曲を弾いている。一曲はバッハでもう一曲はメンデルスゾーンだと思う。あまりの不愉快さにたまらず、「どっちかやめてくれ!」と叫んだ。そしたらみんな一斉に非難の目をわたしに向けるのだ。中でも若いお兄さんがガンを付けてきてなにやら言いたそうな眼付、睨み返していると目が醒めた。耳の周りを蚊がぶんぶん飛んでいるのでたまらず蚊取り線香に点火してまた寝た。また道を歩いていると黒猫が前を横切る時がある。これは欧州では不吉とされているが、わが国ではあまり問題にはならないようだ。しかしネットでも右からと左からとで違うらしく、これまた複雑な話であまりあてにはならないだろう。いちばんなるほどと思えるのは、いったん逆戻りして呪文を唱えてすすむというものだ。呪文は何でもいいらしい。南妙法蓮華経でも南無阿弥陀仏でもAmenでも好きなものを選んでください。それはそうとして、夢に出た聴衆はよほど変わり者なのだろう。二曲を一度に堪能する能力を持っているのだ。わたしも部屋ではテレビと鑑賞と音楽鑑賞と読書とゲームを同時進行でやる時があるが、二曲同時に干渉するというのはやったことがない。おそらく人は音楽として聴いているので、旋律を二つ以上同時に聴き分けられないのだろう。旋律は複雑に絡み合って官能を刺激するようにできている。二つの言語を聞き分ける同時通訳とは違って音楽を感じるところが違うのだろう。
2022.06.29
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温泉好きの人がいる。ピアノを弾くのが好きな人がいる。酒を飲むのが好きな人がいる。音楽を聴くのが好きな人がいる。山登りが好きな人がいる。人間さまざまの趣味をもっている。ここで言う趣味とは、仕事とは切り離している好きなことで、ほとんどの人は持っていると思う。仕事が趣味という人は論外である(笑)これを前提に話を進める。なぜあなたは温泉に行くの?と訊くと、非日常が必要だからと答える。なるほど、では非日常とは何?と訊くと日常のつまらない仕事や対人関係を忘れるため、一言で言えばストレス解消と答える。1DKの独身寮から、素晴らしい露天風呂と森の薫りが充満する環境は、たしかに日常的ではない。大金持ちなら温泉を所有してしまい日常になるのだが(笑)残念ながらほとんどの人は温泉に通うしかない。日常とは、人間が生活するのに必要な経済活動と生きるために必要な生物的活動だろう。ピアノは好きな人ならば何時間でも鍵盤に向かっていることができる。いわゆる拾い弾きと言うやつで、自分が出した音を無心に聴き、それをまた指先で表現する。時間はあっという間に過ぎ、もう夕方かとなりあわただしく夕食の支度を始めるというお母さんがいる。大人専門のピアノ教室に行ってみようかとモチベーションが上がる人もいる。三時ごろから一切の水分を取らずにひたすらアフターファイブのビールを非日常として日々取り込む人もいる。いろいろな非日常があってわれわれは日常を過不足なくごくフツーに過ごせるのだろう。しかし非日常は日常があって初めて成り立っている。まさに「職住足りて礼節を為す」である。非日常の楽しみを増やすには、経済的な余裕が欲しいということに気づく人は賢明で、また反面、非日常を日常とする人もいる。世間ではこれをプロと言う。芸術家、音楽家などはこのジャンルに入る。日常と非日常のバランスを我々はどうやって取っているのだろうか。日常、仕事が忙しければ非日常の時間は少なくなる。人間は忙しいとき一杯のビールを思い出し、ストレスがかかっているときに不思議と脳内でBGMが鳴り響いている。人間て危急の時に案外と全然関係ないことを考えているものなのだろう。このあたりが鬱にかかりやすい人、かかりにくい人との境目かもしれない。
2022.06.26
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こないだは夏至だった。夏生まれのせいか無性に夏が恋しいのだ。梅雨が来れば早く開けて夏にならんかなと思うのはわたしだけ?梅雨になっても夏のような天気が続く。なにがそんなに老人をはしゃがせるのか?まあ他愛はないのだが、まず水仕事は積極的にできるのだ。冬だと最小限の水量で、ちまちまとやってすぐに終わらせる。背中は丸くなり、まるで猫である。布団は重くなり、寝返りも打たず暖気が逃げるのを防ぐ。毛布は布団から20㎝ほど出して首周りを保温する役目で、電気毛布はもちろん使うが、ベッドに入ればスイッチは切る。電気代をけちるのだ。やたらと冬はケチらなければならない作業が多すぎる。早く暗くなるので照明もこまめに点灯消灯をくりかえし、かといって着ぶくれるので動作は鈍くなる。自然と脂肪は内臓に沈着し、メタボ気味になる。その代償として燃料代はかかるし手は汚れる。しかも天候は最悪で、早く暗くなるしなかなか夜はあけない。夜明けに忠実なカラスどもはなかなか鳴かないし、空は灰色で雲は低い。冬の存在はわたしにとっては悪である。しかし冬がなければ人類の発展はあり得なかったのだろう。暖かいところでまず人類は4大文明を築いたと習ったが、けっきょくはその文明は高度な武器と移動手段を持った北方からの攻撃に敗れた。冬があるからこそ住宅は発達し、暖房や衣服も発達し、人類は考えながら移動し、略奪しながら武器を発達させて今に至る。いまでもこの動きは変わっていない。閑話休題その点夏は正反対、汗はかき放題、短パンTシャツでOK,限りなくだらしないわたしはその本性をあらわしてくつろぐことができる。汗止めのタオルを鉢巻きにして巻けば土方仕事も何のそので、庭いじりも精が出るというものだ。狭い庭から空を見上げれば、真っ白い雲が西から東へ飛んでいく何気ない風情が快適なのである。ある落語家がネタにしていたが、花鳥風月と言うのがあって順序良くこれを愛でるようになると、人間そろそろ終焉に近づく信号なのだそうだ。庭いじりは花にあたるからその入り口なのかもしれない。それはそうと、パーシーフェイス楽団の代表的ヒット曲に「夏の日の思い出」があるし、似たような曲でミッシェルルグランの「思い出の夏」もある。両方とも映画になっており、不思議なことに、夏休み中の学生が年上の女性に恋をするという筋書きで、夏が終わるとともにその恋は終焉するというのも共通している。これが行き過ぎると直近の中学校女性教師が教え子によからぬ行為に及んだということで懲戒免職になったりする。やはりこれも夏の日の思い出である。夏はやはり生物の染色体が活発になり、生殖の季節なのだろう。で秋になるとタネが撒かれて厳冬期はじっと我慢、春になって発芽するのが植物である。人間は年中発情期なのだが。樹木に詳しい人は言う。発芽のサイクルも裏年と言うのがあって年がら年中タネを作っているわけではなく、やはり休養が必要なのだろうということだ。例えば金木犀は毎年花を咲かせているわけではなく、木によっては一年おき、二年おきに咲くのもあるとのことだ。またご近所の見事な藤の花を咲かせるオーナー氏も、花が咲かない年はわかるという。藤の木が全体的に元気良く、葉が厚くて緑濃いとき、花に咲かせる余裕がないそうだ。つまり、元気のいいときは種をまく必要がない。つまり花を咲かせる必要がないということらしい。これは人間もおんなじで、危険を感じると自分の遺伝子を残そうとする本能が備わっている。男子ならわかるはずだが、具体的に書くと楽天の場合NGワードになる可能性がある。大戦後の日本が急激なベビーブームを迎えた原因の一つは、600万人近い人口が戦争で減少した後、復員した兵士が家庭をもったことだが、やはり人口減少を憂いた民族の本能と言うか自動補填と言うか目に見えないベクトルが働いたのfではないだろうか。ネズミの個体が増えすぎると食料が足りず個体が減る。それと似たような原因で人が増えすぎると戦争で個体が減り、また繁殖で人が増えるということか。ともかく夏は生命誕生の季節である。
2022.06.23
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前回の「狭められる正常範囲」に続き、どうしても書きたいことがある。精神科は一般に手術設備が不要だから、初期投資が少なくて済む。必要なのは患者との対面部屋だけである。最近わたしが住む街にやたらと神経科、精神科が増えたのはそのせい?「恋のやまい」ってのがある。妙齢の箱入り娘が突然かかる病気で、両親がいくら看病しても治らない。ただ食事ものどを通らず、日に日に痩せていく病気である。番頭が心配して江戸中の名医を探し、連れてきたのがただの坊主で、その坊主が娘と対面したとたんに病気は治ってしまった。娘は法事で見かけた若い坊さんに恋焦がれていたのであった。精神病の原因は百人百様で、その原因を取り払うのが一番の妙薬なのだが、これを薬で治そうとする現在の薬学ってどれだけなのか。コロナ禍で借金を増やし、ノイローゼになってしまう経営者。眠れない日が続き酒量が増え、精神科医の門をたたくが、いくら精神科医の治療を受けたところで借金が減るわけでもなし、これにやがて気づいた経営者は自殺の道を選んでしまうという実例がたくさんある。まさに役立たずとは言わないが、診療科目の中で禁煙治療とともにこれほど利益まるだし科目があるだろうか。脱線するが、自殺者を減らすためには精神科医よりも経済学者と政治家の出番ではなかろうか。悩みなんて考え方一つだよと言うのが精神科の骨子でもある。確かに悩み多い人は、たった一言で救われることもある。しかしそれは精神科医ではなく、友人や家族や格言や何気ない他人からのヒントである。精神科医の門をたたくときはかなり病状は進行している。精神科医は最後の砦なのかもしれない。わたしの知り合いに「自称うつ病」の人がいた。彼女は自分はうつ病だと言うことを宣言し、わたしにも気を使ってほしいと要求するのである。そりゃうつだろうが何だろうが対人関係には平等に気を使っているつもりなのだが、彼女は事細かに要求するのである。会話の中に禁句を挙げ、それを絶対につかうなとか、なにかマウンティングしたがるのだ。わたしは病人なんだから気を遣えってのはわかるが、言い出されると少し反発もわくということをこの人は知らないのだろう。なぜ「頑張って」って言っちゃいけないのか?なぜうつ病の患者にそれを言っちゃダメなのか説明もなしでは納得できない。わたしに要求するなら説明をせよと言ったら医者でもないのだからできないと言った。こんなのが最近増えたような気がするのは精神科医の氾濫のせいかも・・・考え方と言うか、見方を変えてみる。精神科医の役目は、自分が病気だと思っている患者を励まして、君は病気などではないとわざと診断し、自信を付けさせることかもしれない。経験したことがあるのだが、体調不良でそこか悪いのではと医師の診断を受ける時がある。精密検査をやってその結果、「アンタどこも悪くないよ、気のせいだよ」と言われれば不思議と体調は良くなってしまう。これは医師を信頼している場合で、気のせいなら多分あのことかとかこの事かとか自分で原因を探るのだ。精神科医に必要な絶対条件とは「信頼」だろう。ろくに患者の訴えも聞かずに睡眠薬を出すようなのは論外である。難しい科目ではある。
2022.06.22
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ろくなことを書かない地方紙に乗っていた論文が、「障害が増え続ける不気味さ」副タイトルとして「狭められる正常」、この記事に引き付けられた。どういうことかと言うと、精神病の研究をしている投稿者が気付いたことだが、その分野の新しい病名が次々と発表されることだという。これは喜ばしいことなのだろうが、投稿者はその理由を心理学者から聴いてはたと思い当たる。心理学者が言うには、「新しい病気を発見すれば、それは学者の実績になるということだ」そうである。なので次々と研究者は根掘り葉掘り既存の病名のどれにも当てはまらない疾患を探すのだという仮定である。一つ新病を発見すれば、講演の依頼や著書の出版などの機会は増える。逆に正常人?は減り病人は増える。タイトルの「正常者の居場所がなくなる不気味さ」はわたしが感じてつけたもので、思い当たることが多い横文字病の氾濫はそれをあらわしているのではないかと思うこの頃だ。目新しいところでは心的外傷後ストレス症候PTSDで、第一次大戦後に新たに発見された疾病だ。ケガしているわけでもないのに、原因不明の発作が出て社会復帰困難な帰還兵が続出、精神科医がこの病名を付けて治療法を探しているところだ。この病名がつかなかった頃は、この発作を抱えた兵は臆病者とされて社会から抹殺されたり、現役将校で軍法会議にかかった例もあった。アスペルガー症候群と言う症例は戦後有名になった疾病だが、わたしなぞは恐らく幼少のころはまさにこの病気だったのだろう。ヒトと話すのを極端に恐れ、いつもひきこもっていたことがある。母の田舎に移住して半年ほど暮らして、従兄や周囲の友人と川遊び、山登りなどして自然と治ったのだが、これを病気とすべきなのかは今でも論争がある。というのはこれらほとんどの精神病に治療法は確立されていないからだ。治療法がない病気と言うのは病気ではない可能性もある。病気の定義はまず患者がいることだが、精神科医が外来患者を診断し、あんたの病気はアスペルガー症候群だよと言ってさらに患者がわかりましたと納得すれば病気は成立するのだ。一次的な発達段階で見られる症状を病気として取り上げ、太鼓打ち鳴らし旗を振って騒いでいるだけではないのか?と言う悪評もある。しかし反面、これらの心理的ストレスを抱えて苦しむ人たちもいるのは事実で、現にPTSDが過酷な戦場で経験したものに発症するということを証明した病理学者のおかげで、幾多の将兵の命が軍法会議で死刑宣告を逃れて救われたのは事実だ。PTSDがまだ知られていないとき、これにかかっている兵士が敵前で逃亡し、軍法会議で死刑を宣告されtた例はいくらでもあるらしい。また投稿者の記事によれば、最近発表された疾患名で「夜食症候群」てのがあるらしい。これは夜になるとやたら食いたがる病気だそうだ。「注意欠陥多動性症候群」は子供に多くみられ、落ち着きがないのが特徴だそうだが、子供って落ち着いていたのでは子供でないような気もするが・・・。逆に「緩慢認知症候群」てのもある。これは普通の子供よりもゆっくり動く子供のことを言い、これも治療できるそうだ。こうして投薬する機会も比例的に増えていき、製薬会社の株価は上昇、医薬業界は官学軍三位一体と似たような構造を作っているのかもしれない。これが今の不気味さなのである。しかも老人ではなく、子供に焦点を当てて新しい病名がついていく傾向があるのは恐ろしいことではないだろうか。理想の人材に向けて盆栽のように矯正し、肥料の調整をして理想の納税者に仕立てていく国家の理想ではないのか?やがてフツーの人間て居場所がなくなるのではないか?
2022.06.20
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よくあることだが、現役時代にある程度の管理職まで務めた人によく在りがちなことが二通りある。まず前職での自分の地位と個人の地位が区別できない人、それから退職してからもこの地位を昔の部下に行使する人、両方とも最悪である(笑)現職時代に今の仕事を個人で立ち上げればもっと収入は上がる、仕事の内容は変わらないのだから、退職して事業立ち上げ、という考え方はサラリーマンによくあるのだ。しかしほとんどの場合うまく行かない。なぜかと言えば、周辺の人々は会社を通じて付き合っている人たちで、退職した人間と今まで通り付き合うのというのは考えられないからだ。いくら資格を持っていても、仕事は自分から舞い込んでこない。企業が成立するためには、地盤、看板、資金なのだ。なにやら選挙に立候補する人と同じくなってしまったが、よほど他の会社よりもとびぬけた技術や特許を持っているなら別だが、在職時と同じ人脈で立ち上げようとするのはまず不可能である。理由は、まずやめた人間と取引することは在職していた会社が許さない。裏で取引すればいい話ではあるが、いつかはばれるわけだし、また大きな問題は、おなじ取引条件にはならないということだ。実績を積んだ企業と、退職したばかりの人間の差がここにある。うまく行く条件はたったひとつ、在職している時点で、自分にとって代わる人間が企業にいないこと、また協力してくれる取引業者がいること、資金調達してくれる人がいること、この三つである。この組み合わせが最強の転職独立条件だろう。それには並外れた能力と努力、人間性が必要だろう。だからわたしも含めてほとんどの人間がお城勤めで定年を迎えるのだ。しかし中には現職時代に人脈を築き上げ、転職のたんびに年収と地位が上がっていく人材は確かにいる。こんな人間はどこに行っても通用するのだが・・・。同僚が本気で転職の相談をかけてきたときはビックリしたが、意思が固いとわかると特に無理に引き留めることもないからほっといた。彼は退職して2.3年同じ職種で頑張っていたようだが、業者から材料が手に入らない。手に入っても仕切りが高いとかがあったようで、これは別に会社が業者に強要したわけでもないのだが、なぜか彼は被害者意識だった。彼はいつのまにか以前の会社の地方営業所に雇用されていた。もちろん再出発の新入社員である。世の中甘くないなあ
2022.06.17
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縁があって、ご一家が60年暮らした家の後片付けを手伝った。ご両親のうち父親は10年前に他界、母親は施設に入居している。息子の顔もほとんどわからないそうだ。彼は結婚して二児を設けたが最近離婚、市内で働いている。妹さんは首都圏へ嫁入りして元のご一家は自然と解散した。「離散」では何か不幸があったみたいだし、「解散が一番ふさわしいかと・・・。役目を終えた家は何度もの地震にも耐えなお健在だが、息子さんは一人暮らしの身には大きすぎるとのことで、マンションに引っ越したため、いよいよ解体することになったのだが、中を整理していると、4人が共同生活した跡にいると、目には見えない「なにか」を感じる。いろいろ想像してしまうのだ。人間には誕生と死亡とがあるが、家にもまったく同様に新築と解体がある。新築の時には華々しく周囲の関係者が集まっていろいろな行事がある。上棟式を迎え、建て主は集まった近所の人々に餅や現金を投げる風習もなつかしい。いまは人間横着になり、近所でこれをやったのを見たことはない。新築して引っ越すと親戚、近所の方々を読んでお披露目的行事がある。引き出物まで出て、まさに人生のイベントの一つだった。60年間、家は人間4人を風雨から守り、犯罪者たちから守り、一家4人ケンカするときも喜び合うときもすべてこの家が基礎であったろう。学ぶのも遊ぶのもすべてここが起点だったのだ。柳田国男によれば、家は家族を作り、人の個数の増加に大いに貢献したとされる。従来は自然の地形を見つけてヒトはそこに住み着き、火を焚き、小川を見つけてはそこで水を汲んで煮炊きして生活した。食料を求めて移動、居住を繰り返し、獣の襲撃や事故で個体数は増加しなかったが、やがて集団を作ってその中に優秀なものがいて、知恵を出してそれを広めていった。共通の言葉を話して意思の疎通を図り、一つの集団となった。他の部族との衝突もあり、武器が考えられ、それによって幾多の集団が滅んでは生まれ、ヒトは食料を求めて移動した。家を建てるという文化はずっと後のことで、食料が栽培や家畜で生産されるようになってからだ。ヒトは定住民と移動民に大まかに別れ、前者は精密な家屋と田畑を計画し、道路も作り、水も小川だけでなく、井戸を掘って集落ができた。火は各家庭にいろりとなって、一家だんらんの場所となったのだろう。定住民は移動民によって侵略されるのが世界史の定番で、定住民は防御のための砦や要塞を作り、移動民は馬を思い通りに走らせる馬具、また騎乗姿勢で放つ弓の発明など、矛盾をくりかえしてきたのだ。家はしだいに集落となって集団で防御する城郭都市となり、ここでの生活は組織、連絡協議としての行政、政治機関ができたのだろう。柳田は遠野物語の中で、火と水の集約が家と家族を作ったと言っているが、全くその通りだ。いまでも家庭内には言ってみれば小さな小川(流し台、トイレ)があり、火(台所のガス台、暖房器具など)が設置されている。ただし家族と言っても常に一緒ではない独立新考えが生まれ、個室ができて火と水は家庭内で分散した。これが今のひきこもりの一因でもあるだろう。風呂だけは個人専用と言うのは一人暮らし以外は少ないだろうが、娘は父親の後を嫌って入りたがらず、トラブルの原因となる。閑話休題 おばあちゃんの自慢のタネだった着物ダンス、娘さんのコレクションだったろう人形棚や机の上を飾ったであろう日光での記念写真を見た瞬間、レプリカントが最後に言った言葉、「やがてそれも消える」が頭の中でジンジンなった。
2022.06.16
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ここ2.3日、あるイベントの実行に向けて、何人かの方々に協力を仰ぎ、なんとか実行できた。関係者すべての人にそれぞれ気を使い、スケジュールを調整、まとめて実行する作業は細かいが没頭すると時間も忘れる。いろいろな職業、考え方の違いの方々をそれぞれに合わせるということはしんどいが、これによって人から信頼されるのかもしれない。大した経験もないわたしをサポートしてくれるのはありがたい。これが会社組織となるとこうはいかない。すべての人付き合いは組織での上下関係、また個性は無視して、対人マニュアルで動くのが原則だから、いまのようなすべての人がまず平等と言うこととはだいぶ勝手が違う。それを忘れて、在職した時の経験をもとにして人と付き合うと、まず失敗する。年下の人には部下扱い、年上の人には上司扱いをどうしてもしてしまうことがある。わたしも気を付けていることではある。したがって、自然と会社勤めのころの仲間とは少しづつだが、遠ざかっていく。新たに共通の趣味を見つけたりすれば別だが、退職後はそれぞれみんなその時の成り行きで終の棲家を見つけるわけだから、せいぜい年賀状のやり取りぐらいだろう。人間づきあいの基礎は、仕事抜きで培われると思う。学生のように純粋になれるひととき、悠々自適と言っていいのかもしれない。
2022.06.14
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小学生のころの記憶では、ご近所のお父さんがスバル360を乗り回していて、たまに乗せてもらった。小学生にはそんなに小さい車体だとは思えなかったし、前足を思う存分伸ばすことができるほど前部のスペースはゆうゆうだった。たしかサイドガラスは引き戸形式で、半分しか開かなかった。フロントガラスのすぐ下に室内から操作できる換気ハッチがあって。雨天時にはそこから雨水が足元に滴り落ちた覚えもある。しかし、当時良くて三輪車、ふつうは自転車や人力車が駅前にたむろし、バイクなどはいいほうだから、4輪で動く車から市内を見渡すのは人生最初の優越感を感じたと思う。しかし上には上がいて、普通車のコロナやダットサンや英国ライセンス生産のヒルマンミンクスが向こうからくると自然に進路をゆずり、向こうは鷹揚に手を挙げて挨拶を返すと言った風景が日常、差別社会を感じたのもこのころである。いつかは普通車だなあと思ったのも懐かしい。さて、最近の軽自動車の規格や性能、値段を見るに、昔の軽自動車が設定されたころの動機を失っているような気がしてならない。戦後まもなく、日本の発展のためには自動車は不可欠で、国民車として誰でも乗れる低価格の自動車を政府として設定したのが始まりだったはず。たとえばスバル360は1958年発売で425.000円、ダットサン1000は標準価格で71万円ぐらい、倍近い開きがあった。軽自動車はおよそ普通車の6割ぐらいと見ていいと思うが、今の価格差はどうか?逆に軽自動車の方が高い場合も多い。中古車になると軽の方が高くなる逆ザヤである。市場がこうなってしまった以上、政府はこれを元に戻さなければならないだろう。昨今の事情がEVにシフトするときである。部品点数はガソリン車の三分の一で済むというEVは寸法も従来の軽自動車の規格内に収めればかなりの低価格になるはずだ。いま宅配大手は中国からの軽EVを輸入するというし、飲料メーカーもまたEVに切り替えている。しかし日本国内生産のEV(写真)はなんと価格が170万円もする。このナンセンスが何か日本をして自動車メーカー保護政策に入っているような気がしてならない。今自動車業界のパラダイムシフトが起こりつつある中で、チャンスはいまが最適だ。新車の標準価格が200万円前後なら、その6割の120万円前後価格帯を設定すべきだろう。またEVの価格が高止まりしている現状、あと6割はさらに落とせるはずだ。EVの普通車は120万円前後、軽EVは70万円前後で買えなければならないと思う。
2022.06.11
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数年前、日本のトップトランぺッター日野皓正が中学生をビンタした事件があった。YOUTUBEでマツコのコメントがあったので視聴してみると、なかなか正論だったので取り上げてみた。ただ手放しでほめているわけではないが、教育委員会のジャズに対する立ち位置を痛烈に批判している。少し背景を紹介すると、世田谷区の教育委員会が日野皓正を講師として、ジャズ演奏の研修会を開催した時のアクシデントである。講師の日野の支持を無視してドラムソロを勝手に始めてしかもやめようとしない中学生をビンタしたという他愛のない話で、しかも中学生の父親が謝りに来たというオチもつく。マツコはまず、「ジャズのような自由な音楽」を教育委員会のようなものが取り上げるべきではないということを言っているが、そんなにジャズは自由でもない。よく言われるのは確かだが、ホントに自由な音楽ってあるのか知らん。これはクラシックに対比して言っているのだと思う。しかしある意味で正鵠を得ているのだ。中学生がドラムソロを講師の指示に従わずやめなかったという話も、中学生はジャズが自由だと思ったからこそやめなかったのだろう。しかしそんな世界にもチームプレイと言うのはある。これを無視した行為に日野はカチンときたのだろう。マツコは、日野はジャズ界で苦労してのし上がってきた人物で、彼を講師とするのなら、教育委員会の方も彼をコントロールできる人間を入れるべきだったという意見にはわたしは大賛成、日野はあくまでジャズトランぺッターであり、父親からタップダンスをスパルタで仕込まれた経歴の男、それとも教育委員会はこの男に中学生がなにかも感じ取ってくれるなら重畳とばかりこの企画をしたのかもしれないが、彼には講師としての資質も心構えもないと思う。もしここに司会者のような形で教育委員会の人間がステージかたわらにいたら、日野はここまではせず、教育委員会の人間にそれなりの抗議をしたのではないだろうか。マツコは教育委員会の丸投げ体質をも批判したのだと思われる。わたしはこの中学生のドラマーとしての資質に興味がある。中学生の分際で日野皓正の指示を無視して逆鱗に触れてビンタを食らったという彼には一生残る傷となり、おそらく癒えることはない。その痛みは彼を奮起させ、努力させるかもしれない。彼が超一流のドラマーになれば。日野のやったことは正しかったということになる。
2022.06.11
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構力をかじった身として、理屈はわかるのだがデータを出してほしかったなあ。例えばアメリカ側沈没艦艇の沈没時の状況などを日本側のそれと対比すればわかりやすかった。記事の言う通りの要素は確かに少しはあったと思う。しかしわかっている限りだが、初戦のころ、インドネシア海域でのいくつかの海戦で沈没した連合軍巡洋艦はほとんど砲撃と雷撃で横転沈没している。(大東亜戦史より)また日本側もミッドウエーでの大損害の時になかなか沈まなかった空母の大半は味方駆逐艦の魚雷による自沈である。また大戦末期の米巡洋艦インディアナポリスの沈没も、沈没の状態を詳細に描いた単行本によると、乗組員は傾斜して乾舷が低くなった方から海へ脱出したとなっている。真珠湾で転覆沈没した戦艦オクラホマの例もある。この筆者の主張する中央の隔壁が日本艦艇の損害を大きくしたとするのは早合点ではないだろうか。そこまで主張するなら、前述したように日米艦艇の沈没状態を詳しく調査して対比させればもっと真実味はあったろうに。かといってわたしも反証するつもりはないから調査する気にはならない。この記事の狙うところは、単に日本艦艇の設計のまずさを指摘し、してやったりとすることなのだろう。しかし小めんどくさいことに、造船中将として名高い平賀教授をほめあげたり、筋の通らない記述はいくつもある。しかしわたしが新たに思いを深くしたのは、日本のように国力の劣った国のわりには、戦闘で大損害を受けた軍艦をあきらめるというのは案外早かったという事実である。アメリカは損害を受けた場合、ただちにその手当てをする班を編成し、その訓練も常にしていた。日本ではその手の乗組員の余裕はなく、訓練もほとんどしていなかった。日本の大型空母大鳳,信濃が簡単に沈んでしまった例もあるが、原因は損害を修復する技術が稚拙だったからで、隔壁のせいではない。いわゆるダメージコントロールは米海軍の方が上手であった。記事ではこのことも触れているが、これと縦隔壁の有無の問題は別である。日本は攻撃第一で防御には考えが及ばず、陸軍でもその傾向は強かった。神風特攻の体当たりで大損害を出した空母フランクリンは、一時行動不能に陥ったが、修理チームがボイラーの復旧に成功し、ハワイまで自力で帰ったという経歴を持つほどである。自沈と言うのは、動けなくなった艦艇を自軍の手で沈めてしまう行為で、漂流したまま敵手に渡ることを防ぎ、艦隊の行動に支障をきたさないためである。この手の自沈が実に多く、これは逆に、日本艦艇がなかなか沈まなかったという根拠になるのではないだろうか。また戦艦長門がビキニ環礁に引っ張り出されて原爆実験に使われた時、最後まで浮かんでいたという説もある。日本の当時の技術陣の名誉のために多少えこひいきしたかもしれません。
2022.06.11
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【ふるさと納税】Yakult1000オレンジジュースセット【千葉県内お届け限定】 / 乳酸菌 飲料 健康 整腸 千葉県いまヤクルト1000がバカ売れで品不足なんだそうです。知り合いの歯医者さんがこれを飲んでみて、九時間ぐっすり寝れたという経験がSNSで投稿されたり、プロ野球の球団が全選手にこれを飲めと指示したりと、中には転売して高値に吊り上がったり、本家のヤクルトは一切品質保証はしないとのコメント出したり?昨今のこの手のブームは数年前のバナナブームよりも早く湧き上がって減衰するのも早いのかもしれない。しかしこれが本物かどうかは飲んでみなくちゃわからない。近所に配達に来るおばちゃんに頼んでもいつ入るかわからない、わたしたちも困っているとのことでした。とにかくヤクルト始って以来の大ヒットらしい。こんな時、落ち着いて大人のふるまいを見せる企業が生き残るのだろうなあ。焦って増産して、そういえば機械に細菌が繁殖して中毒者を出した会社もあった。食品は直接体内に入るから、日本ぐらい厳重に管理していればまあ安心だろうが、たまにこんなことが起きると微生物って恐ろしいなあと思う。微生物と言えば発酵と言うのは微生物が食品に取りついて腐らせ(言葉悪いが)るから、人体に有害だと思うのだが、納豆やチーズやヤクルトの乳酸菌だって微生物、善玉と悪玉がいるのだろう。話変わるが、納豆って朝食べる人が多いらしいが、わたしはあの食後の口の中がねばねばするのを朝から味わうのが嫌で、習慣になっている。同僚で、社員食堂で納豆が出ると逃げていく輩もいたっけ。彼は確か四国生まれ、納豆なんて食い物じゃない、あれは腐ってるよねと常に言っていた。地域による文化の違いは恐ろしいほどはっきりしている。これからはこの教会はネットの影響で解消されていくのだろう。ヤクルト1000もいつまでこの人気を保つのか?本物なら買いです。
2022.06.09
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アイドルストップが廃れるのは時間の問題だと思っていたが、やはり自然消滅らしい。わたしが車を運転するようになったのは約半世紀前、バッテリーはしょっちゅう上がり、この時のテクニックとして押しがけ(車を押して勢いに乗ったらクラッチをつないでエンジンを再始動させる危険な技で、二人ないし三人いれば安全に押せたが、めったにこんなに乗っていない。エンストした車はお互いさまと言うことで、よく後ろの人が押してくれたこともあるいい時代だった)があり、街のあちこちでこの光景が見られた。もちろんマニュアル車だからこそできたことだ。ブースターケーブルはまだ普及していなかった。バッテリーは高価で、しょっちゅう変えられるものではなく、蒸留水を薬局から購入して(この方が安かった)バッテリーの液面に注意しながら補充していた。また注意するのは、発電機やラジエーターファンを回すベルトの張りで、ときどき締めなおしていた。それでもベルトはよく切れた。いまのようにえんこした車が見られない時代では考えられないことである。そんな経験から、エンジンを始動するということは、バッテリーを消耗し、スターターモーターのギヤを摩耗させる一大作業だったのだ。それが昨今、交差点を歩くとあちこちでエンジンがかかる音がするのだ。結構耳障りだし、同乗させたもらったときなど、止まるたんびにエンジンが止まったりかかったりで忙しい思いをした。メーカーの説明は、この装置で燃費が稼げるという理屈で通していたが、スタートするときに一瞬もたつきがあるということは、車にとって性能の大きなマイナスではなかろうか。即座に反応してほしい時もあるのだ。わたしなら絶対にこんな装置の付いた車は買わないなと思っていたらほとんどの車がこれを装着していた。不必要な装置が付いた車を買わされる身としてはおもしろくない。取り外してくれと言ったら補償対象から外れますよと脅かされた。これって一種の偽善的装備なのだ。メーカー同士、うちは燃費対策にこんな装置を付けていますよと言う有利な売り込み文句にもなるので、同じような装置を我も我もとつけた結果、やっとメーカーもこのバカさ加減と言うか不毛の装置に気づいたのだろう。車本来の性能から外れた装置など意味がないのだ。悪貨は良貨を駆逐するか。
2022.06.08
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わかったようなふりして生きていくのも疲れるので、まずこの横文字の意味を調べた。まずパラダイムの意味は動詞や名詞の変格、単複数、名前の男女の違い?シフトとはギヤシフトとおんなじで、変えるということらしい。これを連続して言葉にすると「世相の変わり目、大勢多数の考え方が変わる時、産業体制が変わる時」ならば、Gワットの蒸気機関の発明などはそれにあたるなあ。ライト兄弟の飛行機の発明もそうだし、劇的な発明ってパラダイムシフトが起きる可能性が高いのかもしれない。最大のパラダイムシフトはやはり19世紀の石油の発見?このおかげで世の中は激変、流されてしまう人も流れに乗る人も様々と言うのはいつの世も変わらない。大発明と思われた飛行機も石油がなければ飛ばないし、蒸気機関もまたガソリンエンジンにとって代わって絶滅している。そういえば、我々の周りでも最近見ないなあと言う職種や最近やたら出てきたなあと言う職種がある。今見ないのは豆腐屋、折り箱屋、鍛冶屋など。なくなった理由はわたしなりに考えると、共通するのは過酷、需要減である。これらは家庭内工業から大規模な工場にシフト、鍛冶屋に至っては修理せずに買い替えるほうが安いし、簡単だからだ。なぜ魚屋、肉屋がまだあるのかはわからない。だれか知っている人がいれば教えてほしいものだ。今朝のニュースで、日本を代表する石油元売りの新社長が出演していたが、彼はまず「ガソリンスタンドではなく、サービスステーションです」と苦しい定義をしている。それで狙うのは充電スタンド、また宅配の取次ぎや水素ステーションへのチェンジなどだ。しかし石油からのシフトは急激には行わず、その間の底辺支えをするとのことであった。現在、パラダイムシフトは昔と違って速度が速くなっている。家庭内工業はまちがいなくメジャーにシフトしている。近場でこんな例があった。あるお菓子屋さんの後継ぎだが、父親から直伝の技術指導を受け、ある時は取っ組み合いのけんかをしながら一人前になった。しかし彼は父親がなくなるとすぐに店を廃業し、製菓工場に勤務し始めた。時間は正確だし、休日は取れるし、なによりも気楽だという彼の弁には全く同意するものがある。反面、勤めていた経験を生かして独立し小さな店を開く人や、無人となった農家に移住し、新たに農業を始める人もいる。社会が安定していけばこのような選択肢を選ぶ人は増えていくと思う。
2022.06.08
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韓国人は日本人の先祖だという人がいる。確かに言葉の文法や、発音など似ているし、また半島から日本列島に渡ってきたというのも自然にうなづける話である。その逆と言うのはあまり考えられない。ちなみに頭の中を空っぽにして両方の言葉をただ音の羅列として聴いていると、日本語と韓国語の区別がつかなくなる時がある。ネットには、いやそうではない、日本人と韓国人のDNAは違う、むしろイスラエル人に似ているのだなんて目新しいだけの記述もあるが、やはり地勢的にも日本海を渡ってきたと考えるのが正しいと思う。さて本題だが、「シュリ」は20年ほど前ビデオで見たことがある。その時感心したのは、アクションシーンでの出演者や兵士の動きのリアルさである。わたしの韓国への偏見が吹っ飛んだのはこの映画からだ。韓国はいまも徴兵制だから、ほとんどの男子は銃器の扱いや展開運動の訓練を受けている下地があるのだろう。日本のそれとはけた違いの俊敏さで、その動きは本物だった。監督の演出の細かさもあるだろうが、敵味方に分かれてしまった男女の会話も観念的でない率直さがあった。第二のコリアショックはテレビドラマ「チャングムの誓い」を見た時だった。主人公の美しさもだが、筋の通った当時の宮廷の内部を事細かに描いて毎回楽しみに見たほどである。主人公の肌の美しさは、カメラのアップにも全く瑕疵が見えず、これだけの女優をよく探してきたもんだなあと感心したりもした。しまいには休みに本場まで行ってロケ現場(入場料を取る観光施設になっていた)に行って偶然母の敵役の女優さんに会うことができた。彼女の美しさもまた画面よりも数段上で、いっぺんにファンになったほどである。彼女は放送局のアナウンサーも兼務するプロで、人材の多彩さも感じたものだ。これに比べて最近の日本映画の話題作を見ると、なにかこれでいいのかと言う感がある。とにかく監督の自画自賛的な作品ばかりが受賞し、視聴者の側に立っていない映画ばかりである。一部批評家受けする作品ばかり狙って作っているとしまいには観客が遠ざかるのではないだろうか。 まず公開前に実績を作ってしまい、それを基に宣伝する手法はもう通用しないと思う。一発勝負で観客とスクリーンで対峙するような映画って作れないものだろうか。直近BSで放映された「闇に鎖された男」も思わせぶり演出は少しもなく、娯楽映画としても社会はドラマとしても通用する作品、人間の性善説をたたえる映画でもあった。日本人は韓国人と同じ遺伝子(違うという人もいる)を持っていながら、こうも違うのは、やはり前者が島国に居住して、独自の文化を持ち、四方の海によってそれが守られてきたのに対して、後者は周囲の大国に影響されながら独自の文化を守ったというレジスタンス性があり、率直な物言いと意思の伝達が不可欠だったからとは言えないだろうか。映画も人間関係の縮図だとすれば、前者はモヤモヤ関係、後者はハッキリ関係とも言えるかもしれない。
2022.06.07
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今日はノルマンディ上陸作戦が行われてから78年目の記念日で、米国を主とした連合軍がナチスドイツの支配する欧州大陸に上陸した日、Ddayとも言います。映画でもこのテーマを書いた作品は実に多く、古くは「史上最大の作戦」(なんと仰々しいタイトルを付けたことか)、最近では「プライベートライアン」などです。あまたある戦争映画はすべてこの日から始まっており、「遠すぎた橋」もテレビ映画のコンバットもそうなのだが、同じ時期、太平洋戦線では米国がフィリピンへの大攻勢をかけており、日本軍は欧州での進攻作戦が始まったことを受けて、当分のあいだはアメリカの上陸作戦はないだろうとみていた。米国が世界同時に欧州とフィリピンと8500km離れた所で上陸作戦などできるはずがないと踏んでいたのが間違いだったのを思い知らされることになった。日本は初めてアメリカの底力を知ったというお粗末さでしたさて檜山良昭氏がだいぶ前に書いたSF小説がこの「ソ連本土決戦」で、昭和16年6月にドイツがソビエトに宣戦布告した時、同時に満州に進駐していた関東軍が黒竜河を超えてソビエトに進撃する話ですが、決して荒唐無稽な話ではありません。実際にこの年、ドイツからはソビエトのサハリン沿海州を攻撃してもらいたいという要請があったのは事実、なぜか日独伊三国同盟があったにもかかわらず、日本は関東軍特別演習という擬態を見せただけで動かなかった。およそ70万人の兵力を集めた関東軍だが、同時期に行われていた仏印進駐の作戦がおぼつかなくなるとの理由で、中止を政府も了承した。実情は、海軍の出番がソビエト戦では全くなくなるという低俗な意識から出たもので、仏印を根城にしてインドシナの油を狙うものだった。海軍は陸軍に比べて膨大な油を消費するから、ぜひともこの地は押さえたい所だったのだ。この時にアメリカと戦争になるということを明言したものはいなかった。フランスもオランダもドイツに敗れて、同盟国の日本に対してあっさりと軍の進駐を認めるという皮算用もあったようです。政府首脳、陸海軍の首脳もまたドイツの勝利の分け前を得ようという他力本願で両国に進駐することになった。とりあえず陸路で進撃できる仏印へ進駐し、さらに南部仏印へ兵を進めた。これでアメリカはハルノートを出して日本に最後通牒をつきつけた形になりました。この後は米英蘭支の俗にいうABCD包囲陣にぶちあたるわけです。フランスビシー政府は抗議らしい抗議はなく、あっさり進駐を許したが、オランダは英国に亡命した自由オランダが日本の海外進出を非難して筋を通していました。さて、時間をドイツが対ソ戦に踏み切った時まで戻します。もし日本政府(近衛文麿首相)が北進政策を決定してドイツとともに対ソ戦を決心していたらどうなっていたでしょうか?結果はどうだったかは誰にもわかりませんが、想像するのも一興かと思います。
2022.06.06
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今日は語呂合わせにて、老後の日だそうです。しかし老後とはその名の通り、老けた後と書く。「老人」は「老けた人」又は「老いた人」と書くが、こっちは今まさにOld manの現在形、「老後」とは老いた人がこれから何をやるか?と言うことに使える言葉である。一次退職(年金を一切もらわずに働いた期間で通算35年ぐらい、わたしは最初の退職をこう呼んでいる)二次退職(年金かさ上げのために働いた期間で通算5~7年)と区別している。この二つを務めあげて今や完全年金暮らしだが、何度か一次退職した会社の仲間に誘われてOB会に参加したことがある。気心知れた仲間であるので、和気あいあい、しかも仕事抜きの話なので快適な会話が続くが、何か物足りない。と言うのは話のネタが自然とOBたちの去就になってしまうのである。仕事の仲間だった連中と新しい話題を探しても、どうしても家庭に立ち入るようになってしまうので、やはり無難なのは出席していないOBの話題なのだ。それから今の仕事の話も出る。働いている人たちが異口同音に言うのは、「働いていないと何をしていいかわからない」である。わたしはこれにいつも違和感を覚えるのだが、もちろん口に出すことはない。人間いつ死ぬかわからない。明日行くかもしれないし十年後かもしれない。なので一刻も早く仕事をやめて自由並みになり、いつ死んでも後悔しないような一日を過ごしたいと思っているのだ。仲間は現役時代よりもだいぶ減ったが、趣味を通じてなので、仕事抜きの人間関係と言うのは実にいいものである。ただし、配偶者、子供、孫の話は軽く流して触れないようにしている。新入りもまた空気を読んで自然と川の流れは同じ方向に向かう。このあたりが女性と違うところか?うちのだけかもしれないが、女性同士の会話ってまず子供の自慢話ではじまり孫自慢で終わる。マウンティングするのはフランス人と結婚してパリにいる娘を持つ奥さん、わたしは彼女が嫌いなのだが、まさか来るなとも言えずにいる。このあたり女の付き合いは大変だなあと思ってしまう。その点、同じ趣味を通じてできた仲間は男女問わず子供、孫自慢はしない。早く仕事をやめて好きなことを、趣味に没頭したいとわたしは常に思っていたのだが、そう思わない人もいるのだなあと思う今日この頃だ。
2022.06.05
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【中古】 【輸入盤】Alive in L.a. /Grp/リー・リトナー 夏にふさわしい音はいろいろある。ふうりん、セミの鳴き声、雷、驟雨のざわつきなど。音楽もまたジャズなどいくら好きでも暑苦しくて聞く気にならない。やはりボサノバや、アメリカ西海岸の雰囲気?このLPは大ヒットした「サンファンの夕暮れ」を納めているため、リトナーの最も売れた快作となったが、彼はどちらかと言えばヒュージョン系ではなく、ウェス・モンゴメリーの跡を継ぐ主流ギタリストである。ウェスはギタリストのトップを走って久しかったが、レコード会社を転籍、CTIに移ってからは俗にいうイージーリスニングジャズに転じ、プロデューサー、クリード・タイラーの剛腕もあって大ヒットを次々飛ばした。リトナーはこのころのウエスの後継者だと思う。この作品はヒュージョン系とジャズの主流派系を合わせて演奏しており、プログラムに飽きが来ない。キーボードもこのころのシンセ系のバッキングで巧みにサポート、チョッパーベースの典型的プレイも嫌味なくべたつかない。この種の音楽でメインになるのは切れ味の良いドラマーの存在だ。サンファン・・・での8分のⅠ遅れて入るいるショットなどなかなか考えていると感心する。日本でもほとんどの中都市にある野外音楽堂でこのような演奏を聴かせている。趣味のいい夏向けのBGMとしてもこのLPはヒットしたのだろう。ジャズばかり聴いていると頭でっかちになってしまい、まともな音楽が聴けなくなる可能性もある。そのための清涼剤と言ってもいい。
2022.06.05
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今年の夏至は6月21日だそうです。さくらが終わって青葉の季節になり、5月も中旬あたりから大気が香るようになり、まさに風薫る5月を迎えます。しかしいつものことですが、夏至が近づくにつれなにかまだ日の光を一杯浴びていないなあという焦りのようなものを感じるのです。熱くなく寒くなく、散歩するにも旅行するにも最高の季節だと思うのですが、夏至は梅雨の真っ最中、じめじめした季節のうちに夏至が終わり、今度は日が短くなっていくのですから、何となくゆううつでありますね。梅雨が明ければ酷暑の夏、すべての営みはこの季節に向かって花開き、あっという間に頂点は過ぎてゆううつな秋が来るのです。冬は論外、ひたすらじっと過ぎるのを待つという感じかな。わたしの季節感はいつもこんな感じ。
2022.06.03
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【合本版】興亡と夢(全5巻)【電子書籍】[ 三好徹 ]価格:2970円 (2022/6/2時点)楽天で購入今から数十年前だが、まだ若輩のころに通ったジャズ喫茶で読んだ若者向けの週刊誌に連載されていたのを出版したのがこの本である。わたしが歴史好きになったのもこの本の影響大で、家には父親が残した膨大な書籍があったことはあったが、ほとんど読む暇も整理するヒマもなく、忙しいサラリーマン生活を送っていたのだが、この本はそんなわたしにも興味をそそられる内容が盛りだくさんだったのだ。と言うのは、通常の歴史ものって肩ぐるしいかんじ、やたら感じが多くて遠ざかってしまうが、この本は副題に「僕たちの昭和史」とあるように歴史を揺るがす大事件の他に、並行して当時の世相や流行、人の考え方など身近な著述を満載していたからである。最初の書き出しは平易な感じで始まる。2.26事件の起きた昭和11年からなのだが、すぐには事件には触れず、まずこの年に合った日劇ダンシングチームのデビューや、当時世の中を騒がせた「阿部定事件」を取り上げ、この事件を詳細に描くあたり、歴史ものと言うよりもドキュメントと言うタッチで引き込まれたのだ。犯人阿部定や被害者の生涯も描かれていて、その時代に引き込まれるような刹那を仕事の合間に少しの時間だったが味わえたのである。とかく歴史本には人名が連なるが読み方不明のもの多く、適当に読んでしまうが、この本はルビを振っているのも読みやすい。どうしても著者が元軍人だとか、大学教授とかだともうそれだけで入口が狭いが、三好さんはさすがに記者の出身だけあってわかりやすい表現もその助け、文庫本になって少し窮屈ではあるが、文体が平易なのでどんどん読み進んでしまう。最近また再読し始めたが、あらためて昭和と言う時代を満喫できる本である。
2022.06.02
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そろそろ停戦か?ロシア本土まで攻撃できる兵器をアメリカは供与しないと米大統領、これを歓迎するロシア政治家、この二つはウクライナにロシア本土を攻撃させない、またウクライナもそれを理解しているということだと思う。sしかし、世界が今ウクライナに肩入れしている現状を打破するには、ロシアはウクライナに本土攻撃をさせ、ロシア一般国民に死傷者を出させ、国民のナショナリズムと世界がウクライナに95%肩入れしているパーセンテージを減らせるかもしれないのだ。ロシアならこのぐらいの計算はやるはずだと思っていたが案外と落とし穴かもしれない。アメリカ側は高性能兵器をウクライナに供与しないということを世界に明言してロシアの落としどころを引き出させようとしているのだろう。方やプーチンのほうも周囲が不穏になってきたのは間違いなく、これ一生ぐずぐずしていると矢継ぎ早に出される経済制裁は戦争を継続はおろか、国民生活への不安定、強いては彼自身の座まで危うくなってくる。まだ余力のあるうちに鉾を納めるべきだろう。しかし考えてみると、共産主義と言うのはまともな人間を生み出さないと思う。彼プーチンもまた共産主義ソビエトのエリートスパイであり、職業としてまともではない。人間としても偏った考えを作ってしまうと思う。人間の幸せとは何か?これを知っている政治家でないとまともな国の運営などできるはずがない。いかに敵をだますか?目的のためには同僚も祖国も裏切るという職業ではまともな精神が育つはずはない。「健全な精神は健全な家庭から」さらに「健全な家庭は平和な国家から」
2022.06.01
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先の日記「海軍記念日」で日本は海軍国とやったが、これは基本的な考えで、国土を守るという骨子に基づいた基本的分類だ。これを変えるということは国が国防方針を変えるということで、政府、軍一体となって切り替える手間が必要だ。これを誤った例がわが日本にはある。日清、日露の戦役で勝利を収めた日本は大陸に進出し、朝鮮半島と中国の一部を手中にした。そこまではよかったが、さらに陸軍の独断で満州を手中に収め、満州国を作ってしまった。こうなると防衛するためには海軍は価値を失い、変わって陸軍が出てくるようになる。これが自ら海軍国を陸軍国に変えてしまった一例である。このために予算はうなぎのぼり、太平洋戦争の敗戦によって大陸経営は失敗に終わったのだが、なぜ陸軍が中央の承認もなしに満州事変を起こしたのか?の理由はあきらかで、ワシントン条約で制限されたとはいえ、世界第三の海軍国として認められた海軍に対して陸軍もまたふさわしい予算を獲得したかったに相違ない。児童にも劣るようなこの意地の張り合いが陸軍を満州事変に誘い込み、日本は陸軍の経営に乗り出さざるを得なかった。満州国はやがて日本のお荷物となって米英との軋轢を激しくして太平洋戦争に至るのだ。既成事実の積み重ねさえしてしまえば何でも通る世の中にしたのは陸軍の悪弊だった。今の日本で、こんなことは絶対あってはならないのは自明の理だが、最近の政治家はポピュリズムに走り、威勢のいいコメントを出すのが多い。増してや首相を辞めてからかえってその発言が過激になってくるのは政治家としても人間としても最低である。いわゆる長老的連中が自由に発言し、それをまたマスコミがアイキャッチャーとして見出しをこれまた過激にしてネットに載せるという風潮である。さて本題に入るが、「戦争は政治の延長である」と言う有名な言葉がある。戦争を政治の取引材料に使うという考えであるが、いまウクライナとロシアの紛争はまさにそれで、戦争の推移が両国の駆け引きの推移と重なっている。国防の考え方もこれと同じで、常に自国の外交関係と密接につながっていなければならない。地勢的にももちろん考量していなければならない。隣国は選べないというのは、町内会での隣人は選べないと同じである。単純に考えれば、アメリカのように自国の軍備が世界一で、自他ともに認める国力であればそれでいいのだが、現実的にはそれ相応の備えしかできないと考えていい。軍備の予算はよくGDPの何%で表しているが、世界的にはロシアや中国の影響で上昇傾向にあり、日本もとうとう2%と言うことになったらしい。問題はこの予算をいかに効率よく使うかと言うことだ。毎年防衛庁の出す防衛白書では、世界中の国々の軍備を分析して図解入りで簡潔に説明しようとしているが、わたしが不思議に思うのは、4.3兆円もの予算を要求しながら、海自は1.8兆円、と言うことは陸自は残り3.5兆円を要求しているのだ。先にわたしが説明した「日本は海軍国」と言うことを思い出していただきたいのだが、4周の海を警戒して索敵、迎撃して敵艦隊を攻撃し、日本攻撃を思いとどまらせるというのが第一の矢としたい。これを実行するのに、なぜ海自の予算が陸自の半分なのか?この傾向は今年だけではなく、ここ数年の傾向である。危ぶむのは、前述したところの、旧陸軍と海軍の意地の張り合いみたいなところがないか?である。YOUTUBEに掲載された「戦車不要論」は財務省の一般教書にあるウクライナ紛争での対戦車ミサイルが戦車を撃破する例を見て、兵種のバランスを再考するように促したものともいえるが、この一般教書にある「国民への防衛装備の説明責任」である。当然ながら説明すれば反論もあり、議論が生ずる。これが不得意な議員が日本には実に多いのだ。上手な議論と言うのは、まず相手の理屈を聴き、それから自分の考えを述べることだ。しかし日本人はまるで弁護士のように白を黒と言いくるめたほうが勝ちという習性がある。特に野党の皆さんはこのジャンルの議論を避けて通っているようなところがあり、あっても観念的な、代替案のない言葉だけの議論になっていることが多い。ある左翼野党の党首などは、いつもアメリカの追随をしている日本をだらしないと喝破するが、与党でだれもこれを肯定する議員はいない。それを彼は知っていて馬鹿の一つ覚えのように繰り返すのだ。例えば、「敵基地攻撃」と言う言葉が専守防衛にふさわしくないということで「反撃能力」と呼び変えたが、これも意味がおかしく、反撃とは敵の先制攻撃を受けてから反撃するという意味で、このようなあいまい意味不明な言葉を持ってくること自体、議論が定まらずにまず言葉の解釈から始めなければならないような名称を使用してはいけない。また憲法第9条との不整合を叫ぶ野党議員もたくさんいるが、まずこの不整合を指摘する前に国防の議論をしろと言いたい。これが最優先で、憲法などは戦争になれば引っ込まざるを得ないのだ。国の安泰なくして憲法も何もないというのは当たり前の話で、これを日本人は忘れているのだ。敗戦と言う熱物に懲りてなますを吹いているのが今の国会である。肝心の国防の考え方を書いていませんがこれぐらいにしておきます
2022.06.01
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