「 竜馬がゆく
」「 坂の上の雲
」というような歴史小説と、「
街道をゆく
」「 この国のかたち
」というようなノンフィクション的な作品を貪り読んで、いわゆる司馬史観にすっかり馴染んでいたわけだ
45歳くらいから司馬史観を否定する意見を目にした
「歴史小説はあくまでも小説なので、フィクションが散り巻かれているのは当然だが、あまりにも実際とかけ離れているのは如何なものか」とういう趣旨の指摘だった
確かに「 梟の城
」のように完全な作り話なら、どんな荒唐無稽な設定であっても構わないと思う
しかし、「 殉死
」のような現実の人物しか登場しない作品では、それはどうなのだろうか
司馬さんはこの手の指摘に対して、苦笑しながら『小説ですから』と返していたとのことである
司馬さんは小説家なので、その返答に異存はない
一方、司馬さんの小説以外のライフワークとも言える「
街道をゆく
」の端々や「 この国のかたち
」の中では、学徒将校であった司馬さんの視点で、日本という国について述懐されている
これらはエッセーの形で書かれており、司馬さんの思いがストレートに記されている
司馬さんのこの思いこそが、まさしく司馬史観である
司馬遼太郎という影響力が極めて大きい文筆家が発信する歴史観が、多くの読者にストレートに浸透している
この歴史観に対して懐疑的、否定的な意見があることもまた事実だ
「明治、大正、昭和という時代は、この国は誰によって、一体どのように歩んできたのか」と
後日紹介する、もう一人の巨匠のノンフィクション作品と比較検討する余地があるだろう
この国のかたち 一 (文春文庫) [ 司馬 遼太郎 ]