Kaleidoscope of Life~人生の万華鏡~

子供たちに「いのち」の教育を



「生き方上手」の著者、日野原重明先生が以下のようなお話をされています。

死が何であるかを子供に伝えるのは、おとなの役目です。
10代の若い人たちによる悲しい事件がこの一年あまりのあいだに相次ぎました。
いのちを冷酷なまでに軽んじる青年が現れたのはなぜでしょう。彼らは、人の生死をどうとらえていたのでしょうか。(中略)
日本人のほとんどが病院で死ぬようになってから、よほどの近親者でもないかぎり、死の場面に遭遇することはありません。いのちあるものにいずれ死が訪れる
ことは頭では分かっていても、実感はない。人の死によってもたらされる喪失感や心の痛み、その他諸々の感情に、ことに若い人たちは未知です。
これほど死が非日常化したことを見すごしていいはずがないと、私が不安を覚えてから20年になるでしょうか。
以来、「死を語る”死の準備教育”をこどもに」、と言い続けていますが、なかなか実現にはいたりません。
(中略)
いのちあるものの死は、悲しいばかりでなく、その後にやさしい思い出を残してくれます。死んでいく者のいのちが、生きている者の心のなかに生き続けることを知るのです。子供や若い人を交えて、日頃から、死を明るく話題にしてほしいものです。いかに生きるかは、いかに死ぬかなのですから。死から振り返ってみて初めて、今日の一日の重みが知れるというものです。
「初めに終わりのことを考えよ」と言ったレオナルド・ダビンチのことばを思い出すたびに、人生のラストスパートは結構若いうちから始まっているのだと思います。老いも若きも自然に死を語り合えるような成熟した文化が育ったならば、いのちを
軽んじるような行動は生まれないだろうと、私は楽観しています。



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日野原先生がおっしゃる通りだと思った。
私は叔父がどのような人生を送ってきたのかよくは知らない。
でもあの26日間の叔父の「生」は私にとって、叔父を知るたくさんのきっかけを与えてくれた。叔父が手を握りながら「ありがとう」と最後にかけてくれた言葉。
あの手の温かみは絶対忘れられない。


ファルコン(息子)もお葬式で泣いてる皆をみて何か感じていた。
私を見て「ママ、泣かないで。大丈夫?」と小さな手でなでなでしてくれたあの
優しい心が嬉しかった。

これからの未来の子供たちのためにも、「いのち」を真剣に考える、
心で感じてくれるような場をおとなも答えを出すのではなく”一緒に考える”スタンスが必要なのかもしない。


叔父さん、ありがとう。
たくさんの笑顔をありがとう。


安らかにお眠りください。





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