全32件 (32件中 1-32件目)
1
お父さんの父親は結婚してからよく夫婦げんかで母親から親の悪口を言われたらしい。現在も仲が良いとは言えないが、父親からはその原因として「親の悪口を言われたから」というのが一番大きいと聞いている。 若い頃は子供にそういう話をしない分別を持っていたのだろうが、お父さんが大人になり結婚したことで話しても良いと思ったのだろう。それに加えて老人特有の昔のことを思い出して何度も繰り返し話すという症状も出ていて、同じ話を何度も聞かされている。 父親はお父さんのことを心配して「配偶者の親の悪口を言うと、夫婦仲が悪くなるからしないように」と言っているのだと理解しているので、何回聞いてもそのまま「わかった」と返事はしている。 ただお父さんは昔から親類の悪口を言うようなことは基本的にしていない。自分の親兄弟の悪口は言っていることもあるが、お母さんの両親の悪口など言ったことはないと思う。お母さんからもお父さんの両親の悪口は聞いた覚えがない。そういう意味では夫婦とも良識があるのだろうと勝手に思っている。 そもそもお父さんたちは核家族でお互いの両親から離れたところに住んでいるので、悪感情を持つほど接していないというのが「悪口を言う」という面では幸いしているのではないだろうか。お父さんはお母さんの両親から何かひどいことを言われたことはないし、義両親のことは結構好きである。お母さんはどうだろうかと思うが、お父さんの実家に帰省すると心が休まらないのだろう、あまり楽しそうではない。 ちなみにお父さんに「戒め」として親の悪口を言うなと言っている父親であるが、子供の頃から母親の両親の悪口を言っていた記憶がある。お父さんがどうしてそれを覚えているのかと言うと、母方の祖父母は実家近くに住んでいたのでよく遊びに行っていたし、祖父母が大好きで、父親が悪口を言っているのを聞くととても嫌な気分になったからだ。 人間というのは不思議なもので、自分がされて嫌だったことはしっかりと記憶に残っているのだが、相手を傷つけた発言などは忘れているか、指摘されても「そんなにひどいことは言っていない」と思うものである。 なのであまり好きでない人が身内にいるのなら、その人の話題は口にしない方が望ましい。話題にすればついつい口から悪感情が出てしまう可能性が高いと思う。 お父さんの父親には、自分も妻に対して親の悪口を言っていたという感覚は全く無いようである。ちなみに母方の祖父母はすでに鬼籍になって数十年がたつのだが、いまだに父親から悪口を聞くことがある。残念なことである。 さらに言うと、お父さんの父親はお母さんの悪口もしばしばお父さんに言ってくる。本人に言わない分別はあるのだろうが、お父さんが聞いていてどう思うか全く眼中にないようだ。お父さんはもちろん腹も立てるのだが、こういう人は相手の感情よりも、自分が話している内容の正当性を主張するので、何を言っても無意味である。そもそも自分が言っていることが悪口という自覚がない。 実はお父さんの兄も同じ性格をしている。平気で人の家族の悪口を言う。言っている相手がお父さんだけなので、セーフだと思っているのだろうか。結局お父さんは家族を必要がない限り父親にも兄にも会わせないようにしている。まあそれをもって冷たいとか、もう少し親族の集まりに顔を出させた方が良いとお父さんは言われているが、「あんたたちが信用できないから会わせない」だけである。 お父さんは家族のことは家族で決めるべきであるし、外からどう見えても内実はわからないと思っているので、基本的に兄弟の家族であっても一切口出しはしないことにしている。お父さんが相談したのならともかく、そうでなかったらお父さんは「余計なお世話だ」としか思わないからだ。お父さんも同じことをして恨まれる愚は犯したくない。 結局余計なことを言う人ほど、自分の家庭が幸せでないことが多いとお父さんは思っている。父親にしろ兄にしろ同じことを配偶者にしているのだったら、自分の素行をまずは改めるべきだろう。ただこの2人は一生変わることがないとお父さんは思う。義理の姉が兄から余計なことを言われていないか心配するのみである。
2024.07.31
コメント(0)
結婚して配偶者ができた時、お金をどう管理するかというのはデリケート且つ重要な要素である。これで失敗して離婚するというケースはいくらでもある。共働きであっても、1馬力であっても、お金をどのように管理するかという命題から逃げることはできない。 ちなみに我が家はお父さんが1馬力で働いて、お金の管理はすべてお母さんに任せている。お父さんの給料はお父さん名義の銀行口座に振り込まれるが、通帳も判子もお母さんがもっている。お父さんは給料日の後に、その月のお小遣いをもらうだけである。 お父さんは父親から、お金の管理は家長である男がするのが当たり前であるという教育を受けた。お父さんの父親は、本家の長男という立場に生まれているので、すべてのことは俺が決めるというスタンスを今まで崩したことがない。 そういう意味ではお父さんの兄も本家の長男なので、お金の管理もすべて兄がやっているようだ。義姉が納得していればいいが、父親にしろ兄にしろ潤沢にお金を渡しているわけでは無いだろう。不足したときに追加を頼むときの心理的負担はおそらく考慮に入れていない。さらに言うと、追加が発生したときに事細かに理由を説明させ、嫌味の一つでも言っていたとしたら、お金に関してうまくいっているとは言えないとお父さんは思う。 お父さんのやり方が上手くいっているかどうかはわからないが、少なくともお母さんの心理的負担は少ないだろうと思う。お父さんの給料が少ないと言われたこともない。結婚当初にお母さんに家計を一切預けると決めた時に、ドラマやマンガの様に「給料が低い」と言われたらどうしようと思っていたが、20年以上経つがいまだに一度も言われたことはないので、何とかなっているのだろう。 共働きの夫婦は、共通の家計財布に一定額を出して、あとは個人で使うという方法もあるようだし、どちらかにすべて任せるという方法もあるようだ。奥さんが育児のためにパートのみで収入格差が大きい場合は、夫からの支給と奥さんのパート代で家計を回すという方式もあるし、旦那さんの給与で家計をまかない奥さんのパート代は貯金だったり奥さんの小遣いと言う場合もあるらしい。 家庭内の話なので、夫婦間で合意がとれていてお互いが本当に納得しているのなら、たとえ周囲の人が驚くような方式をとっていても問題はないと思う。重要であるが、デリケートな問題であるだけに、しっかり確認したうえで決めるのが重要である。 管理者が誰になるかによって、立場が変化することも十分に考えられる。そしてそれがきっかけの一つになって離婚という最悪の選択肢もあることは覚えておいた方がいいだろう。 お父さんの場合、お父さんは不満を感じていないので、お母さんがどう思っているのかが問題ではあるが、給与をすべて渡しているのでこれ以上お父さんにできることはない。
2024.07.30
コメント(0)
先日今年2回目のゴルフに行った。会社関係のゴルフコンペだったので、本当に数年ぶりに平日にゴルフをした。天気予報は雨だったので、少し面倒だと思っていたが、当日は朝まで雨が降っていたが、スタート時間には雨がやんでいて、そのままプレーが終わるまで雨は降らなかった。おかげで暑くもなく濡れもしない快適なゴルフを楽しむことができた。 さて本題であるが、スタート前に主催をしている会社の社長に話しかけられて、「ここだけの話ですが」と周りに人がいないところで話をされた。それまでのにこやかな雰囲気から急にまじめな顔になったので、「あれ、何か問題行動をとってしまったか」と焦ったのだが、問題はお父さんやお父さんの会社の事ではなった。 今回参加したコンペは、もともとある会社の役員さん(現在は退職している)からの紹介で会社として参加するようになったものである。そして今回のコンペに、その紹介してくれた元役員さんは参加していなかった。昨年まで欠かさず出席していたので、歳をとって夏のゴルフをしなくなったものと思っていた。 しかしながら実際は、招待されていないというか、主催者が声をかけていなかった。理由は昨年のコンペでの出来事にあるという話をされた。 ゴルフをしない人にはわからないかもしれないが、通常一般人がゴルフをする場合、ゴルフカートと言う乗り物にゴルフクラブを積んでプレーをする。重いクラブセットを担ぎながらする必要がないので実に便利なものである。 通常ゴルフカートは芝を傷めないように、舗装されたカート専用道路のみを走行することが許されている。ところが昨今はゴルフプレーヤーの高齢化なのか、コース内を自由に走行してよいというゴルフ場が出てきた。今回のコンペ会場も、コース内に入ることが許されているゴルフ場だった。 そこで昨年、件の元役員さんがカート侵入を禁止されている区域を注意されたにも関わらず走行し続けたということだった。プレー仲間だけでなく、ゴルフ場からも直接注意を受けたようだが、俺は特別に許可をもらっていると言ってやめなかったようだ。 当然主催の会社社長もゴルフ場から注意を受けたという。それもあって今年からもう呼ぶのは止めるということになったらしい。 お父さんは話を聞いて、それはしょうがない、いやむしろ当たり前の事だと思った。その社長さんはお父さんの会社とその元役員さんの仲の良さを知っていたので、質問が来る前に理由をお父さんに話したかったようだ。 気を悪くしたり、元役員に変な形で話が伝わることも危惧していたと思う。 この元役員さんは、地域ではかなりの顔役で人情に厚く信頼も得ている人物だと思う。ただその分プライドも高く、特別扱いを喜ぶような昔はよくいたタイプの「偉い人」である。そのため悪い面が出た時には、非常に扱いに困るタイプの人である。 話を聞く限り、非があるのはどう考えても元役員さんであるので、話の内容も今回の処置も主催の社長さんが正しいと思います。私の方では特に思うことはありませんと伝えた。それを聞いて安心した顔になっていたが、本人には無理に伝えなくてよいということだった。いまだに本人には伝えていないが、聞かれたらきっちり話をしようと思ってはいる。 特別扱いとは相手の厚意によって行われるモノであり、自分が偉いからとか尊敬されているから当然という考え方は日本人として非常識である。ただお父さんの父親もそうだが、バブル期に40歳を越えていた現在の高齢者は、特別扱いをされることを非常に喜ぶ。 お父さんの世代になると、特別扱いを受けることに後ろめたさや息苦しさを覚える人も多いのだが、時代による価値観の変化なのだろうと思う。 そこで傲慢になる人は、特別扱いをされる人物からあっという間に「関わりたくない人」「会いたくない人」になってしまう。今回の元役員は、特別扱いを強調することで「自分のすごさ」をアピールしたかったんだと思う。高齢だからなるべく歩きたくなかったのかもしれない。だが、スポーツの中でもゴルフは紳士のスポーツであり、ルール以外のマナーと言うモノをとても大事にするスポーツである。 ここで露骨なマナー違反をすれば、仲間からはじき出されるのは日本の常識である。本当の権力者であれば、人一倍マナーに気をつける場で逆の行為を続けたらどうなるかわかりそうなものだと思うが、注意されても止めなかったのだから弁護のしようもない。 彼が正式に謝罪しない限り、今後もこのコンペに呼ばれることはないだろう。もしかしたら他のゴルフグループやその他の集まりからも阻害されている可能性がある。お父さんの会社とは良い関係を築いているだけに、実に残念な話だった。
2024.07.29
コメント(0)
7月も終わりに近づき、東北にも夏がやってきている。お父さんが東北地方に住み始めたころ、暑いのは梅雨明け(7月末)からお盆が開ける8月15日前後の約2週間で、そこさえ乗り切れば秋の風が吹き始めるという地域だった。 ところが今では6月の梅雨入り前から30℃を越える日があり、7月になると35度になることも珍しくなくなった。お盆を過ぎても涼しくならず、地球の温暖化を肌で感じるようになってしまっている。 農家もいろいろと大変なようで、寒さに強いイネから暑さに強いイネに変更したり、品種改良も暑さを念頭に行われていると聞いた。 野菜の収穫量や時期にもいろいろと変化が出てきているらしい。日本の農家は、外観やサイズが規格外だと販売ができないらしく、ちょっとした気候の変化に大きく影響を受けることも珍しくないと聞いている。 お父さんは農業を営んだことがないので、その大変さを知っているとはいいがたいのであるが、家庭菜園をやっていると昨年と違うということが結構ある。プロでもないお父さんの家庭菜園だから、育て方が悪いのだろうと思っていたが、気候の変化もありますよと兼業農家の同僚から言われたことがある。 さてそうはいっても今は夏野菜の季節だ。きゅうり・とまと・トウモロコシ・ブロッコリー・ナス・オクラ・かぼちゃなど、たくさんの夏野菜が近くの産直に並んでいる。我が家でもキュウリとナスとピーマンがたくさん実っていて、消費が追い付かない状態だ。その結果収穫が遅れたキュウリはヘチマの様に大きくなりすぎて大変なことになっている。 産直でも地元のスーパーの半額に近い価格で、おそらく規格外品になったものだと思うが、サイズがパラバラで量は多いという状態で並んでいる。収穫期になって、毎日ひたすら収穫する中で、規格外品がたくさん出て処置にも困っているらしい。そういう意味で産直は生産者も消費者もウィンウィンの素晴らしいシステムだと思う。 夏というのは植物の成長が一番良い季節である。夏野菜はこの成長期と言うか、伸び盛りの季節に実をつけるので、秋の野菜や春の野菜に比べて取れる量が半端ではない。さらに上に書いたように、収穫期を逃すと成長しすぎてしまいさらに悪化するので、ひたすらに収穫しなくてはならない。 もう少し考えて、一年中ゆっくり収穫できるようにならないものかと、この季節になると毎年考えてしまう。 ちなみに我が家の家庭菜園でも消費できないぐらいあるので、兼業農家の同僚はよく会社に持ってきて配ってくれるのだが、東北の田舎町では兼業農家だけでなく、農家の親類、自宅で野菜栽培と何かしら野菜を手に入れるつてがある人が多く、大量に持ってきてももらってくれる人を探すのに苦労することもある。 できる女性同僚は、ただ野菜を持ってくるのではなく調理した野菜料理を持ってくる。トマトベースの野菜だけの冷製スープなど絶品で、お父さんは大好きである。余ったものを自宅にもらっていって、お母さんにも食べさせたことがあるが、好評だった。 たくさん野菜がとれないと、農家は売り上げがなく、消費者は安く手にすることができない。それでも夏野菜の成長速度は目を見張るものがある。朝出勤前によいサイズのキュウリができていると思っていたものが、帰宅するとヘチマになっていることもあるぐらいだ。植物の成長の仕方は動物の比ではない。特に夏野菜はすさまじい生命力を感じさせてくれる。
2024.07.28
コメント(0)
お父さんは3人兄弟の真ん中、中間子であると先日書いた。そのためお父さんは中間子としての人の顔色を見て動くという特徴を持っているとお父さんは思っている。お父さんの兄弟で言うと兄である長男は長子の特徴を、末っ子である妹は末っ子の特徴を持っていると今でも思う。 お父さんの子供も3人兄弟(女男女)である。現在では長女が20歳になり、息子も高校生、末の次女も来年は高校生になる年である。幼い頃ははっきりしなかったが、これぐらいの歳になると「この子の性格はこうだな」という個性がはっきりするようになってきた。もちろんまだまだ若いのである程度は変化があるのだろうが、基本的な性質はあまり変わらないだろう。 そんな子供達を見ていると、各々の性格が単純に生まれもった個性と言うよりは、やはり兄弟の生まれた順序による立場によってできているのではと思われるものが結構あると感じるようになった。 例えば長女は長子であるが長子の特徴を持っている。ちなみにお父さんの周りには結構長子が多い。お父さんの兄もそうだが、お母さんやお父さんの母親も長子である。この人達の特徴の一つに、自分が好きなことなら周りを気にせずにやるということがある。 子供の頃、兄弟にお手本となる人がいないので、自分が興味を持ったことを気にせずにやってきたのだと思う。我が家の長女はひたすら本を読みふけっていたし、お母さんは裁縫が好きで、今でもひたすら何かを縫っている。お父さんの兄は、車が大好きで、昔から車のパンフレットを集めたりしていたが、今では中古車をとっかえひっかえしながら乗り回している。特徴は周りの目を気にせず好きなことをやるということだ。 後は、年下や部下から批判されたと思うとキレることが多いのも長子の特徴だろうか。お父さんの兄も、我が家の長女も批判ととらえると無駄に熱くなりすぐに反撃してくる。 中間子である息子は、やはり中間子の特徴を持っている。中間子は上と下に兄弟がいるので、その中で生き抜くために人の心の機微をとらえるのが上手い。良い方に働くと、よく気がつくというか、気の利く人になるし、悪く出ると嫌がらせをしたり、面倒ごとから逃げるのが上手くなる。 お父さん自身も上に書いた両方のことをしてきた。基本的に要領の良い人間は中間子に多いと思う。ただ人に気を使いすぎて自分の行動を制限してしまうことが多いのが欠点である。 末っ子の次女のもっともすぐれたところは、わがままを言ってもよいシチュエーションとそうでない時を嗅ぎ分ける能力である。まさに甘え上手だと言える。上に兄弟がいるので、常に上からのプレッシャーを受けている。逆にしたがいないので、関心は自分より年上に剥くせいなのだろう。 こともの頃から頭脳も体力も上の人ばかりと接しているので、自分で頑張るよりも人を頼るのがとても上手になるのではないだろうか。その分、同級生などとの付き合いは若干経たかもしれないが、年下の子に対しては甘やかし方も知っているようで、年下の面倒を見るのは上手かもしれない。 ここに書いたことも、それ以外も生まれ順によって持つ性格というのは、昔からいろいろと言われている。もちろんすべてが当てはまるわけでは無いが、自分の兄弟を見ていても、子供達兄弟を見ていても、当たらずとも遠からずだと思える。
2024.07.27
コメント(0)
息子は高校2年生である。先日予備校の面談と高校の3者面談で、今のままでは希望大学どころか、大学進学自体が難しいという話をされた。とにかく成績が悪いのが問題である。学校の定期テスト、外部の模試ともに結果が悪い。お父さんも息子の外部模試の結果や、学校の定期テストの順位などを聞いていたので、驚きはしなかった。そもそもこのままではまともに大学進学など夢だなとお父さん自身が思っていただけでなく、息子にも話していた。 息子はお父さんに影響を受けたのか、姉である長女に影響を受けたのかわからないが、理系クラスへ進学した。元々魚を筆頭に生き物が好きで、生物関連の仕事に就きたいとは言っていたが、獣医学部から農学部や海洋学部などまだ専門をしぼれないようだ。まあ獣医学部は今の成績では夢のまた夢である。農学部もすそ野が広いので、自分のやりたいことや興味のある大学を探す必要があるのだが、そもそも一日中スマホで遊んでいるというのに、こういう調べ物は全くしていないらしい。 先日息子とお母さんと3人で、進路について話をしたのだが、成績が悪いことを前提にした話のなかで、お父さんとお母さんの価値観というか、息子に対するスタンスがかなり違うことが浮き彫りになった。個人の違いなのか父親と母親という立場の違いなのか分からないが、息子の大学進学への協力の仕方や、息子への要求事項がお父さんとお母さんではまるで合わず、親対息子になるはずの話し合いがお父さん対お母さんの話し合いになってしまった。 お父さんは、息子に対して「親としての責任はすべて果たしているし、今後も果たしていくが、どう生きるかは息子の勝手」「息子は自分自身で考え行動して、結果を受け入れるべき」という考えである。 親として、お父さんは学費や生活費など社会人になるための費用は出してきたし、今後も出すつもりだ。大学受験に関しても住んでいる地域では最高の環境を与えている。と言っても予備校にきちんと通わせているだけであるのだが、費用はかなり掛かっている。つまりは金銭的な面倒は見るが、努力するのも怠けるのも息子次第だし、相談されない限りは息子が自分で考えて行動し、その結果どんなことになってもお父さんは関知しないというのがお父さんのスタンスである。 世の中の変化が激しすぎて、どのように生きれば(大学や学部、就職の分野や企業などの選択)幸せかとか安定した生活があるなどお父さんにもまるで分らない。お父さんが学生の頃は、入試レベルの高い大学に入学し、大手企業に就職することが幸せへの王道であるという考えが多かった。だがそういう道を進んだ同級生が、いま安定して幸せな生活をしているかと言うと、そうでもない。むしろ50代になって大手企業の同級生はかなり苦労していると感じている。 お父さんの時代でさえ変化しているのに、息子の時代の変化などどうなるか予測できるものではない。だからどのような大学に入って何を勉強してもよい。その代わり自己責任だよとしか思わない。人間万事塞翁が馬という価値観でお父さんは生きているので、息子にあれをしたら安心とか、こうしておけば人生は成功するなど言う気はない。 一方お母さんは、「難関大学に入る必要はないが、息子の希望する進路に進ませてあげたい」という思いが強い。そのために息子に努力(今回はもっと勉強して結果をだせということ)を要求する。努力をしない息子に、どうやったらきちんと勉強して成績を上げるかを親が指導や教育をして、無理やりにでも引っ張り上げるというスタンスだ。 話していて理解できたのは、お母さんは大学入試に注目し、お父さんは人生全体を見ているということだった。大学入試は確かに人生を左右する重要な要素ではある。医者や薬剤師になりたいのなら、医学部や薬学部に入れない限りはそこで夢は終わってしまう。 息子は獣医学部を第一志望としているが、獣医になることを切望しているようには見えない。農学系の最難関分野が獣医だから一応希望しているに過ぎないとお父さんは思っているし、今の成績から努力をしても獣医学部に合格することはできないと判断している。 なのでお母さんが「獣医学部に入るために」と言って息子に勉強や情報収集を強制することにまるで賛同する気が起きない。お母さんはそんなお父さんの態度が不満のようだが、本気で獣医を目指してもいないし、勉強もしない息子に協力する気はない。 そもそも息子の時代は若手が決定的に不足している時代である。就職に困ることもないだろう。一部の国家資格などを伴う専門職以外は、どう生きるかを大学で考えても悪くはないと思っている。 あと1年半でどうなるかはわからないが、息子の受験結果は出る。お父さんは息子任せで今後も干渉しないし、お母さんは日々いろいろと息子を叱咤するだろう。どちらが正しい親なのかもわからないし、どちらが息子にとって良い親なのかも不明なままである。
2024.07.26
コメント(0)
「上げ底」という言葉は、悪い意味で使われる。お父さんが経験した上げ底は、レストランの重箱というか天重などの容器が上げ底になっていて、見た目は5センチぐらいの深さなのに、実際は3センチもないというようなものが多い。コンビニの弁当や駅弁などにも上げ底を経験して、だまされたと思った経験はそれなりにある。 今は観光客相手の店でもあまり露骨に上げ底の容器を使うことは無くなった。SNSを中心に画像入りで情報が出回ってしまうので、店側も悪い評判を立てられないように注意しているのだろうと思う。消費者にとっては良い時代になったともいえる。 そう考えると昔はいろいろとだまされることも多かったし、だます方もいろいろ考えていたと思う。エビの天ぷらで見た目は太くて長いエビが入っているように見えるのに、甘えびのような小さなエビが入っているだけで、あとはほとんど衣という海老天は普通に存在した。みてくれの大きい海老天を作るのにはそれなりに技術が必要だったと思う。 ちなみに批判されることはないが、カップヌードルなどもある意味上げ底になっている。カップのフチまで麺が入っているように見えるが、容器の底からずっと麵が入っているわけでは無い。麺と容器の底の間には結構な空間がある。まあお湯を入れて麺がほぐれれば気づかれることはないし、中の麺を少ないと思う人もあまりいないと思うので、今まで問題にされなかったのだろう。技術的な問題かもしれない。 ちなみに上げ底の様に配置ができないカップ焼きそばなどは、お湯を入れる前の麺の密度が低い。つまり上げ底の麺に比べて、麺のかたまりに空間が多い構造になっている。 さて上げ底とは少し異なるが、お父さんが子供の頃に「シークレットシューズ」と呼ばれるものがあった。背が低いことをコンプレックスにしている男性専用で、かかとの部分が分厚くなっていて、5センチぐらい背を高く見せることができる靴である。外からは気づかれにくいが、靴の中ではハイヒールを履いたようにかかとが上がった状態で足を入れているモノだったと思う。実物を見たことがないので実際はよくわからない。 背の低い友人が真剣にシークレットシューズが欲しいと言っていたことを思い出す。女性はハイヒールやピンヒールなどでかかとを浮かせて身長を高く見せることができるのに、男は出来ないと嘆いていた。 時代が進んで平成になると、厚底ブーツとか厚底サンダルなど、女性には身長を調整できる更なる履物が出てきた。今では連絡を取ることもなくなった友人は、さぞつらい思いを今もしているのではないかと思う。 ただ50歳も過ぎると、背が低いとかブサイクとかいう身体的特徴があまり気にならなくなってくる。お父さんもいろいろと身体的なコンプレックスはあったが、今気にしているのは健康かどうかを考えての体重増ぐらいだろうか。糖尿病でなければデブであってもあまり気にしないだろう。 さて靴の話題に戻るが、最近ウォーキング用のシューズを買いに行って思ったのだが、シューズによっては靴底が2センチぐらいあるものが普通に存在している。機能を考えての厚底だと思うのだが、背の低い男性がなるべく靴底の厚い靴を購入して身長を調整できるレベルだと感じた。 運動にどれだけ適しているのかわからないが、男性も5センチぐらいの厚底の靴を履くのがおかしくない時代になるのかもしれない。 ちなみにベトナムでローカルの従業員がパーティーなど会社のイベントに来ると、身長が10センチぐらい伸びているようなときがある。上げ底プラスピンヒールという2段形式で身長を高くするものを履いてくるからだ。こういうモノを変にみられることなく吐くことができるので、ベトナム人女性はほとんど身長と言うモノを気にしていないように思う。男性用は無いので、男は日本人と同じように身長にコンプレックスを持っている人がいるのかもしれないが、お父さんはそういう話を聞いたことはない。
2024.07.25
コメント(0)
先日公衆トイレで久しぶりに流していないウンコに遭遇した。水が流れないのかと思ったが、流してみると普通に流れた。よほど急いでいたのかとも思ったが、おしっこと異なりウンコの場合はパンツやズボンを元の位置まで戻さなくてはならない。その間に、足元にウンコがあるのに気がつかないということはあまり考えられない。不思議だなと思ってふと気がついた。流し方がわからなかったのではないかと。 小学校の頃、特に低学年の頃、お父さんは学校で流されていないウンコをよく見た記憶がある。なぜよく見たかと言うと、誰かが発見すると教室まで戻ってきて「トイレにウンコがある」とクラス中に知らせるのが慣例で、それを聞くとみんなでウンコを見に行くことをしていたからだ。 今の小学生はわからないが、お父さんが子供の頃、学校でウンコをするというのはとても恥ずかしいことだと認識されていた。だから学校でウンコがしたくなっても、必死で家まで我慢することが多かった。もしどうしても耐えられないという時は、クラスメートがいない別のトイレまで行ってウンコをするということをお父さんはやっていた。 休み時間にクラスメートがいるトイレで大便用の個室に入ると、誰かがウンコをしているとはやし立てられるし、下手をすると上からのぞかれて誰なのか判明してしまう。そんな光景を常に見ていれば、みんななかなか学校でウンコは出来なくなる。 こんな状態なのに、なぜウンコをした証拠をそのままにしておく人がいるのか本当に不思議だった。証拠を隠滅しておかないと、絶対に後から騒ぎになるのは明白である。騒ぎを起こそうという愉快犯なのかと当時は思っていた。 しかしながら、50歳を過ぎていきなりひらめいた。そしてかなり確信的に「流し方がわからなかった」というのが真実ではないかと思っている。 お父さんが子供の頃、水洗トイレの家庭での普及率は半分ぐらいだったのではないかと思う。友人の家がボットン式トイレというのは珍しいことではなかった。自宅がボットン式トイレであれば、ウンコをした後に流すという行為を知らないということは十分に考えられる。 中学生以降、トイレにウンコがしたままになっているということがなくなることを考えれば、自宅が水洗式に変わったり学校で水洗式トイレのことを学んだからなのではないだろうか。 ちなみに先日見た流されていない状態のトイレは和式のトイレだった。最近の家庭にあるトイレはほとんどが様式のトイレである。逆に子供が和式のトイレの水洗レバーを知らなくて流せなかったと考えるとしっくりとくる。 子供と言うのは人生経験が足りないので、状況というかいろいろとチェックしてこれが水洗用のレバーではないかと確認することができないこともあると思う。 和式の便器は海外に行くと、アジアではまだまだ存在する。今の小学校のトイレはどうなっているのか知らないが、経験を積ませるための教育として和式のトイレは残しておいた方がよいのではないかと思い始めた。 ちなみに最近は父親がいろいろと物忘れがひどくなっているので、老人が流す行為を忘れるということも十分考えられる。 人間長く生きて経験を積むと、世の中が見えるようになると言われているが、これもその一つなのだろう。真剣にこんなことを書いている自分に笑ってしまうが、トイレに行かない人はいないので、孫が生まれたらいろいろなタイプのトイレの使い方を教えてあげなくてはならないかもしれない。
2024.07.24
コメント(0)
先日本当に久しぶりに、家族で温泉旅館に泊まった。2年ぶりぐらいだろうか。なかなか家族の予定が合わない中、ベトナムでストレス解消に温泉に行きたいと、お父さんがお母さんに日程調整を頼んで実現した1泊2日の旅行だ。 自宅から車で1時間半ほどの温泉地に行ってきたのだが、人生で初めて「オールインクルーシブ」というシステムの旅館に泊まった。 説明を受けるまでよくわからなかったのだが、要は通常旅館で追加料金として支払う食事の時の飲み物代や、有料のマッサージチェアがすべて無料であり、ロビーフロアに行けばソフトドリンクからビールまで無料で飲むことができる。さらに指定された店では夜食も無料で食べることができるというシステムだった。 夕食はバイキング方式だったが、ビールサーバーで生ビール、その他にウイスキー、焼酎、ワインに日本酒と様々なお酒が無料で飲めるようになっていた。残念なことにお父さんはお酒を飲めないのでほとんど意味がなかったが、高いからと温泉でお酒をセーブしていたような人には最高の環境だと思う。ただその分宿泊料金に入っているはずなので、お得かどうかはわからない。 それでも追加料金を気にして飲み、支払いの時に「高い」と思うよりは精神衛生上良いだろうと思う。実際に翌朝はビジネスホテルの様に、チェックアウトでお金を支払うことはなかった。 オールインクルージブのシステムは人手が足りない旅館にとってもメリットが大きいだろうと思う。まず食事の時に飲み物の注文を取ったり配膳したりする手間がなくなる。さらに伝票をつけて、翌日の精算時に間違いがないようにする必要がなくなる。フロントはチェックアウト時に、支払い対応をする必要がなくなるのでとても楽になると思う。 今回の旅館はチェックインして部屋に入るとすでに布団が敷かれていたり、浴衣はロビーフロアで自分に合ったサイズを持ってくるシステムだった。歯ブラシなどもロビーフロアに置いてあるものを持っていくシステムで、かなり人手を省いていた。 旅館の部屋にはテーブルにお茶やお茶菓子があるのが普通だったが、この旅館はロビーフロアに行って無料で飲食をするシステムなので、部屋には何もなかった。部屋にバスタオルやフェイスタオルは置いてあったが、持っていかなくても大浴場にはフェイスタオルもバスタオルもゴルフ場の風呂の様においてあるので、とても便利であった。 お父さんはお酒を飲まないので、一番のメリットを満喫できないのだが、こういうシステムの旅館はこれから増えていくのではないかと感じた。
2024.07.23
コメント(0)
お父さんは3人兄弟の真ん中、上が兄で下に妹がいる。上の兄が2歳年上で、妹は1歳下なので、物心ついた時から3人兄弟だった。お母さんは2人兄弟の長女で、下に弟がいる。年が4歳離れているので、性別が異なることもありあまり兄弟で遊んだ経験はないようだ。それに比べるとお父さんたち3人兄弟は、4年の間に3人生まれているので、よく一緒に遊んでけんかをするのが日常だった。 ちなみにお父さんの父親も3人兄弟で上と下に姉と妹がいる中間子である。昭和初期の生まれなので、長男としてかなり大事に育てられたようだ。 ちなみにお父さんは中間子の性格と言うか、兄弟で上も下もいるので、年上にも年下にもある程度対応できるというか、人の気持ちの機微を察して動くというのが習慣となっているところがある。 主観なので合っているかはわからないが、お父さんが子供の頃の兄は常に子供の中で最初の経験をするし、親にとっても初なので、かなりいろいろと手厚い保護を受けていたと感じている。妹に関しては唯一の女の子なので、やはり初めての事というのが親にとって結構あり、さらに常に家族で一番幼いというポジションだったので、こちらもお父さんよりは手厚い保護を受けていたと感じている。 そのためにお父さんは親の気を引くために結構頑張ってきた。その時々の状況を見ながら親が望む行動を選択して実行したり、他の兄弟より自分は優れているとアピールすることにも一生懸命だった。 結果として、お父さんは親の関心を引くことに失敗した。 自分が父親になってわかったことだが、兄弟が3人もいると「こいつはほっといても大丈夫」と思える子供に親はあまり手をかけない。どちらかというとダメな方に手をかけるものである。つまりお父さんは「一人で何でもできるよ、ほめて」とアピールしていたが、本当は「何もできない、助けて」とアピールすることが大事だったのだ。今さら気がついても手遅れである。 今の我が家の子供に手のかからない子供だというイメージの子供はいないが、しいて言えば長女は幼いころからまじめで物静かであり、本音を漏らさないというか苦しいことやつらいことも一人で我慢していたので、手がかからなかったかもしれない。長子であったし、幼少期は体も弱かったのでほったらかしだったとは言えないが、ひょっとしたら本人は寂しい思いをしたかもしれない。 今一番手をかけているのは末っ子の次女だろうか。学校の成績不振や過敏性腸症候群、最近は蕁麻疹が治まらないなど常にいろいろ次女の対応をしている気がする。ましてや今年中学3年生になったので、来年は高校受験が控えている。 長女はすでに家を出ているが、中間子である長男は寂しい思いをしているのだろうか。息子は高校生なので、おそらくそういう時期は過ぎて、親の干渉が少ない今を楽しんでいるような気がする。
2024.07.22
コメント(0)
クオリティオブライフという言葉を最近よく聞くようになってきた。英語表記の頭文字をとってQOLとも言われているが、直訳すると生活の質とか人生の質という意味になる。もともと医療や福祉の分野で使われていた言葉であり、苦痛を伴う治療や手術などで超気に渡って自力で行動ができないとか、自立した生活を捨てて延命メインの治療をするのか、それとも治る見込みのない病気だからとできる限り自立した生活ができることを優先して治療は最小限にするとかの問題として扱われていた。 ところが世の中にはよく勘違いする人が出てくる。字面だけとって、QOLを自分の人生が充実しているかとか、幸せかなどの判断をする考え方だと思う人が出てくる。お父さんが若い頃イタリア料理を「イタメシ」と言うのが流行ったのだが、「炒めるご飯」つまりチャーハンの事だと勘違いしている人が結構いた。お父さんも最初に言葉だけ聞いた時は「チャーハン」だと思ったので、同じ人がいてほっとした思いがあり記憶に残っている。 世の中には、勘違いが本来の意味を越えて常識になることが少なくない。ことわざなどでもよくあって、「情けは人の為ならず」というのは、人に情けをかけるのはその人を助けるためではなく、周り回って自分が助けられるのだから、人に情けをかけることは大事であるという意味なのだが、結構な数の人が人に情けをかけるとその人の為にならないから助けてはいけないという意味にとっている。 漢字の読み間違いが常識になった例などさらにたくさんある。重複と言う字は本来「ちょうふく」と読むのが正しいのだが、世間では「じゅうふく」と読むのが普通になり、今では辞書に読み方として「じゅうふく」も載るようになってしまっている。 さて少し話が脱線したが、QOLを自分がいかに人生を楽しむかというようにとらえると、最近の傾向として「仕事は悪」「残業は悪」「私生活の充実が最優先」という考え方が出てきやすい。 万民平等で平和憲法と言われる日本国憲法に国民の義務として「勤労」があるのだが、それを悪とする考え方はどうなのだろうか。お父さんもそうだが、一般の人は一日8時間で週5日の仕事を定時間として働いている人が多い。毎日の生活の多くの時間を使っている仕事の充実なくして人生は良くならないと思うのはおかしいことなのだろうか。 ワークライフバランスという言葉も最近流行り始めているが、これは仕事時間とプライベート時間の割合をきちんと調整し、どちらの時間も充実するようにバランスを取りましょうという考え方である。 昭和生まれのお父さんには理解は出来ても共感は出来ない。生活を支える基盤である収入を左右する仕事と、趣味や遊びで消費するほうのプライベートを同列に扱うことは正しいのだろうかと思ってしまう。 概念が作られて現実がそれによって変化させられることは、昔からいくらでもある。共産主義はマルクスによって概念が作られて、ソ連・中国などで実施されたがうまくいったとは現段階では言えないだろう。 理想があっても人間は理論通りに動かないからだ。仕事時間8時間、プライベート時間8時間、睡眠時間8時間で各三分の一ずつバランスを取ろうと決めても、それでプライベート時間に充実したときを過ごせる人は少ないだろう。そもそもプライベート時間の何をもって「充実」とするのか定義がない。 概念が出てくることは、考えるきっかけになるという意味では悪いことではないが、無理やり流行させて強制させると、逆に重荷になってしまう。仕事が終わって家でテレビを見ながら晩酌していれば幸せだった人が、仕事帰りにジムで運動をし、週末は無理やり趣味を作ってそれに取り組まなければならないとなったら、その人がそれを望まない限りはストレスにしかならないだろう。人は強制されるとストレスを感じることの方が多いのだから。
2024.07.21
コメント(0)
最近セミナーやコンサルタントにいろいろと指導を受けることが増えている。少し食傷気味である。セミナーは他業種のいろいろな職種や年齢の人が集まるので仕方がないが、理論や理屈ばかりで具体性のないモノが多い。 コンサルタントもそうだが、概念をいくら理解しても現実世界に落とし込んで行動する具体的な内容が決まらないと意味がない。 一番大事なこういう部分を「そこは自分で考えましょう」という内容になることが多くて飽きてきているのだ。もちろん自分で考えるのを否定しているわけでは無い。自分で考えることは最も重要な自分自身の仕事だとも思っている。 だがコンサルタントがお金をもらって会社内の指導をするとき、具体性のない話を聞くだけであれば、高いコンサルタント料を支払う必要をお父さんは感じない。本の数冊も買って勉強すればよいだけである。 今までまじめに仕事をしてきて、うまくいかない部分に悩み、それが大きくなって「自分で何とかしようと、考えても考えても先が見えない」という状態だからコンサルタントと契約しているのだ。うまくいった他社の具体例ではなくお父さんの会社でやるべき具体策を指導してもらう必要がある。 会社の経営者によくいるのだが、会社の指標に具体性がなく文章だけがだらだらと書いてあるものがある。頑張ってやろうでは人は動けない。明確な目標と手段が決まって、自分が何をいつまでにどうするのかが明確にならないと、きちんとした行動とそれに伴う結果は出ないのだ。 今上の文書を書いていて、そういえばそういうことを言っていたセミナーの講師がいたことを思い出してしまった。具体的に決めて動きましょうと。 コンサルタントはその具体的を現実にしなければならないのだが、今のところ概念ばかりである。そしてそれを社長が良しとしているので、手に負えないでいる。これではお父さんのやる気が出ないどころかそがれてしまう。
2024.07.21
コメント(0)
先日地元の経営コンサルタントの講義を受けた。会社にコンサルタントに来てもらい、会社の該当者数人で話を聞いたのだが、非常に感銘を受けた。講義の内容も悪くないものであったが、まだまだこれから具体的にどういうことを実施するか決めていき、実際に活動し、結果を見るまではコンサルタントの実力はわからない。 お父さんが感銘を受けたのは、コンサルタントの話術にである。人を引き付ける魅力にあふれた話術に聞きほれてしまった。お父さんには到底まねできないレベルの大胆かつ繊細、さらに皆の気持ちを高ぶらせる絶妙な話しぶりであった。 まず第一に、きちんと反芻してみると何も根拠が示されていないと気がつくのだが、「できますよ」という言葉を雰囲気で信じ込ませてしまう話術を持っている。そのコンサルタントの人自身が言っていたのだが、話術を若い時から勉強しかなりの投資をしてきたそうだ。 質問や考える時間を与える前に、どんどんと話を進めていかれる。見た目の雰囲気も軟らかくそれでいて自信にあふれているので、ただ話を聞いているだけだと「そうなのかな」と彼の話を信じてしまうのだ。本当によく勉強してきた人なのだと感心してし合った。 ところどころに繰り返し挿入してくる「私は結果を出してきた」「私は皆さんの想像を超える勉強をしてきた」「私の指導を受ければ失敗することはない」という文章にしてしまうと「俺はすごい」と言っているように見える言葉を、聞き手側のお父さんたちを全く嫌な気分にさせずに話すことができる。 こちら側が質問をすると、一言目が「それは大丈夫です」「心配はいりません」という言葉から始まる回答で、自信満々に説明をしてくれる。懐疑的だったコンサルタントへの印象が、話を聞いているうちにどんどん「もっと聞きたい」になっていった。 こちらの情報を聞き出すのも実に上手で、参加者には普段自分の意見を言わないイメージの人もいたが、本当に言葉巧みにその人の思っていることや意見を引き出していて、この同僚はこんなに自分の意見を言うことができるのかと感心してしまったほどだ。 冷静に考えれば、自分の意見はかなり否定されていることに気がつくのだが、その場では気がつかないようにする話術もすごかった。どういう風にと具体的にここに書くことができないのだが、それこそが彼がもつ話術のすごさだと思う。 お父さんもいくつか質問をしていたが、あとから考えるとお父さんの考えの単純否定だったり、理論のすり替えが行われていたと気がついたが、リアルタイムでそのことに気がつかなかった。どちらかと言えばお父さんの意見を肯定していると錯覚させられていたと言っても間違いではない。 誰でも訓練すればできるようになるとも言っていたが、彼の話術をそのまま同レベルで実行できる人が、訓練すればいくらでも生み出せるという彼の話は信じられない。今まであった人の中で、抜群に自分の話を人に聞かせるのが上手い人だった。 最後に、同じ仕事をしているひとが会社に何人いるかと尋ねたところ、彼が筆頭で一人でやっていて、あとの社員はサポートだと話してくれたので、やはり同じことができる人を彼の下で育てることも難しいのだろうとお父さんは判断した。 あんなに話術が巧みであれば、人づきあいも苦にならないだろうとうらやましく思った。ただし、本心から出ている言葉でなかったとしたら、仮面をつけた自分を好きになられてもと思うだろうから、幸せな人とは言えないかもしれない。お父さんは最終的な判断としてあそこまでの話術は自分には要らないと感じてしまったが、これが嫉妬ではないと否定できる確信はない。お父さんも結構面倒くさい人間である。
2024.07.20
コメント(0)
夏になるとお母さんとその他家族でエアコンをつけるつけないの争いが始まる。基本的にお母さんは寒がりというか冷え性というか、エアコン(冷房)が嫌いである。自分が暑い時は率先してつけるのだが、自分が耐えられるレベルでは誰かがエアコンをつけてもすぐに消してしまう。 暑い寒いという前に、お母さんの言い分は電気代がもったいないである。会社で笑い話としてそんな話をしていたら、どこの家庭でも同じようなトラブルというか言い合いは発生していることが分かった。 さて今回は、理系のお父さんが理論的(技術的)に話をしても、文系の勝手なイメージだけで全く話を聞いてもらえないという話をしたら、技術系同士でいろいろとあるあるが出てきたので、そんな話を書いてみようと思う まずエアコンについてであるが、家のクーラーでも車のクーラーでも出てくる風の温度は、温度設定に関わらず一定であることを知らない人は多い。クーラーの原理は液化している冷媒を高圧にして噴射することで気化させ、その気化熱により冷えた冷媒ガスを熱交換器に流して冷えた熱交換器に風を当てて室内に供給している。 ここも勘違いする人がいるが、室外機があるからと言って、室外から空気を取り込んで室内に流しているわけでは無い。車のエアコンは室外の空気を取り入れるか、室内の空気を循環させるか選べるが、家に設置してあるエアコンは基本的に室内の空気を循環させているだけである。 冷媒として使用しているガスは気化熱によって冷えているが、この温度の調節は今の技術ではできない。そもそも18度で室温を設定できるエアコンなら、冷媒のガスはもっと温度が低い。18度に部屋の温度を下げるには18度以下の空気が必要なのは自明だと思うが、わからない人もいるのだろうか。 またつけたり消したりを繰り返して節電するという考え方も基本的には間違っている。今のエアコンは、設定温度まで室温が下がるまでは全力で動いている。当然消費電力も多い。そして設定温度になると、能力を落として運転している。設定温度まで全速力で走り、そのあとはゆっくり歩いているようなものである。ゆっくり歩いている間はそれほど電力を消費しない。これがインバーターエアコンである。 つけたり消したりという行為は、エアコンに全力疾走ばかりをさせていることになり、つけている間は消費電力が多い。さらに全力疾走ばかりを繰り返すので、当然壊れやすくもなってくる。飛行機のメンテナンスが飛行時間よりも離着陸の回数で決まっているのは、離陸と着陸時が一番各部品に負荷がかかる為である。こういうたとえを出しても、そもそも文系の人は、飛行機のメンテナンスが離着陸回数で決まっていることを知らないことも多い。 話がそれてしまったが、お母さんに言わせると理屈よりも印象の方が精神的に正しいので、問題はないそうだ。それよりもいちいち理屈で言われても腹が立つだけで「そうなんだ」とはならないらしい。分析をきちんとすればするほど、合理的な話をすればするほどダメならば、理系が文系に勝つことはできないということを最近理解し始めた自分がいるのが悲しい。
2024.07.19
コメント(0)
お父さんは食べることが大好きである。お酒が飲めない体質なので、ストレスの解消はもっぱら食べることである。美味しいモノを腹一杯食べるのが大好きで、おかげで体型も太くなったし、遺伝があるとはいえ糖尿病にもなっている。 さて、プロの料理人などがよく言う言葉に「素材の味を引き出す」というのがある。これには2つの方法があるとお父さんは思っている。一つはその素材を使ってはいるが、出来上がった料理自体が美味しければよいというもの。もう一つは、素材自体が最初から持っている味を楽しめる料理であるというものである。 お父さんは基本的に前者の考え方が正しいというか、お父さんの好みに合っていると考えている。素材自体の味をそのまま味わうというのは、「味付けをあまりしない」ということになっている料理を意外と見るからだ。 お刺身であれば、別に文句はないし、十分に美味しいとおもえるのだが、野菜などをほとんど味付けせずに出されると、これはちょっとと思ってしまう。 薄めのだし汁で炊いただけの食材は、お父さんにとって美味しい料理でないことが多い。まあお父さんが美味しい料理だと思うのは、ご飯のおかずになるものなので、薄味のモノは全般的にダメなのかもしれない。 やはりご飯のおかずになるには塩味も旨味もそれなりに濃くないと、庶民育ちのお父さんには合わない。 ちなみにお父さんは、化学調味料を使うことに抵抗はない。味の元でもほんだしでも鶏ガラスープでも、お父さんが美味しいと思える味になるならいくらでも使ってほしいと考えている。 化学物質いっさいなし、有機農法で育てた野菜に天然の魚、肉や卵も自然の中で育ったものしか使わないという料理を美味しいと感じたことはない。ジビエ料理というのも大抵は美味しくない。素材の味を大切にする料理が多いからだと思う。 こうやって書いていると、お父さんは食べることは大好きだが、食通でもグルメでもない。以前化学調味料がたくさん使われている料理の方が美味しいと言ったら、完全にバカ舌だと言われたことがある。 まあ実際にお父さんはバカ舌なのかもしれない。世の中で人気があるお店に食べに行っても、美味しくないと感じることが結構あるからだ。 世の中には、プライド的に高級料理などを「美味しい」と言い、大衆料理を「美味しくない」という人もいると思う。だがお父さんは自分の好み優先だ。 自分が美味しいと思えば、本物のカニでもカニカマでも同じである。人気のテレビ番組で本物を見分けることができるかをテストする「格付け」というものがあるが、お父さんが会の番組に出てくる料理を食べたら、おそらくことごとく間違えるのだろうと思う。 バカ舌上等、美味しいと感じるものならどんなものでも構わないというのがお父さんのポリシーと言ってもいいかもしれない。
2024.07.18
コメント(0)
お父さんの会社の社長は、最近外部から戦力になる人を連れてくると言い出している。新卒の社員がとれなくなっていること、若い人を地道に育てるには時間がかかるのに比べて、即戦力となるベテランというか専門家に入社してもらえば、時間短縮はもちろん自社にはない考え方や手法を導入することができるというのが社長の説明だ。 言っていることはもっともだと思うので、お父さんはその意見に反対ではない。だが上手くいくことはないと思っている。 理由は外部から連れてきた人に、意見を出させるだけで権限を一切与えないのが社長のやり方だからだ。さらに言うと、せっかく外部から連れてきた異なる考えを、口では重要で素晴らしいといいつつ、わが社のやり方と異なるからと採用しないからである。 1から10まで採用する必要はないとお父さんも思うが、社長の場合は採用率0%である。今まで外部から来た人たちは、結局何も結果を残せていない。どんなに優秀な人でも難しいだろう。 しいて言えば、社長を説得して権限を得ることができ、さらに社長の承認を取り付けて投資までさせることができるレベルの社長対応ができる人であれば、成果を出せるかもしれない。 しかしながら、顧問やコンサル的な外部人材も、中途採用のベテランも、新卒からの生え抜きの人材もお父さんを含めて誰も社長を説得することに成功した人はいない。なぜなら社長は自分の考えと異なる意見を「ダメな意見」「実状に合わない意見」として採用しないからだ。当然社長が良いとおもう考えはすでに社長から実行の指示が出ている。結果として外部の人材を手に入れても結果を出すことは出来ない。 お父さんはこれまで何人も「この会社では結果が出せない」と言ってやめていった人たちを見てきた。そしてそういう人が会社を辞めるたびに、社長に呼び出されてお父さんたちが怒られることを繰り返してきている。「お前たちがきちんとパフォーマンスを発揮させるサポートをしないからダメなのだと」怒られるたびに、あなたが意見を採用しないからですという言葉を飲み込んでいる。 今現在も顧問契約で1名、正社員採用で1名の外部人材がいるが、正社員採用の人はすでに社長には何を言ってもダメなので、もう少しやってみるが基本的には辞めると言い出している。 もう一人の顧問契約の人は、会社全体にかかわる内容をあきらめて部分的な改善活動に取り組むようになった。社長の意向に沿ったお金をかけずにそれっぽい成果を出すことだけに注力している。支払っている顧問料にふさわしい結果は出せないまま終わると確信している。大手の会社で生産技術部長を務めた優秀な人材で、十分に会社全体を変える能力があるのに本当にもったいないと思う。 なんか今回はただの愚痴になってしまった。
2024.07.17
コメント(0)
「Do it yourself」、DIYは直訳すると「自分でやれ」となる。お父さんが子供の頃からある言葉で、「自分でできることは自分でやろう」という精神である。日本では日曜大工とかいう言葉でも代用されるが、大工仕事に限らず機械修理や家庭菜園などもDIYの範疇だと思う。お父さんのイメージでは日本にホームセンターができ始めたころから使われるようになった言葉だと思う。そう考えればホームセンターに売っているモノで何かを作ったり補修したりすることが、現在のDIYと言ってもよいのかもしれない。 お父さんは趣味的な理由ではなく、金銭的な理由と時間節約の理由でDIYをしている部分が強い。例えば壊れた水道の蛇口の修理を業者に頼むと数千円から1万円ぐらいかかる。業者もすぐに来てくれるかわからない。その点ホームセンターでパッキンを100円ぐらいで購入して自分で交換してしまえば、あっという間に終わる。 数年前にキッチンのシンクについている蛇口全体が壊れて丸ごと交換したことがあるが、これもネットで購入した蛇口代15000円ぐらいと、40分ぐらいの工事で終わってしまった。これを業者に頼むと蛇口の選定から始まって、部品の到着を待ち、それから工事日程が決まってようやく交換が完了する。どんなに早くても2週間ぐらいはかかってしまうだろうと思う。 今の家に住み始めてすでに13年ほど経つが、家の中の修理関係で業者に依頼したのは犬がボロボロにしたカーテンの修理だけである。これはそもそもカーテンが特殊すぎてカーテン本体も部品も購入ができず、やむなく業者に依頼した。交換作業は古いモノを取り外して新しいモノをつけるだけなので十数分で終わってしまう。それでもカーテン代が高く10万円以上かかってしまった。 DIYはうまくいけば業者に頼む費用の十分の一ぐらいに費用を抑えられる。部品交換など既成のモノを使う場合は業者に頼んだ場合と出来上がりも変わらない。しかしながらDIYの内容によっては、かなり出来上がりの品質に差がついてしまう。 大工仕事系は、その人の腕やセンスによるがプロの仕事とには及びもつかないことが多い。お父さんは現在庭の芝生を貼り替えているが、出来上がりはプロの業者の仕事には絶対に見えないレベルになると確信している。それでも費用を十分の一に抑えるためにやっている。 もう一つのDIYの問題点は、それなりに知識が必要だということだ。先日お母さんが炊飯器を買いたいと言ってきたので、何が壊れたのか聞いたところ、電気炊飯器なのに最近おこげができるようになってきたという。 とりあえず炊飯器の状態を確認したら、内蓋のゴムパッキンが裂けていた。これでは密閉性が悪くなるうえに蒸気が逃げてしまうので、圧力不足で炊き上がりも悪くなるし、蒸気が逃げることで水分不足になりおこげもできる。状態と予測原因がつながったので、パッキンをネットで探したが、内蓋丸ごとの部品しか見つけることができなかった。5000円で内蓋を購入して交換したら、あっという間に元の炊飯器の炊き上がりに戻った。 お母さんだけだったら、炊飯器の買い替えだっただろうと思う。知識、経験、考える力などがないとDIYは難しい。たとえ興味があっても、それだけでできるものではないのだ。今はネットで様々な情報が手に入るので、検索してやり方を調べることも可能なのだが、まず自分でできないかと考えることができないと、自分でやるという選択肢自体が出てこない。 お父さんは学生の頃からホームセンターをぶらぶら見るのが好きだった。そこで売っている工具や部品などを見ているので、自分でやれないかという発想が常に出てくる。まあ自分でやってみたいという気持ちが昔から強かったのも影響しているだろう。 残念ながら家族でお父さん以外に自分でやろうとする人がいないので、手伝わせても興味も覚える気もなく、戦力にならないのが悩みである。 お母さんは裁縫が大好きで、モノづくりに適した性格をしているはずなのだが、裁縫以外に一切興味を示さない。電球交換すら嫌がるレベルである。 家族とDIYで楽しむ映像などをたまに見るが、お父さんには与えられない環境である。孫が興味を持ったとしても、そのころお父さんには体力がないだろう。 ちなみに最近は家族が「お父さんに言えば、勝手にやってくれる」と考えているのが手に取る様にわかる。便利屋扱いは気に入らないが、作業が面白そうと思うとやってしまう自分がいる。やっぱり自分でいろいろとやるのが好きなのだなと思う。 ちなみにお父さんは、DIYの為にかなりいろいろな工具を持っている。電動工具などは、あまり一般家庭にないモノも持っている。この辺りの経費を考えるとそれなりにDIYは高くついているのかもしれない。
2024.07.16
コメント(0)
お父さんはこの数年、船釣りをメインに釣りが好きでたまらなくなっている。釣りとゴルフの両方の誘いがあったら、おそらく迷わずに釣りを選ぶだろうと思う。仕事がらみのゴルフならやむを得ずゴルフになるだろうが。 そしてベトナム出張で釣りができない状態が続くと、無性に釣りがしたくなる。日本にいるときはそこまで欲求が強くならないのだが、ベトナムでは禁断症状に近い状態になってしまう。 その結果として、ベトナムから帰国するとすぐに釣り船を予約して釣りに行くことが多い。今回も2週続けて釣りの予約をしている。 そして先日、待望のヒラメ釣りに行ってきた。高速を使って2時間ほどの距離にある漁港に、3:30AM集合というスケジュールだった。家を1:30には出発することになるので、ほとんど寝ることができない。最近体力に自信がないお父さんは、漁港の近くに安い宿がないか探してみた。 安宿は見つかったのだが、チェックイン時間までにたどり着けそうになく、24時間受付のホテルもあったがこちらは値段が高すぎる。不思議なことに、昨年まで前泊などしたことがないのに、一度前泊を考えた後は絶対に前泊したいという心理になってしまった。 結局チェックイン23:00までという宿を見つけてそこに予約を入れた。釣りのために宿泊費も払うというのは、家族以外誰にも言えないほど贅沢な行為である。 実際に泊まってみると、もう前泊しないとこの漁港から釣りに出たくないと思うほど体が楽だった。釣り終了後の運転は、いつもなら眠気との戦いなのだが、今回は全く眠くなることなく家までたどり着いた。次回はどうしようかと思い悩んでいるところである。 さて釣果の方は実によい結果だった。ヒラメが9枚、カサゴが1匹と希望していた7枚以上を釣ることができた。さらに想定していたよりも大きなヒラメを釣ったので、持っていったクーラーボックスに入らない状態であった。1匹だけなら「ラッキー」でよいのだが、クーラーボックスサイズを超えるサイズを5匹も釣ってしまったので、うれしい悲鳴ではあるのだが、どうやって持って帰ろうかと困ってしまった。 釣果は良かったが、それなりにトラブルも多かった。まずは根がかりや大物のヒラメによって、仕掛けや重りをかなり失くしてしまった。これだけでも4000円分ぐらいの損失である。さらに隣の人と同時にヒラメがかかってオマツリ(釣り糸が絡み合う状態)してしまい、ほどいている間に竿先を折ってしまった。これで1万円の損失である。 さらにひどいことに竿置きの部品が外れて海に落下してしまい、2000円ほどの損失となった。仕掛けはある程度覚悟しているのだが、竿や竿置きは普通に釣りをしていて折ったり無くしたりするものではない。最終的にはずいぶん高いヒラメになってしまった。 極めつけは、自宅に戻って、「釣れたらおすそ分けする」と約束した友人に家に来てもらったら、ヒラメを積んで帰るときにこの友人は家の前の縁石にタイヤをぶつけてパンクさせてしまった。今の車はスペアタイヤが入っていないので、彼はお父さんの車を借りて自宅からスタッドレスタイヤを持ってくることになってしまった。 いろいろとドタバタした一日だったが、お父さんはヒラメを釣るという目的を果たしてかなり欲求が解消された。釣れた魚が大物ばかりだったこともよかった。ただ大物過ぎて捌くのが大変だった。まな板のサイズを越えているのだから仕方がない。そんな経験も含めてよい一日だった。
2024.07.15
コメント(0)
今年の春に、芝生に間違って除草剤を撒いた。6月末にベトナムから帰国したら、予想通り芝は枯れていて、いつもなら青々とした芝を2週間おきに刈っていたのが懐かしくなるぐらい無残な姿になっていた。 今年1年は除草剤の効果が続く可能性があるので、庭の再構築は来年にしようと思っていたが、あまりにも見た目が悪いことと、7月に入って枯れた芝の部分に少し草が生えたりしているのを見て、この夏を利用して芝生を貼り替えることにした。 お父さんもお母さんも50歳を越えて気力体力が乏しい上に、子供達は全く頼りにならないので業者に頼むことを真剣に考えたが、予想工事費が200万円はかかりそうなので、自分でやることを決めた。 それでも芝用の土、新しい芝生、芝をやめて防草土にする部分の防草土や仕切りの購入などで20万円以上かかってしまった。 先日お母さんと二人で作業を始めたが、予想していた以上に時間がかかるうえに、残土(枯れた芝とそれにくっついた土)が大量に出て苦戦している。丸一日作業をしたが、想定の30%も進まなかった。 作業した週末は小雨交じりの曇り空だったので、1日作業することができたが快晴になったらとてもではないが作業できるとは思えない。普段なら週末は晴れの日が望ましいが、これからしばらく週末は日差しがない日であることを願わざるを得ない。 10年かけて育った芝は、根が想像以上に深くなっている。新築時に工事をしたときよりも2㎝ぐらい盛り上がっているようにも感じる。 素人作業なうえに初体験なので、最初は芝生を丁寧にはがして土を取り除いていたのだが、このやり方だと1㎡辺り1時間近くかかってしまう。そこで土嚢袋を購入してきてはがした芝は土ごと土嚢袋に入れることにした。また芝に切れ目を入れながらはがすのもやめて、クワやスコップで一気に掘り返す方式に変えた。 効率は上がったが、それでもまだまだ先が見えない状態で庭は無残な状態をさらしてる。芝も購入してしまったので、枯れないように毎日芝生の束に水を与える仕事も増えてしまった。平日に休みを取れば梅雨の時期の間に貼り替えは終わるのだろうが、そう簡単に休みも取れない状況である。 早くしないと梅雨が明けて炎天下の夏が来る。時間と天候との勝負になっているので、気持ちは焦るばかりである。 平日にお母さん1人で作業をしてもらっても効率が悪いし、おそらくお母さんは拒否するだろう。次の週末も頑張るしかない。早くきれいな庭に戻ることを想像しながら、きつい作業に取り組む予定である。 除草剤を取り違えたことが、ここまでお金と労力に影響するとはと、本当にあの時のお父さんの愚行を後悔する日々が続いている。
2024.07.14
コメント(0)
先日JALとANAがカスハラ対策を厳密にするというニュースを見た。至極当然のことだとお父さんは思う。カスタマーハラスメントという言葉がどこまで浸透しているのかわからないが、客だから何をしてもよいという考えは、実にバカげた考え方である。 お父さんも今までの人生で、「こっちは客だ」という言葉で怒鳴りつけている人を何度か見てきた。日本人的感覚では、みっともないとしか表現できない光景である。 お客様は神様ですと初めに言ったのは演歌歌手の三波春夫である。この言葉が人気となり全国に広がり、本来公演を見に来た人に対するお客様は、商業でモノを購入したり飲食店のお客様にすり替わっていった。お客様は神様という言葉が独り歩きして、「さらに金を払うのだから何をしてもよい。なぜならお客様は神様だから。」というところまで到達してしまった。これは企業側にも問題があると思う。顧客を大事にするための教育として、社内で「お客様は神様」というフレーズを使いまくったことも原因の一つであることは間違いない。 神様というのは、本来精神的な存在で、世の中の人に神様から理不尽な要求をされた経験を持つ人はいない。だが人間よりも上位の存在として、神様に逆らうことは許されないというのも一般的な日本人の心理である。 この神様という言葉が使われていなければ、日本人によるカスハラは今ほどひどくなかったのではないかとも思う。 人に迷惑をかけないとか相手を尊重するという日本人の美徳は、バブル期の好景気の頃に「金さえ払えば何でもできる」という物質主義にかなり侵されてしまったとお父さんは思っている。そしてカスハラの中心は、この時期に現役社会人だった人達になっていると感じている。1980年代に20歳として現在の50歳以上ぐらいの年代の人達である。お父さんもぎりぎりだがこの年代に入るのかもしれない。 「お金を払っているから、客なんだから自分の方が無条件で偉い」「会社、店、店員はどんな状況でも客に逆らったり不快にさせてはいけない。」という考え方をする若い人に、お父さんは会ったことがない。今の若い人(この言い方はあまり好きではないのだが)は、良くも悪くも厳しい上下関係を経験していない。そのため、どっちが上とか偉いという発想をしないのだとお父さんは思っている。 ちなみに儒教文化の強い国の人達は、日本人とは比べ物にならないぐらいひどい人たちがいる。王様と奴隷のような関係が当たり前という態度をするのだ。レストランでもホテルでもゴルフ場でも、怒鳴りつけたりひどい時は殴ったりする。自国の中では当たり前の行為なのかもしれないが、外国人から見ると犯罪者である。 客と店はお互いのルールや良識を守ったうえで、店はサービスを提供し客はそれを享受するという当たり前の事ができる世の中に早く戻ってほしいと思う。 ただしどんな世の中であろうと例外というものはある。例外として扱われるレベルでダメな人は、法律や罰則で縛るしか方法はないだろう。悲しいことではあるが、自分は特別だと思っていたり、自分が少しでも軽く扱われたとか損をしたと思うと騒ぐひとは一定数存在するのだから。
2024.07.13
コメント(0)
我が家の息子は現在高校2年生である。一応地域の進学校と呼ばれる高校にかよっているので卒業後の進路は大学進学希望なのだが、本人に自覚が感じられない。地方の田舎町村に住んでいる人の宿命なのだが、大学というものが住んでいる地域に存在せず、打学生というものに接する機会もほとんどない。大学というモノのイメージがわかないし、大学受験に対して都市部の同学年が必死で勉強しているという雰囲気も感じることができない。 同じ学年の従兄弟が2人いるのだが、一人は東京、一人は地方ではあるが中核都市に住んでいる。彼らと息子を比べるとどうしても意識に差があることは否めない。お父さんの仕事の都合で現在の町に住んでいるので、どうしても責任を感じてしまう。 息子の頭の出来が良くて、普通に学生をしていれば大学に入れるレベルというのなら安心できるのだが、息子の模試の成績を見ると息子の希望大学など夢でしかないのが現状なので、本当につらいものがある。 そんな環境にいる息子ではあるが、高2の夏休みは進学を考えている大学のオープンスクールへなるべく行くようにと学校から指示が出たこと、また同級生がいろいろとオープンスクールの資料を取り寄せているのを聞いて、ようやく重い腰を上げた様である。 だがここからが息子にとっての試練である。まず人に聞かずに自分一人でやろうとするので、ミスが多い。申し込み開始日やオープンスクールの日程、学校の場所やアクセス方法などを調べてまずは日程を決めていかなくてはならないのだが、うまくできない。 日付が重なったり連続したりした場合、アクセス方法の検討や宿泊の要否、さらに言うと定員を確認して抽選になった場合の対応方法などを検討しなければならないのだが、ここまでくると息子のキャパを上回ってしまう。 自転車で行ける範囲までが今の息子の世界なので、それを越える話になると頭がついてこないようだ。 それでも親が息子の名前でオープンスクールを申し込むことができない(連絡先などの関係で)ので息子にやらせているが、自分の住所ですら間違えて入力する始末で何も信用できない。実際に受験することになったら、受験会場までたどり着けるのか心配なレベルだ。 定員があって、先着順という大学なら申し込み開始時間にすぐ申し込みをしないとならないと思うのだが、それすらできずに放置していた。 自主性を重んじろと高2の息子はよく言っているが、自主性を重んじてすべてを任せていたら、気がついたら大学入試が終わり浪人が決まったという状態になりそうで怖い。全力を尽くしての不合格ならあきらめもつくが、手続きミスでの未受験や不合格では本人はもちろんだが、親もやるせないだろう。 息子の言う自主性とは「細かいことをいちいち言うな」というだけにすぎず、親の干渉を嫌がる思春期の自我の発達とは異なる。要はいちいち指摘されると批判されているようで嫌になるというわがままである。 お父さんは手続きで失敗するのも人生経験と思うのだが、お母さんはそうは思えない人だ。必死で息子に尋ねては、息子が何もやっていないことを知り嘆いている。 都市部と田舎町の大学受験に対する格差は、予備校があるとかないとかの以前の問題である。圧倒的に情報も少ないし、雰囲気に関しては永遠に体験することができない。そこへ息子の幼稚な自主性尊重の主張である。お父さんから見たら、ままごとをしているようにしか見えない。息子は本当に現役で大学生になれるのだろうか。 お母さんに言われて、近々息子と飛行機に乗ってある大学のオープンスクールへ行く予定だが、お父さんは往路は一緒に行くが復路は別にした。息子が飛行機の乗り方やホテルのチェックインなどきちんと一人でできるように指導したら、とっとと先に帰ってくる予定だ。すこしここで痛い目にもらいたいとも思っている。息子は痛みを伴わないと成長しないタイプである。友人と日帰り旅行に行く日に、予定通りの時間に起床しなかった息子を起こさなかったことで、息子はその後自分一人で起きてくるようになった。今回の往路一人旅でどれだけ成長できるかが、息子の自主性を尊重できるかの一つのカギになると思う。
2024.07.12
コメント(0)
東京都知事選が終わった。結果は事前の予測通り現職の小池知事が当選となったが、マスコミで散々取り上げられ、また本人もかなり乗り気だったと思われる蓮舫さんが次点ではなく3位だったことには笑ってしまった。政治的信条はともかく、悪口や揚げ足取りばかりで当選できるほど選挙は甘くないということだろう。それでも100万以上の票が集まるのだから、一定の人気はある人なのだと改めて感じた。 今回の都知事選は、政策とは関係ない話題で盛り上がっていたという感想しかない。議員というよりタレント的な動きが報道されていた蓮舫議員の立候補うから始まり、過去最多の56人の立候補者が出て、ポスターを貼る場所がないとか、選挙演説で妨害的なヤジがあったなど、マスコミの報道もどうかと思う。もちろんそれを面白がって見る人が多いからそういう報道にもなるのだろうが、こんなことでいいのかなとは思う選挙だった。 さて今回の投票率は、平成以降2番目の高さで60%強あったようである。40%の人が投票をしていないので、高いと言われても「そうなのかな」と思う数字だが、国政選挙などはさらに投票率が低いのだから、東京都民はかなり選挙への関心度が高かったと言えるだろう。 お父さんの独断であり、真実でも何でもないのだが、小池候補が一番まともだろう(このまま余計なことをしないだろう)と思う人は小池候補に、革新系というか左翼系の人は蓮舫候補に、どちらも嫌だという人は石丸候補に投票したのだろうと思う。 また投票率の高さは、共産党の応援を受けた蓮舫候補が当選するのが嫌だという人たちがかなり多く、彼らの危機感が投票所に足を運ばせたのではないかと思っている。 古くは美濃部東京都知事の都政、最近では民主党が政権を取った平成の3年間、子の2つは、政治によっては一般人がかなりの被害を受けるということを知らされた出来事だったと思う。 普段は自分の1票が政治を変えるとは思っていない人たちが、危機感をもって投票したからこそ、投票率が高かったと勝手に思っている。 さて本題は、自分のもつ1票の重みについてである。お父さんも日本にいるときは基本的に選挙権を放棄せず、必ず投票に行っている。投票した候補が当選しようと落選しようと、選挙権を行使することで、その後の政治に対して意見が言えると考えているからだ。 お父さん自身は、自分の1票が世の中を変えるとは思っていない。選挙の関係者は「あなたの1票が世の中を変える」というようなことをよく言っているが、お父さんは20歳で選挙権を得てから30年間で、自分の1票が選挙結果に影響したと実感したことは1度もない。 お父さんが投票して当選した候補は、お父さんが1票を入れなくても当選しているし、お父さんが投票せずに落選した候補は、お父さんがその候補に1票入れたとしても落選していたという結果しか見たことがないからだ。 世の中には数票差で当落が決まる選挙もあるようだが、お父さんが参加した選挙では1度も経験したことがない。だから自分の1票に影響力があるとは思っていない。 話題になっていても、予想される候補がダントツで当選すると予想される選挙で投票率が低いのは、おそらくほとんどの人が1票の重さというのを感じていないからだと思う。自分が投票しようがしまいが結果は変わらないと思っているからだ。 もちろん投票したい人がいないということもあるだろうが、お父さんはそういう時には白票を入れている。 1票の集まりが、万を超す投票結果につながることは理解できるが、自分の1票の重さを言われても実感することは一生ないだろうと思う。政治に参加している意識が強い人は何も言わなくても投票するだろうし、自分の1票がなくても結果に影響はないと感じる人は選挙よりも日曜日の予定を優先する。1票の重さを実感できる選挙制度は作れるのだろうかと考えてみても、良い案は浮かばない。まあそんなものがあったらとっくに実施されていることだろう。 余談ではあるが、政党が人気のある芸能人を候補(特に比例区)にするのは、ファンが投票してくれることを期待しているのだろうが、そういう政治以外の人気を利用することに嫌悪感を持つ人の表は離れていくだろうと思う。プラスとマイナスで、それでもプラスの方が多いというデータがあるのだろうかと不思議に思う。あるのなら一度見てみたいと思うのはお父さんだけだろうか。
2024.07.11
コメント(0)
工業用の機械や電化製品というのは必ずメンテナンスが必要である。それに比べると家庭用電化製品というのはメンテナンスというものを極力やらなくて済むように設計されている。そのためかなりずぼらな人がメンテナンスをしないで使用していても、問題なく使用できることも多い。 しかしながら、取扱説明書を読めばわかることだが、メンテナンスを全くしなくてよい電化製品は少ない。基本的にはある程度の定期的なメンテナンスをしないと、故障の原因になったり性能を発揮できなくなってしまう。 ところが我が家のお母さんを見ていると、電化製品にメンテナンスが必要という意識を感じない。もちろんフードプロセッサーをきちんと洗うとかそういうことは出来るのだが、性能を維持するための定期的な確認や調整・掃除というのができないのだ。 例えばエアコンは、定期的にフィルターの掃除をしなければならない。これをしないとフィルターに詰まったほこりなどのせいで風量がきちんと出なかったり、モーターに負荷もかかるので故障の原因になる。 だがお母さんの場合、フィルターがどこにあるのかすらわからないし、下手に外すと元に戻すことができない。長期でお父さんが出張に出ている間にお母さんがエアコンのフィルターを掃除したことは一度もない。 先日炊飯器の調子が悪いと言われて確認したら、内蓋のゴムパッキンが切れていた。これでは正常な圧力を保つことができないし、上記が横へ漏れてしまう。たまにおこげができるというのは、ここから蒸気が漏れてしまうので水分不足になってし待っていたのだろう。パッキンを交換できないか調べたが、内蓋まるごと交換するパーツしかネットでは見つけることができなかった。 パソコンにしても、お母さんが使うとデスクトップ上にファイルが山ほどあるので、パフォーマンスが悪い。定期的なクリーニングなどもやっていないので、動作がどんどん重くなっていく。詳しい人から「メモリが足りないのでは」と言われたと言ってくるのだが、メンテナンスをしないからという可能性が非常に高い。 掃除機、IHヒーター、トイレの便座など様々な電化製品のメンテをお母さんがしないので、お父さんが気を抜くとよく問題が発生する。 メカ音痴と一言で片づけられない我が家の問題である。電池交換や電球交換も子供達を含めて何度説明してもきちんとやることができない。子供ができないのを理由に、普通にやってしまうお父さんがおかしいのだとお母さんに言われることがあるが、他の家庭ではどうしているのだろうか。 そもそもお母さんは、構造をみて理解し、それに対応するということができない。だから本当にちょっとしたことですら対応ができずに不便な思いをしている。お父さんから見るとお母さんのほうが不思議な人なのだが、いったいどちらの言い分が正しいのだろうか。 お母さんの場合はお父さんがなんだかんだと対応するので良いのだが、子供達は将来どうするのかと不安になる。
2024.07.10
コメント(0)
以前のブログに書いたが、今年の春、お父さんは芝生に除草剤を撒いてしまった。毎年「芝生用除草剤」を撒いていたのだが、今年は間違えて通常のすべての草を枯らしてしまう除草剤を撒いてしまったのだ。しかも顆粒タイプで効果が最大6か月というお高い除草剤を撒いた。 芝が青くなり始める前にベトナムへ行ってしまったので、状態を確認できなかったのだが、帰国して庭を見てやはり落ち込んでしまった。ほとんどの芝が昨年の秋に枯れたままの状態になっており、ところどころ島のように芝が生えている状態だ。 当初の計画では今年は放っておいて、来年植え替え等をやろうと考えていたが、あまりに無残な芝の状態を見て耐えられなくなってしまった。 帰国して1週間、庭の様子を見ながら少し考えて、一部を芝から防草土に切り替え、それ以外の枯れた芝は張り直すことに決めた。ネットで業者に頼んだ場合いくらぐらいかかるか検索したが、200万円ぐらいはかかりそうだという結論に達した。そんなお金はどこにもない。 それでも芝をそのままには出来ないので、芝や土、その他の材料を自分で購入して自分で作業をすることに決めた。まだすべてが届いてはいないが、購入したモノの総額は約20万円になっている。 先日ホームセンターで購入した防草土は、ネットで購入するより高かったのだが、実物の処理をしたサンプルを見て購入を決めた。防草土にもいろいろ種類があり、安いモノから高いものまでメリットやデメリットがあると勉強したので、値段だけで決めるのをあきらめた。大体ネットのクチコミは良いという意見と悪いという意見が必ずと言っていいほどあるので、口コミ評価だけでは決められない。こういう時はやはり実店舗で確認する方が失敗する確率は小さくできるだろうと思う。 お母さんと次女を連れて週末にホームセンターに行き、置いてある防草土を買い占めて帰ってきた。きちんと施工できるかはわからないが、まあダメだったらまた考えようと思う。それよりも一人での作業は難しい部分があるので、どうやってお母さんや子供達に手伝わせようか思案中である。 ホームセンターでトラックを借りて土などを運んだのだが、家にトラックをつけてアオリ(トラックの荷台を囲んでいる壁になっている部分)を外すように息子に言ったのだが、構造が理解できないようで、まるで役にたたなかった。 次にお母さんが挑戦したのだが、息子と同じくアオリを外すことができなかった。次女が「私がやる」と言って手を出してきたので、どうせ無理だろうと眺めていたら、実に的確にアオリを外してしまった。 お母さんが驚いて、どうしてできるのか問いかけたら、積み込みの時のホームセンターの人の作業を見ていたからだという。お母さんも一緒に見ていたし、これまでにお母さんも息子も軽トラで積んできた荷下ろしの時にお父さんがアオリを外すのを何度も見ているのにできるようになってはいない。 それを一番年下の次女があっさりとやってのけてしまった。勉強では上の二人に遠く及ばないのに不思議なものだと感じてしまった。 ちなみにアオリを戻すときも、お母さんも息子もできなかった。これも次女が嬉しそうに、こうやるんだよと説明しながらやってくれた。次女の才能を見直してしまう出来事だった。今は勉強で苦労しているが、社会人になったら次女が一番稼ぐようになるかもしれない。 これから1か月ぐらいかけて芝の貼り換えをするつもりだが、うまくいくか心配している。さらに昨年の暑さがやってきたら作業を続けられる自信がない。今は梅雨に入っているので、週末雨が降らないことを祈りたい。できればクモリで涼しい日に作業をしたいが、こういう時に限って週末だけ雨ということが多々あるので、心配している。 除草剤を間違って撒いたというミスが、金額的にも労力的にも日程的にもこの夏我が家の生活に大きな影響を与えている。
2024.07.09
コメント(0)
お父さんの好きなNHKの番組に「魔改造の夜」というのがある。毎回3つの団体が、市販されているおもちゃを改造して、決められたゲームで競い合うという内容の番組だ。内容の発表から本番まで期限が短いこと、改造費が少なく創意工夫が必要なことなど挑戦するチームは大変なのだが、見ていてとても面白い。 お父さんは学生時代、エンジニアになると決めた後に一番つきたい職業はおもちゃの開発だった。ソフト系のゲーム開発ではなく、物理的なおもちゃだ。おもちゃというのは目的が人間(主に子供)を楽しませることであり、世の役にたつとか家事が楽になるというような崇高な目的を気にしないで済む。 どれだけバカなことをして、どれだけ子供を楽しませるかという発想は、あまり頭の良い人にはできないと、劣等エンジニアのお父さんは考えていた。 昔から人を驚かすというかからかうというか、とにかく笑わせることが好きだった。おもちゃの一番の評価は、親が「くだらない」と思うのに子供が「面白い」と思うものだとお父さんは思っている。 人生において全く役にたたないけれど面白いモノを作ってみたかった。 現在はエンジニアとして、世の役に立つ機能をもつ部品を作っているが、魔改造の夜という番組は、お父さんの夢に実際に取り組んでいるような番組である。大手企業、中小企業、学生の3チームで競い合うのが基本だが、どのチームも極めて真剣に、本気でバカなゲームでトップを目指して取り組んでいる。 負ければ、もしくは予定通りに動かなければ涙を流して悔しがる姿もとても良い。実際に予定通りの結果を出せるチームはなかなかいない。 お父さんはこの番組を見ながら、自分だったらこういう改造をしてみたいとか考えるのが大好きである。また各チームの仕様を見て、このチームが勝つのではないかと予想するのもとても楽しい。 お父さんはこの楽しさを子供とも共有したいと思っていたが、我が家の子供達はエンジニアにまるで興味がないまま成長してしまった。上の二人は理系に進んだが、どちらも生物系で工学には興味がないという。これは好みなので仕方がないが、生物系は命を扱うことが多く、倫理的な問題や安全の問題で工学系より制約が多い上に成果を出すのに時間がかかる。 その点エンジニアは魔改造の夜の様に、あらゆるアイデアをそれほど倫理的な制約なく実現することが可能だ。狙った結果を出すのは苦労があるが、生物を扱うより自由度が高い。会社の仕事でもそうなのだが、教科書にないようなことを考えて実現するのがエンジニアの楽しみの一つである。 子供が3人もいるのだから一人ぐらいお父さんの影響を受けてエンジニアになってくれれば、親子でバカができると思っていたのに実に残念である。
2024.07.08
コメント(0)
先日父親が転んで怪我をした。もう83歳になるので、ちょっとしたアクシデントが大けがになるとは想定していたが、実際に現実になるとやはり大変だということを思い知らされた。 木曜日の朝に連絡があり、転んで手を切ったので知人に病院に連れて行ってもらうと連絡があった。神棚のお酒を交換しようとして転び、酒の徳利を持ったまま手をついたので、徳利が割れて手を切ったようだった。 とりあえず状況は理解したが、その時はまだせいぜい何針か縫って終わりだろうと思っていた。 ところが昼前に、病院に連れて行ってくれた知人から電話があり、現在の病院では処置が不完全なので、大病院に搬送して手術するとのことだった。どうやら救急車で大病院に搬送することになったらしい。手術の同意などが必要なので、身内に病院まで来てほしいと言われて、急遽お父さんが病院まで駆けつけることになった。 病院に行くと、父親を連れてきてくれた人に事情を聴いたが、医者からキズが深くて動脈を損傷している疑いが強いので、大病院で手術することになったとのことだった。とりあえずお礼を言って、付き添いを含めてそこからはお父さんが父親の代理人になった。 病院に着いたのは11時半ぐらいだったが、そこから1時間ほど、いろいろな人に呼び出されては、説明を聞いたり様々な書類にサインをしたりして大変だった。手術前の父親に会ったのは12時半ぐらいだった。 5分ほど話をしてすぐに父親は手術室に運ばれて行った。全身麻酔で手術をするので、何かあった場合の同意人として、お父さんはずっと待たされ続けた。 15時過ぎに、手術が終わったのでと病室に呼ばれたが、病室に入る前にもまたいくつかの書類を書かなくてはならず、疲れ果ててしまった。 父親は手術をするようなけがで疲れ切っていたが、お父さんもいきなりの呼び出しから数時間の待機でへとへとになっていた。そこからさらに手術の結果説明やら入院手続やらをずっとやらされて、脳が飽和状態で病院を出た。まだ下着や洗面道具などの入院グッズを準備していない。 お父さんは兄に電話をして、ここから先は兄に対応してもらうことにして会社に戻った。必要なモノをメモしていたので、電話でメモの内容を伝えてすべて兄がもっていってくれることになったので安心していた。 しかしながら翌日さっそく父親から電話があり、下着がないから持ってきてくれという。下着は兄がもっていったはずだと伝えても、受け取っていないとしか言わない。仕方がないので兄に電話して確認したところ、確実に持っていったとのことで、下着を入れた袋の説明から、どこに置いたかまで教えてもらった。再び父親に電話をしたら、「あった、しまったのを忘れていた」と自分が探し出したのが偉いような言い草で言われた。 さらに飲んでいる糖尿の薬を担当医から「入院中は飲まないように」と言われたと憤っていた。外科の医者が内科の薬などわかるはずがないから自己判断で飲んでいると偉そうに言っていたが、もう何も言う気にならなかった。医者がすべての診療科の勉強をしていることや、薬の内容を調べて総合的に判断しているのはお父さんにとって自明なのだが、父親は自己判断のほうが正しいと思い込んでいる。ただ最終的に看護士に同じような内容を話したらしく、薬は没収されたらしい。 数日で退院して、後遺症も残らないようで安心しているが、老人の介護とは健常だと判断された老人ですら大変である。将来両親がもっと老いた時を考えると怖くなるし、自分が数十年後に同じ状態になることを考えると、長生きがいいことなのかわからなくなる。 「最近の若者は」というのは、年配者の常套句であるが、これからは「これだから年寄りは」の方が、一般人の常套句として多くなるのではないかと思う。
2024.07.07
コメント(0)
社会正義(ポリティカルコレクトネス)というのは、すでに令和の世の中では無視できない重要なものになっている。人権などの解釈が過度に尊重されすぎている状態だとお父さんは思っているが、世の中はまだまだこの熱狂を続けるつもりのようだ。生きにくい世の中はまだまだ続いていくことだろう。 正義というのは、「絶対不変の正しい真理」ではない。これまでこのブログで似たような話を書いてきたと思うが、時代、状況、思想など様々な要因によっていくらでも正義は存在するし、ある人の正義はある人にとっては悪というのも当たり前に存在する。 ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの戦闘においても、どちらもそれなりに言い分があり、どちらも自分たちが正義の執行者だと宣言している。 なので、自分の考えている正義が相手に通用も理解もされないのは別に不思議なことではない。この正義を共通のモノにするためには、思想教育や扇動の様に多数の同意を得るために強制もしくは宣伝により大衆化を図る必要がある。 前者の強制的な思想教育は北朝鮮や共産主義国・独裁国などで行われているモノで、後者の大衆扇動は先進国で行われているやり方である。 よくこのブログにも書いているが、お父さんは独裁でも王政でも民主主義など統治の種類であって、どれが正しいとも思わないし、どれが間違っているとも思っていない。国民が納得して幸せであれば、下手な民主主義より独裁の方が良い場合もあるだろう。まあ基本的に独裁は徐々に腐敗してダメになるからイメージが悪いのも理解はできる。 政治で独裁を許さない国民が、もっと身近な会社や家庭で独裁を許しているのを考えると、政治的な思想は、やはり扇動されて出来上がったものと言ってよいのではないのだろうか。 この身近で考えるということが、意外と人間は出来ない。理屈に合わない方便で、家庭や会社で理不尽な思いをしている人はいくらでもいるのだが、「人権が」まじめに言う人は少ないだろう。ただ最近家庭はともかく会社組織ではいろいろある。 ミスを上司に怒られることも、上司にとっては正統な行為であり正義はあると思っているが、今の世の中では怒られた方が嫌な気持ちになったらパワハラになりかねない。人権や人の気持ちを尊重するのが最も重要と考えるなら、怒られて不快になり上司や会社を訴えるのも正義である。 正義と正義がぶつかり合ったとき、戦争ならば勝った方が正義になるのは昔からだが、ハラスメントなどは、弱者と考えられる方の正義が正しいとされる世の中になっている。 今はいろいろと過度期であるが、この過度期はもう少し続いていくだろう。極端な例が続いていくことで、「やっぱりおかしいのでは?」と多くの人が思い始めた時に、徐々に揺り戻しがきて、また社会正義の在り方が変わっていくのだと思う。
2024.07.06
コメント(0)
キラキラネームとかドキュンネームと言われるような、読めない名前の人が増えている。子供達の学校のクラス名簿などを見ても、半分以上の名前を一発で読めなくなっている。我が家の子供達は、読めない名前にしないというのがモットーだったので、名前を読んでもらえないということはほとんどない。息子だけ、たまに間違えられることがあるようだが、逆にそんな読み方をするのかというような間違えられ方なので、最近の名づけの影響のせいだと思っている。 さて、今回書きたいのは人間の名前ではなくお店の名前である。お父さんがよく言っている安い床屋にプラージュというお店がある。お父さんはこのお店の名前を覚えることができず、フロマージュと言い間違えてよくお母さんに馬鹿にされている。 先日も帰国して床屋に行こうとして言い間違えたら、いい加減に覚えろと怒られてしまった。しかしながら、プラージュもフロマージュもお父さんは意味を知らない。英語ならば意味を含めて覚えられるのだが、意味の分からない言葉を覚えるのはなかなかに難しい。 とりあえず調べてみたら、プラージュとはフランス語で海辺とか海岸の事らしい。床屋と何の関係があるのかわからないので、また忘れてしまいそうである。間違えていたフロマージュという言葉は、お母さんからチーズケーキの名前だと言われたが、調べてみるとこちらもフランス語でチーズの事らしい。モッツアレラとかパルメザンと違いチーズ全体を表すフランス語らしい。 若い頃は、意味のない言葉でもスッと頭に入ってきて簡単に覚えることができたが、歳をとるにしたがって、それができなくなってきている。 よく祖父母が孫の名前を間違えるという現象を見るが、これも歳をとると普段会わない孫の名前を覚えられないのだろうと思う。再度教えられれば「ああそうだった」とはなるが、名前も意味のない言葉の一つである。 とりあえず、お父さんとしてはお店の名前に知らない言語を使わないでほしいと思うのだが、これは老いた人間のわがままなのだろう。考えてみれば、英語ならわかるというのはお父さんが英語を知っているからであり、英語が苦手な人は英語の店名でも覚えるのが大変なのかもしれない。 海外で日本語を取り入れた店名を見ることが最近増えているが、アルファベットで書かれると、その語源が日本語だとすぐに理解できない。日本人が、フランス語も知らないのにフランス語で店名をつけるように、日本語を知らない外国人が日本語を使ってつけているので、日本人のお父さんにとっては結構な違和感がある。 フランス人が見たら床屋に「海岸」という名前がついているのをみて、やはり違和感を覚えるのではないだろうか。海外でお父さんが床屋の名前に「海岸」と書いてあったら、何故?と思うだろう。 店の名前は、意味と雰囲気があっているものにしてもらいたいものである。それがたとえ外国語であったとしても。
2024.07.05
コメント(0)
先日ベトナムからマレーシアに出張に行った。ベトナムも今は夏、マレーシアは熱帯で年中暑い地域である。出張前に同僚とワイシャツを半そでにするか長袖にするかで悩んだ。通常ビジネスにおいて、出張時は季節を問わずに長袖のワイシャツを着るのがマナーである。しかしながら、現在ではネクタイの着用も出張レベルでは「不要」となっており、お父さんの会社にくるお客さんも上着なし、ネクタイ無、半そでワイシャツという人も珍しくなくなっている。 取引先の社長と面会予定だったので、さすがに上着とネクタイは着用予定だったら、ワイシャツは半そででよいのではということで、半そでワイシャツで行くことにした。ところが、お父さんのベトナムのクロークに、出張時に着るにはちょっとくたびれているなという半そでワイシャツしかなかった。 もちろんそのワイシャツで訪問したとしても、特に相手が「ひどいワイシャツで来た」とは思われないレベルではあったのだが、いい機会だからマレーシアで半そでワイシャツを購入しようと思っていた。 幸いなことに、マレーシアへの移動は夜、ホテルに泊まって相手先の会社訪問は翌日の午後だったので、午前中に時間がとれる予定だった。マレーシアでのホテルはブキビンタンという繁華街に近い場所だったので、どこでも購入できるだろうと考えていた。 当日の朝、確実にあるだろうとKLCCというマレーシアのツインタワーに入っているショッピングモールまで半そでワイシャツを買いに行った。 ここは伊勢丹が入っていて、他にも様々なショップがあるので、高いか安いかの問題だけで、半そでシャツは普通に変えると考えていた。 モールに入ってすぐに見つけたユニクロをまずは探してみた。日本でも普通にワイシャツを売っているというイメージだったので、値段を見ようぐらいの感覚だったのだが、半そでのワイシャツがなかった。長袖はいろいろと種類があったが、半そではビジネス用のモノが一つもおいていなかった。まあユニクロは私服がメインだからと思い、伊勢丹の紳士服売り場に足を運んだ。そして、そこにも半そでのワイシャツが無いことを確認して驚いてしまった。 モールの中にいる人や、街を歩いている人を見ても、それなりの割合で半そでのワイシャツを着ている人はいたのだが、半そでのワイシャツを見つけることができないのだ。ベトナムでは街中に「ワイシャツ屋」があって、今着ているモノはそこで購入したのだが、そういう類の店を見つけることができなかった。 結局購入をあきらめて、少しよれよれのワイシャツで会社訪問をしたのだが、半そでのワイシャツを購入できなかったことにかなり驚いた。日本で冬に半そでワイシャツを探そうとすれば、なかなか見つけられないのは理解できる。そんな時期に売れるものではないからだ。しかしながら熱帯にあるマレーシアで半そでワイシャツが見つけられないとは全く思っていなかった。いまだにどういう理由なのかよくわからない。やはりビジネス用は長袖がワイシャツのスタンダードなのだろうとしか思えなかった。 日本帰国が迫っていたので、日本に戻って半そでのワイシャツを購入し、次回ベトナム出張の際に持っていくつもりでいるが、日本からも半そでワイシャツが無くなっているのではないかと少し不安に思う出来事だった。
2024.07.04
コメント(0)
最近、お父さんはベトナムに駐在中の週末の過ごし方が変化している。以前はゴルフなどを積極的にやっていたのだが、最近はゴルフをする同僚がいなくなってしまったので、ゴルフに行くことがかなり少なくなってしまった。 そのため週末はハノイにでて日本食を食べるのが、基本的な行動になってしまっている。土曜日の昼食、夕食、日曜日の昼食を同僚たちと日本食レストランで一緒に食べることが多い。 月4回週末があり、3回和食を食べるとすると、1か月で12回の外食をする計算になる。しかしながら、美味しい和食レストランがハノイに大量にあるわけでは無いので、どちらかというと3~4軒のレストランをローテーションで回していく感じである。場合によっては2日連続で同じレストランということもある。 先日、たまには違うところで食べようということで、行ったことのない高級焼肉屋に行くことになった。そこの厚切り牛タンがとても美味しいと聞いていたので、それを目当てにして店には行った。人気メニューで売り切れることが多いと聞いていたので、店が開く午前11時に入店した。 メニューを見るとやはり値段はかなり高かった。オーダーを取りに来た店員さんに、どれぐらいの量なのか聞いてみたら、1人前(1皿)に2枚の厚切り牛タンがはいっているという。お父さんたちの人数は4人だった。1人前でも高いと思ったのだが、2枚では4人で食べられないので、2人前で4枚(一人1枚の計算)を注文した。 牛タンだけでは寂しいので、カルビやハラミなども注文して肉が運ばれてくるのを待っていた。 一番最初に目当ての厚切り牛タンが出てきたのだが、皿をみて驚いてしまった。厚切り牛タンだけあって、確かに厚い(1cmぐらい)のだが、それよりも1枚が大きいのだ。小さなステーキぐらいはある。そして牛タンは短冊の様に切られていて、4人で1皿を食べれば十分なぐらいの量があった。これは値段が高いのも頷ける話である。 初めての店なので加減がわからず、そのあとの肉も予想以上に量が多かった。値段が高いので残すのももったいなく、後半は肉を焼いては口に放り込むことに必死で、美味しいとか感じる暇もなかった。しばらく肉は見たくないと思うぐらいお腹がパンパンになっていた。 そして支払いもかなりの金額になってしまった。次に行くときは、もっと抑えて注文することになるだろうが、お父さんたちの性格からして、すでにその店は高いという印象になってしまったので、今後半年は行くことがないだろうと思う。味は良かったので2度と行かないということはないだろうが、初めての店というのはいろいろと思いがけない失敗がある。
2024.07.03
コメント(0)
北京ダックという食べ物がある。中華料理の中でも高級とされる料理の一つだ。アヒルをローストしたモノの、皮だけをはがしてネギやキュウリと一緒に小麦の皮で包み、甘めの味噌と一緒に食べる。まあ詳しく解説しなくても見たことのある人は多いだろう。高級料理なので、日本でも海外でも量のわりに値段は高い。そしてお父さんはこの北京ダックを美味しいと思ったことはない。 お父さんにとって中華料理というのは大好きな料理ジャンルの一つである。特に大衆向けの中華料理は見た目も味も香りも最高だと感じるものが多々ある。台湾や中国に出張に行って食べる中華料理は、美味しいモノがたくさんあるので、この地域への出張は食事を楽しみにきつい仕事を我慢できるという思いさえある。 だが北京ダックは何度食べても美味しいと思えない。そもそもアヒルの皮だけでなく、ネギやキュウリ、それに味噌を加えて皮で包む。全体の中のアヒルの皮の割合は多くて20%ぐらいである。食べた時にアヒルの皮のパリパリした感触はわかるが、味まではわからない。というより味噌の味と風味しかお父さんには感じられない。 食通と言われる人は、この美味しさがわかるのかもしれないが、一般の日本人がこれを美味しいと思い、好んで食べるとはどうしても思えない。中国人なら美味しいと思うのかもしれないが、真相はわからない。 広東省に、アヒルではなく豚の皮だけを食べる料理がある。これも食べ方はほぼ北京ダックと同様である。川は北京ダックよりもカリカリになっていて、サクサクと食感以外の風味や味はほとんど感じることができない。 料理の名前は知らないが、これも高級料理の一つである。誰かに昔聞いたことがあるが、位の高い人は皮を食べ、残った肉は庶民が食べるものだと言っていた。であるならば、お父さんは庶民として肉の方を食べたいと切に願ってしまう。 日本にも珍味で高級とされる食べ物はいくつかあるが、例えばこのわた(ナマコの内臓)とかアワビのキモなど美味しいとはあまり思わない。しょっぱいとか苦いとかいう否定的な印象の方が強い。 誰かが勝手にこれは高級な料理で、この味がわかるやつが食通だとでも決めたのではないかと思うほど、庶民のお父さんには良さがわからない。 王様にでも生まれ変わったら、高級料理の美味しさが理解できるのだろうか。先日マレーシアで北京ダックを食べながら、考えていた。
2024.07.02
コメント(0)
日本に帰国したら、さっそくいろいろと出かけようと思っていたのだが、いきなり出鼻をくじかれてしまった。高校生の息子も中学生の次女もどちらもテスト期間に突入してしまった。週末に勉強をしているわけでは無いのだが、父親として遊びに連れ出すわけにはいかない。まったく世の中うまくいかないものである。 それにしても我が家の子供達は勉強をしないと、今回本当に感心してしまった。お父さんもそれほどきちんとやっていたわけでは無いが、テスト期間の週末は夜中に勉強をして、日中眠るぐらいには勉強していた。 ただし、部活停止になる期間はそれほど勉強していない。なぜなら、この期間は今まで気にもならなかったことが気になる期間だからだ。 買って放置していた小説が無性に読みたくなり、読みだしたら止まらなくなって最後まで読んでしまうとか、普段は親が見ているテレビなど一緒に見たりしないのに、妙に面白く感じて遅くまで一緒に見てしまったりと、勉強以外のことがとても面白く感じてしまうのだ。 我が家の子供達も、もれなくこの罠にはまっているようだ。今はスマホがあるせいで、息子はいつもよりもスマホを見ている時間が長いとお母さんが嘆いていた。 そういえば、テスト期間中にお父さんが最も無駄に労力を使っていたことがあることを思い出した。それは部屋の掃除である。机の上の片付けから始まって、気がついたら部屋中を掃除し、要らないものの整理まで始めてしまう。極めつけは家具のレイアウト変更(模様替え)まで進んでしまうことがよくあった。 テスト期間中というのは、本当に不思議なモノで、怒られてもやらなかった部屋の片づけなどがとても面白くできるというか、気合が入る。 よほど勉強が嫌だったのだろうと今でも思うことがある。子供が独立してしまえば、思い出すこともなくなるかもしれないが、同じことをしている子供が我が家にいる限りはまだまだ思い出す機会は多いだろう。 息子も娘も学校の成績が良い方ではない。お金を払って塾にも行かせているがあまり効果は無いようである。効果がないならやめさせてしまおうと何度も思ったが、やっていてこの成績ならやめたらどうなってしまうのかと思うとやめさせることもできなかった。 話がそれたが、テスト期間中に勉強以外に熱中するというのはお母さんにはなかったらしい。ただそれはお母さんが特殊なのだとお父さんは思っている。大学生の頃、こういうテスト期間中のあるある話はお互いによく話したことがある。 若い時は自分のための勉強というよりも、何となくやらされている感覚が強い。まあお父さんは未だに資格試験など一夜漬けで対応したりするので、本質は変わらないのだろう。子供達を怒りつつも、勉強などしないことはわかっている。
2024.07.01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1