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日本のテレビを見ていると、本当に食に関する話題や特集が多い。ここ十数年、芸能人が町を歩いてお店を紹介するような形式も定着している。その為、紹介されて客が殺到しても対応できないようなお店までが出演して大変な騒ぎになることがある。 観光地の店なら喜ばしいことだろうが、地元の人が通う店だと客側視点だと迷惑この上ない。 さてこの夏もテレビではいろいろな店の特集をやっているのを観た。そんな中に湘南の生シラス丼が出てきた。お父さんが学生のころ、つまりは30年ほど前は、生シラスというのは世の中にあまり認知されていない食べ物だったと思う。 お父さんは祖父方の家系が漁師だったこともあり、祖父の家に行くと生シラスが出てくることがよくあったので知っていたが、大学で関東に出て生シラスという話をしても誰も知らなかった。 ちなみに今の時代に生シラスと言えば、神奈川や静岡のモノがよく紹介されているが、これは観光と抱き合わせになっているからだと思う。東海地方なら愛知でも三重でもシラス漁は行われているので、当然生シラスも食すことができる。 そして子供のころから生シラスを食べているお父さんからすれば、生シラスは丼にして食べるようなものではない。1人前だったら小皿に乗るぐらいの量を、ショウガ醤油でちまちま食べるものである。丼にしてご飯とかきこんで食べた記憶もそのように食べている人を見た記憶もない。 生シラスはおいしいのだが、魚の臭みというか青魚の稚魚らしく鉄のような金属っぽい風味が強い。テレビで紹介されたのを観て、初めて注文した人には「おいしくない」と感じる人も多いのではないだろうか。見た目の為だけだとお父さんは思っているが、生卵が載っている生シラス丼などさらにシラス独特の風味を乱していくと思う。お父さんは食べる気がしない。 またもし暖かいご飯に生シラスをのせているなら、暴挙と言っていいと思う。シラスは小さいのですぐに熱によって火が通ってしまうだろう。子供のころ、釜揚げシラスを近所の漁師が作っているのをよく見ていたが、沸いたお湯に生のシラスを入れるとすぐにお湯から出してしまう。ゆっくりゆでていたらシラスの身が崩れてボロボロになるからである。 ゆでるというより湯通ししているというのが正しいのではないだろうか。 ちなみにお父さんはこの釜揚げシラスの茹でたてが大好きであった。まだホカホカの真白なシラスをつまんで食べる美味しさは、漁師にしかわからないだろうと思う。お母さんと結婚したころ、この美味しさを味わってもらおうとゆでたての釜揚げシラスを探したが、親類を含めてつてのある漁師が見つからなかった。 お父さんにとっては2度と食べられない幻の食材んなっているのかもしれない。 さて、生シラスだが観光地でない限り丼で提供する店は少ないだろう。ただ食べたことのない人は愛知や三重の海辺で食べることをお勧めする。数千円で丼を観光地で食べるよりもコストパフォーマンスもおいしさもそちらの方が上だと思う。
2025.08.31
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高校生の頃、お父さんは土曜日の昼を部活仲間と外食していた。今は土曜日も学校はお休みだが、お父さんの頃は土曜日は半ドンと言って午前中は授業があった。昼で授業が終わるので、学校を出て食事をしても特に問題はなく、食後に戻ってきて部活動をしていた。 何軒かなじみの食堂があったのだが、その中に餃子専門店というのがあった。メニューは大・中・小の餃子だけ。餃子の数がそれぞれに異なっていた。またライスも大・中・小と3種類あった。その為注文は「餃子の中とライス大」という注文の仕方だった。 味は濃い目でおいしかった。かなり味の素も使用されていると当時仲間とよく話していた。大学に進学して以来、その店を思い出すことはあったかもしれないが、一度も訪問することがなかった。ほとんど忘れていたと言ってもいいだろう。 ところが昨年だったか、テレビでその店が取り上げられたという情報が母親からもたらされた。そんな話をお母さんにしたら、一度食べてみたいと言われた。そしてそのままその会話すら忘れていた。 今年のお盆に実家に家族で帰省した時に、なぜか突然その餃子屋を思い出した。お盆期間中だからやっていないかもしれないと思いつつも、行ってみようと思った。ネットで場所を確認すると、お父さんが学生の頃と場所が異なっていた。街中の入り組んだところに紛れるようにあったはずなのに、駅に近いところに移動していた。 とりあえず家族を連れて車で出かけ、店の前を通ると暖簾が出ていた。やっていることに嬉しさを覚えたが、汚い小さな店だったのに3階建てのビルの1階に店があった。あのビルが全部餃子屋の所有物だとしたら、餃子だけでよく儲けたのだと感心するほど立派になっていた。 車を駐車場に止めて店に入ろうとして、入り口に貼ってある紙が目に入った。そこには「お盆期間中は持ち帰りのみ営業」と書いてあった。店で食べられないのは残念であるが、持ち帰って家で食べようと思っていると、さらにその下に貼ってある紙が目に入った。そこには「お盆期間中の持ち帰り予約の受付は終了しました」と書いてあった。結局30年以上ぶりの懐かしの餃子は食べることができないまま終わった。 テレビのせいなのかわからないが、お昼時に並ぶことはあってもそこまで人気のある店だとは思っていなかったが、とにかく今はとても人気があるようだ。お父さんの地元にある喫茶店もテレビで紹介されてから、地元の人がいけなくなるぐらい遠くから客がきて朝から行列を作っている。おそらくこの餃子屋も週末は遠隔地からの客が多くなっているのだと思う。 テレビなどで紹介されるたびに、地元の人でにぎわっていた店に行けなくなってしまうのは悲しいことである。まあそれでも客が来なくて閉店してしまうよりは良いことだと思うことにしている。 お父さんの住む町の駅前商店街はほぼシャッター通りとなって店が次々と閉店もしくは撤退していく。とても寂しいことである。
2025.08.30
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先日次女の行政手続きで、戸籍謄本をとらなくてはならなくなった。お母さんがマイナンバーカードを使えばコンビニで戸籍謄本をとることができると言うので調べてみたら、マイナンバーの暗証番号が必要だと書いてあった。 お父さんは数年前にマイナンバーを作っていたのだが、暗証番号というのを設定した記憶が全くなかった。お母さんも次女も自分のマイナンバーカードの暗証番号は覚えているというので、おそらくお父さんも暗証番号の設定はしてあるのだと思う。 暗証番号をアプリなどで検索してみたが、残念ながら登録していなかった。こういう場合は市役所の窓口で再度暗証番号を設定しなくてはならないことが分かったので、市役所に出かけた。 市役所の窓口では普通に暗証番号の再設定ができたのだが、驚いたことに4つの項目について暗証番号がそれぞれ設定できるようになっていた。3つは4桁の数字、一つは英字と数字の混じったものだった。 役所の人に、数字4桁は3つとも同じで構わないと言われたので、いちいち覚えるのも面倒だから、同じに設定した。お母さんも次女も暗証番号は1個しか覚えていないようなので、彼女たちも同じ番号を設定しているのだろうと思う。 それにしてもマイナンバーカードはかなり重要なIDカードなので、暗証番号を設定しているのなら、お父さんの通常の行動としてはきちんと保管しておくのだが、どうして今回見つからなかったのか不思議である。大事すぎて記憶するにとどめるだけにしたのかもしれない。そう考えると当時の自分は相当愚かだったと思う。 月に数回程度利用する暗証番号なら覚えていることもできるだろうが、カードを作ってから今回まで一度も暗証番号を入力する機会はなかった。そうとも知らずに適当に番号を決めて覚えておくだけにしたのだと思う。 いくつか候補はあったのだが、3回間違えるとカードがロックされてしまい、再び市役所に行って手続きする必要があると知った。どのみち市役所に行くことになるのなら最初から行くことにしたのだ。 市役所を出て、コンビニで戸籍謄本をコンビニ取得するための登録手続きというのをやった。これをやると5営業日以内に、コンビニで戸籍謄本が取得できるようになるという。その場で発行はできないとのことだった。戸籍謄本を郵送で市役所に依頼すると10日以上かかるということで、お父さんの本籍地の市役所はコンビニでの取得を勧めているようだった。 結局戸籍謄本が必要だという話は勘違いで、実際は不要とわかったので、戸籍をコンビニで発行するのは無しになった。次回からは登録してあるのですぐに取れるらしいが、その時また暗証番号を忘れないか心配である。一応メモしてあるが、どこにメモしたか迄きちんと覚えている可能性は低いかもしれない。 ちなみに本人が所持しているマイナンバーカードと暗証番号があるのに、利用登録をして且つ登録が完了するまで戸籍が取れないというシステムの意味がよくわからない出来事だった。利用登録をするという行為が何故必要なのか、説明してもらいたいと思う。
2025.08.29
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お父さんの大好物の一つにウナギのかば焼きがある。ウナギを焼いているニオイを嗅いだだけでもうウナギが食べたくてたまらなくなる。ところがお父さんが住む地域には専門の鰻屋が存在しない。鰻屋などそこら中にある地域で生まれ育ったお父さんは、本当に驚いた。そもそも東北地方の田舎町ではウナギは買って食べるものではなく、捕まえて自宅で捌くものであったのが原因の一つであるらしい。皮で捕まえてすぐに捌くので、お父さんより年上の世代は「ウナギは泥臭くて美味しくない」という人が結構いる。 だがお父さんは最近よくウナギを食べている。ベトナム出張時にハノイでよく鰻屋に行くようになったからだ。お父さんが知る限りハノイには鰻屋が3店舗あるが、3店舗目に知った鰻屋が、ほとんど日本の鰻屋と変わらないうな丼を提供してくれるのだ。 お父さんの日本人の同僚もそこのウナギはおいしいと言ってくれるので、月に2回ぐらいハノイでウナギを食べている。 日本に戻ってくると、鰻屋がないのでネット通販でウナギを購入している。自分の好みの味に出会うまでにいろいろなウナギを購入したが、今はあるウナギ屋のウナギをリピートしている。家族もそこが一番おいしいと言っているので、これ以上のところを探すつもりはない。だがこの国産ウナギも値段は非常に高い。専門店で食べるよりは安いが、スーパーの国産ウナギよりは高価である。 今年の夏、家族を連れて帰省した時に、母親と家族の計6人で地元の有名な鰻屋に食べに行った。久しぶりの専門店でのウナギであった。お父さんは初めての店だったが母は何度か来たことがあって、美味しいと言っていた店である。 運ばれてきたウナギは見た目もおいしそうだったし、実際食べたら文句なくおいしいウナギであった。舌も胃も心も満足したが、6人で会計は3万円を超えた。懐には非常に厳しいウナギであった。 昔から中国産のウナギはスーパーで安く購入できるし、夏の土用丑が近づくとスーパーのウナギをおいしく食べる方法などがテレビで紹介されるが、お父さんは何度も中国に行っているので、安全性という面からどうしても中国産のウナギを食べようとは思えない。 きちんと管理しているとか、検査しているとか言われても、そもそも検査自体が疑わしいし、中国の魚の養殖場の不衛生さは見たことのない日本人には想像できないと思う。 しかしながらそんなお父さんも実は中国産のウナギを食べている。それもベトナムではなく日本で食べている。それがスシローなど回転寿司で出てくるウナギである。店で食べるときも普通にウナギを頼んでしまうし、持ち帰りで自宅で食べるときもよくウナギが入っている。 不思議なことにこういうときにはあまり抵抗感がない。ただ単にウナギの寿司として受け入れている。 寿司に「中国産」と書いてあったら頼まないし食べないかもしれないが、深く意識していない場合は食べてしまうので、お父さんの中国産ウナギへの不信感も実は気分の問題だけなのかもしれない。 中国産のウナギが本当に安全で問題ないものになってほしいと思うのだが、そうなるとおそらく国産と変わらない値段になるとお父さんは思っている。
2025.08.28
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テレビにリモコンがついているのは、今では当たり前のことである。というより、今リモコンがないテレビは使い物にならない。なぜなら電源のスイッチもチャンネルも音量もすべてのスイッチがテレビの前面に配置されていないからである。壁際に置いてあると、ちょっと目視できないような位置に一応ついてはいるのだが、そこを使ってテレビを操作しているのは、リモコンをなくした上で探すことも買いなおすこともしないような汚部屋の十人ぐらいではないだろうか。 お父さんが子供の頃に一般家庭にあったテレビは、いや少なくとも我が家にあったテレビは電源がそもそもつまみを引っ張って電源を入れる形式だった。そのつまみがそのまま音量調節のつまみにもなっていて、時計回りに回すと音量が大きくなる仕組みだったと記憶している。 チャンネルもダイヤル式でガチャガチャと大きなつまみを回してみたいチャンネルに合わせるものだった。さらに言うとVHFとUHFという2種類の電波があり、VHFは地方ではNHKとNHK教育だけで、民法はUHFという形式だった。UHFを見るには、まずダイヤルを「U」という位置に合わせた後、UHFのチューニングダイヤルを回してみたいチャンネルに合わせるという2段階方式だった。デジタル放送になった今ではやりたくてもできない複雑な合わせ方をしていた。考えてみれば、ラジオもFMとAMがあって、最初にどちらかを選択した後に、チューニングダイヤルで聴きたいラジオ局に合わせていた。 さて、お父さんの祖父は当時かなり裕福だったのだと思う。そのせいで電化製品などが一般家庭に比べると先進的だった。電話機はダイヤル式ではなくプッシュホン式であったし、クーラーがあったし、風呂はボイラー式でいつでもお湯が出る上にシャワーがついていた。平成生まれの子供たちにはこの文章の意味が分からないかもしれない。 そんな祖父の家で遊んでいた時に、電気屋が新しいテレビを持ってきたことがある。我が家のテレビよりも各段に画面の大きなテレビだった。設置が終わるまでの間、お父さんは邪魔だからと別の部屋に行かされて遊んでいた。 設置が終わると祖父に呼ばれて、テレビの説明を受けた。「このテレビは呪文で動く最新式のテレビである」と祖父は言った。 意味がよくわからなかったが、祖父に教えられた呪文を唱えるとテレビに電源が入った。お父さんはとても驚いた。電化製品がお父さんの呪文で動いたのだ。チャンネルを変える呪文や音量を調節する呪文を順番に祖父に教わって何度も試したが、テレビは呪文通りに動いてくれた。その時の興奮は今でも忘れられない。ものすごい未来に来たみたいに感動していた。1か月ぐらいは騙されていたと思う。それぐらいお父さんも純粋だった。 あの当時、リモコンで動くテレビなど本当に最先端の高級品だったと思う。祖父もリモコンテレビを買うまでは、ダイヤル式のガチャガチャといじるテレビを使っていた。寝る部屋にあったテレビのチャンネルを寝ながら帰るために、竹の棒を工作してもらい離れた位置からダイヤルを回せるようにしていた。 リモコンの存在に気が付いた後は、面白くて意味もなくリモコンを使ってテレビを操作していた。銀色の小さなリモコンで今のようにテレビに余計な機能がついていない時代である。リモコンもチャンネルと音量しかボタンがついていなかったが、本当に未来の電化製品であった。 40年以上前の出来事なのであるが、高々40年で世の中は本当に変わったなとしみじみ思う。あの時の祖父のところに今の液晶テレビを見せたらどれだけ驚くだろう。スマホなど人類が宇宙旅行する時代に出てくるような電化製品だとあの頃なら思うのではないだろうか。
2025.08.27
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先日そうめんの様々な食べ方をテレビで紹介していた。残暑が続く中そうめんを食べる人はまだまだいるのだが、もうそうめんは飽きたという人向けに新しい食べ方を紹介する企画の様だった。 イタリア風にしたり、たれを作って食べたりと確かに普通のそうめんとは異なる食べ方で、リポーターの人もおいしいとかすごいとかいう言葉を連呼していた。 ただお父さんはそれを見ていても試してみたいとか、食べてみたいとは全く思わなかった。イタリア風といっても単純に言えばスパゲッティがそうめんに変わっただけに見えるし、その他の料理も中華麺で存在するようなものが多かった。冷やし中華の麺をそうめんに変えたところで、新しい食べ方と言えるのか疑問ではある。 定番の食べ方というのは、そう簡単にそれを超える料理が作れるものではない。長い歴史の中で数多くの料理人がいろいろな食べ方、料理方法を試してきても残っている食べ方なのである。 昔あるマンガで、豆腐は江戸時代に食べ方を研究されつくしているという話があった。100種類以上の豆腐料理が載っている本があるらしい。それでも豆腐の基本的な食べ方は冷ややっこか湯豆腐が基本だろう。後は豆腐を具に使ったみそ汁ぐらいだろうか。 豆腐は味が薄いので何にでも合わせられるが、結局は定番の食べ方を越えられていないというのがお父さんの見解である。 そうめんもレストランなどでたまに違った食べ方をすれば美味しいとは思うだろう。お父さんもそういう場面で出てくる創作料理を否定するつもりはない。むしろ喜んで食べると思う。しかしながら上にも書いたように、自宅でそれを食べようとは思わない。やっぱり定番の麺つゆにつけて食べる方法が一番しっくりくると思っている。 もちろんテレビで紹介している人も、そうめんはこの食べ方の方がおいしいと言っているわけではない。いつものそうめんに飽きたらこういう食べ方もありますよと言っているだけである。 日本料理は歴史が長すぎて、定番を覆す食べ方をするよりは、新しい食材を探してきて提供する方がよほど楽に新作料理として世間に広まると思われる。
2025.08.26
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東北地方は今年完全な空梅雨であった。梅雨らしい雨が降らないまま、いつの間にか梅雨が明けていた。その時点で水不足がかなり心配されていたが、暑さが強まれば夕立というかゲリラ豪雨のようなもので雨が降る確率があったので、そこまで心配はしていなかった。 そもそもお父さんが東北に住んで20年、日本各地で水不足のニュースを何度も見たが、お父さんの住んでいる地域で水不足になることはなかった。 東北地方というのは、冬に水源となる山に雪が降る。その雪が春から徐々に溶けて川に流れ込んでくるので、水不足にはならないと地元の人に聞いていた。 今年の冬は雪が多くも少なくもなかったと思う。だからお父さんはそれほど水不足を気にしてはいなかった。ところが梅雨明けのゲリラ豪雨も夕立も全く来ない日が続いた。兼業農家の同僚が7月末には田んぼの水源が厳しい状況だと言い始めた。稲の花の咲く時期には田んぼに水を一杯入れないと収穫量が減るとのことだった。 8月に入るころには、行政から節水のお願いというのが毎日のように携帯に入るようになっていた。それがお盆明けの今でも続いている。同僚の兼業農家は基盤整備をして水源が確保できている田圃は何とかなっているらしいが、自然の沢などを水源にしている田圃はかなりやばい状況であると話すようになった。少なくともお父さんの住んでいる地域の今年の米の作柄は良いとは言えない状態になりそうである。 水不足で水を節約しなくてはならないのだが、まだ取水制限などにはなっていない。お父さんが住んでいる街中を流れる川も、今まで見たことがないぐらい川底が見えるようになった時期もあったが、何度か山の方で雨が降ったので少し水量が戻ってきている。それでも行政からの節水のお願いは続いている。 我が家は芝に砂を入れたことで、雨が降らないと芝が枯れやすい状態になっている。節水しなければと思いつつ、状態をみて芝に水を撒いている。お盆休みの最終日、家庭菜園に冬用の大根の種を畑にまいたこともあり、芽が出て根がしっかり春までこちらも水をまかなくてはならない。 その後毎日のように天気予報や雨雲レーダーを見ながら雨が降ることを期待しているが、我が家の上空にしっかりとした雨雲は来てくれない。先日豪雨の警戒情報が入ったので、期待して雨雲レーダーを見たのだが、1回は我が家を避けて通りすぎ、1回は我が家に到達する前に雨雲が消えてしまった。 畑の水撒きをするのは節水依頼に反するし、夕方とはいえまだまだ暑い。さらに蚊に刺されるという問題もある。先日帰宅してから水を撒いている間に、20か所以上蚊に刺されてしまった。10匹以上は気が付いて処理できたが、家に入ると蚊に刺された跡が腕を中印に足やお腹にまでできていた。 お父さんは蚊に刺されても翌日には跡が無くなるが、お母さんは蚊に刺されると1か月ぐらい跡が残ることがある人だ。お母さんの肌をきれいに保つためにも雨が降ってくれることを願っている。
2025.08.25
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お父さんは桃が大好きである。7月から8月前半の桃の季節には桃が食べたくてたまらなくなる。しかしながら最近の物価の高騰で桃も以前よりもかなり高価な果物になっている。以前はお母さんの学生時代の友人の実家が山梨で桃とブドウの農園をやっていたので、その農園から桃とブドウを購入していた。送られてくる桃もブドウも一番おいしい時期のモノなので、どれも大変美味しかった。 しかしながら、数年前に後継ぎがいないということで高齢化を理由に農園は閉演してしまったので、今では購入できなくなってしまった。 そんなわけでスーパーなどに陳列されている桃を見るのだが、値段が高いうえに味見ができないので美味しいかどうかがわからない。お父さんが好きなのは、皮が手で向けるぐらいに熟れた柔らかいものなのだが、スーパーではそこまで熟したものが売っていることはほとんどない。 今年も何回か購入してみたが、満足できるほどおいしい桃には出会えなかった。さらに言うとお母さんはそれなりに食べるのだが、子供たちは桃に対する情熱がないというか、食卓に出してもほとんど食べようとしない。結局食べるのはほとんどお父さんなので、購入にあまり踏み切れないという状況である。 しかしながら、今年はお盆休みにお父さんの実家に帰省しそこから秩父にある三峰神社に毎年恒例の参拝に行ってきた。山梨を経由して車で移動したので、帰りに山梨の農園によることができた。桃としてはもうほとんど終わりの時期であったが、桃ののぼりを出している農園に車を止めた。 偶然ではあるが、お父さんの大好きなサイズの大きな白桃が売られていた。試食ができるか聞いたところ、売り物の桃を切って出してくれた。観光客向けの売り場とはいえ、さすがに農園でじか売りしているだけあって、しばらく食べた記憶がないほど甘くて柔らかい桃だった。実家へのお土産用と自分用に2箱(1箱6個入りで2,500円)を購入して実家に戻った。 母親も桃好きなので、早速皆で桃を食べたが本当においしかった。その後スーパーでも桃を売っているのを見たが、値段は1個400円ほどしていた。山梨の農園の値段とほとんど変わらないのを見て、何となく得をした気がした。 ネット通販でも山梨の桃は販売されていて、これまでも何回か購入しているが、今回のような美味しい桃に出会えたことはない。やはり現地で試食して購入するのが一番確実なのだが、東北に住んでいるのでそう簡単に山梨まで行くことは難しい。 今年はラッキーだったと思って、また同じような機会があることをゆっくり待つしかなさそうである。
2025.08.24
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今年のお盆休みは久しぶりに東海地方の実家に戻ったのだが、雨が多くやることがなかった。子供たちも大きくなってしまい、その辺の海などに連れて行っても楽しむことができない。そこで久しぶりに電車で出かけることにした。行先は熱海である。 お父さんが子供のころは、熱海は東京近郊の温泉地としてとても人気が高かった。お父さんは祖父に連れられて何度か熱海に行ったことがある。当時は温泉旅館もとてもにぎわっていたし、後楽園遊園地というのがあって、祖父と一緒に熱海に行くとその遊園地に連れて行ってくれたことを覚えている。 しかしながらその後、熱海はどういうわけか一気に寂れてしまった。熱海後楽園遊園地も知らないうちにつぶれて更地になってしまったし、有名な温泉旅館やホテルが次々と閉業してしまった。海外旅行や新しい観光地に押されて、昔ながらの温泉地は日本人から見放されてしまったようだった。 熱海だけでなく、伊豆の温泉地はどこも寂れていったようだし、鬼怒川温泉など関東の有名な温泉地も同じように寂れていったようだ。草津や別府などが例外だったのではないだろうか。 しかしながら、平成の終わりごろから熱海は新たに東京からの日帰りができる温泉地として人気を博している。芸能人が熱海に別荘や自宅をもってテレビに出演したのも大きな宣伝になったのではないかと思う。 お父さんももう長いこと熱海など行ったことがなかったので、今の熱海に興味があり家族を連れて熱海に行くことにしたのだ。 出かける前に息子に熱海でどこに行くか調べておくようにとすべてを任せたが、息子は「何もない」と調べながらつぶやいていた。テレビで見ていた駅前の商店街だけでも面白そうだと思っていたので、何とか遊べると考えていた。 東海道線にのり熱海駅で降りると人ごみがすごくて驚いた。こんなに人の多い熱海に来たのは子供の頃以来である。大学生の頃にみた寂れた熱海とはまるで異なっていた。 しかしながら海へ向かって歩き出すと、一部の人気店以外は特に混んでいることもなく、見るものもほとんどなかった。有名なプリンの店には驚くほどの行列ができていて、とても並ぶ気になれなかった。 海岸に出ても特にやることがなく、初島行の船にでも乗ってみようかと提案したが、初島にも何もないとの息子の意見で却下された。熱海城という観光施設が見えたので、ロープウェイで行ってみようということにしたが、ロープウェイのチケット売り場が行列で、一度並んだがまるで進まなかった。チケット売り場を見るとひとりあたりにかかる時間が長すぎるようだ。そのうち家族が並んでまで行くところではないのではと言い出したので、結局熱海城もあきらめた。 やることがないので、熱海駅の商店街を歩くことにして、バスで熱海駅まで戻った。商店街は楽しめると期待したのだが、お父さんも家族も心を惹かれるものに出会えなかった。唯一次女だけが、好きなキャラクターのご当地バージョンを見つけて購入していた。 お父さんもせっかく来たのに何も買わないのが悔しくて、小田原に本店があるはずのかまぼこやでお土産にかまぼこを購入した。 帰りの電車は家族全員ほぼ無言だった。ただ疲れに来ただけという思いがそれぞれにあったのではないのだろうか。 それでも熱海の賑わいは本当にすごかった。帰りの電車も座れないほど混んでいたし、熱海の人気を感じさせるには十分だった。 心配なのは、みんなが本当に楽しんでいるのかどうかだけである。おそらくうちの家族は次に熱海に行こうと言っても拒否するだろうと思う。宿泊するなら来るかもしれないが、それでも熱海の街を歩こうと言ってもいかないだろうと思う。せっかく熱海人気が復活しているのだから、熱海の人たちにはこれからも頑張ってほしいと思う。
2025.08.23
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今年のお盆休み、お父さんは息子が受験生ではあるが、ベトナム出張時期などを考えるとお盆休み中しか毎年恒例の三峰神社に参拝できなかったので、お盆休みに三峰神社参拝を決行することにした。 ところが毎年行っている秩父市側からの道が豪雨によるがけ崩れで通行止めになってしまった。山梨側からならたどり着けるのだが、お父さんが情報を聞いたときには秩父川からは8月末まで三峰神社には行けないということだった。 そこで実家に一度帰り、そこを起点に三峰神社に行くことにした。期せずして帰省することになったと言える。実家を起点にできるので、犬を一緒に連れていくことができると言ったら、いつもは渋るお母さんもOKを出した。 我が家が帰省すると、いつも兄や妹の家族も集まってにぎやかに宴会をするのだが、今年はどの家庭にも大学や高校の受験生ばかりがいるので、今年は宴会はできそうにないと聞いていたのだが、1日だけ全員集合する日を皆が作ってくれた。 当日の朝から母親を含めて4家族が集まったのだが、一番年下で中学校の2年生である。それも我が家以外はすべて男。身長が一番小さいのが次女で160㎝弱である。母親、お父さんの兄弟と配偶者で7人、いとこ同士合わせて8人、総勢15人が実家のリビングに集まった。もちろん全員が座れるテーブルなどないので、2グループに分けて座ったが本当に狭かった。 子供たちが小さい頃は、人数が同じでもあちこちにスペースがあったが、今では余分なスペースなど皆無である。子供たちと言っても身長では大人と同じである。違いは酒が飲めないことぐらいだろう。 ただ食べる量は多くなっているのでそれを準備するのも大変だった。大皿に盛りつけた料理があっという間に空になる。若者の食欲は本当にすごいが、お酒を飲まないのであっという間に食べきって、食事が終わってしまう。 さらにみんな思春期に突入していて、昔ほど無邪気にいとこ同士話もしないし遊ぶこともない。スマホやゲームをして各自で時間をつぶしている。親たちだけが酒を飲みながらだらだらと話をしている状況だった。 あと数年するとそれぞれにお酒を飲むようになり、宴会が大規模になるかもしれないが、その前に子供たちが全員集合することが難しくなるかもしれない。そのうちに順調に子供達が結婚して世帯を持てば、今度はお父さんやお母さんの実家ではなく、我が家が集合場所になってくるだろう。 考えてみれば自然な流れである。昔は祖父母の家に集合して泊り宴会だったが、今は祖父母もいなくなったので、そちらに集合することはない。そう考えるとお父さんも年をとったと感じてしまう。
2025.08.22
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もうすぐ新米の季節である。本当に早いものではすでに新米が収穫されたというニュースも見た。お父さんの住む地域の田圃も稲穂が出て徐々に稲が垂れ下がってきている。見た目には今年もたくさん米が取れそうだと思えるのだが、兼業農家の同僚の話では今年は水不足の影響でコメの出来がとても悪いらしい。 出来が悪いとは美味しくないのかそれとも収穫量が少ないのかどちらかと尋ねたのだが、両方だという答えが返ってきた。稲の花が咲くころは田んぼにたっぷりと水を張るのが通常の育て方らしいのだが、今年はその時期に水不足で田んぼに十分に水を張れなかったらしい。国の施策で川など大きな水源から水をひける田圃は問題ないようだが、昔ながらの沢水などが水源の田圃は水が足りなかったようだ。 ほかの地方はよくわからないが、今年の東北は空梅雨で本当に雨が少なかった。梅雨明け後もほとんど雨が降っていないので、おそらく東北地方の米はそれほど豊作にはならないだろうと同僚が話していた。 そうなると今年の新米が出ても、米の価格は下がるどころかまた昨年並みに上昇するのではないかと思う。政府は備蓄米を放出してしまったし、米の収穫量が少なければ値段は上がるしかないだろう。後は海外からの米の緊急輸入が残されているが、政府がそれを決断できるかと言ったら、よほど国民がコメの高騰で不満を持たない限りは無理だと思う。 8月に入って、スーパーなどで普通に備蓄米を買うことができるようになっている。備蓄米が騒がれていたころは、いったいどこで売っているのかわからなかったが、備蓄米の需要が減って、新米への期待が高くなっているのだろう。実際に通常の米と備蓄米ではどうしても味に差が出る。 お母さんがいろいろ調べて工夫してくれているが、我が家のご飯はその日のお母さんの匙加減(吸水時間や酒などの量)によって香りも食感も異なる。 再来年とかに、米の収穫量が増えれば多少値段が下がるかもしれないが、5kgで4,000円という価格が今後のスタンダードになるとお父さんは思う。コメ農家もそれぐらいの値段で流通してくれないと生活ができない。ベトナムの米の価格を知っているお父さんとしてはどうして日本の米はこんなに高いのかとも思うが、実際の日本の農家の利益を聞くと、このままでは日本の米農家が無くなってしまうとも思う。 徳川の8代将軍吉宗は、米の価格に悩まされて「米将軍」という別名があるが、米の価格は日本人にとってはいつの時代も悩みの種なのかもしれない。
2025.08.21
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我が家の家庭菜園では、数年前までズッキーニを育てていた。家庭菜園を始めた時からお母さんの希望でズッキーニの苗を2株植えるのが定番だった。ところがズッキーニは大体実が収穫できるようになってから1か月たたないぐらいで病気になってダメになるという状態を繰り返していた。 野菜用の消毒液などを定期的にかけても結局はダメで、数年前にあきらめてズッキーニが食べたかったら買って食べようということになった。 お母さんは夏になるとズッキーニを買ってきては食卓に出すというのが今の定番になっているが、先日お母さんが大きな勘違いをしていることが判明した。 お母さん以外の家族は、食卓に出れば食べるけど別にズッキーニをおいしいと思って食べていたわけではない。ところがお母さんは、家族が全員ズッキーニ好きだと思っていたらしい。 先日ズッキーニを食べながら、お母さんはどうしてそんなにズッキーニがおいしいと思うのか不思議だという会話をしていて、お母さんは初めて家族がズッキーニ愛好家ではないということに気が付いたらしい。 お父さんも出てくれば食べるが、自分で食べるものを選んだ時にはズッキーニに思い入れはないので、ズッキーニなどほぼ無視である。そもそもお母さんと結婚するまでズッキーニという野菜を意識したことなど1度もなかった。まともに存在を認識したのも結婚後だと思う。すでに結婚して25年がたつので細かいことは覚えていないが、お父さんの母親はズッキーニを買うような人ではなかったと思う。 お父さんも夏野菜と言えば、トマト・きゅうり・なすなどが中心でズッキーニはその中に入っていない。感覚で言うとオクラやシシトウよりもランクは下である。 そもそもお母さんがどうしてズッキーニを好きになったのかわからないが、お母さんは前世が西洋人であったのかと思うぐらいに、西洋の食べ物が好きな気がする。 日本の和梨よりも洋ナシの方がおいしいと昔から言っているし、食べ物ではないがお寺や神社よりもキリスト教の教会のほうが心が落ち着くらしい。 話を戻すと、ズッキーニを好きなのがお母さんだけだと知って以来、食卓にズッキーニが出てくることが無くなっている。別に嫌いなわけではないので気にせず今まで通り勝ってくればよいと思うのだが、自分だけの好物を買うということをお母さんはしないので、この夏はもうズッキーニが食卓に並ぶことはないかもしれない。 来年になれば、今年のことを忘れてお母さんはまたズッキーニ料理を買うようになると思うが、お母さんは不思議な人である。何よりもどうして家族全員がズッキーニ好きと勘違いしたのか。そのあたりはお母さんもわからないらしい。
2025.08.20
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先日お母さんに桃をむいてもらったら、桃の皮がまだかなり残っていた。お母さんに向き方が適当過ぎると文句を言ったら、「桃は皮に栄養がある」とかいう無茶苦茶な反応が返ってきた。もちろんお母さんが適当に言っているだけで真実でもなんでもないと思うのだが、世の中には「皮に栄養がある」と言われる野菜や果物が確かに存在している。 そして、皮に栄養があると言われるもののほとんどは皮をむいて捨ててしまうものであることが多い。リンゴなどは皮に栄養があると言われている代表格であるが、基本的に日本人はリンゴの皮は捨ててしまうことが多いだろう。 そもそも思うのだが、果物に栄養を求めて食べている人というのはどれぐらいいるのだろうか。少なくともお父さんは果物には甘さとかおいしさは求めているが、栄養を求めたことはない。どちらかというと、果糖は糖尿病にはよろしくないので栄養がない方が良いくらいだ。だから今後も栄養は気にしないで皮は剥いて捨ててしまおうと思っている。 同じような言葉で、「骨の周りの肉はおいしい」というのがある。お父さんは食べ物に関するマンガや書籍を昔よく読んだが、ほとんど常識であるかのように、「骨の周りの肉が一番おいしい」という言葉は出てくる。 お父さんも昔はそれをそのまま信じていた。ただし実体験としてはあまり同意していなかった。それでも世の食通がみんな言うのだから真実なのだろうと思っていた。 しかしながら50歳も過ぎると、今までの人生で骨の周りの肉をおいしいと感じたことがないのはおかしいのではないかと思うようになる。 例えば骨付きカルビを食べた時、わざわざ骨の周りの肉を歯でこそげ取って食べたりして見ても、骨に近くない肉の方がおいしくて、骨の周りの肉はおいしいとは思わない。 ケンタッキーのフライドチキンも、骨の周りを無理して食べるよりも、ガブっと食べられる骨のない部分の肉の方がジューシーでおいしい。 魚なども骨の周りがと言われるのだが、やはり骨のない肉の部分のほうが食べやすくておいしいとお父さんは思う。 少なくともお父さんは食べるのは好きだが、食通ではないということなのだと思う。だが骨の周りの肉がうまいという人に、もう少し具体的に何がおいしいのか聞いてみたいと思っている。そして理由を聞いたとしてもお父さんは骨の周りの肉の価値を認めないだろうと思っている。 今までに「骨の周りの肉が一番うまい」と言っている人にはであったことがあるが、本気で骨の周りの肉が好物だとわかる人に出会ったことはない。都市伝説とまではいかないが、食通ぶるための一種の方便ではないかと最近は思っている。
2025.08.19
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先日大きなスイカを貰った。お父さんもお母さんもスイカが大好きなのだが、我が家の子供たちはスイカを食べない。長女は出せばそれなりに食べるが、息子はキュウリが苦手でスイカも青臭いにおいが嫌いだと言う。次女は食わず嫌いだと思うが、スイカを食べるとお腹が下るとか適当なことを言いながらほとんど食べようとはしない。 最近はスーパーで小さく切ったかっとフルーツ状態で売っていたり、1/8カットで売っているので、お母さんとそれらを買って食べているが、やはり昭和生まれとしては皮つきのスイカにかぶりつきたいと思ってしまう。 お父さんが思うにスイカが我が家の子供たちに人気がない理由の一つに、タネの問題があると思っている。スイカのおいしさとタネの面倒くささは人類史がはじまって以来の問題だと思っているがどうだろうか。 子供の頃、スイカにタネさえなければもっと早くもっとたくさん食べられるのにと思った人は多いだろう。スイカは好きだがタネがあって食べにくいので食べないという人もそれなりにいるのではないだろうか。若い女性はタネを吐き出す行為を見られるのが恥ずかしいから人前では食べないという人もいるかもしれない。 昔は夏のフルーツとしてブドウも人気だったが、ブドウもタネがあることで子供が食べるのを面倒くさがるフルーツだったと思う。果肉を一気にかみ砕きたいのだが、タネがあるためタネを口の中でよけながら食べなくてはならなかった。 ところが最近は、シャインマスカットなどのようにタネがないだけでなく皮ごと食べてもおいしいブドウがたくさん売っている。ブドウの王様だった巨峰もタネ無しが売っている。品種改良に力を入れた結果だろう。 それに対してどうしてスイカはタネ無しスイカがもっと流通しないのだろうか。お父さんが子供のころから、タネ無しスイカというのは存在している。だが最近タネ無しスイカをスーパーで見たことがない。完全にタネ無しスイカは世の中から駆逐されてしまったようだ。昔はタネがないだけで値段が高いということで、売れなかったのだと思う。だが今はタネ無しの需要は十分にあると思っている。 タネ無しスイカでかつ甘くておいしいスイカができていないのかもしれないが、農家や農業試験場などでもっと本気でやれば、タネ無しスイカはおいしいものができるとお父さんは信じている。 スイカから種が無くなると、あの赤い果肉に点々と黒い種があるスイカ独特の見た目が無くなって寂しいのかもしれないが、お父さんはタネ無しスイカの流通を望んでやまない一人である。黄色いスイカなんて作らなくてもいいから、タネ無しスイカを作ってくれないだろうか。
2025.08.18
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パンの耳が好きな子供は少ないと思う。お父さんも子供のころパンの耳を食べるのが嫌いだった。我が家の子供たちは次女以外、パンの耳を食べるようになっているが、成長した証であると思う。大人になると、子供のころどうしてこの程度のものが固くて美味しくないと思っていたのか不思議なぐらいどうでもよいものになる。しかしながら、子供の頃は朝食に食パンのトーストが出るとそれだけで嫌だったのを覚えている。 親に耳のないパンを買ってきてくれと無理なお願いをしたことが何度もある。パンの作り方すら知らなかったのである。パンの耳はパンを焼いたときに外側になる部分である。耳なしのパンを焼くことはできないのだが、とにかくパンの耳を食べるのが嫌で言っていた時代があった。 パン自体は好きだったので、基本は耳を残して食べていたし、耳をそぎ落としたサンドイッチは大好物だった。ところが自宅で母親が作るサンドイッチは、面倒だったのか耳の処置に困るからなのかパンの耳がそのままついていることが多かった。 耳が付いたサンドイッチを出された時は常に文句を言っていたと思う。 小学校で給食を食べ始めたぐらいから、パンの耳はほとんど気にならなくなっていた。そう考えるとパンの耳の固さ、特にトーストしたパンの耳は幼児にはかみ砕くのが厳しい固さなのかもしれない。 ちなみに父型の祖父も歯が悪く、硬いものを食べない人だった。この祖父がトーストとホットミルクのセットでよく朝食を食べていて、パンをホットミルクにつけて食べていた。マネをしてみたら、パンがとても柔らかくてとてもおいしかった。 それ以来何度かホットミルクにパンをつけて食べたりしたが、パンがおいしくなる代わりにホットミルクの方がおいしくなくなる。ホットミルクを飲まなくなるので結局親に怒られていた記憶がある。 パンの耳がない食パンの作り方を発明すれば意外と売れるのではないだろうか。ロールパンなど全体が柔らかいパンもあるのだから、できないことはないと思うのだがどうだろうか。
2025.08.17
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ハナミズキという有名な歌がある。仕事でカラオケに行くとかなりの頻度で誰かが歌うので、お父さんも完全に歌えるようになった歌である。お父さんも何度かカラオケで歌ったことがある。 ただ今日書こうと思うハナミズキは歌ではなくて、ハナミズキの木についてである。 お父さんが住む町にはハナミズキがあちこちに植えられている。街路樹として植えられているものも多く、東北では5月~6月にかけて花が咲いている。あまり手入れが要らないと聞いてお父さんも庭に1本植えたのだが、植えた翌年に花が咲いただけでその後は一度も花を咲かせてくれないでいる。 木が弱っているということはないと思う。毎年枝葉が茂るので剪定がたいへんなぐらいには元気がある。今年もかなりの枝葉を剪定した。ただ今年は茂った枝葉を全体的に小さく剪定するのではなく、風通しが良くなるように隙間を作るような剪定をしてみた。 あまりにも花が咲かないので調べたら、花芽を夏の時期に剪定で切ってしまっている可能性が当てはまったからだ。 もう一つ、街路樹で毎年花が咲いているハナミズキは幹がよく見えるほど枝葉が少ない。我が家のもさもさに生えているのとは全く異なることに気が付いたからだ。こちらは調べた中には出てこなかったが、枝葉を伸ばすのに栄養を使ってしまい花がつかない可能性は十分あると感じたのでやってみた。 今年はすでに花の時期が終わっているので、来年の春に期待している。久しぶりに庭でハナミズキの花を見てみたいと思っている。 そういえば先日というか今年の春に、会社で社長が選んだ庭木を5本ぐらい新たに植えた。その中にハナミズキも入っていたのだが、先日工場長がハナミズキがどんどん枯れて行っていると連絡して来た。 専門の植木屋に頼んで植えるところまでやってもらったのだから、そう簡単に枯れないだろうと思っていたが、お父さんが見に行った時点で木の1/3ぐらいしか葉が残っていなかった。上から2/3は葉のない枝だけになっていた。 すぐに植木屋を呼んで確認させたが、植木屋の処置は枯れた枝を剪定しただけだった。植えた時の樹高が1/3になってしまった。植木屋は何も言わずに来て、何も言わずに剪定して何も言わずに帰ってしまった。個人経営に近い植木屋なので対応はあまりよろしくないようだ。 小さくなったハナミズキを見て社長が何というかが今は気がかりである。工場長が報告しているのではないかと思うが、お父さんも確認は取っていない。社長が納得したうえで、今後ハナミズキが復活してくれればよいのだが、このまますべて枯れたらまた植木屋と交渉しなければならなくなる。かなり憂鬱である。
2025.08.16
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お札が新しくなったのが昨年の7月なので、すでに1年以上が経過している。いまだに旧札も普通に使われているので、お父さんの財布にも常に旧札が入っているのだが、その割合はかなり減ってきている。基本的に旧札が消えるのは銀行にお札が入ったときだけなので、旧札の多くが銀行に入ってしまったことになる。 また、すでに海外で外貨を円に両替しても新札が普通に出てくるレベルにはなっている。 こんなに早くお札が入れ替わることに驚きを感じているが、それ以上にそれだけ多くの現金が銀行に入っていることに時代の変化を感じている。 お父さんが思うに、電子マネーの存在が大きいのではないかと思う。最近はお父さんも細かい買い物のときは電子マネーを使うようになっている。 お父さんのお小遣いはお母さんが銀行からおろして現金で渡されるのだが、お父さんもそれを銀行に入金している。貯蓄もあるが、電子マネーやクレジットカードを利用しているからである。 大きい買い物はほとんどクレジットカードを使っているので、現金を使う場面が本当に少なくなっている。今回の新札発行が最後で、もう現金が発行されることは無くなってくると言われていたが、お父さんもその可能性は十分にあると感じるようになっている。 ただ聞いた話ではクレジットカードにしても、電子マネーにしても15%ぐらい利用料を取られるらしい。つまり電子マネーを客が利用した時点で、お店としては現金の客と比べて15%も割引していることになる。 個人でお店をやっている人がお母さんに話したのをまた聞きしただけなので、大手はもっと少ない利用料なのかもしれないが、詳しくはわからない。 ただ電子マネーに頼っていると、サイバー攻撃的なものでデータが失われた瞬間にすべてを失ってしまう可能性がある。通常の銀行口座で紙の通帳を持っていればある程度保証されるかもしれないが、ネット銀行などは通帳もないので、何かでデータが失われた時にいったいどうなってしまうのか不安である。 電子マネーを利用していないお母さんの方が、賢いのかもしれない。 最近は子供の小遣いも電子マネーになってきていると聞いている。我が家はまだ現金支給である。先日次女がイベントで楽天球場へ行ったら、電子マネーしか使えなくて何も買えなかったと言って帰ってきた。スマホもまともに使えない高齢者は野球場でビールも変えないではないかと思ったが、大丈夫なのだろうか。 このイベントをきっかけに、娘にも電子マネーのアプリを入れさせて、何かあったときにはお父さんから娘のアプリに入金できるようにした。次女は電車通学で遠距離の学校に通っているので、少し安心材料が増えた。お盆に長女も帰省してくるので息子も含めて電子マネーのアプリをつなげておこうかと思っている。 若いころはクレジットカードを使うことにすら抵抗を覚えていたのに、今では電子マネーでバーコード決済を当たり前にしている。50歳を過ぎたお父さんがそうなのだから、子供たちの時代に現金を使う人がいなくなることは決して誇張した未来ではないだろうと思う。孫の時代には「お爺ちゃんの時代は現金(お札や硬貨)というものがあった」と語る日が来るかもしれない。
2025.08.15
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息子が部活を引退して1か月以上が経った。その息子が体力維持と体形維持のために土曜日のよる1時間ほどのジョギングをするようになった。毎日は大変なので土曜日に予備校から帰ってから走ることにしたらしい。 まだ3週間ほどなので3回しか走っていないが、息子はずっと続けていくつもりらしい。 そんな息子の姿を見て、お父さんも高校で部活を卒業した後、体力&体形維持のためにジョギングをしたなあと思い出した。男子高校生の修正というかお約束なのかもしれない。高校で運動部に所属していると、一般生活では必要ないほどの筋肉がつく。それを維持するためには運動と食事が必要である。現役で部活動をしている最中はいいのだが、引退して毎日の運動が無くなると、同じ量の食事をしていたのでは完全にカロリーオーバーになる。 さらに言うと、高校生男子がそこそこに筋肉をつけた場合、これを失うのがもったいないという意識が芽生えるのだと思う。お父さんもそうだった。 そしてジョギングというのは、元手のかからない最も安上がりな運動である。金のない高校生男子がジョギングに手を出すのは、もう必然であるように思われる。 ちなみにお父さんは息子のようにペース配分など考えていなかったので、毎日毎晩走っていたが、2か月ぐらいで飽きてやめてしまった。始めた頃はまだ体が軽いので、かなり長い距離を軽やかに走っていたが、お父さんはジョギングを理由に食事の量を落とさなかったので、徐々に太っていった。 太るとジョギングも面倒くさくなる。高校を卒業するころには6キロぐらい体重が増加していた。どんなに食べても72キロ以上にならなかった体は、運動をやめたとたんにあっという間に78キロまで増加した。 さすがに80キロは嫌だと思い、そこで踏みとどまったが大学生の頃にどんなに頑張っても75キロを下回ることはなかった。 その後は最大90キロまで増加し、今は83キロが通常の体重となっている。高校生の頃の体重に戻るには、相当ハードな減量か大病でもしなければ戻らないと思う。まあ年を取ってよぼよぼになれば戻れるかもしれない。 息子もお父さんの血をひくだけあって、物事を継続していくことが苦手な性格である。なのでおそらくジョギングを続けるのは夏の終わりごろまでだろうと予想している。 小学生の頃、強制されたミニバスのジョギングすらさぼっていた息子が、高校生になったからと言ってジョギングを継続できるとは思えない。
2025.08.14
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東北地方に住んでいると、関西というのはほとんど縁がないほど遠い地域である。これは関西からみた東北地方でも同じことが言えるのではないかと思う。東北から関西に行くには、新幹線を乗り継ぐか飛行機で行かなくてはならない。しかしながら東北の地方空港から関西方面の飛行機はそれほど便数も多くないし、飛行機自体が小さく価格も高い。そんなわけで東北地方と関西は非常に距離があるというか、普段は全く交流のない地域である。 そんな関西(大阪)で今年は万博をやっている。4月に始まって10月に終わると聞いているが、お父さんの周りで大阪万博に行った人をまだ知らないし、これから行くという人も知らない。夏休みが終わるころには子供の同級生などがひょっとしたら行ったという話が聞こえてくるかもしれないが、どうだろうか。 我が家の子供たちもお母さんも、大阪万博に行きたいとは一言も言わない。大阪に行くなら万博よりもUSJに行きたいと言っている。そもそも東北の人間はこれまで日本で行われた万博に行った経験がある人がほとんどいないので、万博がどんなものか知らないのだと思う。 ちなみにお父さんも万博というものに行ったことがないので、万博に行きたいとか行きたくないとか考える前に、万博とは何が楽しいのかがわからない。テレビで紹介しているのを見ることもあるが、各国のパビリオンの中まで詳しく映すわけではないので、まるでわからない。 先日本屋に娘を連れて行ったら、万博関連のガイドブックが売られていたが、手に取ることもなかった。「どうせ行かない」という思いが強いからである。 さらに今年の夏は暑すぎる。こんな暑いときに屋外で並んでまで万博に行きたいとはなかなか思えるものではない。 一度でも行ったことがあり、楽しい経験をした人ならば、日本で万博をやる機会は少ないから絶対に行くという気持ちになるのかもしれない。そう考えると万博の入場者数を増やすためには、1回でも万博に来させなくてはならないのだろうか。 大阪万博の収支がどうなるかわからないが、少なくとも東北でそれほど人気がないのだから、大阪周辺の住民がどれぐらい万博に行くかにかかっているのではないだろうか。赤字が大きいとまた政府や大阪府、大阪市がたたかれるのだろうか。
2025.08.13
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先日車を運転していたら、道端に粗大ごみが置いてあるようなところがあった。置き場に困ったものを自分の土地に置いてあるのか、それとも誰かの不法投棄がわからないが、その中にお父さんが子供の頃にあった懐かしい機械が見えた。 その機械とは、空き缶をつぶす機械である。 いつの間にかというか、もう何十年も見ていないのだが、昔自動販売機の脇や商店の入り口付近に設置されていた。空き缶を投入口に入れるとそれを中で機械がつぶして保管する機会である。 空き缶を投入するとつぶす工程などは見えないのだが、中から空き缶がつぶれるグシャグシャという音が聞こえてきた。 今考えるとあれは、リサイクル事業の一環で集めた空き缶の金属を売り払うことで成り立っていたのではないかと思う。 お父さんが子供のころ、祖父母の家の近所に空き缶を集めてきてはつぶして売却しているというおじいさんが住んでいた。彼の家の前にはつぶした空き缶とつぶす前の空き缶がどこで集めてくるのか大量に置いてあった。海の近くだったので、海岸で毎日拾っていたのかもしれない。 昭和の時代、現在のベトナムと同じように資源になるようなものは個人でも売ることができたのだろうと思う。 今のようにペットボトルがない時代、飲み物はガラス瓶か缶で売られていた。空き瓶は酒屋や商店に持っていくと、一本10円とか30円で買い取ってくれた。それを狙って学校の帰り道に投げ捨てられた空き瓶を探しながら友達と歩いた。拾った空き瓶をお店に持っていき、お金に換えてそれでアイスやジュースを買ってみんなで分け合って食べたものである。 ちなみにお父さんが今回見た空き缶をつぶして回収する機械はお金を貰えることはなかったが、子供たちが面白いので家からとかその辺で拾った空き缶を集めては機械に投入していた。 この機械が無くなったのは、おそらく故障しやすいためだったのだと思う。機械を見つけて空き缶を入れてもよく壊れて動かない状態になっていた。 今の技術できちんと機械を作ればもう少しまともになるかもしれないが、おそらく事業として成り立たないのだろうと思う。 ほんの一時、誰かが思いついて始めた事業なのだと思うが、リサイクルの精神としては立派なものだったのではないかと思う。
2025.08.12
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お盆の時期である。近所のスーパーでもお盆用の商品があちこちに置いてある。そんな中でお父さんの目を引くのは、この時期にしか見ない気がするお菓子である。 我が家の子供たちがまるで興味を示さないし、お父さんが見てもおいしそうには見えないのだが、昔祖父母の家に行くとよく菓子皿などに置いてあったなと懐かしくなるお菓子たちだ。 変形したマシュマロみたいな砂糖菓子、硬いゼリーみたいな表現の難しい色とりどりのお菓子、動物型のクッキーに色とりどりの砂糖菓子が張り付いたようなモノ。いろいろな名前も知らないお菓子が詰め合わせになっている袋。どれを見ても全然おいしそうに見えないのだが、祖父母の家で昔は当たり前にみたお菓子たちである。 もちろん今でも普通に売っていて、お父さんもたまに買うようなお菓子もある。ブルボンのルマンドとかホワイトロリータなど、自分で食べたいとは思わないが、昔祖父母が食べていたと思うと仏壇用に買うことがある。 不思議なことにお母さんの祖父の家にあったお菓子も、お父さんの思い出とほぼ同じである。全く違う家庭で、地方すら異なるのに不思議なものである。当時はそれほどお菓子の種類がなかったのも理由だろうが、もう一つの理由があるとお父さんは思っている。 それは若い時代に流行ったお菓子を買ってしまうということだ。ロングセラーとして今の子供たちも食べているチョコレートのアポロとかキノコの山などは別にして、その時代にのみ人気があったお菓子というのは確実に存在すると思う。 たとえば「小枝」というチョコレート菓子は、お父さんにとってはものすごく高級なお菓子だった。大学生の頃、昔は自分の小遣いでは買えなかったと思いながら、よく買って食べていたが、我が家の子供たちはそれを食べようとはしない。キャラメルコーンとかを買っても食べない。 逆にお父さんは今子供たちがよく食べたがるグミのお菓子をおいしいとは思わない。そう考えると、お父さんに孫ができたとして、彼らが大人になるころ、お爺ちゃんはこんな不思議なお菓子が好きだったなと、今お父さんが好んで買うようなお菓子を懐かしく見つめる日が来るのかもしれない。
2025.08.11
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昨年の初夏、我が家の柿の木で葉が紅葉してすべて落ちてしまった。落葉病という病気だと判断して今年の春は新芽が出る前から消毒したり、お父さんはベトナムにいたが、お母さんに新芽が出た後1週間おきに消毒をするように頼んだりして手を尽くした。 お父さんが5月に帰国した時は、まだ葉がついていた。だが本来なら新緑の色から濃い緑に変わるはずなのにずっと新緑色のままであった。そのうちに葉の先端から枯れてきて、多くの葉が枯れてしまった。 病気に勝てないのかと切ってしまうことも考えたが、その後さらに大量の新芽が出てきて再度葉が茂った。しかしながら新しい葉っぱも濃い緑になることなく枯れてしまった。今は3世代目の新芽が出てきている。 枯れ方がいろいろ調べた病気とあまりにも異なるし、消毒の効果もまるで感じないのでさらにいろいろ調べた結果、おそらく原因はこれだというのが判明した。その原因で枯れた柿の木の画像で検索すると、ほぼ同じ状態の画像が出てくるので9割がた間違いないと思う。 その原因が除草剤である。 昨年の春先に芝生用除草剤と間違えて、半年は効果が持続するという家庭用除草剤(顆粒タイプ)を芝生に撒いた。その結果芝生はほとんど枯れてしまい、昨年は芝生の貼り替え作業をした。お母さんや子供たちを動員して体がボロボロになるほど重労働だった。 今年、芝生は根付いてくれて一昨年までの状態にほぼ戻ったのだが、芝生の横にはえている柿の木はいまだに除草剤の影響を受けているようである。 調べていくと、柿の木の体力が無くなればすべて枯れてしまうし、除草剤の効果がキレるまで体力がもてば復活する可能性もあるようだ。ただ柿の木は除草剤にとても弱い木であるらしい。 これまでずっと芝生用の顆粒タイプの除草剤は問題がなかったので、昨年撒いた強力な除草剤との相性がわるかったのだと思う。ネットで調べると、まさにお父さんが撒いてしまった除草剤が「柿に悪い除草剤」として載っていた。 昨年の除草剤の取り違えが、柿の木に影響しいまだに効果が残っているという最悪の事態である。枯れたら切ってしまおうと思っているが、来年には何とか復活してくれると信じて来年までは様子を見ようと思っている。
2025.08.10
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ベトナムで仕事をしていると、日本人とベトナム人の感覚というか常識の差に悩まされることがよくある。お父さんがベトナムに行き始めた20年前は、とにかくすべての案件で考え方の違いがあり、日本流の工業的考え方をひたすら教えた。いやどちらかというと強制して覚えてもらっていた。 しかしながら今は創業当時の社員が25年も経過しているので、表面上は日本流の工業的考え方を理解しているベトナム人幹部がそろっている。その為表面上は昔に比べてベトナムの常識が問題になることは少なくなっている。 しかしながら、何かしらのトラブルがあるとどうしても日本人とベトナム人の違いが出てきて会議などでお互いが反発しあうことがある。 ベトナムだけでなく、中国人にも韓国人にもマレーシア人にも感じることであるが、基本的に彼らは結果を重視する。結果が良ければ(工場の場合は不良品ができなければ)、プロセスが間違っていてもOKと考える。 しかしながら日本流というか、現在の工業的考えは「不良の出来ないプロセスで作る」というものである。たまたま結果が良かったから多と言って、異なるプロセス、間違ったプロセスで精算することは重大な問題だと判断される。 わかりやすい例で言うと、建築基準を守らないで建物を作った場合、それが建物の崩壊などの事故にならない限りOKと考えてしまうのがベトナム人などの考え方である。日本では建築基準だけでなく、工順や資材の品質などもきちんと規格通りにしていかなくてはならない。建築物の崩壊事故など絶対に起こさないことが当たり前なのである。 先日タイで中国企業が建築中だったビルが、ミャンマーが震源の地震で崩壊したが、地震が起こらなければ崩壊することはなかった。ただ運が悪かっただけと考えるのがアジアの主流だとお父さんは思っている。 日本人が地震で建物が揺れてもたいして気にもしないで仕事をしているのは以上であると世界で考えられているが、日本人は日本人の仕事を信じているからだとも言える。海外ではベトナム人の仕事をベトナム人が信じていない。おそらく日本を除く国で、自国の仕事を信じている国民がいる国は少ないと思う。 お父さんがアメリカに住んでいたころ、お父さんにとって自動車とはめったに壊れることがないものだったのに対して、アメリカ人は自動車とは壊れて当たり前のモノという認識であることを知って驚いたことがある。 話がだいぶそれてしまったが、ベトナムにいてルールや基準通りに仕事をしていないのを注意すると、ベトナム人から思いもよらないほど強い反発を受けることがある。不良品を出しているわけでもないのにどうして怒られなくてはならないのかと。ルールの方が間違っているとまで言われることもある。 もちろんお父さんはそんなことを言われても引き下がらないのだが、どうして基準通りの製造が必要なのかを再度説明しても彼らが心から納得することはない。 日本においても仕事は結果重視という考え方があるのはお父さんももちろん知っているが、製造現場に置いてはプロセス重視が基本である。プロセスをきちんとしていれば結果は自ずとついてくる。だがこれは日本人だからこそ当たり前に理解できる考え方であり、外国人にはそういう感覚はなかなか理解してもらえない。 車がいない深夜に信号を守っている日本人を外国人は不思議に思うらしいが、それができる日本人だからこそメイドインジャパンの製品は世界で信頼されている。ベトナムで車が来ないのに信号を守る人はほとんどいない。それどころか赤信号を無視して走る車やバイクを見ることは珍しいことではない。 どちらが正しいとは一概に言えないのだが、日本生まれ日本育ちの日本人としては、とても海外の考え方になじめる気がしない。 同様にベトナム生まれベトナム育ちのベトナム人が日本人の考え方を自分の中に持つことは決してないだろうと思う。
2025.08.09
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昨年庭の芝生に間違えて顆粒の除草剤を撒いてしまったせいで、芝が全部枯れてしまった。その為昨年は2か月かけて芝の植え替えを行った。週末しか作業ができないので、雨が降ってもずぶぬれになりながら続けた記憶がある。 昨年それなりに根がついてくれたが、今年は春からがっちりと根がついて育ってくれている。ただ昨年貼ったばかりなので芝生全体の凹凸がかなり残っている状態だった。そこで今年は目土をして芝生をきれいに均す必要があった。 ホームセンターで売っているような芝の目土用の袋は単価が高いので、今回も新築当時にやったように砂を業者から購入して実施することにした。会社で購入している業者に連絡したところ、すぐには持ってこれないようだったので、ほかに砂が手配できるところを探したところ、会社で付き合いのある建築業者がコンクリートに使う山砂を手配してくれることになった。 どれぐらいの量がいるかと聞かれたので、お父さんなりに計算したのだが、0.5㎥だとちょっと足りないが、1㎥だと多すぎるぐらいだった。足りないよりはいいだろうと1㎥を書くことにして業者に伝え、先日庭先に砂が届いた。想定していたよりもかなり量が多く見えたので、これで1㎥かと聞いたら、サービスで1.5㎥持ってきたとのことだった。ただでさえ多めにお願いしたのにさらに量が増えたことにお父さんは内心余計なことをしてくれたと思いつつ、お礼を言っておいた。 実際に芝生に1.5㎥をお母さんと二人で撒いた。トンボを使ってきれいに均したところ、芝生がほとんど見えないようになってしまい、どう考えても多すぎだった。会社で農家の同僚にどうしようかと相談したら、芝は強いから大丈夫という話だったので様子を見ることにした。しかしながら1週間たっても芝は砂の上に出てこなかった。 不安になってネットで調べたら目土が多すぎると太陽光が当たらないので芝が枯れると書いてあった。 そこで土曜日の早朝に5時から起きて多すぎる砂を除去する作業をした。余った砂は土嚢に入れた。土嚢で27袋の砂を除去した。土嚢1袋が20L(0.02㎥)とすると、27袋で約0.5㎥の砂を除去したことになる。おまけでもらった0.5㎥がまるまる余った計算だ。やはりおまけは有難迷惑だった。 農家のように、畑や裏山に撒くことができる家ならよいのだが、お父さんの家は住宅街の中にある。適当に砂を置いたり撒いたりする場所はない。仕方がないのでホームセンターでプラスチック製のパレットを購入して庭のハジにおいて、その上に砂のたっぷり入った土嚢を置くことにした。 土嚢を運ぶ作業を始めて8袋ほど運んだところで、完全に握力が無くなってしまった。5時から始めた作業も8時を越えて日差しがかなりきつくなっており、さすがに一人では無理だと判断した。 そこでお母さんに声をかけて手伝ってもらうことにした。お母さんは先日庭木の剪定を手伝ってもらった時に発症したぎっくり腰がようやく治ったばかりだったが、お父さんの体がもたないのでやむを得ず手伝ってもらった。 とにかく腰に気をつけるようにと注意しながら作業をしたが、6袋目を運ぶところで恐れていたぎっくり腰を再発させてしまった。立ち上がることもできなくなり、家の中まで何とか運んでソファーに寝かせた。お父さんももう作業をやめたかったが、お父さん以外に作業ができる人がいない。 そもそも土嚢一つはそれほど大きなサイズではないが、重さは30キロほどある。27袋だと合計810㎏にもなる。50歳を過ぎたおっさんが炎天下に一人で作業するにはかなりつらいレベルだと思う。途中で倒れるのではないかと思うほどきつい作業だった。何とかすべての土嚢を運び終えたお父さんの体はボロボロだった。握力がないだけでなく、ぎっくり腰になっていないだけで腰を含めた関節が痛くて大変だった。筋肉痛も半端ではない。翌日建てなくなるのではと心配になるほど疲れていた。 今は少しずつ芝が砂の下から出てきているので、今度は大丈夫だと思う。お母さんのぎっくり腰も一人で歩いたり家事ができるぐらいには回復してくれた。 昨年間違えて除草剤を撒いてからの苦労はまだまだ今年も続いている。
2025.08.08
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お父さんが東北に住み始めてもう20年になる。これまで一度も水不足というのを経験したことがなかったのだが、今年の夏は危ないかもしれない。今年の梅雨が完全に空梅雨だったことが原因だろうと思う。本当に雨が降らないのだ。 これまでに日本全国あちこちで水不足のニュースを見てきた。ダムの底がむき出しになっているニュースや、給水車に並んで水を汲んでいる人たちをテレビで見ながら、気の毒だと思っているだけだった。 以前東北地方はどうして水不足にならないのか同僚に聞いたことがあったが、その答えは、東北は水源になる山に雪がたくさん降るので水不足になることはないというものだった。確かに平地で雪が少ない年であっても山には雪が降っている。今年の冬もかなり多めに山には雪が降ったと思う。その証拠に6月ぐらいまで残雪を見ることができた。 ところが夏になって、今はその山から流れてくる川の水量が激減している。車で橋を渡ると今まで見たこともないレベルで川底というか中州が広がっていて、一目で水量がないことがわかる。 長靴を履いていれば、普通に川を渡ることができるように見えるレベルである。さすがにまずいのではないかと思っていたら、ついに自治体から「節水に協力してください」という知らせが入るようになった。お父さんが東北に住み始めて初めてのことである。 8月は平年並みか平年以上の雨が予想されているとニュースでやっていたが、そもそも梅雨の降水量が圧倒的に足りないので、少しぐらいの雨では回復できないようだ。秋に雨台風でも何個か上陸すれば回復するかもしれないが、そもそも東北を通過する台風は偏西風の影響で速度が速く数時間で通り過ぎてしまう。 まだ節水の呼びかけ止まりなので、断水や取水制限などまで事態は進んでいないが、このまま雨が降らなければどうなるかわからない。 地球温暖化の影響は東北地方にも確実に及んでいる。毎晩暑くて眠れない夜を過ごしているので、今年の夏は異常なのがよくわかる。日中暑くても夜は涼しくなるのが東北の夏である。お盆を過ぎると秋の気配がしていた東北の夏は、もう戻ってこないのだろうか。
2025.08.07
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夏の定番の食べ物にかき氷がある。削った氷にシロップをかけたものだが、夏まつりなどでは行列ができるほど人気がある。もちろん暑いということが前提ではあるが、夏にかき氷を食べるのが好きな人は多いだろうと思う。 残念ながらお父さんはかき氷を食べることはほとんどない。それほど好きではないのだ。かき氷よりもアイスクリームの方が断然好きなので、量が少なく見えてもアイスクリームを買ってしまう。 先日近所の着物屋が高校生女子に浴衣を無料配布していると聞いて、娘を連れて行ってきた。女性の浴衣などお父さんにはわからないので、お母さんも一緒に行った。むしろお父さんはただのドライバーだったかもしれない。 無事に浴衣を貰って店内を見たら、小さな甘味処があった。外は暑いしお母さんに、何か冷たいものを食べていこうと提案したら、お母さんはそれならかき氷で人気の甘味処に行きたいと言い出した。 面倒くさかったがお母さんに逆らうのは得策ではない。娘もお母さんが言うならと反論もなくしたがった。お店につくと、すでに1組外で待っていた。店内は狭く席数も少ないのですぐに満席になる。15分ぐらい待って、ようやく中に入ることができた。 この甘味処は、かき氷や団子がメインなのだが、なぜかラーメンがメニューに載っているだけでなく、ラーメン目当てに食べに来る人が多いという不思議な甘味処である。店内に入ったら、お客さんの半分ぐらいがラーメンを食べていた。 お父さんたちは予定通りかき氷を頼んだのだが、この店はボリュームがすごいことで有名だ。以前普通サイズを頼んだら量が多すぎて食べきるのにものすごく苦労した。 今回は学習していたので、小サイズを頼んだ。値段は50円安くなるだけだが、美味しく無くなり義務で食べ続けるよりはよい。 お父さんは宇治抹茶ミルク金時、お母さんはブルーベリー、娘はイチゴの小サイズをそれぞれ注文した。かき氷だけなのに10分以上待たされてようやく来たかき氷は、小サイズとは思えないほどのボリュームだった。それでも他のテーブルに出された普通サイズよりは確かに小さかった。普通サイズは人間の顔ぐらい、小サイズは通常の喫茶店のかき氷の2倍ぐらいだろうか。 久々に食べたので忘れていたのだが、このお店のかき氷は氷がきめ細かく削られていてふわふわである。口に入れた時に氷の大きな粒は一つもないほどきれいに削られている。夏になるとテレビで高級なかき氷が紹介されているが、そんなところに行かなくても地元のこのお店で十分おいしいふわふわのかき氷を食べることができる。値段は600円前後である。高級な2000円のかき氷を食べる意味がないと感じさせるほどの魅力を持っている。 小サイズでもボリュームがあるので大変だったが、お父さんとお母さんは何とか食べきることができたが、娘は食べきることができなかった。食べ終わったときにはかなり体が冷えていたが、店を出たとたんにきつい日差しと暑い空気に包まれて、車に乗ったときには汗をかいていた。今年の夏は本当に暑い。
2025.08.06
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昨年の春、芝生用除草剤と間違えてスギナにも効果がある最強の除草剤(顆粒)を撒いて庭のほとんどの芝を枯らしてしまった。その為昨年の6月から8月頭にかけて主に夫婦、さらに子供も巻き込んで芝の植え替えをした。 業者に頼むと200万円とか言われたので、すべて自分たちで植え替えた。費用はそれでも20万円以上かかってしまった。 今年の春は間違えることなく普通に芝用の除草剤を撒いたので、特に問題はなかった。昨年植えた芝も無事に根がはったので、今年は元気に成長している。今年は成長した芝の様子を見ながら目土をして、芝生全体の凹凸をなくし、のっぺりとした平面に仕上げる仕事が残っている。 会社で取引している建築会社から生コン用の砂を手配したのだが、6月にお願いした砂が届いたのは7月の末だった。必要な砂の量を「何㎥」か聞かれたが、プロではないのでよくわからない。 そこで自分なりに計算したら0.5㎥だと足りないが、1㎥だと多いぐらいという結果になった。足りないのは困るので、1㎥の砂を注文した。 先日その砂がトラックで我が家に運ばれてきたのだが、砂の量がやけに多い。どう考えても我が家の芝生には過剰な量だった。これで1㎥ですかと尋ねたら、サービスで1.5㎥の砂を持ってきてくれていた。ありがたいけど迷惑な話だった。我が家は住宅街の一角にあるので、砂をそのあたりに捨てることも置いておくこともできない。ただこのお父さんの住む地域は農家が多く、土地の境界もはっきりしない家が多いので、同じ感覚でサービスしてくれたようだ。 とりあえず半分は要らないとは言えないので、庭に砂を置いて行ってもらった。もちろんトラックの荷台からザラザラと落としていくだけである。庭に砂の山ができた。 翌日にお母さんと砂を芝生にのせて全体を均してみたが、やはり想定以上に砂が芝生の上にかぶった状態になってしまった。 その後頑張って水を撒いて、砂を芝の間に入れこもうとしたが、ホースの水で崩れる量ではないぐらい砂が多く、うまくいかなかった。 こうなったら大雨(夕立)が来るのを待つしかないと思い、通常は夕方適度に水を撒きながら雨を待ったがなかなか降らない。このままでは芝が枯れるかもしれないと思っていたら、1週間後にようやく20分ほどの夕立が来た。お父さんは会社にいたが、お母さんから雨が降ったと連絡があった。 その日家に帰ると確かにかなりの量の雨が降ったようで、砂がかなりきれいに沈んでいた。自然の力はすごいものである。 だがそれでもやはり砂の量が多い。これ以上は芝の中に砂は沈んでいかないと思うので、次の週末に不要な砂は除去しようと思う。昨年枯れた芝生をはいだ時に使ったどの袋が残っているので、それに入れて保管しておこうと思う。 ほんの20分ほどで芝生全体に除草剤を撒いてしまっただけで、2年目もまだまだ苦労は残っている。今年もお母さんから文句を言われているが、がんばって早くきれいな芝生を復活させたいと思う。
2025.08.05
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初めて船でイカ釣りをしてからもう7~8年ぐらい経っていると思う。全く釣れないということもなかったが、大量に釣れたという経験も当時はあまりなく、船の上で6時間近く過ごす割には大きな釣果はなかった。 それが一昨年のイカ釣りでは、もう仕掛けを落とせばイカが掛かるという状態になり、とにかく量が釣れる釣りを経験した。それでも80杯ぐらいの釣果であった。 以前に同僚が140杯ほど釣ったという話を聞いていたので、100杯のイカを釣るのがお父さんの目標になっていた。しかしながら昨年のイカ釣りもそこまでの釣果は得られなかった。家族で食べるだけなら余るぐらいの量は釣れるのだが、記録的とはいかなかった。 今年もイカ釣りに行くつもりではあったが、一緒に行こうと約束していた同僚との予定が合わないままだった。先日船の空き状況を確認したが、1名しか空きがない状態だった。同僚が一緒は無理だねとなったので、お父さんは一人で行くことにした。お盆明けにはベトナムに行ってしまう予定なので、夏のイカ釣りは今しかない。 当日釣り船のところに行くとすでに一緒に船に乗るお客さんが3人来ていた。挨拶をして雑談をしていたら、「今日は大名の釣りだから」と不思議な言葉を言ってきた。どういう意味か尋ねたら、当初お父さんを含めて8人の乗船客のうち、5人で申し込んでいたお客さんが昨日いきなりキャンセルになったということで、今日は4人で釣ることになるから船が広々使えるという意味だった。本来なら3人だが、船長から連絡を貰い無理やり一人誘って3人で来たということだった。 お父さんも、連絡を貰えていれば同僚が行けたかもしれないのにと残念に思った。ただイカ釣りも水深が深いと潮流に流されてお互いの仕掛けが絡まることがよくある。今回はそれがなさそうだと思い、ちょっとうれしくなった。 船で沖にでて、釣り始めてすぐに1杯のスルメイカを釣ることができた。どんな釣りでも1匹目というのはうれしいものである。釣り人が一番恐れる釣果ゼロ、いわゆるボウズトイ状態を逃れることができるのだから。 そこからしばらくはちょこちょことしか釣れなかったのだが、1時間ほどすると仕掛けを降ろすだけでイカが釣れる状態になった。釣りでいう時合いという状態だ。そこから先は夜の10時頃までひたすらにイカを釣っていた。 初めの頃は乗り合わせた客同士で釣れた水深とか釣れたサイズとかを確認しあっていたが、全員が仕掛けを沈めるだけで釣れるようになり、無言で淡々と釣るようになってしまった。仕掛けを落とす⇒イカが掛かる⇒仕掛けをあげる⇒イカを外す⇒仕掛けを落とすといったローテーションを3時間近くやっていた。皆無言でとにかく数が連れていた。すでにレジャーとしての釣りというよりは、イカ漁をしている漁師の作業の様だった。 これまでで一番早い時間に船長が釣りの終了を告げた。みんな十分釣ったと判断したのだろう。お父さんもへとへとに疲れていた。 仕掛けを海から上げて、片づけをある程度した後、各々が釣れたイカの数を数え始めた。お父さんは片づけが遅かったので、最後に数え始めたのだが、バケツ2杯にたっぷりイカがたっぷり入っていた。 クーラーボックスに移動しながら「これなら100杯は釣れているだろう」と感じていた。ところが数えていると、80杯を超えたあたりからずいぶんと残りが少なくなってきた。100杯いくかいかないかの瀬戸際だと思った。 最終的に100杯釣れたことが確認できたのは、のこり4杯になったところでだ。ちょうど100杯ぴったり出会った。本当にほっとした。次にこんなに釣れる状態に出会うのがいつになるか予想もできなかったので、今回を逃したらヤバイと思っていた。ギリギリとは言え目標達成である。99杯でなくてよかった。 そんなわけでお父さんはこの夏のイカ釣りに置いて、数年がかりで目標を達成することができた。
2025.08.04
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子供たちが夏休みに入り、親としてはきちんと宿題などの提出物をやり遂げるかが心配の種になっている。長女や息子は特に心配もしていなかったし、息子は今も高校生だが、間に合わなかったら自分で何とか考えろと思っているので、あまり心配ではないのだが、問題なのは次女である。 次女は学校の出席日数もギリギリ、テストは赤点で夏休みの前半は補修を受けに学校へ通っていた。とにかく勉強と名のつくものが苦手で嫌いである。進級が危ういと言われている状態なので、勝手にしろと放置はできない。 授業も聞いていないので、提出物もきちんと出していないと夏休み前の三者面談で担任から怒られたとお母さんが言っていた。すでに夏休みに入っているが、次女に夏休みの宿題の内容を聞いても、「よくわからない」という答えが返ってくる。 やりたくないとか、できないではなく、宿題がどれだけ出ているかも理解していないというありさまだ。親としてサポートするにもこれではどうにもならない。 お母さんは学生の頃、夏休みの宿題は前半ですべて終わらせていたようだが、お父さんは最終日に徹夜していたタイプだ。息子も次女もお父さんに似て限界まで宿題には手を付けない。 補修期間中も、赤点になったテスト問題のやり直しを手伝ったが、本人が何も理解していないので、お父さんが教科書を確認してほぼすべて答えを教えることになってしまった。 次女にとってはかなり苦痛の時間だったようだが、お父さんにとっては面白い時間だった。30年以上前に勉強した内容だが、意外と覚えているもので「こんな勉強をしたな」と懐かしかった。 英語も国語も数学も、お父さんにとってはどれだけ自分が覚えているかを試しているようで、まるでクイズを出されているような感覚で問題を解くのを楽しんだ。その姿がまた次女は気に入らなかったらしく、ふてくされていたが知ったことではない。 お父さんも高校生の頃、それほど勉強ができたわけではない。それでも一応地域の進学校で進級できるレベルの学力はあった。次女が通う地方の滑り止め私立高校の問題はそれほど難しいと思わないで解くことができる。 そして解いていて思うのだが、お父さんが高校生の頃、今ぐらい要領が良ければもっと良い成績が取れたのかなと思う。 大人になって当時の問題を見ていると、当時とは異なり、強化全体を俯瞰してみることができているような気がするのだ。自分が先生だったらこんな問題を出すだろうということ迄ある程度予測ができる。 次女のテスト勉強でも、ここは必ず出ると言ったところは9割は当たっていた。どうして学生のころこれができなかったのだろうか。成績が良い生徒はもちろん学力も高かっただろうが、予測する知能も高かったのではないだろうか。 そろそろ夏休みも後半である。次女の宿題を手伝いつつ、お父さんも楽しみたいと思う。というか子供の宿題のサポートなど、何か楽しみを見つけながらでないとやっていられない。次女はお母さんに勉強をみてもらうのを拒否している。お母さんがすぐに「どうしてこれがわからないのだ」とキレるからだそうだ。 確かにお母さんは次女の勉強を見てあげているとよくキレている。お父さんの母親も妹の勉強を見てあげてもすぐにキレていたことを思い出す。 偏見なのだろうが、お父さんの時代の女性教師は男性教師に比べてヒステリックな態度をとることが多々あった。女性は勉強を教えるとキレる人が一定数いるのではないかと思ってしまう。
2025.08.03
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お父さんは昔からデンタルフロスというものを使っている。30代になったころから食事をした後歯の隙間にモノが挟まることが多くなったからだ。虫歯予防という意味もある。デンタルフロスを使うと使わないのでは、虫歯になる確率が大きく変わるというのを何かで見たからである。 今は50歳を越えて、ますます歯に挟まることが多くなってきている気がする。歯茎が弱ってきているのだろうか。少し心配である。 昔は歯ブラシで歯を磨けば歯の隙間に挟まったものもそれなりに取れたのだが、最近はがっちり挟まっていて、歯磨きぐらいでは取れないことが多い。デンタルフロスを常に携帯していないと、口の中の違和感で仕事が手につかなくなってしまう。 昔はあまり気にしていなかったが、歯に挟まりやすい食べ物というのは確実に存在する。まずお父さんの好きな肉類である。とんかつを食べた後とか、鳥の唐揚げを食べた後、牛丼を食べた後など大体歯に肉が挟まってしまう。 野菜ではホウレン草とか小松菜みたいにおひたしにする葉物野菜が危険である。大体どこかに挟まってしまいフロスの出番となる。 夏の時期、一番危険なのはトウモロコシではないだろうか。夏になると結構あちこちからトウモロコシを貰うことが多く、我が家ではよくゆでたトウモロコシを夏場に食べる。トウモロコシは一口目から歯に挟まるくらいがっちり入り込んでくる。 トウモロコシを食べて歯に何も挟まっていないということは絶対にないと断言できるレベルで厄介な食べ物である。 一年中食べているもので、もう食べる前から歯に挟まるとわかっていて食べているのがえのきである。これはもう100%歯に挟まる。日本ではしょっちゅう食べるものではないが、ベトナムではかなりの頻度でエノキが食事に入っている。ここでもフロスの出番である。 昔はフロス単体で引っ張り出して切り取るタイプを使っていたが、最近は「糸ようじ」タイプを使っている。フロス単体では口の中に指を突っ込むので人前では使えないが、糸ようじタイプだと口元を隠して使うことができる。 さらに糸ようじタイプの方が的確に歯の隙間を狙って挟まっているものを取ることができる。糸ようじは画期的な発明だとお父さんは思っている。 今日もお弁当に鶏肉が入っていたのだが、食べた後にきっちり歯に挟まっていた。糸ようじがなければ取れないレベルである。昔の人はつまようじだけでこれを取っていたのだろうが、本当にきれいになっていたのだろうか。糸ようじの手元はつまようじのようにとがっているのだが、こちらでやっても上手に取れることはほとんどない。
2025.08.02
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お父さんの会社にとても頭の良い人がいる。東京大学出身などではないが、学歴はともかく会社では突出して頭の良い人である。ただそれが数学的な能力に特化している人である。会社創業当時から社員だった人でもうすぐ70歳になる人であるが、今もその能力を買われて顧問になっている。 お父さんはよくこの顧問さんと打ち合わせをするのだが、彼の数学能力の高さについていけないことが多々ある。彼は製造現場で実際に経験を積んできたこともあり、実務と論理の両面から社内の問題を考えてくれるので、新製品の加工設定などを任せると非常に優秀である。 長く生産技術部長を務めて、ベトナムでも成果を上げてきた経歴を持つのだが、本来なら工場長とかその上まで昇進してもおかしくないくらい会社への貢献度が高いとお父さんは思っている。 ではなぜこの顧問さんが生産技術部長で定年を迎えたかというと、言語能力の低さにあるとお父さんは思っている。 彼は数学的な頭脳と引き換えに言語能力を捨ててしまったような人である。日常会話では普通なのであるが、技術関連の話になると主語も接続詞もなく話をするので、何の話をしているのか聞いている側が分からなくなってしまう。またいつというのを示す言葉も会話に入ってこないので、過去のことを話しているのか、現在なのか未来なのかすらわからなくなる時がある。 彼が情熱的に話せば話すほど、周りは理解できなくなっていく。以前社長が彼に、毎日技術関連の報告を直接社長にするように指示を出したことがあったが、社長のほうが逃げ出してしまった。彼の話の内容が理解できず、ただ単に聞いているだけの無駄な時間になってしまったためだそうだ。 技術系の大学を卒業したお父さんでも話についていくことができないのに、文系出身の社長ではおそらく全く彼の話は理解できないだろう。 この言語能力の低さと数学的能力の高さのバランスがとれていないせいで、彼自身もかなり苦労していると思う。話がうまく通じないせいでイライラしているのをよく見かける。ましてやベトナム人の通訳が主語もなく、時制もない言葉を訳すのは不可能に近い。結局通訳が理解できないから、ベトナム語に訳せずに話が通じない。結局双方のイライラが増していくだけである。 お父さんは彼から何度も資料を貰ったりしているが、ほぼ暗号と変わらない。ゆっくりと解読していかないと何が書いてあるかがわからない。わからないところをさらに彼に聞きに行くとまたいろいろ書いて渡してくれるのだが、これをまた解読するという作業が必要になる。 数学能力が高い人の脳みそはどうなっているのか本当に不思議である。言語能力分野を侵食しているのだろうか。
2025.08.01
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