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お父さんは東南アジアに出張することが多い。そもそもベトナムに会社の工場があるので、1年中海外に行っていると言っても過言ではないだろう。各国で日本人がその国の文化を語るときに「植民地だったから」というのが理由になることがそれなりの頻度である。
例えばベトナム人がベトナム語の大半が中国語を語源としているのに漢字を捨ててアルファベットを使っているのは、長い間フランスの植民地だったからと言われることが多い。
ヨーロッパの大航海時代以降、列強と呼ばれる国々はアジアやアフリカ、南米に多くの植民地を持つようになった。アジアで植民地にならなかったのは日本とタイだけと、学生時代に習った覚えがある。タイの場合はフランスとイギリスの緩衝地帯として植民地化されなかったとも習っている。それが本当だとしたら、日本という国はとても稀有な国であると言える。もちろん不平等条約を結ぶレベルでは列強に負けてしまっているのだが、それでも独立国として国は維持されていた。
いろいろな理由があるのだろうが、お父さんはその中の一つに武士がたくさんいたというのも理由の一つだと思っている。一般的に江戸時代の武士の人口は全体の 1 割弱だと言われている。当時の人口が 3000 万人だとすると 300 万人が武士である。武士というのは普段から刀を腰に 2 本差して街中を歩いていた。鉄砲を持ち歩いている人はいなかったと思うが、人を殺めることができる武器を日常的に持ち歩いているというのは、ヨーロッパやアメリカの街中ではそれほど多くなかったのではないかと思う。武器というのは戦うときに持ち出すもので、日常的に持ち歩く文化はなかったと推測している。
日本を植民地化して軍事力で押さえつける場合、この武士を何とかしなくてはならない。武士を簡単に制圧できる軍事力を日本国内に置かない限り、局地戦で勝てたとしても日常生活を送ることはできなかったのだろうと思うのだ。
現代の日本のように、軍事力があるのは基地と決まっているならば、基地を陥落させれば何とかなるが、日本各地に城があり、領主がいて武士がいる。一つ一つ攻略するのはかなり大変だと思う。
ましてや幕末は幕府の言うことを聞かない藩が大量に出ていたので、江戸幕府を攻略しても意味がない。上陸すればそこら中に刀を持って歩く武士がいる。武士から刀を取り上げようとすれば間違いなく大きな抵抗をされただろうと思う。
有名なペリーの日本来港が 1853 年である。それから 100 年もしないうちに日本はアメリカと太平洋戦争をして神風特攻という戦略を実行した。明治維新にいたる戊辰戦争をみると、武士は鉄砲隊に刀で突撃する精神性を持っていた。命を大事にする西洋人はこのような戦闘民族と自国から遠く離れた極東の地で本気で戦争をする気にならなかったのではないかと思う。あまりにもリスクが高すぎるのである。
ゲリラ活動が活発な地域に一般人はおろか軍隊さえも明確な目的がなければ入ることはない。いつどこで撃たれてしまうかわからないからである。幕末の日本は武士が刀を持ち歩いてそこら中にいたおかげで植民地化を免れたと考えるのは、決して間違いではないだろうと思う。
今現在東北や北海道で熊が出るから山に近づかないのと同じようなものではないだろうか。
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