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初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1天使ちゃんの名前について、一番大事なことを書き忘れてしまった。なぜ、「とある文字」が使いたかったかだ。それはまだ、天使ちゃんが私のお腹にやってきて間もない頃、名前のことを考え始めたときだった。ふと思い浮かんだ文字があった。その文字は、とても大きく、そして幅広い意味を持っていて、当時私が勉強していた占いでもとても重要な意味に使われていた。シンクロにシティ(共時性(きようじせい))か?と当時思ったかどうかは覚えていないけど・・・。ともかく、私は 直感 を大事にする。これは絶対に使うべき文字だと決め付けた。その文字は、一文字でも十分名前として使える。でも苗字の関係上、どうしても一文字だけにはしたくなかった。そして、 ○○あ、○○い、○○う、○○え、○○お、○○か、 と順に、その文字に似合う次なる字を探した。女の子が欲しかったし、女の子だと思い込んでいた私は、考えた名前はもちろん 女の子 用の名前オンリー。そしてとても素敵な名前を思いついた。かわいくて、すごく良い響きで、とても気に入っていた。結局必要無かったけど・・・。しかも天使ちゃんに付けた名前と一文字違いだから、もし万が一次に女の子が生まれても、紛らわしくて使わないと思う・・・。_| ̄|○ でも、実はこの名前、しばらく天使ちゃんに使ってしまっていたのだ。天使ちゃんを見て、つい「○○」と心の中で呼んでいたのだ。それを夫に打ち明けると、なんと彼もそうだというではないか!?なんというシンクロ。なので彼は、意識的に天使ちゃんの名前を声に出して呼んでいるのだそうだ。ほんの数週間の間だったが、とても気に入っていた名前を、「一応」使うことができたからか、気が付いてみると、その女の子用の名前はすっかり私の心から消えていた。成仏(?)したのかな?ところで、天使ちゃんはよく女の子に間違われる。それにはちゃんと理由がある。色白なせいだ。天使ちゃんを見ると、年配の人だとほぼ全員が「まー、色が白い。女の子でしょ?」ときたもんだ。色白=女の子という定義が確立されているかのようだ。そりゃ女の子が欲しかったけど、もう今となっては、男の子の天使ちゃんで満足しているし、女の子と間違われてもうれしくも何とも無い。第一、KABA.ちゃんのような人種になってしまっても、複雑な心境だ。ま、見た目は女の子みたいかもしれないけど、中身はとっても激しい、男の子爆発の性格だからいいかな。天使ちゃんよ、強く優しくそして逞しく育っておくれ。blogランキング 応援 クリック ぷりーず 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/04/20
初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1疑惑たっぷりの朝食後、天使ちゃんの名前について、夫とようやく話題にした。名前、女の子だと思い込んでいた私は、「真面目」に男の子用の名前を考えてはいなかった。もちろん、万が一のことは当然予想はしたので、「それなりに」「こんなのでいいんじゃん」って具合には考えてはいた。が、実際にその状況が来てしまうと、「どうしよう・・・」という気持ちだった。かなり本気で、「やばい、一生に関わる名前だ。へたなものは付けられない。いい加減にも出来ない。 こんなことなら、もっとちゃんと考えておくんだったよ・・・。私のバカ、バカ、バカ!!!!!・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。ウワーン!!」と後悔してもどうしようもない。腹をくくってさっさと決めなければ。でもわりあいすんなりと、「やっぱあれでいいんじゃん?」と決まった。結局、結構適当に決めてしまった感じだ。しかしまだ問題は解決したわけではなかった。次は、その名前に当てる字である。一文字は「必ずこれは使いたい」という私の希望があったので決まっていたが、もう一文字を決めかねていた。こればかりはすぐには決まらなかったので、後回しにしておいた。夫が帰って一人ベッドでぼーっと名前のことを考えていると、ふと文字が思い浮かんだ。「なるほど、この文字もあったか・・・」と候補の一つに挙げて、後ほど夫一家の懇意のいわゆる「見える人」に鑑定を依頼。結局この時にふと思い浮かんだ文字に決定した。ろころで、なぜこの人に名前自体を考えてもらわなかったかって?名前は私と夫で考えたもの、というか直感で浮かんだものを付けたかったのだ。ともかく、天使ちゃんの名前、無事決定しました!正直すごくホッとした。(ー。ー)フゥ願わくば、大きくなった時、天使ちゃんも気に入ってくれるといいな。blogランキング 応援 クリック ありがとう 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓若返りの秘密予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/04/14
初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1夫が連絡をしてくれて、近所に住む私の両親が駆けつけた。天使ちゃんを見るなり、実母「んま~、何てでっかいあかちゃん、見てよこのでっかい足。これはもう生まれて一ヶ月くらいたったような大きさよ!」 !!w(゜o゜*)wと、私が気にしている「でっかい」を強調する。「ああ、でっかいさ!私と夫の子だからね。小さかったら逆に変だろうよ!」と、半ば逆切れ状態の心境だった。両親は長居せずにすぐ帰って、私は朝食を食べた。メニューは、油で焼いた卵焼き漬物味噌汁ご飯だった。「油で焼いた物?漬物?これって、産後の母乳を出す体に適した食べ物か?」とベテラン助産師の用意した食事に疑問を持ちながらも完食した。今思うと、漬物と卵焼きは食べるべきじゃなかった。しかも味噌汁も味が濃かったから、水で薄めればよかった。しかし、疑問たっぷりの食事は、これが単なる序章にしかすぎなかったのである。 ( ̄□ ̄;)!!ちなみにその後に出た昼のメニューは、鳥のから揚げご飯トマトとキャベツジュースだった。「鳥のから揚げ?しかもトマトとキャベツには、マヨネーズが付いてる? これって、目の錯覚じゃないよね?」朝食に引き続き、目を疑うようなメニューだった。しかも私は鳥が嫌いで、鶏肉は焼き鳥とチキンナゲットしか食べられない。でも食べるものはそれしかない。あんな大仕事をしたのだ。食べなければ、体力がつかん。おっぱいもでない。がまんして完食した。しかし、朝のメニューならまだしも、鶏のから揚げとマヨネーズは無いんじゃないか?( ̄ー ̄?).....??アレ??百歩譲って、ささみとかの鶏肉は良しとしよう。でも揚げ物はありえないでしょう?一体どんな産後の栄養学を習ってきたんだ?おとぼけなくらいのお年のベテラン助産師だから、「きっと産後の食事もちゃんと良く考えられている粗食だよね~」と母と期待していたのに・・・。ちなみに聞く所によると世間では、最近は少子化の為、産院はあらゆる手を尽くし妊婦さんを魅了している。その中には、高級レストランのメニューを取り入れた、高たんぱく高脂肪のローストビーフや、ケーキまで出す産院もあるそうな。信じられん。( ̄[] ̄;)!ホエー!!果たしてそれらの産院の医師は、本当に産科医なのだろうか?産後の体に、そんな食事が適していると思っているのだろうか?そんな物が母乳に良いと思っているのだろうか?ちなみに、知り合いが出産した産院がそうなのだ。そして、彼女の担当医は、「入浴前後の30分は、赤ちゃんに何も飲ませてはいけない」と言うそうな。なぜだ?なぜ水分を摂ってはいけないのだ?風呂に入れば普通、汗をかいて喉が渇くし、「水分補給は入浴後よりも入浴前にした方が良い」という説まであるのに、なぜゆえその産科医は「飲んではいけない」などというのか?残念ながら理由は分からない。しかし私はその産科医のいう事は全く信用できない。だって、産後の体にケーキやロースとビーフ等を平気で出す、産後の体や母乳の事を全く分かっていないような医師の言うことなんて、信用度ゼロですから~。残念!_| ̄|○ blogランキング 応援 クリック ありがとう 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓若返りの秘密予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/04/10
初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1様々な期待を裏切られ、がっくりきていた私に追い討ちをかけるように、胸が苦しくなっていた。胸が締め付けられるような感じだった。痛みが引いては、またやってくるという感じで繰り返していた。胸が苦しくなるのはこれが初めてではなかったので、あわてはしなかったが、それまでのよりも時間は長いし、子宮の収縮も始まっていて、ダブルで苦しかった。しかも天使ちゃんは泣き出していた。実は小学生の時に、心電図の検査で引っかかりよく調べて見ると、少なくとも当時の私の心臓は、私の体のサイズにしては小さかったのだ。以来心臓の検査はしていないので、今では私の体の大きさに適したサイズになっているのかどうかは知りようが無かった。お産が短時間過ぎて体がびっくりしたからなのか、ともかく胸の痛みは治まらない。天使ちゃんは相変わらず泣いていて、抱っこをしたいのに、それも叶わない。夫は私を心配して、私につきっきり。本当は天使ちゃんを抱っこしてあげて欲しかったので、「抱っこしてあげて」と言うと、「大丈夫だよ」と私から離れようとしないのだ。私「夫よ~、待ちに待った我が子よりも、私を心配してくれるのね~」でも、「こんなはずじゃなかったのに・・・」と、すごく悔しかった。おとぼけ助産師は、どこかに休憩に行き、サポートが付き添っていた。私が昨晩食べたきり、今まで何も食べていないことを知ると、びっくりしていた。もちろん家を出てからは、水の一滴すら飲んでいなかった。サ「胸が苦しいのは、お腹が空いているからかも・・・」サポートが砂糖水を作り、夫が飲ませてくれた。そしてヨーグルトとバナナを食べ、しばらくしてようやく胸の痛みは治まった。相変わらず天使ちゃんは、泣いたり泣き止んだりを繰り返していた。私ってば、最初は「不安がって泣いているから抱っこしてあげたい」なんて感じていたのに、そのうち「うるさいな~」と感じているようになっていた。私のイメージの新生児、しかも生まれたての赤ちゃんの泣き声は、か細く「おんぎゃ~」というものだったが、天使ちゃんはみごとにそのイメージをぶち壊してくれた。産声からして「うんが~」だったのだから、その後の泣き声だってそう変わらないのだろう。「あんた新生児でしょ?しかも生まれてまだ数時間も経ってないんだよ?」と困惑している私の想いは無視されて、相変わらず天使ちゃんは力いっぱい、「うんが~」。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。と、ゴジラが吠えているかのように泣いていた。blogランキング 応援 クリック ぷりーず 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/03/20
初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1出産方法に裏切られ、天使ちゃんの性別にも裏切られ、体重までも予想以上。どうりで、出産一ヵ月半前から、「頭が下りてきているからいつ生まれてもおかしくない」な~んて言われるし、ご飯が食べられないほどおなかが苦しく、体重まで減ってしまう始末。無理やりご飯を食べていたのよね。それがいけなかったのか・・・・。ともかく、今更女の子に戻すことも出来ないし、小さくすることも出来ない。あたりまえだっつうの!現実をなかなか受け入れられないながらも、とりあえず次の期待に胸を膨らませていた・・・。次の期待とは、「カンガルーケア」だ。カンガルーケアとまではいかなくても、せめて産湯につかったらすぐに抱っこをしたかった。しか~し、天使ちゃんはなかなかこない。いつ抱かせてくれるかと待っていたが、結局抱かせてもらえないまま、天使ちゃんは隣の部屋のベッドに寝かされてしまった・・・。「助産院だから、こんなことやあんなことは当然してくれるのだろう」なんて思い込んでいた私がおバカだったようだ。「仰向けで産むのよ!」な~んて言ってのけるサポートは、当然何も期待できるはずも無いけど、この後思い知ることになるのだが、このおとぼけ助産師、「この人本当にベテラン助産師なの?」と疑ってしまうほど、赤ちゃんを取り上げる以外のことは、お話にならなかった。blogランキング 応援 クリック ぷりーず 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/03/15
3ヶ月ぶりに、天使ちゃんの出産シリーズ再開です。この頃物忘れが酷いので、忘れてしまう前にがんばってかきますわよ~。初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1どこまでだったか忘れちゃった人は→天使を取り上げた助産師 16 へ「もうやめる~!」と、一時はどうなってしまうのか自分でも分からなくなっていた状況と痛みを乗り越え、無事に出産できた。私が性別にショックに打ちひしがれている傍ら、夫は「ありがとう~ヾ(@⌒▽⌒@)ノ、良かった~(T○T)」と、号泣していた。男でも女でも、彼はどちらでも良かった。赤ちゃんを目の前に持ってきてもらうと、私は両手が痙攣して震えていた(この私の様子に夫はすごく笑えたらしい)。私「私にもちゃんと産めたのね~(^。^;)」と、性別のショックは忘れて、とりあえずホッとした。後産もすぐに出てきた。自分で見てみたかったが、夫に写真を撮ってもらった。でも、ぶれていた(へたくそ!)出産中、私は汗をほとんどかかなかったが、出血もほとんどしなかったらしい。天使ちゃんは、計測をしてもらっていた。サ「身長51センチ、体重3000・・・500」私「3500か、まあ、良しとしよう。 んっ、3500?なんだと~!?」3500と聞こえてはいたが、頭の中では3050と置き換えていたので、一瞬喜んだのだ。実は私は3000以下で産みたかったのだ。いずれ大きくなるのだから、最初は小さい方が、小さい時間が長い。だから、小さく産みたかったのに・・・。性別といい、ダブルでショックだった。まあ、私(166)も夫も(177)大きめだから、当然といえば当然だけど・・・。お産も思ったより長くかかり、一気に疲れた気がした。ではなく、疲れた。しかし、3500の大きめサイズを、骨盤が狭く高齢出産一歩手前の難産型の私が、医療器具や薬を一切使わない、100%自然分娩で5時間半で産めれば、決して時間は長くは無いのだけど・・・。その時の私には、10時間くらい苦しんでいたような気がする。陣痛には絶対量というものがあり、トータルの陣痛の痛みは誰も同じらしい。お産が長引けば、それ程強くない陣痛が長時間有り、短いと、かなり激しい痛みが集中してくるようなのだ。だから、陣痛促進剤を使うと、お産の時間が短くなるので、陣痛もかなり強くなるらしい(もちろん私は使っていない)。なので、助産師から半日掛かると言われると、5時間半で生まれる強烈な痛みを味わっている私は、「冗談じゃない」と思うのは当然だった。ことごとく期待を見事に裏切ってくれたお産。この時の「裏切り」は、これからの私の期待への「裏切り」まみれの日々の単なる序章に過ぎなかったことは、この時にはまだ知る由も無かった・・・。blogランキング 応援 クリック ぷりーず 初めての人は、ついでにこちらも覗いて見て~! ↓↓↓↓↓↓↓↓予防接種を受ける前に中国の7色に輝く河川と食品
2006/03/10
初めての人は、こちらからどうぞ!→天使を取り上げた助産師 1「一体いつまでこんな事が 続くんだ~~~~~ヾ(>y_
2005/12/03
なかなか無くならない出産中の障害。それは、いきむ度に、サポートが肛門をおさえるのだ(>_y
2005/11/27
周りでしゃべられる事の他に、まだ私をイライラ(>_
2005/11/07
横向きから仰向けになろうと、私は陣痛の引くタイミングをひたすら待った。が、待てど暮らせど一向に引く気配が感じられない。私 「くそ~、どうすりゃいいの? このままじゃ痛くて 動くにも動けないよ・・・ヘ(>
2005/11/06
天使を取り上げた助産師 12そういえば、横向きになったばかりの頃、こんなことがあった・・・。サ「奥さんの腰をさすってあげて」と夫に言った。きっと夫は、「待ってました\(^O^)/!」とばかりに張り切ったことだろう。何と言っても彼はプロの指圧・整体師。自慢だが、腕は最高なのだ!彼になでさすりしてもらえば、とても気持ち良く、痛みも和らぐだろう。だって、普段施術してもらうと、「極楽~」って、いつもよだれ垂らしてるし・・・。な~んて出産前は思っていた。でも、今回は違った。夫が腰をさすり出すと、気持ち良いどころか、超イライラする!自分でも分からないけど、とにかく触られるのが嫌なのだ。私「触らないでヘ(>_
2005/11/05
相変わらず手ごたえゼロ。拷問の様な痛みだけが、実感できるのみだった。やっぱり仰向けは、どうにもしっくりこない。陣痛の波が引いたのを見計らい、今度は横を向いてみる。私「う~ん、ちょっとはましかしら?┐('~`;)┌」横向きの姿勢で、「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」と繰り返していると、夫「(サポートに)横向きでも産めるんですか?」サ「産めなくは無いけど・・・・」私「ほとんど産めなさそう・・・_| ̄|○ でも、産めようが、産めまいが、 今はこの格好がいいんだよ~ バカ~、わからんち~ん(T0T)」などと思っても、もちろん産まれてくるわけではないし、最後にはサ「仰向けにならないとダメよ!\(`o'")」 と怒られた・・・。私「くそ~、何で怒られなきゃいけないんだよ~。 この人(サ)ホントむかつくわ(`ヘ´) !!!」そういえば、このサポートには最初の頃、陣痛のあまりの痛みに、私「痛~い!」と叫んだら、サ「痛いじゃない!\(`o'")」って怒られたんだっけ。私「痛いから痛いって言ってるのに、痛くないとでも言えっての!?┐('~`)┌」未だに何で怒られなきゃいけないのか、納得いかないのよね・・・。と、話を戻して、なかなか仰向けにならない私に、夫「仰向けにならないと産めないよ~」と、言うのだ。私「言うのは簡単だけど、やるのは私で大変なんだから! それに、私だって仰向けになろうと思ってるんだけど、陣痛がおさまらない (陣痛と陣痛の間隔が殆ど無かった)から、痛くて動けないのよ~、 きーーーーーーーーW(`0`)W」そうなのだ、私だって仰向けになろうと必死で陣痛の波が引くのを待っていたのだが、陣痛が全然おさまらない。私「どうしよう・・・。どうやって仰向けになろう・・・。痛くて体が動かせない・・・(ーー;)。」今思うと、夫に頼んで仰向けにしてしてもらえばよかった気がする・・・。でも当時の私は、そんなことまで気がまわる余裕ゼロ。一体どうなることやら・・・。blogランキング☆気に入ったら クリック ぷりーず☆
2005/10/31
おでこを枕に押し付け、膝を立てる。今考えると、この姿勢って決して「産み易い」姿勢じゃないな~。重力に反してるもんね。せめて、ベッドの縁に手を置いて、そこにおでこを押し付けるべきだったな。今更遅いけどね。というわけで、結局この姿勢でも楽になれないし、何の手ごたえも感じられなかったので、陣痛の波が引いたのを見計らい、また仰向けになってみた。「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」を繰り返す。どんどん、どんどん痛みは増す。先の見えない不安と、予想をはるかに超えた痛みに、へたれな私は、「もういいよ。産めなくていいから、もう終わりにしたい・・・」などと思い、私「もういい~」と、ついに言ってしまった。すると助産師達は、「あらそう、じゃもうやめましょう♪」などともちろん、言ってくれるわけはなく、私の訴えは完全に「無視」された。(当然だって!(,_'☆\)仕方なく(?)また例の、「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」を繰り返していると、助産師は予想だにしなかった事を口走った。助「あら○○さん、あなた3○才なのね、20代かと思ったよ。 こりゃ、あと半日は掛かるね・・・」私「えっ、20代?私ってそんなに若く見えるの?(^O^)ウホホ は~、でもあと半日か~。 そうしたら天使ちゃんに会えるのね~(^^_)ルン♪(^^_)ルン♪(^^_)ルン ♪」などと、悠長に思うことができるわけが無く、私「・・・・はっ!?あんた今更何言ってるの? 年なんて初診の時にちゃんと分かってるし、 確かその後も何度か話題にしたはず・・・。 それよか、半日って何よ、半日って!? 後1秒だって、我慢できないよこんな痛み、冗談じゃないよ! あと半日もこんなことやってられるかっての!W(`0`)W ガオォー!!」と、心の中で吠えていた。あと半日もこの状態に耐えられる自信は無く、かなり不安になりながらも、相変わらず遠慮無く襲い掛かる陣痛に、「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」をただただ、繰り返すしかなかった(→。←)。
2005/10/27
襲い掛かる陣痛に、成す術を知らない私を察したのか、サ「陣痛が来たら、2回深呼吸をして、大きなウンチをするようにいきむのよ」と、初めて私の為になる言葉を発した。私も素直に、「そうか~、大きいウンチをするようにね、そういえば、よくそんな風に言うよね(^_^)3 フムフム」等と感心し、早速「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」とやってみる。「スポン」っと出てくるわけがない。(当たり前じゃん!(・_*)\)とりあえず、陣痛が来るたびに繰り返してみる。仰向けで。何も変化無し(私にとっては)。しか~し、夫曰く(後で聞いた)、「いきむ度に、少~しずつお腹の中で頭が下がって来るんだよ!」私には、何も感じられなかった。これがすごくストレスになった気がする。何の手ごたえも感じられない・・・。でも、他にどうしてよいのかわからない。「スー、ハー、スー、ハー、う~ん」と、繰り返すしかなかった。仰向けで。陣痛は、どんどん、どんどん辛くなる。もう痛みに耐えられず、仰向けではいられなかった。膝を立てて、うつ伏せになってみた。ちょっと楽かも(^_^;)。額を枕に強く押し付けると、何だか気が紛れる気がした。しばらくこの格好で頑張ってみたけど、(私には)やはり何の手ごたえも無し。私って、鈍いんだろうか・・・(ーー;)。ついでにこちらも覗いて見て! 新宿の空気って美味し~いblogランキング☆気に入ったら 応援クリック ぷりーず☆
2005/10/23
気分は最悪、陣痛の間隔は短くなり、痛みもどんどん増してきた。ぶっちゃけ、私は母親学級に参加したり、ラマーズ法とかは全く勉強しなかった。イメージトレーニングのみ、ちょこっと練習した程度だった。当然いきみ方なんてのも、よく判っていなかった。最後の検診の前の検診時に、助「次回は入院する部屋と、出産のビデオを見せますね」と言ったので、私はそのつもりで次の検診に行くと、案の定助産師はそんなことを↑憶えているはずが無かった。私の次に、しっかりと別の妊婦さんの予約が入っていた。しかも、助産師はビデオなんかのことはすっかり忘れているのか、話題にもせず、もちろん私もいい加減彼女のことは把握しているつもりだったので、「ま、彼女だから仕方ないか。部屋だってそれなりの部屋だろうし、ビデオ は見てみたかったけど・・・・、ま、いっか。もう次の人待ってるし ね。」ぐらいにしか思わず、その日は助産院を後にした。ビデオに関しては、ついに見ることは無かったので何も判らないが、部屋に関しては、「事前に見なかった方が良かった」のである。ともかく私は、容赦無く襲い掛かる陣痛に対して、「どうすればよいのか」全くわからず、痛みから逃れようとする以外何もできなかったのである。
2005/10/21
サポートとやり合う余力の無い私は、しぶしぶ仰向けで陣痛と格闘していた。サポートは、私の腰の部分に何か「板?(腰を浮かす為の硬い枕らしい)」のような物を入れたのだが、これがどうにも「不快」なのだ。最初は我慢していたのだが、硬くて痛いし、どうやら私の体に対して、多少曲がって置いてある感じで、すごくイライラする。サポートにもイライラ、陣痛にもイライラ、そしてこの意味不明な物体にもイライラ。いい加減私は我慢できなくなり、「これ嫌!背中が痛い。外して! 」と叫んだ。すると、サポートは「しぶしぶ」外してくれたのだが、「最後には入れるからね!」と、またもや有無を言わさない。私「あんたは、ただのサポートでしょ!? 私はあんたにお産を頼んだわけじゃないのよ! なのに、何であんたに指図されなきゃならないの? きーーーーーーーーーーーーーーーっ!」怒り爆発で最悪の気分のまま、お産は進んでいった。
2005/10/19
サポートが着くと、助産師と一緒に私にいろいろ(汚れないように)装着し始めた。しかも、「仰向け」仕様。私「この格好(仰向け)で産むんですか?」サ「仰向けでやります」私「はっ、何言ってんのこの人!?私は自分が楽と感じる好きな姿勢で産みたくて、助産院を選んだんだよ!?しかも、助産師は、『好きな格好で産んでいい』って検診の時に言ってたし、当然だと思うんだけど!!!!!!!!!」と、陣痛と戦いながら心の中でわめいた。悲しいかな、あまりの陣痛の痛みで自己主張する余裕が全く無かったのだ・・・。しかも助産師は何も言わない・・・。私「うそつき~!!!!!!!!! 」さらに陣痛の痛みが増した気がした。
2005/10/18
相変わらず襲い掛かってくる陣痛に、私はレイキをしたり、何度も深呼吸をしたりして、痛みを和らげようと無駄なあがきをしていた。もちろん痛みは全く和らがなかった。私は記憶が無く、後で夫に聞いたのだが、助産師が内診をした際、どうやら天使ちゃんの頭に触ったようだ。彼女が思っていたよりも、早くお産が進んでいたのだ。11時50分頃に陣痛が始まり、助産院に電話をしたのが、1時過ぎ。母から電話があったのが1時半頃。遠回りをしながらも助産院に着いたのが、2時頃。多分それから30分もしないうちに、助産師は夫にサポートの助産師(今後サポートとする)を呼ぶように頼んでいた。とそこで、電話のある机で夫はある物を発見した。私が電話で伝えた、私の電話番号の書かれた紙だ。(もちろん出産後)夫「紙に書かれた番号、間違ってたよ。」夜中の一時過ぎに、間違ってかけられた家の人、ご愁傷様です。電話の事を話題にするのは、これでやめます。ともかくサポートは、10分程で着いたらしい。そしてここから私の「こんなはずじゃなかった」出産が始まるのだ。
2005/10/17
助産院からの連絡を、今か今かと待っている間、私はトイレで用を足し、襲い掛かる陣痛に耐えながら出てくると、電話が鳴って夫が出た。母「助産院から用意ができたって電話があったよ」と言う。私は訳が分からなかった。なぜ「実家に」連絡が行くのだ?そしてこの時は、すぐに謎が解けた。実は、助産院に通い出した頃、私は実家にいたのだ。その後実家から歩いて10分弱、助産院により近くなった所へ引っ越したのだ。なので、最初に連絡先を書いたときは、実家の番号を記しておいた。もちろん引越し後は新しい自宅の連絡先を教えてあるのだが、この先はあえて言う必要も無いだろう。ともかく、先ほどの夫を起こしてしまった電話でのやり取りは、全く無意味な物となった。程なくして、両親が車で迎えに来てくれた。当初の予定では、助産院まで歩いて行こうと思っていたのだが、彼らももう起きてしまっているし、陣痛も辛かったので、車で送ってもらうことにした。そして、いつも通る道を行こうとすると、そこは一方通行だった。普段は歩きだから、一通も何も関係無いので全く気にする事は無かったのだが、車で楽に行けると思いきや、そうは問屋がおろさないらしい。陣痛が、さらに痛みを増した気がした。結局、車だと普段の距離の10倍以上遠回りをしなくてはならなかった。ともかく無事に助産院へ辿り着いた。すると助産師が、「子宮孔の開き具合によっては、一旦家に帰るかもしれないよ」と、既に10月7日の日記に書いた事を言った。その時私にある記憶が蘇った。妹が出産した時の事だ。彼女は夜中に産気付き病院へ行ったのだが、結局微弱陣痛だった為生まれず、翌日家に返されたのだ。私の陣痛が、微弱なのかどうかは分からない。ただ、もう一秒でも早く、終わってほしいくらいの痛さだった。子宮孔は5センチ開いていた。家には返されずに済んだ。両親は、そのまま所産院で待っていようとしたようだが、いつ生まれるかは誰にも分からない。家は近くなので連絡すればすぐ来れる。なので、一旦家に帰ってもらった。いろいろと準備をしながら、助産師は電話番号の事を話題にした。助「新しい電話番号をおしえてくれなきゃ。」私「・・・・・ははははは。」笑うしかなかった。ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネもちろんちゃんと教えているし、「第一何十分か前に教えたばかりだろ! 」と、心の中で叫んだ。まあ、陣痛が来たと電話をした時に、彼女はもう眠っていたようだったので、きっと頭も「眠っていた」のだろう。今更電話番号のことなんてもうどうでもよかった。私は一刻も早く、天使ちゃんに出てきてほしかった。
2005/10/16
「ボケ」の入った人の例にも漏れず、助産師は同じ事を何度も聞き、何度も言う。そして、やるべき事を忘れる。検診時に体重測定や、心音チェック、エコー等行う事を忘れるのは、すぐに慣れた。もちろん、助産院を出るまでには検診項目は全てやってもらっていたので、ご心配無く。心配と言えば、「ボケ」よりも、「この人(90近いと思っていた)私の出産が終わるまで、ちゃんと生きているよね」と、冗談抜きで心配していた。しかし、ご存知の通り、この心配は杞憂に終わった。(^。^;)ホッそしていよいよ出産の時を迎え、全て準備をしてから助産師に電話を入れた。私「陣痛が5分間隔になってます」助「わかりました。用意ができたら連絡しますので、電話番号を教えてください」私「000-0000です」助「はっ?もう一度」助産師は耳も「ボケ」が入っているのだ。当然この電話番号のやり取りは、ご想像の通り何度か繰り返された。ようやく電話番号を伝え終え、彼女からの連絡を待っていた。夫が立ち会うことになっていて、いずれは起こすのだが、仕事で疲れているのでぎりぎりまで寝ていてもらいたかった。なので、できるだけ彼を起こさないよう、でも助産師にも聞こえるように電話で話すのは、非常に体力を消耗した。そして10月7日の日記でも書いたように、この電話のやり取り中に夫は目が覚めたのだ。夫「来たのっ!?」そして、洗面所に直行し、髭剃りの音が聞こえてきた。そしてドライヤーまで聞こえてきた。丁度陣痛に襲われていた私は、「髪なんでどうでもいいじゃん!服さえ着れば十分でしょ!?」と、イライラし始めていた。助産師からの電話もなかなか来なかった。
2005/10/15
助産師もボケているのだが、私も負けず劣らずボケいていたようだ。「ボケ菌」にでも感染したのかいな?ともかく助産院に通い始めて2回目の時に、母子手帳に記入する「週数」が「合わない」ことに気が付いた。助産師は、私の目の前で母子手帳にいろいろ記入している。病院で記入してあった週数と、前回の助産院での検診時に記入した週数だと、計算が合わない。うかつにも私はその「謎」の正体になかなか気が付かなかった。助産師も計算が合わないことに気が付いて、二人して「なぜこんなに週数があいているんだろう?」と考えてみたが、答えを出せず、とりあえずその問題は無視された。(オイオイ、いいのかよ)そして私は家に帰ってもう一度良く「週数」を検証してみた。完全に「ボケ菌」に感染してしまった私は、やはりなぜ合わないのかわからない。しかも、「あの先生の事だから・・・」等と、人のせいにまでし始めた。そして私のとった行動は・・・・病院での予定日を基にした週数に、何と修正液を使い自分で「修正」したのだ。そしてその後助産師の記入する週数も、全て「修正」していた事は、言うまでも無い。さらに、助産師はその事に一度も気が付いた事は無い。この助産師にして、この妊婦あり。ああ、何と素晴らしき「ボケボケ」コンビ。
2005/10/14
もうちょっと出産の状況を細かく記録したいので、しばらく出産までの内容にします。私は妊娠する前から、出産するなら助産院と決めていた。その後、医師の産院でも私の望む出産・入院方法が可能な事を知るのだが、当時はそんな情報は無かったので、助産院しか頭に無かった。幸い、実家から歩いて行ける距離に2件あり、どちらかにしようと思っていた。でも、最初は病院に通っていた。6ヶ月位の時に、助産院に変更した。ちなみに、通っていた病院と助産院は、殆んど目と鼻の先程の距離だった。助産院の助産師は、かなり年季の入った人だった。90歳くらいかと思っていた。実際、随所にかなりの「ボケ」が見られたのだ。でも、お産に関しては不安にはならなかった。「頭は多少ボケが入ってても、身体に染み込んだものは自然と出てくるはず」と勝手に思い込んでいた。問診が終わり、彼女は出産予定日を割り出していた。一応、すでに病院で言われた予定日は言ってある。そして、彼女の割り出した予定日は、私の最後の生理開始日から、単純計算をして割り出した日で、9月の下旬だった。病院で聞いた予定日は、エコーで見た卵細胞の大きさから判断したものだ。ちなみに、私は病院側を信じていた。というのは、私の生理周期は、28日でなく、だいたい35日くらいなのだ。それに、ほとんど周期的に来た事は無い。もちろんその事を助産師には、「何度」も言った。しかし彼女の耳及び脳は、それを全く受け入れず、あくまでも28日周期の単純計算に固執した。病院側の予定日だと、35日よりも、かなり送れている排卵日の計算になっているのだ。彼女は、自分の割り出し日を主張したが、私は病院の割り出し日を押し通した。しかし、この予定日に関する事で、後々ややこしいことになるとは、その時は知る由も無かった。ちょっと話はそれるが、彼女の使っている体重計は、「アナログ」である。ちなみに最初に行った時に計ると、針がずれていた。「どうせ彼女にとっては1,2キロの差なんて大した事ないよな」と勝手に思い込み、針のことには触れなかった。だって、彼女目も悪いので、微妙な針加減なんかできそうになかったんだもん(*^.^*)エヘッ。確か、二回目に行った時だったかな?彼女は、「出産予定日を9月○日(彼女の割り出した日)にしましょうよ」と言って来た。ともかく彼女は、「これで計算すると予定日は9月○日なんだけどね~。○○先生は、10月○日って言ってた?」を繰り返すのだ。何度言っても、私の説明を受け入れない耳及び脳にはいい加減うんざりしていたので、「もうどっちでもいいです」と言ってしまったのだ。どうせ、予定日は予定日だし、実際生まれる日とは何の関係も無いので、どちらでも問題ないだろうと思っていた。そしてそれ以降、検診に訪れると、まず「予定日は9月○日ですよね?」と確認するのだ。で、私も自分が「どちらでもいい」なんて言ったことは憶えていなくて、「相変わらずボケてるよ」くらいにしか思っていなかった。もちろん、私も「いえ、10月○日です」と、毎回切り返していた。
2005/10/13
出産は、私が思っていたよりも長くかかった。と言っても、最初に陣痛に気付いたのが、午後11時50分。そして産まれたのが翌朝の5時20分。5時間半である。ちなみに、医療器具・薬等は一切使っていない、100%自然分娩だ。一般的には、初産でしかも骨盤が狭く高齢一歩手前の自然分娩にしては早い方だ。それを「長い」と感じる位だから、分娩中に「こりゃ半日掛かるわ」 と言われたら、「冗談じゃない」と思うのは不思議ではない。5時間半を長いと感じたのは、4歳下の従妹が、「3時間で出産した(子宮孔を柔らかくする注射を打ったのだが)」と言う話を聞いていたので、私もなぜか「じゃあ私も3時間くらいで産めるかな~」などと思い込んでいたせいもある。しかし、「3時間」には何の根拠も無かったわけではない。というのは、前述の通り私は骨盤が狭く、初産で高齢出産一歩手前というリスクがあったので、毎日の柔軟体操とウォーキングを欠かさなかった。さすがに出産前に雨のひどかった2日間は、外には出なかったけどね。家の雑巾がけもやっていた。当時は部屋にエアコンが無かったので、体を冷やす事もなかった。そして指圧・整体の治療師である夫の治療も毎日のように受け、骨盤と筋肉を柔らかくし、ともかく「安産」になるように、できる限りの事をしていたのだ。実際、助産師は「半日掛かる」と思っていた事もあり、私の分娩時間にとても驚き、後でいろいろ質問してきたほどだ。でも私には「長かった」のだけれどね。今から思うと、的確な「いきむ場所」にもっと早く気が付いていれば、もう少し早く生まれることができたのかもしれないけど、これも「運命」なのかもしれない。ともかく、今更何も変えられないので、今後の参考材料にしようと思う。でも、高齢出産一歩手前の私も、まだまだピチピチのオネィちゃん達に負けてないわね!ホ~ホホホホホ。blogランキング☆気に入ったら クリック ぷりーず☆
2005/10/09
ついにこの日がやってきました。いよいよブログを始めます!そして今日は、一年前に我が家に天使が舞い降りた日でもあります。そうです。我が家の天使は一才になりました♪長かったような、あっという間だったような。ともかく「何とか一年を過ごせた」というのが、正直な気持ちです。思い起こせば、一年前の9月の終わり(というか、細かく書くともっと前からになるのですが、その辺は省くことにします)、検診に行くと「子宮孔が2センチ開いているから5日以内に生まれるよ」と言われました。「予定日まで2週間ちょっとだから、もうそろそろか。食材の買い置きも使い切らねば・・・。それにしてもさすがにあのトシ(90近くに見える)くらいのベテランにもなると、子宮口の開き具合でどれくらいで産まれてくるのか分かるのか~」等と考えて、入院時に持っていくものを、用意し始めました。台風が近づいていたので、「低気圧に刺激されて生まれてくるかな。1日に生まれてくると、みんなに誕生日を覚えてもらいやすいな」等と思っている間に、台風が過ぎ、すでに「予言」の5日も過ぎ、「一体いつ出てくるんだ~?早く出ておいでよ~」としきりにお腹に問いかけたものです。その一ヶ月くらい前には、引越しでの無理(気を付けてはいたのですが)がたたり、「(子供が)大分下りてきてるよ」と言われ、「まだ産まれちゃだめだよ~」と言っていたのです。子供にしたら、「一体どうすりゃいいの~?」ってな気分だったのかもしれないな~。しかし、今思い起こすと、出産の2,3日前から「前駆陣痛」なるものが来ていたのです。ただそのときの私は「前駆陣痛」なるものを全く知らず、歩いていて立ち止まらないとならないほどの痛みがあったのですが、「普段より痛いな」程度にしか思わず、それに一日に何度もあったわけではないので、気にも留めていなかったのです。そうこうしているうちに、一年前の今日に日付が変わる30分ほど前に地震がありました。丁度柔軟体操をしていました。かなり長くて決して弱くない揺れでした。やっと揺れがおさまり、柔軟体操を終え、日付が変わる10分程前にトイレに行くと、お腹が痛み出しました。かなり痛くてしばらく動けませんでした。「もしやこれは!?」そうです。例のヤツがやってきました。いわゆる「陣痛」というヤツです。「もし陣痛(ということ)に気が付かなかったらどうしよう?」なんてアホなことを思ったりもしていましたが、そんなことは杞憂にすぎませんでした。でも、出産にうれしさよりも痛みへの恐怖と不安の方が大きかった私は、「陣痛でないように!」と、悪あがきをしていました。しばらくすると痛みもおさまり、念のために時間をチェックしてふとんに入りました。そしてまた例のヤツがやってきました。時計を見ると、前に来たヤツから10分強後でした。かなり痛く、体を丸めて痛みに耐えていました。「やはり”陣痛”なのか?」とまだ悪あがきをしていて、「念の為一時間くらい様子を見てみよう」と、眠ろうとしました。そしてやはりヤツはまた10分強後にやって来て、そのうち「様子見」の一時間が過ぎトイレに行くと、「お印」がありました。「やはりそうか。いよいよか。」ついに観念し、助産院に電話をしました。電話の声で夫が気が付き、あわてて起きてきました。そうです。夫も立ち会うのです。助産院に着くと、「とりあえず子宮孔を見てみましょう。もし開きが少なかったら、一旦帰ってもらうからね」と言われ、「まじかよ、冗談じゃないよ、こんなに痛いのに。また家に帰るって勘弁してよ」と思いながらベッドに横になると、「5センチ開いてるからこのままお産だよ」と言ってくれ、「やれやれ、よかった~。」まずは一安心。かなり早くお産が進んだようで、子宮口から頭が触れて、助産師(A)はあわてて、夫に「急いでこの番号に電話して」と、サポートの助産師の呼び出しを頼んでいました。サポートの助産師が到着し、いろいろとお産の仕度が始まりました。そしてそのサポートに衝撃的なことを言われたのです。「仰向けでやります。」と、一方的に、しかも殆ど命令口調で言われたのです。「えっ、うそでしょ!?Aは好きな格好で生んでいいっていったじゃん。それに、フリースタイルも助産院を選んだ理由の一つだよ!?」とかなり困惑しましたが、陣痛の痛みで自分の考えを主張する余裕も無く、でも、途中でむりやり楽に感じる姿勢に何度も変えたりしました。すると、「最後は私に従ってもらいますよ」とサポートはのたまったのです。「お産の主役は、産婦とあかちゃんだろ!」とかなり頭に来ましたが、初めての事でもあり、助産院を選んだ割にはその時は不覚にも勉強不足だったので、最後はしぶしぶ従うことにしました。お産のイメージトレーニングは、多少はやりましたがそれほど熱心にやったわけでもなく、よくテレビでやってるように、「はい、いきんで~」とかリードしてくれるものだと勝手に思い込んでいると、助産師達は何にも言ってくれません。彼らもそれを感じたのか、サポートが「陣痛がきたら、2回深呼吸をしておおきいうんちをするようにいきんで」というので、その通りに何度も繰り返しました。あまりの痛みと、なかなか進まない(自分ではそう感じる)お産に、「もういい。もう生めなくていいからお産を止めたい」等と、泣きが入りました。でも、このまま何も無かったことにできないのは十分かってます。「止めることができないなら、さっさと終わらすことだ」と切り替えました。途中、「あら、あなた3○歳なの?20代かと思ったよ。こりゃ半日掛かるね」と助産師Aに言われて、「冗談じゃないよ。こんな辛いのもう一分だって嫌なのに、半日もやってられるか!」と、ここでさらに気合が入りました。いきみを繰り返すうちに、助産師や夫の会話や「がんばれ」等の声援がとても「わずらわしく」感じ、さらに「腰をさすってあげて」と言われて夫がさすろうとするのですが、それも嫌なのです。よく、「腰をさすってもらうと楽になる」とお産漫画には載ってましたが、私は全く逆。もう周りの全てが「わずらわしく」、お産に集中できなくなってしまうのです。なので、「静かにしていて欲しい」とお願いし、触ろうとすると、「触らないで」と、拒否しました。途中抜けていたらしい助産師Aが戻ってきて、何やら私を励ます言葉を掛けるのですが、「うるさい!」と思わず怒鳴ってしまったほどです。そして、言われたとおり「うんちをするように」いきみを繰り返すうちに、「んっ?」と気が付きました。「うんちじゃないよ!いきむ場所は、赤ちゃんの出てくる場所だよ!」と、とても重要な事に気付いたのです。産後、痔になる人が少なくないそうですが、その原因は「うんちをするようにいきむ」と言われるからかもしれません。そして、膣にいきむようにすると、赤ちゃんを押し出す力がぐんと強くなりました。しかし、「膣」にいきむのは、かなりの集中力を要しました。頭では分かっても、すぐにはそこにいきめないんです。なので、最初は肛門にいきみ、徐々に膣にいきみを移行するやり方を何度かくりかえすのですが、いきむ度に、サポートが肛門をおさえるのです。それで集中力が切れてしまって、「それ、やめて」とついに言いました。そうすると、大分楽に集中できるようになりました。「あと少し、もうちょっと」と、ずーっと夫が言っているのですが、「さっきからずーっと”あと少し”じゃん」と、イライラしてました。私にすると、もう何十分も「あと少し」と言われている感覚でした。でもそのうちに、ようやく自分でももうそこまできているという感覚がきました。「やばい~、絶対これ切れるよ~」と感じる箇所にものすごい激痛が何度も走るのです。「切れちゃう、切れちゃう」「もうさっさと出ろ~(できることならもっと優しい言葉を思いながら生みたかったが)」と思いながら、「ん~」と自分でも驚くくらい、何分間もいきみ続けたような、かなり長いいきみを数回繰り返しました。すると、やっと何かが出た感触。でも、まだ何かが引っかかってる。そしてそれも出ると、ようやく楽になりました。産まれたのです。産めたのです。「は~」と安堵したのもつかの間、「男の子だわ」とサポートの声。正直女の子が欲しかったし、そう思い込んでいた私は、心の底から「がっくり」きました。しばらくぼーぜんとしてました。そして気が付き、産声が聞こえません。「えっ、マジで」とかなり焦りましたが、すぐに「うんが~」と、ちっともかわいくない大きな泣き声が聞こえ、一安心でした。後産もすぐにでてきて、ようやくお産が終わりました。blogランキング☆気に入ったら クリック ぷりーず☆
2005/10/07
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