「ありがとう」10日間修行(笑)の記録





とてもとても苦手な相手に「ありがとう」を言い続けました。
苦手、って言葉は穏当すぎるな(笑)
憎んでた、恨んでた、っていう方がまだ近いかも。
だけど その気持ちが重くなりすぎて もう持ちきれなくなったの。


期限は十日間。
仕事中、食事中、寝ている時以外 ずっと
「ありがとう○○さん」と、唱え続けること。


「ありがとう」一日目、二日目。
「ありがとう○○さん」って言うたびにムカツク気分。
その気分をよく眺めてみると、「わたしは悪くない」って自己弁護だった。

「ありがとう」三日目、四日目、五日目。
具体的にいいこと、ありがたいなと思ったことを一生懸命思い出して言った。
言うたびに 胸が痛い。すごく苦しい。
なぜわたしがその行為を「ありがとう」だと思うのか よく眺めて吐き気がした。
自分にトクになることばかり。わたしって こんなに冷たい人間だったのか。

「ありがとう」六日目、七日目、八日目。
苦しい。相手の嫌いなところばかり思い浮かぶ。
でも そこに向かって「ありがとう」「ありがとう」と被せていく。
傷つけられたこと そのときの感情が 体じゅうから蘇ってくる。
すごく痛い。悲しくて悔しくて よじれるよう。
でも、そこに向かって「ありがとう」「ありがとう」と被せていく。

「ありがとう」九日目
もう、何も残っていない。
ただただ、「ありがとう○○さん」と繰り返す。
言葉が空虚。

「ありがとう」十日目
「ありがとう○○さん」と口に出すと・・・
ハートが共振している。「ありがとう○○さん」と言うのが嬉しい。
心からありがとうを言う、というのは こういうことだとわかる。
胸がほどけたように、体が軽い。
ぬれた服を脱いだように 気持ちがさっぱりしている。
外に出ると、草も花も 見たことがないくらい鮮やかに見える。
生きているということは すばらしいことだと 生まれて初めてくらい鮮烈に思う。
「いま」「共にある」ことが嬉しい。
生かされている、ということを実感する。
「嫌い」という想念から自由になって 「わたしは 何でもできる」と思う。
富士山を動かすとか そういうことじゃなくて(笑) 
自分のため、周りのために 自分の果たすべきことに対して 
何の留保もなくなったという開放感。
ありがとう○○さん。


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