FINLANDIA

FINLANDIA

PR

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2025年02月
2025年01月
2024年12月
2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月
2024年05月
2021年05月08日
XML


Lago di Como, Italy
Photo by Gio Abbate
images.jpeg



>前回


 北イタリーのミラノに本拠を置くモンテローザ社は南ヨーロッパ最大の化学及び合成繊維メーカーだ。
 モンテローザ社の創立者の息子である社長ピエトロ・アンドレッティの屋敷はミラノ郊外四十キロほどのところにある。コモ湖を見下ろす古城の内部を現代的に改装したものだ。












 だが広いその屋敷にピエトロの家族は住んでいない。誘拐(ゆうかい)が最大の産業となったイタリーを避けて、米国のサンタ・モニカに住んでいるのだ。
 秋のある日の午後六時、社長室を出たピエトロは、お抱え運転手が回してきたメルツェデス・ベンツ四五〇SEL六・九の後部座席に収まった。

 誘拐にそなえて運転手も拳銃を携帯していたが、助手席とリア・シートにプロのボディ・ガードが乗りこんだ。
 ピエトロのベンツ自体もボディの鋼板を分厚くさせ防弾ガラスを使った特注品だ。自重二トン半を越えるが、六・九リッター二百八十六DIN(ディン)馬力のエンジンも三百馬力を越えるように七・五リッターにボア・アップされているので、時速二百二十キロでクルージング出来る。












 それぞれの国の工業規格によってエンジン馬力の表示はちがうが、ドイツ工業規格のDINでは、マフラーや冷却ファンやジェネレーター等は当然として、あらゆる補機類をつけた状態で測定した数字だから実馬力に近い。日本のJIS(ジス)馬力よりも、二、三十パーセント低く表示される。米国のSAEグロス馬力の五十パーセント近く低い表示になることがある。
 それは、言葉を変えると、SAEグロスで三百馬力と表示されたものはDINでは百五十ぐらいに表示されるということだ。かつて三百とか四百馬力とカタログに出ていた米車が、同じ排気量のエンジンでも今は百馬力台や二百馬力台にさげて表示されているのは、米国車がSAEグロス表示から、現実的数字に近いSAEネット表示を採用させられたためだ。排気ガス規制のためだけではない。
 ピエトロたちが乗りこんだために一度軽く沈んだベンツのボディは、シトローエンのに似せたセルフ・レヴェリング機構によって、もとの高さに戻る。
 モンテローザ社のすぐ近くを高速道路(アウトストラーダ)が通っている。高速道路に入ったベンツはエンジンを荒々しく唸(うな)らせ、パッシング・ライトを点滅させながら時速二百二十キロで突っ走る。
 コモ湖が見えてきたあたりで高速道路は終った。ベンツは湖畔のワインディング・ロードを、時々タイヤから煙を吐きながら、百から百八十キロを保って走った。
〝P・A私有地(プリヴァート)〟と看板が出たゲートの前で停車する。ゲートから私道が林のあいだを縫って、丘の上の屋敷まで続いている。
 ゲートの脇(わき)には門番の小屋があった。ベンツの運転手は、出てこない門番に苛(いら)だってクラクションを鳴らした。

「バックしろ!」
 ピエトロは金切声で叫んだ。ボディ・ガードたちは、あわてて拳銃を抜いた。
 その時、ベンツの下に転がりこんだ手榴弾が爆発した。
 爆発はエンジン・ルームの下で起った。ベンツの前部が持ちあげられ、エンジン・フードと前輪のタイヤはホイールごと吹っ飛んだ。
 竿立(さおだ)ちになったベンツは地面に叩きつけられた。運転手はハンドルに胸をぶっつけ、助手席のボディ・ガードはフロント・グラスに顔を叩きつけられる。

 二発目の手榴弾がエンジン・ルームに飛びこんで爆発した。
 エンジンが転げ落ち、防弾ガラスのフロント・グラスは粉々になって飛び散った。運転手と助手席のボディ・ガードは即死し、ピエトロとその横のボディ・ガードはショックで意識を失う。
 シヴォレー・ボーヴィルのスポートヴァンが近づいてきた。覆面姿の男のうち二人がベンツのドア・ドックをマグナム・ライフルで射ち砕き、気絶しているピエトロとボディ・ガードを引きずり出してスポートヴァンに積みこむ・・・・・・。
 誘拐犯たちがピエトロの父でありモンテローザ社の会長でもあるロベルト・アンドレッティに通告してきた身代金は一兆八千億リラ、つまり二十億ドルという史上最高の額であった。それをドルとマルクとスウィス・フランのキャッシュでよこせというのだ。犯人たちは北イタリー解放同盟と名乗った。
 いかにアンドレッティ家が金持ちとはいえ、当時の邦貨にして五百四十億円というキャッシュを作るには、アンドレッティ家が持っているモンテローザ株の大半を売却するほかない。しかし、そうすればモンテローザ社は新しい大株主に乗っ取られてしまう。
 急遽米国から呼び戻されたピエトロの妻をまじえてアンドレッティ家の親族会議が続けられているところに郵便小包みが届けられた。犯人の一人から電話があり、小包みをぜひ開けてみろ、と言った。
 小包みの中味は、ピエトロと共に捕らえられたボディ・ガードの生首であった。薄化粧された上に目張りまで入れてあった。素っ裸にされて逆さ吊りになっているピエトロのポラロイド写真と、家紋入りの指環をつけたピエトロの指も入っていた。
 ピエトロの妻のアンジェラはヒステリーの発作を起した。ロベルトの妻は卒倒した。ロベルトは脱税と搾取で築きあげてきた王城が崩(くず)れ落ちることを知った。
 数度にわたって国外で身代金の支払いが行われ、ピエトロは無事に帰されたが、モンテローザ社は、株を買い占めた、カナダのヴァンクーヴァーに本拠を置く新興国際コングロマリット企業トーテム・インターナショナルの支配下に置かれることになった。


 イタリーでアンドレッティ家が苦境におちいっている頃(ころ)、西ドイツでは多国籍製薬会社バヴァリアン・ケミカルの倉庫が襲われ、フェニルアミノのブランドで製造された覚醒剤五十トンが奪われた。
 韓国や東南アジア製の覚醒剤(シャブ)が結晶状であるのに対し、ヨーロッパの製薬会社の純正品は粉末状の最高級品で〝雪ネタ〟と呼ばれる。
 ヨーロッパではヘロインやコカイン系の麻薬や大麻(マリファナ)、それにメスカリン等の幻覚剤が流行の主流だし、日本でヒロポンやシャブと呼ばれる覚醒剤フェニル・メチル・アミノ・プロパンとよく似たフェニル・アミノ・プロパンは、闇値で買わなくても医師の処方箋(しょほうせん)さえあれば薬局で手に入る。その覚醒剤の通称はアンフェタミンだ。
 だから犯人たちは、馬鹿高値で売れるという日本に流す目的で〝雪ネタ〟を奪ったのでないか、と西ドイツの捜査官たちは睨(にら)み、I・C・P・O(インターポール)を通じて警察庁に通知してきた。
 やはり、二か月もしないうちに、日本のブラック・マーケットに暴力団を通じて〝雪ネタ〟があらわれた。グラム一万円内外で密輸組織から手に入れた各暴力団は、増量剤で水増しし、グラム二十万円から五十万円で中毒患者に売りさばいていた。
 密輸組織の主犯グループは赤坂にバイエルン貿易という名の会社を持っていた。彼等は五年間ほど輸入実績を作っておいたドイツ製のディーゼル用高級オイル    その容器の罐は罐切りを使わないと開かないようになっている    にプラスチックで密閉した〝雪ネタ〟を突っこんで税関の目をごまかしていたのだ。そのオイル会社の名はミュンヘン・モーター・オイルといった。
 五十トンはグラムにすると五千万単位になる。だから五千万グラムの〝雪ネタ〟をグラム一万円で売ったと単純計算すると五千億円になる。
 警視庁の捜査官がバイエルン貿易に踏みこんだ時には主犯グループはすでに国外に逃げてしまったあとだったために正確なことは分らないが、西ドイツで盗まれた〝雪ネタ〟の大半はすでに日本で処分済みと推定された。
 覚醒剤密輸の主犯グループは証拠書類をすべて焼却してしまっていたが、貿易にかかわる関係官庁や取引銀行の協力である程度のことが捜査本部に分った。
 バイエルン貿易は、税金がタダ同然に安く、しかも銀行の機密保護法によって顧客の秘密が完全に守られる、いわゆるタックス・ヘイヴン    租税逃避地    の一つであるグランド・カイマン島に幽霊会社(ペーパー・カンパニー)を持ち、その会社を密輸と脱税の中継基地にしていた。
 また主犯グループは、グランド・カイマン島のさまざまな銀行に秘密口座を持ち、日本のさまざまな外為銀行を通して、そこに莫大(ばくだい)な金をせっせと送金していたことも分った。
 カリブ海に浮かぶ小さなカイマン諸島は、すぐ近くのジャマイカや、キューバをはさんで大西洋側にあるバハマ諸島と同様に、英国の強い影響下にある。












 ジャマイカは一応独立して英連邦の自治国ということになっているが、カイマンはバハマと同様に、現在も英国の植民地だ。
 もともとは共産国や軍事独裁国向けの英国の秘密貿易基地として経済活動をしはじめたバハマやカイマンは、その後、世界の多国籍企業のトンネル会社やダミー会社などのペーパー・カンパニーを無条件に受入れて繁栄してきた。そのことが結局は、英国の利益につながるからだ。
 カイマン島に林立する銀行は、企業やC・I・Aのような謀略機関の黒い金だけでなく、犯罪組織の血で汚れた金もためらわず受入れ、その機密を外に漏らしたりはしない。
 アルゼンチンのモントネロスや人民解放軍(イー・アール・ピー)、ウルグアイのツパマロスといった都市ゲリラが次々にくり返す要人誘拐で手に入れた数億ドルの身代金のかなりの部分は、カイマン島の多国籍銀行にゲリラが持っている口座に振りこむことで決済されている。銀行の機密保持法という強力なうしろ楯(だて)があるから、ゲリラは安全確実に身代金を取立てることが出来る。
 そんなお国柄のグランド・カイマン島だから、日本の捜査陣がインターポールを通じて捜査の協力を依頼したところで完全に無視された。
 それかといって、日本から捜査陣が乗りこんだりしたら、国家主権を犯したということで国際問題になる。
 一方、西ドイツでは、連邦警察がミュンヘン・モーター・オイルを調べた。その結果、ミュンヘン・モーター・オイルのディーラーは、バイエルン貿易の在西独子会社に品物を渡していた。そこからバイエルン貿易が買い、グランド・カイマン経由で日本に入れられていたのだ。
 だからオイル罐に覚醒剤を仕込む作業はバイエルン貿易の西独子会社で行われたにちがいなかった。事実、オイル罐の継ぎ目を一度開いて覚醒剤を入れてから継ぎ目を元通りに合わせる機械が残された秘密工作場も発見された。だが、犯人たちはとっくに逃亡済みであった。
 しかし、グランド・カイマン島の秘密保護法によって捜査の糸を絶たれてしまった日本の警視庁ではあったが、捜査の過程で大きな副産物にぶち当った。
 バイエルン貿易に巣くっていた主犯グループは、覚醒剤を大量に密輸する前から、アメリカで 〝天使の埃(エンジェル・ダスト)〟とか〝ロケット燃料(ヒューエル)〟とか〝平和の草(ピース・ウィード)〟とか呼ばれている合成麻酔剤P・C・P(ピー・シー・ピー)、つまりフェンサイクリジン・ハイドロクロライドの粉末、錠剤、それに注射器を密造して暴力団に流していたことが分ったのだ。
 強力なトランキライザーでもある上に精神刺激剤でもあるエンジェル・ダストは、LSDと並んで最も危険な幻覚剤だ。それでいて、製法のマニュアルさえあれば素人(しろうと)でも造ることが出来るから始末が悪い。
 P・C・Pはもともと手術の麻酔用として開発されたが、副作用が強すぎるために人体への使用は禁止された。今は麻酔銃で野生動物を捕獲する時や、傷ついて暴れる動物園の猛獣を眠らせる時に使われている。
 調べが進むにつれ、これまでに覚醒剤の中毒者が犯したとして認められた凶悪な幻覚殺人事件    例えば白昼拳銃を群衆に乱射したり、隣人や家族が悪口を言っていると思って惨殺したり、クラクションを鳴らされただけで刺殺したり    の半数近くに、エンジェル・ダストがからんでいることが分った。エンジェル・ダストを人間が用いると、精神が錯乱し、被害妄想(もうそう)におちいったり、凶暴になったり、怖(こわ)いもの知らずの誇大妄想狂になったりする。極端に言えば、自殺型と殺人狂型に分れるのだ。
 確かに彼等は覚醒剤中毒にちがいないが、犯行時は覚醒剤が切れていて、エンジェル・ダストを使っていた。
 エンジェル・ダストによる幻覚殺人事件の多発に音(ね)をあげた暴力団からの激しい抗議を受けて、バイエルン貿易の連中はヨーロッパ物の〝雪ネタ〟の密輸に踏み切ったようだが、日本の地下にもぐったその莫大な量の覚醒剤は、今後何年にわたって凶暴な犯罪を産み続けることであろう。
 それが、いまから二年前のことであった。

 (つづく)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021年07月04日 03時30分30秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: