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【思い込みから少し自由になる】★演出家、小説家・鴻上尚史(こうかみしょうじ)氏の言葉から―◎アメリカのある大学の出来事です。 あんまりカンニングが多いので、監督官を一人増やしました。 もともと、教室正面の教壇に一人いましたが、もうひとりは、正面の窓側に 座ったのです。 しかし、カンニングはまったく減らず、前後や隣り合った生徒の答案は同じ答 えが続出しました。 ところが、ある時、カンニングが激変することが起こりました。 前後、隣り合った生徒の答案には、同じものがなくバラバラでした。 驚いた学校側は、監督官にどうしたのかと聞きました。監督官は、いつもは教 室の前に座っていたが、その日だけは、教室の後ろに座ったと答えました。 それだけでした。それだけなのに、カンニングは激変したのです。 学校側は、どうしてカンニングをやめたのか正直に答えて欲しいと生徒達に 聞きました。 生徒は「監督官の姿が(後ろに回ったので)見えなくなった。だから、もしか したらじっと自分を見ているのかもしれないと思った」と口々に答えました。 実際は、教室の後ろに回った監督官は、窓側に座り、窓の外をぼんやりと見て いたそうです。 でも、監督官の姿が見えなくなったことで、生徒達は、「自分は見られている のかもしれない」と思い、「カンニングはできない」と怯えたのです。 この出来事が教えてくれることはなんだと思いますか? それは、人間が人間を縛る最も強いものは、「外部の命令」ではなく「自分自 身の内なる思い込み」なんだということです。 「見られているかもしれない」という思い込みが、見事にカンニングを止めた のです。人は、他人の命令ではなく、自分の思いによって縛られるのです。 よく「私、そういうの生理的にできない人なんだよね」とか「僕はそういうの ダメな人間なんです」と言う人がいますが、ダメにしたのは、他人ではなく 自分なのです。 自分で自分はそれがダメと決めたのです。 だから、自分で決めたことなのだから、自分で変えられるのです。 このカラクリが分かれば、自分の思い込みから少しは自由になれると思いま す。 (参考文献:鴻上尚史著 「幸福のヒント」 だいわ文庫)________________________________________ *思い込みというのは確かにありがちです。 自分自身が思い込む原因をつくることもあれば、自分以外の近しい人、親や 家族、友人、学校の先生、会社の上司などからの、決めつけによって思い込 んでしまう場合もあります。 しかし、原因は何であれ思い込んでいることが、100%真実であるかどうか はわからないものです。 特に、「自分はダメだ、できない」という自分を限定してしまうことは自己 成長を止めているようなものです。 やってみなければわからない、という考え方が正解だと思います。 仮にやってみたけど失敗した、だからダメだということもあるでしょう。 しかし、もしかすると、たった一度の失敗でダメだ、と思っていることが あるかもしれません。 大切なのは、「なぜ、思い込んでいるのか」に視点を当ててみることです。 思い込みは、不自由な世界にいるようなものです。 思い込んでいたけど、少し違うようだ、と感じることができればそれは 自分自身が一歩、成長し、自己限定の壁を一つ越えたということです。 思い込んでいること、見直してみましょう。
2020年01月31日
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【イヤなことを何度も思い出さないコツ】★植西 聰氏の言葉から―◎心が折れやすい人の特徴として、失敗したことや、誰かに失礼な態度をとられ たことなど、自分の心がダメージを受けた出来事を、何度も思い出してしまう ことがあります。 それが誰が考えても傷つくような大きな出来事なら仕方ないのですが、心が折 れやすい人は、「そんなの、気にすることないのに……」と周囲の人が思うよ うな、ちょっとしたことでも気にしてしまいがちです。 しかし、つらいことを何度も思い出して考えることは、心にマイナスのエネル ギーを増やすことになってしまいます。 こんな悪循環を止めるために効果的なのは、 「自分の心に浮かんでくる悲しみや悔しさといったすべての感情は、他人では なく自分自身がつくり出している」ということを、自覚することです。 「この感情は、私自身が作り出しているものだ」 と考えることができると、それだけで気持ちは軽くなるはずです。 そして、それができたら次に、自分自身におきた状況を冷静に見ることを意識 しながら、 「本当に、これはずっと落ち込む必要があることなのか?」 と自問自答してみます。 すると、「そんなに落ち込むほどのことではない」という客観的な事実が浮か び上がってきて、気持ちが落ち着いてくるでしょう。 心に浮かび上がってくる感情をそのまま放っておくと、噴水のようにマイナス の感情があふれてきて、最初は少し落ち込んでいただけだったのに、いつの間 にか大きな心の傷になってしまうことがあります。 それを防ぐためには、早い段階で自分を冷静に見つめる機会を持つことが大切 です。 (参考文献:植西 聰著 「折れない心をつくるたった1つの習慣」 青春出版社)________________________________________ *失敗したこと、イヤな出来事を思い出してしまうのは、誰にでもある ことです。 思い出したことで、当時のことの場面がよみがえってきて、そのときの 苦しい気持ちがどんどん膨らんできます。 著者が言うように、私たちの感情には噴水のような性質があります。 小さなことでも、『思い』という水圧が上がるとますます勢いが強くなる。 この『思い』という水圧も、冷静になることで下げることができます。 冷静になるには、自分を俯瞰したり、深呼吸をしたり、意識を別の方向に 向けることが大切です。 このことが何度か繰り返されれば、それが習慣にもなるのです。 もうひとつは、イヤなことよりも良かったことを思い出すクセをつける ことも必要です。 記憶はある種のエネルギーのようなもの。 良い方向にいくエネルギーとなるように、コントロールしたいものです。
2020年01月30日
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【子育ての本質】★小林正観さんの言葉から―◎授業参観の日のこと。お好み焼きの絵を描くという時間があったそうです。 お好み焼きに入れる具を、思いつくままに言ってみましょう、と先生が言い ました。 そして、子どもがニコニコしながらいろんなものを言っていたのですが、ある 子どもが、「チーズ」と言いました。すると、その先生は、 「チーズ? それはないな」と言ったのだそうです。 しかし、その子は実際に、親に連れられてお好み焼き屋に行ったとき、チーズ の入ったお好み焼きを食べたことがあった。 子どもは、思いつきでなくて、実際に食べたことがあるのを言った。 ところが先生は「それはない」と言う。 それまでニコニコと楽しそうに手を挙げていた子どもたちの顔から笑顔が消え て、先生が「なるほど、それはありそうだ」と言うものしか言わなくなった。 授業のあと、参観していた母親は「授業の感想がありますか」と問われて、何 も言わずに帰ろうと思っていたそうですが、思わず言ってしまったそうです。 先生のひと言によって、教室の空気が一変した。 それから生徒が先生の気に入るようなことしか言わなくなった。 先生、どうしてあんなことを言ったのですか、と。 たしかにチーズはお好み焼きにはあまり入れないかもしれないけれど、なるほ ど面白いね、今度やってみようかな、ということだったら、もっと活性化して 面白かったかもしれない。 それに対して先生は涙を流してこう言ったそうです。 「実は自分が教師を志したときに、そういうことは言わない教師になろうと、 子どもの創造性を摘み取るような教師にはならないと決意をしていたはずなの に、いつのまにかそんなことを言うようになってしまったんですね」 これは、「教師と生徒」の関係だけでなく、「親と子ども」の関係にもありえま す。 子どもが何か非常に創造的な、楽しそうなことを言った瞬間に、「そんなのは ないよ」と、親が言ってしまったら、親が「そうだね」と言ってくれることし か言わない子どもになる。 岡本太郎(芸術家)は、岡本一平(漫画家、作詞家)と岡本かの子(小説家) という二人の天才から生まれた人です。 岡本太郎は、親から、雲は何色だ? と聞かれて、「白」と答えると、 「お前には白に見えるのか?」と言われたそうです。そして、 「白に見えてもいいけれど、白に見えないこともあるだろう」 赤に見えたら赤に描け。みんなが白と言うから白に描くのはやめろ、と言われ たそうです。こういう親の教育はすごいと思います。 「見えたものがお前にとって真実なのだから、青に見えたのなら青に描きなさ い」と。これが、人間の想像性をかきたてていくのでしょう。 子育ての本質は、子どもが人と違ったことを言ったときに、親がそれを 「面白いね」と肯定してあげること。 「氷が溶けると何になりますか?」と問われて、生徒たちは、 「水になります」と答えるのですが、一人の子どもが、 「春になります」と答えました。 それを、×とした小学校の先生がいた。それが教育研修会で報告されて、 「これは×にすべきでしょうか」と話題になったのです。 「氷が溶けると、春になります」という発想ができる人が、詩人や芸術家に なるのでしょう。 そして、そのような感性を大事にしたい、と思うのです。 (参考文献:小林正観著 「魅力的な人々の共通項」 清談社)________________________________________ *子育てで大切なのは、否定することではなく、肯定すること。 もし、否定しなければならないことだったら、いったん認めつつ、こういう 考えもあるよ、という方向に導くことです。 最終的に、肯定してあげることで子どもは自信をもつことができます。 人間にとって、自信を持つことは喜びでもあります。 親から認めてもらえる、先生から認めてもらえる。 これが、生きるって楽しいことなんだ、という意識を持つことになると 思います。
2020年01月29日
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【もう一人の自分を持ってみよう】★臨床心理士・すがのたいぞう氏の言葉から―◎あるコンピューター会社の課長さんが、自分の部下のことで相談に来た。 優秀な部下なのだが、最近会社を辞めると言い出して困っている。 何とか翻意させられないだろうか、という相談である。 本人に会ってみると、実は仕事以外のことにも、いろいろと造詣が深い。 「僕はこういう仕事をしていますが、本当は文学や哲学に興味があるんです。 でも、会社ではそういうことを話し合える人がいないんです」 なるほど。私はそういう話も好きだから、彼の話を存分に聴かせてもらうこと にする。 彼は少し満足したようで、「辞めるのは、もう少し考えてからにします」と言 った。 また、ある人は、まっとうな勤め人である一方、セミプロのミュージシャン でもある。根が芸術家だから、普通に勤めるのはちょっと苦しい。 しかし、こういった人のものの見方や考え方は、実におもしろいのである。 この人たちは二足のわらじを履いているからだ。 詩と絵で有名な星野富弘さんは、事故がもとで首から下が動かなくなった芸術 家である。そうなる前の彼は、器械体操が得意な体育の先生だった。 もし星野さんが、体育の教師であり続けていたら、あのような作品が生まれる ことはなかったろう。そしてまた、彼が生まれながらの障害者であっても、そ れは成らなかったであろう。 星野さんの作品の素晴らしさは、そのどちらの人生も生きているということか ら来ているように思える。 しかも、身体能力を売りとする体育の教師としての自分と、まったく身体を動 かせなくなった自分という、ものすごい変化の上に星野さんの作品がある。 星野さんのようにとは言わないが、私たちが人生をより豊かにするためには、 そうした異なるものを自分の中に共存させていくことが大切なのではないか。 いまある「何々としての自分」、そこに何でもいいから「もう一人の自分」が あるといい。 それは「もう一つの人生」ということなのだ。 (参考文献:すがのたいぞう著 「こころがホッとする考え方」 PHP)________________________________________ *自分の中に、もう一人の自分がいて、もう一つの人生を生きることが できる。 そう思うと、何か心の奥から言いようのない力が湧き出てくるような気が します。 私の本棚に星野さんの詩画集「あなたの手のひら」というがあります。 たまに手にしますが、心が洗われ、元気をもらっています。 それは普通の人の倍の生き方をしている人だからこそ、人に力を与える ことができるからなのでしょう。 そういう生き方、もう一つの人生を生きてみたいと思います。
2020年01月28日
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【相手の望みに応える人】★西沢泰生氏の言葉から―◎国民的テレビアニメの『サザエさん』。 今でこそ、ほのぼのホームドラマのタッチが確立されていますが、放送が始ま った当時は、ギャグアニメと呼んでもよいほどラフな内容でした。 サザエさんが空手(柔道だったかな?)を習いに行くなど、ドタバタ喜劇のよ うな回もあったほどです。 そんな『サザエさん』の初期の頃。今や超売れっ子の脚本家、三谷幸喜がわず か3回だけですが、脚本を書いたことがあります。 繰り返しますが、まだ、『サザエさん』がギャグに寛容だった時代です。 にも、かかわらず、三谷幸喜が書いた4本目の脚本を見たプロデューサーは、 激怒したのだそうです。 彼がその時に書いた脚本のタイトルは『タラちゃん成長期』。 その内容は、なんと、タラちゃんが筋肉増強剤を使用して筋肉モリモリになり オリンピックに出る、というもの。 もちろん、最後は「タラちゃんの夢だった……」というオチはつきます。 それでも、脚本を読んだプロデューサーは、三谷の目の前で、その台本をゴミ 箱に投げ捨て、彼にこう言ったのです。 「君には、『サザエさん』の心がわかっていない」そして、こう続けました。 「もう、来なくていい」 若き日の三谷幸喜は、たった1回の「夢オチ脚本」で、『サザエさん』の仕事 を失ったのです。 この脚本。たぶん、抱腹絶倒のデキだったに違いありません。もし、アニメ 化されていたら、わたしは腹を抱えて笑いころげた気がします。 作品そのものは、決して悪くなかったはずです。 でも、明らかに『サザエさん』の世界観からは外れている。 どんな作品として面白くても、「プロデューサーが望む仕事」ではなかった のです。 テレビタレントが、「テレビタレントとして生き残れるかどうか」の一つの 目安があります。 決して、「面白いコメントを言えるかどうか」ではありません。 それは、「プロデューサーが望んでいるコメントを言えるかどうか」 プロデューサーが、「ここではこういうコメントが欲しい」と思った時に、 的確に望んでいるコメントを言い、望んでいるリアクションが取れる。 そういうタレントは重宝ですから、次の番組でも声がかかります。 逆に、面白い事を言って目立たなくてはと考えて、一人でしゃべり続けるよう なタレントは、どんなに面白い話をしても次にはお呼びがかかりません。 売れているタレントは、バカな事ばかり言っているようで、ちゃんと、自分が 前に出るタイミングをはかり、前に出ている時は、引き際を考えながらしゃべ っているのです。 (参考文献:西沢泰生著 かんき出版 「小さな幸せに気づかせてくれる33の物語と90の名言」)________________________________________ *他人の期待に応えるということは、とても大変なことです。 最近の情報社会は、目立つだけではなく、自分が発信する内容に個性と 説得力がないと、あっという間にすたれてしまいます。 三谷さんは、ある番組でプロフェッショナルとは何か、について次のように コメントをしたそうです。 「期待に応えるという事ですよね。自分のやりたいものをやるんじゃなくて 他人(ひと)が自分にやって欲しいものをやるという事ですよね」 この考えは、一般社会の人間関係にも言えることです。 このコメントを、言い換えれば、 「自分の言いたいことを言うのではなく、相手が言って欲しいことを言う」 ということかもしれません。 時よっては、自分の言いたいことを言うべき時もあります。 しかし、それは時と場合にもよります。 相手が言ってほしいなと思った時に、こちらも言いたいことを言う、これが ベストです。 相手との間合いをうまく取ることを自然にできる人になりたいものです。
2020年01月27日
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【聞き上手になろう】★関東学園大学講師・菊原智明氏の言葉から―◎近所の小学生の話です。 私の家の前が登校班の待ち合わせ場所になっていることもあり、子供たちが 大勢集まります。 そこにはいたずら好きな小学生もいます。隣の家の杭を抜いたり、石を投げた りと、その姿を見ると自分が子供だったころを思い出します。 大人として注意をしなくてはならないのですが、よその家の子にゲンコツをす るわけにはいきません。 「ほら、それいじっちゃダメだよ」と注意しますが、言ってもなかなか聞いて くれなかったのです。 その後、私はいたずらっ子の中でも、一番元気のいい男の子とよく話をするよ うに心がけました。 ポケモンカードやゲーム、庭にいる虫の話など、話を聞いていくうちに、その 子は私の言うことを聞いてくれるようになったのです。 おそらく《オレの話を聞いてくれる大人の言うことは聞こう》と思ったのでし ょう。 これには“返報性のルール”が働いています。 返報性のルールとは「人は他人から何らかの施しをしてもらうと、お返しをし なければならないという感情を持つ」ということです。 人は自分がしてもらったことと同等なことを返したくなる生き物なのです。 「相手が言うことを聞いてくれない」、と思うならば、まず相手の話を積極的 に聞きましょう。 人は、自分の話をよく聞いてくれる人の話しを無視したりはしないものです。 (参考文献:菊原智明著 「疲れない心の作り方」 角川フォレスト)________________________________________ *返報性のルール、というのは行動心理学の分野でとりあげられるものです。 私たち人間には、生まれながらにして相手の行動によって、自分の中に何ら かの感情が生まれるという性質があります。 相手からよくしもらったら、こちらも別のかたちでお返ししたい、反対に 悪いことをされたら、悪いことで返したいというものです。 さらに人には、その返報性の法則をコントロールして、相手との関係を維持 したいという知恵も持っています。 相手が自分の言うことを聞いてくれないなら、私も聞かないというのではな く、一歩進んで、まず話を聞いてあげよう、と思える人は知恵のある人と言 えます。 つまり、聞き上手な人です。 聞き上手な人の特徴は、相手の話に「うん、うん。なるほど」というような 相づちを打っています。 自分の話を聞いてもらいたいとき、知恵を働かせてこちらから、相手の話を 聞く姿勢を示して、できれば、うなずきながら聞いてあげましょう。 相手との距離がグンと近くなります。
2020年01月26日
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【負けるが勝ち】★未来研究所代表・若尾裕之氏の言葉から―◎相手とついつい口論になることがあります。自分のほうが間違っていると感じ ても、強がってあやまれないことがあります。 怒りや悲しい気持ちは、その時には我慢できないように思ったことでも、時間 とともに変化します。 怒りに震えた状態のまま、言葉を口にしたり、行動すると、さらに状況はやや こしくなります。 落ち着いた気持ちで考え、行動すると、意外と簡単に問題は解決できるもので す。まずは、心が落ち着くまで時間を置いてみましょう。 自分が誠実な気持ちで対応していけば、いつかは誠実さが相手に伝わり、自然 と心をつかむことができます。 漫画家でタレントの蛭子能収(えびすよしかず)さんは、テレビ番組などで活 躍中ですが、ダメ人間のイメージで見られています。 しかし、ラジオ番組のなかで、「かっこ悪く生きるようにしている。かっこよく 見られるとねたまれたり、足をひっぱられたりするけど、かっこ悪い人のこと は自分の下だと思うからねたまない」と言っていました。 蛭子さんの人生の目的は「死なないこと」で「けんかしない。けんかしたら死 ぬかもしれないから、すぐにあやまる」そうです。 能ある鷹は爪を隠すで、とても優秀な人なのでしょうが、そう見せないところ がすごいです。 徳川家康も「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、 負けることを知らざれば、害その身に至る」と言っています。 家康が関ヶ原の戦いに勝った時、京都の街に家康を侮辱する落書きが多数あり ましたが、犯人探しをするのではなく、「私の心得になることもある」と言い 落書きを集めさせたそうです。 幼少期から人質に出され、妻と子どもを切腹させられるなど、苦難の連続の 人生だったからこそ身についた人生哲学なのでしょう。 戦国の三英傑の他の二人、織田信長は本能寺の変で家臣の謀反に遭い、豊臣 秀吉は怒りに任せて信頼できる側近を切腹させたことから、臣下に不信感が 増大しました。 結果的にこの二人は天下統一に至っていません。260年以上続く江戸幕府を 築いた家康の考え方こそ正しいと歴史が証明しています。 人生負けるが勝ちです。 (参考文献:若尾裕之著 「幸せは心の中であなたの気づきを待っている」PHP文庫)________________________________________ *負けるが勝ちの精神は、政治や経済や人間関係の分野においても共通して 大切なものです。 負けることは弱い、という固定観念で判断すると世の中は息苦しいものに なってしまいます。 負けても、負けたことに意味を見つけ、そこから人生とは何か・生きるとは どういうことか、を考えるのが人間です。 勝ち負けの基準が、この世の基準ではなく、いかによりよく生きるかという 考えが大切です。 負けることで幸せになることもある。 ここに生きることの面白さもあるように思います。
2020年01月25日
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【自分は打たれ弱いと思っていませんか?】★青木仁志(さとし)氏の言葉から―◎目の前に障害が現れただけで「自分には乗り越えられない」と尻込みしてしま う人がいます。 そうして打たれ弱い自分を批判したり、非難したりしてしまう。 よく考えてみてください。はじめから打たれ強い人なんていません。 いままでたくさん限界突破してきたか、これから突破経験を積むか。 それだけの違いです。 人生とは生まれてから死ぬまでの時間の総和。 今日まで、どれだけ自分の心の弱い部分を認めて向き合ってこられたか、自分 の心の中の不安や恐れを感じながらも、乗り越えようとしてきたどうかです。 別に打たれ弱くたっていいんです。打たれることは仕方がないことです。 ただ、自分が打たれ弱いということを自分で認めてあげてください。 「打たれ弱いから……」と卑下してしまうと、ますます自分の力を信じられな くなっていきます。 極論は打たれ弱いことを楽しむぐらいに打たれまくってみてください。 打たれても打たれても、続けることはできます。 わたしもブリタニカ(教育企業)時代、どんなにつらいことや嫌なことがあっ てもセールス活動はやめませんでした。 するとマネージャーになるチャンスが巡ってきました。 マネージャーになると、セールスのときとはまた違った苦労がありました。 自分ではなく部下の成果を管理する仕事だからです。 何度も挫折を味わいましたが、あきらめずに部下が成果を出せるようサポート した結果、トップセールスが輩出しました。 そして32歳で創業。資本金500万円、社員5名。ここでも千代の富士引退 記念のプログラムをつくり、まったく売れずに打ちのめされました。 1臆5000万円の在庫。妻のお腹に娘がいるとき、わたしは無一文でした。 その後息子を授かりました。 妻はオフィスで破水し、そのまま病院に駆け込んで息子を出産しました。 そのころは臨月を迎えた妻でさえ、必死でオフィスを守っていかなければ ままならない状況だったのです。 こうした状況でもただひとつ続けてきたことがあります。 それはあきらめないことです。 独立して最初にいただいた仕事は、5万円のコンサルティング。 そこから継続して少しずつ広げていって140名規模の会社になりました。 打たれ弱くたっていいじゃないですか。わたしだって打たれ続けています。 決して打たれ強いとは言えないかもしれません。 ただ、打たれても打たれても歩みをやめなければ、少しずつできることが増え ていきます。 成長に焦点が当たれば、できない自分を低く見たり、他人からどう思われるか は気にならなくなります。 行動することで、打たれ弱いという思い込みをしのぐ、自分の底力を感じられ るでしょう。 (参考文献:青木仁志著 「勇気の書」 アチーブメント出版)________________________________________ *著者の体験にはインパクトがありますが、学べるのは誰にでも打たれ弱い面 はあるということ。 ただ、その自分の弱い面を認めないと成長できないということです。 弱さを認めて、自分を卑下(自己限定)するか、あきらめずに前に進むか、 これは本人次第です。 自分はダメな人間だ、弱い人間だ、と一時的に思い込むのはよくあること です。 しかし、一時的に落ち込んでも、自分が目ざすべきものがあればまた気持ち に元気を取り戻すことは十分可能です。 文中にある、自分の「成長に焦点を当てる」ことが何よりも大事なことの ようです。 人生の大きな目的は、自分自身が成長すること。 そのことで周りも幸せにできる生き方をしたいものです。
2020年01月24日
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【「経験」と「体験」の違いは何か】★田坂広志氏の言葉から―◎経験から、いかにして知恵を掴むか。 まず、最初に理解すべきは、二つの言葉の違いを明確にすることです。 「経験」と「体験」。 なぜなら、世の中には、豊かな「経験」は積んでいるけれども、あまり豊かな 「知恵」を身につけていないと感じられる人物がいるからです。 例えば、色々な職業を転職し、様々な仕事に就き、多くの業界について知って いる。 しかし、残念なことに、一つの分野での「プロフェッショナルの知恵」を感じ させない。世の中には、しばしば、そうした人物を見かけます。 では、なぜ、こうした不思議なことが起こるのか。 せっかくの「豊かな経験」を「深い体験」にしていないからです。 すなわち、一つの「経験」をしたとき、その「経験」から学べる「知恵」を しっかりと学ぶことによって、「経験」を「体験」に深めていないからです。 では、「経験」を「体験」に深めるには、どうすればよいか。 重要な経験をした後、必ず、それを「反省」する習慣を身につけることです。 昔、ある営業課長が、客先での営業が終わった後、必ず、部下を誘って帰り道 に喫茶店に寄っていました。 先ほど終わったばかりの営業の場面を振り返り、部下と「反省会」を行って いたのです。 「先方に色々な資料を持って行ったが、他に渡すべき重要な資料はなかっただ ろうか」といった質問を、部下に投げかけるのです。 この営業課長にとって、客先からの帰り道の喫茶店は、部下との反省会の場所 であり、商談を振り返りそこでの「経験」から大切な知恵を学び、「経験」を 「体験」に深めるための場だったのです。 (参考文献:田坂広志著 「成長し続けるための77の言葉」 PHP)________________________________________ *「経験」から何を学んだのだろうか? という分析がなければ「体験」には ならないという話しです。 つまり、「経験」したことが自分の仕事や人間力の成長に役立ってはじめて、 「体験」というものになるということです。 経験から、何も学ばないのであれば「経験した」だけで、次のステップには 上がれない。 この意味では、経験が体験に進化するには、知恵を出さなければならないと も言えるでしょう。 知恵とは、成長したいという意欲がなければ湧かないものかもしれません。 日々、1ミリでも成長したいという人間でありたいものです。
2020年01月23日
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【基本は大事です】★棋士・羽生善治氏の言葉から―◎毎週土曜だけに道場に通い、何カ月かの間、1回も勝てなかった子どもの頃、 残りの6日間は将棋の本を読んでいた。 家で、新聞の将棋欄を見ては一人で将棋盤に駒を置いてみたり……といった 毎日を過ごしていた。 それがなければ、強くはならないと思う。道場で対局する、実践を重ねること はもちろんだが、それだけでなく、つまりは地道な日々の積み重ねをしない限 り、向上することはない。 同時に、私は子どものとき、将棋を続けることで将棋そのものだけでなく、基 本的な礼儀作法のようなものを、身につけることができたように思う。 子どもの頃、大会にいくと必ず言われることがあった。 まず、挨拶をちゃんとしましょうということ。 お互い向かい合って、始めるときには「お願いします」。終わったら、「ありが とうございました」。それから、対局を終えたら駒を数えてしまいましょう、 といったことを、毎回必ず言われた。 何せ、子どもの集まり。放っておけば駒はもう、ぐちゃぐちゃだ。 うっかりすると、ちゃんと40枚ずつ入っていなかったりする。 それが何百人分とあるのだ。それを後から主催者だけできちんと揃えるなど、 到底できない。 将棋の世界では、基本的に師匠が弟子にああしろ、こうしろとは言わない。 直すべきところがあっても、基本的には弟子が自分で気づくまでそっとしてお く。 これは自分で苦労して、自分なりの方法を見つけなさいという無言の教えであ る。その人の個性、本当のオリジナリティをつくるためにはそういった道筋が 必要だからだ。 ただ、よい部分を伸ばしてあげようという風潮はある。環境としてそれを見守 る姿勢でいながら、教えてもらう前に自分で考える習慣をつけさせるのだ。 そういった世界の基本を、早いうちから体感することができたのは、私にとっ て、とても幸運だったと思う。 (参考文献:羽生善治著 「直感力」 PHP新書)________________________________________ *どんな世界でも基本を学ぶことは大切です。 特に、きちんとした基本を身につけることで、迷ったり、不安になったとき など、気持ちのリセットができる場合もあります。 このリセットできるのが、基本にかえるということだと思います。 さらに、基本を身につけるとき、素直さや謙虚さという心のあり方も問われ ます。 からだで覚えて考えるには、心の姿勢が何よりも大事な要素になるのです。 今の仕事、やるべき作業がうまくいっていないな、と感じたら基本に沿って やっているか、と見直すべきときかもしれません。 基本に忠実であれ。 忘れないでおきたいことです。
2020年01月22日
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【「気にしすぎ」も転ばぬ先の杖です】★精神科医・長沼睦雄氏の言葉から―◎「神は細部に宿る」という言葉があります。 小さなことを気にしすぎる人は、別の見方をすれば、細かなことにも気がつき 配慮が行き届き、慎重に物事にあたることができる人でもあります。 クヨクヨと悩む人は、他人の心の痛みを理解し、心を寄せることができる人で もあるのです。 少々のことでは悩まない、気にしないというおおらかで、おおまかな人たちだ けでは、社会は成り立ちません。 そうではない気にしすぎ人間やクヨクヨ人間、敏感な人もいてはじめて、バラ ンスがとれ、機能するのだと思います。 気にしすぎて、クヨクヨ悩むからこそ、見えるものがあり、できることがあり ます。気にしすぎ、クヨクヨはプラスの特性にもなりえるのです。 ただし、気にしすぎの方向を誤ることはもちろんよくありません。 それでは、ビジネスの世界で生き抜くことはできないどころか、自分自身が つぶれてしまいます。 起きてしまった過去の失敗を、ああでもない、こうでもないと気にして、クヨ クヨ悩んでも、仕方のないことです。 ただ、この場合も、失敗から「学ぶ」ための気にしすぎなら、将来につながり ます。「いいや、気にしない、気にしない」とすぐに忘れてしまえる人よりも 悩んだぶん、いずれ、その失敗を成功に変える可能性もあるでしょう。 仕事はほとんどの場合、程度の差こそあれ、気にしすぎ人間を必要としていま す。事務作業などでも、気にしすぎ人間は、何か間違いがあるのではないかと 気になって仕方ない。 気にしすぎ人間ゆえこのような粘りは、仕事の現場ではなくてはならない貴重 な資質といえるでしょう。 (参考文献:長沼睦夫著 「気にしすぎ人間へ」 青春出版社)________________________________________ *私たちは、気にしすぎることを、『よくない』というイメージでとらえがち です。 何となくでしょうが、そんな感じについなってしまいます。 著者は、その「気にしすぎる」ことも、世の中の仕組みとして、必要な ことである、と語っています。 著者も言うように、自分の性格に気にしすぎる一面があるにしても、それ を否定する必要はないのです。 大事なのは、「気にしすぎの方向を誤らない」ことです。 それは、「失敗から学ぶという方向性があれば、方向を誤ることはない」と いうことでもあるのです。 転ばぬ先の杖として、タイムリーに気にしてみましょう。
2020年01月21日
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【「思い」のもつ力】★稲盛和夫氏の言葉から―◎いかに困難な目標であっても、携わる人たちの最大限の意欲と能力を引きだし 不可能を可能にするもの ―― それが「思い」のもつ力です。 “思い”とは、心のキャンバスに描き出す考え、ビジョン、夢、希望などと いいかえてもよいでしょう。 心の働きそのものといってもよいし、それによって生み出された意図もしくは 意志ともいえます。 人が営むあらゆる行動を生み出すものが思いであり、まず、“思う”ことなし には、何事も現実に現れてくることはありません。 そして、心に描いた“思い”を現実のものにするには、「こうなったらいいな」 と漠然と思うだけでは不十分です。 「必ずやこうありたい」と、心の底から思い、揺るぎのない意志をもって絶え 間なく思い続ける。 そうでなければ、とても実現することはできません。 そもそも、人間がいまのような高度な文明を築く礎(いしずえ)となったのも 心に描いた強烈な「思い」だったといえます。 「もっと早く目的地にたどり着きたい」という切なる思いが蒸気機関車を生み 自動車を大地に走らせました。 心に描いた思いを原動力にしながら、私たちの文明は進歩してきたのです。 いま私たちは、この思いの大切さをどこかに置き忘れてきてしまったのでは ないでしょうか。 頭で“考える”ことばかりが重視され、それらを生み出す根っこである“心” と、それがもたらす“思い”が軽視されているように思えてなりません。 強い思いをもち、それを持続させることによって、その時点ではとうてい無理 だと思われていたことも、やがては現実のものにすることができるのです。 思いには物事を成就させるすばらしい力があることを知ることです。 (参考文献:稲盛和夫著 「心。」 サンマーク出版)________________________________________ *「思い」というのは一種のエネルギーとも言えます。 『~だと思う』という気持ちの表現ではなく、「目標」「目的」というような そこに何らかの力が働いて初めて意味をなすのが「思い」というものです。 著者が指摘したいのは、思いの根本にある心が重要視されなくなったことで、 「考えること」が「思い」になっているのではないか? 考えることそのものは、決して悪いことではないのですが、効率や利益やスピ ードという表面上のことばかりが評価されるため、人の心というものが軽視さ れています。 心の底から湧き出る「思い」の力を信じる人でありたいものです。
2020年01月20日
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【悩みを軽くするコツ】★本多時生氏の言葉から―◎「悩む」には、「考える」と「苦しむ」の意味が含まれています。 「悩まない」ためには、「考えない(問題化しない)」方法と「苦しまない」 方法が考えられます。 「考える」のはいいことです。 「苦しまずに、よく考える」ことができたらいいのです。 自分の頭の中だけで考えると、行き詰まってしまうこともあるし、限界もある でしょう。 いろんな答えを探すことが大事です。 そのために、「いろんな所を探し回りながら考える」こともいいでしょう。 例えば「本の中で探す」「ネット上を探す」。 ただし、あくまでも「ヒントを探す」と考えた方がいいでしょう。 自分の問題にピッタリの答えは見つからないかもしれません。 しかし、「こういう考え方もあるんだ」「ここの部分だけは参考になる」「この 考え方は応用できるかも」「これは違うな、私ならこう考える」などと考えら れれば、十分ヒントになっているのです。 いろんな所を探し回りながら考えてみれば、自分なりの答えが見つかる可能性 も高くなります。 いろんな答えを考えてみれば、解決方法の選択肢も広がります。 (参考文献:本多時生著「ラクに生きよう」アルファポリス)________________________________________ *考えても、解決法が浮かばない。 これが長く続くと苦しみになります。 悩みについて考えるとき、いろんな方法があるのだから、という意識を 持つことがポイントになります。 そういう意識をもつと、「方法がなかったらどうしよう?」という不安も 軽減できます。 いろんな解決方法を探し回ろう、という気持ちになること自体、積極さ の表れです。 苦しまないためにも、解決の方法は必ずあるのだから、と考えることが 大事です。
2020年01月19日
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【人生にメリハリをつけよう】★五百羅漢寺住職・佐山拓郎師の言葉から―◎私は「仏教とは、喜怒哀楽といった感情を極限まで捨てること」という考えに は賛同しません。 喜怒哀楽はとても大切なものです。悲しいときは思いっきり悲しみ、嬉しいと きは思いっきり喜ぶのが人間だと考えています。 2017年のアジア卓球選手権で、平野美宇選手が優勝しました。 (2020の東京オリンピック団体戦の代表選手にも内定しています。) その優勝インタビューの中で平野選手は、「今日だけ天狗になって、明日にな ったら(鼻を)折ります」という発言をしていました。 これでいいと思うのです。無理に感情を押し殺すことが美徳ではありません。 平野選手の場合、「明日になったら折ります」という言葉から、いかに彼女が 普段から自分を律し、自分を客観視できているかが伝わってきます。 他人からどう見られているかは関係なく、自分自身が喜びたいときに喜び、厳 しく律したいときに厳しく律することができる、強い人なのでしょう。 平野選手が言うように、「喜ぶことができる瞬間」は長続きしません。 人生は常に、前に進んでいくことが前提ですから、そのなかでやるべきこと、 やらなければいけないことというのが当然、出てきます。 思いっきり楽しめる幸せな時間を終え、苦しかったり退屈だったりする日常に 戻るわけです。これはもう、この世で生きている以上は仕方のないこと。 ですから、嬉しいときには思いっきり喜び、楽しい時には目いっぱい楽しむこ とで、日常を生きる糧としていけばいいのです。 「今日は楽しかった」と思う出来事があれば、どんな明日でも頑張れます。 平野選手とは次元が違いますが、私もあるお寺で修行に励んでいたとき、一日 に三回、嬉しい時間がありました。 それは食事のときです。 修行中は朝早くから夜遅くまで、分刻みでやるべきことが決まっており、精神 的にも肉体的にもぎりぎりの状態でした。 そのなかで、「食事の時間まであと何分だな」と我慢して、食事の時間は幸せ な気分に浸り、また苦しい修行に戻る、というのを続けました。 食事の時間は、永遠に続くわけではありません。だからこそ、堪能しないとも ったいないのです。「修行中だから」と、食事の時間まで自分を厳しく律して しまったら、生きている意味すらなくなってしまいます。 「自分を解き放つ時間」と「自分を律する時間」を切り分けることで、メリハ リのある人生を送ることができるようになるのです。 (参考文献:佐山拓郎著 「流されない練習」 知的生き方文庫)________________________________________ *メリハリとは、振り子のようなものともいえます。 一つの方向から、反対の方向に移動することで、変化という刺激を味わう こともできます。 同時に、変化の過程の中でそれまで見えなかったことが見えるようになり、 気づかなかったことに気づくことになります。 それが人生の面白味というものかもしれません。 自分の生活にいかにメリハリをつけることができるか。 自分らしさとは、そういう日々の積み重ねでつくられていくものでもあると 思います。
2020年01月18日
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【寛容力を高めよう】★元・陸上自衛隊心理教官、下園壮太氏の言葉から―◎先日、電車に乗っていたときのことです。 おじいさんが座席に座って本を読んでいました。詰めて座っていなかったため 本来であればもう一人が座れるはずのスペースが狭くなっていました。 ある駅から乗ってきた若者が、その狭いスペースに、遠慮がちにお尻をいれて 腰かけました。するとそのおじいさんは、ものすごい怒った目つきでその若者 をにらみつけたのです。 銀行でATMの操作方法がわからず、後ろに行列ができてしまったため、係員 が助けに入ろうとしたら、「うるさい!」と怒鳴って拒否したお年寄りを見か けたこともあります。 突然、怒り出したり、理不尽な行動をしたりする「暴走老人」が増えている そうです。 鉄道係員に暴力を振るう加害者は、年齢別では「60代以上」がトップで、 23.8%を占めます。(H27年度大手民鉄16社、JR6社など計33社局) 「年を重ねたら寛容力が増して、本来ならば、おだやかになるのでは?」と 不思議に思うのではないでしょうか。 私は、年を重ねることによって丸くなる人と、年を重ねることでイライラしや すくなり、“暴走老人”になってしまう二つのタイプの人がいるととらえてい ます。 年を重ねるごとにイライラしやすくなる人は、「引く力」を育ててこなかった 人です。 こういう人は、自分が常に正しいという価値観を持ち続け、心が狭く、柔軟な 思考や発想ができません。このタイプにとって「経験」とは自分の正しさを裏 づけるものでしかありません。 そのため、無駄にエネルギーを使います。 「自分は正しく、相手が間違えている」という前提なので、いたるところで イライラが発生します。 ただでさえ年齢とともにエネルギー量が少なくなっているのに加え、イライラ によるエネルギー消耗が加わるのですから、キレやすくなるのです。 特にアルコールを飲むと、瞬発的に怒りが爆発し、それが暴力行為となって 表れたりします。 一方、年を重ねることで丸くなる人は、「引く力」を育ててきた人です。 こういう人は、経験の中で試行錯誤を重ねつつ、人の考え方というのはそれぞ れだ、という価値観を育てることができています。 ですから、柔軟な発想ができるのです。 そのため無駄なエネルギーを使いません。だからイライラしにくい。 イライラしなければ、ますますエネルギーの消耗がなくなるわけですから、 おだやかでいられるわけです。 (参考文献:下園壮太著 「寛容力のコツ」 知的生き方文庫)________________________________________ *寛容さというものは、自分以外の人の意見や考えかたに対し反発せず、 それを認めることです。 自分と相手の違いを、経験や感情というモノサシで測ると自分が否定された ような気持ちになり、イライラするのです。 経験の豊富さを、新しい時代に応用できること人が寛容な人の特徴です。 自分の経験を進化させ新しい価値観を身につけることで、その人の考え方や 対応力はさらに広がり、強くなっていくものです。 経験と感情だけに頼らず、安心と信頼を与えることのできる、寛容な人に なりたいと思います。
2020年01月17日
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【心配対処・愉快対処】★元結不動 密蔵院住職・名取芳彦師の言葉から―◎未来は「未だ来ない」と書き、過去は「過ぎ去った」と書きます。 しかし、ともすると私たちは「将来、年金はどうなるのだろう」「二十年後、 自分はどうなっているのだろう」と、未だ来ない未来を思い悩みます。 そして、「あの頃はよかった」「あんなことはしなければよかった」と過ぎ去 った過去に縛られてしまことがあります。 過去の経験を活かして今を生き、将来の不安を解消するために私たちにでき ることは、“今を生きる”しかありません。 お釈迦様が生まれた紀元前五世紀頃、中国に杞(き)という小国がありまし た。当時、中国では大地は巨大な正方形で、四隅の柱で天を支えていると考え られていました。 ある人が「いつか天が落ちてくるのではないか」と不安になり、夜も安心して 眠れず、食事も喉を通りません。 友人が「天は気体だから、落ちることはない」と言うと、今度は「この大地が 陥没するのではないか」と不安になり、この人は一生不安におびえながら過ご すことになりました。 この「杞の国の人の憂い」から、取りこし苦労を杞憂(きゆう)と言うように なったのはご存知の通りです。 この杞憂という言葉をことわざ辞典で調べてみたら、実にユニークで意味深い 英訳に出合いました。 <天が落ちてきたら、ひばりを捕まえられるよ>です。 具体的でウイットに富んだ訳をした人に拍手を送りたい気分です。 まだ起こっていないことを心配するなら、具体的な対処法を今のうちから考え ておくことはもちろん、愉快な対処法を考える心の余裕もほしいと思います。 「将来年金が減るといけないので、今から自分で年金を貯金しておく」が具体 的に今やること。 そして「年金があまりもらえなかったら、自然にダイエットができる」が愉快 な対処法です。 「この先病気にならないように、食生活と運動を見直す」が今。 「病気になったら、毎日寝て暮らせる」が心の余裕です。 「仕事が順調にいくように、普段から実力をつけておく」が今やること。 「仕事が順調でなくなったら、居酒屋でもっとたくさん愚痴が言える」と楽し みにするくらいでも、いいではないですか。 (参考文献:名取芳彦著 「ためない練習」 知的生き方文庫)________________________________________ *私たちは、何かにつけて不安を感じるものです。 これは、よりよく生きてくための能力であり、たくましく生きていくために 必要な力となります。 不安というものが、災害から生命を守り、生活を維持させてきたのが人類の 歴史です。 ところが、不安も度を過ぎると身動きがとれなくなってしまう。 これが『杞の国の人の憂い』のエピソードになっています。 不安はあっても、取りこし苦労はしないほうがよいようです。 不安と取りこし苦労の境界を、うまくバランスをとることができるのも 私たち人間です。 このバランスを崩さないためにも、心の余裕は持っておきたいものです。
2020年01月16日
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【人の成長や変化に年齢制限はない】★千田琢哉氏の言葉から―◎最近セミナーでよく受ける質問がある。 「20代向けの本をよく書かれていますが、私はもう40代です。40代向け のメッセージをいただけませんか」というものだ。 この際、ハッキリ断言しておこう。 20代向けと謳っているのは、そのほうが消費者の目に留まって売りやすい からだ。 私自身が20代を使っている時の定義は、「変化できる覚悟がある人」という ことだ。 変化できる人であれば、100歳超えても20代だ。 変化できない人であれば、10代でも立派なお年寄りだ。 私の考える変化というのは「悪いと理解したものは今すぐやめて、よいと理解 したものは死ぬまで続けること」である。 周囲を幸せにしないとか、健康に悪いと感じたらパッとやめる。 周囲を幸せにするとか、健康にいいと感じたらずっと続ける。 いずれにしても昨日までの自分と別れを告げて、変化する覚悟があるというこ とだ。 世の中を見渡してもらいたい。 長期的に成功を収めている人たちは無類の読書家であるとか、頭の回転が速い という理由が本質ではないことに気づかされるはずだ。 読書や頭のよさは手段であって、本質ではないのだ。 本質とは何か。変幻自在に対応できる柔軟さに他ならない。 柔軟になるために読書をして、人の話しを聞いて頭をよくする必要があるので あって、その逆ではないのだ。 いくら読書が好きでも頑固者ではダメだ。 いくら頭がよくても頭が固くてはダメだ。 柔軟さがなければ長期的に成功することはできないのだ。 頭が柔軟な人は外見も若々しくて健康的に見える人が多い。 頭が固い人は外見も老け込んで不健康に見えることが多い。 (参考文献:千田琢哉著 「死ぬまで悔いのない生き方をする45の言葉」 宝島社)________________________________________ *ここでいう変化とは、『対応力が柔軟である』ことを意味しています。 自分の価値観がコロコロ変わったり、人の意見にすべてイエスと言う ことでもありません。 対応ができるためには、起きた出来事や他人との意見の違いをいったん 自分の中に取り入れなければなりません。 そのうえで、自分で考え、判断し、あるいは他の人の意見を聞いたりして 一つの答えを出していくのです。 つまり、自分の外の条件を取り込み、その後に自分なりの結論を出していく というかなり面倒な作業を行う必要があるのです。 対応しようとしない人は、その作業をしようとせず、否定することで終わり にしようとします。 確かに私たちは、否定することで自分の考えの正当性を示したいという一面 を持っています。 しかし、否定しかできない生き方はあまりにも窮屈なものです。 自分は柔軟な人間だろうか、という問題意識をたまには働かせることができ る人でありたいと思います。
2020年01月15日
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【悲しいときには真珠の涙を】★ひろさちや氏の言葉から―◎白隠禅師はわが国の臨済宗中興の祖とされる、江戸時代の禅僧である。 その白隠禅師に師事して禅を学び、在家の女性でありながら悟りを開いた老婆 がいた。 この老婆の孫娘が死んだ。そのとき、悲しみに老婆はぼろぼろ泣いていた。 すると、ある人が老婆に言った。 「あんたは白隠禅師のところで坐禅をして、悟りを開いたはずなのに、どうし てそんなに泣くのか。悟りはちっとも役に立っていないではないか」 そのことばに、老婆はこう答えたという。 「何を言うか!? わたしの流す涙は、おまえさんたちの涙とはちがう! この涙は、真珠の涙だ!」 なるほど、その通りだと思う。わたしたちは禅の修行をしていても、仏教の 勉強をしていても、悲しいときは悲しい。 うれしいときはうれしいのだし、腹の立つときは腹が立つ。 それはあたりまえのことであり、禅の修行や仏教の勉強は、その悲しみの感情 を殺し、腹立ちを抑えることではない。 世間一般ではそう思われているかもしれないが、それは誤解である。 けれども、かといって、仏教を学んでいる人間が、普通の人と同じように泣き わめき、怒り狂っていたのでは、なんのための仏教、なんのための修行か、と いうことになる。 わたしは、白隠禅師のお弟子の老婆が言ったように、仏教を学んでいる人間は 悲しいときに真珠の涙を流せるようになりたいと思う。 禅を学んでいる者は、悲しみに禅の涙を、念仏の道を歩む者は念仏の涙を流し たい。 腹が立つとき、禅の怒りを、念仏の怒りを燃やすことができれば、それがほん とうの仏教者だと思う。 (参考文献:ひろさちや著「がんばらない、がんばらない」PHP文庫)________________________________________ *悲しいときに、悲しいという感情を押し込んでしまうより、あふれ出る涙を 流したほうがよいと思います。 それが人間として自然の姿といえるでしょう。 悲しいときに涙を流せる人であることが大事なのです。 涙とともに悲しみを乗り超えるために泣くのであれば、それは人として ひとつ強くなれたのです。 泣きたくなったら、自分は弱い人間だと思わずに、真珠のような涙を流す 人間になっていると考えれば、悲しむことにも大きな意味があると気づく ことができます。
2020年01月14日
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【人や見えない力を味方にする言葉】★作詞家・吉元由美さんの言葉から―◎母が大きな手術をした頃、具合が悪いことを知っていた母の様子を聞かれた ことがありました。 「おかげさまでだいぶよくなりました」と答えると、その方は、 「おかげさまって、いい言葉ですね」と、しみじみ言われました。 「最近なかなか聞かなくなった言葉のひとつですよね」その方の言葉に、自分 もあまり使ったことがなかったなあ、とふと思いました。 私の口をついて出た「おかげさま」という言葉に、自分の万感の思いがこもっ ていることに気づきました。 「おかげさま」という言葉には、『感謝』がこもっています。 相手に対する直接的な感謝と、支えてくれた人たちへの感謝、そして目には 見えない何かに対する感謝の気持ちがこもっています。 捉えどころのない漠とした表現ですが、その言葉の向こう側には美しい心が 広がっているような感じがします。 もうひとつ、「おかげさま」という言葉には『謙虚さ』があります。 漢字で書くと「御蔭様」。『蔭』は、目に見えない庇護や恩恵を表します。 それに『御』がつくのですから、私たちがどれだけ大きな支えに守られている か想像に難くないでしょう。 もしかしたら自分の力でなし得たことかもしれません。 でもそもそも「自分の力」など少しばかりのことで、何か大いなるものの支え があってこそ自分の力もあり得たのだ、という謙虚さを感じます。 自負心とともに多くの人の助けがあり、目に見えない何かに支えられてできた のだと思えたほうが、あたたかく幸せな気持ちに満たされるのではないでしょ うか。 目に見えない支えを感じ、感謝しながら生きることは美しい。 生き方として美しい。 (参考文献:吉元由美著 「40代『泣きたい日』の頑張り方」知的生き方文庫)________________________________________ *よく日本語には「言霊(ことだま)」があるということを聞いたりします。 それは、言葉の奥にある人の思いや気持ちに、何かの力が潜んでいるという ことなのだと思います。 言葉にも、人の生き方に影響を与える力があるといえます。 英語や外国語では、自分の考えや気持ちをストレートに表すことが基本に ありますが、その意味では日本の言語にはそれがありません。 他国との交流が自由になり、外国人とのコミュニケーションをとるにしても 日本語のよいところはなくならないでほしいものです。 これからは、多言語の会話力が問われる時代になっていきそうですが、外国 の人たちが、日本の言葉の響きや奥ゆかしさを通して、日本の文化を理解し てもらうのも大事なことかもしれません。
2020年01月13日
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【イヤな人を我慢できる発想とは】★山崎武也氏の言葉から―◎世の中には物事を素直に見ることのできない人がいる。 何かにつけて文句をいう。 それほど重要でもない点をとりあげて、あれこれいいがかりをつけてくる。 これが友人であれば、自分の意志で縁を切ることもできる。 しかし、そのようなわがままがいえない場合もある。会社の中とか取引先との つきあいでは、選択の余地がないのが普通である。 このような場合は、その人と無人島で二人きりなったと想定してみるといい。 そんなときでも、ずっとそっぽを向いていられるかどうか考えてみるのだ。 世界に二人きりとなると、かなりのところまで我慢が可能なのではないか。 ふだんは周囲に人がたくさんいるので、こういう人はよいのだがあのような人 はいやなのだなどと、ぜいたくなことをいっているのである。 こちらから積極的につきあっていく気になれば、意外に道が開けてくることも ある。 そのために、たとえばこんなふうに考えてみてはどうだろう。 いいがかりをつけるというのは、どこか引っかかる点があるからで、何か問題 点があるはずだ。 そこで、因縁をつけられたといって憤慨しないで、相手のいうところに耳を傾 けてみる。 すると、たしかに相手の言にも一理あり、自分のほうにもいたらない点がある ケースもある。そこを相手は突いてきたのである。 自分の思慮が足りなかった点を反省する機会を与えてくれたことに、感謝して しまう。 得意になってのんびりとしていたかもしれない自分を叱咤激励して、さらに 努力するようにいってくれたと解釈するのである。 重箱のすみを楊枝でほじるようなことをされても、自分に能力がある点を認め て励ましているからこそと思って、素直に耳を傾けてみる。 そうすれば、さらに自分に磨きがかかってくるはずだ。 (参考文献:山崎武也著 「さりげなく『感じのいい』人」 三笠書房)________________________________________ *相手からの言葉が耳に心地よいのは、その人との関係性が良い証拠です。 その言葉に多少のいやみが含まれていても、どうにか笑顔で受け止めること ができるものです。 しかし、そうでない人からの言葉だとすぐに感情的になる。 結局、人間関係しだいで、相手の言葉に対する反応は違ってくるものなの です。 人間関係をうまく維持できる人は、仮に感情を逆なでするような言い方で あっても、その時々で受け止め方を変えることができます。 もちろん、一時的に感情が乱れても、表情に出るまでにはいたらない余裕 があるからでしょう。 自分にとっては「イヤな人」であっても、その人から何か学ぶべきものが あるのかもしれないという意識を持つことは、結果的に成長することに なるはずです。
2020年01月12日
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【感情をさらけだすことも必要です】★心理学者・内藤誼人(よしひと)氏の言葉から―◎「つい怒ってしまう」時があるのは仕方のないことです。 だって、人間ですから。 イエス・キリストでさえも両替商が神殿を冒涜しているのを見た時には、 怒りを抑えられませんでした。 ふだんのもの静かな態度を一変させ、商人の机や椅子を乱暴にひっくり返して います。 また、ローマ教皇フランシスコも、頭に血がのぼることがあるそうです。 「暴力で対抗してはなりません」と教皇はおっしゃっていますが、「ただし、 誰かが私の母を罵る言葉を口にしたら、それが私の親友であったとしても、私 は殴るでしょう。当たり前のことです」と素直に答えています。 教皇のこの言葉は、2014年にフランスの雑誌『シャルリー・エブド』が預言 者ムハンマドの風刺画を掲載し、それに怒ったイスラム過激派がパリでテロを 起こした直後に発せられたものです。 どんな人でも、怒りの感情が湧いてくる時はあります。 「怒り」は、きわめて人間的なもので、喜びや悲しみと同じように、誰もが 感じるもの。それを「なくせ」というのは、ムリな話です。 R・ダグラス・フィールズという心理学者は、『激情回路―人はなぜ「キレる」 のか』(春秋社)という本の中で、怒りとは決してマイナスの感情ではなく、 人にやる気を出させたり、頑張る気持ちをおこさせたり、身を守るのに役立っ たりする、と述べています。 怒りの感情は、「人間にとって必要な感情」だからこそ、人間に備わっている のです。 もちろん、年がら年中怒りっぽいのは困りますが、たまには気持ちを吐き出す ことを自分に許してあげていいのかもしれません。 時に感情をさらけ出すことで、かえって親しくなれたり、愛情を感じたりする ことだってあるのです。 (参考文献:内藤誼人著「いちいち感情的にならない本」王様文庫)________________________________________ *イエス・キリストも怒ったという話を聞くとホッとします。 大事なのは、怒りの感情に振り回されないことです。 同時に、怒りの感情を持つのは仕方がないことではあっても、あくまでも 正義というひとつの基準に反する事象への、反応・作用であって必然的に 生じる感情といえます。 だからこそ、自分でコントロールする必要があるともいえます。 感情はさらけだすことも時には必要ですが、コントロールすることも それ以上に大切なことでもあると思います。
2020年01月11日
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【やる気を生み出すコツ】★中谷彰宏氏の言葉から―◎元気がなくなってきている今の時代には、どうしたら自分のやる気を出す ことができるか。 みずからの頭の中に精力剤を生み出すことを考えましょう。やる気を生み出し ていくコツさえつかんだら、あなたは何をやってもうまくいきます。 やる気を出すためには、煩悩を肯定していくことが大事です。 仕事をしている人から、よくこんなことを言われます。 「私は一番やりたいことは別にあって、今やっていることは2番目にやりたい ことなのです。2番目にやりたいことを準備しながら、一番やりたいことを いつやろうかと迷っているんです」 たいてい2番目にやりたいことのほうが距離が近く、現実的です。 つまり現実にあって妥協したものが、2番目にやりたいことなのです。 日本人は不思議なことに、2番目にやりたいことをみんなやっています。 人生は、いかに蓄積をためていくかです。 ノウハウ、人脈、お金など自分自身の資産を増やしていかなければいけないの に、それを考えていない人が多いのです。 2番目にやりたいことは、実は仕方なしにやっていることが多いのです。 2番目にやりたいことでは元気が出ません。一生懸命やる気が起きません。 2番目に好きというのは、本当はそれほど好きではないのです。 本当はあれをやりたいけれども、これをやらざるをえないから、自分から好き になろうとしていることなのです。 好きなことと、好きになろうとしていることは、圧倒的に違います。 好きなことをやっていても苦労は多いのですが、好きなことをやっていれば 楽しいから、それで苦労してもバランスがとれます。 ところが、2番目に好きなことは、好きになろうと努力しなければいけないし そういう仕事でも同じだけ苦労があります。 つまり、マイナスが2つあるのです。 「本当は私はあっちをやりたいんだけどな」という気持ちを常に持っていて、 あなたの気持ちをごまかし、ごまかしやっているから、元気が出ないのは当た り前です。 つまり、選択の仕方がすでに間違いなのです。 「一番やりたいことより、2番目にやりたいことのほうが労力が少なくてすむ から」と言う人がいます。 バランスの問題で考えたら、たしかに労力は少ないけれども、これも好きにな らなければいけないというマイナスをあわせて抱えているわけですから、結局 疲れてくるのです。 「これが好き」という煩悩から苦労を引いた残りの分が、やる気になるのです。 どれだけ苦労があっても、「好き」が強ければ強いほど、やる気は残ります。 (参考文献:中谷彰宏著 「煩悩のススメ」 TBSブリタニカ)________________________________________ *著者の中谷さんは「一番やりたいことを、後回しにするのはやめよう」と 言います。 以前も紹介しましたが、私たちが持ってもよい煩悩は3つあると、著者は 言いました。 1、自分のための煩悩 2、恋人や家族など愛する人のための煩悩 3、世の中すべての人のための煩悩 私たち人間は、この3つの煩悩が3分の1ずつあればよく、入り口はどれで もかまわない。 自分がいちばんやりたいこと、すなわち自分の煩悩を大事にすることも、 いずれは、周りの人たちの幸せに役立つことがあるかもしれません。 やりたいことをやって、なりたい自分になりましょう。
2020年01月10日
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【自分の性根を知ると生きやすくなります】★曹洞宗長光寺住職・柿沼忍昭師の言葉から―◎仏教の世界では、修行の先に「自分」のことがよくわかるということがあり ます。 修行をすれば、「自分」をより深く分析できるのです。 とはいえ、修行は厳しいものです。 ただし、何か特別なことをするわけではありません。 同じことを延々と繰り返すとか、尋常ではない丁寧さで物事に取り組むといっ たところに厳しさがあります。 そうやって自分をどんどん追い込んでいったときに、「自分がどんな反応を見 せるか」で、自分のことがよくわかるようになるのです。 極限状態で、自分が何を考え、どういう答えを出すのかを知っておくことは、 生きる上での安心感になります。 人生がものすごく生きやすくなるのです。 「あのときこうだったから、この程度ならこれぐらいのことにしかならない な」ということもわかってくる。 すると、なにをやるにも動じなくなるのです。 人間は追い詰められたとき、本質が出るものです。 立ち向かうのか、逃げるのか。 その人が奥底に持っている「性根」が出てきます。 だから、「苦しいこと」にも意味があるのです。 仕事で追い込まれて極限状態になったときは、自分も他人も分析できるいい 機会だ、と思えばいいのです。 (参考文献:柿沼忍昭著「禅、心がほっとする考え方」知的生き方文庫)________________________________________ *自分の本質、つまり性格の根っこが理解できることは、大きな強みに なります。 自分自身を分析できる人は、他人を分析することもできます。 まず、自分を分析するには自分を掘り下げて見る目線が必要です。 つまり、冷静な気持ちになって自分を見つめることです。 それができると、リラックスすることが大切なのもわかってくるようです。 自分を追い込みすぎるのもよくありせんが、生きやすい感じ、感覚がつかめ れば、これが一番だと思います。
2020年01月09日
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【チャンスはつくるモノ】★医師・鎌田 實氏の言葉から―◎人生には幸運もあれば不運もある。 これが人生。辛く、苦しいことがあっても、今あなたは生きている。 これはとても大事なこと。とにかく生きているってすごいこと。 「不運」でも生きているって、とても幸運なことなのだ。 文化放送のラジオ番組「日曜はがんばらない」のゲストに、ドクター・中松を お招きした。都知事選に7度、参院選に6度立候補している人。 ぼくは最初、単なる「目立ちたがり屋のおっさん」と思っていた。 少し調べてみると、なかなか魅力的な人物。会いたくなった。 彼は3500もの発明をしている。 発明のきっかけになったのは中学2年生のとき。 大好きなお母さんが醤油を一升瓶から醤油さしに注ぐのに苦労しているのを 見て、「灯油ポンプ」の原型となる手動ポンプをつくった。 その後、次々に、発明をしていく。 ヘリコプターを利用した農薬散布やフロッピーディスクなどを発明した。 「資本主義よりも知本主義」なんて、面白いことをいう人で、お金より、イン テリジェンスを財産にしようと考えた。チャンスは自分で作るモノ。 このドクター・中松が、前立腺がんになった。あと2年の命といわれ、自ら 余命告知を行なった。厳しい状態であることを隠さないのがいい。 有名な病院の専門医を何か所も回って、すべてさじを投げられた。「2015年 12月までが命の限界」とまでいわれた。 ドクター・中松は「自分ががんになったのはチャンス」と語った。「がんを撲 滅するための10種の発明」についてトウトウと語ってくれた。 彼のオタオタしない姿はかっこいい。がんイコール不運と思っていないのが いい。これ、けっこう大事なんだ。 たとえば、がんを撲滅するための「がんがんカレー」や「ガンガンおいしい ふりかけ」。ネーミングがいい。 ここには「へこたれない」生き方のヒントがいっぱいある。 彼の理論によると「免疫機能を刺激する周波数」があるそうだ。 その周波数で体中を刺激する歌をつくってしまった。 全米がん撲滅協会の名誉会長も務める彼は、ハーバード大学で1200人の聴衆 の前で、英語の歌詞で『がんの顔つき悪くても』という歌を披露してきた。 「がんに負けない心が大事」とも語る。 話を聞いているだけで大笑い。とてつもなく楽しんでいる。 (参考文献:鎌田 實著 「へこたれない」光文社の知恵の森文庫)________________________________________ *ドクター・中松さんは今もご健在で、92歳になられるそうです。 著者の鎌田医師は、不運を幸運に変えるには、陽気さが大事といいます。 病気であれ、生きるうえでの障害やトラブルは起きるものです。 そういうときに、どのような気持ちになって生きていけばよいか。 そのときの対処に迷うこともありますが、陽気であろう、と考えることが 不運が幸運に変わることになるでしょう。 陽気になれない日もありますが、陽気であることは大事なこと。 忘れないでおきたいものです。
2020年01月08日
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【イライラの対処法】★法恩院住職・鳥沢廣栄(とりざわこうえい)師の言葉から―◎イライラの原因は、自分の思い通りにならないというところにあり、思い通り にならないことを何とかしようとするところに生まれてきます。 ならば、この原因をなくしてしまえば、イライラもなくなりますね。 思い通りにならない、という思いを消し去ってしまえばいいわけです。 それには、仏教の考え方を身につけることが大変効果的だと思います。 そうするためには、まず、お釈迦様が説いているように、この世界は苦の世界 である、ということを認識することから始まります。 自分のことも自分の周りのことも、思うようにならないのがこの世なのです。 この「思い通りにならない」ということは、自分だけにあることではなく、誰 にでもあることなのです。 これを認識し、理解することが、仏教的生き方の第一歩ですね。 これを実践すれば、イライラすることはありません。なぜなら、どのようなこ とに対しても、初めから「思うようにはならない」とわかっているからです。 それはあきらめではないのか、と思われるかもしれません。 確かに、「この世は思い通りにはならないものだ」と認識することは、「あきら め」とおなじように思えます。 しかし、一般的にいう「あきらめ」とは、実はまったく異なるのです。 一般的な「あきらめ」は、捨て鉢的なあきらめでしょう。 「もういいや、もうどうにでもなれ」というマイナス思考ですね。この場合の あきらめは、先がありません。本当に「もう終わり」です。 捨て去ってしまう状態が、一般的なあきらめです。 しかし、「この世は思い通りにはならない世界だ」と認識することは、結果だ けをみればあきらめと同じように見えますが、先があるのです。 そこで終わっているわけではありません。 「この世は思い通りにはならない世界だ。だからこそ、イライラしたり、怒っ たり、妬んだり、恨んだりなどと感情的にならないように生きていこう」とい うのが、仏教的生き方なのです。 仏教的生き方、という言い方がなじめない方は、「積極的あきらめ」と言い換 えればいいと思います。 同じあきらめでも、捨て鉢になって先を見ないのか、思い通りにならないもの と納得して、自分の感情をコントロールするかでは大きな違いがあります。 たとえば、思い通りにならないことがありイライラしても「あぁ、いけない、 いけない。この世は思い通りにはならないものだ。落ち着こう。落ち着いて 考えよう」とブレーキをかけることができるようになるのですね。 (参考文献:鳥沢廣栄著 彩図社 「お坊さんが教える『イライラ』がスーッと消える方法」)________________________________________ *ここでは著者は、仏教的生き方ということにふれていますが、むしろ 「積極的あきらめ」、というのは心理学上もよく言われているものです。 思い通りにならないことに気持ちが乱れるのは、思い通りにしたいという 気持ちがあるから乱れてしまいます。 思い通りにしたいという“自分の欲”は誰しも持っていて、その自分の欲に 振り回されないことが理想です。 イライラは自分の欲から生まれます。 では、自分の欲というものと、どうつきあうか。 難しいことかもしれませんが、ここを考えることで成長もできるはずです。
2020年01月07日
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【つらい時の乗り越え方】★本田 健氏の言葉から―◎「神様は乗り越えられない苦しみや試練は与えない」ということが、よくいわ れます。 苦労は報われる、いまの経験がきっと将来に活かされる、という意味で励まし の言葉として使われるわけですが、苦しみの渦中にいるとき、それが将来、何 かにつながるとは、とても考えられないものです。 そういうことは、しばらくたってから振り返って、感じられることかもしれま せん。 本当に苦しいときは、あまりのつらさに、自分自身の運命を呪ったり、関係す る人たちを恨んだりするものです。 あるいは無感覚になってしまうこともあります。 それは、一時的には、仕方のないことだと思います。けれども、誰かのことを 恨み続けても、何かが解決するわけではありません。 誰かを恨み続けると、それだけで、自分の人生がすさんでいきます。それは、 憎しみや恨みをもち続けるためには、大変なエネルギーがいるからです。 かといって、当時者をゆるしたり、平安でいることもできないでいる人は、意 外と多いのではないでしょうか。 そういう苦しいときには、おすすめの方法があります。個人的に知らなくても 自分よりもずっと大変な状況にある人のことを考えてみてください。 そして、その人のために「つらいことを乗り越えられますように」とお祈りし てあげるのです。 すると、それだけで、不思議なことにすっと心が軽くなります。 これは私の母が実践していたことです。 母は長く病気で苦しんでいましたが、世界のどこかで、もっとつらい体験をし ている子どもたちのことを思ってお祈りしていました。 そのせいか、最期までほがらかでいてくれて、私たち家族はどれほど救われた かしれません。 私も、この方法で、何度も苦しいときを乗り越えてきました。 つらいとき、苦しいとき、あなたより大変な人のことを考えて、その人に愛を 送ってみてください。 (参考文献:本田 健著 「人生の目的」 だいわ文庫)________________________________________ *自分以外の人に、他者のために愛を送ることを、仏教では『慈悲』といいま す。 また、人に施しを与えるという、布施の中の一つとして『慈悲』の大切さが 語られています。 自分に関わりのない人のために、目には見えない愛というものを送るとき、 なぜか自分自身の心が穏やかになるのは、お釈迦様がいう『仏性』というも のがあるからなのでしょう。 人は、誰かを恨むこともできれば、誰かのために祈ることもできる。 仮に誰かを恨むことで苦しみを味わったにしても、その苦しんだ経験が人を 深くすることもあります。 しかし、恨むことを続けることばかりに目を向けるより、誰かのために祈る ことに目を向けることのほうが、もっと深い人になれるような気がします。 恨むことを考えるより、愛することを考える人でありたいと思います。
2020年01月06日
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【自分に矛盾があることを許そう】★心理カウンセラー・金藤滉一(きんとうこういち)氏の言葉から―◎ある小学校の先生から、意外な話を聞きました。 「子どもたちは、学芸会の時、悪い役を進んでやろうとします」 私は、「えっ?」と声が出ました。 ちょうど、幼稚園の学芸会で「桃太郎」をやると、先生が鬼で、園児全員が 桃太郎になりたがると聞いたばかりだったからです。 先生は次のような説明をしてくれました。 一連のいじめ事件の余波を受けて、いま学校ではいじめ禁止令がかなり行き渡 っているといいます。 ただじゃれていたり、軽い喧嘩をしただけで、いじめを疑われる雰囲気がある そうです。子どもたちには自ずと自主規制が働きます。 当然、活発な年ごろの彼らには、ストレスがたまっていきます。 それで、学芸会の悪役に人気が集まるというのです。 子どもたちは、あえてふだんの自分とは違うことをやって、心のバランスを とろうとする。矛盾を取り込むことで、生気を取り戻している、といっても いいかもしれません。 よく世間を騒がすような事件が起きると、近所の人が決まっていうのが、「ふ だんはそういうことをする人には見えませんでした」といいます。 これは、「ふだんはそういうこともしないから、そういう事件を起こした」と いったほうが正確だろうと思います。 とにかく、ストレスが大きくなる前に、小さくする工夫をすること。 それにはまず、自分に矛盾があることを許すこと。 一途になって無理がたまっていたものにガス抜きをさせるのです。 しかし、矛盾を抱えて生きるには、ちょっとした工夫が要ります。 本音の自分にも居場所を提供し、建前の自分にもそれにふさわしいペースを あてがう。 すごく活動的な自分もいれば、その反対のグータラな自分もいる。それを肯定 しながら、できれば善(プラス)の方向につねに顔を向けるということです。 善に生きることはむずかしく、悪にそまることはたやすい。 人は易に流れがちです。 しかし、矛盾を肯定すれば、自ずとプラス方向に転換していくものです。 矛盾を否定すると、否定されたほうの自分が暴走するのです。 無理のない範囲で徐々に方向転換を図ること。 それがよりよく矛盾を生きるコツではないでしょうか。 (参考文献:金藤滉一著 「つまずいたらいつもの逆をやってみよう」大和出版)________________________________________ *矛盾は悪ではありません。 矛盾を悪だと決めつけると息苦しくなります。 たとえば善と悪は矛盾する関係ですが、善もあれば悪もあるという現実に 直面しながら、どうすればよりよく生きることができるか。 こう考えてきたのが人間なのかもしれません。 大切なのは矛盾を抱えながらも、それを工夫して超える力があるのも人間だ ということでしょう。 自分の中の矛盾、工夫して人生を楽しみたいものです。
2020年01月05日
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【チャンスと準備】★小宮一慶氏の言葉から―◎松下幸之助氏の提唱した「ダム経営」という言葉があります。 その名の通り、経営に対する心構えを示した考え方ですが、人生を強く生きる ためのヒントにもなることだと私は思っています。 雨が降っているときにダムに水を溜めておけば、日照りの日が続いても、水や 電力を安定して下流に供給することができますよね。 会社もダム同様に、好調なときに水ならぬ資金を溜めておき、いつも少し余裕 のある経営ができるように心がけていれば、しんどくなったときでも、ヒト、 モノ、カネ、時間を上手に活用することができる。 これが、ダム経営の基本的な考え方です。 「あらかじめ準備しておくことの大切さ」を説いているというわけです。 これは、一人ひとりに当てはめてみても同じ考え方ができます。 ある程度の資金を溜めておけば、それを有効活用できますし、家族を安心させ ることもできます。 これはお金だけに限ったことではありません。健康もそうですし、仕事に対す る実力もある程度は前もって蓄えておくことができます。準備です。 「チャンス」の対(つい)になる言葉は何だと思いますか? それは、「準備」です。 次の「チャンス」のために、いかに「準備」しておくか。 その姿勢のあるなしは、人生を大きく左右します。 人生は、好調なときもあれば、うまくいかずに空回りすることもたくさんある と思います。 しかし、うまくいかないときこそ、次の「チャンス」をつかむための「準備」 期間だととらえるのです。 知識を得て経験値を積んでおくなど、「実力を蓄えておくこと」も「準備」と 言えると思います。 もっと言えば、日々、目の前にある仕事に全力を尽くす。これも、立派な準備 です。 いつか大きなチャンスが巡ってきたとき、日々、取り組んできたことが集大成 となって力を発揮するからです。 (参考文献:小宮一慶著 「ぶれない人」 幻冬舎新書)________________________________________ *著者は現在は経営コンサルタントとして活躍中ですが、元銀行員でした。 銀行員当時、全力で仕事をしていたとき上司の目にとまり、それがきっかけ となってアメリカの有名なビジネススクールに留学できたそうです。 その留学で得た経験が、今の職業に役立っているといいます。 準備期間には、いろんな問題が起きたり、苦労に直面することもたくさん あるでしょう。 順風満帆とはいえないのが準備期間ということです。 「準備」は「チャンス」をつかみ取るには、避けて通れないもの。 この自覚を深めたいものです。
2020年01月04日
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【現実を受け入れると前向きになれます】 ★明治大学教授・齋藤 孝氏の言葉から―◎後ろ向き思考になる大きな原因に、加齢がある。 誰でも年をとるのはいやだし、死が近づいてくると憂うつになる。 中高年になると憂うつになるのは当然のことだと思う。 私も若い時は、自分が肉体的に衰えていくことなど、想像もできなかった。 ところが年をとってくると、そういうわけにはいかない。 いったん風邪をひこうものなら、なかなか治らない。 しかも衰えは年齢に正比例してやってくるのではなく、ある時一気に押しよせ てくる。 私は血管に動脈硬化の傾向があった時、医師に「これは治るんですか?」と 聞いたことがある。 医師は「血管の内側についているコレステロールはもう取れません。だから よくなりませんね」と断言した。 でも、コレステロールがつく速度を遅くすることはできるという。 医師もこう言っていた。「年齢とともに血管がつまっていくものです。それは 止められません。でも動脈硬化の進行をゆるやかにすることはできます」 進行をストップさせようとするから、落ち込んだり、悩んだりするのだ。 でもどんどん悪くなるものだといったん開き直り、その速度をゆるやかにすれ ばいいと思えば、気持ちは楽になる。 わたしもいったん開き直ったら、不思議と前向きになれた。 人はどんなにがんばっても、老いを止めることはできない。 だから衰えてもかまわない、と考えることが大事だ。 その上で衰える速度を遅くすればいい。 老子や荘子を読んで、老荘思想になじむと、年齢を重ねることがネガティブに 思えなくなる。 そんなふうに、リアルな現実を受け入れる柔らかい心を持つことが大事だ。 現実を受け入れるその柔らかさが、前向き力につながっていく。 (参考文献:齋藤 孝著 「前向き力」ちくま文庫)________________________________________ *私たちは、衰えることをマイナスにイメージしてしまいます。 当然のことだともいえますが、年齢を重ねることで身体的な能力や筋力が おちても、知性や人間的な魅力が衰えることはないのです。 養生訓を書いた、貝原益軒は、年齢とともに淡泊な味の食材を食べると、 その食材の奥深さを感じるようになる。 しかし、それが本来、人間の体の健康にとっては必要だと言っています。 味覚も年齢とともに『変化』していきます。 つまり、老化ではなく、人間相応に『変化』していくということです。 『変化』を楽しめる人になりたいと思います。
2020年01月03日
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【自分の希少価値に気づこう】★歯科医師、経営学博士・井上裕之氏の言葉から―◎~うまくいっている1%の人は、自分は唯一無二の存在だと知っている。 うまくいっていない99%の人は、自分の存在価値に自信が持てない。~ 人は弱い生き物であるという一面も持っています。 せいいっぱい、自信を持とうとし、コンプレックスから抜け出そうとしても、 周りから無視されたり、誰も声をかけてくれなかったりしたら……。 そう考えるだけでさびしくなり、つらさに胸が締め付けられそうになってしま いますね。 そんなときは、これは一過性のことだ、こんな状態が長く続くわけはないんだ と考えてみるとよいと思います。 人にはバイオリズムがあります。大きな周期、小さな周期、さまざまな周期で 波を繰り返しているのです。 人生にはうまくいくときもあれば、何かが少しずつズレてしまい、どうにも うまくいかないこともあるのはそのためです。 しかし、存在している意味がない人間など、この世にいるはずがありません。 私は、自分は釈迦と同じ生まれだと思っています。 私だけでなく、あなたも、釈迦と同じ生まれです。 釈迦は生まれてすぐにすくっとたち、「天上天下唯我独尊」と唱えたと伝えら れます。「天上天下唯我独尊」とは、「私はこの世に唯一の存在です」という 意味です。 私も、あなたも、実は「天上天下唯我独尊」です。人は誰一人同じ人間はいな い。人類史を通じて唯一無二の存在。 それほど希少な人が、なんの価値もないとか、取り柄がないはずはないでしょ う。 私は特定の神の存在を信じるものではありませんが、何か偉大な存在があるこ とは感覚的にとらえています。 自分はこの世でたった一人の人間だ。そう思うと、自分はかけがえのない人間 なのだ。かぎりない希少価値を持っている存在なのだ、という自覚と深い満足 感が湧いてくるでしょう。 「うまくいっている人」はみな、常にそうした自覚と満足感を心に抱いて生き ています。 いまよりよくなろうという意欲や行動は、現状に満足していては湧き出てこな い。現状に不満があるほうが噴出してくるはずだ、と思っている人が多いかも しれません。 しかし、思いと行動の法則性を知ると、現状否定からはよい方向に向かう意欲 や行動は生まれないとわかってきます。 常にスタート地点は、自分に対する肯定的な思いからです。 (参考文献:井上裕之著 PHP文庫 「なぜかすべてがうまくいく1%の人だけが実行している45の習慣」)________________________________________ *心の法則というものがあるとすれば、自己否定からは人の幸福感は得られ ないものです。 たしかに、反省や後悔が一時的に自分の成長をもたらすことはあるかも しれませんが、心の世界での本当の充足感はないといえます。 著者がいうように、「自分に対する肯定的な思い」はとても重要です。 また、自己否定してしまったあとでも、肯定してしまえばそれはそれで意味 があります。 否定したこと自体が、自分を肯定できたきっかけになるのであれば、意味も あるのです。 新しい年に、自分の存在を見つめ直してみましょう。
2020年01月02日
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【「無邪気」ほど強いものはない】★玄侑宗久師の言葉から―◎古い時代には桃が非常に珍重されたことをお話ししましょう。 中国では昔から、三月初めの巳(み)の日に水辺で身を清めるという風習が あったそうです。 これが日本に取り入れられて、701年、文武天皇が「曲水の宴」を開きまし た。曲がりくねった水辺で宴をしたのです。 そのときに桃の花を浮かべたお酒を飲んだそうです。おしゃれだな、と思われ るかもしれませんが、そういう簡単なものではありません。 桃にはもうちょっと深い意味があるのです。 たとえば、お寺にはお札(ふだ)があります。神社にもありますね。 お寺にも神社にもあるものは、どこから来ているかというと、だいたい道教 から来ています。 お札というのはもともと道教の道具です。 お守りとかそういったものも道教が考案したものです。 もともとお札のことは「桃符」(とうふ)といいます。 なぜお札が桃符かというと、桃の木で作ったからです。 何でそれほど桃にこだわったのでしょうか。 日本の場合は、『古事記』の中に、「イザナギ」が奥さんの「イザナミ」に先立 たれた話が出てきます。黄泉(よみ)の国にいってしまった奥さんを夫が追い かけていきます。 黄泉の国とは土の中です。追いかけていくとは、つまり、腐乱した遺体を見て しまうわけです。いくら元夫でも、この顔を見られたからには帰してなるもの かと、今度は奥さんのイザナミが逃げ出した夫を追いかけます。 イザナギは逃げる。イザナミが追いかける。夫は逃げながら、途中、山ぶどう などを奥さんに投げつけるのです。投げられた山ぶどうをイザナミが食べる間 だけ時間が稼げるからです。 それでも、食べ終わったイザナミはしつこく追いかけてくるので、最後に投げ つけたのは桃三個でした。 この桃三個でイザナミはあきらめたのです。 というのは、この桃には特別な力があると思われていたからです。 その特別な力というのは何なのでしょうか。 桃というのは、一言でいえば無邪気、天真爛漫、疑いのない心を現し、その 力をもっているということです。 禅語で、「瞋拳(しんけん)も笑面を打せず」という言葉があります。 「瞋拳」とは怒りの拳です。怒りの拳も笑った顔は打てない。 これは、こっちをすっかり信じ込んでいる無邪気な人は殴れない、ということ です。怒りもしぼんでしまうわけです。 これが日常生活でできたらどんなにか素晴らしいだろうと思います。 しかし、普通は、向こうが怒ってくるとこっちも怒ってしまうので、どんどん エスカレートしまうわけです。 (参考文献:玄侑宗久著 「自燈明―お釈迦様の遺言」 知的生き方文庫)________________________________________ *玄侑師は、無邪気は無垢の心と同じことだといいます。 無垢なだけで、世の中を生き抜くことができるほど、社会はそう甘くはあり ません。 しかし、無邪気(邪気のない心)、無垢の心を失くさずに、どこかに持って おくことは大事です。 道教とは、人の道を説く教えですが、時代の流れで儒教の影響が強くなって しまいました。 道教と儒教の教えのバランスをうまくとりながら、独自の文化を築いてきた のが日本人です。 新しい年は、無邪気・無垢な自分になれる時間を一分でも多く持ちたいもの です。
2020年01月01日
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