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【目標があると毎日が充実する】 大きな目標、小さな目標に関係なく、その目標に向かって努力している人の 姿を見ると、こちらも元気になるものです。 さらに、そんな人たちに応援をしたくなります。 そして『感動を与えてくれる』ことがとてもありがたく思うものです。 感動をもらう側の人も、本当は感動を与える側の人にいつでもなれます。 そのためには、目標を持つことです。 夢を持つことが大げさに思えるなら、身近な目標を持つことから始めてみると 人に感動を与えることも可能です。 目標を持つことに、年齢は関係ありません。 スキーヤーの三浦雄一郎さんは、現在90歳ですが75歳のときにエベレスト の登頂に成功し、最年長保持者のギネスブックに認定されました。 三浦さんがインタビューを受けたとき、次のようなやりとりがありました。 「エベレストを登っているときは、目標に向かって歩いているという感覚で しょうか?」 「そうではありません。今、目の前に見えるここを乗り越える。 今、ここを乗り越える。ここを乗り越える。 このくり返しによって8000メートルの山を登っていくのです」 この言葉から学ぶのは、登山も人生も同じである、ということのようです。 今、という現実の延長上に目標を定めて、行動すること。 これを、続けて積み上げていくことが必要です。 できるなら、続けていくことを楽しみと思える心を持つことです。 続けることはつらいことじゃなくて、楽しいものだという境地になることは 誰にでもできることです。 最近は、地球温暖化が世界中で問題になっています。 そのなかで、社会的な目標を掲げて取り組んでいる企業があります。 建設会社の大手に清水建設という会社あります。 ある日、社員の竹内真幸(まさき)さんが、社長から、 「未来につながるプロジェクト」を考えなさいという指示を受けました。 そこで竹内さんは、太平洋の赤道近くにある、キリバス共和国という小さな国 についてあるプランを考えたそうです。 広さは、長崎県の対馬と同じくらいで人口は10万人です。 観光地ですが、地球温暖化で海面がこのまま上昇すると、2050年には島の 80%が水没するということです。 そこで竹内さんは、海上に直径3000メートルの浮き島を浮かべ、その中心に 高さ1000メートルのタワーを建設し、高層部を居住用に、中層部は植物工場 に、下層部は米などを耕作する農場とする計画を立てました。 エネルギーは太陽光発電です。 「グリーンフロートプロジェクト」という名称がつけられました。 当初、本当にできるのかという疑問の声もあったそうですが、現在この計画は 進められているそうで、2030年頃の着工予定とのことです。 竹内さんはこう語っています。 「この計画は『夢』ではありません。『目標』です」。と。 この構想は将来の日本にも応用されるかもしれません。 そして、月や宇宙で人間が生活する時代がやってくるでしょう。 目標は、日々の生活にも活力を与えてくれます。 このプロジェクトのような規模の大きなものでなくても、身近な自分なりの 目標があれば、人生も輝いてくるに違いありません。 (by ハートリンクス)
2021年01月31日
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【仕事が好きになるコツ】 仕事をしているとき、「この仕事はつらいなぁ」「単純であきてしまった」など と思っている人がいるかもしれません。 もちろん、体調がよくないときや職場の人間関係がうまくいかないときなど、 このような気持ちになる場合もあるでしょう。 ただ、自分の仕事をきついものと考えがちなのは、「仕事はきついもの」と 気持ちの一部で思い込んでいるからでもあるのです。 世の中には、仕事が楽しいと思っている人は多いものです。 松下幸之助さんが生前、自分の工場に視察に行ったときのことです。 その工場は、電球を生産する部署でした。 一人の工員が、暗い表情でいかにもやりたくないという顔をして、電球を磨い ているのを見かけました。 松下さんが声をかけるとその工員は、 「毎日同じように電球を磨くのは退屈です」と、愚痴っぽく言いました。 すると、松下さんが次のように話しました。 「あなたの磨いているのは、電球ではない。子どもの夢を磨いているんだ。 本を読んで勉強している子どもがいる。その子どもたちが夜になって暗く なったら、文字が見えなくなって勉強したいのにできなくなる。 そこで、あなたが磨いた電球をつけるんです。 そうしたら夜でも明るくなって、読みたい本を読んで勉強できるんですよ」 松下さんは、どんな仕事でも意味と目的というのがあることを伝えたかった のだと思います。 ただ、電球を磨くだけの仕事ではなく、子どもたちの夢を磨く仕事だ。 つまり、仕事に意味を見つければ、単純作業でも気持ちはまったく違うもの になるということです。 こんなケースもありました。 ある事務機の販売会社に新人の社員が入社しました。 入社したばかりで、特に目立つような売上実績もない若者でした。 取引先の一つから、コピー機を1台増設したい、土曜と日曜が休業日なので、 いずれかの日にコピー機を納入してほしいという要望がありました。 他の社員は、せっかくの休みに仕事はしたくないという雰囲気が漂いました。 そこで、若者が「自分がやります」と言い納入することになりました。 一人でも納入できる製品だったので、土曜日に動きやすい服で取引先に行き ました。 指定された場所に設置しようとしたとき、床が汚れていたので拭いておこう と思い、近くにあった給湯室から雑巾とバケツを借りてきれいにしました。 そして、コピー機の設置を終え帰ろうと思いふと見ると、横のデスクの下が 黒く汚れていました。空きデスクなので誰も掃除をしなかったのでしょう。 若者は、ついでにここも拭いておこうと思い、床をきれいにします。 すると、吹き上げた床の近くに書類棚があり、そのガラスや側面も汚れていて どうにも見た目がよくないな、と感じそこもきれいにしました。 結局、設置したコピー機の周辺は見違えるようにきれいになっていました。 作業は夕方近くまでかかりましたが、若者はすがすがしい気分で帰りました。 月曜日の朝、その取引先から会社に電話かかってきました。 若者が所属する課長が応対しました。 コピー機を設置した人は誰かと聞かれ、明日にでもその人に来てほしいという 内容でした。 若者は何か不手際があったのかと思いながら、次の日に取引先を訪ねました。 すると、総務課長が出てきて言いました。 「コピー機の設置だけではなく、掃除までしてくれてありがとう。君の仕事 に対する姿勢にはとても感心した。よかったら、他の会社を紹介するから」 さらに「ここに行ってみなさい」と言い、メモと課長の名刺をもらいました。 これがきっかけになり、紹介が紹介を呼び若者は3年後には売上高がトップ になったそうです。 仕事の報酬はお金だけではありません。 また、お金だけが報酬だという考えでは、仕事に喜びを感じることはできず 仕事を通して学ぶこともないでしょう。 仕事というものの報酬には、お金以外のものがあります。 お客に喜んでもらうこと、社会と深く関われる喜び、人間関係が広がる喜び、 目標を達成し認めてもらえる充実感、人間的な成長ができる充足感など、 たくさんあります。 単純、単調な仕事でも、その仕事の先にある消費者の喜ぶ姿を想像できる人 は成長できるものです。 仕事はつらいものだという先入観念、思い込みをなくして、仕事が好きだと いえる人でありたいものです。 (by ハートリンクス)
2021年01月30日
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【自分を強くしてくれるもの】 長い人生では、あるときには自分が強くならないとダメなことがあります。 よく言われるのは、飛行機は追い風で飛ぶことはできない。 飛ぶためには、それなりの向かい風が必要です。 その向かい風にあたるのが、逆境というものです。 アメリカの航空宇宙局(NASA)には、人類を再度月に送る計画があります。 「アルテミス計画」という名で呼ばれているそうです。 この計画に日本も参加するために、宇宙飛行士を募集するといいます。 前回の募集は13年前に行われ、963人の応募者がありました。 その中の一人に、内山崇さんという方がいますが、最終候補の10人に残る ことができたそうです。 宇宙飛行士選抜試験に合格するのはとても大変なことで、内山さんは10人 の中に入ることができ夢がかなう一歩手前にきていました。 ところが結果は不合格でした。 大きな挫折感を味わったといいます。 しかし、この挫折があったことで、今は宇宙航空研究開発機構(JAXA)で 新型宇宙船の開発チームで働いています。 夢を実現させることはできませんでしたが、この挫折が自分を強くする一因 となったのは間違いありません。 その強さが、夢を支える立場でも自分を生かす道を選んだのです。 さらに自動車王、ヘンリー・フォードも逆境を味方にした人物の一人です。 13歳のとき、蒸気で走るエンジン車を見て、自動車を作りたいという夢を 持つようになりました。 しかし、父親が農業を仕事としていたので、仕方なく農作業に明け暮れること になりました。 それでも自動車に関わる仕事がしたいと思い、ついに家を出ることを決心し しました。 当時16歳で、ある車両工場の見習い工員になることができました。 ところが、その技術があまりにも優れていたために先輩工員からいじめを 受け、その工場を辞めることになったのです。 家に戻り、製材所で蒸気エンジンを操作する仕事につきました。 ある日、家の倉庫にある壊れた草刈り機を見つけ、フォードはトラクターに 改良したくなり、2年がかりでやり遂げました。 この経験がガソリンエンジン車をつくることに生かされていきました。 一時は、車両工場で先輩工員からのいじめを受け挫折しますが、エンジン車 をつくる意欲は高まりました。 人は、挫折や逆境があることで、生きるための力を得ることもできます。 挫折や逆境の世界に自分の身を置き、そこから見える光景は尊く、得がたい ものになるはずです。 もちろん、好んでそのような環境に身を置く必要はないかもしれませんが、 その経験があるからこそ、多くのことを学ぶこともできます。 何かの問題や困難に出会ったときこそ、成長のチャンスであるというとらえ方 が、自分を強くしてくれるに違いありません。 (by ハートリンクス)
2021年01月29日
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【真の楽観主義は、悲観主義を包み込む】 一般的によく使われる「楽観主義」や「悲観主義」という文字や言葉には、 物事の見方や、人の性格・考え方を色分けするときに用いられることが多い ようです。 イメージとして、楽観主義が明るく、悲観主義は暗いと感じることもある でしょう。 楽観主義は、ものごとの良いところだけを見て、悪いところは見ようとせず、 逃げているような感じに受けとられやすいときもあります。 つまり、楽観主義にこだわりすぎると、責任感に乏しく物事を深く考えない ように思われてしまう。 しかし、心理学的な立場では本来は、良いことも悪いことも現実をありのまま に受け入れながら、その現状をどのようにして乗りこえていくのか、これが 本来の楽観主義です。 反対に、悲観主義というのは、物事の良くない面、悪いところを見ていくもの で、心配なこと不安なことを過剰に受け止めてしまうことをいいます。 その見方があることで、防止対策や緊急時にどう対応するかの準備ができると 利点もあります。 大事なことは、楽観主義も悲観主義も問題が起きたときに、冷静に判断する ための考え方であったほうがよいということです。 真の楽観主義者として、よく引き合いに出されるのが、かつてのイチロー 選手です。 ゲーム中は、あまり表情を変えずに、ヒットを打っても三振しても何もなか ったように、たんたんとプレーしていました。 イチローさんは、ヒットを打ったときは、なぜ打てたのかを分析し、三振した あとは、なぜ打てなかったかの分析をしていたといいます。 つまり、ヒットを打っても打てなくても、なぜなのかという冷静な分析をやり 続けてきたわけです。 それでも、100回打席に立っても30回ぐらいしか塁に出られない。 表情を変えなかったのはイチローさんなりの人柄かもしれませんが、冷静さを 失わなかったのは事実といってよいでしょう。 さらに、事業の面でも本当の楽観主義で成功した事例は数多くあります。 その一つに、キャノンという会社があります。 この会社を創業したのは御手洗毅(みたらいたけし)さんです。 御手洗さんはもともと産婦人科の医師でした。 戦時下の1940年に東京で開業し順調な経営でした。 当時、キャノンの前身である精機光学工業の監査役を引き受けていたそうで すが、経営者であるシンガポールの人物が本国に帰ることになり、やむなく 御手洗さんが社長を引き受けることになりました。 戦後は素人社長という陰口も多かったそうですが、当時の世界ではカメラの 王様と呼ばれるライカ社の製品に負けないカメラをつくりました。 まだ占領下の日本でしたが、アメリカに渡り営業を行いました。 その中である社長の目に留まり、その社長からこう言われたそうです。 「ライカよりも性能がよく売れるだろう。しかし、占領下の日本製となる と通用しない。わが社の子会社になるなら扱ってもいい」 御手洗さんはこの申し出を拒否しました。 屈辱的な対応を受け、日本に帰ってくると資本金の3倍にあたる巨額の投資 (当時の1億8千万円を借金で調達)をおこない工場を建てました。 占領中は日本独自の経済活動には制約があり、現在のような為替システムと はほど遠い時代でした。 本来なら、占領下でもありアメリカ企業の子会社なってもおかしくない状況で すが、御手洗さんはどうすれば打破できるかを考えたのです。 しかし、世界に羽ばたく企業になるには、楽観主義の考えでいくべきとう判断 があったと思います。 ただ、巨額の投資がキャノンの命取りになるという悲観主義の考え方も社内に はありましたが、それを上回る企業努力で3年で負債を返済したのです。 後年、子会社になれと言ったアメリカの会社社長は、キャノンの製品を売らせ てほしいと頭を下げ頼んできたそうです。 本当の楽観主義というのは、悲観主義から想像される問題点対策を十分に立て ることです。 また、真の楽観主義には熱意も求められるものです。 熱意には人を動かす力があります。 以後、キャノンは世界的な企業として躍進するメーカーになりました。 ちなみに、キャノン(CANON)という社名の由来は、観音様から取ったと 言われています。 「KWANON」が基で、語呂をよくして「CANON」としたそうです。 スポーツも、企業も、人生も、真の楽観主義で取り組むことが成功のためには 必要なことだと言えるでしょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月28日
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【体と心を整える】 体が健康ではないと、心も元気にはなりにくいものです。 体と心のバランスがうまく取れてこそ、充実した一日を送ることができます。 寓話の一つに次のようなものがあります。 「がんばる木こり」という寓話です。 『むかし、一人の木こりが材木屋に仕事をもらいにいきました。 条件のいい仕事だったので、その仕事を引き受けることにしました。 最初の日、木こりは親方から斧を一本手渡されました。 森の一角を割り当てられたので、やる気満々で仕事にとりかかります。 その日は、一日で18本の木を切り倒すことができました。 親方から「よくやった! この調子で頼むぞ!」声をかけられ、明日も 頑張ろうと思いました。 次の日、木こりは早く起きて森に向かい仕事にとりかかりました。 しかし、その日は努力したものの15本しか切ることができませんでした。 木こりは「少し疲れているかもしれない」と思い、早く寝床につきました。 夜明けとともに目を覚ました木こりは「今日はなんとしても18本の記録を 超えるぞ」と自分を奮い立たせて森に向かいました。 ところが、その日は18本どころか、その半分も切り倒すことができません でした。次の日は7本、そのまた次の日は5本、そして最後は夕方になって も2本目の木と格闘していました。 木こりは、親方に何と言われるだろうか、とびくびくしながら正直に報告し ました。 そして、親方に「これでも力の限りやっているのです」。と言いました。 すると、親方は木こりにこう尋ねました。 「最後に斧を研いだのはいつだ?」 木こりは答えました。 「斧を研ぐ? 研いでいる時間はありませんでした。何せ木を切るのに 精一杯でしたから」』 というお話です。 この寓話が教えているのは、“斧を研ぐ”ことの重要性です。 目の前にある仕事をとにかくこなそう、と考えて精一杯になっていては成果 は出ないということです。 どんなに、木を切る作業がいそがしくても、斧を研がなければついには体まで 壊してしまう、というわけです。 木こりの仕事ではなく、普通の仕事をしている人にとって“斧を研ぐ”という のはどんなことなのでしょうか。 それは、体の調子を整えるということです。 体の調子を整えるというのは、休むときは休んで、体を癒してエネルギーを 補給するということです。 休むときにしっかりと休んで、気持ちを切り替え音楽を聞いたり、あるいは 自然に触れたり、自分なりの気分転換が必要です。 これが、斧を研ぐということになるのです。 斧を研ぐには時間もかかりますが、その時間は斧を磨きながら斧の手入れを する時間でもあるわけです。 休息とは、そのようなものであるにこしたことはありません。 ただ、疲れから休むだけではなく、休んでいる時間が何かに気づいたり、何か を学ぶ時間でもあるといえます。 その意味では、病気になるのも疲れすぎからです。 病気になるのは、休んで体と心のケアをする時期が来たともいえるでしょう。 体のケアだけではなく、心も何かを学ぶべき時期なのかもしれません。 体と心を整えることが、よりよい人生を送るには大切です。 そのためにも、自分に合った無理のない調整のスタイルを持っておきたいもの です。 (by ハートリンクス)
2021年01月27日
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【人生とは自己実現をすること】 「私は、何のために生まれてきたのだろうか?」 そんな問いかけをしたことのある人は、けっこう多いのではないでしょうか。 とくに、思春期の頃は友人などとのあいだで、こういう話をすることがあると 聞いたりします。 悩みとまではいかなくても、そのことがいろんな本を読んだりするきっかけに なるものです。 はっきり言えるのは、人生は自分が主人公であるということです。 たとえば、みんなの病気を治してあげたいという夢があるから、お医者さんに なったという人もたくさんいます。 その考えのもとにあるのは、人の病気を治したいからお医者さんになるという 目標があるからです。 人の病気を治す医者になることで、自己実現ができるというわけです。 そこには、自分を生かすために、人や社会の役に立ちたいから勉強するという 行動が生まれます。 乳酸菌飲料にカルピスというのがあります。 日本人なら、カルピスを飲んだことのない人はおそらくいないでしょう。 それだけ国民的に人気のある健康飲料です。 このカルピスを発明したのは、三島海雲という人です。 三島さんは明治の初め頃に、お寺の子どもとして生まれました。 成長したのち仏教大学で勉強し、大学のすすめで中国に行って学校の教師に なりました。 しかし、当時の世界情勢は不安定で、三島さんは友人と商社を立ちあげ、10年 余りを中国とモンゴルを行き来しながら事業には取り組んでいました。 ところが、無理がたたり体調をくずしてしまいます。 そこで、モンゴルの伝統的な飲み物といわれるヤギと羊の乳でつくった発酵乳 を口にするのですが、これが体調回復のきっかけになりました。 健康を取り戻した三島さんは、事業で復活しますが中国の辛亥革命によって 事業ができなくなってしまいました。 やむなく日本に帰ってきますが、妻と三人の子どもを養っていかなければなり ません。 とくに、病気で体が弱っていた妻のことが心配でした。 「何とかして、病身の妻を助けたい」。 この思いが、モンゴルで出会った発酵乳を思い出すきっかけとなるのです。 その頃、日本ではヨーグルトが流行しはじめていた時期でした。 このときに、生まれたのがカルピスなのです。 その後、多くの問題や困難がありましたが、それらも克服し現在のカルピス に受け継がれています。 関東大震災で混乱していたとき、東京を中心にカルピスを配って回ったことも あるといいます。 20年後、ある政府の高官が、「カルピスのために協力できることがあれば申し 出てください」と言ってきたことがありました。 その人は、大震災で食糧難のときに飲んだカルピスの味が忘れられない、何か 恩返しをしたいということだったそうです。 三島さんは、カルピスを通して自己実現を成し遂げたといえるでしょう。 さらに、アメリカの32代大統領、フランクリン・ルーズベルトも自己実現を した人です。 彼は、上院議員として活躍していたのですが40歳になる頃、小児麻痺に罹り 体が動かなくなってしまいました。 アメリカのため、国民にためにやるべきことがたくさんあるのに、自分の 体が動かないからといって、あきらめることはできないと思ったのです。 リハビリを続けた結果、下半身麻痺は残りましたが、車椅子で動けるまでに 回復し政治家として復帰できました。 のちにある医者が、ルーズベルト大統領にどんな闘病生活を送ったのかを尋ね たところ、 「静かに運動すること、マッサージと日光浴も大切である。しかし、いちばん 重要なのは、自分自身がこの病気は治せる。仕事のためには、この病気を治し てみせると自分を信じた」。 ということを語ったそうです。 仕事をするために、小児麻痺を治してみせる。 これも自己実現です。 「仕事のために、病気を乗りこえた自分自身の姿を実現させたい」 これは最終的には、自己実現をするには心の力がなくてはなりません。 人生に、自分の思いをどのように形として現実化するか。 そこに人が生きることの価値があるのではないでしょうか。 (by ハートリンクス)
2021年01月26日
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【心の持ち方で人生が変わる】 心の持ち方によって、人生は変わるものです。 幸せな生き方をしている人と、不幸な生き方をしている人とは何が違うかと いえば、心の持ち方です。 別の言い方をすれば、幸福な人生と不幸な人生とは、心の持ち方一つの違い でもあるといえるわけです。 もちろん、幸福であるという基準は人それぞれです。 また、その基準にはたくさんの種類があるかもしれませんが、本質は心の持ち 方になるといえるでしょう。 健康で、お金に困らない人生が幸せであるかといえば、そうとは限りません。 テレビのCMで見かける、マクドナルドという会社があります。 日本マクドナルドですが、創業者は藤田田(でん)という人です。 藤田さんは昭和の初期に生まれで、とても優秀だったそうです。 高校に入学すると、寮に入って生活することになりました。 ところが、同じ寮生のクラスメートが肺結核に冒され、藤田さんも体調に異変 を感じ診察を受けました。 すると、肺に卵よりも大きな空洞が二つもあることがわかりました。 医師からは、このままだと余命二か月だと宣告されたといいます。 治療法は、肺を動かないようにして栄養を送り込み、結核菌を退治するという 方法でした。 藤田さんはこのとき、 「あらゆる角度から人生をとらえれば、これで終わりということはない」と 考えたそうです。 病気になってしまったことを、くよくよせずそのまま受け止めて、治して もう一度元気になってやろう、という方向に心を向けたわけです。 結局、高校は1年間休学し、治療に専念しました。 この時期に、多くの良書に親しむことができたそうです。 戦争が終わり、得意の語学を武器に実業の世界で力をつけ、日本マクドナルド を創業することになりました。 後年、トイザラスの店舗展開も日本で行うという実績を残しています。 何もしなければ、「あと二か月の命しかありません」、という現実を目の前に して、藤田さんは、治療すれば治るということを信じました。 このまま病気で死ぬという恐怖も感じたかもしれませんが、それ以上に、この まま終わることは絶対にない、という心の持ち方ができたのです。 もう一つは、人間は死に直面するような体験があると、時間を惜しむ気持ちが 自然と湧いてくるようになるものです。 その結果、境遇や状況がどんなものであっても、全力で取り組むようになって いくのかもしれません。 そのようなときの、全力で取り組んでいるときの心の状態は、充実感と躍動感 を感じているものです。 充実感や躍動感を実感できる心をつくりあげていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月25日
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【積小為大の考えに学ぼう】 積小為大(せきしょういだい)という言葉があります。 江戸時代の有名な農政家だった、二宮尊徳という人が残した言葉です。 以前は、学校に薪(まき)をかついで本を読む少年の銅像がみられました。 貧しい農家に生まれ、病気の親や家族のために働き、学問を学んだ勤勉な 日本人を象徴するような人物のひとりでした。 積小為大とは、小さなことを積み重ねていけば、いつかは大きなことを成し とげる、という意味です。 小さな努力を、コツコツ積んでいけば、大きな成功を手にすることができる。 小さな幸せを、少しずつ積み重ねれば、大きな幸せになる。 という意味です。 今の時代でも、この考えを持って計画を立て行動して成功者と呼ばれる人が います。 その一人に、佐藤京二郎という人がいます。 この方は、1キロで100万円の塩をつくっている人です。 今では、外国からも注文が来ていて、オーダーメイドの塩をつくっています。 塩といえば、価格は安く1キロ100円ぐらいで買える調味料です。 なぜ、1キロの塩が100万円もするのか、それは美味しい料理をさらに美味し いものにするからです。 100万円の塩はフランスの一流レトランからの依頼があったそうです。 どんな作り方かというと、トリュフを1年間海水に漬け、トリュフのだし汁を とるという方法です。 海水は蒸発しますから、つぎ足し、つぎ足しの連続です。 つぎ足しの連続で出た、そのだし汁で塩をつくります。 その結果、塩の結晶にトリュフの風味が取り込まれるので、とても美味しいと いうわけです。 トリュフとは、キノコの仲間で、キャビアやフォアグラとともに三大珍味と 呼ばれる高級食材です。 ここでいう、“積小為大”とは、海水に漬けたトリュフを、一年のあいだ蒸発し してはつぎ足すことを繰り返すということです。 この考えが基本にありますので、難しい塩の依頼があっても製造に工夫を重ね て、要望に応えていけます。 飲食店からのオーダーメイド塩が、売り上げの9割を占めているそうです。 小さなことの積み重ねには、希少価値が生まれるのです。 日用品ともいえる塩でも、毎日小さな手間をかけていけば、とてつもない 大きな成功につながります。 もちろん、小さな手間だからこそ、根気と努力と工夫が求められますが、 そこには、人の思いが込められています。 小さなことを積み重ねていくことを大事にしましょう。 好きになると、その作業は楽しいものとなり、生きることに喜びを感じる に違いありません。 (by ハートリンクス)
2021年01月24日
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【反省すれど後悔せず】 自分の身に突然の不幸な出来事や、つらいことが起きると、その出来事に振り 回されてしまいがちです。 そんなとき、いつもは冷静な自分を見失うことがあります。 それらが原因で、なかなか立ち上れないようなこともあります。 生きていくとは、どんなことが起きるかわからないことかもしれません。 そういう中でも、一喜一憂しない心を持っておくのは大切なことです。 できれば、過ぎ去ったことにクヨクヨしないことも、心がけておきたいことの ひとつです。 さて、「反省すれど後悔せず」という言葉を残した僧がいます。 天台宗の源信という僧ですが、この源信という人は、親鸞聖人の師である 法然上人に大きな影響を与えたといわれています。 反省はしても後悔のしすぎはよくありませんよ、という意味になります。 つまり、世の中は自分の思い通りに行かないもので、今日はお金持ちでも、 明日は貧乏になるかもしれない。 楽しいこともあれば、苦しいこともあるのだから、そういうことに振り回され ないで、平凡で当たり前のことに感謝して生きようではないか、という意味の ことを教えています。 成功して楽しいこともあるが、失敗して苦しいときもある。 ですから、失敗したときは、反省したうえに後悔して、自分を責めるような ことはせず、「楽もあれば苦もあるのだ」という気持ちになれば、平凡なこと に感謝もできるというものです。 ある、禅僧が年配の僧から教わったことがあるといいます。 それは、よく檀家さんが、仕事がうまくいってお金があるから、大きな墓を つくりたいと言ってくることがあったそうです。 そんなときは、家が栄えることもあれば、貧乏になることもあるから、お墓は 平凡なものしておきなさい、そうしないと子や孫の時代に質素な法事をしたい というときに困るから、ということでした。 子や孫の時代の幸せを願うなら、平凡がいちばんいいということです。 また、反省と後悔についてですが、反省から生まれるのは、自己肯定の心です が、後悔から生まれるのは、自己否定の心です。 後悔の念をもつことは誰しもあることです。 しかし、後悔しすぎて自分を責めることがあるにしても、その後悔というもの を、どこかで断ち切り、こらからの生き方の肥やしにすることのほうが、より 大切なことです。 反省することや、後悔すること、悲しい体験は誰しもがそれなりに持っている ものです。 だからこそ、そんな体験を通して生きる力を身につけていくのです。 たくましい生き方ができるような考え方を育てていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月23日
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【しあわせの感度を高めるには】 私たちが、しあわせだなと感じる内容は人それぞれです。 また、そう感じる種類もたくさんあります。 小さなことからいえば、今日の朝食おいしかった、という人もいれば仕事が うまくいってよかった、という人さまざまです。 しあわせというのは、あくまでも個人の主観や生活スタイルによっても感じ 方は違っていて当然のことかもしれません。 できれば、小さなことにも「しわあせだなぁ」と一回でも多く思えることが 豊かな人生といえます。 江戸幕府の三代将軍だった、徳川家光のときの話です。 家光が江戸の品川に東海寺というお寺を創建しました。 あるとき、その寺では住職がとても美味しい料理をつくっているということ が家光の耳に入りました。 そこで、家光はその料理を食べたいと思い、お寺に行くことにしました。 家光を迎えた住職は、「準備致しますので、茶室でお待ちください」と いいました。 ところが、待っていても料理がなかなか運ばれてきません。 最初は、「おいしい料理だから時間がかかっているのだろう」、と考えていた ものの、それでもまだ来ません。 家光のお腹はペコペコになっていました。 すると、住職がやっとあらわれて膳を差し出しました。 見ると、湯をかけたご飯に漬けものをそえただけの、質素なものでした。 いつもは、豪勢な料理ばかりを食していた家光は、かえって質素な膳に興味 がわき、口にしました。 口にした家光は、「なんだ、このうまいものは!」と驚きました。 それは、大根を保存食とした塩漬け、つまり「たくあん」だったのです。 この住職が沢庵という名前だったことから、「沢庵漬け」と呼ばれるこことに なったそうです。 沢庵禅師には、わざと時間を遅らせて家光公のお腹をすかせようという考えも ありました。 将軍として、お城では贅沢な料理ばかりを食べてはいても、質素な食事にも 味わえば美味しくなるということを暗に示したのでした。 人間の欲望というのは、どんどん大きくなっていくものです。 今の、状態に満足しても、さらに上の満足を求めたくなるものです。 とくに、身体的な感覚ではより強い欲望を求めたくなるものです。 しかし昔の偉人の中には、その弊害を理解していた人も多く存在しました。 その欲望は、人間にとって必要なものであっても、際限なく求めすぎると 体に害を及ぼすことを知っていました。 “足るを知る”、という言葉があるように、「知足」というのは大切な考え方 です。 欲望の基準を下げることで、現状に満足し感謝するという精神性が磨かれ ていきます。 足るを知る力をつけて、しあわせ感度を高めていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月22日
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【まじめすぎは寛容さを失いやすい】 まじめであることは、人としての美徳の一つです。 海外からも、日本人のまじめさ、勤勉さには尊敬されています。 このような、まじめな人たちのおかげで、現在の日本の繁栄はもたらされた といっても決して過言ではないと思います。 ただ、ややもするとそのまじめさが、自分に厳しい考えを持つことになり、 その反作用として、他人にも同じ厳しさを求めてしまうことがあります。 自分に厳しいというのと同じように、他人への寛容さを忘れないようにする のは、人間関係を保つうえでは大切なことです。 歴史小説家の山本周五郎さんの作品に、まじめさと寛容の精神のバランスが 大事だというメッセージのこもったストーリーがあります。 主人公は若い武士です。 この武士は正義感が強く、まじめ一徹の性格です。 上役や藩からも信頼される仕事ぶりでした。 ある時、上役の一人が不正をはたらいていることを知ることになりました。 若い武士は、その上役の不正を糾弾するのですが、証拠が不十分ということ になり上役は罪に問われませんでした。 この事件が原因で、上役と衝突しそのうえ仕事も取り上げられ、浪人生活を 送ることになったのです。 しばらくすると、ふとした縁があり、ある老人の家でしばらく過ごすことに なりました。 若い武士は、正義が通らない世の中に失望した自分の胸の内を、その老人に 話し続けました。 そんなことが何日か続いたある日、老人が若い武士にこう語りました。 「あなたの話はよくわかりました。ただ、一つだけわからないことがある。 あなたは、世の中の悪いことばかりを言うが、自分が悪いことを一言も云わ ない。 たしかに、世間は汚い世界ではあるが、考えてみなさい。この世間というも のは、あなた自身から始まるのだ。賤しい世間であるにせよその責任の一半 は、あなたにもあるのです。 世間は、人間の集まりである以上、自分の責任ではないと云える人は誰もい ないのですよ」。 このようなものですが、これは今の時代にも同じようなことが起きている 出来事です。 また、この若い武士と同じ意見を持つ方も多くいらっしゃるはずです。 世の中は、悪いことが横行するような社会であってなりません。 ただ、この老人が若者に伝えたかったのは、不正を糾弾するのは大事なこと に違いないが、その不正を許す仕組みに嘆くだけではなく、現実の世の中を 広く見渡すことも必要だ、という点にあると思います。 その上で、その世の中をつくっているのも自分自身なのだから、もう少し気持 ちに余裕を持ちなさいということを伝えたかったのでしょう。 寛容であるには、視野を広くしておくことが必要です。 世の中は、不条理なことだらけだと思えばたしかにそうなりますが、その社会 で生きていくのも私たちです。 新しい時代をつくりながらも、よい社会を残していく人間にふさわしい、まじ めさと寛容さを身につけていきたいものです。 (by ハートリンクス)
2021年01月21日
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【乱れやすい心を平常心にするには】 「何事も平常心で取り組もう」という意味の言葉をよく耳にします。 とくに、今は受験シーズンで日頃の勉強の成果を発揮できるには「平常心」は 大事な武器になります。 禅の世界では「平常心」(びょうじょうしん)という読み方をするそうです。 この平常心という言葉がよく使われる理由の一つに、剣豪・宮本武蔵の影響も 大きいといえるようです。 宮本武蔵は「五輪の書」という書物を、晩年になって書きました。 これは、心の持ち方についても説かれています。 ビジネスの世界にも応用できる考え方が示されていることが、今でも支持され ている理由かもしれません。 平常心とは、ふだんの心で、淡々した気持ちで、感情に振り回されない落ち着 きのある状態という意味です。 しかし、世の中はそうそう落ち着いた気持ちで一日中過ごすというのは、意外 と大変です。 かといって、平常心を持つことができないわけでもないのです。 じつは、平常心というのは、私たちの日常の生活の中で気づかないうちに鍛え られているものでもあるのです。 ある住職の話ですが、修行のときの生活は朝早く起床し、掃除をして、お経を 唱えて坐禅を組むことを毎日行うそうです。 毎日、ほぼ同じ時刻に同じことを繰り返す。 しばらく続けていると、ふと鳥の声が聞こえてきたり、風の音が聞こえること があるそうです。 そのときに、自然のありがたさを感じるような気持ちになることがある、と いうことです。 結局、このように繰り返して、たんたんと体を動かしていることで平常心と いうものが鍛えられたということです。 これは、普通の家庭でも同じことがいえそうです。 朝早く起きて、家族のために食事の準備、掃除、洗濯をおこなう主婦の方も いってみれば、修行中のお坊さんと同じことをしているといえるのです。 もちろん、淡々とやっているときでも、いろんなことを考えたりしますが、 それでも、単調なことをしていることが結果的に、平常心が養われ鍛えられて いることになるのです。 宮本武蔵は、「水のような平常心を持て」ともいいます。 どんなときもどんな状況でも、そのときその状況になりきりなさい、という ことでしょう。 平常心は、心の持ち方で鍛えることもできるものです。 たとえば、人間関係を考えてみると、相手が自分の思った通りにしてくれない ことでイライラすることがあります。 こういうときは、人は自分の思い通りにならないものだ、と心がけることで イライラの度合いは軽減されるでしょう。 あるいは、仕事を含め雑事にも、完璧主義をつい求めてしまうことで、相手と の関係がギクシャクすることもあります。 このようなときは、60点主義の考えで相手とつきあうようにすれば、ストレス は減るでしょう。 他にも、まじめすぎ、こだわりすぎることで、自分の気持ちを自分で傷つけて いる場合も結構多いものです。 心はそもそも変化しやすいものです。 その変化に対して、水のようにうまく適応していけるような心の持ち主になる ためにも、毎日の生活の中で鍛えていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月20日
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【三つの性格】 先日、春高バレーが開催されました。 女子では、優勝候補といわれていた宮城県の古川学園が決勝進出し、惜しく も準優勝という結果でした。 現在の古川学園の基礎をつくり、多くの選手を育てた元監督は国分秀男さん という方です。 全国制覇12回という、輝かしい実績を残された監督です。 自宅に20名ほどの部員たちと、寝食を共にしながら選手を育てるという教育 者でした。 以前、国分さんが語っておられたことがあります。 それは人の性格についてですが、 『これまでたくさんの人を見てきましたが、おおむね三つのタイプに 分かれると思います。 一つは、苦しくなると、“もうダメだ、無理だ”と思う、“絶望あきらめ型” 二つめは、“いやだけど、しょうがないからやるか”という、“消極的納得型” そして三つ目は、“この苦しみが自分を磨いてくれる。これを乗りこえれば 一つ賢くなれる”という、“積極的プラス思考型” 結局、歴史に名を残すような偉人や人物は、三番目の人間からしか生まれ ません。 どのタイプの人間になるかは、考え方ひとつです』 というものでした。 この話から学ぶことは二つあると考えます。 それは、三つのタイプのうち、どのようなタイプの人になるかは自分次第、 ということです。 もう一つは、この三つのタイプというのは、ひとりの中に性格の一部として 三つすべてを本質的に持っているということです。 つまり、自分の中には、「弱気な自分」「やらないといけないと思う自分」 「苦しくても頑張るぞという強気な自分」。 この三つを、それぞれ持っているということです。 そして、最終的に三つの内の二つを捨ててしまい、残りの一つに自分に おさまっているというのが現実です。 ただ、「弱気な自分」になっていても、ときと場合によっては「強気な自分」 に一時的ですがなることもあります。 この逆のパターンもあるでしょう。 それでもよいのです。人生とはそういうものでもあるといえます。 大切なのは、積極的プラス思考型の人間になれなくても、本来、三つの性格 を持っている自分があり、弱気な自分を恥ずかしく思う必要もないという ことです。 向上心をもって、積極的な生き方をしなければならない、ということに自分 を無理に合わせようとするのも問題です。 今の自分に合わない枠に、無理して入ろうとしてもよい結果は生まれにくい ものです。 弱気な自分もここにいるんです、という気持ちをもつと心が軽くなります。 それは、柳の枝が風にそよぎながらも、折れそうで折れないしなやかな状態 でもあるといえます。 もしかすると、そのしなやかさこそ強さといえるのかもしれません。 (by ハートリンクス)
2021年01月19日
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【小さな喜びが、心の不安をなくす】 漠然とした不安を感じたりすることもあれば、何か具体的な悩みのために気分 がすぐれないときがあります。 このようなときは、とりあえずカンフル剤的な対応として、思考の切り替えを すると気持ちが落ち着くものです。 この場合の思考の切り替えは、自分より厳しい境遇にいる人のことを考える ため、少しでも恵まれている自分に充足感を与えることにもなります。 また、さらに向上したいと思うときは、自分よりも恵まれた境遇にある人の ことを考えると、あらたなエネルギーが生まれてくることもあります。 大切なのは、自分はダメな人間だという気持ちが一時的に起きても、そこを 引きずらないで、次にどうすればいいかという考え方をすることです。 また、一日も早く悩みや、不安から解放されたいということではなく、少し 余裕が残されている程度なら、次のような対処法もあります。 これは、作家の五木寛之さんのお話です。 五木さんは、更年期障害に悩まされた経験をお持ちです。 更年期障害は女性特有のものではなく、男性にも起きるといわれています。 40代後半から、少しずつあらわれてくるようで、精神面と身体面の両方に 症状が出てきます。 記憶力がなくなり、不安感や疲労感が強くなる。体力が落ち、筋肉痛や頭痛、 めまい、耳鳴り、頻尿などの症状も出たりします。 五木さんも、日々の生活に疲労感を覚え、執筆も抱えながら大変な思いをして いたそうです。 そこで、五木さんは毎日の生活でのちょっとした出来事にでも、幸せだなぁ、 と感じるようにしようと考え、行動に移しました。 具体的には、一日一回、どんなことでもいいので、何かに喜んで、それを手帳 に書くことでした。 たとえば、「きょう、新幹線の窓際の席に座ったので、富士山が真正面に見え てうれしかった」 「小松空港で鱒(ます)寿司を買おうと売店にいったら、最後の一個が残って いてラッキーだった。うれしかった」 こういうことを続けていったら、更年期障害が快方に向かったそうです。 小さなことでも喜ぶと、体の中には健康に役立つホルモンが血液を通して流れ ていき、体調もよくなっていくという好循環になります。 気分や感情を、できるだけよくしておこうと考えることは、意外と有益なこと です。 つまり、悪い気分や感情を持つことは、心身の健康によくないという自覚も 生まれ、一時的にイライラしてもそこから抜け出すことができます。 生活スタイルをどんなものにするかで、健康を含めて人生の流れも変わって いくかもしれません。 (by ハートリンクス)
2021年01月18日
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【継続にはやる気より本気が必要】 多くの人は一度は、漠然としたことでも何かをやりたいな、やってみたいと 思ったことがあると思います。 ところが、ほとんどが思っただけで終わってしまいます。 面白い法則があるそうです。 やりたい人 10000人 始める人 100人 続ける人 1人 何かをやってみたいなと思う人が10000人いたら、それをやり始めるのが 100人しかいなくて、最後にやり続ける人は1人しかいないということです。 継続は力なりといいますが、続けることがいかに難しいことか分かります。 作詞家の吉元由美さんの言葉を、今までに何度か紹介していますが、吉本さん が作詞家になろうと決心したのは22歳のときだそうです。 夢を実現するために次のことを決めました。 ・2年後に作詞家としてデビューすること。 ・毎日一つ詩を書くこと ・二日で一冊の本を読むこと。 これを実践し続けた結果、作詞家として見事にデビューしました。 杏里さんや、松田聖子さんにも詩を提供しています。 代表的なのは、平原綾香さんの「Jupiter」。 一万人に一人がやり続けても、結果を出せるかどうかはわかりません。 その確率からいえば、さらに高いものとなるでしょう。 この意味では、何かをしようというやる気より、本気になることが重要なこと といえます。 こんな話もあります。 昔、中国の思想家に「孟子」という人がいました。 儒教では、「孔子」の次に重要な人物が「孟子」であるといわれています。 この孟子と母親のエピソードです。 孟子が親元から離れて、儒学の勉強をしていました。 ところが孟子は、まだ学問の勉強が終わらないのに家に帰ってきました。 当時「機織り」(はたおり)という機械で布を織っていたお母さんが、 「もう、学問はちゃんと仕上げましたか?」と聞くと、孟子は 「いや、まだ十分ではありません」と答えました。 するとお母さんは、突然ハサミを持ち、織りかけていた布を真っ二つに切って しまいます。 孟子は驚いて「どうしてそんなことをするのですか」と聞くと、お母さんは、 「あなたが、途中で学問をやめて帰ってきたのは、母がこの織物を断ち切った のと同じです」と涙を流して説き聞かせたといいます。 母親の言葉はこんなものでした。 『最後まで織り上げれば美しい反物でも、途中でやめれば何にもならない。 ただのバラバラな糸にすぎない。だから最後までやり遂げなければならない。 大切なのは、志を立てるのが縦糸とすれば、横糸となる毎日の実践が伴うこと です。志を立てるだけでは、実を結ぶことはできません』 この話は「孟母断機」という逸話ですが、目標を決めたら実行し続けることが いかに大切かを教えてくれるものです。 継続するには、やる気よりも本気が必要です。 そして、本気になるには強い意志の力がさらに必要です。 我慢とか、辛抱というようなものとは異質のものです。 我慢も辛抱も、価値のある尊いものですが、一時的になりやすいものです。 また、悲壮感を伴うこともあります。 それよりも、本当の意味で継続する力を身につけるには、何のためにやり続け るのかという、「目的意識」が確立されなければなりません。 目的意識があれば、やり続けることの意味を冷静に、感情に影響されずに理解 できます。 そこから、工夫が生まれ、継続するときに生じるマンネリ化を防ぐ知恵も湧い てくるのです。 続けることが生活の一部になり、習慣となって自分の人生をよりよいものに 作りあげていきます。 (by ハートリンクス)
2021年01月17日
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【不幸に出会ったら、人生の意味を考えよう】 私たちは、思いがけないトラブルに巻き込まれたり、予想もしなかった病気に なることがあります。 そんなとき、「なぜ、こんな目にあわなければいけないのか」と考えたくなり ます。 とくに疲れているときは、気持ちがしっかりしていないこともあって、落ちこ んでしまうものです。 しかし、そういう気持ちのときや、絶望を感じるようなときでも、自分がこう して今、生きているのは必ず意味があると思うことが大切です。 人生には意味がある、と思うとそれまで自分が生きてきた事実を俯瞰すること になり、自分を見直すきっかけにもなるのです。 すでに亡くなられましたが、介護医療の機材を開発し販売する会社の社長さん に、春山 満さんという人がいました。 春山さんは、24歳のときに筋ジストロフィー症になり、首から下が動かない という病気になってしまいました。 当時は、不動産会社を経営していましたが、会社には負債が5億円あったと いいます。 病気になったからといって、あきらめてはいけないと考え直し、衰弱していく 体で仕事に取り組みました。 車椅子の生活になっても、社員を雇えば事業はできると考えたそうです。 そのかたわら、車椅子の生活者として使いやすい介護医療器具の開発を行い、 その商品を作って販売する会社も設立しました。 同じ境遇にいる人々を支えたい、という目標をあえて立てそこに希望を見つ けました。 春山さんは生前、「病気を嘆くな、自らの命を立てよ」ということを語って いたそうです。 病気や困難に出くわしても、嘆くことなく限りある命を生きることが、人生 の意味といえます。 病気に限らず、困難や苦境の前に立たされても、広い視野で自分を眺めると 病気、困難、苦境の中にもそれなりの意味を見つけることができます。 それが、生きていくエネルギーを生んでくれます。 春山さんの場合、たしかに予期しない病気になったことはとても大変なこと でしたが、よりよく生きるための向上心を、一日一日積み上げたからこそ、 不動産の仕事も、介護医療の会社も成功させることができたのです。 また、病気になり自分の人生に絶望を感じたことは、間違いのない事実だった に違いないでしょう。 しかし、本来の不動産会社を続けながら、同じ病気苦しむ人たちの役に立ち たいという思いが、生きる希望にもなったのです。 私たちにとり、希望をもつ、希望があるということはとても大事なことです。 なぜなら、希望は生きていること、一刻一刻の時間に幸せを感じさせてくれる からです。 困難や問題に出会ったとき、それらの背景やその奥には必ず、解決のヒント が隠されていると考えることで希望は生まれます。 その希望に、目を向け意識をもっていくには、勇気やある種のパワーも必要に なるでしょう。 希望とは、単なる願いごとでなく、心の焦点を定めるためのものです。 さらに、希望とは、私たちの心を明るくするものです。 不幸と思えることに出会っても、最後は希望をもって生きることが何よりも 大切なことです。 (by ハートリンクス)
2021年01月16日
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【生きがいとは個性を生かすこと】 生きがいがあると、夢中になる時間が増えてきます。 趣味も生きがいのひとつです。 家庭菜園や、絵を描くことも普通は趣味といわれますが、これも生きがいに なります。 たとえば家庭菜園を趣味にする人は、野菜の名前はもちろん、健康志向も強く 料理の世界にも広がります。 そうなると、おいしい料理を誰かにご馳走したい、つくってあげたいという 気持ちが湧いてきて、まわりの人に喜んでもらえるようになります。 絵にしてもそうです。 絵に興味があると、自然に美術館に行きたくなります。 最近は、外出も難しいですが家にいながらでも、美術鑑賞は十分にできます。 絵を描く、あるいは興味があると知性的な面での創造力が活発になり、老化 防止にもなるのです。 俳句や和歌、小説などの趣味もとても精神面の活力アップに役立ちます。 今から、50年ほど前のことですが、小説家に上林 暁(かんばやしあかつき) という人がいました。 この方は、71歳で、川端康成文学賞を受賞しました。 じつは、上林さんは60歳の頃、脳出血で倒れてしまい寝たきりの生活を送ら なければならない状況でした。 もともと、小説家でしたからいろんな構想もあり、作品を発表していた時期も ありました。 ところが、寝たきりで手も思うようには動きません。 それでも、小説を書くことが好きだったので、わずかしか動かない手でペンを とったそうです。 ところが、文字が乱れるため他の人には読めませんでした。 そこで、妹さんがその文字を判読して、清書するということで作品を発表して いきました。 病床の上林さんにとって、小説を書くことが生きがいであり、自分の個性を 表現できる唯一のことでした。 10年以上にわたって、妹さんの協力が続き71歳のときに、川端文学賞の受賞 になったのです。 その人にとって、生きがいはこれしかない、という境地になると病気のような 厳しい境遇でも、その出来事を自分の味方にしてしまいます。 自分にとって、都合の悪い出来事でもその中から、工夫や創造心を生みだす こともできるのです。 この世は自分という個性を発揮できる場所である、と考えれば人生の目的を 見つけることもできます。 人生の目的にもいろいろありますが、その人の個性が生かされることで回り の人々に喜びをもたらし、励ましを与えることもできるのです。 自分の趣味が、世の中を明るくする小さな力になるかもしれません。 趣味を通して、自分なりの個性を生かすことに自信を持ちましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月15日
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【幸せになるヒント】 幸せになるために必要なことの一つに、やわらかい心を持つことがあります。 心は目には見えないものですから、わかりにくいかもしれません。 しかし、固い心の逆という立場から考えれば、わかりやすくなりそうです。 では、固い心というのはどんなことでしょうか。 あげられるのは、自分の意見が一番正しいと思うこと。 それから、人の意見を聞こうとしないこと。 このようなことかもしれません。 特に、人の意見を聞かずに一方的に批判したり、揚げ足取りをすること、 これは固い心の特徴です。 固い心のままだと、何かにミスをしたり、自分の思い通りに行かないことが あると、責任を他に求めることになります。 そのためにミスや失敗を、次に活かすことができないのです。 そこで、やわらかい心の特徴をあげてみましょう。 やわらかい心を持っていると、何かに怒るということがほとんどありません。 もちろん、そんな人でも挫折したり失敗したりしますが、他人の言葉や物事に 怒りをもつことがありません。 挫折や失敗をすれば、それなりに傷つきショックを受けますが、心がやわらか いので、衝撃が少なくなるのです。 いわゆる、受け止め方がとても上手なのです。 つまり、「やわらかさ」とは「しなやかさ」と同じようなものです。 これがあることで、挫折や失敗から何かを学べるのではないかという、建設的 な気持ちも湧いてくるのです。 どこか外国のおばあさんの言葉でしたが、次のようなものでした。 しあわせになりたいなら、それはね、怒らないこと。 怒りを感じたらすぐに、その場で「ありがとう」って自分に 言ってごらん。 あなたの心が変わり、目の前の状況も変わってくるの。 だから、言葉はもっと大事よ。 怒りたいことがあっても、それを打ち消すことができれば、気持ちは静かに なりやすいことを教えてくれています。 このように、よい言葉を使い、やわらかな心でいると、感情の波動がきれいな ものになるのです。 江本 勝さんという波動研究家の人が面白い実験をしました。 同じ水を、二つの容器に入れて、ある言葉を発したそうです。 一つの容器に、「ありがとう」といい、もう一つの容器には「ばか野郎」と。 すると、「ありがとう」という言葉をかけた水の結晶には、美しい六角形の 結晶が残り、「ばか野郎」といった水に結晶はありませんでした。 これは、日本語以外の言葉でも同じ結果だったといいます。 発した言葉に、感情という波動が起きて、水にも感情の波動が伝わったという ことです。 やわらかな心でいられるように、常に心がけましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月14日
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【天命と運命】 人は生まれながらにして天命というものがあります。 まず、人として生まれたこと。次は男性か女性かという性別。 さらに、両親を通して生まれてきたこと。 これは自分の力ではどうしようもできないことです。 自分で選ぶということはできないのです。 さらに、いえばどのような家庭環境で育ったか、これもものごころがつく までは自分一人の力では限度があります。 しかし、運命というものは厳密にいえば、自分の意志や努力で変えていくのは まったくできないか、というとそうではありません。 運命という言葉の響きから、私たちは通俗的にどうにもならないもの、と思い がちです。 運は動くものです。 ある程度の年齢になり、性格ができあがり社会や世の中の一員としての分別が つく時期から、自分の運命を変えていくことができます。 天命はどうしようもありませんが、運命は自分の力で変えられます。 つまり、自分しだいで運命をつくりあげていくことができるのです。 この運命を変えた人の中に、シャープの創業者である早川徳次さんという人が います。 早川さんは、2歳の頃、両親が過労で倒れたために養子に出されました。 養子先も貧しい家庭で、養母も4歳のときに亡くなったそうです。 そのあと、後妻の継養母は早川さんにまともな食事を与えてくれないという 不遇な家庭環境でした。 小学校2年になると、学校には通わせてもらえず夜遅くまでマッチ貼りの内職 もしました。 その早川さんをけなげに思った、近所の井上さんという目の不自由な女性が 金属加工をするかざり屋に丁稚奉公を紹介してくれました。 その給金も継養母から取り上げられたといいます。 この環境なら、自分の境遇をはかなんでも当然のことといえるかもしれません。 しかし、早川さんはこれまで身に着けた技術と、商売の道を学び19歳で丁稚 奉公をした店から独立しました。 その後、水道の器具やシャープペンシルなどを発明して、200名の社員を抱える 会社の経営者にまでなったのです。 ところが、関東大震災で二人の息子を亡くし、工場は焼失するという事態になり ました。さらに妻も震災で受けた負傷が原因で亡くなったのでした。 それでも、ラジオの受信機を製品化するまでに再起することができました。 早川さんは、丁稚奉公を紹介してくれた目の不自由な井上さんに、恩返しが したかったといいます。 この思いが、早川さんの運命を変える力になったともいえます。 工場生産も増え、事業が軌道に乗った頃、目の不自由な人たちが働ける工場を つくりました。 運命を変えるきっかけというものは、その人の心しだいで見つかるものです。 つまり、心の持ち方によって運命は変わり、運命が変わる過程で心はつくられ ていくのです。 (by ハートリンクス)
2021年01月13日
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【人の長所、短所が見えるとき】 「他人は自分を写す鏡」という言葉があります。 これは、人の良いところを見るように心がけることが大切である、ということ を意味し、同時に、自分にも良いところがあるから、他人の良いところも見え ることを教えてくれています。 たとえば、ある人の長所を見て「ああ、いいなぁ」と思ったとします。 それは、自分自身にもその良さがある、ということです。 まだ、その良さが現れていなくても、潜在的に自分の中にあると思っておいて よいでしょう。 自分が人の長所に気づき、見えるということは言葉を変えれば、「自分は幸せ」 であるといえるのです。 反対に、人の短所が見えるとき、あるいは気づくときがあります。 こういうときは、とても注意をする必要があります。 他人の長所を見るときと同じように、人の短所が自分にもある場合が多いから です。 だからといって、他人の短所を見ないでおくというのは簡単ではありません。 世の中は、人間関係で動いています。 「人を見る眼」を求められることもよくありますから、他人の短所が見える こと自体はよいことです。 問題は、相手の短所が気に入らない、嫌いだ、悪口を言いたくなる・・・。 これは、よい人間関係を築いていくうえで障害となります。 こんな場合は、「そんなところもあるんだな」と考えるぐらいにしておくこと がちょうどいいのです。 ただ、自分がその相手の上司であるという立場なら放置できません。 ここに、長所と短所を見るときの難しさがあるのです。 飲料水の大手メーカーに伊藤園という会社があります。 「お~いお茶」でも有名です。 創業者は本庄正則さんという方ですが、日本で最初に缶入りのウーロン茶や 缶入り緑茶を発売した人です。 この方の社員教育法の基本は加点主義です。 「加点主義をモットーにしているから、前向きの失敗なら一切処罰しない」 そうです。 加点主義とは具体的にどんなことかというと、社員の出したよいアイデアには 評価してほめるということです。 もし、減点主義で社員を評価していたら、問題が起きるたびに点数は減り、 いつかはわずかな点数しか残らなくなり、意欲は低下するばかりです。 人はほめられたら喜びます。 ほめられたというのは、認められたことと同じです。 認められたというのは、受け入れられたということです。 これらには、相手が好き、嫌いだという感情はないのです。 好き、嫌い、という感情は抜きにして、その人にはどんな長所があるのだろう という目線で見ると、その人に対する関心が湧いてきます。 人間関係をうまくするには、相手の性格云々よりも相手にどんな関心を持つ ことができるのか、という立場で相手と接することがコツの一つです。 人の性格は千差万別ですから、すべての人を好きになる必要はないと考える ほうが楽です。 好き嫌いの感情の先に、人間関係は存在するのです。 (by ハートリンクス)
2021年01月12日
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【人のためにできること】 誰かのために何かをすると、気分がよいものです。 ましてや、相手が喜んでくれたらなおのこと、自分も嬉しくなります。 これは大きい意味で、「愛他精神」という言葉で表すことができます。 私たちは、もともとそのような心を生まれながらに持っているのです。 昔、お釈迦様が人々の前で、人間の功徳について説法をしました。 そこでお釈迦様が語られたのは、自分以外の誰かに恵みや施しを与えること が、悟りへの道であるという内容でした。 説法が終わると、ひとりのみすぼらしい女性がお釈迦様の前にきて、頭を下げ 教えを乞いました。 「私は貧しくて、施すものが何もありません。私のようなものはどうすれば よいでしょうか?」 「なるほど・・・。ではあなたは、やさしい笑顔はできますか?」 「はい。笑顔ならできます」 「もうひとつ、やさしい言葉をかけることはできますか?」 「はい。それならできます」 「これは和顔愛語といって、とても功徳のある布施になるから、それを心を こめておやりなさい」 すると、その後ろにいた貧しそうな老婆が言いました。 「私は、年老いています。しわだらけの顔で笑っても、やさしく見えません。 声もしわがれているし、どうすればよいのでしょうか?」 「なるほど・・・。ではあなたは涙を出すことはできますか? 嬉し涙を流す ことはできますか?」 「はい、悲しいときも、嬉しいときも涙は出ます」 「それなら、人がよいことをしたら、ああ、ほんとによいことをされたなぁと 喜んであげなさい。あなたが涙を流して喜んだら、その人は嬉しくなってあな たに感謝するでしょう。 もし、悲しんで泣いている人がいたら、ああ、なんと悲しいことでしょう、と いって、ともに悲しんで涙を流してあげなさい。その人は自分をわかってくれ たことで気持ちが落ち着き、あなたに感謝するでしょう」 「はい、それなら私にもできます。ありがとうございます」 「それは随喜の心、喜捨の心、慈悲の心といい、とても功徳のあることです」 お金や物を恵むことができなくても、笑顔や言葉で誰かの心を励ますことも できます。 詩人の相田みつをさんにも、これと同じようなことがあります。 相田さんの著書「にんげんだもの」という本がまだ世の中に出る前から10年 ほどさかのぼる話です。 当時、相田さんは生計に厳しい時期でしたが、小学校のPTAの会長をしてい ました。 あるとき、相田さんが臨済宗の松原泰道禅師をPTAの講演に招きました。 その夜、相田さんの家に一泊することになった禅師が、天井を見ながら横に なりある話をされたそうです。 「敗戦直後、私(禅師のこと)の寺の近くに、山本のぶさんというマッサージ 師さんが住んでいました。 空襲で焼け出され、バラック住まいでした。 あるとき、彼女が治療費で得たわずかの収入から高いお金を出して、電灯を つけたというのです。 『目が見えないのに、無駄なことをしたもんだなぁ』と言うと、山本さんが 言いました。 『私の家の前は傘もさせない狭い路地ですが、近道なのでたくさんの人が通り ます。夜は真っ暗で、ドロで汚れたり転んだりなさいます。 私は、目が見えないから家の中は真っ暗でかまわないので、電灯は外につけ ました。 表を通る人は喜んで、“のぶさん、ありがとう”と声をかけてくださいます』 ということでした」。 相田さんはこの話を、うなずきながら聞いたそうです。 後日、相田さんは次の作品を発表しました。 外灯というのは 人のためにつけるんだよな わたしはどれだけ 外灯をつけられるだろうか 人は、「誰かのために」「人のために」という気持ちで生きてくと、結局は 自分が生きていくことの意味がわかってくるものです。 自分はどんな生き方をすればよいのか、という答えの一つがこれらの話には こめられているようです。 (by ハートリンクス)
2021年01月11日
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【悩みが人を強くする】 最近、「自分らしさ」という言葉が一つのトレンドになっています。 自分らしさとは、個性をいかに光り輝かせることができるか、ということに つながるものでもあるのです。 ただ、本当の自分らしさが輝くためには、それなりのプロセスがないと簡単に はいかないものです。 そのプロセスとは、悩むということです。 人は悩むことで幸せになることができる、ともいえるでしょう。 何かで悩んでいるとき、悩んでいる時間がじつは成長しているときです。 女子ゴルフが脚光を浴びています。 ここ数年で、10代後半から20代前後の女子プロゴルファーが注目されるよう になりました。 すでに引退しましたが、宮里藍さんは今の女子ゴルフ界の基礎をつくり上げた 選手の一人です。 そんな宮里選手も、悩んだ時期があったそうです。 高校3年のときに、女子オープントーナメントで優勝し、米国ツアーでも活躍 しました。 ところがそんな宮里さんも、2007年にスランプになったことがあります。 もともとの性格も、心配性で取りこし苦労するタイプだそうです。 プレー前から、ミスしたらどうしよう? とつい不安になってしまう。 予期不安というものですが、誰にでもこのような気質はもっているものです。 ただ、何かのきっかけで悪循環に陥ることも人によっては起きることが、たま にあります。 宮里さんがそんな状態になり、なかなかスランプから抜け出せずに悩んでいま した。 ある試合のとき、こんな出来事がありました。 プレー中に、宮里選手が、キャディーにいいました。 「先のことを思うと、心配でどうしようもない!」 すると、それを聞いたキャディーさんがこう返したそうです。 「藍! ボールは今、ここにあるんだよ!!」 この言葉で、宮里さんは緊張で思うように動かなかった体が、フッと軽くなり 落ち着くことができたといいます。 この出来事があり、その後、スランプから抜け出すことができました。 「過去でも未来でもない。『今』に自分を置くこと。これが、ナイスショット を紡ぎ出すための大きな鍵」だと思ったそうです。 私たちが悩むことは、決して悪いことではありません。 人は、悩んだ量の分だけ、最終的に輝くものです。 大事なことは、悩み方にあるといえるでしょう。 自分を追い込んでいった結果、自己否定をするのか、あるいは、 自分を追い込んでも、自分を信じて、自己肯定して前進しようと考えるのか、 そのどちらかを選択するかです。 成功や成長は、自分を信じて前を向くことでしか実現しないのです。 人は、悩んだ分だけ強くなれるものだと考えてみましょう。 そうすることで、悩みを恐れる気持ちもなくなっていくのかもしれません。 (by ハートリンクス)
2021年01月10日
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【幸運を呼ぶ心の持ち方】 どんなことにも「ありがたいなぁ」という気持ちでいると、自然にまわりの人 やモノに愛情を感じやすくなります。 つまり、ありがたいという気持ちが起きるのは、対象とするものと調和したい という願いの現れです。 人生を幸せに送るには、生きていることをありがたいと思うことがとても大事 なことだと思います。 しかし、どんなことにも不平や不満を言ってばかりいると、まわりの人やモノ から愛情を欲しがるようになります。 そして、愛情が得られないと苦しくなるので、ますます欲しくなるのです。 結局、ありがたいという気持ちになったほうが幸せなのです。 たとえば、松下幸之助さんは貧乏で、学問がなく、体も弱い人でしたが、それ でも生きていてありがたいな、という心を持つことができた成功者です。 松下さんが子どもの頃、お父さんの商売がうまくいかず破産するという、大変 な境遇だったそうです。 そのため、家族はバラバラになり松下さんは小学校4年生で中退し、丁稚奉公 をすることになります。 ようやく、3人で電球のソケットを作る小さな町工場を始めました。 それでも、ありがたいなという気持ちを忘れるとはありませんでした。 その心がけが基礎にあったことで、 ・貧乏だったから、まわりを豊かにしたいと思えた ・学問がなかったから、人の意見をよく聞こうと思えた ・体が弱かったから、人が助けてくれた つまり、不幸になる三大条件がまるまる成功の要素になったわけです。 生きているのはつらい、苦しいという考えだとそこから逃げたいという気持ち が大きくはたらきます。 もちろん逃げたいという気持ちも、一時的なエネルギーになりますが、それだ けでは継続できないのです。 苦しさから逃れようとするより、苦しさから学べることがありがたいという 気持ちになることのほうが、生まれるエネルギーははるかに大きいものなの です。 100の内50しかなくても、その現状に満足するほうが、不満をいだくよりも 幸福感はより多く味わえます。 心をどの方向に向けて生きるかで、幸・不幸は決まってくるものです。 感謝する気持ちになりやすいか、すぐに不平や不満を言いたがるかの違いが 幸運と不運の違いにつながるものでもあるのです。 心の習性をよいものにしていきましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月09日
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【プラスを見る人、マイナスを見る人】 自分は幸せだという気持ちで生きている人の特徴は、今の境遇のプラスの面を 見ているものです。 反対に、自分は不幸だと思って生きている人は、今いる境遇のマイナスの面を 見ているといえます。 自分の境遇や環境には必ず、プラス面とマイナス面があるということが分かれ ば、幸福と不幸は自分の心の持ち方で変わるものだということも理解できるよ うになります。 かとうみちこさんという、女性詩人がつぎのような詩を書いています。 からいお塩は おいしい おしるこのかくしあじ からい くるしみ かなしみ そして わかれ みいんな しあわせのかくしあじ ひとふり ふたふり ほら! しあわせが とっても おいしくなったでしょ・・・ この詩はかとうさんが28歳のときに書いたものです。 かとうさんは若いとき、無理なダイエットをしたことが原因で血行障害が起き 細胞が死んで、骨に栄養がいかなくなるという難病になってしまいました。 そのために、20歳のとき体重が22キロ、血圧の上が60で下は30という 状態になり髪や爪、歯もなくなるまでになったそうです。 生きる気力もなく、つらい日々を過ごしていました。 28歳のとき、友人の紹介で城野 宏さんという方に出会いました。 城野さんには、かとうさんの体のことは知らされていました。 城野さんがかとうさんに声をかけました。 「目は見えるの?」 「あ、はい見えます」 「耳は聞こえるの?」 「き、聞こえます」 「言葉はちゃんとしゃべれるの?」 「はい」 うなずく彼女に、城野さんはさらに聞きます。 「両手を閉じたり、開いたりしてごらん」 かとうさんは、いわれた通りに手を動かしました。 「なーんだ、手もちゃんと動くじゃないか。心配いらないよ、 君の身体の90%は正常だよ!」 この一言で、かとうさんは心の暗闇に希望の光を見つけたような気持ちになり 涙が流れて言葉にならなかったそうです。 かとうさんは、正常である90%を見ずに、病である10%しか見ていなかった ということに気づいたのでした。 このあと、かとうさんは元気な体を取り戻して、司会の仕事やナレーターの 仕事につき、詩集も出版するようになりました。 90%は正常である自分がいるのに、そこは見ずに10%の病気の自分を大きく とらえすぎていたのです。 私は健康である、という新しい別の自覚ができたとき、私は生かされている という感覚が生まれてきます。 プラス面から物事を見るように心がけたいものです。 少しずつ、まわりに対する気持ちがおおらかになり、謙虚な自分になることが できるようになるでしょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月08日
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【気合いと慈悲の心】 スポーツなどで競技や技を争うときは、自分の心に気合いを入れる必要があり ます。 そうしないと相手の気迫に負けてしまうからです。 人生においても、ここぞ、というときは自分で自分に気合いを入れることも 大事です。 特に、入学試験や就職試験など、緊張した心に負けてはいけません。 しかし、人生はすべてが気合いで決まるかといえば、そういうものでもない のです。 人が人と接しながら、生きていく。これが世の中といえるでしょう。 世の中は、気合いと慈悲の心の両方で生きていくべきものかもしれません。 気合いと慈悲の心について次のような話があります。 江戸幕府の3代将軍、徳川家光のときです。 あるとき、外国からの貢ぎ物がありました。 それは、檻の中に入れられた虎でした。 当時、虎を見た人はいないといわれていたそうです。 まだ若かった家光は、その貢ぎ物を家来の者に披露したくなり、お城に招集 します。 家光はある趣向を計画していました。 「今日の催しは外国渡来の虎の檻の中に、人間を入れる」といいました。 そして、剣術家の柳生但馬(やぎゅうたじま)に入るように命令します。 但馬は木剣を持ち、虎の入った檻に入りました。 緊張した雰囲気の中で、虎は飛びかかろうと牙をむいています。 木剣を中段に構えて、少しずつ虎の方に進んでいきました。 虎は、檻のすみのほうに後ずさりしました。 但馬はそのまま後退して檻から出ることができたのです。 その次に、家光が「沢庵禅師、入ってみるか?」と声をかけました。 すると沢庵禅師は、ニッコリ笑って、立ち上がり片手に数珠をもってフラフラ と檻の中に入っていきました。 先ほど同じく緊張感が漂いました。 ところが、折に入った沢庵禅師に虎は飛びかかろうとせず、禅師の衣のすその 周りにまつわりつき、足元に横になってしまいました。 そして、のどをゴロゴロと鳴らしはじめたのです。 飼い主の横にいる猫と同じでした。 禅師はしばらくそのままにしていました。 家光が驚いて、「もうよかろう、禅師」と声をかけました。 禅師は「おとなしくしておれ、また来るでな」と虎にいい残して、背中を向け 檻から出てきました。 家光は二人に、どんな心構えで檻に入ったのかを尋ねてみました。 但馬「柳生流の気合いでのぞみました」 禅師「何の存念もありません。虎といえども仏性があります。慈悲の心で接し たまでです」 という内容です。 二人の考えには、よい悪いはありません。 どちらも正しいといえると思います。 ただ、そのときどきの状況と人の考え方の違いによって、対処は変わることが あるということです。 気合いが必要なときは、気合いを入れる。 慈悲の心(愛の心)でのぞむべきときは、そのときに適した心でのぞむ。 つまり、あらゆる出来事には心をうまく適応させ、対応していくことが大事だ ということです。 人の心にもメリハリが必要です。 メリハリとは柔軟性のこといいます。 心やわらかに、日々を送りましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月07日
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【価値ある生き方をしよう】 私たちには、自分ではできそうにないと思っていたことでも、何かの出来事が きっかけになって、困難を乗りこえることができます。 病気や貧困が原因で、仕事をする自由を奪われ、わずかな楽しみさえ奪われて も、その境遇を受け止める態度を決める自由はあるのです。 この態度のことを、オーストリアの精神科医、ヴィクトール・フランクルとい う人が『態度価値』と名づけました。 この態度価値の意味がどんなものかを理解するうえで、参考になるエピソード があります。 ある男性の人が、小さな食料品店を経営していました。 ただ、売り上げは伸びずに蓄えていたお金もなくなり、借金が増えるばかりで した。 この借金を返済するには、あと4~5年はかかりそうです。 しかし、このままでは店を閉めなければならいので、とりあえず銀行から必要 なお金を借りようと思い、肩を落としトボトボと歩いていました。 沈痛な気持ちで歩いていると、前方から両足のない男性がローラースケートの ついた台にすわって、手に棒のようなものを持ってそれを使いながらこちらの 方に向かって来ていました。 たぶん何かの用事でもあったのでしょう。 そのうち、何気なく目と目があいました。 すると、ローラースケートの人は肩を落としながら歩くその彼に、笑顔で声を かけたのでした。 「おはようございます! よい朝ですね!」と挨拶しました。 この挨拶に、その彼は体中に電流が走ったような気がしました。 私には歩ける足が2本あるのに、商売がうまくいかないからと人生を嘆いて いるが、あの人は笑顔で堂々としている・・・。 何と自分は恥ずかしい人間なんだ、と思うと同時にそれまでの不安はどこかに 消えてしまいました。 その日から、彼はこの日の出来事を家の洗面所の鏡の横に書いて貼りつけて、 毎朝、気持ちを強く持って再起したそうです。 この話から得るものは二つあると思います。 一つは、商売に自信をなくした人が、体の不自由な人との出会いで仕事がうま くいかないぐらいでクヨクヨせずに頑張ろうと思った、ということ。 もう一つは、足のない人がローラースケートの台にすわっている境遇でありな がら、それを自分の運命として受け止めている、「態度価値」のすばらしさで す。 目の前の環境や境遇が大変な状況でも、それにどのような態度でのぞんでいく かは、本人が決めることができるのです。 これを感受性ともいいます。 一般的に感受性が豊かというと、神経が細かいといった意味にとらえられがち ですが、物事の受け止め方は人それぞれです。 世の中を生き抜くためには、「たくましい感受性」も必要です。 それには、感受習性というものをうまく利用して態度価値を高めていくことが できます。 (by ハートリンクス)
2021年01月06日
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【小林一茶に学ぶ心の強さ】 江戸時代の俳人、小林一茶は庶民に親しまれる俳句を数多く残しています。 たとえば『やせ蛙 負けるな一茶 これにあり』は有名な句の一つです。 一茶は長野で生まれました。 3歳の時に母親が亡くなり、祖母に育てられたといいます。 父親は優しい人柄でしたが、気の弱い人でした。 8歳の時に継母が来ることになりました。 まもなく、継母に男の子が生まれます。 一茶にとり義弟ですが、継母はじつの子どもを可愛がります。 また、継母は気の強い人で一茶は継母とはうまくいきません。 13歳の時、たまたま村にきた俳人から俳句を習うことがありました。 その翌年には、一茶を可愛がってくれた祖母が亡くなり、継母の希望で15歳 になった一茶は江戸に奉公に出されることになりました。 気が弱く優しい父は、一茶が江戸に旅立つ時、 「体に気をつけなさい、帰ってくることができる時は帰ってきて、元気な顔を みせてくれ」と声をかけ、一茶も父の言葉に涙を流してしまいます。 江戸での仕事は、各地を渡り歩く奉公生活で厳しいものでした。 それでも、故郷で習った俳句は一茶の支えになり、勉強を続けました。 そして28歳のときには、俳句の宗匠となるまでになっていました。 一時期、故郷に戻りますが俳句の修行をするための旅に出ることになります。 俳人としての日々を送り、50歳を過ぎ再び長野に戻って結婚をしました。 相手は28歳の女性でした。親と子ほどの年が離れています。 当時の句に『我と来て 遊べや親の ない雀』というのがありますが、この 句は、結婚して間もない頃の嬉しさをあらわしたものといわれています。 ところが、幸せな一茶にも不運な出来事が起きるのでした。 54歳の時に生まれた長男が、生後1ヶ月で亡くなります。 その後4人の子どもに恵まれますが、その内の3人は2年足らずで亡くなって しまうのでした。 残ったのは、一番下の子どもだけになりました。 さらに、妻も37歳で亡くなってしまいます。 老いた一茶は、悲しみに打ちひしがれました。 しかし、家族を失う悲しみを経験することで、一茶の句には奥深さが高まった といわれています。 『やせ蛙 負けるな一茶 これにあり』の句は、長男を亡くしたときに詠んだ ものといわれています。 一茶は、悲しみを受け止めながら、俳句には優しさのある言葉で包みこんで いるように思われます。 悲しみを優しさで包みこむには、強い心が必要です。 強い心は歯を食いしばって悲しみに耐えるという一面もあります。 ただ『悲しみの中にも聖地がある』という言葉もあるように、悲しみの中から 真の強さが生まれるという境地を一茶は、体感したのでしょう。 優しさを忘れず、心の強さをもつ人でありたいものです。 (by ハートリンクス)
2021年01月05日
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【可能性を生かす勇気】 イチローの言葉から。《 僕がこちらに来て思うのは、体がでかいことに、 それほど意味がないということ。 大リーグでは、僕は一番小さいほうだけど、こういう記録ができた。 日本の子どもにも、アメリカの子どもにも言えると思うけど、 大切なのは、自分の持っているものを生かすこと。 そう考えられるようになると、可能性が広がっていく。 》 * * * エベレスト級の山に登りたいという夢があるなら、そのために必要な準備が 必要です。 まず登山用具はもちろんですが、それ以上に大切なのはどんな登山計画を 立てるかです。 そして、メンタルの問題です。 突発的な出来事に対処できるような、自分自身の心もきちんとした状態にし ておく必要があります。 このことは、スポーツでも事業でも仕事でも、あるいは人生全般のことについ て、可能性を広げていくという意味で当てはまるといえます。 富士通の創業者である、岡田完二郎さんは自分の可能性と会社の可能性を追求 した人です。 戦前、三井・三菱という財閥と肩を並べるといわれた古河グループの会社に務 めていましたが、連合軍による公職追放で会社を去ることになりました。 その後昭和34年に岡田さんは古川グループからの要請で富士通の社長に抜擢 されることになりました。 このとき、岡田さんは67歳でした。 岡田さんは、これからの時代は富士通のもつ技術の可能性を広げる必要がある と考え、新たにコンピューター事業への進出を計画しました。 当時、まだ競合メーカーよりも弱小な富士通の社員の多くは、積極的にこの 分野に進出するのはかなりの冒険だと考えていました。 しかし、岡田さんは、専門書を取り寄せて毎日4時半に起きて勉強しました。 3年後、70歳になり「富士通はコンピューターに社運をかける」という方針を 打ち出したのでした。 各部署の専門的な知識のある社員たちの協力を得て、その上で目標を段階的に 設定し、コンピューター企業としての可能性がないか試行錯誤の連続でした。 岡田さんは幼少期、胃腸が弱かったそうですが、虚弱な体ではいけないと考え 坐禅を組むことで精神の強化に努めたといいます。 この経験が、70歳から企業を再生させることに大きく生かされていきました。 現在の富士通にはこのような背景があったのでした。 富士通も最初は、他の競合メーカーに太刀打ちできないだろうという、周りの 予想はかなり強くありましたが、それでも岡田さんの綿密な計画設定と、段階 的な目標を目ざしたことで、一流のメーカーになれたわけです。 このプロセスに、可能性を見出していこうという強い意志がなければ、実現は できなかったでしょう。 可能性というのは目に見えないものですが、とても大きなエネルギーを生むも のです。 自分の人生にも、あらゆる可能性があると信じてみましょう。 (by ハートリンクス)
2021年01月04日
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【幸福な人とはどんな人】 心療内科医・海原純子氏の言葉から。《「幸福な人」とはどんな人でしょうか。 私が考える「幸福な人」の条件の一つは、 「嫌なことを乗り越えていく力」をもっている人です。 日常生活においても、もちろん人それぞれではありますが、 いろんな出来事が起きます。 そのような苦難に直面した時、物事をどうとらえるか。 そこに、幸福な人とそうでない人を分ける道があるように思います。 たとえば、嫌なことが起きた時、それを「何か意味があるもの」ととらえる ことができたり、「困難なことは自分に課せられた課題と」受け止める資質を もっている。 さらに、困難なこと、大変な事を「一種のチャレンジ」だと受け止め、 「自分が成長していくための糧にしよう」と考える。 このように、ストレスを上手に乗り切っていく「ストレス対処能力」の 高い人が幸せな人ではないでしょうか。》 (出典元:海原純子「幸福力・幸福を生み出す方法」潮出版社) * * * イギリスの政治家、チャーチルは子どもの頃は落ちこぼれ少年でした。 成績は、ほとんどの教科で最下位で、特に数学と外国語(フランス)は苦手 でした。 体は小さく、クラスメートたちからも嫌われるような問題児でした。 このような落ちこぼれ不良少年だったため、校長先生からムチで打たれたこと もあるそうです。 しかし、国語だけは好きでした。 そんなチャーチルも大人になり、25歳の時には新聞社で仕事をするまでにな っていました。 そして、従軍記者として南アフリカに行くことになったのです。 ところが、現地でゲリラにつかまり捕虜となってしまいました。 このままでは命が危ないと思い、収容所のトイレの窓から脱出しました。 炭鉱の穴の中に隠れたり、貨物列車に忍び込むなどの逃亡を続けようやく当地 のイギリス領事館に駆け込み助かりました。 また、チャーチルは捕虜になるとき、数人のイギリス兵士を助けたことがあり ました。しばらくして、その兵士がイギリスに帰国した際、チャーチルの勇敢 な行動によって自分たちは助けられたという話が噂になりました。 このことで、チャーチルは評判が一気にあがり、新聞記者から国会議員へと 出世したのでした。 しかし、彼が50歳のとき選挙に落選し、その後15年間は不遇の時代を過ごす ことになるのです。 ところが、第二次世界大戦となり、66歳だったチャーチルはイギリスの首相 として、国家の指揮をとるまでに再起したのです。 さらに、子どものとき国語が得意だった彼は、79歳でノーベル文学賞を受賞 するという才能を発揮しました。 人生とは、何が起きるかわからないものです。 何かが起きたとき一時的に混乱してしまうこともありますが、そのようなとき ほど、どんな心を持ち、どのように心を使うかによって、人の生き方は大きく 変わってきます。 これは昔も今も変わりませんが、ストレスにどう対処すればよいかという方法 を学ぶには、心の問題を避けて通ることはできません。 ストレスを感じるのは心ですが、ストレスを乗り越えるのも心なのです。 チャーチルは、自分の目の前に起きた現実が大変なものであったにしても、 その状況の意味するものは何かを考える、「心」をもっていました。 目の前の困難を課題とする人は、解決策を考えようとするものです。 そこに、人間としての成長があり、人格の向上がつくられていきます。 自分の心をどのようにつくっていくのかは、幸福な生き方をするためには 重要なことです。 (by ハートリンクス)
2021年01月03日
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【強い心を持つには】 ジャパネットたかた創業者・高田 明氏の言葉から。 《 周囲のだれかと自分をくらべても 優越感や劣等感が生じて疲れるだけで 何の得にもなりません。 しかし、きのうの自分とくらべると 自分の成長につながります。 他の人より上ではなく、自分史上最高を 目ざせばいいのです。 》 * * * 今の自分がいる環境で、できる限りの努力を続けるためには、心の強さが 必要です。 本来、人は強い心を持っているのですが、何かのきっかけで引っ込み思案に なったり、怖さを感じやすくなるのです。 ただ、そのように自分は弱いんだ、と思えるときでも環境が変わり思っても みなかった出来事に直面したとき、自分が想像できなかった力が出てくること もあるのです。 バイオリニストの川畠成道(かわばたなりみち)さんも、努力を続けてきた人 です。 8歳のとき、ロサンゼルスに行くことになりました。 しかし、到着したものの体調がよくなかったので、風邪薬を服用しました。 しかも、その風邪薬の副作用に苦しめられるという事態に陥ったのです。 それは、スティーブンス・ジョンソン症候群という難病でした。 高熱が続き、皮膚は赤くただれたそうです。 どうにか命は助かりましたが、視覚障害をともなう後遺症を負うことになって しまいました。 ふつうなら、劣等感を抱いて将来を悲観してもおかしくない状況ですが、彼は 違っていました。 父親はバイオリン奏者でした。 川畠さんは10歳になるとバイオリンを手にしました。 バイオリンは幼少期から教育を受けるのが一般的です。 彼にとっては遅すぎるスタートといえました。 視力に障害があるため楽譜も普通のものでは無理でした。 両親は、大きな模造紙に3段の譜面を何十枚と書いたものを使いまいした。 一枚ずつはぎとるのは大変なことでした。 曲によっては100枚をこえるときもありました。 このような練習をしていき、3年がたちました。 その頃、世界的に有名なバイオリニストのアイザック・スターンという人が 来日します。 そして、公開レッスンが行われこの中から、優秀な若いバイオリニストを何人 か選ぶというものでした。 350人の応募があり、この内の数人の一人として彼は選ばれたのです。 このときに演奏した曲は、パガニーニのコンチェルトというもので難曲といわ る曲だったそうです。 アイザック・スターンは川畠さんの演奏に聞き入っていました。 演奏が終わると、スターンは彼に歩みより「素晴らしい!」と何度も叫び、 川畠さんの頭に手をのせて絶賛しました。 その後、イギリスに音楽留学してバイオリニストとして活躍することになって いきました。 現在もコンサートは続けられ、難民支援のためにチャリティーコンサートも 行っています。 人の心というのは、偉大な作用を及ぼすことができます。 しかし、心を強くすることもできれば、弱めることができる自由を私たちは 与えられています。 病や大変な境遇に遭っても、それ以上の強い心に鍛えることもできるのです。 自分には本来強い心がある、と信じることはとても大事なことなのです。 (by ハートリンクス)
2021年01月02日
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【誰かのためにしてあげられること】 思いやりの心がある人は、常に相手のために何かをしてあげたい、と考えて います。 キリストの教えでは、人から救ってもらうよりも、人を救うことのほうが喜び は大きいといわれているそうです。 何かを恵まれたときより、誰かに恵んだときのほうが嬉しい気持ちになり、 崇高な心を持つことができます。 つまり「誰かのために」というのは、一つの愛の表現でもあるのです。 以前、ある病院の話を聞いたことがあります。 その病院は、ほかに「施療院」という施設をもっていました。 この施療院は、近代の医療とは違って東洋医学を主体に治療するそうです。 神経痛や、リュウマチなどの症状で通院する患者さんが多くいました。 ここに来ると、医師が次のようにいうそうです。 「月・水・金の午後3時から4時までの1時間来ることができますか?」 「もちろんです。痛いので来ます」 「それでは、来週からきて来てください」 こんなやりとりがあり、翌週の月曜日午後3時に施療院に行きました。 すると「そこのおばあさんの包帯を巻きなおしてください」とか、 「そのおじいさんをお風呂場につれていって、背中を流してあげてください」 などといわれるのです。 自分も体のあちこちが痛いのですが、忙しそうな雰囲気なので、とりあえず いわれたことをやってあげます。 そのうちに1時間があっという間にたってしまいます。 そして、「また水曜日に来てください」といわれました。 「えっ、自分は何も診てもらっていないのに」と思いながら、また行くそう です。 水曜日に行きました。月曜日のように「そこの若者の足のギブスを取って」、 「あそこの薬を持ってきてください」と雑用をいいつけられるのでした。 気がついたら1ヶ月半ぐらいが過ぎていました。週に3回来たのに、治療は 1回もしてもらっていない。 そこで「先生いくらなんでも一度も治療していないですよ」 「そうですか、1ヶ月半たちましたか。ところで、今、あなた痛いですか?」 「えっ」と思って、自分の体を確認しますが、どこも痛くない、治っている。 これは、誰かに何かをしてあげて、病気がよくなっていったという実話です。 たとえ、自分の体が健康ではなくても、「誰かのためにできることはないか」 と思うところから、人間の自然治癒力というものが動き出すのです。 この人は、自分の体の痛みを感じていましたが、患者のために何かをしてあげ ているときは、自分のことは意識していなかった。 ただ、相手のために、相手のことだけを思って体を動かしていただけです。 つまり、自分のことばかりではなく、自分以外のために自分の体を使って役立 てたとき痛みが消えていたのです。 人間の心と体の関係はじつに不思議です。 心の力で体の不調を治すこともできれば、体の病気が心を苦しめることもあり ます。 しかし、一義的にはまず心の力が重要です。 相手へ思いやりも、心の力を表現する方法の一つです。 誰かのためにできることはないか、と考えることが自分の幸せにつながって いくのです。 新しい年は、誰かのために何ができるか? 意義のある、そして自分自身が成長できる一年を送りたいものです。 (by ハートリンクス)
2021年01月01日
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