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【人との関係に波風を立てないコツ】 人間関係がギクシャクする一番の理由は、相手からこちらに意見を押しつけら れたときです。 次に、相手が自分の意見を受けつけてくれないとき。 この二つがあるようです。 つまり、お互いが理解し合えない、もしくは理解し合おうとしないとき人間 関係はうまくいきません。 その背景には、単純ではないそれまでの小さな意見の食い違いや衝突、価値観 の違いなど、いろんな要因が絡まっているのです。 ただ、そのままでよければいいのですが、いつかは何らかの形で関係を修復す るときがくるでしょう。 大切なのは、「その修復の過程で人は成長していく」ということを知っておく と心は楽になります。 老子の教えに、「不争謙下」(ふそうけんか)という言葉があります。 「不争」とは、人と争わないこと。 「謙下」とは、謙虚な心になること。 “人とは争わず、謙虚な気持ちで接することが大切です”、という意味です。 老子が生きていた時代、つまり2500年前も、人間関係はとても難しい問題 であったのです。 人間社会では、人との関係で悩むのは永遠の課題かもしれません。 不争ということを考えれば、人と人、あるいは国と国が争ってはいけないこと は理解できそます。 ところが、謙下、つまり謙虚になろうではりませんか、と言われてもそう簡単 にはいかないものなのです。 謙虚とは、自分を無にする、虚にする、へりくだるという意味ですが、これは 各個人の心の感じ方の問題になり、明確性がやや欠けてしまいがちです。 あえて、寛容な気持ちになろう、と言われたほうが分かりやすくなります。 さらに、一歩進めるなら相手に「感謝の気持ちをもつ」ことともいえます。 つまり、自分の意見を感情的にならずに、相手に伝えることが大切です。 あくまでも、「私は、このように思います。しかしあなたへの感謝の気持ちは あります」という意味のことを誠実に話してみると、相手の硬い表情も少し 柔らかくなるかもしれません。 もし、人間関係に悩みがある場合、この「不争謙下」という言葉を思い起こし 考えてみましょう。 心が軽くなり、相手を不快な気持ちにさせることもないと思います。 (by ハートリンクス)
2022年05月31日
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【外柔内剛】 『外柔内剛』(がいじゅうないごう)とは、人の性格を表わした言葉です。 <見た目は柔和で人当たりもよく、腰が低く謙虚な感じがする。 しかし、内面は自分の考えをしっかり持っていて、意志が強い人。> このような人は、信頼できそうです。 人は見た目ですべてを理解できるわけではありませんが、印象がよいかそうで ないか、の判断は意外と重要視されがちです。 とくに、交渉事などではこのような外柔内剛タイプの方には適した役割のよう です。 話し合う場では、信頼できるという前提条件がないと、話し合い自体が成立し ません。 これは、一般の人間関係にもいえることです。 たしかに、この「外柔内剛」について、意志の強さは頑固さの表れであるとい う考えもありますが、人の性格に完璧さを求める必要はないでしょう。 大事なのは、その人の性格のよさが生かされることです。 もし、そこに何か問題があれば、別のところで補う工夫をすればいい、と考え たほうが賢明です。 では、この「外柔内剛」の性格を身につけるにはどうすればよいでしょう? ある国際会議が開かれていたときの話です。 一人の出席者が、自分の意見を述べていたのですが、その人の考えに賛成でき ないと考えた一人の参加者が、「声が小さくて聞こえない!」と大声で叫びま した。 実際は、マイクを通してはっきりと聞こえるぐらいの声だったのですが、反対 したいがためにクレームをつけたのです。 すると、別の参加者の一人がたち上ってネクタイを外しました。 横にいた人が心配して、「気分でも悪いのですか?」と尋ねました。 ネクタイを外した人が手を挙げて発言を求めたので、司会者は許可しました。 そして、次のように言いました。 「意見は違って当然です。しかし人の意見を聞く忍耐力がないと会議はできな いのです。声が小さくて聞こえないというのは、発言者への人格攻撃になり かねません。怒る前に他人の意見を聞く忍耐力を持ち笑顔で聞いてあげよう ではありませんか」 この人の発言で、会議のムードは一変したそうです。 ネクタイを外した人は、まずリラックスすることが大切だということを他の 人にアピールしたのです。 その上で、人の話はちゃんと聞く、自分と違う意見でも最後まで聞く。 笑顔で聞けば、耐えることも苦ではなくなることを知っていたのです。 この心がけがあれば、外柔内剛の性格に近づけるのではないでしょうか。 「外柔内剛」の人は、どちらかというとリーダーに求められる性格だと思い がちですが、誰もが持っておいたほうがよいのです。 イライラすることも少なくなり、かかえるストレスも軽くなります。 まず、人の意見は聞こうという気持ち、できれば笑顔で聞く姿勢を忘れない ようにしましょう。 この姿勢が、自分を落ち着かせるコツともいえるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月30日
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【寛容の心で運を高めよう】 人に対して寛容な気持ちをもつこと、これは一つの才能といえます。 人の傾向として、他人の短所やよくない点が気になるところがありますが、 中には、その人のよいところに目がいく人もいます。 よく考えてみると、他人の短所を見つけたくなるのは、自分に少しイライラし ているときです。 つまり、気持ちに余裕がない状態のとき他人の短所に敏感になります。 これは、他人に不満の心を持つことで、自分は相手をちゃんと見ているという ある種の優越意識を感じることができるからです。 他人の短所を見つけ、自分のイライラを静めて、自分の心のバランスをとると いう、このやり方は好ましいとはいえないと思います。 なぜかといいますと、人の短所を自分の心の中であるとはいえ、相手を傷つけ いることに違いはないからです。 それでは、自分自身の運がよくなることはないのです。 むしろ、「あの人は、たまに短気なところがあるけど、部下の面倒もよくみて とてもやさしいし、取引先からも評判がいい」という、見方をしてあげるほう がよいのです。 つまり、他人への寛容な心で、自分も明るい気持ちになることができます。 これは、人に対してだけではなく物事や、社会の出来事に対しても同じです。 何かネガティブなことがあると、すぐに批判し、不満を言う人がいます。 しかし、それが思考グセのようになってしまうと、自分の今の仕事や生活上の ことも、すべて批判・不満の流れにそって考えるようになるのです。 そのことを考えている時間は、少なくとも楽しい時間を過ごしているとはいえ ず、人生を楽しもうという気持ちはなれません。 人生とは、日頃どんなことを考えているか、です。 ネガティブな出来事もたくさんありますが、それよりももっとポジティブな ことを考えてみましょう。 今の社会は、ネガティブな情報が多すぎるようです。 人生を楽しんでいる人の多くは、寛容であることの重要性を熟知しています。 寛容な心には、明るさと能動的なエネルギーに満ちているため、それが幸運を もたらします。 「寛容な心を忘れないようにしよう」、と思うだけで気持ちが広がり、快適さ を味わうことができるのです。 (by ハートリンクス)
2022年05月29日
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【人には自分で気づかない宝がある】 人には生まれながらに持っている宝物があります。 その宝とは、人によってさまざまです。 絵を描く才能であったり、スポーツの才能であったり、病気を治す才能であ ったり、たくさんあります。 その上で、才能を発揮することを喜びとする人も多くいます。 また、会社の経営に才能がある人は地域の人々に、経済的な恩恵を与えること に喜びを感じているかもしれません。 この自分の才能という宝は、誰かに教えられる場合もありますが、育った境遇 の影響を受けたことがきっかけになって、一つの才能として表れます。 すべての人にこの宝物があることを説いたのがブッダです。 仏教に『法華経』という教えがあります。 その中に「衣裏繋珠」(えりけいじゅ)という話が描かれています。 衣服の裏側には珠(たま=宝物)が繋(つな)がれているのに人はそれに気 づかない、というお話です。 「むかし、貧乏な男が親友の家を訪ねました。喜んだ親友はごちそうを用意し お酒も出してくれました。 男はおなか一杯になりお酒に酔って眠ってしまいます。 ところが親友は、急な用事で出かけることになりました。 親友は、ぐっすり眠っている友を起こすのもかわいそうだ思い、貧乏な友 のために高価な宝石を彼の着ている服の裏に縫いつけて外出しました。 次の日の朝、男は目覚めましたが親友がいなかったので、そのまま立ち去る ことにしたのです。 男は、その後も貧乏な暮らしのままでした。 一年が過ぎ、男は偶然に親友とばったり出会います。 親友は、みすぼらしい服のままの男を見て驚き言いました。 <どうして、今もそんな貧乏暮らしをしているのだ。君が楽な暮らしができ ようにと、着物の裏に高価な宝石を縫いつけておいたのに・・・。 とにかく、これをお金に換えなさい。楽な暮らしができるから> この話で、親友が縫いつけた宝石とは、神様が平等に人々に与えてくれた宝の こと(能力や才能)を指しています。 そのことに、気づけば誰でも幸せになれますよ、という寓話です。 人は本来、恵まれているのにそれに気づいていないことがたくさんあります。 恵まれていないことには敏感に気づき、不平不満をつい言うことがあります。 ブッダは、そのような考えになりやすい人の心の特性を見抜いていました。 自分の中にある能力に、もっと目を向けるようにするだけで、生き方が能動的 になります。 自信過剰になってはいけませんが、自分自身をあきらめる必要もありません。 小さくても、自分の才能に気づき表現することが喜びになります。 人とは、そういう存在なのです。 (by ハートリンクス)
2022年05月28日
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【欲をもつのは悪くない】 人間には、自分の能力を活かしたいという願いがあります。 これは、人間特有のものでほかの生きものよりも、はるかに大きな脳のはたら きだといえます。 この自分を活かしたいという願いを、欲ともいいます。 よく、仕事や勉強にやる気がなさそうに見える人に、「もっと意欲を出せ」と 言うときの、意欲などは肉体的な欲望とは違った次元のものです。 つまり、欲と欲望というものの違いをある程度理解して使うことは大切です。 自分を活かしたいというときの、「欲」は精神的な意味をもつものとして人が 生きてく上では必要なものです。 「欲望」とは、肉体的に付随している生存のために必要なものです。 今の時代は、自分を活かす、あるいは能力を表現することをパフォーマンス という言い方をしていますが、このパフォーマンスを見て人は元気になること ができます。 このように欲というものにも、正しいものとそうでないものがあると知ってお くべきかもしれません。 正しい欲には、人に利益(幸せ)を与えて自分も利益(幸せ)を手にすること ができます。 「利益」の「利」という字には、お米を収穫するときの稲刈りを象徴するもの だといわれています。 稲刈りまでの間は、いろいろ手入れをしなければならないように、人も何かの 仕事で報酬を得るには、それなりの大変さが必要です。 この正しい欲を、パフォーマンスとして活躍しているのが、アメリカ大リーグ で活躍している大谷翔平選手です。 彼は、渡米する前にある本を読みこんでいました。 中村天風という昭和の思想家で、著書である『運命を拓く』(講談社)という 本を読んでいました。 この本には、能動的な心の姿勢を持つことの重要性が書かれていますが、とく に「欲をもて」ということの大切さが述べられています。 私も、以前からこの本を読み続けていますが、大変学ぶことがあります。 ここでいう、欲とは、自分の心を能動的に積極的な方向に向けるための力だ、 と書かれています。 つまり、人間としてのパフォーマンスを発揮するには、正しい欲をもつことが 大切なのです。 自分のことしか考えない「我欲」は正しい欲ではありません。 本当の欲とは、人を幸せにして、自分も幸せになれるものです。 正しい欲を通して、楽しい毎日を送りましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月27日
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【過去や未来は心からやって来る】 人は年齢を重ねながら、いろんな人生経験を積み、生きることの大変さと同時 に、自分の一生をかけがえのないものだ、と考えます。 最近、「自分史」を書くというのがブームの一つになっているそうです。 自分の生きた証、つまり自分の歴史を残すのは意味のあることだと思います。 そして、これまで大変なこともあったが生きてきてよかった、いろんな人たち に感謝したいという気持ちの表れともいえるでしょう。 他方、自分の過去は苦労の連続で少しもいいことはなかった、という思いを 抱く人も意外と多いかもしれません。 しかし、できるなら「大変ではあったけれどどうにかここまでこれた」という 気持ちがハッピーエンドにはふさわしい考えではないでしょうか。 よく、過去の出来事がなかなか忘れられない、という人がいます。 よい出来事が忘れられないのなら、とてもいいことなのですが、悪い出来事を たくさん覚えている方もおられます。 思い出すのは、脳のはたらきがあるからです。 よい思い出は心地よい脳内ホルモンを出しますが、悪い思い出はストレスホル モンを生みだすといわれています。 こうなると、ただでさえ衰える脳細胞はさらに老化がすすみます。 そもそも、人はなぜ過去を思い出そうとするのでしょうか。 それは、過去に起きたこと、つまり失敗したこと、人から嫌なことを言われた などが、これからの自分の将来に悪い影響を与えるのではないか、という不安 や恐怖があるからです。 そして、その不安や恐怖から逃れたいと思えば思うほど、その出来事をずっと 記憶し何かのたびに思い出しては、不安を感じるという悪循環に陥るのです。 不安、恐怖、心配事は自己暗示の一種です。 不幸を思えば不幸がやって来るのです。 しかし、幸せを思えば幸せがやってくる、これも事実で自己暗示です。 いやな過去が浮かんできたら、「あれはあれで仕方がないことだった、これか らよくなっていくにちがいない」と思う方向を変えれば、徐々に不安な気持ち はなくなるのです。 江戸時代のある禅僧の言葉に次のようなものがあります。 過去も未来もただ心から 心にとどむと思わずば 浮世もあらじ 峰の松風 松に吹く 浮世というのは「憂き世」、つまり世を憂うことです。 いろんなことをあれこれ思い出すから、心が苦しくなる。 過去も未来もあると思うから存在するのであって、そのようなことに こだわらなければ、憂うつになることはない。 山の峰から風が松に吹いてくる、じつに気持ちいい、という意味です。 過去を捨てることは簡単にはできません。 また過去にこだわりたくなるときもありますが、過去に振り回される必要は ないのです。 幸せになるには、過去や未来より、今をどう生きるか。 これが一番大事なことです。 (by ハートリンクス)
2022年05月26日
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【コンプレックスやハンディを味方にする】 何かやってみたいことがあっても、実現するために必要な最低条件が満たされ ないと、どうしてもあきらめの心がおきます。 「どう考えても、今の自分では無理だ、できない」という敗北感のような気分 になります。 しかし、無理だ、できないと考える一方、どうすればできるだろうか、と考え ることもできます。 コンプレックスやハンディをあきらめる理由の一番に持ってくることもできま すが、あきらめずにチャレンジしよう考えることもできるのです。 ハンディを克服した人物の一人に、野口英世がいます。 彼を知らない人はいないかもしれません。 子どものころの、囲炉裏に落ちて左手にやけどを負いながらも、周囲の人たち の支えがあり手術が成功して、のちに医師、細菌学者になりました。 彼は、手のハンディのために学校でも差別を受けたりました。 しかし、勉強では誰にも負けませんでした。 差別されてもハングリー精神を持っていたからです。 担任の小林栄先生は、彼が高等小学校に進学できるよう尽力してくれました。 あるとき、野口英世は自分の手のことを作文に書きます。 その作文が、生徒や先生たちの涙をさそい、それがしだいに大きな支援の力に 広がり、ついに手術の費用が集められることになったのです。 手術は成功し、彼は医者になろうと決めたのでした。 20歳の頃、医師の資格を取ります。 そして北里柴三郎の研究所に入りますが、さらにアメリカに行って細菌学を学 びたいと思うようになりました。 渡米し、アメリカの有名な細菌学博士の助手をきっかけに、ロックフェラーの 医学研究所に入るまでになったのです。 そこで、梅毒やトラホーム、黄熱病の研究を重ね、15年間アメリカで得た知識 を持って帰国したのです。 野口英世は、手のハンディをハングリー精神に転化しています。 その過程で、医師になる目標を実現するためには、何をすればいいか具体的に 計画し実行したのです。 さらには、仕事に情熱をいかに注ぐかを絶えず考えて工夫もしました。 ハンディがあっても、ハングリー精神を育て、目標を立て、情熱の火を燃やし 続けますが、それは彼にとって苦痛だったでしょうか。 彼には大変なことではありましたが、充実した、むしろ楽しいものであったに 違いありません。 ハンディや不遇を成長の糧にする人は、人生を楽しむことができる人であると いえるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月25日
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【知恩の心】 今は、地球の裏側でどんなことが起きているか、瞬時に知ることができます。 世界中の人々のいろんな発言を聞くことができ、映像も見ることができます。 このシステムの便利さのおかげで、人と人との距離が近くなりました。 ただ、親しくないのに近くなることで、いろんなトラブルが起きていること も事実です。 とくに低年齢の人が、ウソの情報にあやつられてしまうケースもあります。 また、必要以上のコミュニケーションを求められたり、求めてしまうことで 本来の人との関係を保つことに悩みが生じることもあります。 「メールしたけど返事が来ない」「ラインしたけど無視された」などから、 送り手と受け手がそれぞれ、想像しなくていいことを考えてしまうのです。 禅語に「莫妄想」(まくもうぞう)という言葉があります。 「妄想してはいけません」ということですが、人はなぜか妄想しやすいところ があり、その心を戒める意味で使われています。 妄想とは、ありもしないことをあれこれ考え続けることです。 また、仏教でいう妄想というのは、自分の心を縛りつける、執着する、曇らせ ることを指します。 言葉を変えれば、物事をネガティブに考え過ぎる、ということです。 嫉妬する、自分を責めるなどの感情なども妄想です。 この妄想する心のせいで、せっかくそれまでよかった人間関係がこじれてしま うことがよくあります。 つまり、「自分」という人間と、「相手」という人との間にある、妄想が不快な 心の状態にしてしまうのです。 もし、その相手と元のように仲のいい関係に戻したいと悩んでいる人に、一つ の方法があります。 それは、相手のいいところを見ることです。 つまり相手が自分にしてくれた嬉しかったとことを、もう一度見直してみる のです。相手への視点を変えるということです。 実際は、自分がイヤなことをされたことで頭がいっぱいかもしれませんが、 それはいったん、棚上げしておきます。 とりあえず、メモに相手の長所を最低10個ぐらい書いてみましょう。 じっくりと、相手への視点を変えていくと、相手から受けた自分への気づかい のありがたさや、恵まれていたことに気づいたりします。 これを仏教では、「知恩」といいます。 相手の自分に対する気持ちに感謝することが知恩の心です。 まず、自分が相手に「知恩の心」が湧いてきたら、少しずつ相手に接するとき の態度を変えていくようにしましょう。 相手への妄想は相手への視点を、よい視点に変えることで改善されます。 また、自分自身への妄想も同じことです。 自分の欠点ばかり見ないで、自分のいいところを見直していくと、気持ちの奥 に変化が生まれてきます。 (by ハートリンクス)
2022年05月24日
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【自分を安売りしない】 たまに元気がなくなると、自分自身の存在が安っぽく感じられることがあり ます。 元気がないというのは、心が弱っている状態で何かに傷ついたり、ミスをした り、信じていた人から思わぬ言葉をなげられたとき、いろいろです。 いつも前向きな姿勢だと言われる人でも、このような落ち込んだ経験をしたこ とがあると思います。 しかし、このタイプの人は元の元気を取り戻すときは、さほど時間はかけずに 本来の明るい性格になれるものです。 反対に、一度落ち込むとなかなか立ち直れず、時間をかけないと元気になれない 人もいます。 この両者の違いが生まれるのは、日頃から自分という人間を尊重し誇りに思って いるか、そうでないかによって変わってきます。 自尊心という言葉があります。 この、自分を尊重する心とは、具体的には、「自分の存在を肯定する心」のこと です。 たとえば、「私には、短所もあるけど、それ以上にいいところもたくさんある」 という意識を持っていることです。 人には、本質としてやさしく、素直で、助け合える性格、性分があります。 しかし、この本質・本体の表面は感情というもので包まれています。 その感情には、喜怒哀楽というものも含まれますが、とくに怒りや、嫉妬心、 などのマイナスのエネルギーを発するものがあります。 本来は、やさしく美しく強いものですが、ときに「自分さえよければ」という 自我意識、またはエゴイズムに陥ることもあるのです。 この二つの心をもつのが、人間です。 そして、あくまでも本質・本体が自分のあるべき姿の「主」で、その表面で あるうわべの自分は「従」の姿です。 つまり、「主」という本当の自分と、「従」である感情に流されがちな自分との の区別をすることが大切です。 このことが理解できれば、落ち込んだり、何かエゴな自分になっていると感じ たときは、そこで立ち止まることもできます。 そして、本当の自分に、「主」の自分にかえろうという意識をもつことを習慣 にするのです。 すると、バランスのとれた自尊心をいつも持てるようになり、何かの原因で 心が揺らいでも、自分を安売りして自暴自棄になることもないのです。 (by ハートリンクス)
2022年05月23日
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【運命は決まっていない】 自分の運命についての考え方は、人によってそれぞれです。 人間の幸・不幸というのは、すでに神様が決められているから、運命は自分の 力ではどうしようもない、あるいは、それに近い考えをする人もいます。 だとすると、幸せになる運命を持つ人にとってはいいことですが、そうでない 人たちは、自分が幸せになれることをあきらめなければなりません。 これはとても不条理なことです。 仏教に「因果応報」という言葉があります。 ブッダは、因果応報について、人生で起きることのすべての結果には、必ず 原因がある、と説きました。 「原因があるから結果がある」、ということは「原因によって結果が変わる」 つまり、「よい原因をつくれば結果もよくなる」ということになるのです。 昔、インドの小さな村に貧しい絵描きの男がいました。 しかし絵が売れないため収入はなく、妻と子どもを残して絵の師匠のところ に出稼ぎに行くことにしました。 それから3年が過ぎ、絵描きの男はお金を貯めて家に帰ることにしました。 ところが、途中の街で5年に一度開かれる、修行を積んだお坊さんたちの供養 が盛大に行われていたのです。 絵描きの男は、このまま家に帰り貯金を使い果たせば、また出稼ぎしなければ ならない。 いつまでたっても貧しいのは、今まで自分がよい行いをしてこなかったからだ と思い、供養の世話役のお坊さんに尋ねました。 「この供養を一日だけ催すには、どれくらいのお金がかかりますか?」 すると、30ルピーかかります、という答えでした。 男が持っているお金も30ルピーです。 男はお坊さんに言いました。 「私に、この供養の施主の務めをさせてください、功徳を積ませてください」 と願い出たのです。供養は盛大に行われました。 男は、善い行い(善行)を積んだことに満足して、家に戻りました。 帰りを待っていた妻にそのことを話すと妻は驚きました。 妻は、気持ちが収まらず村長さんに夫を裁いてくださいと訴えたのでした。 村長は、どうして3年も待つ妻子の気持ちがわからないのか、と聞きました。 男は言いました。 「私は、今まで人々が幸せになるような善行を積んだことがありません。 しかし、帰る途中でお坊さんたちの供養の集会を見て、心が洗われ有難い 気持ちになれました。 お金は使いましたが、とてもよいことをしたと思っています」 すると、村長は、「なんと、そうだったのか! それはよいことをした!」と 心を打たれました。 その様子を見ていた人々も感激し、村中にこの話が広まりました。 すると、評判を聞いた村の人たちから、絵を描く仕事が次から次に来るように なり、絵描きの男も妻子も貧しい生活が裕福な生活に変わっていきました。 このように、よい行いをすれば、幸せな人生、幸運と思える人生に変えること ができます。 シンプルに「運命は変えることができる」と考えてみましょう。 まず、善い行いを心がけていきましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月22日
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【思い込みしがちなのが人の特性です】 仕事をしているとき、ちょっとした思い込み違いで相手に迷惑をかけたりする ことがあります。 また、思い込みで思わぬ喜びに出くわすこともあります。 つまり、事実とは違う認識をしてしまうこと、これが思い込みです。 この思い込みは、注意力が散漫になっていたり、集中力がなくなっているとき に起きやすいのです。 中国の思想家に荀子という人がいます。 儒教の祖である孔子の教えを受け継いだ中の一人です。 この人が思い込みは、ときに偏見になることがあるから用心しなさいという ことを述べています。 次のような荀子の言葉があります。 『人の患(うれい)は、一曲におおわれて大理に暗きにあり』 患(うれい)とは、欠点、短所です。 「多くの人の欠点といえるのが、物事の一面しか見ずそれにとらわれるために 大局的な判断ができない」という意味です。 古いことわざで「群盲(ぐんもう)像をなでる」という言葉があります。 これは、動物のゾウを知らない目の見えない何人かが、ゾウの近くに行って ゾウの体にさわりました。 ある人は、鼻に触れたので長いものだといいます。しかし別の人はゾウのお腹 に触れたので、壁のようなものだといいました。 すると、耳をさわったひとは、大きいうちわのようだというのです。 つまり、人間の感覚がそのまま本当のものだと思い込んでしまうことを、この ことわざは教えています。 人と人との関係でよくあるのが、相手に対する性格の評価判断です。 たとえば、職場内での移動があったとき、顔は知っているけどはじめて言葉を 交わしたとします。 そのやりとりで、相手のことを優しそうだ、気難しい感じだがする、と決めつ けてしまうことがあります。 その先入観念が、思い込みになるケースは意外と多いのです。 そもそも先入観念をなぜもつのかといいますと、相手はこんな人なんだ、と 断定することで安心できるからです。 さらに、断定したその認識を変えたくないという一面もあるのです。 それは自分の判断に対する評価意識の表れです。 一般的には、自分の判断は間違っていなかった、と思いたいものなのです。 しかし、中には、自分が思っていたのと違う人だな、判断は違っていたけど 次のときに生かそう、と考える人もいます。 このように、自分の間違っていた判断を、素直に認める人は考え方感じ方が 柔軟ですが、自分は正しいと思い込むタイプの人は、自分の間違いをすぐに 修正するのが苦手です。 荀子は、人にはこのように思い込んでしまうことがよくあるので、気をつけて おきなさいと、教えています。 思い込み現象が起きるのは、せっかちなときです。 なるべく、ゆったりとした気持ちで過ごしましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月21日
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【ピンチの中に幸いの種がある】 生まれ育った境遇が、人の一生に影響を及ぼすことはよくあります。 たとえば貧しい家に育ったために、貧乏暮らしに慣れてしまい、人生とはこの ようなものだと考えて一生を終わる人もいます。 同じく貧しい家に生まれても、そのままでは終わりたくないと考え、努力して 富と幸せを手にした人もいます。 つまり、自分が生まれて育った境遇をどのように考えるかで、あきらめるか、 あきらめないかの選択は、その人しだいなのです。 アメリカのデパート王と呼ばれた、ジョン・ワナメーカーは後者の人物です。 貧しいレンガ工の長男で10歳から父親の仕事を手伝い、18歳になると街の 紳士服店に勤めるようになります。 努力がみのり3年で独立し、無理をしたせいで倒れましたが健康を取り戻し、 衣料品店をオープンしました。 ところが、開店して3日後、南北戦争が起き世の中は大混乱に陥りました。 仕入れた商品は売れるはずがありません。仕入れ先に事情を話して倒産を防ぐ ことはできましたが、ワナメーカーにとっては大ピンチです。 ところが、戦争が続くと兵隊の制服の注文が増えだしてきたのです。 この特需で店の収益も上がり、10年後にはビルで事業を行えるまでに成長で きました。 そして、百貨店「ジョン・ワナメーカー」を開店することができたのです。 しかし、さらにピンチがやってきます。 世界大恐慌が始まり、百貨店は在庫の山となってしいました。 そこで彼は、アメリカ各地を行商することに決めたのです。 その行商で、どうにか店を守ることができました。 それから数年後、今度はアメリカ建国100年の万国博覧会が地元で開催され ることになり、百貨店はさらに規模を大きくできたのです。 ピンチになると、多くは心がくじけそうになります。 ワナメーカーに限らず、ピンチを抜け出した人たちに、共通した特徴があり ます。 一つ目は、ピンチから逃げないこと。 二つ目は、ピンチを乗りこえたら、さらに次の目標を立て行動に移すこと。 三つ目は、自分を信じる心的態度が強いこと。 不思議なことに、この三つの特徴は多くの起業家に共通しています。 また、なぜ、自分を信じる心的態度が強いのでしょうか。 それは、物事に真剣に取り組み続けた、ということに尽きると思います。 ジョセフ・マーフィーの名言に『あなたの信念が、あなたの人生を創造する』 という言葉があります。 信念とは、心的態度のことです。 心的態度というのは、目には見えず自分だけにしか分からないものです。 ただ、くじけそうになってもまた立ち上がり、その時々に得た教訓を無駄には しないという自覚があれば、前向きな心の態度はつくられていくはずです。 (by ハートリンクス)
2022年05月20日
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【人との比較もほどほどに】 人の社会は競争の原理で発展してきました。 そのおかげで、住みやすい生活環境の恩恵を受けています。 世界中のほとんどの人は、小さいこどものとき誰かと比較されて育った経験 があると思います。 食事で好き嫌いがあるとき、「となりのAくんは、何でも食べるそうよ」と 母親から言われて、仕方なく口に入れた記憶のある方がいるかもしれません。 母親がつい、となりの子どもと比較するのは、自分の子どもが立派になってほ しいからで、それは愛情があるからです。 ところが子どもは、自分よりもえらい人である親や先生から、自分が誰かと 比較されると、自我意識が芽生えていくにつれ、結果として競争社会への準備 をしていることになるのです。 本当の教育に必要なのは比較することではなく、その人の人格をつくりあげて いくことです。 そのためには、比較しない教育の仕方が必要です。 自分よりも何かで劣っている人と比較される場合も、自分より優れている人と 比較されるときも、どちらも心から嬉しいとは思えません。 とくに、自分より何かで優れた人と比較されると、自分をみじめに感じてしま いやすくなります。 大人になり、比較することが当たり前という意識のままだと、容姿や体つき、 収入の違い、衣服などのその人自身にかかわることのほとんどを比較の対象に するようになるでしょう。 もちろん、現実には比較され劣等感を感じたことが、発奮するきっかけになり 成功者となった人たちがいることも事実です。 しかし、すべての人がそうであるとは限らず、劣等感で成功したあと今度は 自分より劣る人たちと自分を比較し、優越感を感じるようになるでしょう。 それでは、結局、比較の世界で生きているにすぎません。 誰もが長所があり欠点がある、そのことを理解して、お互いを認め合うような 人間社会にしていくことが大切です。 これを心の習慣に変えていくことが大切です。 人の欠点と長所は裏表です。 自分と人を比較する習慣を、全人格を認める習慣に変えていきましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月19日
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【アイデアは努力の過程で生まれる】 自分が取り組んでいる仕事が、順風満帆で終わるときがあれば、悪条件の 連続で終わるときもあります。 しかし、よく考えてみると仕事も人生もすべて初めから順風満帆で進むこと はほとんどないかもしれません。 困難な出来事や、悪条件の中でいくつかの試行錯誤を繰り返しながら、目標を 実現して成功を持続させるのです。 これを、証明した人物に鉄鋼王のアンドリュー・カーネギーがいます。 彼は、イギリスのスコットランド生まれで父親は手織り業を営んでいました。 産業革命の余波で、商売はうまくいかず一家はアメリカに渡りました。 カーネギーが12歳のときです。 父親が働く同じ紡績工場で彼も働きました。一日12時間働いたそうです。 一生懸命仕事をするカーネギーを見てある業者から転職しないかと声をかけら れ、少しでも稼ぎたい彼はその仕事につきます。 新しい職場は、地下室で蒸気機関の調整をする仕事で2時間おきに圧力を点検 するもので安眠できないほどの重労働です。 15歳になると、さらに収入の多い電信局で働き通信技術を学びました。 技術者となった彼の仕事ぶりが認められ、こんどは鉄道会社からスカウトされ たのです。 そして、仕事をするうちに「これからは鉄道の時代が来る」と実感しました。 そこでカーネギーは「レールつくる会社を興そう」と考えたのです。 それから、鉄鋼に関する資料を集めて勉強し、製鉄所をつくりました。 そして、カーネギーは世界一の製鉄所を経営することになったのです。 カーネギーは、転職するたびに仕事の厳しさも増していきましたが、単に収入 を増やすことだけを目的とはしませんでした。 一つの仕事から次の仕事に移るときは、その目標をより大きなものに設定して います。 技術は革新され、社会は発展していき、経済の仕組みも変わる、などの勉強を 怠りませんでした。 つまり、チャレンジのくり返しを通して、自分自身を人間的に成長させようと していたのです。 自分を高め、自分の会社の社員の人生も豊かにする、これが彼の人生の目的で あったといえるでしょう。 晩年は『カーネギー財団』を設立しています。 ニューヨークにはカーネギーホールを建て、世界に貢献する社会事業にも 功績をのこしました。 自分のための努力が大切なように、自分以外のために行う努力もまた大切な ことです。 (by ハートリンクス)
2022年05月18日
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【苦境のときも順境のときも成長している】 やるべき仕事に一生懸命取り組んだのに成果が出なかった、また毎日コツコツ 勉強したのに、志望校には不合格だったということがあります。 努力が報われなかったときほど、落胆の気持ちは大きいものです。 こんなとき多くの人は、暗い心になり元気をなくして、さらに将来への不安を 強く感じるものです。 そして、何をしても楽しいと思えず、好きな料理を食べてもおいしいと感じる こともありません。 それでも、長い目で見ればこのような経験が人を鍛えている、ということも 事実です。 また、自分が想像していた以上の成果が出て、やることなすことすべてがよい 結果になったというときもあるでしょう。 そんなときは、つい自分の力を過信して謙虚さを忘れることがあります。 そして、その慢心の心がいつかは刃(やいば)となり、よくない出来事が起き るものです。 菜根譚の中に次のような言葉があります。 『人は逆境のときは、自分に起きることがすべて良薬になっていて、自分が 磨かれているのに、その意味を理解できない。 しかし、順境のときは天が味方していると思いがちだが、じつは骨抜きに されていることに気づいていない』 これは、苦境のときは自分が鍛えられているときであり、順境のときは謙虚 でおごらない姿勢を持っておこう、ということです。 さらに、これをすすめると「苦境でも順境でも同じ心境で生きていく」ことを 目ざす人になろうということにもなります。 人間には苦しい、楽しいという感情の域を超えることができる力が宿っている ことも事実です。 エジソンに次のようなエピソードがあります。 エジソンが発明や研究に行き詰ると、海辺で釣りをする習慣がありました。 しかし、その釣り糸にエサはつけません。 潮風と波の音を聞いていると、自然に未知の世界からアイデアが浮かんできた そうです。 エジソンはこう述べています。 『人間や自然界のすべての現象は、私たちの思いもよらないはるかに大きな 未知の知性があるという気がしてなりません。 私自身、これらの大きな力によって多くの発明を実現できました』 つまり、人には自覚していない、自然界や宇宙の世界の知性が宿っていること をエジソンは身をもって体験していたのです。 このような気持ちがあったから、失敗は成功への通過点という人生観を持つよ うになったのだと思います。 苦境も順境も両方ともに大切なもの、自分の成長には欠かせないものだという 考えで生きていくのも、上手な生き方といえそうです。 (by ハートリンクス)
2022年05月17日
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【幸せを求め過ぎると不幸になる】 人にとって、目標や夢を持つのは大切なことです。 また、生きていくために必要な欲が満たされてはじめて、人間らしい生活を 送ることができます。 ところが、その欲にもいろんなものがあり、いわゆる、欲望というもののため にだけ生きようとする人もいます。 お金への欲望や権力と権威への欲望、それが自分の幸せだと思う人もいます。 そんな生き方が正しいかどうかは別にして、欲望のためには手段は選ばない とすれば、心が休まることはないでしょう。 『呻吟語』(しんぎんご)という書物がありますが、中国の古典の一つでおよそ 400年前に呂新吾(りょしんご)という人が書いた本です。 その呻吟語の中に、次のような文章があります。 『人にとって、不幸のないことが何より大きな幸せである。 幸せを手に入れようと、あくせく求め過ぎるのは、大きな不幸である』 不幸のないこととは、贅沢をしなければ少々健康に問題があっても、お金も ぎりぎりの生活でも、生きていける状態のことです。 ところが、今の時代は必要以上の欲望をもちたくなるような、刺激のある情報 が氾濫しているため、制御しなければならないと感じたりします。 必要以上の欲望を満たすことが幸せ、という価値観では本当の心の満足を手に することはできません。 「幸せを手にしたら人に分けること」、これが幸せの本来のあり方です。 「幸福三説」を主張した、明治時代の文豪の幸田露伴という作家がいます。 「分福」「「惜福」「植福」の三つです。 「分福」とは、人に分け与えることが自分の幸せになる、というものです。 「惜福」とは、自分の福を使ってしまわずに天に預けておくことです。 「植福」とは、今のうちから幸せの種をまいて育てることです。 この幸福三説をそのまま実践したといわれるのが、本多静六という人物です。 東京大学の教授で、渋沢栄一とも交流がありました。 貧しい農家出身で、父を亡くしたため養子になり努力して教授の職を得ます。 日比谷公園の設計を手掛けました。教授の仕事かたわら、書物を出したりしな がら、貯蓄します。 贅沢はしなかったそうで、決まった食費で生活し急な出費で不足しても、夕食 のおかずが足りないときは、ごはんにごま塩をかけて済ますこともあったそう です。 それでも家族に笑いは絶えなかったそうで、晩年には不動産をいくつも持つ ほどの蓄財をしました。 さらに、その財産もすべて寄付をしたという逸話があります。 幸福の定義は人それぞれですが、幸せの本当の意味を理解できなければ、幸せ になるために努力しても、不幸になってしまうこともあります。 ときよって自分の欲を考えることも必要ですがそれ以上に、自分以外の人に与 える幸せのことも考えてみましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月16日
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【謙虚な心には力強さがある】 「あの人は謙虚な人だ」と周囲から、評価される人がいます。 このときの謙虚さとは、ひかえめだけど少し積極性に欠けているという感じを 受けるのではないでしょうか。 たしかにその一面はあるかもしれません。 しかし、本当の謙虚さには、強さが包み込まれているものです。 『謙虚』の「謙」という文字には、ひかえめ・つつましい・へりくだる、など の意味があります。 これは、「我」を出さずに相手を受け入れ認める、というものです。 つまり本当は、心が強くなければできないことなのです。 また「虚」とは、邪心がなく素直、心がきれい清らかという意味です。 さらに深く考えると、この謙虚というのは、人間としての美徳を表わしていて 周りの人を惹きつける磁石のようなものともいえるでしょう。 この謙虚さを武器にして、世の中を変えた人物の一人がガンジーです。 マハトマ・ガンジーは小柄な体型でした。 イギリスの植民地だったインドに生まれますが、家は裕福でロンドンの大学に 留学し弁護士になるほどの優秀な青年だったのです。 しかし、イギリスでは同じインドの多くの仲間たちがイギリス人から差別的な 扱いを受けていて、それはガンジーも同じ境遇でした。 インドに戻ったガンジーは、インドに自治権を与えるという約束をしながら、 実行しないイギリスに武力を使わない方法で、政策を変えさせる運動を起こし たのです。 その一つが、税金を払わずに刑務所に入ることで抗議する運動でした。 またイギリスは、塩にも税金を課しますが、ガンジーは仲間の人々と海に行き 自分たちで塩をつくるようになりました。 ガンジーは自分を誇示せず、周囲の人々には謙虚な態度で接し続けました。 その姿勢が、いつのまにか多くの人の賛同を得て、人々を惹きつけたのです。 このうねりは大きくなり、インドは本当の独立を実現しました。 さらにガンジーは、インドでも最下層と呼ばれ差別を受けていた身分の子ども を養子に迎えて、子どもたちが同じ人間として暮らせる社会をめざしました。 謙虚とは、自分の我欲に振り回されず、他人を受け入れるような強く大きな心 のことをいい、現代に生きる私たちもガンジーから学ぶべきことがあります。 何かと生きづらい世相ですが、謙虚さだけは忘れずに生き抜きましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月15日
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【休息とは自分を見つめ直す時間】 今の時代は昔に比べると、とても便利な生活を楽しめます。 50年前になかった携帯電話も、今ではスマホというパソコンと電話が一つに なった機器をほとんどの人が使っています。 そして、スマホをつくる企業と企業とが競い合い、企業を支える人間も技術力 の競争をしてきました。 ただ、知能や技術を生みだす人にも、心や精神の力が必要です。 そのためにも、休息はとても重要なのです。 人生には、心と体のエネルギー、それに休息が必要です。 この人生について考えさせられる言葉があります。 徳川家康の遺訓にある、『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』 というものです。 これは論語にある次の言葉がもとになっているそうです。 『士はもって弘毅ならざるべからず。 任重くして、道遠し。 仁もって、己が任となす。また重からずや 死してのちにやむ。また遠からずや』 士とは「立派な人」という意味です。 立派な人間であるには弘毅(寛大でありながら毅然とした精神)な心が必要で 背負うものは、重くて果てしない。 仁とはすぐれた心ということで、その心で自分の役目を果たすべきだ。 その仕事は死ぬまで終わらないとても遠い道である、という意味です。 この遺訓を読むと、生きることに悲壮感を感じるかもしれません。 ただ、本当はそのような解釈ではなく、たしかに山あり谷ありの人生ですが、 人生は全力で生き抜く気持ちが必要ですよ、そのためには心の力を養うことを 忘れてはいけません、ととらえることもできます。 そして、無理をして頑張っても続かない、その時々に応じて休むことが大切な ことだ、という意味が含まれていると思います。 当時は今と違って、儒教の教えは身近なものとする時代でした。 武家社会自体が、儒教の考えを参考にしてつくられた組織です。 家康は人生を生き抜くにはがむしゃらに進むだけでなく、休むことの深い意味 を感じ取っていたのです。 「休む」ことは「楽しむ」ことでもあると考えてみましょう。 休んで楽しいと思う心が、自分を見つめる心でもあるのです。 (by ハートリンクス)
2022年05月14日
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【願いを実現するために必要なもの】 19世紀ごろ、アメリカで人間が幸福になれる道はないのだろうか、という 考えのもとに、科学的に探究する動きが起きました。 これが一つの思想哲学として「ニューソート」と呼ばれるようになりました。 代表的なものでは、今でもジョセフ・マーフィーの書籍は多くの人に読まれて います。 ほかにもカーネギーやナポレオンヒル、エマソン、ウイリアム・ジェームズ、 その他多くの人のベストセラーがあります。 このニューソートは究極的には、「心」の哲学思想です。 心の持ち方、使い方から始まり感情にいたるまで広範囲にわたります。 人は幸せになりたいという、願望があります。 その内容は、健康・仕事・お金・愛情などいろいろです。 それらの幸せに共通して必要なもの、つまり自分の願いを実現するために必要 なのが、「想念」「信念」「情熱」だといわれています。 「想念」とは、イメージすることです。 「信念」とは、必ず叶うという思いの強さです。 「情熱」とは、あきらめないという思いの熱さです。 ニューソート思想はアメリカで生まれていますから、その背景にはキリスト教 の影響もありますが、日本でも仏教の中にニューソートと同じ考えが存在して います。 たとえば、曹洞宗の道元禅師の著書、『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)の 中に、次のような文章があります。 「古人、必ずしも金骨にあらず。ただ、志(こころざし)の到りなれば、 他事を忘れて行ずるなり」 意味はこうです。 <昔の偉い人、成功した人は体格がいいとか頭がいいとかの理由で成功した のではありません。 他のことを忘れ、自分の願いを実現させるために、強い意志を集中させた からです> この強い意志、とは情熱を意味しています。 仏教、とくに禅の教えに人気があるのは、このように人の心についてわかりや すく説いているからです。 一つ例をあげれば、アメリカのルーズベルト大統領は政治家になってから、 小児麻痺にかかりました。 しかし彼は、心の持ち方使い方を学び実践した結果、厳しいリハビリを続け て政治家に復帰しています。 これはほんの一例ですが、このような体験談は、カーネギーやナポレオンヒル の本にたくさん記されています。 自分を含めて、みんなを幸せにしたいという願いを叶えるには、人の心には力 があることを自覚し、活用することが必要です。 (by ハートリンクス)
2022年05月13日
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【困難をチャンスだと思う心が人を強くする】 人間は自然界のルールから多くのことを学んできました。 自然界には厳しさがありますが、その厳しさに耐えて生き残りそれが人々の 生活に生かされています。 自動車のない昔は、馬車や荷車がモノを運ぶには重要なものでした。 そこで、私たちの先祖は山や森に茂る木を利用することを思いつきました。 荷馬車をつくるには、森で育った木が材料になります。 しかし、木にも特性があります。 大事に手入れされた木もあれば、そうではない木もあります。 荷馬車に適した木は、強くなければすぐに折れてしまうため、当時の人々は ある工夫をしたそうです。 作物を作るには、荒れた土地を開墾しなければなりません。 そこで、畑にするときには何本ものナラの木をわざと畑に放置します。 残されたナラの木は手入れされないまま、雨風や太陽の光にさらされるまま です。するとこのナラの木はたくましくなり、荷馬車の材料になるのです。 とくに、車輪の部分には放置され鍛えられたこのナラの木を使いました。 人の人生にも、自分では望んでいなくても逆境や苦労の絶えない時期に直面 することがあります。 たとえば、ディズニーランドの生みの親、ウォルト・ディズニー。 世の中に認められるまでの間、7回破産しながらしかも神経衰弱で倒れると いうつらい経験をしています。 そして、たくさんの人たちに夢をもつことの素晴らしさを教えています。 ケンタッキー・フライド・チキンのカーネルサンダーズ。 60歳からワゴン車で秘伝の調理法を教え、フランチャイズに加入してもらう 営業をはじめたものの、300回以上も断られました。 また自分の子どもを亡くすというつらい出来事もありましたが、自分の夢を手 にしています。 困難をチャンスにしてきた人たちには、共通していることがあります。 それは、「人生に大きな目標をもつ」、ということです。 目標をもつと、何のために生きているかという重要なことの答えがわかり、 一日一日を大事にして生きようというエネルギーが生まれます。 困難や苦境が目の前にあらわれても、目標があればそれを一つのチャンスと とらえることができるにちがいありません。 (by ハートリンクス)
2022年05月12日
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【人のための行為が自分の幸せになる】 仏教では、『利他の行』がいかに大切であるかが説かれています。 この利他の精神というのは、他人の幸せを願う心をもって生きていけば、必ず 自分自身が幸せになる、というものです。 よく、他人を幸せにする前に自分がちゃんと幸せにならなければいけない、と いう意見を聞くことがあります。 もちろん、それも間違いではありません。 利他の精神を説いたブッダは、そのような「自分がまず幸せにならなければ」 という考えを否定はしていません。 しかし、人間の心は弱い一面があることをブッダは知っていて、もし自分が先 に幸せになると、自分のためにだけ幸せになろうという誘惑の心が生まれやす くなることに警鐘を鳴らしています。 そこから、「まず人のために」という人が先で自分はあとで、ということを行 として取り組みなさいと説いたのです。 この利他の行について、ブッダはこう説きます 「自分のためだけという考えを捨て、人を助けたり応援するようにしなさい。 そのあなたの姿が、見る人たちに喜びや幸せを与えるのです」 つまり、自分のことより人のことを先に、という利他の行・愛他的行動が人の 心を動かすということです。 それが、だんだんと広がっていくことで仏の世界になるということです。 最近、いろんなところで『子ども食堂』という、安価で食事を提供する場所が 増えつつあります。 100円位のお金で、おなかいっぱいになるほどの食事を作ってくれます。 また、ある団体ではホームレスの人たちに無償でお弁当を作って届けるという 慈善活動に取り組んでいます。 さらに、そのような慈善活動する人たちに、匿名で寄付をする人たちも存在し ます。 そのような施しを受ける人が喜ぶ顔をみれば、寄付をした人も嬉しくなり、 幸せな気持ちになることができます。 この自分だけが幸せになればいい、という欲がない人たちは、人間的な魅力に あふれた人たちですから、同じような考えを持った人が集まり結果的に、仕事 や人間関係が広がり幸せになっていくのです。 これが、人のための行いが自分の幸せになって、還ってくるという法則です。 もちろん、その過程において協力してくれた人々も、利他の行の一端をになう ことになり、よい循環に組み込まれていくのです。 利他の心をもって生活すると、すぐにではないにしろいつか必ず、自分自身や 自分の周囲も喜びを味わえるようになるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月11日
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【見返りの法則】 人生はふしぎなもので、挫折や失敗がのちのち成功や幸福に導いてくれる貴重 なものになることがあります。 ある若者の親類の一人に大金持ちがいたそうです。 そのお金持ちが、突然亡くなりました。 亡くなった人には、家族がおらず唯一若者の父親がその人の弟でした。 若者の父親もすでに亡くなっていたので、近しい親類は若者一人でした。 若者は、財産は自分にくるかもしれないと期待していたのです。 しかし、遺言書には若者の名前はありませんでした。 若者はショックを受けしばらくは、食事をとることもできませんでした。 しかし、それから数十年がたち大金持ちになった、という話があります。 若者は財産がもらえると思った自分を恥じ、人をあてにするようなことでは いけないと心を入れかえ、事業を起こし努力したのです。 これは、挫折したことが自分の発奮材料になるという一つの事例です。 同時に、挫折の経験が見返りとして、成功者になるきっかけになったといえる でしょう。 これは見返りの法則ということができます。 通常、見返りというのは、こちらが何か相手に利益になることをしたとき、 その代償として受け取るもの、と考えます。 しかし、自分にとって利益にならない、かえって不都合なことさえも、自分を 高めてくれる見返りになることもあるのです。 つまり、人生においてどんな状況になっても、その事実をどういう意味に受け とるかで、それからの展開が大きく変わるということです。 挫折や失敗、思わぬ不幸な出来事、これらはよくないものだと思えばそのよう になりますが、恵みにすることもできます。 また、挫折を飛躍にする人にはいくつかのパターンがあります。 一つは、先ほどの若者のように、一度は落ち込んでしまいましたが、そこから 再起するというもの。 もう一つは、挫折するたびに強くなって成功するというパターンです。 アメリカのリンカーン大統領は、このパターンの人物だといえます。 リンカーンは、いろんな仕事をしてきました。 商店経営、測量技師、法律家などを職業にしたのですが、これらすべてに失敗 しています。 しかし、失敗するたびに次のステップに挑戦して、最後は南北戦争という大き な問題に直面しても解決できる力を身につけることができたのです。 見返りの法則を、自分の生き方に照らし合わせて応用することは誰にでも可能 です。 人は、まずどんな状況でも、生きていくことが何より大切です。 自分では気づかなかった能力を知れば、生きることも楽しくなるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月10日
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【習慣を味方にしよう】 医師の日野原重明先生が、「生活習慣病」というものを提起されたのは有名な 話です。 病気になる要因には、その人の生活習慣が大きいことに気づかれたことから この言葉が今では、誰にもなじみのある言葉になっています。 習慣というものが、どれだけ大切なものとは理解していながら、自分のことに なると意外に無頓着です。 習慣がつくられるのは、二種類の過程があるといわれています。 一つは、たまたま自分がいる生活環境のせいで身についたものです。 たとえば、小さい頃から両親が共働きで、不規則な食事をすることが多かった ために、甘いお菓子を食べることが習慣になった、という例は多くあります。 このように、与えられた境遇で生活してきたことが、いつのまにか習慣になる というものです。 もう一つは、自分の意思で何かを習慣にしようと決めるという、意識的に身に つける習慣です。 たとえば、小さい頃から野球が好きな少年がうまくなりたいと思い、毎日寝る 前にバットでの素振りを100回実行する、このようなものです。 これは『野球がうまくなりたい』という目標のために、自分から意識的に身に つけようとしています。 つまり、誰もがもっている習慣がつくられた背景によって、人生が思った以上 によいほうにいくか、よくないほうにいくかが決まる、と考えることができる のです。 では、よくない習慣をどんな方法でなくしていけばよいのでしょうか? まず、人を含め生きものは習慣化されやすいものである、ことを知っておくと よいと思います。 人以外の生きものは、習慣というものは生きていくための本能に近いものだと いえます。 ただ、人には知性があり、習慣を変えることができる能力があります。 習慣を変えるには、違う習慣を身につけることで可能になります。 つまり、悪い習慣はよい習慣で変えていけます。 それは、意識的に目的のある習慣によって変えていくことです。 たとえば、お酒の好きな人がいるとします。 健康のためには休肝日をもつべき、というのは今では当たり前のことです。 しかし、それを簡単に実行できない人は意外に多いのです。 この場合、方法はいくつかありますが週に一度はノンアルコールだけで済ませ る、などの目標をたてるなど工夫をします。 できることから、実行していくのがコツです。 ヒンズー教の教えに、「習慣が変われば人生が変わる」という言葉があるそうで すが、人生は習慣でできているといっても過言ではありません。 よい習慣を身につけ、習慣を味方にしましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月09日
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【苦しみよりも楽しみを集めよう】 日頃から、「私はどちらかというと幸せだ」と考える人の特徴は、毎日の生活 に小さな楽しみを持っていることです。 たとえば、午後からデパートやショッピングセンターなどに買い物に行こう、 と計画します。 それだけのことですが、小さな幸せです。 よく、釣りやゴルフが好きな人は、前の日からワクワクするというのと同じ ように、楽しみなのです。 旅行でも、準備そのものが楽しいと思えます。 やはり、趣味は持っておくほうが断然、人生を豊かにしてくれます。 心の不調を訴える人は、苦しいことをより多く考える傾向があります。 苦しみとはいえないにしても、不平不満なことを考えがちです。 今日のお昼に行ったレストランの料理はおいしくなかった、などからはじまり ささいなことでも、文句を言いたくなるときは、心が疲れているときです。 そして、自分の将来についても、3年後、5年後、10年後、さらに先の時代 にまで、不安なことが起きるに違いない、と考えてしまうのです。 負の連鎖のように、一つの不平不満が、将来の不安に広がっていくと思うのは 自分の人生を否定する生き方になります。 そんなときは、自分がもっとも好きなことする、あるいは好きな場所に行く、 など、気持ちが落ち着くような環境に自分を移動する必要があります。 その上で、楽しめることの回数を一つでも多く味わい、楽しみを持つことを 生活習慣にするのが大切です。 生活習慣にすると、本来の性格によい刺激を与えることになり、心の深い場所 にあるトラウマのようなものも改善されやすくなります。 楽しみを多く持つと、心が満足を感じるようになります。 心の満足感がある人ほど、楽観主義な気持ちにもなります。 そのような心の状態は、自然に無意識のうちにマイナスの出来事が起きても、 すぐに、明るい心を取り戻す弾力性があるのです。 小さな満足感は、幸福感へとつながっていきます。 人の心は、放っておくとネガティブなほうに流れやすいものです。 それでも、心は明るいほうに生きたいという本性もあります。 苦しみより楽しみを集める生き方がみんなホントは好きです。 (by ハートリンクス)
2022年05月08日
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【当たり前のことに感謝できる人は幸福感が強い】 人は、本来健康であると考えると、自分の健康は当たり前だと思いがちです。 当たり前というのは、当然なことだと認識することです。 すると、当然あるべきものがないとそこに、不満やイライラという葛藤の心が 生まれたりします。 ベストセラー「嫌われる勇気」に出てくる精神科医アドラーは、 『何事にも当たり前のことはない』という言葉を遺しています。 これは、当たり前であることに幸せを感じましょう、という意味です。 たとえば、収入は少なくギリギリで生活できる境遇にいるAさんとBさん がいたとします。 この二人に30万円の現金が与えられたとしましょう。 Aさんは、壊れかけていた家の冷蔵庫を10万円で買うことにしました。 おかげで助かった、ありがたい、と思いました。 残りは、とりあえず貯金しておこうと考えました。 一方、Bさんは、テレビと掃除機と、洗濯機、台所用の古い食卓を買いたいと 考えましたが、30万円では足りなくなりました。 何を買わないでおこうかと悩み出し、あと10万円欲しいという気持ちになり ました。 AさんとBさん、どちらが幸せでしょうか? 同じ金額のお金を持っていても、何が当たり前のことなのか、その意識が あるか、ないかで大きな違いが生まれます。 健康な人が、病気になってはじめて、健康のありがたさがわかることはよく あります。 つまり、当たり前が、当たり前でなくならないと気づかない人がいる一方で、 当たり前であることが、すでにありがたいと思う人もいます。 この差は、どこからくるのでしょう。 いえることは、Aさんはギリギリの生活でありながらも、ちゃんと生活できる という確固とした自分を持っています。 Bさんは、その意識はAさんに比べれば低いといえます。 少なくとも、あと10万円あれば、とそのほうに気持ちが行っています。 『幸福とは感じるものだ』という格言があるように、小さなことにも幸せを 見出すことは大切なことだと思います。 (by ハートリンクス)
2022年05月07日
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【幸運を引き寄せるのは日頃の努力です】 映画『ビリギャル』で一躍有名になった、坪田先生。 その坪田先生の教え子で、とても幸運な生徒の話です。 Mさんという女の子で、ピアニストになる夢がありました。 高校生のときに、ドイツの大きな大会ではファイナリストで演奏するほどの 才能のある生徒でした。 この生徒を育てた坪田先生の素晴らしさもすごいと思います。 さて、Mさんは高校を卒業したら東京芸大に進学したいと思っていたところ、 ドイツの国立音大の教授からドイツに留学しないか、という声がかかったので す。 そこで、Mさんは坪田先生に相談したのでした。 Mさん「芸大とドイツとどちらがいいでしょうか?」 先生「君は、将来何になりたいの?」 Mさん「ピアノの先生です」 先生「じゃあ、芸大のほうがいいと思うよ。でも、そのドイツの教授から直々 に誘ってもらえるのは、世界で何人ぐらいいるの?」 Mさん「ほとんどいないそうです」 先生「そうなの、もし僕だったらドイツに留学すると思うよ。なぜなら後で やっぱりドイツに行っておけばよかったと後悔するかもしれないからね」 こんなやりとりのあと、Mさんはドイツに旅立ちました。 数年後、彼女はドイツの音大を最優秀の成績で卒業し、今ではドイツと日本で 音楽活動をしています。 さらに、ドイツの国家演奏家の資格も取得して、コンクールの審査員も務めて いるそうです。 さらに、ピアノを教えてほしいという生徒さんもいて、教師としての仕事にも 取り組んでいるとのことです。 Mさんは、小さい頃から毎日ピアノの練習を続けてきました。 つまり、日頃の努力の継続があったから、周囲の人から声をかけられるという 幸運をつかみとることができたのです。 もちろん、坪田先生と出会ったことも幸運の一つかもしれません。 坪田先生は、 「運というものは地道に能力を高めておかないと、いざというときにモノに できません」 と語っています。 幸運とは一概に、ラッキーなことだと決めつけるのではなく、その人は誰も知 らないところで、こつこつ努力を続けてきたからだと思いましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月06日
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【不満を感じやすいのは心が弱いとき】 日常の生活や、仕事上のことについてよく不満やグチをこぼす人がいます。 不満を言い、グチをこぼすのはストレス発散になることもあり、それなりに 気分転換にもなります。 もちろん、今の世の中にはいろいろ不安になる現実があるためにグチの一つも 言いたくなるのは仕方がありません。 たとえば、ニュースなどでよく見る公務員と中小企業で働く人の賃金の差に 不満を言うことがあります。 これは、政治や企業のような大きな組織への不満はある意味では、正しいもの です。それは、自分個人の力ではどうしようもないことでもあるからです。 しかし、自分が働いている職場への不満やグチを口癖のように言うのは、問題 は違うところにあるといえます。 実際に、グチを言いたくなるようなことが起きているとしても、もしかすると 本人が努力すればグチを言わないで済むようなことかもしれません。 つまり、本人自身がやるべきことをやらないで、不満を言うのは正しいことと はいえないのです。 これは、自分はもっと努力しなければいけないのに、それができない心の弱さ に問題があるかもしれません。 生き方上手な人は、不満やグチの原因はどこにあるのか、自分にあるのか、そ うでないなら、何か解決する道はないか、などを考えるでしょう。 不満やグチを言い続けても、事態はよくならないものです。 自分が努力する心の強さがないことを、不満とグチを言うことでごまかして いるにすぎないと考えることもできます。 もし、「不満やグチが最近ふえたかもしれないなぁ」、と感じるようなら、心が 疲れていて、弱くなっていると考えてみましょう。 職場でも、家族の前でも口癖のように不満やグチを言っているようなら、少し 休んで、元気を取り戻す時間が必要です。 マイナスエネルギーにもいろんなものがありますが、不満を言うとき、グチを 言うのも、このエネルギーを使っているときです。 もっと、笑顔になり元気になるようなプラスエネルギーを使う生活のリズムで 過ごしてみましょう。 (by ハートリンクス)
2022年05月05日
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【執着心が強いと幸せを感じにくい】 人は、その人ならではの“こだわり”というものがあります。 たとえば、男のビジネスマンにはネクタイの色や柄にこだわる人、また女性な らネックレスやピアスにこだわりを持つ人もいるでしょう。 このようなこだわりは、自分を人によく見せようという意識よりも、社会人と しての身だしなみエチケットのために、という意識が強いようです。 これは、大人として健全な感覚でありセンスともいえるものです。 しかし、このこだわりが別のところで強くなり過ぎると、生きることが窮屈 なものに変わります。 ある優秀なビジネスマンAさんが、アメリカで仕事をすることになりました。 ところが、取引先のとのトラブルがあり、会社に大きな損失を与えてしまう ことになりました。 原因は相手のミスで、Aさんは何も悪くないのは明白でした。 しかし、会社に損害を与えたことは事実だとして、日本に戻されることになり ました。 Aさんは、失敗したのは自分の責任ではないという悔しい気持ちが、頭から離 れず、会社の同僚にそのことについてグチをこぼし続けました。 このように、失敗への気持ちをずっと引きずることが、「執着心」といわれる ものです。 ただ、会社はAさんにとっていい勉強になったのでは、という大らかな気持ち があり、日本に戻らせたかもしれないのです。 執着心が強い人ほど、なくしたものに執着しがちです。 すでにないものを、いつまでも追いかけてしまいます。 Aさんは、傷ついた自分のプライド、なくした自分の信用、そのことで頭の中 がいっぱいの状態です。 つまり、失敗したという事実が心を占領しているのです。 たしかに、自分のプライド、信用を一時的になくしたかもしれませんが、その ことで「将来に役立つ貴重な経験になる、温情な会社で仕事ができて、私は幸 せだ」という感謝の心を持って、次に頑張ることもできます。 もちろん執着心そのものは、決して悪いものではないのです。 “あきらめない”ということも、執着心のよい部分の表れです。 バランスのとれた執着心を持つには、ミスや失敗、トラブルが起きたときなど 原因を分析したあと、そこから何を学習すればよいか、というほうに気持ちを 意識的に振り向けることが大切です。 そうすると、感謝することの大切さと執着することの悪影響がいかに大きい かを知るようになるのです。 執着心から解放されると、心に余裕が生まれそれまで何とも思わなかったこと にも、喜びや小さな幸せを感じやすくなります。 (by ハートリンクス)
2022年05月04日
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【「めんどくさい」と思うより「やってみるか」と考える】 もうすぐ休日のときに、部屋の掃除をしようと思っていても、その日になると つい「めんどくさいなぁ」とつぶやくことがあります。 もちろん、めんどくさい、とつぶやいたところで気分がよくなるわけではない のですが、体がなかなか動かないのが現実です。 掃除や片づけというのは、汚れているところをきれいにして、散らかっている ものを元の場所に戻すことなので、ほんとうはいいことなのですが、それより も体を休める時間に使いたい、という気持ちが優先されがちです。 断捨離のやましたひでこさんによると、「めんどくさい」は「めんどうくさい」 で漢字では「面倒くさい」となるそうです。 つまり、「面倒」とは、「手間がかかる、わずらわしい」という意味があり、 さらに、マイナスの意味で意識することが多いということです。 ただ、「親の面倒をみる」「子どもの面倒をみる」という「面倒」は「お世話」 するという意味を持つ、というのがやましたさんの指摘です。 家の掃除や片づけは面倒でしたくないから、子どもの面倒もみないという人 はおそらく存在しないように、子どものお世話は苦にならないのです。 (実際に、育児放棄をする親もいますが、これは病的な原因やストレスによる ものが多いといわれています) しかし、子どもを育てるのが面倒くさい、という気持ちでいると、子どもたち は自分はめんどくさい存在なのだろか、という思いを抱き孤立感を持つように なります。 禅寺における禅僧は、朝起きてすぐに掃除をするという生活が続きます。 理由は、心を浄めるための掃除という「行」だからです。 一般の人たちは、「行」という観念で生活することはありませんが、それでも 掃除は部屋をきれいにするだけでなく、心もきれいにするものだと考えること はできます。 そこで、「めんどくさい」けど「やってみるか」と自分の気持ちを切り替える なら、心の垢は取り除かれます。 さらにそれが、感情をコントロールする力のアップにもつながります。 ノートルダム清心学園の理事長を務めた渡辺和子さんは、 「面倒くさいからやりましょう」というのが持論でした。 これは、「面倒くさいことの中には、大切なことが隠されているから、すすんで 取り組みましょう。新しい自分に気づくことができます」という意味です。 仏教の禅の世界でも、キリスト教においても「めんどくさい」と感じる人間の 一面をとらえながら、それでも「取り組む」ことが自分の心に何かをもたらす ことができると教えています。 毎日の暮らしには、めんどくさいことがたくさんあります。 その上で、「やってみるか」という気持ちになれる人は、生き方上手な人だと いえるかもしれません。 (by ハートリンクス)
2022年05月03日
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【愛が不足すると反発したくなる】 アフリカなどの山奥では、インターネット社会とはほど遠い環境の中で生活を している人がいます。 ある若い日本の女性が、そうした未開拓の文化に興味をもってその部落を訪ね ました。 そこでは、何人かの母親が赤ちゃんを抱いて、井戸端会議のようなことをして いたそうですが、気になることがありました。 抱かれている赤ちゃんが、ほとんど泣かないでニコニコしていたのです。 日本人のその女性は、子どもを抱いている一人の母親に聞きました。 「どうして、赤ちゃんたちは泣かないのですか? 日本では抱いていてもすぐ 泣いてしまうことがよくあるのですよ」 すると、その母親は言いました。 「それは、赤ちゃんに服を何枚も着せているからよ。ここはいつも温かいから ほとんど、裸のまま抱いていることが多いの。 子どもと母親はスキンシップが必要なのよ」 この出来事から、あることがわかったのです。 赤ちゃんは母親とのスキンシップで、オキシトシンという幸せホルモンを出し ているということです。 さらに、母親も同じオキシトシンを出していることがわかりました。 つまり、赤ちゃんは裸に近い状態で抱かれているため、衣服を着ている人より 幸せホルモンをたくさん出しているのです。それで安心できるのです。 もちろん母親も、子ども抱くと幸せな気持ちになれます。 幼少期に親の愛情が不足した環境で育てられると、子どもはある程度の年齢に なると、反抗する傾向が強くなります。 たとえば、成人式などでも大声を出して騒いだりする光景をテレビなどで見る ことがありますが、これは親から愛された経験が不足していた結果、目立つ 行動をしたくなるのです。 愛情不足は、さみしさをたくさん背負っている分、その裏返しとして自分を 認めて欲しいという気持ちが強くなるのです。 そして、それが「個性的な表現だ」と認めている現実があります。 しかし、これは本来の個性の表現ではなく、反発し抵抗しているという側面が 強くあります。 では、そのような環境で育った人は、もうどうしようもないのでしょうか? そのようなときは、まず自分から人に愛を与える行動を起こすことです。 愛情が足りないなら、人から愛をもらえるような人になればいいのですが、 それも簡単ではありません。 できる範囲で、まず、自分から愛を与えることから始めてみましょう。 反発したい抵抗したいという感情の欲求が、自然に穏やかなものになります。 愛(愛情)を与えるとは、人を好きになるということではなく、親切にする、 やさしい言葉をかける、人が喜んだり元気になるような行為のことです。 反発や抵抗は、人が本来持つ心のやさしさとは遠く離れたものです。 愛情を受けたら、与え返し、さらに自分から先に与える生き方が幸せを手に することになるのです。 (by ハートリンクス)
2022年05月02日
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【自分のレベルを上げると人生が変わる】 世の中には、自分の才能をもっと伸ばしたい、人としてもっと成長したい、 という向上心のある人がたくさん存在します。 よく見ると周囲には、何かの努力をしている人が必ずいるものです。 ただ、自分がそのような視線で周囲を見ていないだけのことなのです。 たとえば、お笑いの世界ではよく10年以上も下積みの時代を過ごしてきた人 が、何かのきっかけで人から認められて、評価される存在になるケースがよく あります。 その人たちは、ほぼ間違いなく上を目ざして、誰かを目標にして努力してきた たからです。 また、恋愛の場合は、好きな人がいてもその人が、自分より知性があり近寄り がたいと感じて、片思いばかりしているというケースもあります。 では、このような人はどうすれば、片思いをせずにすむのでしょうか。 方法の一つに、10年下積みをしたお笑い芸人さんがとった行動と同じことを すればよいのです。 つまり、自分自身の人間性のレベルを上げていくということです。 ある心理学者が、これについてとてもわかりやすい話をしています。 要約しますと、三角形をイメージします。 底辺の真ん中に自分がいます。好きな人が右の角にいます。 そのとき、エネルギーを右の角にいる人に向けてはいけません。 そうではなく、自分が上のレベルに上がるようにエネルギーを使うのです。 その結果、自分のレベルが上がり、三角形の頂上に近づきました。 そして、右の角を見ると、好きな人との距離も前よりグンと近くなっている ことがわかります。 自分が成長した分だけ、好きな人との距離は近くなる、これが自分が成長する ということのメカニズムです。 恋愛にかぎらず、いろんな世界でも同じメカニズムがはたらきます。 自分が人間として成長すると、高いレベルの人に近づくことになり、それが縁 となり人間関係も広がっていきます。 生きるとは、自分という人間性を高めていくことともいえます。 また、人は成長することに喜びを感じる生きものです。 向上心がなければ、成長することはできません。 生きることを喜びとするには、向上心は必要な条件の一つにもなります。 (by ハートリンクス)
2022年05月01日
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