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【相手に、よい印象を与えるには】 誰かとコミュニケーションをとりたい、と思うことがあります。 ビジネス上のことであれば、なおのことよい関係性を持ちたいと思います。 だからといって、一方的な話し方をしても逆効果です。 また、自分をよく見せたくなるものですが、それもあまり効果はありません。 しかし、中には自然体で相手に自分のことについて、よい印象を与えることが できる人もいるのです。 そういう人は、学生時代からコミュニケーション能力を身につけるための努力 をしてきた人です。 では、どんな方法でその能力を身につけたのでしょうか? それは、仲がいい友人たちとのつきあい方です。 学生時代は、どちらかというと気がねせずに会話することが多いものです。 つまり、遠慮しない・気を使わないことがつきあうスタイルです。 遠慮せず、気を使わないことで自分の本当の姿を知ってもらうことにもなり、 それがいいコミュニケーションにもなるのです。 ところが、その形に慣れてしまうと相手との距離が近くなり過ぎて、甘えたり 依存したくなる場合もあります。 そうなると、遠慮しなくてもいい・気を使わなくていい人としか、友人関係に なれなくなるのです。 社会人になる前に、優れたコミュニケーションを身につけてきた人が努力して きたことは、『親しき中にも礼儀あり』ということです。 常識的で、誰もが知っている言葉ですが意外と忘れがちです。 孔子の説いた論語に「仁・義・礼・智」というのがあります。 「仁」というのは、相手を思いやる心のことです。この思いやりの心が相手 と自分をつなげてくれるものです。 「義」とは、自分を律すること、感情に流されず、自己抑制をすることです。 「礼」とは、相手を尊重して敬い、謙虚な気持ちで接することです。 「智」とは多くのことを学んで、物事の本質を理解することです。 この中の、「義」「礼」を世の中では『礼儀』という言葉にしています。 また、「礼」というのは、相手を尊重し敬い謙虚な気持ちをもつことですが、 もっとわかりやすく言えば、「相手を中心にした接し方」です。 よく、自分のことばかり話をしたがる人がいますが、それは自分を中心にした 接し方で、相手は置き去りです。 必要なのは、相手が今どんなことを望んでいるか、そのために自分が何をして あげられるか、という気づかいです。 この気づかいは、押しつけがましいものではなく、自分をかっこよく見せよう とするものでもない、自然体で行うものです。 この接し方が、自分のスタイルの一部になっているなら、たまに親しい友人と くだけた話をすることがあっても問題は起きないでしょう。 初対面の人に接する場合も、この「相手を中心にした気持ち」があれば、相手 はこちらに対してよい印象を持ってくれるはずです。 人間関係で大事なのは、いかに相手を立てるか、という意識をいつも持ち続け ることです。 (by ハートリンクス)
2022年09月30日
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【悩みを解消する人は、面倒がらない】 生きていれば悩みはつきものです。 何かの悩みを消すことができたと思ったら、さっそく新しい悩みがやってくる ものです。 悩みは尽きないですが、これも生きている証拠だと思って自分を納得させる人 もいます。 世の中には、悩みがあっても、めげずに明るく生きている人がいれば、いつも 悩みがありつらいと思っている人もいます。 生き方は人それぞれですが、どうせ生きるなら少しでも喜べることの多い方が いいのではないでしょうか。 悩みから抜け出せないままの人の特徴は、心の中で悩んでいる内容をいつも考 えているところがあります。 エンドレステープのように、同じことをずっと繰り返して考える傾向が強いの です。 もちろん、解決のために何かの方法を考えていないこともないのですが、実際 に具体的に何かをしようという、行動に踏み出せないのです。 その理由は、行動することを面倒くさい、と思っているからです。 面倒くさいという気持ちの奥には、行動することへの恐さがあります。 悩みを解消するために、何かの行動をして失敗したら自分の悩みはさらに深く なる、という恐さです。 ところが、悩みを解消しようと思う人はこのような考え方はしません。 たとえば、体の脂肪を落としたい、痩せたいという悩みがあるとします。 そのために、ダイエットに関する情報を集めたり、フィットネスクラブに行く などの行動を起こします。 もちろん、そのダイエットも100%成功する保証はなく、もしかしたら失敗に 終わるかもしれません。 ダイエットのために行ういろんなことは、面倒くさいことに違いはないのです が、それでもやってみようという気持ちがあります。 もし、ダイエットに失敗したらどうしよう、という恐さがあるかもしれません が、それでもやってみなければわからない、という気持ちのほうが強いために 行動できます。 人は不思議なもので、それまで「面倒なことはしたくない」、と思っていたこと でも、何かの目的意識があれば、「面倒なことでもやってみたい」と思うことが できるのです。 そもそも悩みがあることの原因は自分にあります。 その悩みの原因を作った自分が変わらなければ、悩みは消えないでしょう。 人には、自分はもっと成長したいという成長本能があります。 その心がどこかにある以上、悩みを解消しなければ成長できない、とわかって いるのです。 これは、別の意味では「自分の人生に責任を持つ」ことかもしれません。 失敗を恐れて何もしないより、失敗しても何かを得ることのほうがいい、と考 えるのは素敵な生き方です。 (by ハートリンクス)
2022年09月29日
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【心を熱くすると、積極的になる】 人間を含む生きものには、命を守りたいという防御本能があります。 そのために、安定を好む消極的な考えになりやすい特質があります。 こう考えると、ネガティブ思考も必要なものであるということができます。 ただ、ネガティブ思考だけでは、人類は進歩も進化もできなかったはずです。 つまり、生きものはネガティブな考えとポジティブな考えのバランスをうまく とりながら命をつないでいるのです。 とくに、人は知性と心がありますが、ネガティブな考え方だけで生きていこう とすると、体は成長しても心の成長は止まったままになります。 それでは、生きていることで感じられるさまざまな出来事を楽しむことはでき ないでしょう。 たしかに、人は消極的な気分になりやすいものですが、何かに挑戦して自分を 向上させたいという、積極的な気分にもなれるのです。 そして、物事に積極的に取り組んでいこうという、ポジティブ思考になると心 にエネルギーが生まれ、行動することができます。 この心のエネルギーとは、心の熱です。 自動車も最近では、電気エンジンで走る時代です。 この電気エンジンは熱をエネルギーに変えて、車を走らせる仕組みです。 人も同じで、心というエンジンで熱というエネルギーを作れば、自分が思った ような生き方を実現できるのです。 ただ、何でも自分が思った通りのことが実現できるほど、人生は簡単ではあり ません。 気持ちに任せて突き進んで失敗しないように、消極的な気持ちで制御するよう なブレーキの役目も必要です。 このようなことから、人は本来消極的な考えを持ってはいますが、一方では 積極的な考えを求めたがる特質を持っていることがわかります。 両方のバランスをとりつつ、自分の人生を楽しみ味わうこと。 ここに、人の独自性があるのではないでしょうか。 もう一つ大事なことは、人間は何らかのかたちで、自分を高めたい、成長した いという本能的な欲もある、ということです。 この欲とは、自己表現をして自分の存在を他の誰かに認めてもらいたいという ものです。 このとき、人の心は熱くなって自分を積極的な自分に変えていこうとします。 たとえば、好きなスポーツでもっと強くなりたい、と思うとき練習がきつくて も、自然に積極的な気持ちが湧いてくるようなものです。 よく考えると、この公式はすべてのことに当てはまっています。 つまり、何であるにせよもっと積極的な人間になりたい、と思うなら心が熱く なるように工夫をすればよいのです。 工夫をするとは、知恵を出すこと、考えることです。 目ざす目標にすぐには到達できないかもしれませんが、段階的にできることか ら一つずつ、心が熱くなるように工夫をしていけばよいのです。 これで、積極的な姿勢を持続できるようになり、毎日の生活にも張り合いが出 てくるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月28日
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【本当の自信家は、過去の成功体験にすがらない】 スポーツの世界では、ゲームのときなどに「自身を持って行け!」という言葉 をコーチや監督からもらって挑むことがよくあります。 この、「自信を持って行け!」の檄を飛ばすことが功を奏して、いい結果とな る場合もあれば、反対にプレッシャーになって負けることもあります。 つまり、この言葉は言われた人の受け取り方しだいで、力を出せるか出せない かが決まります。 これは、「自信を持つ」ことがいかに難しいものであるかを物語っています。 スポーツに限らず、勉強でも仕事でも成功した体験があり、その経験を活かす ことも実力です。 「こんなときは、このように対応すればいい」、というこれが体験であり、経験 を活かすということです。 ただ、よく見かけるのがこの「自信」にあぐらをかいてしまい、自分には経験 があるから、何とかなるという勘違いをすることです。 自信過剰といわれるものです。 自信過剰とは、今までの自分の過去の実績や栄光に頼らなければ怖い、と思う ことです。 自信を持ちすぎて、かえって負けることや失敗することに恐怖心が湧き、勝つ ことができないのです。 「勝てる根拠もないのに、どうにか勝てるだろう」という考えはゆがめられた ポジティブシンキングです。 これがよくいわれる、ポジティブ思考の落とし穴です。 真に自信を持っている人は、その度に今の自分よりもさらに向上する意欲だけ で臨んでいます。 それまでの成功体験はありますが、それ自体は自分の中に溶け込んでいるもの であって、あてにしようという意識はありません。 そのときの勝負や課題が自分を向上させ、スキルを高めるチャンスととらえる のです。 つまり、謙虚な心が基本としてあるということです。 謙虚な心になると、冷静に状況を判断することができるようになります。 謙虚になると、まわりに感謝したくなります。 よく、勝利者インタビューで、 「優勝は自分一人では無理でした。周囲の人たちのおかげです」 という場面を見ることがありますが、美しい光景です。 経営コンサルタントの船井幸雄さんが、次のように言いました。 「感謝の言葉がなくなると、ツキがなくなります。 自信過剰な人には、だれも近づきたくないものですが、それは ツキが逃げていくからです」 「自信」と「過信」は紙一重です。 いつも成長しようという意欲があり、謙虚さを忘れない。 真の自信家とは、このような心の持ち主だといえるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月27日
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【悩み不安を感じた時は、自分が変われる時】 悩みも不安も、人によってさまざまです。 若い人なら仕事や恋愛、さらにその上の年代は結婚や子どもの教育など、世代 によって違います。 避けては通れないものであるとしても、その都度どうかしてでも乗り越えてい かなければなりません。 また、悩みや不安の受け止め方にも、人によって個人差があります。 しかし、悩みや不安が起きるたびに疲れてしまっていては、何のために生きて きたのだろう、と人生に疑問符がつくことになります。 この悩みや不安というものをよく考えてみると、最初は小さな不満だったのが だんだん大きくなって悩みになり、不安に変わることがけっこう多いのです。 つまり、自分を悩ます問題や不安は、もとをたどればちょっとした不満だった のです。 たとえば、ある夫婦がいて夫は妻にもっと自分にかまって欲しい、と不満があ ります。 しかし、妻も仕事をしているために夫の気持ちもわかっているのですが、仕事 を優先してしまう。 最初はこのような小さな不満でも、解決されない状態がずっと続くと夫は不満 のはけ口に、お酒を飲んだりギャンブルに走ったり、他の女性に興味を持つと いう問題にまで広がるかもしれません。 これは、逆の場合も同じです。妻の夫に対する不満があると、そのストレスを何 かで解消したいために、発散する行動が互いの不信感を生んだりするのです。 ここで考えたいのは、小さな不満は相手に対して何かを求めて期待しているこ とでもあるのです。 少しキツイ言い方ですが、相手への要求とも言えるのです。 このとき、「自分はそのままの状態でいるから、あなたが変わって下さいね」と いう心なのです。 これは、「自分は変わらないし、変わることを拒むから、あなたが変わるべき」、 「あなたが変わるなら、許してもいい」ということと同じです。 不満の構造は、すべてここが原点です。 それでも、解決する方法はいくつもあります。 それは、不満に感じている自分の気持ちを、いかにうまく伝えるかです。 その伝え方に、工夫がありそれなりのスキルがあれば、解決できます。 さらに、解決したあとお互いの気持ちを分かり合うことで、信頼と愛情はさら に深くなるでしょう。 不満の持ちっ放しでは、イライラとストレスが溜まっていくしかないのです。 不満が生まれたとき、そこには自分も相手も、今より関係を深めていく機会 だと考えましょう。 そのためには、不満がなぜ起きたのか、を少し冷静になって振り返ればヒント に気づくことができます。 そこから、うまく伝えるための言葉や言い方を選んでみるという工夫も生まれ るかもしれません。 (by ハートリンクス)
2022年09月26日
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【意地を張ると、幸せは逃げていく】 子どもたちは年齢が低いほど、自分の気に入らないことがあるとすぐにイヤと いう態度をとります。 これが意地を張る、という最初の自己主張と自己表現のかたちです。 この時期のイヤイヤは、大人にとっては可愛さを感じて抱きしめたくなるもの です。 しかし、大人になってもまだこれと同じようなことをする人もたまにいます。 心理学に、アダルト・チルドレンというのがあります。 これは、子どもの頃に親との関係がトラウマになり大人になっても、トラウマ の影響で実生活に支障をきたすことがあるといわれるものです。 もちろん、家庭環境には個々の違いもあり、症状の現れ方もいろいろです。 ただ、子どもの頃の感覚が大人になってもそのまま、というケースもたまに見 られます。 また、日常的にではなく何かのときに理由もなく、意地を張ってしまうという こともあるのです。 このような場合、自分としっかり対峙すれば改善される可能性はあります。 人には誰でもわがままを押し通したい、という感情があります。 それは、自己アピールであったり、我慢していたことに限界を感じて、一気に 吐き出したいときなどです。 ただこれも、ストレスが解消される一過性のものですからかえって、気持ちも スッキリですることもあり悪いことだと断定はできません。 しかし、意地を張ることが性格の一部になっていくと、人間関係も崩れやすく なり、まわりから人も遠ざかっていきます。 これは、自分から幸せが逃げていくようなものです。 ただ、「どうして、自分はすぐに意地を張ってしまうのか」と気になっていて も解決の方法はあります。 意地を張ることの要因は、自分なりに努力しているのに結果が出ない、他者が 評価してくれない、と受け止めているからです。 それは、別の言い方では「自分の努力を認めてほしい」という、他者の評価が 欲しいからなのです。 そんなとき、「あなたは頑張っているね。素晴らしい!」という言葉があれば 意地を張る必要はなくなります。 他者にそれを求めることができないなら、自分で自分に語りかけることはでき ます。そのためにも、まず、努力している自分を好きになることが大切です。 少なくとも、自分を嫌うことは避けるべきでしょう。 周囲の評価が欲しくなる背景には、評価されない自分をどこかで嫌っている もう一人の自分がいるからです。 それを乗り越えるには、自分を認めて自分を好きになることが大事なのです。 これは、自尊心を強くすることにもつながります。 また、さらには「こんなに自分は頑張っているのに・・・」、という気持ちも 潜んでいるのです。 ヘレン・ケラーの言葉に次のようなものがあります。 『世界には苦しみがあふれているが、 苦しみを克服した人たちも 同じくらいたくさんいる』 この言葉は、苦しみを耐えなさい、ということではありません。 もちろん、ヘレン・ケラーは不自由を克服するまでには想像を絶する努力を してきました。 しかし、一つ一つ克服するたびに、喜びになり生きていくことが楽しくなった ことも事実です。 意地を張る自分を克服する過程で、喜びを感じることができそれが生きる力に もなる。ここに目を向けることが大事です。 他者の評価を求めず、自分は自分で生きていくというプライドがあれば、幸せ は向こうからやって来るかもしれません。 (by ハートリンクス)
2022年09月25日
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【自分を磨くコツ】 自分を磨くコツは、自分の生活の質を上げることです。 生活の質を上げるとは、生活習慣を見直して改めていくということです。 ダイヤモンドは原石のままでは価値はありませんが、磨いてはじめて輝きを 放ちます。 人間も同じで、ダイヤモンドのように磨けば光り輝く本質がもともとあるの です。 磨かれないままの状態である自分を見つめたとき、「やればできるのに、行動 できない自分が情けない」と思うことがあるかもしれません。 自分に情けなさを感じたときが、自分を磨くためのスタート地点に立っている といえます。 しかし、そのきっかけをつかむことができないために、古い自分から抜け出せ ないのです。 昭和時代の話ですが、東京のある一流ホテルの一角に、靴磨きの名人がいまし た。国内外の有名スターの中には、そのホテルに宿泊したら靴磨きの名人に頼 んでいました。 名人の磨き方は、その靴に合ったクリームを独自で作りそれを使うことです。 もちろんブランド品ばかりの靴です。 といっても、何十種類もありますが、その靴に適したクリームまた傷んでいる ところには別のクリームを使用して、さらには修理まで依頼する人もいたそう です。 この話から、自分磨きのコツがどんなものであるかがわかります。 まず、ブランド品の靴とは、自分だと考えてみましょう。 ブランド品とは高級さと、独自性と、品質です。 同じように、自分はかけがえのない存在であり、自分にしかない個性をもち、 無限の可能性という素質があります。 問題は、靴でいえば品質、人間でいえば素質を磨きあげる技術が必要です。 ところが、自分にある素質を磨く方法がわからないケースが多いのです。 この自分の素質を磨くのが、生活習慣を見直して改めるということです。 ただ習慣を見直して、悪いところがわかればそれをやめればいいのですが、 簡単にやめることができないのです。 習慣はその人を形づくってきたもので、簡単に変えたりやめたりすることは できません。 そこで、新しいよい習慣を身につけることをきっかけにすれば、思ったほど 難しいことではないとわかります。 たとえば、寝る前に甘いスイーツを食べるのが習慣だったとします。 甘いスイーツは体によくないのはみんな知っています。 その毎日を一日おきにする、それが無理なら甘いものとサッパリしたものを を一日毎に変えて食べるなど、できる範囲でやってみることです。 無理やりやってもストレスがたまるだけになりかねません。 そのような工夫をしながら、新しい習慣を増やす考えで続ければ、悪い習慣 は自然になくなります。 もちろん、悪い習慣だからやめよう、ときっぱりと気持ちを切り替えることが できればそれが一番です。 また、悪い習慣だからやめよう、と思わず「悪い習慣だから捨てよう」という 考え方でも構わないと思います。 自分を磨きたいなら、まず今の自分の生活の有り様を見て、習慣を変化させて 生活の質を上げることが大切です。 (by ハートリンクス)
2022年09月24日
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【身の丈に合った、人間関係を作ろう】 自分の周囲を見まわしたとき、友達の人数が自分よりも多い人がいたときは、 少し羨ましいと感じたりします。 しかし、友達の数が多ければ多いほど、つき合うのもそれなりのエネルギーが 必要で、はたからみるより意外と大変です。 SNSなどでは、グループでつながることもあれば、個人同士でつながることも あります。 もちろん、仕事では同僚や部下と上司とは絶えずSNSでつながっているケース も多く見られます。 とくに若者の間では、不特定多数の人とつながる傾向は強いようです。 反面、「友達」という一つの枠があいまいなために、好きではない人とも友達と しての関係を保っておかなければならない場合もあるのです。 この傾向は、男性にも女性にもいえることですが、女性のほうがグループとし てつき合うパターンが多いかもしれません。 つまり、自分は直接話したことはないが、友達の友達だから一応は自分の友達 だと考えるのです。 男性の場合も、これと同じケースはありますが、友達の友達とは少し距離を置 くことはできます。 職場での人間関係は、職場という限定された小さなコミュニティーのようなも のなので、何か問題が起きてもどうにか解決策を考えることはできます。 つまり、仕事を通してだけのことなので、仕事を離れれば忘れることもできる のです。 しかし、グループのつきあいとなると、仕事が終わっても休みの日も24時間 ずっとつながっている状態に近いかもしれません。 つながらなければいけない、というのはけっこう負担になります。 今の時代は、好きであろうが嫌いであろうが、つながらなければいけないのが SNS上での人間関係の特徴です。 「一人は寂しい、誰かとつながっていたい」と思って、SNSを利用し始めたも のの、かえって人間関係を壊したくないという理由から、無理をしてしまうの は本末転倒です。 本来、人とのつながりを求めるのは、他人との関係を通して自分の存在が素晴 らしいものであることを知るためです。 しかし、人との関係を断ちたくないという考えに振り回されると、人間関係は 恐怖に感じてしまいます。 人と人の関係が生まれるには、良くも悪くもエネルギーが必要です。 このエネルギーとは、気づかいであったり思いやりであったり、たまには相手 を励ますために、嫌われるような言葉をあえて、口に出すことなどです。 これが、人間関係を作る上での基本です。 自分の今置かれた環境や立場で、身の丈に合った人間関係を作ることがとても 大切なことなのです。 芸術家の岡本太郎さんの言葉に、次のようなものがあります。 『友達に好かれようなどと思わず、 友達から孤立してもいいと腹をきめて、 自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味で、 みんなに喜ばれる人間になれる』 「みんなに喜ばれる人間」というのは、「あの人とはつながっていたい」と 他者から思われる人間のことです。 「あの人とつながっていることが、自分は嬉しい」と思えるような関係になる のが、究極の人間関係の理想だと言えるでしょう。 また、もう一つ大切なのは、自分にとってよい人間関係を作るには、心の余裕 が必要です。 人を受け入れるだけの心の余裕がなければ、無理が生じます。 そのためにも、好きな人は好きなればよく、嫌いな人には距離をおいて、好き だな思えるようになるまで放っておくのがよいかもしれません。 孤立を恐れず、しかもよい友を受け入れる心の余裕はいつも持っておくという ことを基本にしておきましょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月23日
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【くり返すことに飽きる理由】 ダイエットのためにやろうと決めたストレッチ体操など、スタートしたときは 新鮮な気持ちもあり、やり遂げたあとの自分の体をイメージしてしばらく頑張 ることもできます。 しかし、それもくり返しやっているうちにだんだんと飽きてきます。 これは、仕事でもよくあることです。 とくに単調な作業のときなど、長い期間やっていると飽きてくるのです。 よく言われる、マンネリ化です。 物事に飽きる理由の一つは、変化がないからです。 そもそも変化があるとは、刺激がある、ということです。 変化のない状態がズッと続くと、刺激がなくなりそれがストレスになります。 そのストレスが、飽きるという気分を生んでしまうのです。 同じ行動、行為、環境に変化という刺激がなくなって飽きるのは、人間特有の ものです。 他の生きものには、この飽きるということがありません。 ペットと暮らしている人はよくわかると思いますが、彼らにはマンネリという 世界はないのです。 では、なぜ人間だけがこのマンネリ化にストレスを感じるのでしょうか。 それは、変わらない自分・成長しない自分にイラ立ちを感じる知性があるから です。 その背景にあるのが、これも人間特有の「向上心、成長意欲」です。 人には、本来この向上心と成長意欲があります。 これがあるから、人は幸せを求め豊かな社会を目ざしているのですが、この 人間特有の本質があることを、つい忘れてしまうのです。 何かに飽きた、今の生活にマンネリ感を覚えるという人の中で、何とか打開策 を考えようとする人もたくさんいるはずです。 その人たちは、飽きている理由を少し深く掘り下げて考えます。 そして得た結論は次のようなものになります。 「今やっていることへの目的意識が薄れてきたのではないか? 今やっていることで自分の技能を高め、自身が人間的に成長しているか? ひとつのことをやり続けるには、根気が必要だと自覚していたか? 向上するのは楽しいと思わず、苦しいものと考えていたのではないか?」 このように、自分に対する問題意識を投げかけることはとても大事です。 ただ、「最近、マンネリ化しているなぁ」と漠然と考えているだけで、そこ から深く考えなければ、前に進むこともできないでしょう。 マンネリ化している自分に気づいても、修正し改善しないままでは弱い自分 に妥協しているにすぎません。 向上し、成長したいと思っていても、ときには疲れたりすることもあります。 そんなときは少し休みが必要なときなので、休むべきでしょう。 そして、また取り組み始めるのです。 その度に、気づかなくても向上し成長していると考えることも大切です。 飽きることは悪いことではなく、誰にもおとずれるものです。 飽きてきたなぁ、と感じたらそれはもう一度、最初の自分に立ち返るときだ、 と考えてみたいものです。 (by ハートリンクス)
2022年09月22日
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【人の評価が欲しいときの心がまえ】 人間の社会では、人との関わりを持たなければ生きてはいけません。 生まれてまもなくの間は、家族から守られ成長するにつれ関わる人の相手や 人数も違ってきますが、それでも人との関わりは生じてきます。 そして社会に出ると、人間関係に悩んだり苦しんだりすることになります。 ただ、人間には生まれながらにして、避けられない特質を持っています。 それは、「人から認められたい」という欲求です。 これは、誰にでもある欲求でたとえるなら、睡眠欲や食欲と同じようなもの として持っていて、「承認欲求」ともいわれます。 また、人によってその度合いが強い人、弱い人それぞれです。 ある程度は周りから認めてもらえると、自分の存在を誇らしく感じることに なり、それが生きていることの実体験にもなるのです。 自分の存在を誇らしく感じることとは、すなわち他人からの評価です。 自身が人からよい評価、高い評価を得られることは気持ちがいいので、もっと 頑張ろうというモチベーションが続きます。 これがうまい具合に、循環していけばよいのですが中には、他人からの評価が 「ずっといい状態でなければならない」、あるいは「もっと高いものを得たい」 と思ってしまう人がいるのです。 もちろん、自分が人から評価されることはいいことですが、これが目的化され て、評価されること自体を問題にすると、しだいに行き詰まってしいます。 「人から評価されたい」、という承認欲求の先にあるべき姿は自己実現です。 自分がやりたいこと、取り組んでみたいことなど、自身の夢や願いに向かって 目的を実現するために必要なもの、これが承認欲求なのです。 ところが、これをはき違えて実力がないのに、もっと評価されたいという考え に陥るのです。 人はその人をあまり評価していないのに、自分で勝手に自分の評価を高くして しまう、そこからストレスが生まれることになります。 しかし、もともと承認欲求が強くない人は、他人から高い評価を得たいと思う こともさほど感じず、「自分ができる精一杯のことをやろう」という考え方を しています。 そして、一つのことに満足したらさらに次の目標に向かって努力していける人 でもあるのです。 このように、「人から評価されたい」という本能は誰にもありますが、これを 過大に持つのは自分を苦しめることになりかねません。 人生の目的は何か? と考えたとき自己実現をするため、ともいえます。 自己実現をする過程を楽しむことが、幸せな生き方でもあるのです。 また、人間関係をよくするコツの一つに、人のよいところを見つけてほめる、 というのがあります。 これは、自分がまず先に相手をほめていくということです。 簡単にできるものではありませんが、このような身近で小さなことができる 人には、自然に周囲の評価は高くなります。 「人から認められたい」、という思いが強くなくても人をほめてあげようと思 い行動できる人は、承認欲求の強い人よりも、結果的に高い評価を得ていて 気づかないうちに、自身の承認欲求に満足しています。 人の悪いことばかりを指摘するより、その人のいいところを見ていく生き方の ほうが、豊かな人生を送ることになるのです。 (by ハートリンクス)
2022年09月21日
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【なぜ心を強くできない?】 自分の心を強くしたい、もっと鍛えたいと思っている人は多くいます。 それなのに、それができないのはなぜでしょうか? そのために、なぜ心が弱いのかを考えると、心を強くするいくつかのヒント に気づきます。 心が弱い人の特徴は、無計画、やるべきことを先送りする、無責任な楽観主義 であることなどです。 もう夏休みは終わりましたが、宿題などの取り組み方でよくわかります。 休みも残り少なくなって、バタバタしながらやるケースです。 何日までに、この宿題を済ましておくという計画に無頓着です。 明日やろう、と先送りしつつ「何とかなるだろう」という根拠もないのに楽観 的に考えます。 そして、いよいよ時間がなくなってはじめて慌てるタイプです。 このように、自分がやるべきことをきちんとできなければ、どのような結末に なるのか、という想像力が弱い特徴があります。 ところが、心が強い人は、計画的でその日やるべきことをやり、仮に何かの 理由でできなくても、次の日に取り戻す工夫をします。 さらに、自分が決めたことに責任がとれます。 もちろん、100%に完璧である必要はありません。 ただ、自分が決めたこと、やるべきことに対してその人なりの責任感を持って 行動できるのです。 仮に計画の7割ぐらいしかできなくても、少しエンジンをかければ残りの3割 は取り戻せる余力を持っています。 大人の社会では、夏休みはありませんが月ごとか数ヵ月ごとに、仕事などの 計画を立てることがあるはずです。 そのような場合も、計画的で先送りせず、自分の行動に責任をとる姿勢があれ ば、心の強さは身につくと思います。 また、一つの計画をやり遂げた後、次は何をしようかという次の計画を立てる など想像力もあります。 ただ、「なぜ心を強くできないか?」 と、自分に疑問を感じることも、向上意欲の現れですから決して悪いことでは ないのです。 そこから、自身の考え方や行動を振り返って、できることから修正していけば 考え方や行動も変わってくるにちがいありません。 (by ハートリンクス)
2022年09月20日
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【相性の合わない人を嫌う必要はない】 人間関係が難しいといわれる理由の一つに、自分が嫌いな人と接したり話すの が心の負担になるからです。 この対人関係の良し悪しが、心の負担やストレスの要因になり、これが人々の 悩みの大半を占めているといわれています。 ただ、ここでよく考えたいのは、人を嫌うことは果たして「よくないこと」か という問題です。 乳幼児のように、まだ自我意識が発達していない時期は、人を嫌うという感情 はさほど持っていません。 それは、好奇心の方が強いからです。 そして成長するにつれて、人の好き嫌いという感情を抱くようになります。 よく「あの人とはウマが合う」という言葉を言ったり聞いたりします。 この馬が合う、というのは乗馬などでは、乗る人と馬の相性が合わないと、馬 は乗る人の思い通りに動かないということから由来しています。 馬は人間の言葉を理解できませんが、乗る人の性格を敏感に感じる能力があり ます。馬にとって乗る人との息が合うと、その人の思い通りに動いてあげよう という気持ちになるのです。 つまり、あの人と「ウマが合う」というのは相性が合うということです。 そもそも、周囲にいる人たちすべてと、相性が合うというのも少し変です。 人には、千差万別の個性があり、相性が合わない人がいて当然です。 ところが、人は、「相性が合わないこと」と「嫌い」ということと同じように 考える習性があります。 そこから始まって、嫌いな人に対して「あの人は悪い人」というイメージで 見るように発展していくのです。 もちろん、特定の人から何かの被害を受けたりすれば、自分にとってその人は 悪い人であり、嫌いな人になるでしょう。 このような特殊なケースを除けば、嫌いな人であっても、悪い人ではないのか もしれないと思うのが賢明な考えです。 自分が嫌いと思う人でも、他の人にとっては好きな人だと思うこともあるはず です。 もし、「相性が合いそうにないからあの人は嫌い」、と思っているなら、 「いろんな人がいるから世の中は面白い」、というように考えましょう。 ウマが合う人を好きになるのは当然のことですが、ウマが合わないから嫌い、 と決めつけるのは、自身のコミュニケーション能力を阻害することになりかね ません。 日本のことわざに、 『馬には乗ってみよ 人には添うてみよ』というのがあります。 馬には乗ってみなければわからないように、人もつき合ってみなければわから い。こちらの勝手な想像だけで決めつけてはいけない、ということです。 人に対しては寛容な気持ちをもつようにしてみましょう。 新しい出会いがたくさん生まれるかもしれません。 (by ハートリンクス)
2022年09月19日
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【人を励ますにも気づかいは必要】 友人や職場の同僚、部下が落ち込んでいたり元気がないとき、多くの人は心配 します。 もちろん家族なら、心配を通り越してオロオロするかもしれません。 人には、本来困っている人を助けてあげたい、という先天的な思いやりの気持 ちがあるのです。 そんなとき、いちばん多く使われるのが「頑張れ」という言葉です。 この言葉には、励まし・期待・負けるな・あなたなら大丈夫、というような いろんな思いが含まれています。 声をかける方も、人によっては軽い気持ちのときもあれば、まじめに心配して いるときもあるでしょう。 そこにはあるのは善意の気持ちです。 ただ、中には「もうこれ以上頑張れない」から落ち込み、元気をなくしている 人もいます。 このような状態にある人に、「頑張れ!」という言葉は逆につらくなるものに 聞こえてしまうものです。 そんな状況に直面したとき、まず、大まかでも相手の様子をキャッチし、どん な言葉をかけてあげるべきか、の気づかいをすることが大切です。 かけた言葉で、相手がよいほうに反応してくれたなら、それは本当の励ましの 言葉になっているのです。 基本的には、人と相対して話すときは聞くことが7割、こちらの話は3割程度 と思っておくのが無難です。(特別なレクチャーなどのときは別です) その意識があれば、相手に対して話を聞いてあげよう、という気持ちの準備も できます。 また、落ちこんでいる人に「大丈夫?」という問いかけをすることがよくあり ます。 この場合、多くは大丈夫じゃなくても、「はい、大丈夫です」と答えてしまう 傾向があります。この点も知っておけば気づかいとなります。 そのあとは、こちらも話を聞いてあげますよ、という意味のことをやさしく 伝えると、相手もそれがきっかけになり話してくれるかもしれません。 悩みのある人にとって、自分の言葉で自身の思いを吐き出すだけで、かなり 落ち着きを取り戻します。 それまで、頭の中でグルグル考えていた悩み事も、言葉にして話すことで 問題が整理されます。 整理されると、自分が悩みを客観的にとらえるようになるため、心が落ち着く のです。 人を励ますことは、大変尊いことです。 励ました側も、人の心の痛みを知り感性が磨かれます。 相手とのやり取りでは、多少の語彙力が求められますが、誠実さがあれば普通 の言葉でも相手に届くはずです。 (by ハートリンクス)
2022年09月18日
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【感情的になりやすい人、なりにくい人】 社会生活でのマナーとして、自分の考えを感情的になって話すことは受け入れ られません。 ある程度は、感情を抑えて冷静な面持ちで話すことが必要です。 それは、人は相手が感情的な言い方で迫ってくれば、こちらも同じように感情 的になるからです。 個人生活のレベルで、家族間では許されるかもしれませんが、職場や社会的な 組織ではそういうわけにはいきません。 ところが、立場が上になるにつれ人によってはこのことを度外視して、自分は 許されると思って感情のまま自分の考えを言う人もいます。 また、意見の違いから自分の主張を理解してもらいたいという熱意が、感情的 な言い方になるときもあるでしょう。 そもそも感情的になりやすい要因として、何かに対する不満やストレスがある からです。 この場合は、不満やストレスがなくなれば、自然に感情的な話し方は治まると 思われます。 もう一つは、感情の整理ができないことが続くと感情的になります。 つまり、イライラした気持ちをきちんと整理できないと、結果として感情的に なってしまいます。 ただ、どんな人でも、たまにはイライラすることはあります。 しかし、多くの人は自分のよくない感情を、それなりの方法で整理しているの です。 不満、イライラ、怒りなど感情の乱れを、長引かせずにうまく落ち着かせるに は、毎日の生活の中に感情に振り回されない習慣づけをすることが必要です。 たとえば、イチローさんがメジャーリーグで現役の頃バッターボックスに立つ と、バッドを前方に向けることがいつもルーティンでした。 このルーティン、これが習慣です。 イチローさんは、ピッチャーが投げる球に集中するために、あのポーズをとる ことがルーティンでした。 これは、ヒットを打つために、不必要な感情を静めるための儀式のようなもの でした。 つまり、ヒットを打って塁に出るという目の前の目的に集中したのです。 これは、一般の社会では自分の仕事に対する目的意識をきちんと持つ、という ことと同じです。 このような、仕事に取り組むとき自分のルーティンを持つと、その時点で気分 が落ちつく効果があるのです。 朝、デスクについたら深呼吸をする、休憩のときは軽いストレッチをするなど 小さくてもルーティンをとり入れることが、感情の整理をしてくれます。 ルーティンというのは、やる気のスイッチです。 感情的になりにくい人は、その人だけのルーティンを持っているはずです。 一日の生活サイクルに、このような工夫ができればメンタルは落ち着き、仕事 でも成果を上げることができると思います。 (by ハートリンクス)
2022年09月17日
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【世の中の基準より自分の価値観で生きよう】 世の中は、いろんな考えを持つ人たちの集合体です。 ですから、自分の価値観が正しく、他は間違いだと言うことはできません。 また、自分の考えを人押しつけることもしてはいけません。 それでも、自身が所属する団体の価値観を無理やり強制したがる人もいます。 そのような人たちは、自己の考えを押しつけることが自分の価値観だと信じて いますが、いずれは行き詰ることは間違いないでしょう。 最近では、結婚したい人が減少しているそうです。 その理由は、家族をつくるために必要な収入がないという経済的な問題がある のだそうです。 たしかに、収入が少なければ貯金もできない、老後の生活資金の準備もできな いという現実に直面します。たしかにこの問題は切実です。 これが今の世の中の基準になっているのも確かですが、かといってそれを自分 価値観とする必要もないのです。 たとえば、収入のない人同士が結婚すれば、一人で暮らしていたときより少し は余裕が生まれるかもしれません。 その生活スタイルに満足して、幸せを感じることができるならそれもその人の 価値観として素晴らしいと言えるのではないでしょか。 このように世の中の基準を知っておくことは無駄ではありませんが、振り回さ る必要もないのです。 ある塾の先生のお話ですが、教員を辞め自分で塾を開きました。 しかし、生徒が集まらずに生活にも困るようになりました。 そんなとき、教育講演の講師のオファーがあり、それから徐々に塾の生徒も増 えたのでした。 そして、講演の仕事も塾の仕事も忙しくなり、経済的な豊かさを手にすること になったのです。 しかし、しばらくその忙しい状態が続くと、イライラするようになりました。 生活資金もない当時は、収入が少ないことだけをどうにかしようという価値観 で必死でしたが、いったんそれが叶えられたらイライラする自分がいる。 悩んだ先生は、あるとき江戸時代の禅僧・良寛の言葉を思い出しました。 それは次のような意味の言葉でした。 『人は経済的に豊かになれば、現実の生活が幸福になると思っている。 しかし、実際はそうではない。人は経済的にいい状態になればなるほど 落ち着かず、イライラしたり不安が増してくる。 貧しいと、生活は不便だ。 だが、貧しさに心が折れなければ、心は強くなり元気とやる気が出る。 貧困は、けっして、恥ではない』 これは、何も貧しさを美徳化しているのではなく、貧しくても自分の価値観 がしっかりしていればイライラすることはない、ということです。 収入が少ないのは恥ずかしい、ダメだ、結婚できないという世間の基準に合わ せなくてもいいのです。 もちろん、収入を増やすために副業をしたり、アルバイトをすることも方法の ひとつです。 しかし、収入が少ないことはダメである、と思わなくてもよくむしろ、収入が どうであれ、「自分が幸せだと思えることは何か」、を考え、そこから生まれた 価値観を持つことが一番大事です。 自分の価値観が確立すると、生きることに自信がつき、躍動感を感じるように なります。 そのような日々を送り続けていると、人生の楽しさを味わうこともできます。 (by ハートリンクス)
2022年09月16日
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【人間的に強くなる方法】 どんな集団や組織に限らず、その中には必ずといってよいほど人間的に強い人 がいます。 いろんな要素がありますが、まとめると六つです。 1、自分に対する周囲の評判や評価をあまり気にしない。 (ふつう他人の評判は気になりますが、それより自分らしさを優先する ためやるべきことに集中できる) 2、単独で行動することを嫌わない。 (グループ行動にも適応できますが、一人で仕事をすることと、グループ としてすることとの両面の効果を知っている) 3、新しいことに関心を持ち好奇心が旺盛。 (好奇心は、自己成長意欲のバロメーター。仕事の流れを読む先見の目が あり、好奇心が自信過剰を防ぐ効果があることを熟知している) 4、性格的には大らかだが、ここというときには繊細。 (本来は繊細でも、大らかであるための自己訓練を行う必要性を理解して おり、全体を俯瞰して見ることができ、人への気づかいもできる) 5、過去の失敗にこだわらない。 (誰しも昔のミスは忘れないものですが、失敗から学ぶ思考習慣がある ため、失敗を引きずる必要がない) 6、性格が明るい。 (明るいから前向きになれ、また、前向きに考えるから明るくなること ができます。クヨクヨすることがあっても復元力がある) もし、今の自分を変えたい、もっと成長したい、強い人間になりたいと願って いる人がおられるなら、この六つの特徴を一つでも多く身につけるようにすれ ば効果はあると思います。 もし、自分の身近にこのような人物がいるなら、その人の所作や話し方などを 真似ることもいい方法だと思います。 また、歴史上の人物なら、その人に関する本を読んだり情報を集めることで、 より近づくことができます。 ご存知の方もあると思いますが、ソフトバンクグループの孫正義さんは、明治 維新で活躍した、坂本龍馬の大ファンで自分のオフィスの入り口に、等身大の 坂本龍馬の像を置いているそうです。 自分の尊敬する人物を身近に感じる工夫で、モチベーションを持続させること ができ、また、少し気弱になったときなどは、元気をもらうことができます。 どんな成功者も、はじめから順風満帆であったわけではなく、障害や逆境の 中で工夫と試行錯誤を重ねています。 ただ、その過程では苦しいことばかりではなく、自分が成長していることが 楽しく感じられものです。 自分を高めよう、強い人になろうと考えるのは、人生を楽しむことでもある のです。 (by ハートリンクス)
2022年09月15日
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【相手の長所は言葉にして伝えよう】 人はどちらかというと、自分が変わることより相手に変わって欲しいことを 強く願います。 人を変えることは簡単ではないのですが、どうしても相手を変えたがるところ があります。 なぜかというと、どうしても自分本位に考えたくなる習性があるからです。 もうひとつは、人間は相手を見るとき、悪いところから先に目が行きます。 これは、人間の本能に近い気質かもしれません。 なぜなら、人の悪いところを感じるには、教養や知性は必要ないからです。 たとえば、子どものとき誰かと口喧嘩して、自分が負けたとします。 そのとき、「自分は負けた、相手は悪い子だ」というように、自分が正しいと 思いたいがために相手を悪い人だと見なしてしまうのです。 ただ、これも自分を守るための本能からくるもので、それがよいことなのか悪 いことなのか、この分別は子どもですからまだ理解できません。 しかし、大人になるにつれて、教養や知性を身につけ人との関係をうまく作る ための術を学びます。 古いことわざに、「良い友人が欲しいなら、自分がよい友人になりなさい」と いうものがあります。 これは、他人を変えようとするときの心がまえにも共通する言葉です。 つまり、自分からよい友人になれるように変われば、相手も良い友人になって くれるということです。 良い友人を持つには、 「先に自分が相手にとって良い人に変わることが必要」なのです。 そのためには、意識的に教養と知性を、身につけなければなりません。 これは、子どものときに口喧嘩して負けた、という感情とは違うものです。 相手の悪いところだけが目に映り、相手を変えようとするのは、子ども時代の 感覚とあまり変わっていないということになります。 自分を意識的に高めて、教養と知性を身につけようと努力する人は次のことを 実践しています。 相手に長所があれば、それを言葉にして指摘します。 そして、その長所のおかげでこちらも学ぶことができて嬉しい、と褒めている のです。 しかも、その表現の仕方も、上から目線ではなく誠実で謙虚さのある言葉を使 って、伝えているのです。 すると、相手もこちらの存在を認め、好意を持ってくれます。 つまり、人のよいところや長所を見つけるのは、一つの能力なのです。 これは、先天的なものではなく、自身の努力によって後天的に身につける才能 です。 よい人間関係をうまく作れる人たちも、最初は人の欠点ばかりを見つけていた という時期を経験しています。 それから、自分の努力で対人関係の技術と内面を磨いてきたのでしょう。 そして、それらが人間的な魅力となって、その人自身も充実した人生を送って いるはずです。 (by ハートリンクス)
2022年09月14日
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【本当の前向きな考え方】 「前向きなことは大切である」、という言葉や情報にはよく接する時代です。 ひと昔前は、つらいことがあっても乗り越えていこう、という考え方が好まれ またそれが美徳のように思われていました。 最近はそのような価値観より、つらいことも楽しもうと考える若者も多くなり ました。 そのために、「前向き」というフレーズへの違和感もあまり強く感じないような 新しい時代の風を感じます。 しかし、それでも「前向きでなければならない」と考える人も中にはいます。 人生は、波のようなもので、楽しいときもあればつらいときもあります。 波にも個人差があり、高い波低い波もあります。 ただ、そうであっても進んでいることは間違いありません。 つらいことがあったら、前向きに考えようというのは、つらい現実から逃げよ うと思うことではなく、現実に目を向けて解決する方法を考える姿勢を促して いるのです。 真の「前向き」とは、つらいときはつらいと素直に感じることです。 稲盛和夫さんが影響を受けた人の一人に、ロバート・シュラーという牧師で、 作家がいます。 その人が、次のようなことを語っています。 〈気分が落ち込んだとき、前向きな人はこう対処できる〉 「人生で何度でも経験する、気分の上下を深刻に考えることはやめよう。 気分をいつもハイな状態に保つのは無理だ。情熱だって息切れする。 ときには、休養も必要だと覚えておこう。 だから、気分が下降線をたどっても驚かずに、情熱が弱まってきたから 栄養補給をするために、しばらくじっとしておこう、そのうち、気分が 高まるときがくる、と気楽に構えよう」 というものです。 さらに「気分は変化する。前向きな情熱は必ずよみがえる!」とも述べて います。 本当の意味での「前向き」とは、気持ちは変わりやすく疲れるものである、 だから、疲れたら気楽に考えて、しばらく休むこと。 疲れた心にムチ打って、前向きになれ、ということではないのです。 前向きな心になると、自分に無理をしなくなります。 全力で何かに取り組むことも必要ですが、真に前向きな人は余裕を持つことを 忘れません。 余裕をもつことが、無理をしないということにもなります。 これが、本当の意味での「前向き」になるという考え方です。 (by ハートリンクス)
2022年09月13日
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【不安を和らげるには】 生きていれば、不安に思うこともあります。 しかし中には、「不安なことは何もない」と、超然としている人が存在する かもしれません。 そもそも不安になるのは、自分を防衛するための生存本能があるからです。 命にかかわる不安な予想には、前もって備えておく必要があります。 それが、命を守ることになるからです。 ただ、まだ起きてもいないことが現実に起きたらどうしよう、と予想すると 心は不安になります。 その不安から、恐怖心になったりします。 不安と恐怖心はつながっているのですが、本来は別々のものです。 不安なことばかり考えていると、起きるかもしれない現実に恐怖を感じてしま いますが、不安な心を和らげれば、恐怖心も軽減されます。 不安というのは、取り越し苦労と同じです。 中村天風という思想家が次のように語っています。 『多くの人は、取り越し苦労を当然と思っている。 物事を問わず、たとえ、本当に心配することを心配した場合でも、 心配しなくてもいいことを心配した場合でも、結果は同じです。 すなわち、取り越し苦労をすればするほど、その心の消極的反映が、 運命や健康に影響を与えるのです』 つまり、不安なことを考えても考えなくて結果は変わらない。 しかし、不安な心を抱くこと自体、心がマイナスなことを考えてしまい それが、運命と健康に悪い影響を及ぼすことになるのです。 この言葉から、不安な心を和らげるための方法を知ることができます。 不安なことを考えても考えなくても同じで、考えるだけ時間のムダです。 それより、心がプラスになるようなことを考えれば、運命も健康にもよい 影響を与えるのですから、そのように考えればいいのです。 これは、「常日頃から考えていることが現実化する」、ということです。 古語にも次のようなものがあります。 『心は、常に現在の一刻に集中しておかなければならない。 物事がまだ出現していないのに、これを迎えることはできない。 過ぎ去ったことを追いかけても、追いつくことはできない』 いま目の前にある現在、するべきことに集中し、どうなるかわからない未来を あれこれ考えず、昔のことをあれこれ考えることはやめましょう、という意味 です。 もし、不安なことがあっていろいろ悩むようなことがあれば、その時にすべき ことを淡々とやればいい、と自分に言い聞かせましょう。 このときに、「不安なことを考えてはいけない」と思う必要もありません。 それは、「不安なことを考えてはいけない」という自身の心に執着すること になるからです。 これは、坐禅のときに無念無想にならなければいけないのに、それができない と悩んでいる人がいますが、それと同様です。 坐禅では、雑念が起きてもかまわないのです。 そのために、自分の呼吸に集中するのが坐禅の取り組み方です。 座っているときに、できることは自分の呼吸に集中するだけ、と単純に考えれ ばいいのです。 不安な心が起きたら、あえてフタをせずにやるべきことをやればいい、と考え ましょう。 しだいに、不安からの執着から解き放たれるようになるはずです。 (by ハートリンクス)
2022年09月12日
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【神経質なのは悪いことではない】 人はいろんな気質を備えもっていますが、その気質がもとになり性格を作って いきます。 中でも、神経質であることは負のイメージとして思いがちですが、それは正し いことではありません。 神経質であるとは、感受性が強いということです。 そのため、人との会話でも相手の気持ちを汲みとる能力が高く、相手を傷つけ ることはなるべく避けよう、という気づかいができるのです。 相手の気持ちを敏感に感じ取る、といういいところがある反面、自分は傷つき やすいところがあります。 そして、自分は傷ついても相手を傷つけることを恐れる性格でもあります。 また、人から嫌われることが恐いため、嫌われないように自分が傷つくことも 受け入れてしまうのです。 これが、神経質な人の弱点かもしれません。 しかし、神経質自体は本来、「人への思いやりが強い」ことなので自信をもった ほうがよいのです。 つまり、神経質であることを人間関係に活かすことができればよいのです。 やさしく、思いやりがあることは、人からも好かれてそれが幸運な生き方にも なります。 そのためには、神経質であることのマイナス面より、プラス面のほうに自分の 意識を向けることが必要です。 たとえば、人にやさしくすることは自然にできる能力があるのですから、相手 が喜ぶようなことを、いろいろ考えてみるのです。 いろいろ考えるだけで、自分も楽しくなります。 そのような時間を過ごすだけでも、和やかな気分になれます。 もし、そこまでできなくても明るい表情を心がけるだけで、相手に対する印象 はよくなります。 仕事をしているとき、1時間でもそのような意識を持って行動することは意外 に大切なのです。 無理をする必要はなく、心地よい気分になろうと考え身近なところから始めれ ば神経質の弱点もなくなるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月11日
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【不平不満が多いと周囲に振り回される】 職場で雑談をしているときなど、 「今日の朝、家族からイヤなことを言われて腹が立った」などグチをこぼす人 がいます。 どこにもあるようなささいなことですが、それも微笑ましい家族間の出来事で あるかもしれません。 ただこのようなグチや不平不満を、いつも話のネタにしている人をたまに見か けることがあります。 もしかしたら、その人は深刻に悩んでいるかもわからないのですが、人の言動 にひとつひとつ腹を立てているだけでは、その人にとっては不幸なことです。 たとえば、誰かからバカにされたような言動があったとします。 そんなときは、不快な気持ちになるのも当然でしょう。 平気で人を傷つけたり、いつも不平不満を口にする人はコンプレックスを多く 抱えているという特徴があります。 よく出てくる言葉が、「誰々が~~をしてくれない」「イヤことを言われた」と いうものです。 しかし、よく考えてみるとグチを言ってる人は、してくれない人やイヤなこと と言う人から、振り回されているのと同じです。 つまり、人との会話雑談のとき不平不満を言う人は、人から振り回される傾向 があります。 ところが中には、あまりグチを言わずに明るい気持ちで過ごしている人もいる のです。 ここに、内面的に何かしっかりした考えをしているか、していないかの違いが あります。 アメリカで建国の父と呼ばれている、ベンジャミン・フランクリンという人が 『不満ばかり言う人には、すわり心地のよい椅子は見つからない』 という言葉を残しています。 不平や不満というものは、誰にもありますがそれを言い続けている間は、なく なりません。 不平不満を減らすことを考えればよいだけのことです。 不平不満を減らすには、まず心の問題として、今あるものに喜んでみることが 大切です。 満足できなくても、今目の前にあるものを大事にすれば、不平不満の量を減ら すことができます。 この考え方を習慣にすると、不平や不満を言う回数は少なくなり、他人の言動 に振り回されることもなく、ストレスをためない生活を送ることができます。 (by ハートリンクス)
2022年09月10日
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【人に合わせすぎると、自分が嫌いになる】 一般的に社会生活では、自分が所属する会社や職場で周囲の雰囲気を乱さない ように気をつかっています。 相手に話を合わせたりしながら、本来の自分を出さないようにという心がけは 誰もがしていることです。 これも、社会人としての適応力を身につけるための努力の姿です。 なるべくなら、人には嫌われたくないという気持ちもあります。 しかし、人から嫌われたくないという気持ちより、「人から好かれなければいけ ない」という気持ちが強い人もいます。 これは、人から嫌われることが恐いという意識があまりにも強すぎるために、 そのような気持ちになるのです。 しかし、そういう自分は本来の自分ではないため、人から好かれたいと演じる エネルギーがストレスになっていきます。 つまり、人から好かれたい気持ちと、そのために無理をしている自分との葛藤 が生まれるのです。 人はもともと自分らしく生きていきたい、と願うものです。 しかし、自分らしくというのもわがままでありたい、好きなことだけをしたい というわけにはいきません。 かといって、自分らしさにフタをして他人に合わせる必要もないのです。 そこに、自分をきちんと持っておく内面的な強さが求められます。 仏教に、『自灯明 法灯明』(じとうみょう ほうとうみょう)という言葉が あります。 ブッダが亡くなられるとき、次のようなことがありました。 ブッダの周りには、多くの弟子が集まっていました。 弟子の一人が、ブッダに涙を流しながらたずねました。 「ブッダがお亡くなりになられたら、私たちは何を頼りに生きていけばよい のでしょうか?」 悲しむ弟子に、ブッダは言いました。 「私が、この世を去ったあと、あなたたちは二つのものを頼りにしなさい。 ひとつは、あなたがた自身。もうひとつは、正しい道である」 この出来事から「自灯明 法灯明」と呼ばれるようになりました。 自灯明とは、自分自身を頼りにすること。 法灯明とは、正しい道・仏教の教えを頼りにするということです。 ただ、法灯明ということは理解できますが、自灯明といわれるとピンとこない かもしれません。 こんなたとえ話があります。 森に茂る木々にもいろんな種類があり、幹が大きいもの細いものがあります。 幹が細いと、一本だけで上に伸びて成長することはできません。 何本かの木と木が枝を出し、その枝が絡まり合いながら伸びていきます。 つまり、一本の木でも幹が細いものは他の木々たちと、支え合わなければなら ないのです。 そうしないと、強い雨風に吹かれたら倒れてしまうからです。 しかし、大きな木は一本でもしっかりと根を張り自身の力で伸びていきます。 樹齢数百年、あるいは千年二千年という大木も存在します。 ブッダが教える「自灯明」とは、この大木のような生き方を示しています。 それが、自分自身を頼りとしなさい、自分を支えることができるのは、自分 自身だけである、というのがブッダの教えです。 人から嫌われたくないために、自分を他人に合わせことも必要なときがありま すが、それだけだと自分の心の奥では「何か違う」と感じているのです。 「何か違う」と感じることがストレスになり、そんな自分が嫌いになります。 自分が嫌いになるのは、人から嫌われること以上に問題で、いいことではあり ません。 人から嫌われることも、自分の個性の現れだと思ってみると案外、自信になる 場合もあります。 人から嫌われたくないという基準を、相手との人間関係を壊さない程度にして おこう、と決めておくのもいい方法の一つです。 自分なりの、人間関係を維持する軸を持つ人ほど、ちょうどいいつきあい方を しているものです。 (by ハートリンクス)
2022年09月09日
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【苦しいことの中にも学ぶものがある】 人は、自分が悪いことをしていないのに、不幸や不運に見舞われることがあり ます。 それは、事故や災難、病気あるいは人間関係上のトラブルなどさまざまです。 そのようなときは悲しみ、あるいは怒りをともないますが、それでも乗り越え ようと努力をします。 努力をした結果、起きた出来事から学んで次に活かす人もいれば、ただの経験 にとどめてしまう人もいます。 どちらの道を進むにしても、その人の考えしだいでその後の生き方は違うもの になります。 成功者と呼ばれる人たちは、不幸で不運な出来事に遭遇したとき、どのような 気持ちでその状況を乗り越えていったのでしょうか? 間違いないのは、 『この出来事から、自分は何か気づくべきこと、学ぶべきことがあるはずだ』 と考えたことです。 その出来事には、大きな犠牲や悲しいことがあったにしても、起きた出来事を 変えることはできないと思い、これからどうするかを考えるのです。 アメリカの著述家に、ジェリー・ミンチントンという人がいますが、起きた事 への対処法について次のように述べています。 『どのような物事も、それ自体はよくも悪くもなく、中立です。 よく見えるもの、悪く見えるものもありますが、それは私たちがそのような 見方を選んでいるにすぎません』 これは、マイナスの要素があって不快だと思うとその見方をし、プラスの要素 があって喜べて楽しいと思えばその見方を選ぶ、ということです。 この言葉から、教えられることがあります。 それは、どのような出来事でも、いいほうにプラスに解釈すれば自分にとって もプラスになる、ということです。 また、古い教訓に、「禍福はあざなえる縄のごとし」というものがあります。 これは、この世は不幸という一本の藁と、幸福という一本の藁をより合わせて 作る縄のようなもので、人の不幸も幸せも、表と裏であり何が不幸のもとで、 何が幸せをもたらすかわからない、という意味です。 この言葉は、どうあがいてもしょうがない、と世の中を嘆いているととらえる のが一般的ですが、そのように考える必要はないのです。 不幸も、幸福も表裏一体なら、どちらに注視するかはその人しだい。 不幸と幸福が混じっているなら、幸福のほうをいつも見ていくようにすれば 自然に、幸な見方をする心がつくられるはずです。 ものの見方や心は習慣化できます。 不運や不幸な出来事でも、その中から気づくこと学ぶことがあると思って よく見ていく習慣が、自身をプラスの方向に向かわせることになるのです。 (by ハートリンクス)
2022年09月08日
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【こだわりをなくすと好き嫌いが消える】 なにかに限らず、こだわる人を見かけます。 たとえば「フランス料理は、あのお店が美味しい」という人がいます。 もちろん、そこは有名で由緒あるお店かもしれませんが、こだわり過ぎると 反対にその人から遠ざかりたくなります。 そこまでいかなくても、なにかにこだわりを持つ人は、好き嫌いがはっきりと しているものです。 中には、フランス料理も好きですが、お茶漬けのような簡単であっさりしたも のも好き、という人もいるのです。 このような人は、好き嫌いがあまりなく他のことでも、こだわることがない人 だといえます。 とくに食べ物に好き嫌いがある人は、それが食べられないときストレスを感じ ます。 ところが、ふだんから食べることに好き嫌いがない人は、どんなものでも美味 しいと思うものです。 不思議ですが、人に対しても好き嫌いの激しい人は、人間関係でもストレスを 感じやすいところがあります。 好き嫌いがはっきりしているため、好きな人にはよい感情を持ちますが、嫌い な人にはネガティブな感情を持ち、それがストレスとなるのです。 ところが、どんな人ともそれなりにうまくつき合える人は、人間関係でのスト レスはさほど感じません。 好き嫌いにこだわりがないため、どんな人にもにこやかな表情で接することが できるのです。 こだわりの強い人、好き嫌いが激しい人ほど、相手に対して求めるものも多い という特徴があります。 「私はあなたが好きだから、私の願いに応えてくれますよね」といった意識を 持って相手と向き合ってしまうのです。 そして、それがかなえられないとき、イライラと不安で苦しくなるのです。 相手からすれば、「そんなに深くこちらに入り込まないでほしい」、と思って しまいます。 瀬戸内寂聴さんが、「こだわる」ことについて次のように語っています。 『こだわりをなくすと、自由に生きることができます。 自分に一つでも二つでも凝り固まっているこだわりがあるなら、その心を しっかり見つめて、ほぐしていくことが大切です』 こだわるのは、心が凝り固まっている状態だと、瀬戸内さんは言います。 固まっているのは、柔らかさが不足しているため、それに合った容器にしか 入れることができません。 水のような柔らかさがあれば、どんな容器にも入れることができます。 こだわりをなくしていけば、自然に心も柔らかくなっていきます。 そのためにも、ストレスのもとになる好き嫌いへのこだわりを減らしていき ましょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月07日
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【心を折れにくくするには】 よく、「心が折れやすい人は気が弱いからだ」と言われることがありますが、 じつはそうではありません。 気が強い人でも、心が折れてしまうのはよくあることです。 たしかにメンタル的に強い人と思われている人が、心が折れにくい人だという 見方はありますが、そうだと決めつけるのは危険です。 気が弱そうに見えていても、その人が物事をどのように受け止めているかで変 わってきます。 つまり、気が強そうでもその人の受け止め方しだいでは、心が折れやすい人か もしれないのです。 問題は、心がやわらかいか硬いかの違いです。 受け止め方がやわらかい人(柔軟な人)は、物事をネガティブにとらえること より、ポジティブにとらえる回数が多いという特徴があります。 つまり、日常の気分・機嫌がよくなるようにいつもスタンバイしています。 具体的には、ふつうどうでもいいことにも、「ラッキー!」と感じることが一日 に何度もあるのです。 たとえば、車を運転しているとき、自分の好きな数字があるとします。 それが、123、とか777とかでもいいのですが、すれ違う車のナンバーが その番号に近いものだったり、同じものだったとき、「ラッキー!」と心の中で 叫ぶ、これだけでもよいのです。 まったくバカげたことかもしれませんが、人の心とは案外単純なことにも反応 するものです。 このように、気分や機嫌をいつでもよくなる状態にしておくことができる人が 心が折れにくい人でもあるのです。 ところが、小さなことにもすぐケチをつけて、批判めいた言葉を心の中で叫ぶ タイプの人は、不快や不機嫌にいつでもなれる状態をスタンバイしていること になります。 心の入り口は、気分や機嫌、つまり感情です。 本当にメンタルが強く、心が折れにくい人は、心が鋼鉄のように強いのでは ありません。 心に力みがなく、自分は強くなければならないとも思わないのです。 心に力みのない人は、「自分は気が弱いけど、そんな自分でもいい。今の自分 が結構好きだ」と自分を肯定できる人なのです。 自分を肯定できるから、人にも肯定的になれます。 自分と違う意見でも、「そんな考えもあるんだ」、とさらりと受け止めます。 怒りっぽい人は、怒りの原因に対して敏感に反応して、それを何度も繰り返し 思い出しています。 自分に対しても怒りのほこさきを向けるため、心も折れやすくなります。 もし、そんな傾向が自分にあると思う人は、気分を切り替えるように考え方を 修正してみましょう。 気分や気持ちを切り替えることは難しいと思いがちですが、深刻に考える必要 はありません。 ブッダの言葉に、次のようなものがあります。 『軽やかに思考を切り替えなさい』 人は、自分の考えにこだわり、しがみつきたがるものですがそれを止めるのは 大変です。 しかし、自分とは違う考え方もあるんだな、とそれまでの自分を維持しながら 新たな考え方を増やす、というように思えばいいのです。 ブッダは、この「新たな考え方を増やす」と思えば、軽やかに思考を切り替え えることになる、と教えています。 自分を変えることは簡単ではありません。 しかし、考え方を新たに増やすことは簡単です。 こうすれば、考え方に広さと柔らかさも生まれ、折れにくい心に一歩近づく ことになるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月06日
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【好きなことをするとメンタルが強くなる】 ある産業医の方が、一万人近い人の相談にのり、その中でストレスに強い人 には、共通した特徴があることに気づきました。 まず、相談者で何らかのメンタル不調が原因で、仕事を休んだことがある人 に、「趣味は何かありますか?」と聞いたところ、ほとんどの人が「ない」と 答えたそうです。 ところが、週に一度あるいは月に何度か、自分の趣味や好きなスポーツをする 時間をとっている人には、メンタル不調の人はほとんどいなかったそうです。 つまり、ストレスに強い人の特徴というのは、自分が好きなことをする時間を 楽しんでいる、ということがデータとしてわかったのです。 この事実から、一人の時間や孤独の時間を作り、自分が好きなことに集中する ことで精神的な強さが鍛えられているのがわかります。 最近の傾向として、趣味がない人はたしかに多いようです。 その分、SNSを使った人とつながり、その人たちとメッセージを交わすことが とても多いのが実情です。 このこと自体は、社会性を身につけるという意味ではよいことですが、自分と いうものがなく、相手に合わせることが目的化されると、かえってストレスに なる場合もあります。 そうなると、自分が相手からどう思われているか、このことがとても気になり 落ち着かない心で毎日を過ごすことになります。 しかし、自分独自の好きなことに没頭できる人は、その間は自分が人からどう 思われているかなど、まったく気になりません。 一人であっても、好きなことをやっているのが楽しく仕方がないのです。 さらに、この時間が日頃のストレスを解消させ、あらたなエネルギーを補充し ているときなのです。 一人の時間を持ち、生きていくパワーを蓄えることで成熟した人間になること ができます。 もし、「自分は、これといった趣味がないなぁ」と感じるなら、一人の時間を 楽しむ生活のリズムを作りましょう。 一人で、映画を観たり、知らないところに出かけてみたり、コンサートに行く などでも十分です。 そのような時間を味わうことが楽しくなれば、メンタル的な力が強くなった あかしといえるでしょう。 また、それで人とのつながりをより強く感じることができるようになります。 今の社会は、人とのつながりの多さが評価される時代です。 ただ、つながることだけが価値の基準になると、つながっていたい相手との 人間関係がなくなったとき、不安が生まれ強い孤独を感じるのです。 ブッダの言葉に、『ひとりで、みずからの歩みを進めなさい』というものが あります。 これは、自分独自の生き方を持ちなさい、という意味です。 人がどうであれ、私は私の好きな道を歩く、という気概を持つことも必要な ことです。 孤独の時間が強い自分を作っていく、という考えも大切にしたいものです。 (by ハートリンクス)
2022年09月05日
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【自分に厳しくなり過ぎると苦しくなる】 「仕事で成功したい、そして自分の好きなことをして人生を送りたい」と考え 目標を立て、頑張っている人は多いと思います。 それでも、その途中でいろいろな問題に直面し、不安になることがあります。 そんなとき、不安になる自分に「もっと強い気持ちを持たなければ」と誰もが 思います。 それは、自分で自分を励ますことになり、その後気持ちを切り替えてまた元気 になる人もいます。 一方「もっと強い気持ちを持たなければ」と思いつつ、片方では、「どうして 自分はこんなに弱い人間なのか」と自分を責める人がいます。 このようなときの気持ちは、ネガティブな方向に傾いて視野が狭くなっている ときです。 そして「自分の力でどうにかしなければ・・・」と焦りと不安が増幅するよう な状態になります。 これでは、せっかく立てた目標はどんどん遠くへ離れていきます。 自分を責めてしまう人は、責任感が強いという特徴があります。 しかし、何でもすべて自分が悪い、自分が弱いからと思うのは考えものです。 すでに、いろんなことを経験し成功した人から見れば、たぶん次のように思う でしょう。 「たまには、不安になることもあるよ。小さなことにこだわらないで、もっと 気楽に考えるべきだ。 どうにかしようと、考え過ぎずあまり堅苦しく考えないほうがいい」と。 仕事に限らず、人間関係の問題でも、おなじように悩むことがあるかもしれま せん。 つまり、「どうして、自分は強い心を持てないのだろう」と自分を責めている 間は、問題解決のためのアイデアにフタをしているときでもあるのです。 これは、「自分を責めている自身の考えに流されている」、こととおなじです。 京セラを創業した、稲盛和夫さんが次のように述べています。 『状況の奴隷になってしまうと、状況の悪いことを認めてしまい、自分の夢 は実現できないのだ、という結論を出すだけになる。 しかし、強い願いを持っている人は、問題解決のために創意工夫と努力を 始める』 これは、悩んでクヨクヨしているだけでは先に進まない。それよりも創意工夫 と努力をすることに気持ちを向けることが大切である、ということです。 責任感があることは大切ですが、それが自分を責め過ぎる原因にならないよう に気をつけることはもっと大切です。 自分を厳しく追い詰めるより、どうすれば問題を解決できるかの方向に目を 向けることが、本当の楽天主義の生き方といえるでしょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月04日
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【落ち込みやすい人のいいところ】 落ち込みやすい人には、いくつかの特徴があります。 ひとつは、なにかにつけて自分と周囲を比べたがることです。 たとえば、仕事で同じ年に入社した同僚が、自分よりも優れた成果を出した とき。 また、同じ仕事をしている後輩が、給与の額では自分より多いとき。 このようなことで気分がよくないと感じることは誰にもあるのですが、落ち こみやすい人は、そのことを重く受け止めてしまい元気をなくすのです。 そうかといって、自分が比べる相手よりも上でありたい、というわけでもない のです。 そんなときは、むしろ相手に申し訳ないと思ったりして落ち込みます。 しかも、仕事はまじめできちんとしないと気が済まない、さらに几帳面さも あり、よいところもあるのです。 つまり、自分の立場がどうであっても、落ち込こんでしまう。 一途で、まじめなのに落ち込みやすい、そのために苦しんでしまう。 そして、人のことが気になって仕方がなく、落ち着かないのです。 反対に、あまり落ち込まないタイプの人、他人と比較することはせず、気にも せず関心も示さないものです。 つまり、自分が人より劣っていても他の面で頑張ればいい、という自分の強み を知っています。 しかし、落ち込みやすい性格の人も、考えようではいいところがあるのです。 そのいい点を自分で活かす工夫をすれば、元気を取り戻すことはできます。 『ウサギと亀』の話があります。 目的地までどちらが早く到着するか、という物語です。 結末は、ご存じのようにウサギが油断したために、亀に負けるという話なので すが、ウサギの油断とは別に、もう一つ見るべきところがあります。 それは、亀の考え方です。 たしかに亀は、居眠りをしているウサギを追い越しはしましたが、そのときの 亀はゴールの旗だけを目ざしていたのです。 スタートした時点で、亀も自分の足ではウサギには勝てないだろう、と思った のですが、途中何があるかわからない、と考えたかもしれません。 ただ、亀は走り出したら、ゴールの旗だけを目ざし自分のペースで、一歩ずつ 進んだ結果、ウサギより早かった。ただそれだけのことです。 そして、亀は自分の生き方に自信を持つようになったのです。 このように、自分は落ち込みやすいという弱点があっても、一つの目標を目ざ していけば、自信が生まれるものなのです。 工夫をするとは、新しいアイデアを考えるというより、今まで気づかなかった ことに気づく、ということです。 新たな気づきは、自分に元気をもたらしてくれます。 そして、何かに気づくためには、目標をもつことが大切です。 ただ、漠然と生きるのではなく、目標を持つことを大切にしましょう。 (by ハートリンクス)
2022年09月03日
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【あわただしさの中でも落ち着いた心で生きる】 今は、どんな職業の人でも「閑(ひま)でしょうがない」という方はおられ ないと思います。 とにかく、多くの職場では人手が足りないとう情報であふれています。 それでも、世の中がどうにか回っているのは、仕事が効率よく行われている ことと、ほとんどの人が働き過ぎている、という二つの理由があるからです。 しかも、コロナパンデミックの社会ですから、なおさら働き過ぎる状態が日常 化しています。 しかし、こんなときだからこそ、気持ちの休まる時間をつくり落ち着きのある 日々を送ること大切です。 古語に「市中の山居」(しちゅうのさんきょ)という言葉があります。 これは茶道の大家、千利休の言葉ともいわれています。 あわただしい喧騒の社会、競争の社会、時間に追われる社会の中にいながら、 わずかな時間でも静かな森で鳥の声を聞いたときのような気分になる。 それができれば、仕事や雑事で心を乱すことなく、淡々と生きることができる のではないか、ということを示した言葉です。 もともと茶道も、禅の教えから生まれたものですが、この禅がなぜ鎌倉時代の 武士に広がったのかというと、当時は御家人(武士)同士の争いが各地で起き ていたという時代背景があります。 そのため、幕府の人も武士たちも、心が休まることがありませんでした。 そうした時代が長く続く中で、茶道をたしなむことで心の落ち着きを取り戻し たい、という人々の願いがありました。 豊臣秀吉の時代になり、千利休は重用され茶道も根付くようになりました。 今は、日本はそれなりに平和な社会が維持されていますが、現実には多くの人 が働き過ぎて、気持ちの落ち着くときがない状態です。 それでも、心を休めるための癒しの情報は、昔にくらべれば選んでも選びきれ ないぐらいたくさんあります。 ただ、自分のためになる情報もあれば、自分を害する情報があることも知って おく必要があります。 自分のために、よい情報を手に入れて実践するには時間が必要ですが、一度に その時間をつくろうとするのはむずかしいものです。 いちばんいいのは、こま切れの時間を活用することです。 夜20分、朝は10分という短い時間でも、癒されるときを持つだけで気分は よくなります。 「市中の山居」の生活を味わうことができるなら、いつでも落ち着きのある心 で過ごせようになると思います。 (by ハートリンクス)
2022年09月02日
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【人として成長する条件】 人には成長期というものがあります。 そして、体が成長する時期と心が成長する時期、があります。 平均的には、高校時代が終わるころには体の成長のピークを迎えますが、心の 成長のピークは個人差があるとはいえ、やはり20歳あるいは大学卒業の時期 になるようです。 しかし、人間的な成長というものになると、年齢は関係ないと考えられます。 それは、大人として揉まれる経験をしても、人によって考え方は人それぞれと なってしまうからです。 それでも、自分で働き生きていくために仕事をするとき、人間的に成長したい と誰もが思うものです。 現代でもよく聞くことがある『道徳』。 この言葉は老子の書物「老子道徳経」に由来するといわれています。 これは、人として生きる「道」・人として持つべき「徳」を合わせたもので、 これが「道徳」です。 道とは、自然界の法則、世の中にあるべき真理のことをさします。 ただ、老子は人としての道はどんなものかを思索しているときに、農家の人が 働いている姿をみて、気づいたそうです。 農家の人は、季節や天候など自然の摂理現象に従いながら、毎年多くの作物を 作る。 その姿を見て、人は自然界の法則に沿うことが道である、老子は気づきました。 この「道」は、生きていくためにはどうしても必要なもの。 しかし、それだけではなくもっと大切なものがあると、さらに考えました。 それが、「徳」というものです。 老子の言う「徳」とは、「人として成長するために必要な条件」です。 具体的には、人にやさしくあるべきこと、つまり人を傷つけたりしない、嫌わ れるようなことをしない、他人の言葉を素直に聞き謙虚であること、クヨクヨ しないことなど、これが「徳」です。 老子の生きた時代は、戦乱の時期でどこに行っても小さな国どうしが戦ってい る不安定な状態でした。 「欲を出し、他国を自分の国にしようとして戦いに明け暮れるのは、徳が足り ないからである」、というのが老子の考えです。 つまり、人間として成長すれば、戦争をしたり人を傷つけることはしない、 という考えです。 現代も同じで、人として成長すれば、人間関係もうまくこなし健康で、明るい 生き方のサイクルが生まれてきます。 「道徳」という言葉も、今は軽く扱われているような感じもしますが、本当は もっと大切に真剣に考えてもよい言葉なのかもしれません。 (by ハートリンクス)
2022年09月01日
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