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【幸運な人ほど相手を思いやる】 人間関係で悩む人の特徴は、相手を嫌っています。 相手が自分のことを嫌っているから、自分が相手を好きにはなれないと思って いる場合もあります。 どちらにしても、自分の感情を主体に考えるために、相手を好きにはなれない のです。 また、相手が自分を批判したり、悪口を言っていることもあります。 もちろん、どんな人ともうまくやれる人はいませんが、だからといって人間関 係が悪いままだとストレスになりやすいと言えるでしょう。 一方、運のいい人は嫌いな人がいても、ストレスになるようなレベルまで感情 を乱すことはありません。 嫌いだと感じていても、心の中では「世の中にはいろんな人がいるのだから、 あの人を好きな人だっているかもしれず、いいところがあるかもしれない」 というように、相手への気持ちを整理しています。 このように、自分は自分人は人、と考えながら相手を肯定できるのです。 よく、思いやりとは、自分が好きな人にしか持たない感情だと考えるものです が、自分と相手との距離をつかず離れずにするのも、思いやりの延長線です。 少なくとも、この場合は相手に悪感情は抱いていません。 人間関係をよくするには、相手に対する自分の感情をフラットにできるか、で きないかがポイントになります。 もちろん、相手に対して好意的な感情を持つのはいいことですが、すべての人 に好意をもつのはかえってストレスになるでしょう。 禅の言葉に、『冷暖自知』というのがあります。 読み方は、「冷暖自ずから知る」です。 意味は、冷たいとか暖かいとかは自分で知ることしかできない。 つまり、自分以外の他人の立場にある人のことを、好きとか嫌いだとかの評価 はできないものである、ということです。 人が相手のことを批判し、不満を言うときは自分の感情だけで、自分本位で考 えているときです。 人間関係をよくする一番のコツは、「利他の心で相手と接する」ことです。 つまり、相手の身になって考えようとするとき、相手もこちらのことを考えて くれるのです。 それが、結果として自分の運を開いていくことになります。 利他の心、思いやりの心をもっと大切にしましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月30日
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【心の疲労の癒し方】 心が疲れる原因は、人によってそれぞれです。 生活の環境が異なるため、多種多様なストレスがあります。 ただ、おおまかにいくつかの種類に分けることはできます。 たとえば、人間関係、健康のこと、家族のこと、金銭的なこと、将来のこと、 などです。 また、これらがいくつか重なるような悩みもあります。 人の心と体は、密接に関連していますから、心に悩みがあれば自然に身体の面 に影響が出るものです。 反対に、心に悩みはなくても体の病気があるために、それが心の問題になるこ ともあります。これからの時代、いかにして心の健康を守るかが大事です。 そのためには、疲れない心の持ち方をすること。 次に、心が疲れ体も疲れたときの休養の仕方に工夫をすることです。 この二つのことをうまくコントロールできれば、心身の健康を守ることができ ます。 まず、最近イライラすることが多くなった、と感じたら心の疲れが溜まり始め たサインです。 本来、心の免疫力が強い人はそのサインを素早くキャッチできますが、頑張り 屋さんの人は、心が疲れていても疲れを感じないことが多いのです。 そうならないためには、自分の内面を見る習慣を持つことをおすすめします。 内面を見るとは、自分の心の状態を客観的に見たり感じたりすることです。 そのためには、一人で過ごす時間を毎日キープすることが大事です。 時間の量は個人差がありますが、気分がスッキリできればよいと思います。 できれば、マインドフルネスなどで簡単に呼吸を調えたり、短時間の瞑想など を生活の一部に取り入れることも大事です。 心の状態が落ち着くと、体の異常なところがどこなのか、自分でわかることも あります。 心の目で、体の状態がわかるぐらいになれば、自分をコントロールすることが 楽しくなります。 この生活リズムで、自分に合ったポジティブ思考とネガティブ思考のバランス がとれるようになるでしょう。 スポーツやストレッチ、読書や音楽鑑賞など自分が好きなことがあればそれも とり入れることで、疲れを癒すこともできます。 (by ハートリンクス)
2023年09月29日
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【自分の見た目を変え、自己否定感をなくす】 年齢に関係なく、おしゃれをすることが好きな人は多いようです。 おしゃれは自分を少しでも美しく見せよう、という意識の表れです。 このおしゃれ意識は、自分に勇気を与えてくれる効果もあります。 世界の多くの国では、香水など使うことは当たり前です。 そもそも香水というのは、自分の体臭で相手を不快な気分をさせてはいけない、 というところから生まれた、人類の知恵です。 これは、人としてのエチケットでありおしゃれです。 もし、元気が出ない日は、洋服の色を明るくしたりするだけで、心理的な効果 があるのです。 ところが、悩みのせいでストレスが溜まってくると、今日着ていく洋服のこと など気にする余裕もないときさえあります。 このような心の状態は、自分を否定する精神モードになっていると考えるべき かもしれません。 そんなときは、とりあえず自己肯定感をアップするために、身に着ける小物を 増やしたり、明るい色彩に変えてみることをおすすめします。 それだけで、自分に自信を取り戻し、自分の長所に気づくこともあるのです。 昔、仏教の修行僧が自分の師に質問しました。 『この世で、いちばん素晴らしいものは何でしょうか?』 師は次のように答えました。 『それは、あなたが生きていることだ。 生きているだけで、素晴らしいのだ』 つまり、自分がこの世に存在していること自体が、素晴らしいことだから自信 を持ちなさい、ということです。 自分の見た目に少し変化をつけるだけで、それまで気づかなかった自分のよい ところがわかることもあります。 悩みがあり、心が折れそうなときは自己肯定感がなくなり、自己否定感だけが 心を支配します。 本当の自分を取り戻すには、何かのきっかけがあればよいのです。 そのきっかけとして、いちばん手っ取り早いのが自分の見た目を変えることに あると思ってみましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月28日
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【自信をなくしたときの発想法】 人が生きていく一生の間には、何をやってもうまくいかず自信喪失になること もあれば、自信に満ちあふれてすべてが順調にすすむ時期があります。 自信をなくしたときは、これからは自分によいことが起きないのではないか、 とマイナスの暗示を自分にしていることがあります。 物事が順調にいっているときは、人によっては謙虚さを忘れて自分の力を過信 することがあります。 しかし、どちらの場合でも考え方がしっかりしていれば、現実の出来事に心を 乱されることはないのです。 中国の思想家、老子が次のように教えています。 『禍(わざわい)は福のよるところ 福は禍の伏(ふ)すところなり』 不幸や禍など、悪い出来事が起きたら、今までの心の持ち方、言動が間違って いたことを精算したのと同じです。 実際は、しばらくは苦しいかもしれませんが、これから運がよくなっていく、 と考えるのです。 また、何かよい出来事が起きるのは、それまでのよい心の持ち方や言動が正し かったことの結果です。 ただ、それは貯まっていた幸運を減らしたことになります。 何の努力もせず、そのままだと禍に遭うことになりかねません。 そのためには、減らした運の貯金をさらに増やすようにする必要があります。 とくに、不幸なことに出遭ったときは、自分にマイナスの暗示をかけるような 心にならないように気をつけるべきです。 そして、失意の時期は反省しながら、次の再起のために必要な時間であるとい う意識を持続させることが大事です。 つまり、自信をなくしたときに、最も有効な考え方は、「自分の心を強く育て ていく時期である」、と考えることです。 このように考えれば、不幸な出来事に対する認識がプラスに流れ、自分の心を 強くすることになるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月27日
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【不安とうまくつき合おう】 仕事でも私生活でも、思った通りにならないとき、心は動揺します。 動揺するのは、不安だからからです。 不安とは、自分にとって苦しいことや、つらいことが起きたらどうしようか、 と考えることです。 「もし、そうなったらどう対応すればいいのだろう?」 という自分が何をどうすればいいのかという自信のなさから、不安が生まれ ます。 物事に、対処することに自信がある、あるいは解決できるというプラス意識が あれば、当事者は落ち着いて対応できます。 たとえば、体のどこかを手術するとき執刀するドクターは、事前にカンファレ ンス等で処置の仕方を想定します。 想定したうえで、技術的な自信があるから患者さんの病気を治せるのです。 それでも、救急の場合は想定した以外の患者さんを受け入れなければならない ため、高度な医療技術がドクターには求められます。 これを、一般の人にあてはめれば、自分の思い通りにならないことがあったに しても、それなりの心の準備をしていれば、不安になることもありません。 また、もう一つの考え方として、何か問題がおきたときに最悪の場合、どんな ことになるのかを想定し、そのための対策を考えておけば不安の度合いも減ら すことができます。 古代ローマの哲学者、セネカが次のように語っています。 『自分は何と不幸な人間なのか、 と考えることが自分自身を不幸にする』 つまり、人生においては何が起きるかわからないのですが、どんな問題に直面 しても、すべてを悲観的にとらえずに、楽観的にとらえる気持ちの余裕は残し ておくほうがよいのです。 気持ちの余裕を残しておくには、日頃から自分を強くする思考パターンを作っ ておくのが賢明です。 不安とうまくつき合うこと以上に、常日頃の心の持ち方を大事にしておくと、 予期しない出来事に心が乱されることもなくなるでしょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月26日
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【不満はそのままにしておかない】 どんな立場にある人も、その人にしかわからない不満があります。 すべての出来事や、仕事の上でも自分の思い通りに行かないことがあると、 それが不満になります。 はっきりした不満というのではなくても、心の中では「もっと~してくれれば いいのに」という気持ちも、不満の種として残るものです。 このように、自分の思い通りにならないために起きる不満をなくすのは簡単で はありません。 そんなときに、口に出るのがグチです。 ボヤきということもできます。 心理学では、不満を不満のままにしておくと、潜在意識ではだんだん大きくなり それが、自分では気づかない内に体や心のリズムを狂わせると分析します。 さらに、その不満がストレスに変わり、限界を超えたときに暴言という形で表 れたり、胸が苦しくなるなどの症状が出たりするのです。 人の心は、自分では気づきませんが忍耐力はあります。 ただ、それは物理的な重さがないために人によって、限界も違います。 知っておきたいのは、不満やストレスを放置しておかない、ということです。 これは、自分自身を知る力があるかないか、にもつながることです。 不満があっても、適時適当にうまく軽くする人もいます。 そんな人が、世間では成功者であり幸福な人たちがやっていることです。 初歩的なことですが、不満を感じたら深呼吸をするクセを身に着けるだけで心 を守ることができます。 さらに、心を守るだけではなく心を強くすることにもなるのです。 深呼吸して、言葉には出さなくても気持ちを落ち着かせることができたら、 次の段階は、気分転換です。 気分転換とは、心の風通しをよくすることだと考えてみます。 たとえば、締め切った部屋の中に長時間こもっていると、息苦しくなります。 そんなとき、窓を全開して風を入れ風を出すと、部屋の空気は一変します。 深呼吸をして、気分転換をする。 この行動パターンをつくれば、ストレスに対する免疫力は強化されます。 このように、不満という一見心にとってマイナスのものが、対処の仕方一つで 心を強くするきっかけになるのです。 マイナスエネルギーを、プラスエネルギーに変えることができる力は誰にでも あると考えましょう。 その考えが、不満がかえって自分の成長の糧になるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月25日
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【所有物の多さと幸せは比例しない】 人は、モノでもお金でもたくさん持っているほうが幸せだと思っています。 それは、間違った考えではありません。 何十年か前は、今のようにたくさんモノはありませんでした。 しかし時代も変わり、欲しいものが簡単に手に入るようになってくると、モノ を少しでも多く所有したい、もっとほしい、という気持ちになりました。 そして、今度はたくさんのモノを手にしてみると、モノは豊かになったけれど 心の満足は得られないことに、人は気づきはじめました。 すると、「断捨離」という考えが注目されるようになり、シンプルであること が心を豊かにすることだ、と思うようになりました。 つまり、モノを多く持つほど心はかえって不自由になり、幸せのためにはモノ を多く持たなくてもよい、という考えも一方で生まれたのです。 菜根譚という書物の中に次のような言葉があります。 『人生においては淡泊を知るべし』 淡泊とは、心を飾らず高ぶらせず、穏やかな状態のことです。 お金はたくさんあったほうがいいのですが、モノの値段が高ければ、わずかな お金しかなくても、モノを安い値段で買うのと同じことになります。 たとえば、カップラーメンは日本では200円するとします。 しかし、アメリカのある都市にいけば500円出さないと買えません。 つまり、モノの多い少ないとはあくまでも、相対的な価値ですから多いほうが いいとは決められないのです。 食料が少なすぎて、飢餓状態にあるという特殊なケースは別として、お金があ まりなくても、美味しい料理をいつも食べられなくても、家族どうしにこやか に食卓を囲むことが幸せの姿です。 モノやお金はたくさんあってもよいですが、少なくてもよいのです。 お金がたくさんある人は、たくさん消費したり社会に役立てるように使うこと もできます。 大事なことはどんな立場であっても、幸福を感じる生き方をしているかどうか です。 (by ハートリンクス)
2023年09月24日
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【劣等感を気にし過ぎない】 人が子どもから大人になっていくとき、かならず誰かと比較されます。 比較されるのは避けては通れないものです。 とくに子どもは誰かと比較されて「~さんに負けないようにしようね」という 言葉を、大人たちから聞かされて育ちます。 自分が、誰かより優れているときはいいのですが、誰かより劣っているとき 「恥ずかしい」、という感情を覚えます。 これが、劣等感(コンプレックス)です。 しかし、走ったり動いたりすることが人より劣っていても、もしかすると絵を 描いたり、漢字を覚えて書くことが他の人よりも優れているかもしれません。 このように、一つの能力だけを見て、人を評価するのは正しいとはいえないの です。 もし、自分のことをつい誰かと比べるクセがあるなら、いっそのこと前向きで プラスになるような比べ方をするとよいでしょう。 意外と多いのが、人と自分を比べて自信をなくしてしまうケースです。 「あの人にはできても、私にはできそうにない。自分はダメなんだ」 という考え方です。 そうではなくて、 「あの人はなぜ、あんなことができるんだろう。 もしかしたら自分もやればできるかもしれない。 なぜできるのか聞いてみよう」 というように考えればよいのです。 どんな人にも、コンプレックスの一つや二つぐらいあるものです。 だからといって、自分を卑下したり自信をなくす必要はまったくないのです。 モノは考えようです。 同じ現実でも、とらえ方を変えたり、視点を変えることで見えてくる景色も違 うものになります。 (by ハートリンクス)
2023年09月23日
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【反省すると自己肯定感が上がる】 何かのミスをして反省する、これは誰にもあることです。 反省とは、一つの出来事を体験したことから生まれた学びです。 この反省できること自体が、人を成長させてくれます。 古代ギリシャの哲学者、ピタゴラスが言いました。 『一日を終えるとき、怠けたりしなかったか反省してみよう。 もし、精一杯努力したのであれば、そのことを喜び眠りに就こう。』 反省するというのは、自分の心の問題です。 Aさんは、今日はどういうわけか気分が乗らずに、仕事で手を抜いてしまった から反省しようと思い、明日は頑張ろうと決めました。 この気持ちには後悔の思いもあります。 ところが、Bさんは、今日は仕事で手を抜いてしまった、明日もやる気が起き そうにないな、どうして自分はダメな人間なのだろう。 と自分に嫌悪感を抱く人もいます。 この二人にはあることが言えます。 Aさんは、正しい反省の仕方ですが、Bさんは間違った反省の仕方です。 Aさんの反省は、自己肯定感を上げる反省ですが、Bさんは自己肯定感を下げ る反省です。 Aさんのよい点は、真剣に仕事をしなかったことを一つの体験として、次から 自分をよくする材料にしようとしています。 しかし、Bさんは、きちんと仕事をしなかった自分自身をダメだと思い、それ 以上に自分を責めています。 このことから、人は誰もが反省はしますが、どんな反省の仕方をすればよいか までは考えようとはしないものです。 できるなら、一日を終え「今日一日、反省すべきことはなかったかどうか」を ふり返ることを習慣にしたいものです。 もし、「やるべきことをやり切った」、と思えるなら自分を褒めてあげ、明日も 頑張ろうと考えましょう。 もし違っていたら、「やろうと思えば自分はできるんだから、明日は気持ちを入 れ変えて頑張るぞ」と考えるのです。 正しい反省の仕方は、心にプラスエネルギーが生まれます。 反省のやり方しだいで、自己肯定感が上がるか、下がるかどちらを選ぶかは 自分しだいです。 (by ハートリンクス)
2023年09月22日
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【傲慢と自信の違い】 人生でも事業でも、成功を安定させている人の特徴の一つに、人の話に耳を傾 けるところがあります。 中には、自分だけのアイデアと行動力で起業し、成功した経営者もいます。 そんな優秀な人でも、人の意見を聞こうとせず、自分の判断が最もよいと考え ていたために、事業を手放してしまう、あるいは倒産するケースもあります。 ジャック・ウェルチという実業家がいました。 彼は、発明王エジソンが設立した、ゼネラル・エレクトリック社のCEOを務 めた人物ですが、次のように言いました。 『傲慢と自信の違いを知らなければならない。 傲慢な人は、他人の言葉に耳を傾けない。 自信のある人は、異論意見を尊重し、 素直に耳を傾けるだけの勇気を持っている。』 傲慢とは、自分の価値観で判断したことが最も優れている、という考えで他人 の意見を聞こうとしないことを意味しています。 これは、「自分の考えのみが正しく、他は間違いであるという独善的な考え方」 です。 これで物事が順調にすすんでいる間はいいかもしれませんが、いったん見通し が立たなくなると、周囲の人は去っていきます。 一方、自信のある人は多少傲慢でも、周囲の意見を聞きながら、よいところは 取り入れてみようと考えます。 このような人は、たんに余裕があるだけではなく、自分にはない知恵を手に入 れたいという意欲があります。 さらに、内面的には自分に意見してくれた相手には誠意を持つべきだ、という 礼儀を重んじる性格です。 これは、個人の生き方についても同じことが言えます。 人が生きていくには、自分一人の力には限界があります。 何をするにしても、目には見えないところで多くの人たちの協力や支援がなけ れば、生きていくことはできないのです。 傲慢な人は、他人の意見を否定することで、自分の有能さを感じたいと思って います。 しかし、自信のある人は、いろんな人のおかげで自分に自信を持つことができ た、と心の底では感謝の念を抱いています。 「傲慢」の根元には自分が一番、という独りよがりがあり、「自信」の根元に はみんなのおかげという謙虚さがあります。 独りよがりの生き方より、謙虚であろうとする生き方が幸せへの道なのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月21日
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【嘆くより進むことを考える】 人の心はいつも元気だとは限りません。 ちょっとした言葉の行き違いで、職場での人間関係が気まずくなったりすると 暗い気持ちになります。 また、過去にあったイヤな出来事が何かのときに、記憶によみがえってくるこ ともあります。 このように心に元気がないときほど、マイナスの出来事が起きたり、あるいは マイナスの出来事が起きて心の元気をなくしたり、両方あると思います。 しかし、これもよく考えると自分の心の傾向が原因になっているのです。 心理学で、「類友の法則」というのがあります。 「類は友を呼ぶ」とも言います。 似た者同士が引き寄せられたり、いつも考えているようなことに似た出来事が 起きるということを指しています。 ただ、人の心はいつも元気ではないかもしれませんが、総じて明るく楽天的に 考える人は、立ち直ることに時間がかかりません。 つまり、気持ちの切り替えが上手なのです。 人間に与えられた時間は、みんな平等で一日のうちに明るい気持ちでいる時間 が長い人は、明るく楽しい出来事を引き寄せています。 嘆く時間が多ければ多いほど、そのような出来事を引き寄せ、あるいは似た者 同士の人が寄ってくるのです。 嘆く状態が続けば、心は萎縮されていきます。 熟語に「意馬心猿」(いばしんえん)というのがあります。 人によっては、自分の心を、馬や猿のように動き出すと簡単には制御できない まま生きていく人がいます。 さらに、いつも嘆いてばかりいると、心は萎縮したままになり、ますます硬く なるのです。 もう一つ「泰然自若」(たいぜんじじゃく)というのがあります。 心が落ち着いているから、どんなことにも動じることがなく、物事のよい面を 見て、前に進むことを考える人です。 また、人間的にも成長していきます。 このように、自分の人生をどのように作り上げていくかは、その人の心の傾向 が大きく左右します。 嘆きたいことがあるのは、誰にもありますが大事なのは、心の傾向が明るい人 であれば、起き上がり小僧のようにすぐに元気になれるのです。 幸せに生きるには、それにふさわしい心の状態を持続させることが必要です。 (by ハートリンクス)
2023年09月20日
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【変えられない現実への向き合い方】 ニューソート思想を代表する作家の一人、デール・カーネギーに次の言葉があ ります。 『不安・心配・悩みの大半は、変えられない現実を無理に変えようと あがくことで永遠に増殖する。 変えられることにはチャンスを見つけ、変えられないことには折り合い をつけよう。 それが、心の安定を築き守るための鉄則である』 カーネギーは左手の指が4本しかありません。 子どものころ、友達と誰も住んでいない家の屋根裏で遊んでいました。 屋根裏から飛び降りたとき、飛び出していたクギが指輪に引っかかり、指が 引きちぎられたのです。 もちろん、痛みと指が4本しかない自分の手を見て動転しました。 それから、傷は治り痛みも感じなくなりましたが、それからその事故のこと で悩んだことはないそうです。 子どもながらに、「悩んでもしょうがない」、と変えられない現実を受け入れた といいます。 人間の価値は、変わらない現実にあれこれこだわり後悔するよりも、現実に 適応する能力を発揮するかしないか、で決まります。 人間関係でもよく言われることですが、相手を変えようとすればするほど、心 の中では葛藤が生まれやすくなります。 多くの人が、一度や二度は経験するのが次のような例です。 「あの人が、自分の間違った考え方を変えてくれれば、こんな楽なことはない のに・・・」という思いが、頭の中をグルグル駆け回ることです。 結局、相手に対する不平と不満が消えないまま、時間だけが過ぎていきます。 この場合もそうですが、人は変わらないもの、という認識を持つとストレスは 消えます。 そして、相手を変えようと思うより、自分が変わろうと考え、自分を変えてい くことが一番よい方法であると気づくのです。 ここに気づいたとき、自分は人としての成長を成し遂げたのです。 ですから、自分が相手に負けたとかいうような狭い気持ちは起きません。 変わらない相手にイライラするより、気にしない自分になればいいというのも 一つの方法です。 無視したり、相手のことを悪く吹聴するようなことをする必要もありません。 そんな気持ちになれたら、相手とコミュニケーションをとるチャンスも生まれ てくることもあるでしょう。 現実への適応能力とは、変化できるということです。 また、どんな状況でも、柔軟に適応する能力は誰にも備わっていると思えば、 自信を持てるようにもなれるでしょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月19日
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【集中力を高めよう】 鎌倉時代の高僧である、道元禅師は禅の曹洞宗を興した人物です。 この道元が自分を見つめる時間を持つことは、生きていく上にではとても大切 なことだと説きました。 そのことを表わす言葉に、 『坐禅は静処(じょうしょ)よろし』というのがあります。 もともと、禅とは古いインド語では、「静観」や「静慮」ということを意味して いるそうで、自分の心を静かに観ること、静かに思うことです。 これが坐禅というものですが、誰でも最初は馴れないために雑念が浮かんでく くるのです。 それで道元は静かなところで姿勢を正して、息を吐き、吸うことに集中すれば いい、と教えています。 ただ、現代のように忙しく、時間に追われる生活環境では多くの人が、静かに 心を見つめるということ自体難しくなりました。 一方、音楽を聴くことで、気持ちを落ち着かせる人もたくさんいます。 それでも、自分の心を見つめるには効果はあるかもしれません。 集中する時間が一日の内に少しでもあれば、心は自然に落ちつくようになり、 自分を見つめることにつながります。 日本以外のある国では、今、アーチェリーが若者に人気があるそうです。 子どものころ、落ち着きがなく多動性障害になり、机に座って先生の話を聞け なかった若者が、カウンセリングでアーチェリーを勧めらました。 一年が過ぎた頃、気持ちが落ち着き多動性障害の症状がほとんどなくなったと いう話があります。 弓を引く時間はわずかですが、そのために呼吸を整える必要があります。 これを繰りかえすうちにだんだんと、障害が消えていったのです。 日本でいえば、弓道というスポーツに相当します。 集中することは、医学的な効果として呼吸が深くなるため、脳に送られる酸素 が増え脳内ホルモン(セロトニンなど)の働きが活発になります。 弓道をする人の姿勢は、体幹がしっかしりしていて、表情も凛々しい雰囲気が あるようです。 今の時代も、これからの時代も、自分の心を静かに見つめることができる人、 できない人の違いが、人生のどこかで表れるようになるでしょう。 集中力を鍛え高めましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月18日
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【与え合う心で支え合う人間関係を作ろう】 知り合いや友人のなかには、会って話をするととても元気を与えてくれる人が いるものです。 そんな人はやはり、組織ではリーダーシップを発揮する立場にいます。 ただ、友人関係で生まれる友情は、利害関係はあまり問題にはなりません。 どちらかが何かで悩んでいれば、相談に乗ってくれてさらに心配までしてくれ ます。 これは、お互いが何かを与えようと思っている関係です。 つまり、与え合いの精神が二人の間に存在しているのです。 この関係は損得の世界ではないからこそ、成り立つ関係なのかもしれません。 ところが、ビジネスの世界ではそんなわけにはいきません。 どうしても利害関係が生まれ、それでも物事を決めていく必要があります。 人間社会では、助け合いの精神は大事ですが、もっと大事なのは先に与え合う 精神で行動することです。 会社や組織に貢献している人には、一つの特徴があります。 それは、相手を利するために何をしてあげればよいかを、絶えず考えています。 個人でも企業でも同じことが言えます。 今から約40~50年前ぐらいのことですが、パナソニックがまだ松下電器産業 という屋号の時期がありました。 当時は、松下グループとしていろんな会社があったのですが、そのお店に飾ら れていた言葉がありました。 それは、『共存共栄』というものでした。 企業理念だったかどうかはわかりませんが、この文字には助け合いの精神や与 え合いの精神が込められていたのだと思います。 松下幸之助さんの会社がまだ個人商店の頃、二股ソケットを商品化して工場で 作っていました。 その工場で、若い従業員が出来上がった製品を、新聞紙で包んで梱包している とき、単純な作業だったのかやる気があるようには見えませんでした。 そのとき、松下さんは、 「この商品を買ってくれたお客さんの家に灯りがともり、会社には利益が生ま れてみんなの賃金になり、会社はさらにいい製品を作ることができる。 だから、単純な仕事だと思わずに心をこめてやりなさい」 と諭したというエピソードがあります。 このように、まず自分が置かれた立場で、愛を与えるような気持ちになり仕事 をすれば、仕事を通して相手にそれが伝わっていきます。 企業と消費者との関係に限らず、人と人との関係においてもまず、誰かが何か を与えよう、という意識で行動することから共存共栄という形が生まれます。 仮にモノやお金がなくても、人に元気を与えようと考えなら、新しい事業を起 こせるかもしれません。 どんな人でも、誰かに元気を与えることができると思うと、自分自身が元気に なり、人生を楽しむことができるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月17日
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【自分のコンプレックスを認める人は魅力的】 ある精神科医の話に次のようなものがあります。 ミドル世代の男性が、事業に成功している女性と結婚しました。 二人は高校時代の同級生です。 男性は、勉強よりも身体を動かすほうが好きだったので、高校を卒業してすぐ に手に職をつけました。 一方、女性のほうは勉強が好きで大学に行き、さらに大学院でも学びました。 彼は自分の結婚について、こう話しました。 「そりゃあ、嫁さんのほうが、学歴が高いってのは癪(しゃく)ですよ。 ですけど、私にピッタリのパートナーは彼女しかいないとわかったの です。いい夫、いい父親になるためには、嫁さんより学歴が高くなきゃ いけない、なんてことはありませんしね」 このミドル世代の男性は、心の広いところがあり大変魅力的です。 こんな魅力のある人だから、女性も結婚したいと思ったのかもしれません。 人は、自分を本来の自分以上に、力や能力があるのだと、思いたくなるところ が多少はあります。 このような気持ちが強いと、むしろ自分の弱さや欠点をすべて、認めようとは しないのです。 それでも、自分の欠点を認めたくないという心が、かえって向上意欲に変わる こともあります。 賢明な人は、自分をよく見せたい気持ちと、自分の弱点を認める気持ちの両方 のバランスがとれる人です。 自分をわきまえる、という意識をもつのは難しいことです。 なぜなら、あまりに謙虚過ぎると自肯定感が低くなることもあるからです。 それでも、ビジネスやスポーツの世界で、成功者といわれる人は自分の弱点を 自分自身いちばんわかっているものです。 本当の意味で、心が広い人は自分に素直な人でもあるのです。 心が狭いと自分のプライドにこだわり、そのプライドを守ろうとします。 このミドル世代の男性は心が広いだけでなく、自分の知識面のコンプレックス を恥ずかしいとは思わず、むしろ、自分が好きな仕事を正直な気持ちで選んで います。 このような心の広さと、正直な考え方が人生をよい方向に導いてくれます。 また、心の広さや自分に正直であることは、人間的な魅力となるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月16日
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【不安から逃げるより受け入れよう】 ブッダが出家する前、宮殿にいたときのことです。 『東の門を出ようとしたとき、老人に出会いました。 次に、南の門を出ようとすると、病人と出会いました。 今度は、西の門を出ようとしたら、死者の葬列に出会いました。 そして、北の門を出ようとすると、出家者と出会ったといいます』。 仏教では、このことを「四門出遊」(しもんしゅつゆう)と言い、当時の世の中 や現実を象徴した光景です。 ブッダはこの「生老病死」の世界から人は逃れることはできないのか、と考え 出家したのです。 その後、そのような世界であっても、人は苦しみをなくすことはできる、と悟 りました。 ブッダの教えは、インドから中国に伝わり日本で布教され、現代に生きる私た ちの意識のどこかに根付いています。 「人生は苦しいこともあるが、楽しいこともある」という言葉があります。 これも、人生はすべて「苦」に満ちている、と決めつけるのではなく、楽しい こともあるのが人生だ、と思えば心が救われます。 この意味では、ブッダの教えも心の持ち方しだいで、人生はどうにでもなると いうことを示しているのです。 あるところに、自閉症のAさんがいました。 Aさんは、記憶力がずば抜けていて、普通の人が覚えきれないような歴史や、 語学力があります。 自分が自閉症であることに悩みましたが、悩んでいても仕方がないと考え、 たくさんの本を読み、少しずつ症状を軽くしていきます。 Aさんには、何でも話せる友人がいました。 ある日の会話でその友人が尋ねました。 「あなたは自閉症だと、周囲の人は言っているけど、私は気にしていない。 今まで、大変だったとは思うけど、不安や恐怖心をどんなふうにして 乗りこえてきたの?」 Aさんは言いました。 「私は、不安も恐怖心も乗りこえたわけではないの。 ただ、受け入れただけなのよ」。 人は何か苦しいことがあると、その苦しみから逃げたいと思うものです。 しかし、逃げよう逃げようともがいているとき、ふとその苦しみを受け入れて しまうと気持ちになり、スッキリすることがあります。 受け入れてしまうと、不思議なことにそれまで逃げたいと思っていた、乱れた 心が動じなくなります。 受け入れるよりほかに道はない、という覚悟のようなものが生まれます。 困難なことや自分の思い通りにならない境遇でも、まず受け入れてしまうこと で、生きる意味に気づくこともあるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月15日
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【優柔不断でも気にしない】 自分のことを優柔不断な性格だと言うと、人にあまりいい印象を与えないので ないかと、不安に思う人がいるかもしれません。 しかし、それは気にする必要はありません。 反対側からみれば、慎重に考えるということですから問題はないのです。 ただ、悩んで選択した結果について、後悔するから何となく敬遠されることは あるようです。 今はどんな商品でも、ネットを見れば簡単に購入できます。 また、選ぶのに迷うぐらいにたくさんの種類があります。 何を買うかをはっきりしておいても、他の物をよけいに衝動的に買ってしまう こともあります。 また、売る側も選択肢を増やしているため、買う側は判断に迷います。 ここで優柔不断になるのです。 ここで気をつけておきたいのは、正しい選択をすることは判断力がある、とは 必ずしも言えないということです。 厳密に言えば、選択したことに後悔しないのがよい判断をしたことになります。 自分で決めたことなのに、後悔してしまう人は、どんな商品を買っても、「違う ほうを買っておけばよかった」と未練を残します。 この場合、自分が選んだことに後悔しないかどうかが問題なのです。 後悔しないなら、選んだことがどんな結果であても、この次に活かすことがで きます。 「自分が決めたことには後悔しないぞ」、という意識を持つことは大事です。 それが、一つ学び一つ成長したことになるからです。 その意味でも、優柔不断であることにコンプレックスを感じる必要はまったく ないのです。 「選んだことには後悔はしない」、と決めてしまえばしだいに物事を分析する 能力と思考の柔軟性が身につきます。 さらに、優柔不断であることが、かえって自分の人生において自信をもつこと になるかもしれません。 (by ハートリンクス)
2023年09月14日
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【安心という幸せがある】 人は安心すると、心が落ち着きます。 もちろん、お金があまりない人はたくさんあったほうが安心でき、病弱な人は 健康を取り戻せたら安心できます。 世間では、幸せであるとはどんなときのことを想像するでしょう。 心理学者の河合隼雄(かわいはやお)さんは次のように言いました。 『幸せとは、お金があり、仕事ができて、自分の好きなことが何でもできる、 というようなイメージがある。 アメリカのパーティでは、そんな典型的な人に会うことができる。 しかし、すべてに自信があふれている、ということは伝わってくるが「安心」 のほうではサッパリなのである』 さらに、映画「フーテンの寅さん」など国民的に人気のある映画を、いくつも 手掛けている山田洋次監督が語っています。 『昔は「幸せ」という言葉はありませんでした。 それに代わる言葉があるなら、それは「安心」でした』 このように、モノが豊かになると、あって当然という感覚に陥ります。 モノが豊かになるにつれ、人の心も豊かになっていけば安心を得ることもでき るはずです。 豊かな心は、平凡な日常生活の中にあります。 山田洋次監督の作品の一つに、「たそがれ清兵衛」というのがありました。 主人公の清兵衛は、妻を亡くし二人の娘を育てながら生きていきます。 ただ、彼の生活信条はこうでした。 『娘たちが成長していく姿を見るのは、畑の野菜が毎日育っていくのを見るの と同じくらい楽しいことである』 現代のような刺激的な娯楽のある時代ではありませんでしたが、地味な毎日を 繰り返しながら、安心して生きることが幸せだと庶民は感じていました。 幸せは身近なところにいくつもある、という心がけがあれば今の生活に感じて きた、不平不満は気にならなくなるでしょう。 禅の言葉に、「随所快活」(ずいしょかいかつ)というのがあります。 どんなときも、自然体で心を穏やかにしておきなさい、という意味です。 このような心になるには、毎日の生活の中に何か心が和む時間をつくることが 大事です。 自分の生活スタイルに合った、リラックスできる時間を過ごしましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月13日
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【忍耐は苦しいものとは限らない】 忍耐という言葉を聞いたとき、我慢している人の姿をイメージします。 忍耐も我慢も、肉体的にも精神的にもラクで楽しいものではありません。 しかし、そこに何のために忍耐をするのか、という目的があれば忍耐すること そのものは苦しいものであっても我慢することができます。 これが、一般的な考え方です。 もともと「我慢」という文字は、仏教から来ていると言われています。 「我が有る」、とは思い上がりをすることと解釈していました。 自分という我は本当はない、「無我」という仏教の考え方があります。 その、思い上がる自分に慢心しないために、我を抑えて耐えることが「我慢」 という言葉として俗用されるようになったのです。 そこから、我慢できる人は、立派な人という一つの価値観が生まれました。 ただ、忍耐も我慢にもTPO(時間・場所・場合)が必要です。 プロスポーツ選手が、体を鍛えるために筋トレをしたりするのはラクなことで はありません。 そして、何のためにつらいトレーニングをするのか、という目的があれば忍耐 も苦にはなりません。 体のつらさはありますが、心という内面では大きな充実感を味わっています。 また、ダイエットをして好きな人に喜んでもらいたい、という人でもおいしい スイーツを食べることを我慢します。 これも、食べたいという欲望を抑えるのはつらいですが、好きな人に喜んでも らえるなら、とやりがいを感じます。 どちらも、その目的を実現したとき、以前の自分よりもステップアップし自己 成長しているはずです。 そこで、忍耐とは必ずしも苦しいものとは限らない、という気持ちになるため のとらえ方があります。 忍耐というものを二つの視点から見ることです。 一つは、苦しいけれど我慢する。(耐えて忍び自分の内面を鍛える) 次は、欲しいけれど我慢する。(欲から離れ、欲を手放し自分を解放する) このように、自分が向き合わなければならない、忍耐すべきことがあるとき、 この視点で考えてみると、自分の置かれている状況がよく見えてきます。 すると、「あ、自分は今、耐えるべきときだな」とか、 「自分は今、欲望を手放すときだな」といったことに気づくのです。 この自分の変化に気づいたときが、自己成長したときです。 忍耐も我慢も、自分が人間的に成長するためだ、ということがわかれば苦しさ はなくなるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月12日
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【本物の人間が歩む道】 境遇に恵まれることなく、困難な環境で育ったことがその人の隠れた才能や力 を導くことがよくあります。 常識的な考えからいうと、多くの人たちは「自分の育った環境が悪かったから いい学校に行けなかった」あるいは、「生まれつき病弱だったから、勉強ができ なかった」というグチを言いたくなります。 たしかにそうかもしれませんが、条件に関係なくそれらの悪条件を言い訳にせ ず、自分がやりたいことを実現した人はたくさん存在します。 そのような人たちの考え方の特徴には何があるでしょうか? それは、こうです。 『自分は恵まれなかったから、人の二倍も三倍も努力しなければいけない』 という心の姿勢・人生観を持っていたことです。 たとえば、京セラを創業した稲盛和夫さんはその一人です。 1932年に生まれましたが、小学生の頃空襲で家を焼かれ、さらに結核に罹り ました。 中学の入学試験、大学入試でも失敗しました。地元の大学にどうにか入学した ものの、お金がなく就職試験では、みすぼらしい格好で行くしかないほど貧乏 だったそうです。 それから、京都でセラミックを材料にした製品を作る会社に就職しました。 さらに、27歳で独立して会社を起こし京セラの基礎をつくりました。 その後、普通の会社の経営者の何倍も仕事に没頭するようになり、その結果、 アメリカIBM社から受注を請けるまでの企業となったのです。 ではなぜ、苦しい環境に負けない価値観を持つことができたのでしょうか。 アメリカに、ロバート・シュラーという自啓発作家で牧師の人がいました。 稲盛さんは、彼の著書を愛読し次のことを学んだのです。 『人生においては、積極的な、明るい、ポジティブな考えを持つことが、 成功のいちばん基本的な条件である』 つまり、自分の思ったようになるのが人生だ、ということです。 これは、「よいこと悪いことに関係なく自分の思った通りになるのが人生だ」、 ということでもあるのです。 さらに、成功や幸福を手にするには、積極的で明るく前向きに考えることが、 最も重要であることを徹底的に学びました。 ただこれも、たいていの人も理屈では分かっていても、本心から思うのは簡単 なことではないかもしれません。 一つの考え方は、しだいに心の力になっていきます。 どんな境遇であっても、心の力を信じる人が幸せになることができるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月11日
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【嫌いな人でもそれなりの縁がある】 コミュニケーションをよくするとういのは、仲良くするというイメージを思い 浮かべますが、本当は少し違います。 適度に距離を置く、あるいは必要なとき以外は顔も見ないし、話すこともない というのもコミュニケーションをとるという範囲の中に含まれます。 たしかに、仲が悪く口もききたくない、顔も見たくないという相手がいないの がよいのですが、そうとばかりはいかないものです。 だからといって、無理をしてその人に向き合わなければならないということで ありません。 それでも、職場や何かの会合での人間関係では、避けられない場合があること も実際にあるでしょう。 そういうときの接し方の一つとして、できるだけ感情をもたずに、用件だけを 伝える、聞くというようにすればいいと思います。 人との相性が合う、合わない、これはやはり心の波長というものが大きく関係 します。 ことわざに、『袖振り合うも多生の縁』というものがあります。 この言葉にある「多生」という文字を、一般では「多少」という意味で捉える 人も多いようです。 「多少」とは、「少し」という意味で、出会いには少しであれ縁がある、という 解釈も成り立たないわけではありません。 また、「多生の縁」を、俗用として「他生の縁」という文字で表記されることが ありますが、「多生の縁」が正しいようです。 「多生」というのは、何度も生まれ変わることを意味しています。 つまり、繰り返し生まれ変わりながら、深い因縁があって出会うものだから、 人との縁は、大切にしたほうがよい。これが『多生の縁』です。 「他生」も前世と来世のことですから、意味としては近いと思います。 こう考えると、「嫌いな人との出会いもそれなりに意味がある」、という気持ち になりやすく、心が乱されることもないと思います。 もちろん、どうしても波長が合わない、と感じられる人がいれば、その関係性 を工夫してうまく離れることが賢明だと思います。 ただ、長い人生では昔は嫌いだと思っていた人が、何十年ぶりに再会して意気 投合することがあるかもしれません。 「人との出会いには意味がある」、というふうに考え大きな心を持つのは幸運を 引き寄せることにもなると思います。 (by ハートリンクス)
2023年09月10日
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【手抜きを習慣にしない】 どんなことも、手を抜くのはたやすいものです。 手を抜くとラクになり、クセになることもあります。 しかし、手を抜いて、ラクな方法でなにかをやり遂げたとしても、気持の奥底 から充実感や達成感を味わうことはできません。 人は、自分の実力でやり切ったと思う体験が、心の財産になるのです。 無理をする必要はありませんが、少し手を伸ばせば届くところまでの努力はし ておくべきです。 それを繰り返し、積み重ねていくと、ベストを尽くすという感覚がわかるよう なり、限界を超えるコツを覚えるのです。 力のあるマラソン選手は、「ランナーズハイ」という経験を持っていると言われ ています。 夢中で走っていると、体のきつさがふとなくなり、走っていることが心地よく なります。 これも、日頃のトレーニングをコツコツやっているから起きるのです。 この「ランナーズハイ」というのが、「思いがけない幸運」にあたるのかもし れません。 手を抜くことをいつもやっていると、この境地を体験できないでしょう。 こんな逸話があります。 引退しようとしている、あるシニア世代の大工の話です。 その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、妻と一緒にのんびり暮 らそうと思っていました。 雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれ」と頼みます。 大工は承諾しましたが、じつは真剣に仕事をする気はなかったのです。 そして粗悪な材料を使い、手を抜いてしまいました。 優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事ぶりでした。 家は完成しました。 すると、点検にやってきた雇い主が、玄関のカギを大工に渡して言います。 「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」 大工は大ショックを受け、とても恥ずかしかい思いをしました。 自分の家を建てているとわかっていたら、たぶんもっと頑張っただろうと。 人の人生も同じで、コツコツ努力する習慣があれば、後悔もしないのです。 この大工さんは、最後の最後に手を抜いてしまいました。 もちろん、悪気はなかったかもしれません。 生きている間は、無理ばかりする必要はありませんが、区切りをつけるような 最後のときは、手を抜いてはいけないのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月09日
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【プロセスを大事にすると、心が広くなる】 勝負の世界では、「結果がすべて」、という言葉をよく聞きます。 これは間違いではなく、事実、結果が出てこそ評価も上がります。 しかし、結果がすべてであることは絶対的なものではない、という側面もあり ます。 なぜなら、結果が出せなければ意味がない、という考えだけでは人の心に感動 する心は生まれないからです。 負けるより勝つことのほうが素晴らしいのですが、負けの中に美しさもある。 負けて結果を出せなかったにしても、目には見えない成果は残ります。 つまり、これがプロセスを大事にするということです。 また、勝負の世界のことでなくても、プロセスを楽しんで心を豊かにすること もできます。 長い人生では、むしろこちらの考え方を大事にするべきかもしれません。 たとえば、山登りが好きな人がいるとします。 2~3日の休暇があれば、近くの山に登るのが趣味です。 登山では、一歩一歩足元を確認しながら歩いていきます。 そのときに、めずらしい花や植物に出会うこともあります。 それも、季節によっては周囲の景色に変化を感じます。 そうすると、自然界の恵みや不思議な力を心と体で吸収できるのです。 それらの変化を、写真や映像に残しておけば、自分史のひとコマになり財産と なるでしょう。 山登り一つを例にあげても、このような楽しさがあります。 さらに、登山を趣味にしていることで、日常の健康にも気をつかい、暴飲暴食 をしなくなります。 同時に、山登りができる体力を維持しようという意欲も強くなるでしょう。 これらのことすべてがプロセスと考えることができます。 すると、プロセスの一つ一つを大切にする心が養われ、いろいろな気遣いもで きるようになるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月08日
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【クヨクヨする人は、過去を捨てることができない】 クヨクヨタイプの人の特徴の一つに、昔の自分と今の自分を比べて、昔の自分 はよかったが今はダメだ、と思う傾向があります。 とくに年齢が高くなると、モノ忘れも多くなり、昔はもっと覚えていたのに今 では、人の名前を思い出せないし、さっきまで何かしようとしていたことも、 いざとなると、何をしようとしていたかも忘れ、さらにクヨクヨするのです。 脳の仕組みから言えば、年齢とともに記憶力が低下するのは当然のことかもし れません。 だからといって、忘れることがすべて悪いとも言えないのです。 忘れたほうがよいこともたくさんあります。 なのに、人は楽しいことより、つらいことをたくさん覚えていて、そのたびに 昔のことを思い出しては、クヨクヨすることで自分を慰めてしまうのです。 しかし、それでは人生を楽しむという生き方からは遠くなってしまいます。 吉本興業の大阪本社の元代表を務めた、木村政雄さんにこんな話があります。 自分の娘さんから言われたそうです。 『お父さん、笑うときになんて笑う? ハッハッて笑うよね。 だから、笑うときは、はっぱ64。 泣くときは、シクシク泣くから、しく36。 64と36を合わせたら、ちょうど100になるでしょ。 人間も100歳まで生きるよね。 そう考えたら、人間、悲しいことより、楽しいことのほうが多いんだよ!』 この話から気づかされることがあります。 人生は思うようにいかないもの、だから、楽しいことより苦しいことが多いの だ、と考えがちです。 このように考える傾向があるため、ついクヨクヨしたくなるのです。 一時的に、自分を慰めてまた元気になる、というのであればクヨクヨする意味 もあるでしょう。 しかし、クヨクヨする自分がいる、可哀想な自分がいる、という自己憐憫の 気持ちのままでは、人は幸福になれません。 この自己憐憫の気持ちが、自分をクヨクヨさせ、そのために、つらい昔を思い 出させるのです。 人生は、つらいことも楽しいこともありますが、楽しいことがたくさんあると 思えば、そのような一生を送るようになります。 今日一日をいかに楽しく過ごせばよいか、この心で毎日を過ごせば、クヨクヨ する時間がもったいないように思えてきます。 そうなると、イヤな過去より楽しかった過去の記憶が多くなり、脳の血流量も 増え、モノ忘れも少なくなるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月07日
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【プラス思考で反省すると後悔しない】 まだ、蛍光灯やLED電球が普及していないときの灯りは、エジソンが発明し た電球が使われていました。 エジソンが、この電球を実用化するために一番苦労したのは、電流を光に変え るためのフィラメントでした。 フィラメントは細い糸のような形状をしています。 エジソンは、フィラメントとして使える物質は約5500種類ぐらいあると考え ました。 それでも40時間、連続して使える炭化した木綿糸を発明したのは、2000回 の失敗をしたあとだったそうです。 そのとき、エジソン夫人は夫にこう言いました。 「これだけやったのですから、もうあきらめてはどうですか?」 すると、エジソンは、 「2000種類失敗したから、残りは3500種類しか残っていない。 もうじき見つかるはずだ」。 エジソンは40時間で切れるような電球は不便だ。 もっと長い時間光り続けるフィラメントがあるはずだ、と世界中からさらに多 くの食物繊維を集めて実験を続けました。 ある日、日本の京都の八幡(やわた)市の男山から取り寄せた竹を使います。 すると、2500時間切れないフィラメントができたのです。 1900年頃までは、この男山の竹がエジソンの会社に輸出されています。 エジソンは失敗した後、原因は何かを必ず分析しました。 そのとき、「こうすればよかった、なぜ、できなかったのだ」というマイナスの 気持ちで反省しませんでした。 エジソンにとって失敗とは、「何が不足していたのかを知るための、大切な過程 の一つだ」と考えたのです。 つまり、反省をプラスの考え方、前向きな思考でとらえ続けたのです。 ですから、後悔という気持ちは起きませんでした。 人生も同じで、反省するとき「あれをしなければ失敗しなかったのに」という 気持ちになると、次のステップに進むエネルギーは湧いてきません。 人生は失敗と成功のくり返しだという見方に立てば、それも事実です。 しかし、失敗は自分の何が足らなかったのかを知るための、絶好の機会になる という考えがあれば、落ち込むことはないでしょう。 このように考える人は、かりに落ち込んでも、すぐに気持ちを切りかえること ができるのです。 一時的な後悔の気持ちをずっと引きずらないためにも、プラス思考の反省を心 がけることが大切です。 (by ハートリンクス)
2023年09月06日
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【ストレスを減らす意味づけの仕方】 松下幸之助さんが若い頃に、仕事の用事で道を歩いていたとき、通行人がぶつ かってきたといいます。 歩いていた道は川沿いで、松下さんはぶつかった勢いで、川に落ちてしまいま ました。 思ってもいない出来事でした。 動転して川の中でもがいていたとき、それを見ていた人が、川に飛び込み松下 さんを救助してくれたといいます。 無事助けられた松下さんは、救助してくれた方にお礼を述べたあと、つくづく 思いました。 「ああ、死ななくてよかった。命が助かってありがたいことだ」と。 普通なら、いきなりぶつかってきた人に文句の一つも言いたいところですが、 松下さんは違っていたのです。 もちろん、助かったからこそ言えることですが、物事は意味づけによって捉え 方も変わるのです。 悪いと思われる出来事や物事をどのように受けとるか、その受けとり方で心に ストレスを感じることもあれば、元気になることもあるのです。 あるビジネスマンが、新幹線で東京から大阪に向かっていたときのことです。 名古屋の直前で突然、新幹線が止まりました。 「新幹線が止まるなんて珍しいな」と思っていたらしばらくして、アナウンス が流れてきました。 人身事故が発生し、1時間近く見通しがつかないというのです。 その人は、取引先の人と「ランチでもしましょう」約束していました。 ランチには間に合いませんが、早めに向かっていたため打ち合わせはできそう です。すぐに先方に連絡をしました。 隣の人はイライラしながら「冗談じゃない!」とブツブツ文句を言います。 しかし、そのビジネスマンは、「ランチはできないが、打ち合わせには間に合う から安心だ」と思い、「せっかくの時間だから、新しい企画を考えよう」と考え のです。 集中したおかげで、その間にいいアイデアがまとまりました。 もし、こんなときイライラしていたらどんな気持ちになるでしょう。 新幹線が止まっている間は、ストレスになっていたに違いありません。 予期しない出来事が起きたとき、そのことにどんな意味づけをするか、とても 大事なことです。 意味づけをするとき、起きた出来事をいったんは客観的に見つめなければなり ません。 これは、考えるときのその人の心の構え方であり、習慣のようなものです。 つまり、考え方の習慣です。 松下幸之助さんは、「死ななくてよかった、助かってよかった、ありがたい」、 という意味づけをましたが、これも考え方の習慣からくる捉え方です。 これは、日常的な思考習慣があったからできたことだと思います。 ストレスにもならず、前向きな思考習慣を育てましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月05日
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【相手を立てて自分を高めよう】 人の心は変化しやすいものです。 コロコロと変わるので「こころ」というのだそうです。 自分の気分次第で、どうでもいい相手の一言に、イラついたり、なるほどだ、 と思ったり、とらえ方がまったく違ってきます。 つまり、相手の一言に対して、とらえ方によってはこちらの気分が左右される のです。 かりに、自分のよくないところを言われたとしましょう。 そのとき、「あ、自分のエゴを捨てなければ!」と思う人もいれば、 「そうだ、向こうの言い分を聞いて、相手を立ててみよう!」と、ともにいい ように思う人もいます。 前者の人は自分を戒めて、反省する感じです。 後の人は自分を試してみよう、もっと自分を大きくしようとする感じです。 どちらが正しいということではありません。 つまり、とらえ方の違い、思い方の違いです。 こんな話があります。ある夫婦がいました。 子どもたちも独立しました。しかしケンカばかりしています。 妻がいれた紅茶に「少し濃すぎるんじゃないか」と夫が言うそうです。 また、夫がせっかく畳んだ洗濯物を、妻は畳み方が気に入らないと、つい小言 を言います。 新婚時代は「この紅茶、美味しいね」「洗濯物、畳んでくれてありがとう」と 言えたのに、今ではこんな調子です。 「こんなに濃い紅茶をいれるなんておかしい」 「こんな変な畳み方をするなんておかしい」 つまり、自分の考えを主張しているだけです。 そんなときは、相手を立ててみるのです。 少しイライラした気分であっても、とにかく相手のしたことを肯定してあげれ ばよいのです。気持ちが穏やかになります。 「この紅茶なら、かえって濃くしたほうがいいかもしれないね」 「この洗濯物、とてもユニークな畳み方ね。新鮮な気分になったわ」 このような言い方をするだけで、お互いの心にうるおいが生まれます。 相手を立てるとき、こちらが我慢するとか負けたとかの感情で判断するのは、 よくありません。 そこにこだわりがあるのは、自分を押しつけたい心理が強い証拠です。 相手を立てるのは、自分が一つだけ人間的に賢くなり成長するためです。 その結果、相手もこちらの気づかいを知り、関係性が深まるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月04日
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【転職も天職になる】 これからの時代は、一つの企業に勤めるのではなく、転職で自分の職能を高め ていく流れに変わってきました。 つまり、仕事も自己表現の一つになっていくということです。 今までは、仕事をノルマと考える人も多かったようです。 しかし、そのように考えると、仕事自体がお金のための手段になってしまい、 仕事への喜びを感じることはできず、工夫をしようという意欲も湧いてこなく なります。 厳密には、どんな仕事にも意味があり、何かの役に立っているというのが本当 でしょう。 しかし、これも建前としてとらえているだけでは、人生を無駄にしていること と同じです。 禅語の一つに『歩々是道場』(ほほこれどうじょう)という言葉があります。 これは、 「どんな環境でもどんな仕事でも、自分を高める場所にすることができる」 という意味です。 かりに今の仕事が、アルバイト、パートであってもこのような気持ちで取り組 んでみれば、チャンスとなることもあります。 天職はどこか見えないところに隠れている職種ではありません。 もちろん、自分に向き不向きもあります。 あるいは、苦手な仕事、得意な仕事もあります。 「私は、デスクに座っているより体を動かすことが好き」という人もいます。 また、体を動かすのは苦手という人もいるかもしれません。 それらを含めて、今目の前にある仕事でも、自分の可能性を広げるきっかけに なることだってあるのです。 こんな話を聞いたことがあります。 ある人が、引っ越しのアルバイトをしていたとき、コピー機を梱包するために 動かしたらその床が汚れていたので、きれいに拭き上げたところ、まだ油汚れ がとれないため、フロアーの奥の流し台にある洗剤できれいにしました。 たまたまその様子を見ていた人が、その人の名前を聞きだし、後日自分の会社 にスカウトし、その人はその会社の重役に出世したそうです。 床掃除一つでも、目の前の仕事に精いっぱい取り組ことはできます。 転職も真剣さがあれば、天職になることもあります。 仕事は、自分を高めるものであるという意識を大事にしましょう。 (by ハートリンクス)
2023年09月03日
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【人を理解すると人気が出る】 塾や学校など、教育に携わる世界では必ずといっていいほど、人気のある先生 がいます。 いちばん身近なところでは、以前テレビで放映された「金八先生」が思い出さ れます。 もちろんここで人気があるというのは、タレントさんやお笑い芸人さんが人気 があって好かれているということと意味が違います。 教育の世界では、生徒と先生という立場があります。 生徒にとって、知識を得ることはとても楽しいことですが、それだけではあり ません。 学ぶことを楽しくしてくれる先生がいると、知識を得ること以上に心の世界で 嬉しくてたまらないという感情が膨らんでいきます。 たとえば、保育園や幼稚園の子どもたちを見ているとよくわかります。 子どもたちにとっては、担当の先生が好きか嫌いかは、とても大きなことなの です。 人は、もともといつも、誰かから理解されたいという願望があります。 人から認めてもらいたい承認欲求があるように、自分のことをわかって欲しい という欲求もあるのです。 この、わかってほしい、理解してほしいという気持ちが行動意欲や向上意欲を 刺激してくれます。 では、人気のある先生はどんな性格の人なのでしょうか。 まず、人が好きです。 それに、相手の性格がどうであろうと、短所も長所も関係なく受け入れようと する人です。 もちろん、教育のプロですから専門知識も身につけてはいますが、それよりも どうすれば、相手のことをわかってあげられるのか、をいつも考えています。 そのためには、人の話をよく聞いて相手がどんな悩みがあるのか、などに関心 をもって接してくれます。 しかし、高齢者の介護の場合は少し違います。 何でも話を聞こうとすると、逆に嫌がられることがたまにあります。 いろんな苦労をしてきた方には、昔のことを根掘り葉掘り聞くよりも、むしろ 「いろいろ大変でしたね」という、ねぎらいの言葉をかけてあげたほうが心は 通じるのです。 ねぎらいの言葉そのものが、「あなたのこと、ちゃんと理解していますよ」、と いうことになるのです。 人を理解する心の根本は、仏教でいう「利他の心」につながると思います。 また、自分以外の人のことを思いやる、「慈愛の心」ともいえるでしょう。 利他の心も、慈愛の心も最後は自分自身を幸せにしてくれるものです。 (by ハートリンクス)
2023年09月02日
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【不満を言うより今を楽しもう】 幸せに生きるには、不平や不満を捨てることが必要です。 ところが多くの人は、不平や不満を抱えたまま、幸せになろうと努力している ことが多いのです。 もちろん、努力することはとても大切です。 しかし、それは、不平も不満も消えないまま努力をしていることになります。 不平や不満が心の底に横たわったままだと、人は怒りっぽくなります。 また不平不満だけでなく、昔のつらい思い出や失敗したこと、あるいはコンプ レックスなどを考えていることも、怒りっぽくなる原因です。 これらの意識は、気づかないまま自分を傷つけています。 ほとんどの人が、このことを知らずに生きているのはとても残念なことです。 自分は幸せだ、と思って毎日を過ごしている人にも、それなりにつらい過去や 恵まれなかった時期があります。 しかし、そのような人は「今、自分は何をすれば幸せになれるのだろうか?」 と、このことを考えて生きてきました。 昔、いろんなことがあって大変だったという考えが、頭の中をかけめぐること はありますが、それ以上に、幸せになるため、あるいは決めた目標を実現する ために、何をすればいいか、をいつも意識しているのです。 毎日の仕事中でも、そのような考えを繰り返しているのです。 人の心には、習慣があります。 思いグセ、あるいは思考習慣ともいいます。 不平不満を思考習慣にしている人は、朝起きたときから不平不満の種をまきな がら一日を過ごしています。 かといって、努力をしていないかというとそうではありません。 一生懸命仕事をしているのです。 しかし、自分のやるべきことをやれば幸せになれる、と朝起きたときから考え る人は、それを思考習慣にして一日を過ごしています。 今やるべきことを楽しむとは、不平不満の思考習慣で仕事をするのではなく、 これをやれば、幸せになれるという思考習慣で仕事をして生きることです。 思考習慣というと、何か難しい心理学用語の印象を持ちますがそうではありま せん。 思考習慣とは、くり返し意識することです。 ブッダは、自分の弟子たちに、 「瞑想をくり返し行いなさい」と言い続けました。 瞑想をしても雑念は浮かびます。ブッダはそのことをわかっていました。 それでも、何度も何度もくり返していくと、自然に雑念が浮かばなくなり自分 の感情や心さえも制御できるようになることをブッダは知っていたのです。 優秀な弟子たちは、それを受け継いでいきました。 このように、瞑想だけでなく人生はくり返すことでもあるのです。 (by ハートリンクス)
2023年09月01日
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