第一に起こってくる感情、夾雑物などが入り込まない素直な感情のことである。
森田理論学習をした人は、「純な心」という説明は受けておられると思う。
「純な心」の反対語は、 一言でいえば「かくあるべし」である。
観念や理想、完全や完璧の立場から現実を否定すると「思想の矛盾」に陥る。
「思想の矛盾」に陥ると、人生は葛藤や苦悩の連続となる。
だから、 「かくあるべし」から出発することはできるだけ避けた方がよいのである。
そのためには、現実や事実をよく観察して、それらを受け入れるという態度の養成が大切になるのである。「純な心」の態度の養成だ。
ところが、その感情はすぐにかき消されてしまうという特徴がある。
ですから、気がつかないうちに見落としてしまうのです。
そして次に、 「かくあるべし」を伴う感情がどんどん膨れ上がってきますので、どうしてもそちらのほうの影響を大きく受けてしまうのです。
また親や先生から、小さい頃から「こうしなさい、ああしなさい」と絶えず指示命令されて育ってくると、自分の感情を育んでいくという習慣が持てなくなっているのです。
自分に素直な感情が湧き起こってくているという感覚が持てなくなっているのです。
本来は、自分に沸き起こってきた感情、自分の素直な気持ち、見る、聞く、匂う、味わう、触れるという五感、自分の身体の変化などを十分に味わう必要があるのです。
それらに注意を向けてしっかりと感じることができる人は、葛藤や苦悩を抱え込むという事は少なくなると思われます。
これは素晴らしい能力ですから、森田療法理論を学んだ人はぜひとも身に付けたいものです。
森田理論の学習によって、その辺の理屈は分かっている人は、たとえ「かくあるべし」がでてきても、原点回帰が出来るのではないでしょうか。
例えば、子供が親の言うことに素直に従わない様な場合、つい叱責したくなります。
この場合、子供の行動を見ているとモタモタして間違いだらけだ。口で言ってきちんと躾をしないといけない。言うこと聞かないと体罰を与えてでも、強制的に躾をしないといけないと考えているのです。
このときの、最初に沸き起こってきた感情は、子供のやっていることが、心もとなくて心配で仕方がないということだと思います。
この「純な心」を重視すれば、反射的に子供を叱り付けたりすることはなくなるでしょう。
私メッセージを使って、「お父さんやお母さんは、あなたのやっていることが心配で心配で仕方がないのよ」と伝えることになるでしょう。
その後、その言葉を受け取って、子供がどう対応するのかは基本的には子供の自由なのです。
親は近くにいて見守ってやることしかできません。
次に「純な心」は、絶えず初二念・初三念によって、絶えずかき消されやすいという特徴もあります。
例えば、 丸選手が巨人に移籍を表明したとき、残念だ、ショックだ、がっかりしたという気持ちがありました。いわゆる初一念の素直な気持ちです。
ところが、 丸選手は巨人球団と5年で35億円の契約をしていた。あるいは、子供は10月で幼稚園を辞めていた。東京に11月の時点でもう新居を購入していたという話が出てくると、やはりカープに対する愛情よりは金だったのか。
巨人と事前の話し合いをしていたのではないのかと腹立たしくなってくるのです。
初一念のことをすっかり忘れて、初二念や初三念に翻弄されてしまっているのです。
だから、いったん初一念に立ち戻ればもう後は大丈夫だというわけではありません。
絶えず初一念と初二念・初三念はせめぎ合いをしていると思った方がよいと思います。
その度ごとに、初一念に原点回帰するという姿勢を持つことが大切なのです。
これは素晴らしい生き方を手に入れるための、内なる戦いの連続なのだと思ったほうがよいでしょう。
それが習慣になるまで、自分の素直な感情や気持ち、五感や身体感覚に意識して注意を向けることが大切になります。
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