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リドリー・スコットの世界3
映画はやはり、脚本と、それを映像化する監督の強い拘りから生まれるものだろう。
リドリー・スコットは《ブレードランナー》の風景にはフェルメールとエドワード・ホッパーを見本に構想したそうだが、明らかに美術的素養があるわけで・・・・・
その拘りの映画美術に大使は惚れ込んだのである。
リドリー・スコットもフィリップ・マーロウに執心のようであるが・・・
大使もぞっこんであり、その思いを
村上春樹のロング・グッドバイ
に書いております。
***********************************************************
・映画の巨人たち リドリー・スコット
・リドリー・スコット監督の次回作
・3Dで「プロメテウス」を観た
・【ブレードランナーの未来世紀】
*********************************************************************
<
リドリー・スコットの世界1
>目次
・リドリー・スコットの世界
・聖書の獣
・ヘビィ・メタル・メトロポリス
・女ふたりにサンダーバード・コンバーチブル
・エイリアンの宇宙船
・エイリアンが帰ってくる
・エイリアン・アンソロジー
・凡百のSF映画を見にいくよりも
・テルマ&ルイーズ
・カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」
図書館で『映画の巨人たち リドリー・スコット』という本を、手にしたのです。
「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・
もっとも好きな監督になるのかなあ。
【映画の巨人たち リドリー・スコット】
佐野亨著、辰巳出版、2020年刊
<「BOOK」データベース>より
SFから歴史劇まで、幅広い題材を描きながら、人間の悪意や文明論など明確なテーマ性と独自の映像美で、いまなお第一線で活躍し続けるリドリー・スコットーその魅力と本質をさまざまな角度から読み解く!
<読む前の大使寸評>
「ブレードランナー」「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」とくれば・・・
もっとも好きな監督になるのかなあ。
rakuten
映画の巨人たち リドリー・スコット
『映画の巨人たち リドリー・スコット』3
:「ブレードランナー」の論考
『映画の巨人たち リドリー・スコット』2
:「テルマ&ルイーズ」の論考
『映画の巨人たち リドリー・スコット』1
:冒頭の論考
<リドリー・スコット監督の次回作>
「悪の法則」公開まであと1ヶ月!豪華キャスト共演、極上の心理サスペンスを見逃すな!
とのことで…
ネット巡りをしていたら、偶然にリドリー・スコット監督の次回作を見つけたのです。
…おお♪これは大使として見過ごせないのです。
なにしろ、リドリー・スコットの作品は『プロメテウス』のときも、1年前くらい前から個人的予告編を作って待機した大使である。
…ということで、この作品の個人的予告編を作ってみました。
(入れ込みが過ぎて、肩すかしをくらうおそれも有るが)
【悪の法則】
リドリー・スコット監督、2013年制作、2013.11.15公開予定
<Movie Walker作品情報>より
『プロメテウス』の鬼才リドリー・スコット監督による心理サスペンス。テキサスを舞台に、危険な裏ビジネスに手を染めてしまった弁護士と周囲のセレブリティたちがたどる運命が描かれる。キャメロン・ディアス、ブラッド・ピット、ハビエル・バルデムら豪華キャストが集結し、従来のイメージと異なる役に挑んでいるのも興味深い。
<観る前の大使寸評>
リドリー・スコット監督は「
テルマ&ルイーズ(1991)
」制作で、何でもできることを証明してみせたが・・・
今度は心理サスペンスですか♪ 期待できるかも。
Movie Walker
悪の法則
『プロメテウス』の個人的予告編には、やや肩すかしを食らった感があったのだが、これを並べてみます。
(
映画『プロメテウス』予告編
より)
【プロメテウス】
リドリー・スコット監督、2012年米制作
<goo映画解説>より
地球上の古代遺跡で人類の起源に関わる重大なヒントを発見した科学者チーム。その謎を解き明かすため、宇宙船プロメテウス号に乗って未知の惑星を訪れる。めくるめく神秘と衝撃に彩られた探査航海の果てに、人類が決して触れてはならない、地球上のあらゆる歴史や文明の概念さえも覆す、驚愕の真実を発見する。
<大使寸評>
「エイリアン」と人類の起源を解き明かすSF映画「プロメテウス」予告ムービー公開
に宇宙船の映像が出ていました。
宇宙船のディテールが鮮明に表れているが、これもまた恐い。
goo映画
【プロメテウス】
ハリソン・フォードが『ブレードランナー』続編に出演交渉中
というニュースがあるけど、『ブレードランナー』続編が計画されているようですね。
<3Dで「プロメテウス」を観た>
「3D眼鏡を使わないから、安くしてよ」と切符売り場で粘ったけど、眼鏡無しではぼけて見えるらしいのです。
「3Dの映画なんか邪道じゃないか」と、今までスルーしてきた大使であったが・・・
3Dしかやってないこの映画館で、初めて3D映画を観るはめになったのです。
慣れると、ま~迫力はあったけど・・・・やはり、反米の大使としては3D活劇には違和感をぬぐえないのである。
(大使、遅れてるで)
2年ぐらい前から予告されていた「プロメテウス」であるが・・・予想にたがわず面白かった。
創造主と称される宇宙人も見えたし、巨大な宇宙船も見えたし・・・ええでぇ♪
【プロメテウス】
リドリー・スコット監督、2012年米制作、H24.8.28観賞
<goo映画解説>より
地球上の古代遺跡で人類の起源に関わる重大なヒントを発見した科学者チーム。その謎を解き明かすため、宇宙船プロメテウス号に乗って未知の惑星を訪れる。めくるめく神秘と衝撃に彩られた探査航海の果てに、人類が決して触れてはならない、地球上のあらゆる歴史や文明の概念さえも覆す、驚愕の真実を発見する。
<大使寸評>
ネタバレになるけど「創造主が人類を滅ぼそうとしたのは何故か?」という謎は、謎のままであった。
それにしても、自分で帝王切開したあと、すぐに(しかたなく)走り回るヒロインはタフである♪
goo映画
【プロメテウス】
「プロメテウス」予告編
byドングリ
どこが実写で、どこがCG映像なのか?・・・・
「エイリアン」と人類の起源を解き明かすSF映画「プロメテウス」予告ムービー公開
に、この作品の映像テクニックのすごさがよく表れているが・・・・映画館で1回見たくらいでは、アッという間に行過ぎてしまいます。
(2本立て館なら、1日に2回見ることは可能だけど、総入れ替えの封切り館ではそうもいきません)
ともあれ、限りなく本物らしく見せることに、飽きなく迫るスコット監督に・・・拍手やでぇ♪
<【ブレードランナーの未来世紀】>
「ブレードランナー」を越えるSF映画がなかなか現れないが・・・・
それだけ、この映画が素晴らしいことの証しなんでしょうね♪
映画もさることながら【ブレードランナーの未来世紀】という本が良くて・・・・一粒で二度おいしい思いがするのです。
【ブレードランナーの未来世紀】
町山智浩著、洋泉社、2006年刊
<内容(「MARC」データベース)より>
保守的で能天気な80年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは、異様な悪夢の世界を描いた映画を作っていた。その理由を、入手可能な資料と監督自身の言葉を手がかりに解きほぐす。
<大使寸評>
著者の町山智浩さんの映画の見方や、薀蓄がいいですね。特にハリウッド映画の能天気さを意識しているところが大使好みです。
Amazon
ブレードランナーの未来世紀
この本で、大使がほれ込むエッセンスの個所を紹介します。
<ポストモダンの荒野の決闘者>p223
「レイヤリングをした」と、監督のリドリー・スコットは言っている。つまり、レイヤー(層)を重ねるように、思いつく限りのアイデアを画面に詰め込んだのだと。詰め込みすぎたせいで説明不足や矛盾も多く、しかも当初ついていたナレーションを監督が最終的に削除してしまった。それでも、剥がしても剥がしても尽きぬ謎が今もなおファンをとらえて離さない。その意味で『ブレードランナー』は『2001年宇宙の旅』(68年)に似ている。
『ブレードランナー』は間違いなく1980年代で最も重要な映画だ。映画としてだけでなく、アート、音楽、建築など、あらゆる方面で論じられ、引用され、影響を与えた。とくに80年代を席巻した「ポストモダン」の象徴とされた。
カナダの社会学教授デヴィット・ライアンが学生のためのポストモダン入門として書いた『ポストモダニティ』は、冒頭でまず「ポストモダン映画の最高傑作である『ブレードランナー』から話を始めよう」と宣言し、この映画からポストモダンの諸問題を抽出している。「ポストモダン」は当時の流行語として消費されてしまったが、ここでは『ブレードランナー』という映画が80年代を震撼させた理由をしるため、当時のポストモダニストの批評を復習しながら、この映画の厚いレイヤーを剥いでいく。
<未来のフィリップ・マーロウ>p225~227
1975年、売れない映画俳優のハンプトン・ファンチャーは友人のブライアン・ケリーと共同で出資して『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化権を手に入れた。そして自らシナリオにまとめた。
ファンチャーの脚色で『電気羊』にあった二つの大きな要素が縮小された。
一つは「電気羊」。これは、核戦争でほとんどの動物が死滅した世界で飼われるロボット羊を意味している。本物の動物は大金持ちしか買うことができない、庶民の夢だ。この時代の人は、本物の動物を飼う行為ではじめて「」として認められる。主人公デッカードは妻との夫婦仲が冷え切っており、アンドロイドを五人殺して賞金を稼げれば、動物を買って夫婦の心も癒されるだろうと思っている。人間たちは本物の羊を飼うことを夢見ている。アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか?というデッカードの疑問が書名の由来である。しかし、動物はファンチャーのシナリオでは小さな役割になった。
もう一つ、ファンチャーが縮小したのは「妻」だ。『電気羊』は『オデッセイ』ないし、『ユリシーズ』に似た構成で、家を出たデッカードがサンフランシスコの街で地獄巡りをした後、家に帰るまでの物語だ。途中、セイレーンのような三人の女性アンドロイドに心を動かされるが、ついに敵を倒して帰ってきたデッカードを、冷たかった妻は優しく迎え、ほんのり温かいハッピーエンッドとして幕を閉じる。しかし、ファンチャーはデッカードを女房に逃げられた男と設定し、妻をドラマから切り捨てた。
その代わりにファンチャーが強調したのは、ハードボイルド探偵ものの要素だ。
『電気羊』はいちおう刑事が犯罪者を追う話だが、デッカードはフィリップ・K・ディックの他の小説の主人公と同じく泣き言ばかり言っているしょぼくれた小役人だ。しかしファンチャーは、彼をレイモンド・チャンドラーが描く私立探偵フィリップ・マーロウのようなヒーローとした。舞台をサンフランシスコから、マーロウが活躍したロサンジェルスに移し、マーロウと同じソフト帽とトレンチコートを着せたのだ。ファンチャーのイメージは『さらば愛しき女よ』(75年)でマーロウを演じたロバート・ミッチャムだったという。そしてマーロウ調の自虐的な独白でストーリーを進めることにした。これはハリウッドのフィルム・ノワールの手法だ。
<ロング・トゥモロー>p229~230
リドリー・スコットとハンプトン・ファンチャーは80年4月、ハリウッドに合宿して脚本の練り直しに入った。
「映像においてスタイルはテーマそのものになる」
それが、CM出身のスコットのポリシーだ。彼は、まずファンチャーに尋ねた。
「窓の外はどうなっている?」
『ブレードランナー』の舞台はどんな世界か、と訊いたのだ。ファンチャーが答えられないと、スコットは言った。
「ヘヴィ・メタルだ」
それは、フランスのコミック雑誌『メタル・ユルラン』の英語版の名で、スコットがとくに意識したのはメビウスが描いた『ロング・トゥモロー』という短編だった。メビウスはスコットの『エイリアン』に宇宙服のデザインで参加している。
『ロング・トゥモロー』はまさに「未来のフィリップ・マーロウ」だ。舞台は未来。主人公のピートは私立探偵。彼は美女の依頼で荷物の回収に行かされ、命を狙われる。ピートはその美女と恋に落ちてベッドをともにするが、彼女の正体はアメーバのように不定形の怪物だった。それは地球大統領暗殺のために異星から送り込まれたスパイだったのだ。タフな探偵の一人称の語り、依頼人の美女の誘惑、そして裏切り。『ロング・トゥモロー』はハードボイルド探偵小説のパターンを未来世界で展開する。
メビウスは『ロング・トゥモロー』の未来都市を空にそびえる摩天楼ではなく地下に向かって何百層も続く地獄のように描写した。さらに、すべての風景にゴミやガラクタをゴチャゴチャと描きこんだ。それはそれまでのSF映画で描かれるピカピカに清潔な未来都市とは正反対だった(ただし、ゴミと手垢で薄汚れた宇宙船なら72年にソ連のタルコフスキーが『惑星ソラリス』で見せている)。
『ロング・トゥモロー』のストーリーを書いたのはダン・オバノン。スコットの『エイリアン』の最初のシナリオを書いた男だ。彼はフィリップ・K・ディックの大ファンで、『トータル・リコール』と『スクリーマーズ』でディックの原作を二回も脚色している。
この『ロング・トゥモロー』こそが、スコットにとっての『ブレードランナー』の「原作」である。何しろ彼は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいないからだ!
<フィルム・ノワール>p230~231
チャイナタウン
原作は読んでいないが、スコットはファンチャーの脚本の「未来のフィリップ・マーロウ」というアイデアに興奮した。彼はロマン・ポランスキー監督の「チャイナタウン」(74年)のようなフィルム・ノワールを撮りたいと思っていたからだ。
フィルム・ノワールとは、おもに1930年代のハードボイルド小説を原作として、40年代にハリウッドで作られた白黒の犯罪映画を指す。最大の特徴は闇だ。夜の闇に、雨に濡れた舗道、ネオンサイン、吹き上がる蒸気、タバコの煙、ブラインドや換気扇越しの光が白く切り抜かれる。フィルム・ノワールはたいてい主人公の憂鬱な独白で始まる。彼は謎めいた美女に誘われ、愛も情けも踏みにじられる暗黒の世界へと入っていく。フィルム・ノワールは、明るく勧善懲悪のハッピーエンドを描き続けたハリウッド映画史上の異端児だ。その厭世主義の原因は二度の世界大戦で残酷な現実を体験したせいだと言われている。「フィルム・ノワール」という呼び名は、それらの映画がフランスで上映されたときにつけられたもので、「フィルム・ノワール」という言葉がアメリカに逆輸入された50年代には、ハリウッドはすでにそういった暗くネガティブな映画を作るのをやめて、明るく健全で保守的なハッピーエンドの映画が主流になっていた。
しかし、60年代終わりから、ヴェトナム戦争を背景に、ハリウッドでは再びアンハッピーエンドの映画が作られた。いわゆるアメリカン・ニューシネマである。ハリウッド映画が描かなかったアメリカのダークサイドを描こうとしたニューシネマは、ハリウッドが闇を描いていた40年代のフィルム・ノワールを再生した。それがスコットの愛する『チャイナタウン』であり、ファンチャーが愛する『さらば愛しき女よ』なのだ。
「『ブレードランナー』の設定は(製作時から)40年後の未来だが、映画のムードは40年前の1940年代に作られたフィルム・ノワールを模した」とスコットは言っている。当初、デッガードはフィリップ・マーロウ風にトレンチコートにソフト帽を被る予定だったが、ハリソン・フォードが「レイダース/失われたアーク」(81年)で先にソフト帽を使ったのでコートだけになった。
<アンドロイドからレプリカントへ>p231~232
リドリー・スコットはディックの原作にある「バウンティハンター」という職業名は平凡すぎるとファンチャーに言った。ファンチャーは自宅の本棚から『映画:ブレードランナー』という本を見つけた。著者はウィリアム・バロウズ。ファンチャーはバロウズのファンで『電気羊』の前に『裸のランチ』の映画化権を買おうとしていたのだ。バロウズもディックも麻薬常習者で、現実と妄想の区別が曖昧な文体が共通している。
Bladeは手術用メス、Runnerは「密売人」というスラングで、Blade Runnerとは医療用品の密売業者のこと(銃の場合はGun Runnerとなる)。そもそも、自身も医者だった作家アラン・E・ナースが74年に医療用品の密売人を主人公にした小説『ブレードランナー』を書いた。それを79年にバロウズが勝手にアクション風に書き直したのが『映画:ブレードランナー』だ。両者とも内容的には映画『ブレードランナー』とは関係ない。
スコットから次々に飛び出す要求に応えようとしたファンチャーだが、ついに二人は衝突してしまう。スコットは勝手に脚本家デヴィット・ピープルズを雇ってシナリオをリライトさせた。
スコットがまずピープルズに要求したのは、やはり呼び名の変更だった。「アンドロイド」という言葉は機械っぽい。生物学的に作られた人造人間には別の名前が必要だというのだ。そこでピープルズは生化学を学ぶ娘から教えてもらったクローン技術用語の「細胞複製(レプリケイション)」から、「レプリカント」という造語を作った。
<虚空の眼>p233~235
タイレル社
「21世紀初め、タイレル・コーポレーションは遺伝子工学による人造人間“レプリカント”を開発した。彼らは地球外植民地の奴隷労働に使われたが、反乱を起こしたため、地球に逃亡したレプリカントは発見され次第、ブレードランナーによって射殺されることになった。それは処刑ではない、“廃棄”である」
映画『ブレードランナー』は暗闇の中に主要スタッフとキャスト名が浮かぶメインタイトルの後、以上のような字幕(大意)が流れる。
そして、「ロサンジェルス 2019年11月」という字幕に続いて、眼前に巨大なロサンジェルスの風景が広がる。雨に煙る暗闇にロサンジェルス南部の製油所が炎を吹き上げている。カメラの視線はその工場の上空を飛んでゆく。屋根に回転灯をつけたエアカー(ポリス・スピナーと呼ぶ)が画面の奥から飛んできてすれ違う。画面いっぱいの眼のクローズアップがカットインされる。大きく見開かれた青い瞳には製油所の炎が映っている。カメラの視線はピラミッドのような、マヤの神殿のような形の巨大なビル、タイレル・コーポレーション本社に近づいていく。ということは、この眼の持ち主は、タイレル社に向かって飛行しているようだ。だが、これが誰の眼なのかは最後までわからない。
(中略)
この巨大な眼を見たとき、フィリップ・K・ディックの読者なら『虚空の眼』を思い出すかも知れない。ディックは全体主義国家やファシズム、監視社会をつねに恐怖していた。リドリー・スコット自身はインタビューで「(冒頭の眼は)独裁者の視線だ」と抽象的なことを言っている。これがオーウェルの『1984年』のように「ビッグ・ブラザー」を描く物語ならば、そうかもしれない。しかし、『ブレードランナー』には政府や体制は登場しない(むしろ統制が崩壊した社会を舞台にしている)。スコット自身がそれをいちばんよく知っているはずではないか。
この眼の持ち主が誰なのか、今のところはわからないが、観客の素直な感覚はこう受け止めたのではないか。目の前に突然広がった2019年の風景にまさに眼を見張る自分自身の眼だと。
<レトロフィット>p235~236
ナイト・ホークス
原作者ディックは完成した映画を観ずに他界したが、死の直前にダグラス・トランブルによる未来都市の映像を見せられ、原型をとどめないほど変えられた脚本を読んで立腹していたことも忘れて、すっかり機嫌をよくしたという。
フィリップ・ノワールの主役は都市の風景だ。夜のビル街やネオンサイン、自動車のヘッドライトなしには成立しない。リドリー・スコットも『ブレードランナー』にとって都市こそが最も重要だと考えていた。
スコットは都市のデザインのため、前述の『ヘヴィ・メタル』などのコミックや画集を山ほどかき集め、使えそうなイメージを片っ端から抜き出していった。たとえばエドワード・ホッパーの絵『ナイト・ホークス』。深夜営業のコーヒー・ショップに佇む男女を描いた絵で、大都会の孤独が伝わってくる。
その資料のなかにフォード車のデザインなどをしてきた工業デザイナー、シド・ミードの画集『センチネル』があった。スコットはミードを雇って、タイレル本社ビルや、未来のぱとかー「スピナー」、主人公の持つ拳銃など、2019年のロサンジェルスをデザインさせた。
スコットがシド・ミードに与えたコンセプトは「レトロフィット(古い機械に新しい部品を組み込んで動くようにすること)」だった。1920年代のアールデコ調のビルに、未来的な巨大テレビモニターを組み込もう。完璧に最新式の建物ばかりの街など、核戦争か何かで前時代の建物が完全に一掃されない限りありえないからだ。たとえば、現在のニューヨークの建物の半分以上は百年近く前に建てられたものではないか。
「『ブレードランナー』はわずか40年後の世界だから地に足がついた未来像が欲しかった」とスコットは言う。
だが、リアルさ以上にスコットが欲しかったのは、40年前の1940年代に撮られたフィルム・ノワールの背景だった。撮影はハリウッドの北にあるワーナー・ブラザーズのスタジオにあるニューヨーク市街のセットで行われた。実際に40年代の映画で使われたセットである。そこに換気ダクトや得体のしれないパイプやネオンを取り付けて、2019年のロサンジェルスが作られた。
<行き止まりの未来>p240~242
フレデリック・ジェイムソンは、同じ82年に、こんな題名のエッセイを発表している。 「進歩vsユートピア/我々は未来を想像できるのか?」
ジェイムソンの答えは「できない」だ。
1970年代まで、SF小説の挿絵やSF映画、それに科学雑誌では、数々の未来世界の予想図が描かれてきたが、平均するとだいたいこんなところだ。―天に向かってそびえる滑らかな超高層ビル群。それはモダニズム建築を推し進めたウルトラ・モダンだ。
(中略)
しかし、70年代になって、人々は、こんな未来は来ないと気づいてしまった。
まず、石油ショックと公害につまづいた。こんな未来都市を作るためのエネルギーをどうするのか?原子力はすでに万能な未来のエネルギーではないことが判明していた。それに廃棄物はどうするのか?貧困は?発展途上国は?解決策のない問題が山ほど噴きだした。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、人類は地球外に植民地を広げているが、大多数の人々はそこに行くよりも環境汚染された地球に骨を埋めることを選んでいる。
科学技術だけは進歩を止めなかったが、それが目指す未来世界の地図はなくなってしまった。科学のユートピアの夢はレトロ・フューチャー(かって夢見た未来)となった。この先には何も見えない!
(中略)
『ブレードランナー』のロサンジェルスも退化した都市に見える(タイレル本社を除く)。どのビルも奇怪な形に成り果てているので、どれが廃墟かもわからない。壁や柱は落書きだらけで道端にはそこらじゅうにゴミの山がたまっている。その姿は未来というより「現在の腐ったもの」とでも言ったほうが似合っている。
このゴミだらけの風景で、2019年のアメリカは建築だけでなく、経済や政治の進歩も止まっていることがわかる。『ブレードランナー』は警察官が主人公だが、政府や国家の影は見えない。代わりに君臨しているのは神殿のようにそびえるタイレル・コーポレーションである。レプリカントは奴隷労働者としてこの時代の産業の底辺を支えているのだから、レプリカントを独占的に供給するタイレル社は現在の石油産業以上の権力を持っているはずだ。これは80年代に成立した「コーポレート・アメリカ」の行き着く先だ。レーガン政権は「小さな政府」を掲げ、大企業に対する大幅減税や規制緩和を行った。その結果、大企業はより強くなり、合併吸収を繰り返して巨大な権力となった。政府ではなく大企業が社会をリードするコーポレエート・ソサエティ(企業社会)だ。大企業の利益は国民の利益、という思想はレーガン以降のアメリカ保守派のイデオロギーとなり、大企業は労働者を搾取し、貧困層を生み出し、環境を汚染し、酸性雨を降らせる。
<チャイナタウンに呑み込まれた都市>p246~248
2019年、ロサンジェルスに混沌をもたらしているのは建築や広告だけではない。雑踏にひしめく人々の人種や服装、飛び交う言葉は韓国、ヴェトナム、メキシコ、インド、アラビア、ドイツ・・・。ネオンサインや路上の落書きも日本語や中国語や・・・数え上げればきりがない。デッカードのような白人はここでは圧倒的に少数派だ。
(中略)
たとえばアメリカではアジア人の移民を約70年間も禁じてきた移民法が1965年に改正され、堰を切ったように中国と韓国から移民が流入した。また70年代にはインドシナの共産化によってヴェトナム、ラオス、カンボジアなどから大量の政治的難民が入ってきた。これによって移民法改正以前は全人口のわずか0.5%しかいなかったアジア系アメリカ人は、いっきに6倍以上に増加したのである。
また、政治的、経済的に不安定な中南米やイスラム諸国からも大量の移民が入り、70~80年代は、20世紀初めにヨーロッパから大量の移民があって以来70年ぶりの大移民時代となった。白人はすでに50年代以降、都市から逃げ出して郊外に住むようになっており、都市部は非・白人によって占領された。
もともと『ブレードランナー』は『チャイナタウン』のSF版を目指して企画されたが、チャイナタウンと私立探偵との組み合わせは1920年代の探偵小説「チャーリー・チャン」シリーズとその映画化にルーツがある。舞台となる禁酒法時代のサンフランシスコのチャイナタウンは阿片窟と人身売買市場が並ぶ、異界だった。しかし、移民法改正後、サンフランシスコやロサンジェルス、マンハッタンのチャイナタウンは爆発的に、無限に拡大した。同じようにコリアン・タウンも、リトル・サイゴンやリトル・アフガンも、黒人のゲットーも、ラティーノのバリオも80年代に急激に広がり、のたうつ龍の浮き彫りや金の仏像、後光の差したキリストや生首をぶら下げたカーリーなどの土着的で民族的なデコレーションやアイコンが、モダンな都市の風景を前近代化してしまった。
<雨の中の涙>p277~248
言葉もないデッカードに、微笑みを浮かべてロイが殖民惑星での体験を語り始める。
「俺は見てきたんだ。お前たちには信じられないような光景を。オリオン座で燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの闇に輝くCビーム。だが、そんな思い出も消えてしまうんだ。・・・雨の中の涙のように・・・」
タイレルが言ったようにロイは短い人生を他の人間の何倍も激しく生きた。生きる長さは問題ではない。レプリカントか人間か、そんなことはもうどうでもいい。どちらも命に限りがある無意味な存在としては同じだから。でも、ロイは生きた、最後まで戦った。それは模造記憶でもヴァーチャル・リアリティでもないのだ。
「死ぬときが来た」。ロイはそう言うと動かなくなった。
「雨の中の涙」はルトガー・ハウアーのアドリブだという。人は死ねば、その存在は跡形も無く消えてしまうのか。いや、そんなことはない。ロイの生と死はデッカードに確実に何かを遺すだろう。
ボードリヤードは『象徴交換と死』の中でこう書いた。何もかも消費され、何もかもシミュレーションになり、すべての価値観が崩壊していく現代に、最後に残された崇高さは、何の代価も求めずに自分の命を黙って差し出すことしかないと。ロイはまさにそれをデッカードにしたのだ。
「ロイがなぜ、私の命を救ったのかはわからない」。オリジナル公開版ではデッカードが観客に語る。「おそらく、最後の瞬間に彼は生きることを今まで以上に愛したのだろう。彼の命だけじゃなく・・・誰の命でも・・・私の命でも。彼が知りたかったのは、私たちが誰でも求めている答えと同じだ。私はどこから来て、どこに行くのか?いつまで生きられるのか?」
『我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処にいくのか』。それはフランスの画家ポルール・ゴーギャンの代表作のタイトルである。ゴーギャンもコンラッドと同じく未開の人々に魅了され、タヒチに住んだ。しかし、絵が一枚も売れず貧苦に苦しみ、最愛の娘の死を引き金に自殺を図ったが死にきれなかった。そして描いたのが大作『我々は何処から来たのか~』である。絵の中には、三つの問いの答えとして、赤ん坊と、エデンの園で知恵の実を取るアダムと、老人が描かれている。我々は何者か?知恵を持ったがゆえに神の楽園から追放され、三つの問い、つまり人生の意味に悩み続ける存在だ。
「私にできることは、ただそこに座って彼の死を見届けてやることだけだった」
デッカードは『テルマ&ルイーズ』(91年)で男性優位社会に勝ち目のない戦いを挑んだテルマとルイーズが雄々しく散っていくのをただ見ているしかない刑事のような役割だったのだ。
ロイが抱いていた白い鳩が、夜明けの空に飛び立った。「ルシファー」とは「夜明けの明星」の意味だという。堕天使サタンはまた光となって天に還ったのだ。
<新しき夢を>p283~284
『ブレードランナー』以降、映画に登場する未来はみんな『ブレードランナー』になってしまった。『未来世紀ブラジル』『ロボコップ』『ターミネーター』『AKIRA/アキラ』『攻殻機動隊』・・・・。その間にサイバーパンクというSF小説のジャンルが生まれ、消えていった。ポストモダンという言葉も流行遅れになった。それでも『ブレードランナー』のロサンジェルスに代わる未来都市のイメージは生まれていない。
「これから先にあるのは過去のスタイルの組み合わせだけで、まったく新しいものはもう生まれない」。ポストモダニストの学者たちはそう予言した。
未来都市だけでなく、すべてのハリウッド映画がポストモダン建築のように過去の映画の寄せ集めになっても、いちおう「オリジナル」の映画も、ほとんどは過去の映画のアイデアのパクリや引用、オマージュ、インスパイア、リスペクト・・・。技術の発達でビジュアルだけはずっと派手で豪華で、まさにハイパーリアルになったが、今までまったく見たこともないイメージはない。
それは映画に限ったことではなく、音楽、美術、文学、どれもコラージュ、パスティーシュ、サンプリング、シミュレーションばかり。本当に「革新的」で「革命的」なものは生まれなくなった。あまりにも多くのものがすでに作られてしまった。何をやっても誰かのレプリカになってしまう。メディアからの情報が朝から晩まで頭の中に入り続け、記憶のほとんどはメディアからインプットされたデータで、自分だけの生身の体験はどんどん小さくなる。表現すべき自己などないのに「本当の自分」などと言い続ける私たちはみんな、レイチェルと同じ、自分が人間だと夢見ているだけのレプリカントなのだ。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の冒頭には、アイルランドのロマン派詩人W・B・イエイツの『幸福な羊飼いの歌』が掲げられている。イエイツはその詩で、夢が失われていく時代に夢を求めることの大切さを歌った。
「新しき夢を、新しき夢を」
この先、新しい夢を見られるのはいつだろうか?
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