ふじのさんのぐだぐだ日常日記

ふじのさんのぐだぐだ日常日記

妊娠初期~中期


6月半ばになっていつも来るものがこないし、周期も規則的で決まっていて、予定日に若干の色が見えた程度で終わってしまったので「これはもしや!?」と、市販の判定をやってみたら『陽性』。
後は産婦人科に行って確認するだけだった。
ドラマのようにいきなり「(・"・;) ウッ」と言って洗面所に駆け込んで判るようなことはめったにないと、このとき思いました(笑)

このときは、近所に知り合いもなく、地元にも友達がいなくて情報がなかったので義父母の情報を頼りに近くの産婦人科を訪ねた(・・・後々友達が出来てからいろいろ教えてもらい、もっといい病院があったのになぁと後悔している。更には、検診等は勤めていた会社の近くでも良かったなぁと、情報収集は大事だと今思っている。ちなみに会社は家から1時間くらいのところでした)。

問診・尿検査・内診(触診)とやって、エコーで見たら「あれ?藤乃(仮名)さん、双子みたいですよ?○が二つ見える」と画面も見せてもらった。
(つまりこの時点で二卵性の双子と確定していた)

\(◎o◎)/!

いや、びっくりよりも、妊娠が確認出来た嬉しさの方があって、それが双子と聞いても「ま、世の中それでも育てている人達はたくさんいるし、2人いっぺんになるだけだから、なんとかなるっしょ~♪」
・・・と、ホントになんにも考えていなかった。
従弟や弟の友達ところでやはり双子が生まれて育てている話も聞いていたので、余計に「なんとかなるさ」と思っていたのかもしれない。

だんなや義父母に報告したら、喜んでもらえるどころか「どうするの?」と言われ、義父に至っては「手伝えないから自分達でなんとかしろ」と言われてしまった。

「どうするの?」って言われたって、せっかく宿った命を育てられないからなんて理由で殺したくなかったし(それこそ自分のそれまでの信念を曲げることになると思ったから)、言われると「やってやろうじゃん!」と余計燃えてしまうヘンな性格だったので(^_^;)、手伝いは結構!と思ってがんばることにした。←でも今はおじいちゃん&おばあちゃんはホントに二人をよく可愛がってくれる。激甘なくらい(^^;;;。
だんなの方は「出来ちゃったものは仕方がない。二人でも同じ命だし」と納得してくれた。

仕事は妊娠7ヶ月までつづけた。
もっとギリギリまで続けられそうだったけど、会社の事情でリストラされてしまったのだ。

さて、話を戻して。
妊娠が判ってしばらくしてから『つわり』が始まった。
とにかく気持ち悪かった~(;_:)
食べ物屋で働いていたが、においでつらいことはなかったが、食べられるものが徐々に限られていった。

まずは「麺類」がダメになった。
だんなが作ってくれたインスタントラーメンを前にしてトイレに駆け込むこともしばしばでした。
「レトルト」食品もダメでした。
レトルトの風味がダメだったのかも。

・・・料理がダメな私の唯一作れる主なものが上二つだったし、他に何か食べようとしても「うっ。。。( ̄x ̄;)」となるような状態でした。
あと甘いものも、口の中が不味くなりました。

でも、昼間は会社で作っているお弁当は平気だったし(野菜物が多かったからかな?あと、揚げ物は平気だったし)、食べつわりもあったので、お腹が空くとまた気持ちわるくなるからと食べながら仕事していたり。
「塩せんべい」で乗り切っていました。
「フライドポテト」も食べたくなったっけ。
スーパーで買い物中「うっ。。。( ̄x ̄;)」となるときは、試食のカブの漬物に助けられたこともありました。

帰り道も車で1時間と長時間の運転だったのでその間にお腹が空いて気持ち悪くなって吐くことがないようにおにぎりとジュースで空腹を止めながら帰ってましたっけ。

それは妊娠4ヶ月目が過ぎ、5ヶ月目に入る頃には治まりました。お腹は重くなって来ましたが。

そういえば、この頃だったかなぁ?
だんなと旅行に行って、重いお腹でつり橋渡るなんて無茶したのは。

妊娠7ヶ月に入った12月の初めに仕事はヤメた。
元々家から遠くなっていたし(隣の市に嫁に行ってしまったので、遠くなってしまったのだ)、家に近くでまた仕事を見つけた方がいいと思っていたので丁度良かったのだ。

仕事を辞めてしばらく家でゴロゴロ過ごし、ちょっと本屋まで買い物に行こうかな?と思って靴を履こうとして「おや?」という違和感に襲われた。


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