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. 晴明神社 主祭神は安倍晴明公御霊神、古くは晴明御霊と呼ばれていたようです 平安時代、1005年85歳で生涯を終えた安倍晴明公の功績を称え、1007年第66代の一条天皇により晴明屋敷跡に創建されました (晴明神社、本ブログの当初に一度UPしていますが今回再度ご紹介します、今回記事字数の制限により2回に分けてUPしています、このページ最後の項で「その2」へ移動してご覧下さい、長くなりますお暇にどうぞ・・・) ↑「二の鳥居」からの境内、26年本年初詣のお詣りです 神社では、魔除け厄除け、方除・火災守護、病除守護、縁結び・結婚、開業・進学・命名、向上祈願などの御利益が承けられます ↑「一の鳥居」 掲げられる額には神社やご祭神名でなく、金色の社紋の晴明桔梗印(五芒星)が輝いています 桔梗印は境内のあちこちにあしらわれ神社の雰囲気を高めています ↑「安倍晴明公像」 晴明公が夜空の星を見天体を観測し、衣裳のなか手で印を結ばれている様子と説明されています 陰陽師(オンミョウジ)安倍晴明公(921-1005年)は幼くしてより多くの道に秀でられ、特に天文暦学を深く極められ神道を思いのまま操る霊術を身につけられ天文陰陽博士として活躍、源氏物語で登場される61代朱雀帝より村上・冷泉・円融・花山・そして66代一条と六代の天皇の側近として仕え、数々の功績を残されています村上帝の折には、唐に渡り伯道仙人の神伝を受け継がれ、これを元として日本独特の陰陽道を確立されることとなり、政治・社会・生活に様々な規範を定められ、行事・歴術・占法などを創られています ↑「陰陽博士安倍晴明公居館址」の石塔(左)と豪快な阿の狛犬(右)、狛犬は境内のあちこちで様々な表情を見せて守護しています ↑「旧・一条戻橋」 {あの世}と{この世}を繋ぐとされた一条戻橋、先代の橋の親柱です 伝説では晴明公がこの橋で亡くなった人を呪法を駆使して蘇生させた処から「戻り橋」と付けられたとの説明もあります 、 橋の傍らには式神(シキガミ)の石像が置かれていますが、実際は陰陽師が使う精霊で人の目には見えなかった石像です ↑「現在の一条戻橋」 神社から南へ100メートルの堀川に架る新橋、平成7年に幅広く付け替えられています戦時出征にはこの橋で「戻る」よう見送られた様ですが、現在では嫁入りや葬送には「戻る」を嫌い渡らないのが習わしとなっています ↑「日月柱(ニチゲッチュウ)」 参道脇に立つ南に「日」、北に「月」を配した石柱は、「陰陽」を表しているとされています、明治37年晴明公九百年祭を記念して建てられた石柱です ↑二の鳥居にかかる社名の額、直ぐうしろにあるのが塀重門です 境内、初詣参詣者増えてきました ↑「四神門(シジンモン)」と名付けられた塀重門、門戸・提灯には大きい桔梗印(五芒星)です創建当時朝廷の使者が訪れるとこの門が自然と開き、門から出ると閉まったと謂われます、現在ではそれに因み朝夕に自動(エレキ)で開閉される様仕組まれています 「五芒星(ゴボウセイ)」 除災清浄を表す天地五行「木・火・土・金・水」です この天地五行と陰陽の二気との変化とその組み合わせにより 自然界の現象の洞察、天文・歴数の判断を合わせ吉凶を占 い、凶事を回避する術が陰陽道の基となります ↑四神門の門柱上部には東西南北の方位を指す四神が守護しています 左上より東の青竜・下へ南の朱雀 右上は西の白虎・下へ北の玄武です 平安京の都は、この四神相応を基に造営されていると謂われています ↑「千利休居士聚楽屋敷址」 武者小路千家・千宗主家元筆の石塔です 豊臣秀吉が京都に聚楽第を創建した時ここに千利休の屋敷があり、茶の湯には境内の晴明井の水が用いられていたと謂われています 記事次より「その2」へ続いてご覧下さい 「京こよみ 2月」はTopページに載せています、ホームに戻りご覧下さい.................................................................京都市バス 「一条戻橋・晴明神社前」下車 北へ徒歩1分晴明神社HP URL---http://www.seimeijinja.jp/-----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2014.01.29
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. 晴明神社 その2 晴明神社は応仁の乱をはじめ、火災にも度々見舞われましたがその都度再建され、現在の本殿は明治38年に建てられたものです 「晴明さんにお祈りすれば、様々な災いから身を守り、病気やけがが治り不思議なご利益を承けられる・・・」そうした評判が語り継がれ多くの参拝者が訪れています ↑「社殿・本殿」の全景です 新年は御参詣が多くここからの写真撮れません、一昨年5月の写真です ↑「晴明井」 晴明公が念力により湧出させたと謂われています、湧き出る水は茶の湯に又病気平癒の御利益ありとされてきました、水の湧き落ちる口はその歳の恵方を向き吉祥の水が得られます、恵方は毎年立春に御神職によりその向きが変えられます ↑(左)晴明井の足元まで石で北斗七星が描かれています、晴明公が天文陰陽博士として活躍された拠点の証しなのでしょう (右)「手水社」 古来より「罪」や「穢れ(ケガレ)」を洗い神域に入るとされています、水を落としているのは竜の口です ↑「顕彰板」 晴明公の数多い伝説の中から代表的な十の逸話を紹介、パネルにして飾られ伝えられています ↑「社務所」 方除け・移転・開業・命名などのご相談は全てこちらで行なわれています 新年にあたり、この時間本年の芸事・スポーツの上達・無事故を願う若い方の沢山のお詣りです ↑「太極(タイキョク)図」(陰陽魚)参道鉄板の蓋に描かれています 中国の思想で太極は万物の根源であり、ここから陰陽二元が生じたとされ、白黒の勾玉を組み合わせた意匠で白は陽で上昇を、黒は陰で下降を意味するとされています (右)境内・社務所前に描かれた図です、五行説に基ずくものでしょうか、11月の「御火焚祭」がここで行われます、「火生土」火を焚き土を甦らせる重要な儀式とされています ↑本殿・拝殿正面、初詣多勢の参拝者になりました 社殿、一番奥が三間社流造の御本殿、手前の切妻屋根が拝殿と幣殿、一番手前が軒唐破風の屋根です、それぞれ正面桔梗印が輝いています ↑「御神木」 樹齢300年の大楠です、樹皮に両手をあてると大樹の力を感じ取れると説明されています (右)「厄除け桃」 古来中国、日本では古事記や日本書紀に描かれ、また陰陽道でも桃は魔除け・厄除けの果物とされています、ご参詣の方々の御祈願で撫でられ光っています ↑拝所、拝殿前です、多くの桔梗印が目に入ります ↑祭神・安倍晴明公をお祀りする本殿・祭壇です、お飾りが神々しく光っています ↑「末社・斎(イツキ)稲荷社」 晴明公はお稲荷様の生まれ変わりとの解釈もあり、天満社・地主社と共に祀られています、本殿北側の社です 記事「その1」へはこちらからお戻り下さい 「京こよみ 2月」はTopページに載せています、ホームに戻りご覧下さい .................................................................京都市バス 「一条戻橋・晴明神社前」下車 北へ徒歩1分晴明神社HP URL---http://www.seimeijinja.jp/-----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー[メッセージはこちらから]
2014.01.29
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