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法金剛院 山号は五位山・唐招提寺に属する律宗の寺院です 双ヶ丘(ナラビガオカ)の麓五位山の裾野に位置し、関西花の寺霊場とされ四季彩る花の寺と呼ばれ特に世界各地の蓮が彩る「蓮の寺」と謂れています 830年代平安時代の貴族・清原夏野が山荘として営んだのが始まりで、その後双丘寺と称され境内には沢山の四季それぞれの花が植えられこの地域一体の花園との地名の由来となります 平安後期平氏が勢力を拡大し始めた1130年74代鳥羽天皇の中宮となる藤原璋子(タマコ)のちの待賢門院(次75代崇徳天皇・77代後白河天皇の母)により再興され、法金剛院と名を改むる 出家した僧、歌人・西行(元武士・佐藤義清)は待賢門院が落飾し隠棲していたここ法金剛院に生前また逝去後も院を慕い当時住まいとしていた嵯峨・小倉山より度々訪れ、四季移る景色を詠んだとされます 最盛期の法金剛院には、南御堂(九体阿弥陀堂)・西御堂(丈六阿弥陀堂)・宸殿・待賢門院の御所などが立ち並ぶ大きな寺域を誇るものでしたが度重なる災害により壮観だった面影は失われ、また1900年代の山陰線開通に伴い境内大きく縮小余儀なくされてきました ↑「本堂(礼堂)」前です、奥に仏殿・地蔵院と続いています ↑「書院・車寄せ」奥は庫裡・茶室になります 庭園は待賢門院自ら極楽浄土を模するものとして造園させた池泉回遊式浄土庭園で、滝と川を配し曲水を経て池泉に注ぎ中島と反橋、洲浜と巨石の伏石・立石が据えられて造られたとされています またこの庭園平安時代の数少ない遺構とされていますが、残る現在の池泉はその一部ですが当時の面影を写すものとされ、今の時期苑池は蓮の葉で埋め尽くされ池の全容は観られません 蓮の花は睡蓮と同じく水生植物ですが、水面に花を浮かべる睡蓮と違い茎を高く伸ばし花を付けます 蓮は「蜂巣(ハチス)」の略で実の入った花床↑(花中央の緑色部分)は沢山の穴があいていて蜂の巣に似ていることから名付けられたと謂れています 蓮は多くの仏典に「蓮華(レンゲ)」の名で登場し、仏像の台座にもその形が使われています 仏の教えでは、西方浄土の極楽は神聖な蓮の池と信じられているため、各地のお寺の境内にハス池がよく見られます 蓮の花は朝早く開き夕まえには閉じます、花の開閉は3回繰り返し4日目には花びらが散る儚い命を持ち合わせています ↑丈六のご本尊「阿弥陀如来坐像」(重文) 2.7mの平安後期の院覚の作で古くは定朝の三阿弥陀と言われています、向背の蓮弁の彫刻も高く評価されています ↑地蔵院の丈六「金目地蔵」(重文) 4.8m目が金色の大きな地蔵さまです、目の色からこう呼ばれますが、XX大臣の[金目でしょ]発言で一躍注目? (堂内は全て撮影禁止で写真は院資料より) ↑巨石で組まれた「青女の滝」青女とは秋の神で霜と雪を降らすものとされます ↑五位山中腹の「待賢門院御陵」鳥羽院天皇中宮・藤原璋子花園西陵と刻まれています「青女(セイジョ)の滝」は日本最古の人造の滝とされ、庭園とともに国の特別名勝に指定されています 境内にはいま桔梗の花も、蓮どこ吹く風と気品のある花を咲かせていました 蓮の花、仏典では「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と教えています ↑蓮の花のUPです、インドから中国を経て渡来した蓮の花その種は数えきれず、ご紹介した蓮の花それぞれ違った美しい顔を見せてくれました ↑庫裡前の蓮の花、車百合(トオモイマス)・桔梗が共に咲き一段と趣の増す庭さきです ★(TOPページに京都もう一つの夏のイベントUPしています、 「五山の送り火」大文字 です ホームで見て下さい) ★「京都ええとこ」一覧は こちらからご覧下さい.................................................................京都市バス 「花園扇野町」下車 すぐ法金剛院関連HP URL---http://www.y-morimoto.com/hananotera/13hokongo.html (法金剛院にHPはありません) -----------------------------------------------------------------被災地に届けよう! 【京都】老舗や名店がひしめく古都。お土産や名産品をお取り寄せ!
2014.08.01
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