FUNKTOWN  J.T.

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六本木 1982-1983

■六本木 1982年~1983年 サーファーディスコ末期■

A35

さて、さらに時代は進み1982年。
この頃は客層の多様化・低年齢化によりかつての六本木の輝きはなくなり、新たに渋谷の 「スターウッズ」「キャンディーキャンディー」[「ラスカーラ」 新宿の 「B&B (BEACH & BREEZE)」 等に人気が集まった。
客層はB&Bはかつての六本木に近かったが、渋谷は中高校生が中心だった。
他にお株を奪われ勢いのなくなった六本木だったが、キサナの生まれ変わりである 「ナバーナ」 は曜日ごとに有名女子大生が無料になるなどナンパ箱として人気があったし、サンタンライトを備えた 「メイキャップ」 も、日焼けサロンと一石二鳥ということで人気があったが、いずれも全盛期と比べるとイマイチだった。

ところで昔からの遊び人達はいったいどこへ行ってしまったのか?
そう!そういう筋金入り遊び人達は、もはや東京ではなく与論・沖縄に代表されるような「リゾート地」に進出し、夜な夜な異常な盛り上がりを見せていた。
特に ヨロン島の人気は別格 で、夏になるとディスコやカフェバーがオープンし、その中でも「スカイラブ」と「ココナッツガーデン」は非常に人気が高かった。

RISORT DJ

そのリゾートディスコのホスト役をつとめたのが 学生ツアー のスタッフだった。
彼らは、ルックス・遊びのセンス・スポーツのセンスの3拍子が揃った、選りすぐりの遊び人オンリー。
特に現地のディスコパーティーは夜な夜な異常な盛り上がりを見せ、イケメンスタッフ+女子大生・女子高生(メイト)が中心になって、上質でより濃い「サーファーディスコ」の雰囲気を作り出していた。

夏を過ぎるとオンエアされる曲の方は 「君の瞳に恋してる/ボーイズタウンギャング」 の空前的な大ヒットをきっかけに、70年代のミュンヘンサウンドを彷彿させる「ハイエナジー」が台頭。
秋には 「ルックオブラブ/ABC」 の大ヒットにより、ニューウェイブやロックが爆発的に流行!
隆盛だった黒人系ファンクは下火になり、白人系のオンエアが激増した。
このため、選曲に関しては六本木・新宿および渋谷の区別がつかなくなった。
しかし中には流行に左右されずに、ひたすら黒人系FUNKにこだわった 「JEAPA」「QUEUE」 のような店もあってブラザーやソウルフリークを魅了したが、メインストリームではなかった。
1982年以降 FUNKの名曲=DISCOの名曲という公式が崩れたの はこのためである。

曲や箱の多様化と同時に、ファッションも少しずつ変化していった。
従来は「フレアーパンツ」がセオリーであったサーファールックからは一転して、カラフルな「ペインターパンツ」や「CLOSEDのペダルプッシャー」が大流行。
これらのファッションはEC(ヨーロピアンカジュアル)等と呼ばれ、ブランドはBALL・HARF・ロッキーアメリカンマーケット等があった。

1982年に流行したFUNK系の解説はこちら

1982年に流行したDISCO・NEW WAVEの解説はこちら

このようにオンエアされる曲が多様化する中、かつての歌舞伎町がそうだったように六本木ディスコシーンもサーファー一色だったかつての勢いはなくなった。
1983年以降のディスコは中高校生を中心としたティーンエイジャーの遊び場と化し、流行に敏感な大学生やOLは、従来よりも小ぶりでダンスフロアと飲食スペースの境界線が曖昧な 「CAFE BAR」 に遊びの拠点を移した。
中でもホテルアイビス内の 「ラジャコート」 や飯倉の 「プレステージ」「クレオ」 は当時の先端であったテクノサーファー・ハウスマヌカン・芸能人等に支持され、連日質の高い客で賑わっていた。
そこでグラス片手に踊るスタイルは、いまどきの「クラブ」の元祖だったのかもしれない。

1983年に流行した曲の解説はこちら

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