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花粉症で鼻炎なのか、インフルエンザなのか・・・体の調子が悪いです。殆ど同じ症状でも息子には出ない高熱がでたので、ここ週末はすっかり寝込んでおりました。受験生の息子はインフルエンザの予防接種を受けていますが、私は受けていませんでした・・・。 一方、2にゃんは絶好調です。くくる♪も生後6ヶ月でやっと2度目の予防接種を終えることができました。お家に来た当初は、おなかを壊していたりなんやかんやの病気続きで、ケージ暮らしが長くて、可哀想だったのですが、最近は体調もよくなり、毛並みも見た目も立派なヒマラヤンのお嬢様です。 先住猫のBON☆BON!ともすっかり仲良くなりました。後はお互い毛づくろいしてもらえたらねえ・・・。一緒にお昼寝はするようになりましたよ。折角の「初お昼ね」でしたが私の体調が悪くて、カメラに収める事が出来ませんでした・・・。 もうすぐおひな祭り、女の子のくくる♪には是非さくらの花模様の着物を着せてあげたいです。時間が無いので、今回はミシンを使用する予定です。 そうそう、熱があるのでお風呂に入れないfuppymamaですが、お風呂好きのBON☆BON!はそれでちょっとお冠なのです。「もう、ねるニャア。」「いつまでねてるニャア。」「風呂はいれニャア。」といわんばかり。 用事があってfuppymamaがバス・サニタリーコーナーへ向かうと、喜んで尻尾を上げてついてくるのですが、いざ用事が終わって寝室へ戻って寝ようとすると、足元に攻撃を仕掛けてきます。バス・サニタリーへ向かうと攻撃しないけど寝室に向かおうとするとまた攻撃開始!!そのうち一人で浴室前の床に寝そべってすねていましたので、バスの戸を開けてやりました。しばらく、お風呂場でまったりしていましたが、いつまでたってもお連れがこないと思ったのか、あきらめて寝室に戻ってきました。ごめんねBON☆BON!
2009.03.01
BON☆BON!は最近、入浴剤の匂いに取り付かれて、朝から晩まで暇さえあればお風呂場通い。おぼれないように対策していますが、一緒に入っていても、なんだか今にもよくそうに飛び込もうとしている?様子にドキドキ・・・。 ツムラの製品で、ロイヤルゼリーとシアバターが入っている入浴剤なのですが、ロイヤルゼリーはネコちゃんシャンプーにも入っていたような。シアバターって何ですか? ネコが思わず浴槽内に飛び込みたくなるほど、すきな匂いなのでしょうか。尻尾を水面ぎりぎりになぞらせては、匂いを楽しんでいるBON☆BON!なのでした。
2009.02.25
・・って、我が家のネコにではないのですが。ご近所ネコなのか地域ネコなのか、最近夜な夜な、ナーゴナーゴと悩ましい泣き声が聞こえてきます。するとなんだか落ち着かなくなるBON☆BON! ・・・・君は去勢したでしょうが?ここ数日は、雨が降っていたので、お庭の花に水遣りにも行かないので、お庭パトロールしたいとおねだりのBON☆BON! 折角ブラッシングできたばかりなので、無視していました。すると例の泣き声がまた・・・・。あらら?窓を開けてみると・・なんとすぐ近くのお家の庭で、黒いネコと黒いネコが交渉中でした。大きさがかなり違うので、雄と雌だと思うのですが。BON☆BON!を外に出さなくて良かったあ。こんな時にのこのこお外へ出て行ったりして、好奇心から♀ネコさんに近寄って行ったりしたものなら、控えている雄猫たちにボッコボコのバッキバキヤでええ!!BON☆BON!ちゃんはしばらく外出禁止です。窓から交渉中のネコさんたちを覗き見するBON☆BON!の目つきがネバイ。のぞきBONちゃん。その後何を思ったのか、きゅうに、くくる♪とラブラブになってしまうのでした。一緒のケージに入れてあげても、嫌がらずに、むしろうっとりとくくる♪をみつめるBON☆BON!あやしい。まあ、昨日あたりから、おもちゃの差し入れなどしてくくる♪の気を引いてはいたのですが。なんか、去勢しておいてやっぱり良かったような。これまたお年頃の息子fyppy君、再放送の連続恋愛ドラマを熱心に見てます。春ねえ。
2009.02.25
後から来たヒマラヤンの女の子、くくる♪。最近やっとおなかの調子がよくなり、検査結果も良好とのこと。やっと1日2時間くらいは、ケージの外に出してあげられるようになりました。 今はもうBON☆BON!からも仲間としての存在を認められているので、威嚇はされません。うれしくって、くくる♪はあちこちを走り回ります。1メートル遅れてBON☆BON!がついて回っています。この1メートルの差は、身軽さや足の速さの違いなのかしら???と思っていたのですが、そうではありませんでした。 よく様子を見てみると、BON☆BON!は、後から彼女についって行って、ポイントポイントで危険な場所やしてはいけない事を教えていたのでした。「ここの柱で爪とぎしてはダメ!!」「このコードを齧ったりひっぱったりしちゃだめ!。」「洗濯機の隙間に入っちゃダメ。」などなど・・・私が彼が来た頃に教えた事ばかりです。 人間ママの私が、それらを口にする前に早くもBON☆BON!がしつけをしています。長い間のケージ生活+療養があったためか、人間家族にはなかなか触らせてくれない、呼んでもこない、くるる♪も、BON☆BON!が「フーッツ!!」とうなったり軽く猫パンチしてくると、やってはいけない事なのかと思うのでしょうか。振り返って私の顔をじっと見るのです。 ・・・時には、厳しすぎる事もあるのですが、折角お兄ちゃんしているBON☆BON!の顔をつぶしてはいけないので「くくる♪、お兄ちゃんの言う事よく聞いてね。」とフォローします。すると別の場所に移動するくるる♪、そしてまたもや追跡するBON☆BON!。 走り回っても大丈夫なところにくるる♪がいるときには、深追いせず危険ポイントに先回りし、体を横たえどっしり構えて、彼女の行動を見つめています。凄い!!もしかして、BON☆BON!のネコママってこんな感じで育児していたのでしょうか?? 2時間ほどして疲れた様子になると、くくる♪をケージに入れます。すると、打って変わったように子ねこモードに戻るBON☆BON!。「もー疲れたよ。あの子ぜんぜんいうこと聞かないし。」とでもいいたげな瞳で、私にたっぷり甘えてきます。 去勢してニューターになったのですが、なんだか生後7ヶ月を迎えるに至って急におにいちゃんぽくなったBON☆BON!。黒ネコ兄ちゃん(=fuppy、いつも黒のTシャツとハーフパンツをはいている。)とも男同士でより気が合うのか、彼の在宅中にはママのところには呼んでも来ないくらいです。
2009.02.16
6年間のホームスクールの経験のおかげで、fuppyのキャラクターは実に骨太に育っていた。幼い頃はガラス細工のような感性の持ち主だと言われた事もあったのだが、今ではどっこい強化ガラスで迫撃砲もOK!!みたいな子になっている。(・・・しまっている。) お友達のお母さんからも「fuppy君は、なんと言ってもキャラクターが売りだよね。」なんて言ってもらってうれしいのかお恥ずかしいのか・・・。 ホームスクール以後も色々な波風が家庭内で起きて、3年間の中学校生活はたのしいばかりではなかったけれど「あの子は大丈夫な子。」と太鼓判押されると、やっぱり皆さん今も見守っていてくださってるんだなあ。ホームスクール時代もその皆さんに見守り育てていただいていたんだなあ。と感慨深いです。 ホームスクールの子は家庭を軸に地域社会で育つ。この地域社会の部分は、親の努力だけではなかなか満たしてあげられないから、本当に地域社会の方々に感謝です。
2009.02.16
fuppyは剣道少年とのイメージが強いかもしれないのですが、剣道を始めた幼稚園の頃には、彼はケイン・コスギに憧れて、「僕ねえ。剣道、柔道、空手の三つを習いたいの。」と言っていたのです。でも、習い事にはお金が掛かるし、小さいのに三つも武道を習わせるのはどうだろうと思い。「まず剣道からはじめなよ。」と言って今日に至りました。 でも、三つ子の魂百までと言うか・・・。高校に入ったら、柔道と空手生活を追加すると言う希望を持っています。空手においてはすでに習う教室も決めているようです。どうやら高校生活は武道三昧。となる覚悟を親のほうがしなくてはなりません。 ホームスクール時代に、いろいろな事をやってみてそれなりに楽しんでいた息子ですが、本人の言うとおりに「剣道、柔道、空手」を重点的にすることを積極的に肯定していたらもっと日々は充実していたかもしれないと思うこの頃です。 色々な教育研究者やマスコミの方々から「fuppy君は将来何になりたいの?」と必ず聞かれたものですが、その時に「武道家!!」と答えられたら、本人はとっても嬉しかったかもしれないです。
2009.02.15
我が家のチンチラBON☆BON!は、ネコ族の一端としてシャンプー嫌いを自負しているのだが、なんだかお風呂場や洗面台は好きみたい。夏場には涼しい場所と言う事があるかもしれないが、今は真冬。毎晩、fuppymamaのお供でお風呂場内に待機しているうちに、だんだん自分の足や尻尾の先が多少ぬれても平気になったらしい。 それどころか、fuppymamaの悩ましいあれ肌(悩ましい柔肌ではない。)対策に入れ始めた入浴剤の匂いが凄く気に入ったらしく、できるだけ湯船に近いところで足場を作り、身を乗り出して湯面をくんくんする。そしてバスタイムが終わっても、匂い嗅ぎたさにしげくお風呂場に出入りしている。 何のにおいが気に入ったのか、色々な成分が入っているので特定できない。硫黄成分は動物によくないし柑橘類系のにおいを猫は好まないので、それが入っていないものにしたのだが・・・・。この入浴剤は花の香りでもない。なんとなくミルクっぽいバターっぽい香りがするのだが、甘いにおいがいいのだろうか? 寒さにもめげず日昼はベランダ通い。夜は風呂通いに凝っている。
2009.02.14
ブリーダーさんやペットショップで購入した純血種の猫ちゃん達。猫ちゃん本体を購入した時に、3000円以上する血統書も大体の方が購入していらっしゃると思います。血統書をみてもよくわからないし、だいたい殆ど使用しないと思います。 日増しに情が移って大切な存在になる「可愛い天使」。この子には、本当はどこかにお母さんや兄弟姉妹がいたのに、今はみんながバラバラになってしまったのかと思うと、時々切なくなってしまう事があります。 「100%猫。(猫親戚探し)」と言うサイトがあります。色々な猫ちゃんが登録されていて、見ているだけでも楽しいのですが、ここではお手持ちの血統書から、お家の猫ちゃんの親兄弟親戚を見つけることが出来ます。ただし、探している猫ちゃんのオーナーさんが、このサイトに登録していなければ探してもわからないのですが。 それでも、我が家の2にゃん達は、はとことの子レベルの親戚が見つかりました。お顔が似ているとか、性質や得意なこと苦手な事等に共通点があったりして思わず笑えます。やはり血筋だったのか・・・と。 そういえばBON☆BON!の遠い親戚にアメショーの子がいたのには驚きました。偶発的妊娠だったのかしら?チンチラとアメショーのMIXの子も可愛いですよね。時々猫さんブログでみかけます。長毛ではないのだけど、明らかに毛量が多い。特に腹部・・・。モコモコでなんとも可愛いです。
2009.02.08
ここ2、3日ひたすら「猫服」を作っています。 今回は、3枚1000円の和風柄ハンカチを利用した着物&袴ではなくて、100円ショップで買い集めた手芸小物を利用した洋服です。猫ちゃんの背中の上部にぴったりフィットし、前足の付け根の部分が窮屈でないようにノースリーブにした丈の短いベスト型猫服です。素材はマフラー用の軟らかい素材で、軽くて暖かく洗濯も気軽に出来ます。 結構裁縫技術のいる犬服と違って、本当に簡単に作れます。着脱も簡単でスピーディ。両足を袖穴に通してから背中のマジックテープを止めればそれでOK!! 同じ布を利用してちょこちょこっとデザインを替えるだけで、雰囲気が違うものが3着出来ます。ただ、ネックなのは色選び・・・・。シールポイントで茶系の毛色のくくるは(ヒマラヤン)、着て似合う色が限られてしまうということです。殆ど白猫のBON☆BON!は、何色でも似合うのですが・・・。でも、毛玉カットであちこち毛の短くなったくくるの方が切実にベストが必要なんだよね。そこで、くくるには必ず似合うであろう「黒と茶色」にカラーを揃えて、BON☆BON!と2ちゃん分の洋服を作りました。赤い色のフリース生地が沢山あったので、各一着だけ作りました。赤い色だと、BON☆BON!の方が女の子みたいになってしまうので、金ボタンや肩章をつけたデザインにして凛々しいナポレオン時代の軍服風にしました。また後日写真をアップしますね。お楽しみに☆
2009.02.08
小さい頃から大の猫好きでしたが、さまざまな事情で飼う事が出来ずにいて、最近やっと2にゃんのママになる事が出来ました。 チンチラシルバーの元♂「BON☆BON!」との出会いには不思議な夢が関っています。思いがけない病に臥して2年経ったある日の事。亡き母が夢枕に立ち「白い子ねこ」を私のもとに連れてきました。「これで病気が治る。」というのです。生前猫嫌いの母がなぜ・・?不思議に思っていると、母の手から離れた子ねこは私の体をすっと通り抜け、その間に白い虎に変身しました。その後、白虎のような猫との出会いを待ちました。ご縁があったチンチラシルバー「ぼん天丸」は、最初は殆ど白い猫でしたが、成長するにつれてまさしく白虎のような風貌になりました。私を悩ましていた連日の不正出血は、その後ピタリと止まったのです。 ヒマラヤンの♀「くくる」との出会いにも、なんだか運命的なものを感じます。(ヒマラヤンを買うのは子供の頃からの夢でしたが。)「BON☆BON!」の妹兼伴侶にと♀の子ねこを探していましたが、里親募集中のカメオタビーとシャムネコ風ブルーアイズの姉妹を飼おうとして果たせず。チンチラシルバーを飼おうとして果たせず。チンチラゴールデンを飼おうとして果たせず。最後に思いがけずヒマラヤンの女の子にめぐり合いました。ショータイプの子だとかで父方に特に素晴らしい血統があります。しかし本人は、いたって庶民的な難波のお姉ちゃん猫です。2にゃんのママになってからと言うもの、癒され楽しい毎日です。
2009.02.07
「勇気の無いところにサタンが入り込み健康を害する。」そんな言葉があるそうだ。「病は気から。」の西洋版だろうか?その言葉を聴いたときに「ああ、そのとおりだ。」と思った。私はホームスクール時代に、勇気の塊お母さん的人間だった。いつも試行錯誤でジグザグ運転。その上よく泣いたり凹んだりもしていたが・・・。ホームスクール中は、とにかく夢中で日々を暮らしていて、何かに怯えたりだとか自信喪失などしている状態は皆無だった。いやそんな暇は無かった。ホームスクールと言う子育ての素晴らしいフィルードを喪失してから、私はどっと健康を害した。なくしたのはホームスクールと言う学びの環境だけではない。子供の学習意欲、ピュアな感性、正義感。親子団欒、夫婦の信頼関係、家族の絆。世界中にいた心強いホームスクール仲間との交流。お互いの試行錯誤と達成に対する、爽快感、共感。諸々の事・・・・。子供が学校を離れてホームスクールに移行した時、少しでも精神的に身軽になるために多くのものを捨てたが、何かを失った悲しみ等は感じなかった。けれど、断腸の思いでホームスクールを卒業せざるをえなかったその時点に、私は実に多くのものを喪ったのだ。そしてもうそれらは二度と手元には帰ってこないだろう。息子は学校であろうとホームスクールであろうといかなる環境下でも自分自身を見失わない。自分らしさを失う位なら、自ら全ての能力を封鎖するまでの気概がある。自分の学びや生き方は、誰のものではない、自分のものだ。そのことを息子は非常な勇気を持って示してくれた。わが息子ながら、なんという子なのだろう。強く、鋭く、凛と澄んでいる。誰かがそんな風に言ってくれた事があった。残念ながら今は見る機会がないのだが・・・・。真夏の木陰や冬の凍てついた道場の隅で、防具に身を包み、軽く竹刀を握って静かに佇んでいる。ただそれだけで、息子は自分の存在感を鮮烈に現し、見る人を魅了したものだった。彼は、剣士としてはまだまだ未熟で半人前だ。なのに、そのただずまいには隙がなくそれこそサタンが入り込む余地を持っていなかった。部活の顧問に理不尽な扱いを受けた時、「道場にはただ独りだけ、またはわしとお前とがたった二人で向き合っている。その境地になれ。」と老師からいただいた言葉。「カッコいいけどそんなの無理だろう。」と私は思ったが、すでに当時息子にはその言葉をたくせるだけの土台があったのだった。ホームスクールという学びの環境と剣の道、もちろんボーイスカウト活動の精神も息子を思わぬ境地に導いてくれたのだと思うが・・・・。私は親として、それらの環境を息子に保持していたのだが、実際にそれらから学び取り体得したのはやはり息子自身に他ならない。私はあくまで伴走者、いやそれですら無かったのだろう。でなければ、きっと今も私は当時のままに心身を保っていられただろう。今は充分な休息と養生を必要とする身である。ぽっかり空いた勇気のありかに、どっぷりサタンが居座っている。
2009.02.04
我が息子fuppyは人を見抜く目と言うものを備えている。・・・らしい。この能力は案外厄介なもの知らずにいればそれなりに良いお付き合いが出来る相手。自分達にはとても良い面を見せてくれている人で、自分たちには害はない相手。・・・等に対しても容赦なく発動されてしまう。 普段マイペースのあまり、他人の事には無頓着な私であれば、誰かとしばらく付き合っている内に「あれ?あんな事があった。こんな事があったけど・・・。」等と、不思議と言うか違和感と言うか、なんだかモヤモヤしてすっきりしない相手への疑惑が脳裏に沸いてきても・・・。 ある日ある時、何かの切っ掛けで不意にそのモヤモヤした霧の間から、相手の隠されている部分があからさまになるまで、「やっぱり思い過ごしかな。」「これはちと考えすぎかな。」などと一人思いを封じ込めたりして時が流れるのだ。やがて真相が判明し「ああ、やっぱり。そうだったのか。」な~んて、後からようやく気がつき色々納得したりもするのだが・・・。 息子は違う。全く違う。 一体。どこで、どうして、どうやって感知するのかは知らないが。相手の人懐っこい、又ははにかみ勝ちな笑顔の奥の奥にある別の表情を、鋭い得物で抉り出すようにして、がっちり、くっきり、ぴったりと、相手の人柄や普段は見えない別の表情などを感じ取り、見抜いて、日の本に暴き出してしまうのだ。 ホームスクールと言う環境から離れて、もう三年が経とうとしている。色々な意味で学校化された息子の日常や、行動形式、価値観。けれど・・・相変わらずこの子の眼力は鋭いままだった。何かを見抜かれた人の心の中で、相手を見据えて大きく立ちはだかるような息子の眼差しは、果たして痛いだろうか、煙たいだろうか、恐ろしいだろうか。私には、やはり空恐ろしいのではないかと思える。
2009.02.03
世界中の猫好きのみなさん!!あけましておめでとうございます。今年も、BON☆BON!は元気にたのしい家猫(おうちにゃん)ライフを満喫します。よろしくね~♪上は、お家に来たばかりのBONちゃんです。どうですか?くらべると大きくなったでしょう。体重は現在2200グラム台になりました。お顔が大きい!!お目目が大きい!!後、鬣が立派になりました~。いたずら盛りで、毎日fuppymamaとfuppy兄ちゃんを困らせています。でも可愛いから許しちゃう。
2009.01.07
私がBONちゃんの小柄なのを心配して、洗面台の体重計をちょくちょく利用していたからでしょうか・・?最近洗面台の戸を開けると、スルスルッと足元を通り抜けて先回りするBONちゃんは、ちょこんと体重計の上に乗るようになりました(笑)。 生後5ヶ月を過ぎる頃、やっと2キロ以上になったBONちゃん。最近食欲旺盛になりました。寒くてあまり散歩にも言っていないのだけれど、その代わりベランダに出てベランダ探索する時間も増えました。体の動きも前よりしなやかにすばやく、音もなく・・・という感じに変わりました。以前はまだ、ドタバタという音がしていましたが。 大好きな息子は冬休みで、塾の時間以外は家にいるし、夫はしばらくお出かけのようだし、BONちゃんにとってはのびのび出来る日々なのかもしれません。 fuppymamaの方は、ここのところあまり体調がよくありません。生理が始まったので、また極度の貧血体制に入りました。血剤が使えないので、しんどいです。早めに食材を買いあさって(半額オンリーにしています。)このお正月はお篭り正月にしようと思っています。 でも寒いんだよねこのお家・・・。暖房器具があまり無いので。元気な人には大丈夫なんだけど、冷える人にはちょっとつらい。
2008.12.28
やっと、お正月用の着物が完成した。最初、袖周りを人間用の作り方にしてしまったために、試着の時に窮屈な上に、さらに脱げなくなってしまい、fuppyにえらい怒られた。結局、はさみで縫い目を切り、脱がす事が出来た。でも、和服はもともと直線縫いの集合体?なので、縫い直しOK!!今度は怒れるfuppy君の言うとおり、猫の関節と体型に合わせた立体的な作りに直した。写真を撮るには夜遅すぎるので、今度また・・・。 いやあ、この前の腹掛けが、?????と言う出来上がりだったので、今回の和服の出来上がりのよさに一人喜んでいます。 我が家のBON☆BON!は、最近外のお散歩の時や夜中に寒いらしく、フード付き犬服ベストやニットセータ等を着るには抵抗なくなったようだ。服着てのお散歩だと、道に落ちている泥棒草が体に直接つかないのでいいみたい。出来るだけぴったりしている方が逆に動きやすいらしい。着て楽だろうと大きめのものにすると、ガボガボしていやみたいだ。 ベビー用のスタイを利用したエプロンも、ちょっと肩掛け代わりにするのは気に入っていたようだ。だが、それではもう寒いみたいなので、今度は100円均一で買ってきたフリースで、半纏を作ってやろうと思う。袖なしの方がきっと着心地いいだろうと思う。袖なしなら、すぐに縫えるし・・明日も頑張ろう!! あ・・・。その前にクリスマス用の赤いフード付きマントを縫わないと。あれがあると外に出たとき暖かいから。BON☆BON!は長毛猫だけど、案外寒さ特に風に弱いものだと思った。
2008.12.07
猫が来てから、体調がよくなり夜もぐっすり眠れると喜んでいたのに・・・。今年も乾燥肌の痒みで眠れない日が多くなってきました。これはよくないです。 気晴らしにネットサーフィンをして、猫里親募集情報や、猫服ショップなどを巡るのですが、なかなかこれと言ったものが見当たりません。猫服は必要ないという見方もありますが、我が家のように家猫ですと、外に散歩に行く時などに虫除けや汚れよけに(毛づくろいが苦手な子なので)ちょっとしたエプロンのようなものが必要なのです。あまり水で濡らして拭くというのもねえ・・・。 ところが・・・、猫服は少ないし、女の子用が殆どです。これは犬服で代用しようとする時にも、同じように当たる壁です。セールの服も殆どが女の子用。ああああ・・・なんで我が家は男所帯かなあ。着飾らせる楽しみが無い!!楽しみはさておいて実用でも困ります。 ああ・・・。手作りはなかなか進まないし。困った困った。
2008.12.05
息子が最近プレッシャーに悩んでいる。真剣に悩みだしたのは、おそらく今年の夏からだ。というと、同年のお子さんをお持ちのお母さん達は、共感を持って「そうそううちの子もよ。受験に向き合ってのプレッシャーよね。」とお答えくださることが多い。確かにそうなのかもしれないと私は思っていた。ところが、そういうこととはちょっとずれている悩みなのだと最近気がついた。全く息子(息子の人生)は常に早足で、親はどんなに目を配っている気でいても、ふと気がつくと遠くに独り取残されていることが多い。いまさらと思われるかもしれないが、息子はどうも過去に対してプレッシャーがあるようだ。元HSの悩みである。誤解の無いように加えると、息子は元HSとういう一つの人生のステージを後悔しているわけでも恥じているわけでもない。むしろひそかに彼の誇りになっているし、確実に人格の土台になっている。「父親の圧力」と「毎日剣道&親友達と密着生活」という二つの理由から中学校へ通いだした息子ではあるが、この三年間で、よりHSでの学求心や向上心へのゆるぎない活力の源=自由、時間、広い見地、などを実感できたと思う。息子の中学校生活自体は、おかげさまで非常に恵まれていたと思う。管理職も含めた良い教師たち。先輩、友人、喧嘩相手、彼を憧憬のまなざしで見る後輩や女子生徒たち。(剣道着着用時は案外もてたらしい。)素敵な学び舎にお気に入りの体操服。変わらないHS時代の友人関係や活動。のんびりした家庭生活。思春期にはもってこいの部活顧問や父親との根深い確執。等など・・・。本人にとっては、リアルタイムでの色々な苦労があったと思うが、HS時代に培ったすぐれた洞察力と機転、人間関係調整能力などで、多々の困難を乗り越えることが出来た。これについてはおおむね、本人も彼を迎え入れた学校側も満足であっただろう。が・・・。一つ課題となる事が・・・。それは彼自身の著しい学求心の低下である。「HSのやり方でなくとも、学校と塾でしっかり学んでいれば、大丈夫。」と息子は最初どこかで思っていたのだろうと思う。確かに最初は、家で集中して学んでいなかった科目が足を引っ張っていたため、TOPクラスではないにしても成績は中位より結構上だった。しかしHS時代の学び方から次第に遠ざかり、自分にあった教材ではなく、学校教材中心の集団学習に移行していくにしたがって、彼の蓄積された知識は古びて、学力は次第に落ちていった。学力が落ちていったのはすなわち、時間やテクニックの不足ではなく学求心の不足が一番の原因だった。 あくまで本人にとっては「剣道&友達との密着生活」目当てで、学習は二の次三の次の学校生活だったとはいえ、周囲の目は次第に曇っていく。 「もともとできる子なのだから、いずれ頑張れば成績は上がる。」的楽観から「成績が伸び悩むのは、本人が怠けているからだ。」という辛口的批評が群がってくる。これは常図ね口に出される事ではなく、そういう視線が各方面から常に突き刺さるのである。特にこの受験を控えた時期になるとなおさらだ。 家で勉強していても学力がついたのだから学校ではもっと学力がつくはずなのに。 HSも良いが、HSでは得られなかったものを学校に通うことで取り戻して欲しい。こういう考え方が一般だったかもしれない。だが、HSOBの人、現在学校とはなれて独自の方法で、社会や生活と密着しながら学んでいる人たちにしてみれば、こういう考えはいささか誤りであるという思いがあるだろうと思う。いや、その思いは実に正しい。 私は、断言する。息子は幼い頃「学校へ行くと馬鹿になる。」(学校へ通う人が馬鹿なのではない。息子自身が学校教育にあわないのだ。)と言ったが、本当に各方面で成長が止まり馬鹿になったと思う。そしてそれは予測していた。だから私自身は結果には悩んではいないが、息子が学校に通うことには当初、断固として反対だった。だが、本人が決めてしまったのだから仕方が無かった。息子はどこかで実にもったいない事をしたと思っているようだ。しかし人生のうちのたった三年間なので、回り道はしても良い。私は、息子が無能でも怠け者でも、勉強嫌いでもないことを知っている。彼は、ただ選択を間違ったのだ。というより誤った選択を補う努力にかけていた。もっとHS的な要素を、学校生活の中に取り込むことをして良かったと思う。HSと学校はきっぱり別と線を引かなくても良かったと思う。潔すぎたのかもしれない。あるいはそれだけの余裕が無かったのかもしれないが・・・。この余裕の無さは、本人だけの責任ではない。家庭の状況や私の健康問題が十分影を落としている。そのことは私は心の中で詫びている。色々後悔もしている。あの状況下では、たとえ息子がそれを望んでいたとしても、HS生活に戻る事は難しかった。だが、それも人生の荒波の一つだ。避け様が無いことだった。それも、息子に与えられた試練。与えられた試練には常に、啓示と到達の門が待っているはずだ。今後、どういう進路をとるか息子の判断にゆだねようと思う。HSに戻った方が良いのではないかと、今では夫も思っているかもしれないが、けして口には出さない。責任が取れないからだと思う。そう、もはや親では責任が取れない歳になってきている。私の実家の祖父は、彼がHSの時代には何も文句らしい事は言っていなかったが、心配はしていただろうと思う。最近は、孫のもがき苦しむ姿に、色々な人生のあり方、学ぶと言う事の本当の意味などを大正生まれの元教員なりに考えて色々コメントをくれる。そのコメントが実に、HS時代のよき理解者達が口にしてくれた言葉とそっくりなのである。「学校の勉強や学校生活の中では、うまくいかなくても、それは人生の落伍者とはいえない。学校の外にでた時に真価が発揮される子もいる。」と、祖父の教職歴や経験から、当時の子供たちの行く末を鑑みながら感慨深げに言う。「昔はそれがわからなかった。」とも・・・。齢80何歳にして達したらしい。息子と対立している夫に対しては「父親としての期待や悩みはわかるが、後年理解してくれるだろう。」とも・・・。今現在、息子は高校進学を望んでいるようなので、中学卒業後直ちにHSに戻ると言う選択肢は無いだろうと思う。しかし、学校に通って自分にとっての失敗だったと思うことの数々を取り戻すための時間と環境を、彼は今より欲っしているだろうと思う。色々悩みながら手探りで・・・。私は、それを見守っていこうと思う。私の考え方やポジションは、夫とは多少違うが。それもだんだん気にならなくなってきた。夫には夫の父親としての悩みがあるだろう。だがその中を手探りで行くのは夫自身だから。私は傍らに、ミニマム百虎のBON☆BON!を置いて、のんびり自分の趣味ややるべき事を楽しもうと思う。私が死線?をさまよってきた2年間。ノータッチでも息子はたくましく生きてきた。それを評価しているから、あまり現状に苛立ちもしないのだと思う。最近、結構学校化していたなと反省もする点は多々あるのだが。もしも、「学校」という教育施設しか知らなかったら、私はもっと悩み落ち込んでいたかもしれないが。HSと言う営みが私を幾重にも強くしていてくれたのだと思う。息子の学力不足は、けして取り返しの不可能なほど深刻な状況ではない。そう思える人が結構周囲にいると言うだけだ。それに単に学力ならいつでもどこでも身につける事が出来きる。ただ今の息子に必要なのは、衰えた学求心だと思う。自分の速度で自由に楽しく学ぶ、と言う事の大切さ、それ画で切るだけの心の余裕、環境を少しでも満たせる事ができる進路を見出して欲しいと願っている。高校生活は、大学受験を目標にした学びではなく、人生を精神的に豊かにする学びができる場であって欲しい。大学生活は、彼の生き様を豊かにする学びの場であって欲しいのだ。生まれつきの才能や環境、高い学歴や仕事の成功、そして経済的な豊かさ。それらは、けして人の一生を万全として満たしてくれるものではない事を、私たちは知っている。ありあまる豊かさや、過ぎた高みは、人を奈落に突き落とす一歩手前であるように思う。本当の豊かさや高みは、その人だけではなく、多くの人を同時に幸福にするための土台であるべきだ。HS時代も、学校時代を通じても、子供の社会的成功を望んではいない、内なる豊穣を感じられる人になって欲しいのだ。
2008.12.03
BON☆BON!はお家にゃんこだが、ハーネスをつけてFuppymamaと一緒に散歩に行く。家の玄関周りや屋外駐車場、そして向こう三軒程度のご近所まで。近くに、犬を三頭飼っているお宅があり(最近まで一頭しか知らなかった)、そこのミニチュア・ダックスフンドの女の子(成犬)がBON☆BON!の事を気に入ってくれているらしい。その仔が庭で遊んでいる時に、こちらも出向いていく。そこのお家はお庭が広い。塀越しだが二頭は、各々相手に対する関心のほどをを表す。BON☆BON!は怖がらないが、静観の構え。いまいち同居の亀吉君にたいする熱意ほどではないらしい。 はじめは玄関先で固まっていたBON☆BON!も、最近やっと自分の足で道路を歩く気になったようだ。外に行きたいときは、何かと合図するようになったので、もしかすると習慣化するかもしれない。天気のいい日の散歩は気持ちいいし、その方がBON☆BON!も夜ぐっすり寝るのでたすかる。 家の中での楽しみ、亀吉の水槽の前で何十分もじっと座って観察しているBON☆BON!亀は殆ど動かないのに、何が面白いのでしょう。亀吉も、いつもならとっくに冬眠しているはずなのに、今年はちっとも眠らない。 後・・・冬毛でモフモフのBON☆BON!にもそろそろフェルト状の毛の絡まりを見るようになってきた。お散歩と関係あるのだろうか?それともブラッシングが足りないのか・・・?ほおって置くととんでもない事になるらしいので、こまめに見つけてはカットする。ほんとにフェルトのようなのがかわいい!!愛猫の死後。とって置いた猫毛の玉で糸をつむぎ、マフラーを作った人がいるというが、確かにこれなら出来そうだと思う。
2008.11.26
今日のお買い物は、たとえ金欠時期でも背に腹は変えられない的必需品のトイレットペーパー。なんで、お金のない時に切れるかなあ? それと、猫缶「チャオ まぐろタマゴミックス 幼・子猫缶85g」これには、レバーとササミや野菜も入っていて、缶詰の写真を見るととっても彩りがいい。「猫が喜んで食べます。」と自信のコピー。ところが帰ってあけてみると・・・。全体に茶色い。まあいいか。見た目より匂いは?お魚のにおいがします。お魚の缶詰という感じです。 BON☆BON!の夕食に出してみると、匂いをかいでパッパー、「お~いいい。食わず嫌いはよくないよ。」手にとって与えてみるとなぜか食べるという前回と同じパターン。食べだすとおいしいみたい。アイムスのカリカリと交互に食べる、食べる。 その後、体重計で量ってみると!!なんと1600グラム台になっていたああ。昨日量ってみたときは1400グラム台だったのになあ・・・。量り方がまずかったのか??でもちょっと増えてうれしい。2000グラムにはまだまだだけど、年明けには晴れておとし玉ができるかも。
2008.11.25
BON☆bon!はフミフミしない猫なのかと思っていたら、4ヶ月過ぎる頃からしきりにしだした。fuppymamaの枕である丸いフワフワクッションや、羽根布団毛布などに時々フミフミしている。猫がフミフミしているときは甘えたい時と聞いていたので、可愛がってやろうとするとなぜか右手にしがみついてきて噛みまくられる。私以外の人にはそんな事はしない。しようとしても怒られるとすぐに引く。なのに私がいくら怒っても、かえって執拗に迫ってくる。無視しても同じだ。布団にもぐって防御すると、布団の上から懸命に掘り起こそうとする爪の音が聞こえる。布団は掘れないので、最後には布団にもぐって入ってくる。潜って来た時は、噛み付かないで私を舐めまくる。4ヶ月になっても1400グラム代を超えないので、ちょっと心配している。お腹に虫などいないようだし、食欲もある。ただやたら糞をするので、あまり消化できていないのだろうか。いつものプレミアムフードもあまり食べないので、副食に手作りご飯を添えてみた。ジャガ芋とにんじんを小さく切って、鳥のひき肉と一緒にゆでて猫ミルクで味付けしてみた。後には、シンプルに、サーモンの煮たのや、鳥のササミをボイルしたものなど・・・。はじめは、臭いを嗅いですぐに埋めるしぐさをしてfuppymamaをガッカリさせたが、だんだん慣れてきてカリカリより優先して食べるようになった。どうやら我が家のBON☆bon!はビーフよりもチキン、マグロやかつおよりサーモン、味付けは和風よりは洋風が好きらしい。野菜はジャガイモやにんじんが特に好きなようだ。猫缶は色々子猫用を試してみたが、すごく気に入ったのははごろもフーズのねこまんま まぐろとささみの彩り野菜パスタ 80gほかのチキン味と何が違うのかわからないが、パスタと野菜が入っているので、見た目にもカラフルで奇麗だ。缶のデザインも可愛い。この猫缶は、毎日ではなく週一ぐらいのお楽しみディナーにしようと思う。基本食は、プレミアムフードのカリカリで我が家はペットショップで食べていたというアイムスの子猫用。これは匂いが強いので、お出かけ先のおやつとして、プチモンタンの子猫用のカリカリ(粒が材料別になっていて、彩がきれいだが、見ていると野菜と魚の粒を残す傾向がある。食べるのは、チキンとチーズとビーフの粒だけ・・・。)この2週間ほど色々食べさせてみたが、体重計に乗せるとやはりまだ1400グラム台だった・・・。なんで~。小柄なの?
2008.11.24
BON☆bon!の朝は早い!!夜明け前にはもう起きる用意をして薄目を開けている。6時前になると、そっとfuppymamaの顔のそばに来て寄り添う。「そろそろ起きたら?」とでも言いたげに。fuppymamaがトイレに行く時、寝室のカーテンや窓を開けたやると、さっそくバード・ウォッチング。我が家の屋根は西洋瓦でやたら鳥が集ってくる。BON☆bon!はたいてい中型タワーにのって彼等をじっと見ているだけだが、窓が開いていないとしきりに文句を言う。でもその声が可愛らしい、まるで鳥のさえずりのようなのだ。天気の良い日や、雨上がりには、子犬用のハーネスをつけてベランダを見回ったり、庭先をチョロチョロして歩くのも日課になってきた。窓辺で空模様をチェックして、天気がいいと、うれしそうに走ってきてタンスの取っ手にかけてあるハーネスにちょっとじゃれてから、fuppymamaの足に軽くタッチして「お出かけしようよ。」とねだってくる。階段の出窓においてある亀の水槽を時々眺めに行くのも大切な用事になっているようだ。亀の方も、新しい住人?興味津々のようで、お互いにジーッと見詰め合っている。これは朝夕必ずの日課。階段質や玄関周りの掃除の時に一緒についてきてノルマを果たす。家人がそれぞれお出かけした後はお遊びタイム。今でもお気に入りのケージ横にある、専用のおもちゃ箱(ティッシュボックスの空き箱利用)から、その時の気分でおもちゃを取り出し遊びだす。でもって、かたずけはしない。できない。我が家のBON☆bon!は、やはり猫じゃらし系のじゃれる遊びが大好きみたいだ。猫グッズを置いているお店には、じゃらし系のいろんなおもちゃが数多く置かれている。結構安いのは消耗品だからかもしれない。特に、釣竿式のねずみのおもちゃは何時もエキサイトするようで、人が操っても良いし、家事で忙しい時には、ちょっとだけジャンプすれば届くような適当な場所に垂れておけば、何十分でも独り遊びが出来るほど。時々糸が絡まったりすると「クルルー。」と小さく鳴いてSOSしてくる。不器用な私が絡まりを直すまで、そばで私の手元を見上げながら、じりじりして待っている姿が可愛い。その他、ピンポンだまやテニスボールを使っての独りサッカーも好きだ。くわえる事ができる手ごろな大きさのぬいぐるみなら、リビング内であちこちに放り投げてやると、喜んで追いかけて拾ってくる。そして、私の前まで持ってくると「もう一度投げて」と言いたげな顔をして自分の定位置につく。二人で交代に追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、階段の上り下り運動もする。テニスのように、ベットの下をコートにしてボールのやり取りをしたりする事も出来る。誤って変なところにボールが転がっても、自分の番じゃないと手を出さずに動かないでいるのが面白い。「ママの場所からは取れないよ。BONちゃんが取ってよ。」と催促するとうれしそうに取りに行く。言葉がわかるのかなあ・・。全ての遊びが終わってから、午後は爆睡。その後もうつらうつらしてfuppymamaのお買い物時をお留守番したりして、大好きなfuppy兄ちゃんが帰宅するまでまったりのんびりしている。夕方fuppy親子がコタツ布団のなかに入って寛いでいると、BON☆bon!はどこからとも無くやってきて布団をはぐって中に入れさせろと要求する。「クルル!」無視すると軽く咬んでくる。布団の中に入ると、布団越しにボクシングをすることを強要してくる。無視するとちょっと顔を出して催促する。猫族の目にTVやPC画面がどう映っているのかわからないが、人と同じように鑑賞してもいる。それらを見ているときは、長時間でも転寝していない。真剣に見ている。ドラマもお笑いもアニメもニュースもおんなじよ~に真剣に見ている。夜になってfuppymamaやfuppyがPCを使っていると、必ずモニターとキーボードの間に隙間を空けてもらい(・・というか割り込んでくる)そこで寝そべってうとうとしている。・・・今もそうしているのだが、先程まで二人でテニスをしていたので、なんだか息が上がっているようだ。たくさん遊んで、眠たくなったら必ず「クルル~。」と小さい可愛い声で鳴いてから、ベッドに乗り、布団をフミフミしながらこちらを見る。そして私が寝る用意をするまで、毛づくろいしながらまっているのだ。本人が眠たくなくても、fuppyやfuppymamaが寝ていれば、なぜかお連れで添い寝してくれる。お気に入りの寝る場所は数箇所あって、それぞれめぐって、最後にはfuppymamaの枕元に落ち着く。まあ、このような感じで日々「食う寝る遊ぶ」のローティションを律儀にこなしている。
2008.11.11
最近、猫関係の書籍を地元の図書館で借りまくっているfuppymamaだが・・・。今日借りてきた中に「新猫種大図鑑」という立派な本があった。その中に、なんと我が家の愛猫BON☆bon!そっくりの猫の写真があった!!でも、それはペルシャのチンチラシルバーではなく(それの写真は別にあった)・・・今まで聞いた事の無い猫種なのであった。しかし、ペルシャのチンチラより瓜二つ。その猫の種類は、The Tiffanie (or Longhair Burmilla)=ティファニーまたは長毛のバーミラ。詳細海外サイトはこちら↓http://www.silvertails.com.au/Silvertails_Introduction.html日本語詳細The Tiffanie (or Longhair Burmilla)起源:1970年代原産国:英国原種:バーミューズとチンチラの交配種異種交配種:バーミューズとチンチラ体重:3.5~6.5kg気質:活発で愛情深い手入れ:適度に必要 ■歴史ティファニーは本質的には長毛種のバーミューズで、エイジアン・グループの中では唯一の長毛種である。1981年にロンドンで、ミランダ・フォン・キルヒベルク男爵夫人が飼っていたチンチラのロングヘアとライラックのバーミューズが偶然に交配されて、このグループは生まれた。雑種第1世代は短毛種のシェーデッド・バーミラだったが、その後の交配で、必然的に劣性の長毛の遺伝子とセピアのポイントの遺伝子で発現した。このグループはバーミューズのブリーダーたちの手を借りて生み出されたので、現在でもバーミューズとは厳密に区別されている。しかし、エイジアン・グループには異なる2つの流れがある。F.I.Fe'の猫はGCCFの猫と同じ血統を受け継いでいるが、英国では現在さらに多様な血統が採用されている。 ■特徴北米原産の同じ名前の猫種と混同されることがあるが、実際はこの猫種とは何の関係もない。本質的には長毛種のエイジアンで、きちんとした記録がある繁殖プログラムよってチンチラのロングヘアとバーミューズから作り出された。長毛種のチンチラからは被毛のみを受け継ぎ、体の形態はバーミューズである。2つの親種の特徴を合わせた素晴らしい気質の持ち主で、平均的なロングヘアより活発だがバーミューズよりは控えめである。スタンダードでは気質の良さに重点が置かれている。穏やかで被毛の手入れも楽なティファニーが、幅広い人気を得るのは当然といえるだろう。 ・・・え?そうなの?ペットタイプのBON☆bon!は、ブリード不可が条件で、去勢してから血統書が届くというので、いまだ定かでないが・・・。ペルシャじゃないの?ペットショップの値札にはチンチラ♂そして生年月日と値段だけ書いてあったが・・。いや模様はチンチラにはまちがいないのだが・・・。ペルシャじゃなかったの?ティファニー?検索してみるとオーストラリアでは人気の猫種らしい。ペルシャでもティファニーでも猫種についてはどっちでもいいのだが、そういわれてみると成るほど、納得がいく気もする。BON☆bon!は、ペルシャにしては鼻が長いし、活発だし、自己主張もはっきりしている。毛は冬毛がそろってますますモフモフ度UPではあるが、毎日朝晩梳かなくてはならないほどの抜け毛も無い。なんだあ、BON☆bon!はティファニーのシルバー&ロングヘアーだったのか・・・。知らんかったようママは、ごめんねBON☆bon!。はっきりしたらプロフィールも直しておかないとね。でも素敵な一族だね、短毛の子も欲しくなってしまいました。
2008.11.11
我が家のニューフェイス。Bon☆ぼん!です。10月のはじめにfuppymamaとの運命の出会いがあり、ペットショップから2ヶ月半でやってきました。チンチラシルバーの男の子ですが、女の子に思えるときもあります。鳴き声はとても小さく、「クルル・・。」とか「ンル」とか鳴きます。普段は殆ど鳴きませんが、なにかしてほしい事があった時にだけ鳴きます。あとトイレの後にもちゃんと教えてくれます。初めて家に来た時からそうだったので世話するのがとても楽でした。お友達は、顔が飼い主に似ていると言います。私猫顔?
2008.10.31
ここ数年なにかと体調不良でしたが、どうやら峠を越えました。これまで色々と支えてくれた方々には感謝の気持ちで一杯です。私の体調を整えるきっかけを作ってくれた新しい家族、そして大切な友達。その二人に関連するブックマークをアップしました。
2008.10.26
3年生の夏休みだという事で部活動も無くなり、友人達もそれぞれに忙しいのかすれ違い。息子は塾と家の往復でうんざりしてしまうのではないかと思いましたが、先日志望校の見学行事でで、剣道部の活動に参加し、先輩達の変わらぬ歓迎を受けてすっかりその気になってい勉強しているようです。家では、久しぶりにPCなどを使って細かい作業に関する腕を上げましたし、暇な時間は昼寝には当てないで心のリフレッシュとしてDVDを見ています。息子の世代では知らない名作などもありますから教えてあげて二人で見てわいわい楽しんでいます。夕方ちょっと涼しくなると、二人で食料の買出しに行きちょこちょこお小遣いを使ったり。夏や趣味の後半は、キャンプと合宿があります。友人や同じ学校の生徒と同行する方が、この時期親と旅行に行くよりずっと楽しいと思うから。(きっと夜寝ないなんだろうなあ。)帰ってくるとびっしり夏期講習ガマっていますのでです。十分楽しんできて欲しいです。PS.ホームスクールを楽しんでいるお子さんも、この時期色々な催しがありますからチャレンジしていると良い思い出になりますよ♪
2008.08.12
うちの息子は、家ではパンや麺類は好まず(両親と逆)、ご飯大好き人間です!!毎日肉類を必ず摂取します。お肉は彼にとっては毎日のおやつです。 でも、学校のお弁当は必ずヤマザキのランチパン2~3個と決めています。剣道の試合の時も、早く食べられてお腹痛くならないから。甘いもの食べた方が即効力になるなどと申します。他にデザートなどもって行く事もあります。 ランチパンの種類は多いですが、特にピーナッツ味とメイプルシロップ味が好きなようです。これらは人気商品で、買いに行くとすでに売り切れの事もあります。たまには他のものでも良いだろうと買っておいたものをある日お弁当に持たせました、それが何味かはメーカーさんに遠慮して書きませんが、息子にはそれが口に合わないと思ったらしいです。 それ自体はいいのですが、いつも息子がパンのお弁当なので、可哀想と思った部員や後輩がおかずを分けてくれるようになったそうです。全く知らなかったのですが、あるお友達のお母さんが、「お弁当を作ってあげようか?」と聞いてくれたこともあったそうです。(それ自体は感謝!!です。) えっつ!! 今日それを息子から聞いて倒れそうになりました・・。息子は「いや、俺はあのパンがいいんだけど。これからもあれの方がいいんだけれど。」と言いますが、こっちはそうは思えません。 「fuppy先輩家って、貧乏なんだ・・。」「お母さんお弁当作ってくれないんだ。」って言われて黙ってられるかあああああああ!!確かに床に臥しているキャリアは長いが・・・・、貧乏だからではない。お弁当だって作ってあげれるよ。くやじいいいいいい。(TT) 実際家が食費にドンだけ費やしているか・・・。絶対エンゲル係数高いし・・・いや、係数はそう高くは無いが結構飽食だぞ~~~~。 現にチミ等(息子の友達、後輩)我が家に遊びに来て、エアコン使い放題!!の上さんざ飲み放題食べ放題しているでしょうがああああ。お土産とか言って、手付かずの家のお菓子をリュックに入れて持って帰っているでしょうがああ~~~~~~~。家がそんなに貧乏ですか~~~~? おばちゃんは、くやしいです!! それと、おばちゃんが数年前から急に痩せてしまい、いつ家に来ても自分の部屋で寝ているのが不思議でしょうがないチミ等へ おばちゃんは、チミ等のお母さん方より年寄りなので、更年期障害で苦しんでいます。女性なら誰もがなるので特別な病気ではありません。死にませんから安心してね。 おばちゃん怒ってないから、また遊びに来てくださ~い。
2008.07.29
息子はHS時代、早寝早起き、三食しっかり採り(朝食を自分で手作りもしていた。)あきもせずに曜日ごとの日程を延々とこなし続けて暮らしていました。何かでちょっと予定が狂ったりするとお冠!!以前のHPの日記などを読んでくださっていた方なら、私が「息子はマイペース型だがのんびり型ではなくペースが速い。まるでハムスターが、がむしゃらにランナーで走るような子だ。」と度々書いていた事を覚えていらっしゃるかもしれません。連日、伴走どころか追いかけていくだけで必死だったわけですが・・・。 今の息子は、本当に変わりました~。のんびり型のマイペースに。一体何なんでしょうか。HS時代の反動なのか、学校に行きだして価値観が変わったのか?私が見ていないところではがむしゃらなのか?わかりません・・・・。 「大丈夫、とてもしっかりしているし自立している子だから。」とか「家族のいないところでは、物凄く頑張って人に役立っているから。」とか言われても、ピンときません。以前同じような事を思っておられた知人の方がいました。でも確かに息子さんは家の外ではまじめに頑張っているようでした。お母さんの心配は当たらなかったのです。 でも頑張る場面やしゃか力になる所は、自分なりに持っているようなので、伸びきってしまったわけではないようです。頑張り所や時が、大人の眼(都合)から見てズレているだけなのかもしれません。 息子は犬型人間だと思っていたのですが、最近猫かなとも思えてきました。本人も「ネコ科VSイヌ科だったら、ネコ科のほうが断然強いじゃん。」などとネコびいきをしております。ネコ大嫌いだったはずなのに、我が家の中庭を何匹のネコが休憩所にしているのかさえ詳しく知っています。一度など、「あの黒猫を家の中に入れてみようよ。」などとまで言っていました。私はネコ好きなのですが主人と義母が動物嫌いなのでやめておきました。でもなんだかうれしかったです。 人って変わるものですね。私の尊敬する教育関係の方は「変わる。」ではなく「進化する。」とおっしゃいます。前向きな言い方で私も真似させていただいています。今日の自分は昨日の自分とはもう違う。生きている限り、何かが切っ掛けとなってほんの少しずつ進歩しているのかもしれません。 そういえば、昔息子は「自分に厳しく他人にも厳しい」子でしたが、最近は「人にはそれぞれ成長過程がある。」というような事を言ったりして、他人の弱さや未熟さに寛容なところが見られるようになりました。今でも自分には卑怯や卑劣さを嫌いますが、他人に対しては「仕方が無いんだ。」と時に裏切られてもその保身を許しています。 のんびり生きることで、以前より周りがじっくり見えているのかもしれません。自分がのんびりしていれば人に遅れをとることもままありますが、それを苦にしません。以前は人と違う事を苦にする事はなかったけれど、だからといって負けてはいないんだ。という気負いがあったように思えます。 大人になってきているのだと思います。
2008.07.29
こちらのブログでも何度か、「息子は中学へ行ってから家で全く勉強しなくなった・・」とぼやいた事(記述)がありましたが。よく考えてみると、これは自分の大きな思い違いであることに気がつきました。 一つは、度々知人にも諭されるのですが・・・「あなたの息子さんは、もともとHSだった。それを本人は満足して暮らしていて、将来は大検を受けてから大学へ行こうと目標も持ってマイペースで学んでいたいた。それが、仕方無い事とはいえ、家の都合でHSを続ける事が出来なくなった。それで、自分の選んだ剣道部で剣道を毎日するために選んだ学校へ入り、そのために学校での勉強をしている。」 そうなのです。さらに学校では時間を長時間拘束されるので趣味の習い事も全てやめるしかなくなりました。今は、自分のペースにあわせてくれる個別の塾で楽しく学んでいるから、その時間が本当の息子の学びの時間であって、他には必要は無いのかもしれません。 キャリアの長いHSのご家庭では、子供が幼い時にこそ親が寄り添って、子ども自身にはまだ出来ない企画を立てたり準備をしたり、解らないところをアドバイスしたりしていますが、中高生になれば、もう殆ど親の手を必要としなくなり自主学習や通信教育、気に入った塾などを利用しながら子ども自身が独りで学んでいくといいます。 息子はもう来年高校生にもなるというのだから、親の手から完全に離れていても全くおかしくありません。ごく一部大学レベルまで親が教えているという例もありますが、それは特別な才能のあるお子さんで、親御さんも他に任せきれなかったのでという事情があったようです。 HSではある日突然予告無く子供が精神的に巣立ってしまう事があるので、親の目から見て、まだやり足りないところがあったとか、このレベルにまでは達したかったという思いもさまざま浮かぶかもしれませんが、親の手を離れてしまったらもう間に合いません。あきらめるか、あとは子供自身にあれこれ試行錯誤させる覚悟を持つしかありません。HSは本来、エリート教育目的や、親のレールに従わせた指導をする事とは別のものです。子供が自立して、ひとり立ちしていくのが早ければ早いほど親は慌てるかも知れませんが、その時にはもう親の手元から巣立つ準備が出来ていたという事に他なりません。 巣立った先は、大学かもしれないし、外国かもしれないし、仕事かもしれないし、あるいは別の家庭かもしれません。とにかくそこが子供の新しい生き場所であり、次なるステージです。 私はそのことを忘れていました。どうやら、私はこの数年間の体調不良続きで、家事や家族の面倒をなかなか見られない。息子の学びに対しても全く気にかけてやれなかった事に対して、いらぬ罪悪感を心の中に積もらせていたようです。 いや家事は出来るだけしなければ夫や姑にに迷惑をかけてしまいます。二人とも、自分の仕事場兼住居をそれぞれ他に持っています。夫と姑はそこでの仕事や家事を自分でしいているのですから、私はここの家の事をやらねばいけません。各自一軒の家の維持というのはHSの運営よりも大変なことです。 今はまだまだ、自分の健康管理の難しさに躊躇しながら家事を何日おきかでしたり、突然貧血で倒れこんだり・・・。今日は、息子のディキャンプの送迎に行って、懐かしい方にお会いできついつい長居をしてしまって熱中症になってしまいました。使用している薬に「あまり強い日差しに当たってはいけない。」と書いてあるのを忘れてちょっとハイになっていました。ふと気がつくともう少しで車の運転が危うくなるところでした。お迎えの時間まで、数時間頭痛に悩まされながら寝込んでいました。 でも再会がとってもうれしかったから・・・えへへへ。HS時代とてもお世話になった大切な方のお一人です。 今日のディキャンプ、息子は最初知り合いが下級生の女の子(でも幼馴染)しかいないかもしれないので「ちょっと引率~。」の気分だった様ですが、実際行ってみると剣道のお友達を通じた高校生の男子も数人来ていて思いがけず楽しい時間を過ごせたようです。よかったです。本当年上の子が好きなんですね。すっかり可愛がられてご満悦でした。 相変わらず宿題をためているようですが、塾に行くたびにクリアしているようなのでまあうるさく言うのはやめましょう。そんな時間があるなら、もうめったに一緒に行けなくなった映画館の替わりに、沢山名作や話題のDVDを一緒に見た方が楽しいし会話も弾みます。 今日は、シュレック3を一緒に見ました。高校は家から通うことになるかもしれませんが、今よりもっと自宅で過ごす時間は少なくなるでしょう。息子の今もっている夢がかなえば、それこそもう同居は一生無いかもしれません。だから、ちょっとでも時間があれば、仲良く一緒に過ごす方がお得というものです。 何で今頃それに気がついたのか?自分でも少し可笑しくなります。
2008.07.27
息子が、歴史時代劇ものの劇画を好んで読むようになったので、自分も何か読んで見ようと思い「バガボンド」 井上雄彦 著/吉川英治 原作 1~28巻(最新刊)を古本屋で買い込み、また原作の吉川英治著の「宮本武蔵」全7巻を図書館で借りてきて両方読みました。 最近、上野の森美術館で開催されていたという企画展「井上雄彦 最後のマンガ展」病で寝込んでいるうちに行きそびれてしまいました。残念です。 でも寝床で「バガボンド」と「宮本武蔵」交互に何度も何度も読み直して堪能しました。すぐ内容忘れちゃうので・・・。人物関係や構成に違いがあるものの、どっちもとってもわくわくして読めました。読み直すたびに、あっ!!こんなところにこんな小さな仕掛けが・・とかここが違うとか気がついたりと楽しいです。「宮本武蔵」は一気に流れるように読め「バガボンド」は迫力があってカッコいいのにユーモア満点です。絵自体もすごい。 宮本武蔵は昔から知っていましたが、そうファンではなくこれまで生きてきました。(なんかfuppymama的に汗臭そうなタイプは倦厭・・。)でも、自分が実際年取って、本当に鼻に臭わなければむさい容姿もそれなりに魅力かな・・・とか思い直し、今ではファンになりました。でもどうやって暮らしていたのでしょうか。時々宿に泊っていますが、お金は一体どこから???草鞋作りが上手で、それで路銀を稼いでいたという説もありますが、息子は「殺した相手から金目の物を奪って売っていたのでは。」などといっていました。(・・・あんたならそうするのね。) fuppymamaがビジュアル的に一番好きなキャラは、二代目・宝蔵院胤舜という若いお坊さんです。なんか清潔そう。・・でちょっと天然ぽい。それに、創作だと思うけれど親が惨殺された幼少の記憶を失っているとこなども涙・・・。 武蔵と対決するさまざまな剣豪達も、個性豊かでいろいろなものを背負って生きていてそれぞれ魅力的に書かれています。時代が時代だけに結構不幸な生い立ちの人が多いです。 好きな場面は、武蔵と小次郎がしばらく同居している風流人の親子や、すでに悟りを開いた境地に立つ好々爺たちとのやり取りです。あんなにお年寄りが味わい深く描けていて素敵です。若い時には色々合ったのだろうけれど、最後にあんなふうに老後を過ごして、若い武蔵たちを密かにわくわくして見守っている。時々魂みたいな姿で登場しますが死んでいるのではないようです。 原作よりもおきゃんで元気なバガボンドの「おつう」も好きです。始終すれちがったり、行き違ったり、なんか「北斗の拳」のケンシロウとユリアのように進展の無い二人ですが、「おつう」の側には会えないことの悲壮感はありません。原作にある武蔵の姫路城天守閣内での3年間の幽閉の時期が描かれていないから、会えないでいる時の長さがあまり感じられないのかもしれません。それと原作では最後に病気で今にも死にそうになっていて再会できるのかという心配がありましたが、バガボンドの「おつう」は体がとっても丈夫そうです。 このバガボンドはまだ連載中です。続きが楽しみですが、最近の大作劇画は息が長いというか、連載期間が長すぎてこちらの寿命の方が先につきそうです。(「アルカサル」は何とか間に合いましたが。) あ、そうそう。バガボンドの劇中に出てくる子供の頃のタケゾウ。生き別れたお母さんに会いに行った時の顔が今現在の息子に似ています。髪型も。中学生になってからの本人は目が大きくくりくりしているのがコンプレックスなのか(女子的に見られるので)いつも細目にしています。だから目つき悪いです。いつも不満げに見えます。ほんとに生意気になりました。
2008.07.25
甲子園の場面が出てくるCMでそんな台詞がありますが。息子達も、大会が終わり「俺達の夏が終わった・・・。」状態でいます。いや、終わってないから。部活には明日から出なくてもよくなったそうですが「さぞや宿題が溜まっておろう。」むろん受験に向けてはこれからが本番です。 その前に、スポーツ少年団の行事参加が2回あります。近郊での企画と三重県にまで足を運び2泊3日の企画があります。もしかしたらお盆時期にはボーイスカウトのキャンプもあるかも・・・?今までお世話になってきた分恩返しが出来るので良い機会です。そんなアウトドア活動や合宿もこれ以後半年間はどんどん参加出来なくなるだろうから。楽しんで欲しいです。 今日息子と話しをしました。「世間の価値観とか、誰かのためにではなく、自分のために自分の入りたいと思う剣道部のある高校を目指して勉強しようね。」 そこに強豪チームのある高校でなくても良いのです。自分が今まで習ってきた事を迷わずにこれからも積み重ねていける、そんな流れのある高校。流派というまでも無いのですが、地元の先人達の教えがきれいに受け継がれている指導がなされている所。 人気のある学校なので息子にはちょっと狭き門かもしれませんが、もう一度、明るく爽やかな先輩達の笑顔に迎えられる事を夢見て、それをかなえて欲しいです。最終的にどことご縁があるかわかりませんが・・・。それも楽しみの一つです。
2008.07.25
明日は息子の中学校生活最後の剣道の試合(多分そうなる)がある日です。最後の最後で部内がごたごたしましたが、泣いても笑っても最後の試合。そして引退の日が近づいてきているのです。 誰もが息子がキャプテンになるだろうと思っていたのが、土壇場でなれなくて・・・、でもきっと取れないだろうと思っていた2段の免状は中学時代に取ることが出来ました。 義務教育期間を勉強はHSで頑張り、あとはのんびり自由に暮らすという生活を捨て、その学校の剣道部に入るというだけのために「学校」へ行きだした息子。先輩方に存分に可愛がられ、先生達にも懐いて、同級生の中では一目おかれて・・・。楽しい楽しいで過ごした2年半でした・・・。 あ、といっても「学校」には卒業までお世話になるつもりです。今度こそ校長先生からじかに卒業証書をいただいてご恩返ししてね。と常に言い聞かせております。(現校長先生は、卒業証書を下さった小学校の校長先生です。)修学旅行では、時々同行していたようです。校長先生から見て息子はどんな感じだったのでしょう? 明日は中学校に6時半集合。車で送っていかないといけないので、こんな時間に私が起きているのは何なのですが・・・。いつもの習慣で眠れ~んのです。でもどんなに遅く寝ても朝5時にはどうしても目覚めてしまうので、遅刻は無いと思います。唯、今夜はなんだかとても感慨深くて・・・。こうしてしみじみ日記を書いています。(もう試合は今日なんだな。) 今後は、自分に合った剣道部を選んでそこに入部できるように、高校受験のための学力をもう少し向上させなければいけません。息子の今の実力で入れそうな学校もあります。仲良しの友達が沢山行くらしいその高校では、なんだか剣道部の男子の部に????な現象があって、実力のある経験者が入部しても、すぐみんな剣道部を離れてしまっているらしいのです。 きっと何か理由があるのだと思います。在校生の口は堅く聞いても教えてくれないので、あまりよくないことがあるのかもしれません。わからない分・・不安です。 それで、うちの息子はだめもとで地元の進学校へチャレンジする事になりました。受かる確立・・・現在低~いです。なにせ中学校に入ってから家で全く勉強しない日々が続いていましたから。1年生の時に起こった家庭不和がひびいて・・・息子は勉強に興味を失いました。これは親の責任です。先生や塾の先生は能力的には大丈夫、後は勉強しだいとおっしゃるのですが・・・。受験自体にあまり熱を入れたくないのですが、田舎なのでそう選択肢がありません。 息子の剣道はけして「下手の横好き」というわけではないとほかの方たちから伺って、(息子から剣道練習見学・試合観戦禁止令が出ているので実感がありません。)幼い頃から頑張ってやってきた剣道をこれからも息子が一筋に求めている事を知って、親としては応援しないわけには行きません。 受験は他人との競争でどれだけ効率よく点を取れる勉強をしていくかが肝心ですから、我が家でのHS時代の学び方とは全く違います。おそらく息子にとってはあまり楽しくなく、また本人にとっては、効率の良い学び方ではありません。そこにハンディがあるのです。 ですが幸いにも、お世話になっている塾の先生方がとても良い方たちばかりで、尚且つ、自分の夢のために勉強をしてきてそれをかなえた方たちなので、息子にとっては良いお手本になる人生の先輩方です。特に息子には、猛勉強よりもメンタル面の支えになっていただけていて・・、そこに個別学習塾のよさがあらわれています。 他の一斉授業の塾に通いながら、息子の塾に通っている子もいます。子供たちがほっとできる空間なのでしょう。塾の子達もさまざまな校区から来ていて学年も色々ですが皆仲良しです。(やがてそこからはばらばらに巣立っていくのでしょうが。)おや?いつの間にか塾の話になってしまいました・・・。 HSの時もそうでしたが、学校に通っても色々地元のサポートを受けて自分らしく生きていけている息子です。ありがたいことだと思っています。
2008.07.24
うちの息子は、幼い時からよく家庭内アルバイトで稼いでいましたが、ずっと守銭奴できました。最近、携帯電話が欲しくて仕方が無かったようですが、我が家の方針と地域的に必要が無いことから与えていません。自分で買おうとしたけれど未成年ですから勝手に買うことも出来ないので、色々考えてipod touch を購入しました。「1学期の期末テストが終わるまでに使えるように設定しておいてよ。」と親任せなのですが、それはこっちの思う壺。おかしなサイトなどには繋がらない様に設定しておかなくてはなりません。と・ところがなぜかどうしてもWifiに繋がらないのです。おかしいなあ。いやこれぞ、天の采配であろう。と無理しない事にしました。今の息子には好きな画像や音楽とビデオが入ればそれで十分です。 あとは高校生になってから、自分で色々人に聞いたりして使いやすくすればいいのです。あっははは しかし、最近この作業のために神経使いました。それでなくても部活の事で色々合ったというのに・・・。その後は、なんだか穏やかな部活運営がなされているようです。よかったね。これは先生にとっても部員にとってもですが・・・。 おまけに、バガボンドの原作本を7巻読みまくったので、余計疲れました。以前よりは少し元気になれたのかなあ?去年の今頃なんて、歩くのやっとで本なんか読めなかったものなあ。髪の毛はばさばさ抜けるし・・・、大貧血人だった。 今でも亡くなった母の夢はよく見ます。それにしても何で夢の中の母は、あれほど多種多様な生き物の世話をしているのかわからないのですが・・・。かく言う私もははの手伝いをしています。今年は新盆だというので、月末にちょこっと実家に帰ろうかと思っています。
2008.07.18
礼法・・相手の人格を尊重し、心豊かな人間育成のために礼法を重んずる指導に勤める。
2008.07.10
関心のある人だけ呼んでください。剣道についての教えは、私が知っている範囲の上での事ですから、流派や所属団体によっては著しい違いがあると思います。
2008.07.10
それでいながら、剣道は心の修練なので、たとえ練習で痣だらけになろうともそれは良し、指導する先生が生徒に喝を入れるために罵声(暴言)を浴びせたり、自分の支配力を知らしめるために体罰(暴力)をすることをひどく嫌います。品が無いというのです。 幸運な事に、息子がこれまで出会った剣道の師といわれる方々が、実に自然体で柔らかな風体で、そしてどちらかというと普段は物静かで優しい人柄である事。私服の時に出会うと全く武道の達人にはみえないくらい(どちらかというとあんまり体力なさそうな風に見えることさえある。)で、剣道以外にも多趣味で、真面目でいながらも人生を楽しんで気ままに生きている・・そんな方々が殆どなのです。 無論、元警察官や学校の先生もいらっしゃいます。でもそういう気配が感じられないのです。その方達が若い頃はどのような人だったのかはわかりません。血気盛んで、息子のように竹刀を握ると殺気プンプンの時代もあったかもしれません。けれど、長い年月、剣道を日常の一部として来た過程でそのような雰囲気が醸し出されてきたのかもしれません。 本来剣道は、勝ち負けのスポーツではないそうです。試合で勝っても「自分に負けている。」時もあれば、負けても「一皮向けた瞬間がある。」時もあるそうです。 息子は、恩師の方々に「相手に勝とうと思うな、試合で勝たなくてもいい、今までの自分に勝つこと。あくまで基本に忠実に。型を崩さないこと。試合は、普段向き合えない相手との絶好の練習だと思うこと。」と常に諭されています。 「剣道は、試合で勝つことよりも練習が楽しいと思えるくらいが長く続くし、心も育つ。悪い癖がついているときには何度でも指摘するが、竹刀で打ったりしない。言って、見せて、やらせて覚えさせる。弟子の心構えが悪いときには、怒鳴らずに深深と教え諭す。」 息子は、そうやって育てられてきたので、それが染み付いていて、剣道未経験の部活の先生と意見が対立することもしばしばあります。ホームスクールで育った子なので、大人ともすんなりと親密になりやすい反面、いざというときに物怖じもしないところがあります。息子は、担任の先生とはどうなのかわかりませんが、先生や目上の人にはいまどき不似合いなくらい敬語を使います。けれども話す内容は「時々大人がひっくり返る事がある。」そうです。辛らつなのか率直過ぎるのか、なんとなくわかりますが。誰にでもそうではありません。 周囲に流されたり、長いものに巻かれるということも・・考えに無いようです。これはホームスクール育ちとは関係ないかもしれません。
2008.07.10
我が家では、息子より「試合見物禁止令」が出されているので、小学校時代のスポ少時代を最後に試合を見に行った事がありません。部活以外の夜の練習日も、「荷物の搬送と送迎必須」ではありますが、練習を見ていてはいけない事になっています。 親の金で、さらに多数の面倒をかけてのこの仕打ちは全く腑に落ちないですが・・・。「剣道門外者なので・・」というよりも、恥ずかしいとか言うよりも・・・。おそらく、あまりに壮絶なので「鬼」とか「もっと手加減しなさい。」とかあれこれ色々言われるのがいやなのだと思います。 先生にお尋ねすると「無駄打ち」で相手をまず痛めつける事や「点を取られない程度の反則を頻繁にする。」などの事はしておらず、「初心者や自分よりかなり体力の劣る相手には、わからない程度に手加減が出来ているから大丈夫だ。」とおっしゃるのですが・・・。 息子は、周りが小学生ばかりだと、これまで自分が先生や先輩方にそうしてもらってきたように「指導役・打たれ役」に徹して優しく指導をするようです。でもある時、小学校の高学年の男の子から「僕が小学生だと思って手加減しないでください。お願いします。」との申し出を受けました。「え?・・・うん。わかった。」と息子。それでもかなり手加減したようなのですが、次回からはやはり元に戻すことになったそうです。「その代わり、君は思いっきりやっていいから。」という事で丸く収まりました。 それでも自分自身の激しい練習用のBODYを求めている息子にとっては、大人の人は願っても無い相手です。大体大人は皆経験者か指南の先生だと思い込んでいたようですから容赦がありません。 いつぞや、初心者の中年男性が練習帰りに息を切らしながら「あの中学生の子と稽古をしていたら、攻めが激しくて激しくて途中で息切れしてしまって・・・。」「ああ、あの女の子みたいな顔の子だろう。あの子とやる日はほんと消耗するよ。」等と話しながら、道場の外で待機している私の側を通っていくのです。 その日の練習に中学生は一人しかいませんでしたから、息子の事だとすぐわかりました。「一体、どんな目に合わされたのですか?ごめんなさい・・。」肩身が狭くなります。その方達が、その年齢で剣道を始めようと思い立った契機が何だったのかはわかりません。でも、だいたいは体力の維持とか、メタボリック対策のようなのです。もちろん次の日にお仕事がありますから、適度な運動を望んでおられるに違いありません。 人生色々、剣道色々だから・・・。 息子は、剣道一途なので体力をいくぶん温存して、その分を勉学に振り分けるという頭がありません。本人が言うには、「自分は人よりも痛みに関して鈍いようだ。」といいます。「・・・Mかも。」「痛いと気持ちいいの?」「いや、そんな事は無いけど。そのときには気がつかないというか。」「じゃあそれはMじゃないよ。」「ふーん。」この得意な体質が、相手の間合いに飛び込んでいくことの怖さを克服させているのかもしれません。
2008.07.10
ちょっと前、中坊の息子がため息混じりに・・・「あのさあ・・・。3年になったからかなあ?武道場の縁側で休憩しているときになんだけど、近くで大勢ではしゃいでいる1年生達を、ただ何しているのかなあ?・・・ッてチラッて見ただけなのに。急にみんなシャキーンとなって「すいませんでした!!」て言われる事がよくあるんだよね。俺って怖い?」「あんたなんて剣道部一の猛者だし、同級生の内でも、もう誰も喧嘩を吹っかけてこなくなったくらいの武闘派だから、そりゃあ怖がられているんじゃないの?」「俺、いつも正当防衛だよ。自分から喧嘩売ったことないし、いじめもしてないよ!!」「それでも、下級生から見たらすごく怖いと思う子等と喧嘩してたりするのみたら、絶対怖がられているに決まってる。」 「そんなああ・・・。」と息子。「自分では気がついていないかもしれないけれど、あんたって絶対気が弱そうに見えないから。特に竹刀もって胴着姿でいるときなんて、あたりに殺気プンプン漂っているから。」 「ええええええっつ。ひどい・・・。」 「そういうもんなのよ世の中って、イメージ、イメージ。管楽器やテニスラケット持ってて殺気プンプン漂って見える人なんているかいな。」 あれは・・・私が小学生低学年の事でした。 北海道の過疎化した山村で自由奔放に育った私は、ある意味野生児でした。いえ、大自然の中で育ったからといってみながそう育つわけではありません。生まれながらにとってもお上品な子もいれば、すごく大人しくて気の小さい子もいました。環境というよりもDNAの影響で、私は限りなく男の子に近い子供でした。 よく悪餓鬼どもと喧嘩していたのもこの頃からです。この頃は、まだ相手も皆がセクハラ目的ではなかったと思いますが。スカートめくりとかはやっていたこともあり、揉め事が多かったです。でも、女の子と喧嘩するような事はありませんでした。 別に一緒にいて怒れる事もありませんでしたし、全校生徒が30人ぐらいの小さな小さな学校だったので、普段家の周りに子供がいない私にとっては、学校で会う同級生は大切な宝物でした。皆家が遠いので放課後一緒に遊ぶという事も無く、あっという間に帰ってしまいます。何せ熊が出没するような山奥の村ですから。 ある日あるとき、ある女の子が、泣きながら私に近寄ってきて、蚊の泣くような小さな声で何か言ってくるのです。「・・・・・」「どうしたの?」と耳を澄ましてよく聞くと、声より大きな音で鼻をすすりながら「ごめんなさい。」「もうしません。」とかをなんども繰り返しているのです。 その子は、私とはよく気の合う仲良しの子でしたし、その日特に揉めたわけでもなかったので、なぜその子が泣いていて、私に謝っているのか・・全く状況が把握できませんでした。 ふと離れたところを見ると、別の同級生の(すごく大人しくて普段目立たない、そして誰とでもおしゃべりを楽しむ私とも)めったに口もきかない女の子が、遊具の端からこちらをじっと見つめていました。泣いてはいないけれど、暗い顔で心配そうにしているのです。 「どうしたの?なにかあったの?」泣いている友達に、わけを聴いてみてびっくり。 「私、最近@@ちゃんをいじめていたの。だからごめんなさい。」 「ええ~、そうなんだあ。なんで?」 「なんか面白くなかったから・・・。」(たぶん当時何らかの家庭の事情があったと思われる。) 「・・・・で・・?」 「だから・・・・ごめんなさい。」 「いやあの・・・・・何で私に謝るの?」 すると、その子は「だって、だって、@@ちゃんが!!~もう我慢できないからいじめられていることをfuppymamaちゃんに言いつけるからね!!~っていうんだもん。」そして、もっと大きな声でおいおい泣き出したのです。 ・・・・は?何で私に?そして・・・どうしてそんなに泣けるの? 「@@ちゃんは、fuppymamaちゃんがきいたら、きっと怒って私をボコボコにするって・・・ごめんなさ~い。殴らないで~。」 「殴ったりしないけれど・・・いじめは・・・いけないよお・・・。」 「わかりました。本当にごめんなさい。」 「いや・・・わかってくれたらいいんだけどさあ・・。」そして、その子はとぼとぼと歩き出し、遊具の陰で待ち受けていた@@ちゃん(なぜかいつもと違って、すごく@@ちゃんの態度が堂々としている。)と並んで山道を帰宅していきました。・・・って何で一緒に帰るの?私の家は、学校のグランドの端っこにある官舎ですから。二人を見送りそのまま庭を通って玄関に入って行きました。 は・・・・・あ、あの・・。私ってそんなイメージでみられているのですか???もしかして、イメージがガキ大将ですか?その時のがっかりして、なんか納得できないもやもやした気持ちが今も残っています。いじめられていた子も必死だったのでしょうが、普通担任の先生とかに言いつけませんか?何で私よ。 まあ確かに木の棒振り回して、野良犬や野良猫引き連れて遊んでいましたけど・・・。 それもイメージ、イメージ、野生児のイメージ。でも殺気が漂っていたかなあ。 やっぱり自分ではわかりません。私なんて、子供の頃は学校一のいじめられ子の姉にいつもいじめられて泣いていたし、今では亭主関白の夫の前で小さくなってこびているのにさ。
2008.07.09
最近、空手か柔道を習いたいと言い出していた息子。剣道熱が冷めたというわけではなく、ほかの武道を早く始めたいのだという。私自身はよく分からないが、先生方のお話を伺うと「剣道をもう少し極めてからでも十分遅くない。」とやはり思うのだ。 単に「修羅の門・刻」シリーズを古本で購入し、何度も読み返しているうちに空手熱が高まって来たとしか思えない節もある。そこで視点を変えての再考を促すためにも、今度は「バガボンド」を古本で購入した。(なんたってシリーズものは金銭的に負担がかかる。)期末テストが終わってからこれ見よがしに見せびらかして読んでいたら・・・。 思ったとおりにはまるはまる・・・。その後やはり自分の一番の道は剣道だと再奮起。しかし、ありがちなことだが「剣聖」になりきってしまい、練習中あまりにも豪腕を振るうために、ついに練習相手がいなくなってしまったりも・・・。 だけど、女子にはそれは出来ない。野人になってしまうのはやはり避けたいらしい。 最近は原作本を図書館でごっそり借りてきて、読んでいるfuppymama。映画やコミックを見たら必ず原作本も読んでみないと気がすまないのです。どーせ、寝たきりの時間が長いし、ちょっとは頭働かせないと・・・・。 息子が読むかどうか分からないが、コミック本のほうは親子ともに10回は読み直したと思う。アー上野で展覧会が開かれていたそうなのに、今日で終わりだというのだから無念、無念。 折角、昨日今日と息子がボーイスカウトのサイクリングキャンプへ行ってる最中だったのに・・・。夫は夫で週末は講演会のはしごだったというのに。出かけてみればよかった~。 ほんと出無精になってしまった。
2008.07.06
昨日の日記ででてきた、某集まりでもそうだったのだが・・・。うちの息子は、地元の人に名字で呼ばれた事が殆どない。以前から顔見知り程度の人だった大人をはじめ、初対面であろう同世代の子、ちょっと上の年代の人から老人まで・・・。みな息子を名前で呼ぶのである。さすがに幼名であった[fuppy]で呼ばれることは激減したのだが。 息子が生まれた当時、周囲の人から「なんか、舌をかみそうだ。」とあまり好評ではなかった名だったが・・・。皮肉にも今現在では息子の名字を知らないで名前だけ知っているという人が多くなっている。学校でもそうだ。友人達の中には名字で呼ばれている子もいるが、息子の場合は男女とも名前で呼んだほうがしっくり来るらしい。息子の持ち物に名字が書いてあって、気がついた人が「あれ?これってお前のか。」と半信半疑で持ってきてくれる時もある。 息子自身はもう慣れっこだが、親である私の方が初対面の方に息子の名を連発されるとかえって戸惑ってしまうくらいだ。そして最後に思い出したように「あ、おかあさんお名前は(名字)?」と聞かれるのも・・・なんだか不思議だ。 息子の名は三文字だが、人と地域によって最後の音を上げる人と下げる人がいるのも面白い。成人の人は殆ど最後の音を上げる。若い人は、テレビの影響などがあるのか最後は下げることが多い。 北海道生まれでのち四国を経て移住してきた私にとっては、不思議な現象に思えることのひとつだが、これはきっと、地域的に同姓の人があまりに多いので、名字だけより住んでいる地区+名前で呼ぶ方が人間違いしないで便利な事から来ているのだろうと思う。 息子の名付け親であり、尚且つその名前が気に入っているので苦にはしていない。
2008.06.23
息子はこれまで、スポーツ少年団のOBとして毎週金曜の夜に剣道教室に通い、練習のお手伝いをさせて頂いていたのだが、このたび正式にジュニアリーダー養成に登録することになった。今日は、午後から今年度初の顔合わせ&企画会議だったのだが、期末テスト前という事からか、参加者は少なかったようだ。登録人数はかなりいるそうだが、実際に活動している子は少ないのかもしれない。 最近、ボーイスカウトの班集会やキャンプも回数が少なくなってきているので、ジュニアリーダー養成の行事等に参加する事で、学校以外の世界が少しは広がるだろうと期待している。息子は現在の中学校生活には満足しているようだが、親の目から見るとやはり学校外での活動範囲が大幅に狭められた状況下にいることは否めない。夏の大会が終わって部活を引退するとなれば尚更のこと・・・。 無論、受験勉強が控えているのだから、各種テストや塾通いは今より多くなるだろうが、それだけでは息子の魂は窒息してしまうだろう。 勉強の合間にゲームで気晴らしするよりは、沢山の人と会って色々な体験をして欲しい。息子は、人との会話が好きだ。その場で自分から話さなくても、色々な人の話を聞くのがすきなのだ。ストレス発散になるらしい。(おばさんみたいだけれど) 塾でも殆どの他校生徒と知り合いになっていたが、このところ同級生も入塾してきたようでまるで勉強クラブのようになっているようだ。時々夕方から自習に行くと、(みんなと一緒に休憩時間にコンビにへ行く。)夕飯をとってそのまま夜の10時まで塾にいることもある。 家でだらだらするよりはいいような・・・「勉強は、まじめにやっている。」という本人と塾の先生の言葉を信じるしかないが・・・。勉強は自由で楽しくないと頭に入らない息子だから仕方がない。 今年の夏休みは、塾の夏期講習、高校見学会、部活の合宿&試合、ボーイスカウトのキャンプ、ジュニアリーダー養成合宿などなど、予定が目白押しでもしかしたら息子は殆ど家にはいない事になるかもしれない。まあ、本人のストレスにならなければそれでいいのだが。 いつも暇なしの男である。
2008.06.22
そうそうありましたね修学旅行。行き先は、同じ市内の中学校でもさまざまなんですが、お台場とディズニーランドは必須のようです。後はレンタル携帯電話を持って自由(企画は前もって立てている)に班行動するのですが・・・。 息子の班は特にトラブル続きだったようで、一緒に行動していた女子を守るのが大変だったそうです。「fuppy君、みんなを守るためにすごく頑張ってくれて・・大変なめに遭ったんですよ。お母さん話をたくさん聞いてあげてください。」と先生。 どんな目にあったのかと思ったら、息子の口から出たのはお笑い話ばかり。いや、これは息子だからそうなのであって、女子の母親だったら一大事かも? 息子の班が遭遇した事件。 1、 地下鉄で、痴漢に遭遇。犯人は茶髪長髪の長身の男。被害者、fuppy君。背後の人の不振な挙動にすぐに痴漢だと察したようだ。「これが痴漢か。」ぞっとはしたが、然し女子のようには固まらなかった。即周囲の男子に警告。「男を狙う痴漢が本当に実在する!!」ドン引きの眼が多数集中しいたたまれなくなったのか、犯人はいずこかへ・・・。報告後「お前は男に好かれるたちなんだ。」と先生からも注意される。どうも男好きのする顔立ちらしい。女子やおば様たちにもひそかにファンはいるようなのだが、女性は陰で噂する位でそう積極的な行動には出てこない。一方、初対面で「君ってイケメンだね。」とか言って積極的に寄って来るのは決まって男子高校生、中学校生活でも、見知らぬ男子生徒に抱きつかれたことも度々・・・・。fuppy!!背後に注意しろ!! 2、 中華街でスリに遭遇。犯人は田舎での学生に狙いをつけて付回していた模様。不審者に途中で気がつき、わざと行ったりきたりして様子を探り、確信を得たので携帯でみんなに警告・・・・狙われていたのは、fuppy君。その後辺りを見てスリらしい人物を探したらいるいる。たくさん居たそうだ。 fuppy!!そういう人をじっと見てはいけません!! 3、 いかにも怪しい偽ジャニーズショップ。とんでもない女装をした老人に遭遇。嫌な物を見せ付けられる。全く気がつかないで、ショッピングに夢中な女子を無理やり連れて店外にでるのに一苦労。携帯電話でみんなに警告。・・・等など 息子は、何か危ない場所や光景を見るといちいち先生方に携帯でちくっていたようだ。おそらく警察無線のような気持ちで楽しんでいたのだと思う。一応感謝はされたが・・・。班長なので、先生に「何かのときは女子を守って。」と頼まれたが「だったら、メリケンサックを買ってください。」と申し入れ即却下される。そんな中学生の方が危険だろ!!しかしほかの班では女子が酔っ払いに絡まれ抱き疲れるという事件も派生した模様。 HSで度々東京に行った頃のある息子。時には子供だけの集団であちこち行ったときもあり(大人の付き添いが影にあり)トラブルはなかったのだが、修学旅行で初めて東京の裏の世界を知ることになった。「高校生になったら、またみんなでディズニーに行こう!!」と盛り上がる班の子達。「普通男同士で来ないだろう・・・。」とひそかに冷めた目で見るfuppy。いや、男同士でいくしかない場合もあるから大丈夫だ!!
2008.06.18
最近、息子の誕生日だったのでした。天下御免の向こう見ず14歳です。剣道だけでなく、あらゆる武道や格闘技の情報を集めています。受験生なのに家で勉強全くしていませ~ん。テスト期間でも部活があり、テスト直前には試合があるようです。勉強を優先する子は、お休みしてもいいのですが、息子はそんな気がありません。でも、HS出身の息子が、自分の将来を「武道伝承」に捧げるとか言っているのですから、親がいまさら止められません。確かに今彼は伸び盛りのようです。自分でも分かるのか常より練習にも熱が入っています。今回のプレゼントは、父の日コーナーに売られている、長短二枚のズボンつきの「作務衣」3点セットにしました。出来るだけ質素な柄のものにしました。本当は浴衣が欲しい、龍柄の着流しで夏をすごすとか言っていたのですが、我が家のプロバンス風インテリアには似合いませんので勝手に「作務衣」にしました。浴衣は値段が倍するし選択の後アイロンもかけないといけないし、あっちの世界に入ったと思われてもなんだしで・・・親の都合と財布との相談で決めました。でも結構喜んでくれて、まめに着てくれています。よかったあ。息子がまだ幼い頃、作務衣はよく着せていました。手縫いの浴衣と着物を苦労して自作したこともありました。が、大きくなっても和服の着心地安さを味わえるのは、普段剣道で胴衣と袴を履きなれているからかもしれません。玄関クローゼットのどこかに、下駄もあった筈。そういえば扇子もあったような?ひょんなことから、1年半ぶりに和解した父と子(作務衣)が、将棋盤を間にあれこれ睦まじくしているのを見ると、夫にも新しい作務衣を買ってあげてもいいかなと思ってしまいます。父の日は過ぎたけれど、夏はこれからが本番ですものね。
2008.06.17
最近体調が悪くて長らく映画館へ足を運んでいません。が、今年は頑張って見に行こうと思い、色々楽しみにしている映画があります。その中のひとつが、「レッド・クリフ」これは三国志の中の「赤壁の戦い」を題材にしているのかと考えますが、なんと言ってもfuppymamaの「好きな歴史上の人物」の上位に毎回入っている「諸葛孔明」をめちゃくちゃ大好きな金城武さんが演ずるというのですから、もうDVDも買っちゃうよきっと!!中古で・・・。(これは意気込みの問題ではなく台所事情です。)諸葛亮の妻である黄氏の出番があるのか、また配役は誰なのかも気になるところです。
2008.06.13
人は城、人は石垣、人は堀、・・・・我は雑魚。孫子の有名な言葉。最後に「我は雑魚」が続くのは興味深いです。 日本にも、「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」という言葉がありますね。子供の頃によく聞かされた言葉です。 「ただの諂いとは違って、人徳が高いほど周囲の人に対して自然に腰が低く、謙虚なものなんだよ。そういう人に会うと、自分でも不思議に謙虚な心になれるんだよ。」母はそう教えてくれました。 母は、過疎地の村で教壇に立つ父の仕事柄、公共の幼児教育を受けられない私に、懸命に幼児教育をしてくれました。懸命といっても、今で言うアンスクーリングの方法でですが。 北海道の山林と原野の近くの農村で育った私は、自然を相手に遊ぶしかなく、本を読んで過ごすしかなく、そのため想像力と好奇心が豊富な子になりました。私は、とってもお転婆で勝気で、尚且つ「天真爛漫」「竹を割ったような性格」と人に 言 われる子供でして、おまけはかならず「この子が男に生まれていれば・・・。」でした。 その言い様が子供心に男尊女卑に感じられたものです。でも相手はほめてくれていたのかもしれません。 男の子のいない家庭で、父に男の子のように育てられたからだと思っていましたが、いや生まれつきなのだと思えるようになったのは、息子が生まれてからです。 息子は男ですが、性格が私によく似ています。息子は男ながらに、女のような鋭い洞察力 と、細かく正確な記憶力を持っています。(これって昔はやった男脳女脳に関係あるのでし ょうかね。) 息子の事はさておき、父や親戚に聞くところによると、母は気立てがよく働き者で優しかったが、勉学については・・・・・・。だったそうです。確かに読み聞かせはしてくれたもの の、自分のために本を読んでいる所はほとんど見かけた事がありませんでした。 でも色々な言葉を知っていて、事あるごとに私に教えてくれました。いまさらながら思い出すと、現在の私自身の価値観に基づくものは、HSで培った見聞や体験+幼児の頃に繰り返し聞かされてきた母の言葉があるように思えます。 勉学にも熱心でなく、本も読まない母がどうして色々な言葉を知っていたのかというと、祖父や祖母の影響が大きかったのだと思います。 私の母方の家系は、士族廃止後?北海道に移住した南部藩の小者だったようです。階級は低かったけれど、同時代の庶民の中では庄屋だったようで暮らしには困っていなかったようです。祖母方は御殿医、祖父方は歴史マニアならよく知るという熊本県発祥の一族だそうです。別に珍しい事ではありません。北海道では色々な士族の子孫がいるようです。 幸か不幸か我が家の家系は北海道に移住しても、官吏や商売に身を投じ、開墾に苦労するという事はなかったようですが、元武家の一門であるという矜持は高かったらしく、孔子・ 孟子など儒教的な言葉や、大和魂云々の語り継ぎが母の幼少時にもあったようです。 母は長女でしたので、一番多くリスニング~!!していたのでしょう。実に巧みに、私へと伝授してくれました。私は、クリスマスや誕生日には、人形よりはプラ スチックの刀剣セット、忍者グッズをねだる子でしたので、母も私を叱る時には、姉とは別 の方法で、私が受け入れやすい道理で諭したのでした。 姉は叱られるとき、よく仏壇の前に 座らされて蝋燭が消えるまでじっとさせられていました。そんな叱り方された事ある方はいますか?一番短い蝋燭でも結構時間たちますよね。足しびれるし・・・。まあ、姉の叱られる原因は妹(fuppymama)を苛めたがためですので、仕方がありませんけどね。 私も息子を叱るときは、たいていが説教です。男の子は聞き流すのが得意なのですが、息子はなぜか人の言葉を聞き逃すという事が苦手です。どうしても、記憶してしまうのです。だから、必ずその性質を利用して叱ります。 息子は中学校で、ほとんどの先生に懐いて可愛がられていますが、甘やかされているのではなく、ちゃんと叱られる事もあります。けれど、先生達は息子に対してはけっして、脅したり怒鳴ったりしないそうです。その方法は息子には逆効果だと知っているからだと思います。 息子は、信頼する相手に対しては犬にも馬にもなる忠義心を持っているらしいのですが、あいにく主人を選ぶのです。誰にでも懐くのですが、常に相手の言動を見ています。相手が激して興奮するほど、息子の脳は冷たく冴えるのです。一見じっと黙って聞いていも将棋の盤を脳裏に描くようにしていて、反論するときには相手の矛盾点を次々と囲い込むようにしてついていきます。何しろ口が達者なので、自分に非がないと思えばますますひるみません。 学校の先生は、忙しいので息子とばかり長時間対戦していられません。息子が一番懐いて信頼している先生は、たった一言で息子を制御するそうです。(なんというのか知りたいですよね。私が言っても通じるのかな?) 最近、母に習って私が息子に教えているのは「木鶏」です。息子は剣道をしているので、こちらの方が理解しやすいのです。 人は城、人は石垣、人は堀、・・・・我は雑魚。この言葉も教えました。・・・我は雑魚のところは知りませんでした。そして、あまり良い顔をしませんでした。「雑魚」は中学では男子生徒が相手を馬鹿にして通常使う言葉ですから。 武田信玄は「・・・我は雑魚」とも言っていたのでしょうか?まあ言わなくても当時の教養のある武士ならみな知っていたのでしょう。 思春期の男の子は実に血気が盛んです。我慢や忍耐力は、武道ではかえって身につかないと言う報告もあります。だったら、「我慢しろ。」より「木鶏になれ。」の方が受け入れやす いのではないでしょうか。そう思って試しています。息子から見た大人の世代には、道徳や礼儀を弁えないことを省みず、子供にはそれを押し付けると言う人々も多いそうです。(お年寄り達の声によると・・・) 息子は、「生涯剣道」の道を行き、日本の色々な武道を学んでみたいと言う夢がありますので、古典を読み学ぶ事もおいおい必要になってくるのでしょう。今はインターネットで、あれこれ学んでいるようですが。私も病後の脳トレーニングに、色々借りたり買ったりして「武道」についての雑学を仕入れているこの頃です。
2008.06.11
母が亡くなって一周忌を終えました。もう先月の事ですが・・・。母の実家からも親戚の人が遠路訪ねて下さったそうです。私は、子供の修学旅行の日程にあわせて、少し日を置いてから実家に2泊してきました。 最近やたら父が私に親切なのです。昔からよく喧嘩していたのに。姉が言うには、病後の(今も体調が悪いのには変わりないのですが)私が、亡き母の若かりし頃によく似ているそうです。 朝から夜中まで、父、甥、姉と休む暇もなく話が弾みましたが、それでも2~3時間ほどうとうとしていたときのことでしょうか、甥が真夜中にアルバイトから帰ってくると、なんと父が布団の中で爆睡する私の横で仮眠していたそうです。 「じいちゃん、布団で寝ないと風引くよ。」「ああ・・。」 翌日甥は私に、「よほどfuppymamaにあいたかったんだろうな。」といいました。「もっと、来てあげナよ。」「うん。」 しかし、妙な光景です。仏間で、お供え物のすぐ横に北むきではないものの、布団で寝ている私の寝顔を見て「亡き母を偲んで」いたのでしょうか私は全く気がつきませんでした。 母が生きていたときは、ほとんど家のことはしなかった父。私が姉と外出から帰ってくるまでに、私のために布団を敷き、さらに枕元には時計、飲み物、コップ、くずかご、ティッシュまで用意されていたのには驚きました。 「お前は、体が弱いのだから大事にしていなくてはならないよ。」(確かに今は)「わしより長生きしてくれよ。」(それは大丈夫だと思う。) 子供の頃から、自宅では怒っているか、機嫌が悪いか、酒飲んでいるかしか記憶のない父でした。なぜそうだったのか、そうでしかなかったのか、その謎は後から父自身の言葉で語られたのですが・・・。 別の家に泊りに行ったような不思議な感覚でした。
2008.06.11
武田信玄は人を見る目があり、人材を生かすのが得意であったといわれます。「人は石垣 人は城」という武田信玄の言葉は、孫子から出ているのだと思いますが、武田信玄は、こんなことも言っています。 人を競わせ成長させようと思うときに、全く別のタイプの者をあわせて競わせても全く意味がなく時間の無駄にしかならない・・とか。競わされる方も苦労が多くお互いの心にも亀裂が生じる。 最近読んだ本の中に書かれていた事ですが、全くそのとおりと思えることが過去にも現在にも経験がありました。でも、なかなかそれが解ってもらえないのですよね・・・。 武田信玄の言葉を借りると効果がでるのは、似たもの同士。指導しだいでお互いに旨く切磋琢磨できるようです。それもその切磋琢磨が本人達の苦にならない、友情が芽生える。こちらは一石二鳥なのですね。
2008.06.11
実家の母の様態がかなり悪いと言うので、週末息子を連れて(急ぎ足で)見舞いにいって行きました。認知症があるので、昼間だけ病院にいて夜は家で過ごします。でも、母は、元来働き者でまずじっとしていない人であるので、体力と思考力が衰えて、家事をするだけの能力がないのにもかかわらず、何かしようと動き回ります。他の家族はそれを徘徊といいます。確かにそうなのだけれど、私の目からは母は、急いで死に支度をしようとしているかのようです。身の回りのものを整理して、見苦しくないように、大切なものは形見分けしたい。だけどわずかな思い出の品々は、大事にしまいこみすぎて、どこにあるのかわからない。止めても止めても、体が冷え込み最後には疲労で動けなくなるまで、家中を動き回ります。入院させないで家でできるだけの事をしてやりたいといって電話の向こうで泣いていた実父ですが、すでに精神的にリタイアです。無理もありません。昼中は居場所がないのに、病院の付き添い、夜は眠れない。実父はすでに90近く、また彼自身も末期がん患者なのです。地元の姉と甥たちが、プロの力を借りながらなんとか一日一日をこなしています。姉と甥の一人はプロの資格を持っていますが、塾や飲食店などほかにも仕事を持っているので時間的にも大変です。私と息子など、本当にあわただしく顔を見せるだけで何も出来ませんでした。出来た事といえば、ほかの家族が耳にタコの話(妄想)を聞いてあげること。父の愚痴を聞いてあげた。なぜか?末の孫息子の事が自慢なので、思い切り大風呂敷で話をして喜ばせてあげた。真夜中に一度だけ下の世話をしてあげた事。部屋の荷物を移動するのに参加した事。茶碗を洗ったり、冷蔵庫の中の腐ったものを見つけて捨てた事。・・・・たったこれだけだったのです。また春休みになったら来るねと言って帰ってきたけれど・・・。母は、私に形見分けしたいようなのです。でも、姉にすべてあげて欲しい。不眠不休で忙しく立ち働く実姉のそばで、丸聞こえなのに「あんたにだけ、あれこれあげるから。」と私にいうので「何もいらないから、おねえちゃんにすべてあげてよ。」と答える私。母は、悲しそう。でも安心した感じもある。どっちが本当か分からない母の気持ち。姉は、かつてのようにお金には困っていない。でも、苦労しただけ親に世話になっていて、その分恩返ししている。姉の手助けがなければ、実家はたちゆかない。誰だってそんな事はわかっている。でも、末娘も末の孫もかわいい。遠方にいて、ふだんどうしても疎遠だった。嫁入りのときや出産のときに、なにもしてやってあげていない。(と思っている。)独りだけ、何もやらないのは気が引ける・・・・。一応「もらうよありがとう。」と口でいいながら後で姉に渡した方がいいのかなあ。むずかしいです。
2007.03.19
今TVで話題の「今週妻が浮気します。」とか、例のお馬鹿な夫婦の「あじさい日記」もそうだけど・・・。安易にしたりされたり、全く節操ないって言うの。けだものか。生活ストレスあるからって、発散のためにちょっと相手を変えて楽しみたいっていうのなら、結婚して子孫なんか持たずに、独身主義貫いて、なんの責任も持たずにあそびまくって、老後はすっきり孤独死しなさいよ。自分が浮かれて浮気していて、今度は相手に浮気返しされ、いまさら断腸の思いを経験したり、ばれて大騒ぎになり家庭崩壊した人。いくら気楽にできる雰囲気の世の中になったとはいえ、@倫(@外交渉)が「これは、ばれてもばれなくても、それが人道に外れた事で、家族の絆を腐食させ、関る人をみな不幸にする事。」なのだと心底思って、それでも覚悟してやっている人ってどれだけいるのかなあ。昔みたいに、(あくまで一方的だったけれど)姦通罪があった時には、やってはいけない事やばい事、と言う重みは今よりかなりあったと思う。命張ってたときもあると思う。けれど今ではなあ・・・。小学生が妙な小遣い稼ぎする時代。その子の親自体、すでに堅実じゃないと思うのは、私だけの特殊な偏見だろうか。親が固すぎると、子供が逆に奔放になるという説もあるが・・・。王妃マルゴの場合など、ずばり彼女の個人的な資質ではなく、彼女を取り巻いていた当時の環境が影響大でしょう。「私を責めるけれど、誰がこんな事私に教えたの?」というその台詞。たとえ後世の作り話だとしても、うなずけます。「貞節・貞潔」なんて・・人間には所詮無理な観念なのだろうか。神業かな?アジアの一端にあるわが国も、かつては一夫多妻制度だった。皇室のお世継ぎ問題で、それを復活させたらなどと言う輩(輩なんて失礼だけれど、一女性から見てそういいたい。)もいるが、いっそ婚外関係もつなら、婚外準婚というものを設けて、男性側に厳しくい扶養養育義務をつけたら?どうでしょうか。女性が複数の夫を持ってもいいのです。義務を全うするのなら。無論諸権利等は正妻と嫡子より数ランク下がり、なおかつ正妻の許可が要り、第二夫人以降は結婚時に、正妻側に上納金・慰謝料を支払い、夫も正妻とその子らに何がしかの生前贈与を行わなければならないのだ。なおかつ、夫の死後、正妻と嫡子以外は婚家を去って寺に収容され夫の菩提を弔う人生を送る。これを怠るものは、財産没収、正妻嫡子に譲渡の上、市中引き回し全裸さらしのうえ火刑。私が独裁者ならそう言う法律作ります。無論、むちゃくちゃ人権尊重されていないんんです。不利すぎるんです。それでも貫ける「純愛者」だけ、婚外準婚を認めます。fuppymamaの事怖いおばさんだと思う?「一体、旦那さんて貞操固いの?」夫の貞操が固いかどうかわからんけれど、私の信念が固い。「遊ぶのは命がけ」だと言う事はちゃんと理解している夫です。(笑)
2007.03.15
最近、はまって読んでいるのが「吉沢 深雪」さんのイラストたっぷりのエッセイ集です。ちょっとぽっちゃり系の猫キャラにも共感できますし、雑貨の話や暮らしのヒントなどいろいろな内容の本が出ていて、就寝前にそれを見ているだけで楽しくって、なんだか癒されます。イラストレーター吉沢深雪の気晴らし絵日記http://d.hatena.ne.jp/catchips/PCのトラブル続きの我が家ですが、今度は寝室においてある(ネットにはつないでいない中古PCです。)に支障が・・・。TVやDVDチューナーも格安で見つけてきてそれなりにカスタマイズ(貧乏仕様)し敵手、やっと快適になったと思ったら・・・。テレビしか見られなくなってしまいました。なぜ?????もともと容量も小さく、機能も少なかったのに無理させたからなのか?ごめんなさいもうちょっとがんばってええ。今、あらたなる復旧対策を練っています。
2007.03.09
長らく、管理ページにログインできなくなっていました。セキュリティソフトを変えた事からのトラブルでした。一時は、いっそ引越ししようかなと思ったほどです。でも、設定を変えたら大丈夫になりました。留守中、嵐の書き込み等もあったのですが、今後は管理が出来ますのでBBSもそのうち再開します。みなさま今後ともよろしくお願いします。
2007.03.06
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