2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全31件 (31件中 1-31件目)
1
一月も今日で終わり。仕事のローテーションが変わるので、なるべく残さないようにと頑張るが焼け石に水の状態。いくらやってもきりがない感じで充実感も得られない。二月に入ると四月の人事異動の行方が気になり皆そわそわし始める。三年から五年で異動するのが通常の流れだから、今の職場に既に三年の私も、今春は異動があっても不思議ではない。どうなることやら。しかし、この一ヶ月は非常に早く過ぎたように思える。「逃げる二月、去る三月」をどう捕まえるか、ときどき立ち止まることも大切だと、このごろ痛感している。
2005年01月31日
寒くなるぞ!と覚悟していたわりには穏やかな一日だったように思う。一週間溜め込んでいた新聞や郵便物の処理などして過ごす。もっとも今日のメインイベントはエッセイ集の打ち合わせ。カバーデザインの決定、本文用紙とカバー用紙の決定をしていよいよ形が整う。以前に掲示板ではちょっと書いたのだけど、今度のエッセイ集には師匠(と勝手に慕っている)である林望先生に帯文(推薦文)をいただいている。プロデューサーとの話の中で出された提案を、知らない者の強みで先生の事務所に相談したら、イギリスに滞在中だった先生から快諾を頂き、アレヨアレヨという間に事が進んでしまった。今見本とは言え自分の本の帯に先生の文が入っているのを見て、ひとりで興奮している。その内容は…。もちろん買ってくださった方にしかわかりません。ということで…。
2005年01月30日
雨が降ったり晴れたり、目まぐるしく天気が変わる一日だった。通りかかったスーパーの前、スーツ姿でビジネスバッグを脇に挟んだ会社帰りらしい若い男性が、少し腰を屈めて、こちら側を向いて妙な顔をしている。唇を窄めたり、目を白黒させたり、あら今度は舌を出している。変な人だとちょっと気にしながら近づいて、店の前に積み上げられた商品の陰にベビーカーが隠れていたことに気づく。ああ、赤ちゃんをあやしているんだと安心する。買い物の母親を待っているのだろう、父親と赤ちゃんが店の前で二人きりの世界にいる。父親は赤ちゃんが可愛くて仕方がないといった風情で周りの目など全く気にする様子もなく、赤ちゃんを喜ばせようと百面相を続けている。その間に見せる彼の満足そうな笑顔…陽射しの中でとても和やかで幸せそうだ。こちらもつい微笑んでしまう。それでも彼らは相変わらず二人きりの世界にいる。脇を通り過ぎて、赤ちゃんの顔を覗こうと思って振り返ったら、真っ白で暖かそうなタオル包まれているその姿は、すぐに父親の背中が覆いかぶさるように遮って来て、彼の宝物はついに目にすることはできなかった。
2005年01月29日
帰りの東海道線、東京駅からなので座席に座って帰る。今日は、やたらに暖房が強くて、座席の下から熱風(最早温風などという生易しいものではなかった)が激しく吹き出していた。専らスカート派の私はロングスカートにタイツスタイルだったのだが、ふくらはぎの辺りが熱くて仕方がない。それでも混雑時、足をあまり前に出すこともできず、ベンチシートではそんなにゴソゴソすることもできない。持っていたハンドタオルを膝の下に敷きこんでカバーして、三十分余りをやり過ごす。それでも、帰宅してみると、両方のふくらはぎは真っ赤になっていて、ちょっとした火傷のようだ。他の人は平気なのだろうか。場所によるのだろうけど、私のところだけということもあるまいと思う。思わぬところに危険は潜んでいる。
2005年01月28日
エッセイ集のカバーデザインが届いた。とてもシンプルだけどなかなかセンスはよいと思う。二つの案をもらったので、よく検討して結論を出すことになる。第一印象でパッと、こっちがいいかなと思ったものはあるのだけれど、タイトル、帯などを仔細に検討するといろいろと迷いが生じてくる。本文の用紙の色やカバーの用紙も決めなくてはならない。これが総仕上げとなるのだから、しっかりと愉しもうと思う。私の本の形がようやく見えてきた。ワクワク、ドキドキと、知らず知らず気分が高まってくる。
2005年01月27日
朝のうち、一時的にかなり激しい雪が降って寒くなったが、帰りには綺麗に晴れて、月が美しかった。窓口当番も午前中はそれほどでもなかったが、午後になって急激に混雑した。本来の仕事はろくにできなかったが、今日はクリニックの日なので、残業はせずに退庁。エッセイ集のカバーデザインのラフは今日は届かなかった。う~ん、待ち遠しい。先週末から自宅へ何度も電話をかけている人がいるようだ。しかし、私はその時間は仕事に出ていて帰っていない。伝言を残してくれればよいのだけれど、それもない。親しい人は私の生活パターンを知っているはずなので、そんな時間に電話をしてくるはずはないと思うのだけど、頻繁にかけているようなので何だか気になる。今夜は10時と10時半ころにもかけて来て、少なくとも10時半の電話には応答したのに、何故か切られてしまった。何だか気になるなあ。
2005年01月26日
ゲラ段階の奥付では、今日が私のエッセイ集の発行日になっていた。現実にはようやくカバーのデザインカンプが仕上がったところらしい。明日手元に届けられる、と編集者からのメールが届いてほっとしている。どのようなデザインになったか、とても楽しみである。ああ早く見たいなあ。いよいよ私の本の全貌が見えてくることになる。アンソロジーの方も、来月から編集作業が始まるようだ。これはまだまだ時間がかかるだろう。育てていく楽しみをまたじっくりと味わうことになる。日曜エッセイストにも春が近づいている。
2005年01月25日
今朝は道路に霜のような、氷のようなものが貼りついていた。先日買ったウォーキングシューズに意外な弱点を発見、地面が濡れていると滑りやすいのだ。マンホールの蓋とかエスカレーターなどでは、濡れている所に乗るとあっという間にひっくり返りそうになるのでびっくり。買うときにも、さすがにここまではチェックしていなかった。雨の後には履けないな。職場を出たときにはすっかり霧の中ににじんだように見えていた月が、自宅の最寄り駅に降りたときにはくっきりと姿を現していた。満月は明日のはずだけど、月明かりはとても明るく感じられる。
2005年01月24日
年賀状のやりとりもずいぶん減ったが、年賀状だけの交流が長年続いている友もいる。そんな中には小学校時代の友人もいて、彼女たちとは三十年以上の付き合いになる。会ってみたいような、ちょっと怖いような気分になる。お年玉くじをようやくチェックしてみる。切手シートが二枚当たっていた。これさえ当たれば私としては満足である。切手収集を趣味にしていた小学校時代から、現在もずっと続けてこのシートだけは毎年手にしている。今も手元にある最初の一枚は昭和四十四年の酉年のもの、ということは、酉年は四回め、干支は四順目に入ったことになる。あれから三十六年…、いや、時の流れは恐ろしい。
2005年01月23日
通りかかった催事場で子供服のバーゲンが行われていた。子供服って幾らくらいするのだろう、最近はブランド物も多いのだなあと、ちょっと覗いてみる。ふふふ、私が着ている物より高価じゃない。これは男の子用なのかな、などと見ていてふと気づいた。子供服は身長を基準にしてサイズが示されていることが多い。10センチ刻みのサイズ110センチ、120センチ…と見ていたら、150センチというのを発見。えっ、私と同じ?と思った次の瞬間、なんと160センチというのが目に入り、絶句する。もちろん体型が違うから身長が同じでも、私が着られる物ではないけれど…。子供服って何歳までを対象としているのだろう。小学生くらいまでだろうと思うのだけど、そういえば、私よりも背の高い女の子がランドセルを背負っているのを見たことも少なからずあることを思い出す。皆大きくなったんだねえ。
2005年01月22日
久しぶりに週五日の勤務で、皆一週間が長かったという。確かにそんな感じがする。春先でもないのに、何だか眠気に襲われる。一時就寝、六時起床の五時間睡眠、慢性的に睡眠不足気味ではあるが、これが通常のパターンとなれば慣れもあって普段は何ともないのに…。そういえば、ここ三日間、布団に入ろうとした時間が一時十一分だった。一日目は「あ、一が揃ってる」という程度だったが、二日目は「ああ、今日も同じだ」と少し驚いた。そして三日目の昨夜(日付は今日に変わっていたのだけど)はまさか…とさすがに気味が悪いくらいに感じた、如何に自分の行動が定型化しているか、思い知らされる。さて、今夜は布団に入るのは何時になるだろうか。
2005年01月21日
大寒らしく、夜に入ってずいぶん冷えてきた。お正月にテレビを見ていて、若い人たちが思わぬ言葉に妙な反応をする理由がわかった。「~っていうじゃない」、「残念」、「間違いない」などがそれで、いわゆるお笑い芸人のネタになっているのだった。特に浮世離れした生活をしているわけでもないのに、そういう流行にすっかり疎くなっていることに気づく。それにしても、最近の芸人たちは、どうしてあんなに大きな声でがなりたてるのだろう。そして、それがウケる理由もよくわからない。う~ん、だんだん時代後れのおばさんになって来たのかな。
2005年01月20日
月曜は窓口当番、火曜はお昼休みの電話当番、そして今日は郵便当番と当番が続いた。仕事も毎日のノルマが非常に重くなっているのに…。今週はようやく折り返し点というところ、何だか長く感じるなあ。七時半で仕事を切り上げた帰りの東海道線が、鶴見を過ぎた辺りで緊急停止、踏切内で立ち往生している乗用車を発見したということで、びっくりした。信号機故障だとか人身事故だとかで、このところ通勤電車が遅れることが多い。朝はいわゆる着膨れラッシュで毎日のように二,三分遅れる。ダイヤ改正をしたほうがよいのではないかと思うくらいだ。
2005年01月19日
職場の若い人たちと非公式の新年会。仕事上ではあまり交流のないメンバーもいるのだけれど、同じ部署、同じ部屋で勤める者同士ということで交流を図るというので、参加することにした。わいわいがやがやとひたすら飲み食べ雑談。その内容から、ああ皆若いなあと世代の違いを感じる部分も多いけれど、よく笑わせてもらった。
2005年01月18日
阪神淡路大震災から十年になる。あの日、出勤前にテレビに飛び込んできた想像を絶する惨状に呆然としたことを覚えている。神戸、宝塚、西宮などに住んでいたことがあり、小学校時代の友人の中には被害を受けた人もいる。直後は防災グッズを揃えたりした人も多かったが、今はどうだろう。私の場合、今は使用期限が切れているものが結構ありそうだ。職場の防災用品もどこかにあったはずだが、どうしただろう。もう一度気を引き締めなければならない。あれから十年目の今日は、テレビや新聞などでも震災に関する報道が続いている。それでも、そんなものでは決して言い尽くすことのできない想いや悲しみが被災者の中にはあると思う。今も中越地震、スマトラ沖地震と大きな被害が出ている。今自分がなすべきことは何か、この日を機に少しじっくりと考えてみたい。
2005年01月17日
昨日の朝から胃の調子が悪い。流行のノロウイルスか、それとも風邪か、などとふざけていたけれど、なかなか元に戻らない。一日雨も降り続くので、今日は休養と割り切ることにして、散らかったままの部屋でゴロゴロしながら音楽など聴いて過ごす。少し転寝も…。日曜日の楽しみである新聞の読書欄を読んでいたら、林望先生が写真つきで登場していてちょっとうれしくなる。先日も『通販生活』で先生を見つけてはしゃいでいたのだけど。老眼が少し進んだのだろうか、。読書の能率が悪くなってきた。本を持つ手が身体からずいぶん離れていることに気づく。眼鏡を作り直す頃合いかも知れない。
2005年01月16日
大学入試センター試験が始まった。受験生の足元を悩ませないように、東京や横浜では予報と異なり雪ではなく雨になった。いよいよ受験シーズンの始まりである。私の現役の年にはまだ共通一次試験さえなかったのだけれど。お守りや験担ぎは今の世も盛んであるらしい。「パス」だの「勝つ」だのという音を名前の中に含んでいるお菓子などが新しいラッキーアイテムになっているという。意外なのは近所にある私鉄の駅の切符までが注目されていることだった。相模鉄道というローカルな私鉄の、しかも支線であるいずみ野線のゆめが丘という駅は私の家にも近い。この「ゆめが丘」と本線の「希望ヶ丘」という駅の間の切符がかなりのブームになっているらしい。先日新聞のローカル版で見たのだが、昨日はなんと今不祥事で何かと話題の公共放送の夜十時のニュースのあの鎌倉アナウンサーがレポートしていた。希望ヶ丘は実は私の出身高校があって(高校の名前もそのまま希望ヶ丘高校である)、三年も通った場所である。入学当時はゆめが丘どころかいずみ野線さえなかった。昭和五十年のことだから、ああなんともう三十年も昔のことになってしまった。
2005年01月15日
一週間ほど前、帰りに丸の内線の霞ヶ関駅への入り口に妙な貼り紙を見つけた。ちらりと見たら、公務員にアルバイトを紹介するという内容だった。地上から階段を七,八段降りた辺りの左壁面という微妙な位置、レポート用紙のような紙にボールペンで手書きのもので、連絡先の携帯電話番号が書かれている。無断でこっそりと、慌ててテープで貼り付けたという、いかにも怪しげな貼り紙である。年に一度の定期昇給制度が残っている現在でもこの六年ほどの間に年収は大幅に減っている。その穴埋めにアルバイトを…という甘~い囁きのつもりだろう。当たり前のことだけれど、公務員はアルバイトなどできない。国家公務員法に兼業禁止の定めがあるからだ。それならエッセイ集出版などしてよいのかと攻められそうだが、そこのところは自費出版と同じで初版の五百部を完売しても私の手元には一円も入らない。逆に造本の費用を負担しているわけで、全く商売にはならないのだ。
2005年01月14日
アレルギーが騒ぎ始める季節になって、薬も切れるのでかかりつけのドクター「マロ」の所へ行く。暮れの血液検査の結果も聞くが、コレステロールは大幅に改善していた。「マロ」によれば、「今月下旬ごろには花粉症でグジャグジャになるだろう」からとりあえず「3月まではアレルギー対策に集中する」ことになった。帰りに銀座で、年末から持ち越していた課題の靴をようやく買った。軽くて歩きやすいウォーキングシューズだ。ラッキーなことに一割引になっていた。待った甲斐があったというべきだろうか。これで再び足取り軽く、動き回るぞ。
2005年01月13日
年末年始に溜まってしまっていた仕事を片付けて、心置きなく定時退庁で、今年の初クリニックへ。今のところそれほど残業していたわけでもないし、風邪も何とか撃退してきたので、「まだあまりお疲れではないようですね」とドクターに言われる。そう肩凝りもまだ大したことはないし、見た目は、かなり元気に見えるだろうと思う。まあ特別具合が悪いわけでもない。「コエンザイムの効果ですかね」と聞かれて、そうかも知れないとは思いつつ、「ただこのごろ唾液腺まで活発になってしまって…」と気になる症状をつい口走ってしまう。「ええっ、本当ですか。また新しい症状が出ますね。」と半ば呆れられたかもしれない。しかし、事実なのである。耳の下から顎にかけて水が溜まるのを感じる。少し冷たくなるし、重みのようなものもあって違和感がある。そのせいで耳鳴りも頻発する。けれでも、気になる部分を手で軽く押さえると舌下腺あたりから唾液がピューッと勢いよく飛び出す。それだけのことだ。唾液だということもわかっているし、耳鳴りになれてしまうと、どうということもない。出してしまうと一時的にはすっきりするが、すぐにまた溜まってしまう。だから出したほうがいいのかどうかもよくわからない。ただ気になってくると無意識に手で首の辺りを押さえていて、唾液を押し出してしまうだけだ。口を開けていると、唾液は外へ飛び出して一瞬だが見事な放物線を描く。毒蛇の口を無理矢理に開かせ、毒牙をビーカーの縁にかけて顎の辺りを押さえつけて毒を吐かせる、いつかテレビでみたあの光景にそっくりだ。
2005年01月12日
雲がなくきれいな星空が見える。その分非常に寒い。早くも鏡開き、我が家ではお汁粉で鏡餅の一部を口にする。こんなに寒い夜(夜というのはちょっとダイエットの観点からは問題だけど)には温かいお汁粉はとっても美味しい。お正月行事はこれで一応終わりで、あとは年賀はがきのお年玉くじが待ち遠しいくらいだろうか。高校生たちが戻って来て通勤電車の混雑も激しくなった。仕事もいよいよ忙しくなってきたぞ。
2005年01月11日
昨夜から偏頭痛に悩まされている。頭の左側が鼻の奥か、左目の奥というような所がズキズキと痛む。熱は特に出ていないが喉にも違和感が生じてきているので、風邪かもしれない。頭を使う作業には集中できないので、身体を使うことにして雑誌の整理を続ける。積み上げてみると高さ50センチ分くらいの雑誌を処分することになったが、それだけでずいぶん疲れを感じている。しかし、それでも家の中があまり片付いた気がしないのは何故だろう。
2005年01月10日
三連休中日。掃除などを少しずつする。昨日届かなかったので、休み明けだろうと思っていたエッセイ集のカバーイラストのラフが夜になって届いた。先ほどからその七点をベッドの上に並べて眺めているのだけれど…。年末にもらったものがピンと来ないので、改めて提示してもらったのだけれど、あまり変わり映えがしなかったのでがっかり。自分のあのエッセイ集のカバーのイラストが何故こういうイラストになるのか全く私にはわからない。抽象画ということも困惑の原因である。センスがないのかほとんど何が描かれているのかが理解できない。しかし、今回は結局これが限界ということか。明日までにこの中から一点を選ばなければならない。ああそれにしてもどうしよう。
2005年01月09日
三連休スタート。お正月の休暇よりも解放感が強いような気がする。土曜日定例のプログラムに戻り、ショッピングにも歩く。文具を少し購入し、また本や衣類も見て歩いたがこちらはもう一つ気に入ったものが見つからなかった。部屋の片付けのために収納ボックスを買おうかと思うが、部屋の空きスペースや整理状況のイメージがまだ固まっていないので今日は下見のみ。明日からの二日間は、年末年始にやり残したことにじっくりと取り組みたいと思う。ホームページも新年バージョンにしたいのだけれど…。
2005年01月08日
早くも七草。日々忙しさ増すが、まだ松の内、残業は七時半までで打ち切る。帰りの電車の中で、携帯電話片手にレポート用紙に何やら一所懸命書いている坊主頭の男性がいたので気になってつい覗いてしまう。そこには「売上目標」というタイトルが見えた。その下にはさらに「新規開拓 ○○件」などといった記載が続き、携帯電話の計算機機能を使って具体的な売り上げの計算をしているのだった。営業マンだろうか。会社に提出するのだろうか。彼にとって、新しい一年がまた始まったのだな、と感じて、既にすっかり変わりばえのしない日常に戻りつつある自分を少しだけ反省する。
2005年01月07日
楽天生活500日め。日中非常に寒かった。足元からしんしんと冷え込む感じだった。日々の気温の上がり下がりが激しく、風邪も流行りつつある。学生たちがまだ休みなので、朝のラッシュは少しは楽だけれど、世の中は少しずつ本格始動している感じで、今日などは電話が急激に増えて、ますます忙しくなってきた。明日一日頑張ればまた三連休だ、と何とか態勢を立て直す。しかし、仕事に戻って三日、不規則な生活の影響は顕著で、早めの夕食、きちんとした睡眠でお正月にせっかく減っていた体重が、既にしっかりと元に戻ってしまった。う~ん、どうしよう。
2005年01月06日
お昼休みに虎ノ門まで足を伸ばして、ビルの谷間にある金毘羅神社に初詣をした。場所柄、ビジネスマンやOLの初詣が多い。今年は良い年にしたいと、「苦しいときの神頼み」で、十日までの期間限定のお守りを受ける。「今年の恵方は西です。ですから東に祀ってください。」と言われる。「えっ、東に祀るんですか?」「そうです。西の方へ向けて、東側に祀ってください」と教えられてようやく納得する。やはり人気の御神籤も引いてみる。「八」番を引いて「末広がり」と喜んだら、そのとおり「大吉」であった。「こいつぁ春から縁起がいいわいなあ」
2005年01月05日
御用始め、通常通りの通勤電車はずいぶん空いていて、東海道線も座ることができた。今の職場は休み明けに仕事が集中する。もともとなかったお正月気分など微塵も感じない。それでも、相手先はまだ始動していないところも多いのか、電話が通じないところも多く、能率は今ひとつ上がらない。昼休みも電話当番で春のような陽気にもかかわらず、散歩もできなかった。きりがないので残業は七時までで打ち切る。帰りに寄った書店で、三歳くらいの男の子に年配の男性店員二人が付き添って歩いているのに出会う。妙な光景だと不審に思ってみていると、迷子らしいことがすぐにわかった。既に相当時間が経っているようだったが保護者は一向に現れないらしい。本人は特に寂しがる様子もなく、店内を彼方此方歩き回って機嫌よく遊んでいる。名前も歳も答えられない。というよりも、大人たちの問いかけに全く反応しない。全くコミュニケーションがとれない。姪も同じくらいの年頃ではあるが、何かに夢中になっていてもここまで無反応ではないので、少々驚く。事件も多いこのご時世に、親は何をしているのかと腹が立つ。
2005年01月04日
駅伝のお陰で早起きしてしまう。初夢も特に覚えていない。今年は「寝正月」などということなく過ごした。何だか慌ただしいといえなくもないけれど。正月休み最後の一日を百人一首を眺めて過ごす。私の「お宝」というべきものが、十年ほど前に購入した「光琳かるた」の複製版である。最近も売られていたようだけれども、それとは製作会社などが異なる。社会人となってまもなく近所の書店で見て欲しいと思ったものの、あまりの高値に買わずにいたものを、十年ぶりくらいに「再会」したのを機にローンで購入してしまったものである。裏面は金箔が貼られていて、今日などでも手にすると体温で結露が生じる。もちろん取って遊んだりはせず、毎年お正月に毛氈または袱紗の上に広げて何枚か手に取って眺めて、ひとりでニヤニヤしているのである。くずし字も少しは読めるようになっていて(歌を覚えているから見当がつきやすいこともあった)、さらにニヤついてしまう。明日は御用始め、否応なく現実に引き戻される。その前に今夜はもう少し書物の世界に遊ぼうかと思う。
2005年01月03日
下の弟の一家と一年ぶりに一家そろって横浜で会食をする予定で、車椅子の父も連れて十時前には家を出る。ところが、姪が体調を崩したとのことで、予定はドタキャンとなる。仕方なく横浜で早めの昼食を済ませて、仕事に戻る上の弟と別れてそのまま帰宅する。帰宅の途中、丹沢の山並みがとてもきれいに見えていたので父を連れて少し遠回りしてめでたく富士山を仰いで散歩をする。帰宅後は、母校の活躍が気になり、箱根駅伝をテレビ観戦。またもや一区で出遅れたわが母校中央大学が六位にまで順位を上げたのにほっとする。今年は何だか自分の中でお正月気分が足りないので、線香などたいて気分を高め、かな書きの書初めなどしてみる。休暇もあっという間で明日一日で終わってしまう。やりたいことはたくさんあったのに、何分の一もできていない。目標だった『平家物語』の通読も始まったばかりで、まだまだリズムに乗らない。ま、いずれも気長に取り組んで行くこと、結果を焦って求めない、それを今年の目標にしよう。
2005年01月02日
穏やかな晴天、しかし気温の低い新年の始まりだった。午後からは雲が増え、寒さが厳しくなったように感じた。日当たりの悪い私の部屋のキッチンでは中性洗剤が凍ったようになってしまった。家族でのんびりと新年を祝う。今年は穏やかな年であって欲しいと、ひたすら願う。これからの時間は少し読書をするつもり。
2005年01月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1