■□ふわふわ♪(車椅子の女の子のページ)

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三つ子妊娠。双子出産


たぁ~ちゃん&あぁ~ちゃん の場合

不妊治療の末 に...

なぁ~ちゃんを出産後2年空けてもう二人目と考えていたので
再び治療を開始しました。

子供を連れての治療はとても大変でした。
待合室で飽きて泣かれたり、
時には内診もあるし...
看護婦さんに沢山助けてもらいながらの治療でした。

出産後そんなに時間が経っていなかったのが良かったのか
なぁ~ちゃんの時のように数年もの治療はしなくて済みました。

前回の体外受精はせずに済みました。

が。。。

な。なんと三つ子妊娠が発覚 しました。
ちょうどなぁ~ちゃんが肺炎と大腸炎で入院している時に...
それはなぁ~ちゃん1歳9ヶ月になろうとしているときでした。

三つ子妊娠.. .
とっても悩みました。
出来ることなら産みたい...でも、なぁ~ちゃんの時にも
双子だったにも関わらずアクシデントで一人亡くしてるし
三つ子を私の体では育てきれないのでは無いかと言うDrの不安。
私はとても痩せているのです。159センチ40キロ
病院のDrは、
多胎減退手術 と言う選択もあると

長野県の
諏訪クリニック
http://www.smc.or.jp/
の根津Drのお話を聞かされました。
多胎減退手術は、三つ子の場合一子の心臓に直接
針を刺し、塩化カリウムを注入するとの事
でした。
胎児の心音が消えるまで見つめるDrの心を辛いと思いました。

そのお話を家の人と聞いた時に
どうしても踏み切れず
三つ子を頑張って産んで育てよう と決めました。

それからしばらくは姫状態の生活が始りましたが
さすがに三つ子つわりも3倍??(笑)
悪阻となって現れ頑張って栄養摂ったりしたんですが
4ヶ月のときに
一子の心音が弱り亡くなってしまいました。

とても辛く悲しい出来事です。
私が減退手術の説明なんか受けたから...
赤ちゃんが...と自分を責めてしまいました。
なぁ~ちゃんと同じ様に胎児はそのまま残しました。
今回は、私の精神的なショックを考えると
記録を残すということは良くないと思ったらしく
ビデオでの記録は撮っていただけませんでした。

残りの2子も弱っていたので、外に出すと引きずられると言う事でした。
エコー検査が終わるたびに
トイレに入って泣いていました。

ずぅ~っと入院生活を強いられました。
トイレ以外はベッドから降りてはいけません!
お腹には
双子なので2つのモニター がついてます。
ウテメリンもバシバシ点滴で入ってます。
ついでに自然分娩はリスクが大きいとのことで
帝王切開のために貧血気味の私は造血剤もたっぷりっと

そんな中
まだまだママの恋しい年頃のなぁ~ちゃんは
他県に住んでいるおば~ちゃんのお家に一人でお泊りに行ってもらいました。
たまに面会に来ても、
『ママ、がんばってね。(^_^)/~~バイバーイ!』
っと、
泣くことも無くそそくさと帰ってしまう のです。
なんか
拍子抜けの私 でしたが
後から聞くと、ママに心配掛けまいとスッゴク我慢していたそうです。
帰りの道でおばぁ~ちゃんに抱っこされ声を出して泣いていたんですって
子供ってすごいなぁ~って思いました。
自分が泣いてママを恋しがると
ママも悲しいし、おばぁちゃんにも申し訳ない

そんな風に考えていたのでしょうね。
未だになぁ~ちゃんは、相手の身になって物事を
考えた事の出来る子です。
たまに、それで悲しい思いもしてるみたいだけど
人に嫌味をするよりは私は良いと思っています。

そんなこんなで寂しい寂しい入院生活を過ごしていました。
家の人は毎日病院に顔を出してくれ居ました。
これも大変な事ですよね。
自分で家のことをして、仕事に出かけて
帰りに私の病院に来る...
とてもありがたく思いました。

ところが、
7ヶ月に入った時
私のお腹に
異変 が...
お腹の張りが酷くてモニターも山山山が沢山出来てました。
山が出来るということは
お腹が張ってしまっているということ
胎児にとってもママにとっても辛いんです。

直ぐに内診をされて
『胎児の足が出ている』 と言われました。
『ん?』ピンとこない私はぽけぇ~~~
それから病院では、大騒ぎになりました。

直ぐに
家族が呼ばれ説明
実母は看護婦なので事の重大さが良くわかったらしく
Drと色々話してました。
結果NICUのある病院に転送という事になりました。


文字数が多いのでつづきは・・・
下のページです。





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