ことば 0
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昨日に引き続き、トーマス・マンの作品を。「ヴェニスに死す」は「トニオ・クレーゲル」と同じ文庫に収録されています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・美しい話だった…。「ヴェニスに死す」は映画にもなっているし、バレエにもなっている(ノイマイヤー)。だから読みながら、私の頭の中ではマーラーの、哀愁とクライマックスが織りなす音楽が何度もリフレインし、閑散として光輝く白い砂浜とリクライニングのベンチとがイメージされてはいたが、文章は、どんな映像より、どんな音楽より雄弁に「グスタフ・アシェンバハ」という老作家の心の高揚を鮮やかに描いていた。そして私は思い出していた。初めて熊川哲也のバレエを生で見たときの感動を。それを小説にしたいという、大それた、でもそうせずにはいられないほどの衝動を。気がつくと、ノートに文字が連ねられていったあの濃密な時間を。文字にしながら、自分の中にある跳躍のイメージをこの白いノートに閉じ込めようと、完全な形、自分が観たままの形で固着させたいと願った、あの気持ちを。あるいは、何度も劇場に通いながら、手を伸ばせばそこに彼がいるけれど、触れてはいけない、そして絶対に触れることのできない結界が、舞台と客席の間にはある、と思ったあの日を。トーマス・マンがこの「ヴェニスに死す」を書いたのは、37歳。私が熊川を初めて生で見たのは、35歳の時だった。アシェンバハは50歳である。私も、今、50歳。一見、この話は老醜を抱えた男が、若くて美しい少年ダジウにこがれる話と映るかもしれない。でも、トーマス・マンははっきり書いている。若々しく完璧な肉体には、…なんという精妙な思想が表現されていることだろうか。目に見えぬところで働きつつ、この神のごとき人間像を創造しえた厳粛にして清純な意志―この意志は芸術家たるアシェンバハにとっては既知の、馴染のものではなかっただろうか。冷ややかな情熱をたたえながら、言語という大理石の大塊から、精神が眺め見たものを、精神的な美の塑像として鏡として人間たちに示し見せる、そのしなやかな形を創りだすとき、この意志はまた彼の内部にも働いていなかっただろうか。アシェンバハは、タジウの中に神を見たのである。その神は、自分の中にも宿っていた。自分にないものに惹かれたのではない。自分と「同じ」神の申し子だからこそ惹かれた。ひと言も言葉を交わすことなく、ただみつめるだけのひと夏の逢瀬。そこから紡ぎだされた人生最後にして最高の散文。これは、一人の作家が憧れた、究極の天国への階段の物語。ものかきとしては、ぜひ「その瞬間」にあやかりたいものである。何度も、何度でも読みたい美文でした。チョー、おすすめです。しかし、ヴェニスという街は、一体どんだけの人々を骨抜きにしたのでしょうか?水没する前に、絶対一度は行って見なければ、と思いました。
2008.06.03
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トーマス・マンに挑戦の第一号は「トニオ・クレーゲル」でした。ドイツの男子校。金髪の美少年と、彼を慕う南国の血を持った黒髪の少年。えーっ??これって「トーマの心臓」?これがフランスだったら、「風と木の詩」?…というわけで、私は本を読むのだけれど、出てくるイメージはハンスとトニオというよりも、トーマとユーリだったり、あるいはジルベールとセルジュだったり。もちろん、内容は違います。設定や雰囲気が似てるというだけです。マンはいろいろな人に影響を及ぼしているんですね。読み終わった感想としては、厳格で名家の出であるドイツ人の父親と、芸術の香り高く情熱的な南国の出の母親を持ってドイツに住む少年トニオ・クレーゲルの、2つに引き裂かれたアイデンティティとコンプレックスの大きさを感じました。自分は「緑の馬車に乗ったジプシーなんかじゃない」と何度も繰り返していうところ、好きになる人は、みな金髪・碧眼であること、奔放に生きれば生きるほど、どこか居心地が悪くなってしまうところ、かつて自分の住んでいた邸宅に13年ぶりに足を踏み入れた時の、懐かしさより虚しさと哀しさが押し寄せるような、それでいて静かな描写…。遠くから大好きなハンスやインゲの華やかさをみつめる苦しさは、きっとたくさんの人たちの心をつかんだことでしょう。それにしても。少年時代と13年後という、2つの時代が非常に鮮やかに魅力的に描かれているのに対し、その間にある「芸術談義」の、何とかたくるしいことか!読む人が読めば、非常に高尚なのかもしれません。でも、これは小説ではなく、もう演説に近かった。所々、なるほど、と思う記述はありましたが、申し訳ない、ほぼナナメ読みでございます。ゲージツ家の特権意識がフンプンといたしまして、ちょっと受けつけなかったなー。それが「コンプレックス」の裏返しだったとしても。たくさんの人が「青春の書」として記憶にとどめている一冊。きっと私は読む年齢を逸してしまったのかもしれません。まだ読んでない人、早く読みましょう!短いですから、大丈夫ですよ~。
2008.06.02
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戦争と平和愛のメッセージ先月「黒蜥蜴」を観に行ったとき、ロビーで売っていた美輪明宏自筆サイン本としてこの「戦争と平和愛のメッセージ」を買いました。美輪さんは、今、霊がどうのとか、そういう分野で随分人の気持ちをつかんでいるし、人気もものすごいものがあります。もう70歳を越しているというのに、そして男性でありながら、女性として「美しい」(それも「見た目が」)、と評される人はそうそういません。ただ、彼が今、誰にもマネできない存在感を放っているその源を、知らずに好きになっている人も多いように思います。そういう若い人に、私はこの本を読んでほしいな、と思うのです。彼は人生の様々な局面で、マイノリティでした。軍人が幅を利かせている時代に絵だの文学だの、と「男のくせに軟弱な」趣味をもっていたし、長崎では、原爆に遭っていたり。「ゲイ」などという言葉が日本になかった時代に、女装していたり化粧していたり。それでもてはやされたら、今度は男装に戻ったり。時代を迎合することなく、自分の価値観・芸術観をしっかりもって、ひるむことなく胸を張って自分らしく生きてきたその70年をひっさげて、今があります。たとえ時代の寵児となっても、彼の頭の中は、どこか冴え冴えとしておそろしいくらいです。70年の間の日本の変わりようをつぶさに体験していることからくるシニカルな分析力。ただ、彼はそうしたものをこむずかしく訴えたりはしません。私たちの感性に訴えかけてくるのです。この「戦争と平和愛のメッセージ」は、本というよりは美輪さんの「語りかけ」です。やさしく、静かに、でもしっかりと、その言葉は響きます。「戦争とは、あなたの愛する人が死ぬということです」ここから始まる、美輪さんのお話。自分が経験した戦争の時代の現実、戦後の日本が選んだ道、そしてこれからだって繰り返すかもしれない悪夢を見ないために、私たちは何を、どのようにみつめていけばいいのか。こぢんまりした本ですが、立派な政治家や評論家が話すレベルのことが、とてもわかりやすく書いてあります。心に響きます。もしどこかでこの本と出会ったら、とにかく1ページ読んでみてください。社会を見る目が、ちょっと変わるかもしれません。
2008.05.16
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ルポ貧困大国アメリカ「アメリカ人って、貧しい人ほど太ってない?」「そうそう、あんなに食べるものあるのに、どーして貧乏っていうことになるの?」そんな会話、したことありませんか?貧しい人は、フードスタンプというのがあって、それで買い物に行くと、どうしても安くてカロリーの高いものを買うしかないのだそうです。たとえば、「マカロニ&チーズ」(1$50)「ミニッツライス」(99c)などなど。野菜や果物を買うのは大変。それに、貧しい人たちは、調理器具自体をもってないこともあるというのにはビックリ。…そんな話から入っていくのが、この「ルポ貧困大国アメリカ」です。映画「シッコ」で大々的に紹介された、アメリカの医療制度のことも。堅実な生活を送っていた中流家庭のアメリカ人が、一度病気になってしまったことをきっかけに数百万の借金をかかえるようになり、ホームレスにまでなってしまう。「無保険」でなく、毎月高い保険料を払っていたにも拘わらず、「その病院は指定じゃない」「その病気は支払の対象じゃない」などなど、ナンクセつけられて払ってもらえないからくり。医療費は高くなっているけど、医療の従事者が潤うわけではなく、重労働にどんどんやめていく。すると、残った医師や看護婦はなおさら重労働に。…なんだか、今の日本の話を聞いているよう…。生活に不可欠なものまで民営化してしまったことで、大半のアメリカ人がどんなに苦しんでいるかがわかります。「アメリカ人」と一口にいっても、3種類いる。「大金持ち」と「どんどん貧しくなっていく市民」と「市民権を持っていない人」。市民権をもっていないひとたちは、永住権をもっていても、ものすごく安く使われる。そして、危ない仕事につくしかない。たとえば、軍隊。たとえば、イラクへの派遣。「戦争まで民営化してしまった」という話には、身も凍る。「警備員」として民間に雇われた人については、拷問など虐待を重ねても「兵隊」ではないから、ジュネーブ協定違反に問われないんだって!そういう「警備員」や「トラック運転手」たちは、イラクでどんなに命を落としても「イラク人死者」にも「アメリカ兵死者」にも数えられない。万一イラクで死んだ場合は、遺体は火葬、遺骨はアメリカには戻さないという契約だという。読んでいて、ああ、この世は一握りの金持ちと、あとは奴隷の世の中になってしまったのか、と思った。「奴隷」がおかしければ「二級市民」。生きるためなら何でもする。そうしなければ生きていけない、という人たちがどんどん増えている。読んでいて、暗澹たる気持ちになった。「民営化」の行き着く先だ。たくさん儲ける一握りの人と、貧乏になっていくたくさんの人と。おそろしい。
2008.05.10
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紋章が語るヨーロッパ史ヨーロッパの歴史を語る上で、図像学というのは欠かせない。ただの裸婦像だと思っていたら、アダムとイヴのイヴを重ね合わせていたり、つけたしのようにそこにいる羊は、単なるペットじゃなくて「犠牲」を表していたり・・・。そのことを深く深く感じたのは、放送大学で若桑みどりさんの「イメージの歴史」の講義を聴いたときでした。ですから、「紋章が語るヨーロッパ史」という本を本屋さんで見つけたとき、すぐさま買ってしまいました。私の知らない「図像の意味」をおしえてくれる気がして!その日から半年以上が過ぎてしまいましたが(笑)、読み始めたら、あっという間に読み終わってしまった!とてもわかりやすく、面白い本でした。「紋章」が、中世の騎士の盾の形だった、というのは、ナルホド、の一つでしたが、「ワッペン」という言葉が「武器」を表す言葉だったというのは驚き。「トーナメント」という言葉も、何げなくスポーツで使っているけれど、もともと、中世騎士の団体騎馬戦みたいなものを「トーナメント」と言ったらしい。こういうのって、今と昔がつながってるって思いませんか?そうそう、「バナー」っていうのも、中世と関係があるんです。日本でも、武士が掲げていた幟(のぼり)のようなもの。長方形ののぼり旗を、「バナー」と呼んでいたとか。今やネット広告だもんね。ヨーロッパの紋章は「個人」にあるもので、そこが日本の「家紋」とちょっと違う。紋章をそのまま引き継げるのは長男だけで、あとは色を変えたり模様をちょっと変えたり。どんどん複雑になっていって、それで廃れていった部分もあるといいます。それにしても、半分ずつちがう模様とか、四分の一ずつちがう模様とか、好きにデザインしてたわけじゃないんですねー。いろいろルールがあって、「紋章官」とか「紋章院」など管理するところもあって、ビックリです。一つだけ、今までカンチガイしていたかも、と思ったことがありました。第二次世界大戦で敗戦国となった日本とドイツ。ドイツはナチが使っていた「ハーケン・クロイツ(鉤十字)」の旗を捨てて、国旗を新しくしたけれど、日本は戦中と同じ日の丸を使っている。そのことで、「ドイツは精算したけど、日本はまだひきずっている」と評する向きがありました。でも。ドイツは「鉤十字」は捨てたけど、実は、「神聖ローマ帝国」のシンボルとして長く紋章に使ってきた「鷲」はナチの前も、ナチの時代も、そして今も、ずっと使い続けているのです。ドイツの国旗の黒・赤・金(黄色は金の代用)も、昔むかしから使われている色だそうです。民族のアイデンティティを背負った図像というものは、ある意味政治形態より長く生きながらえるのかもしれません。
2008.04.22
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ブロガー仲間としてお知り合いになったコニコさんに誘われて、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読む読書会に参加しました!カラマーゾフの兄弟(1)前にもちょっと書いたけど、読書会は大学生の時に参加したことがあります。でも、その時は1回1冊で、どんどんテーマもジャンルも違う本になるので、今回のように、「長編1作品を半年かけて読む」といった読書会は初めて。第一回目の今日は、今回新訳を発行した亀山郁夫さんが「カラマーゾフの兄弟」について語ったTV番組をみんなで見て、その番組の感想と、「自分はなぜ『カラマーゾフの兄弟』を読もうと思ったか」を語る、という趣向。参加者は7人、時間は2時間、そのうちDVDに録画してきてくれたTV番組を見るのが1時間。私のように今日初めて参加する人のために簡単な自己紹介もあり。これをしっかりまわした主催者のコニコさんのコントロールのよさが、光りました。私が経験した読書会は脱線、脱線、また脱線、昼の1時ごろから始まって、えんえん夜の7時ごろまで、ずーっとしゃべり続ける、という形のものだったもんで。特にスゴイ!と思ったのは、会場を借りている関係で「あと10分」となった時。「それではせっかくですから、最初の『著書より』という序文だけでも読んでおきましょう。 ここをみんなで読んでおくことで、本文への勢いになると思う。 順番に、声を出して読んでいきます。句点(。)まで行ったら、次の人ね。 声を出して読むって、とても大切なこと」自分は何度も読んだことがあるコニコさんですが、まだ途中までしか読んでいない人や、“今日、買いました”の私(赤面)でも、気軽に「カラマーゾフ」の世界に入れるように、一回目は「テレビ」を駆使してお膳立てしてくれたのです。そして、最後はちゃんと「読む」につなげてくれている。「著者より」には、「カラマーゾフ」への興味をそそる鍵がいくつかあって、テレビ番組を見ているだけに、それらの鍵がとても具体的にイメージでき、その上、「もう読んでいる」人たちからの感想なども披露され、どんどんと「読むぞ~!」の意欲がフツフツと!感謝、感謝。コニコさんは、この読書会のほかにも、英語の原典で読む読書会とか、いくつかやっているとのこと。司会の能力も高いけど、人を誘って仲間作りをする力もあって、私は心底感服しました。来月は、第2編まで(第1巻の3分の2くらい)読んでくるのが宿題です。物語の前半は、まだ「役者が揃」わないことや、エピソードの関連性がわかりづらく、読むのに苦労することが多いようなのですが、「みんなで読んでいる」と思うと、ちょっと馬力、入ります。なんとか読破に向けてがんばりまーす!
2008.04.10
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昨年秋から関わってきた「リビングBOOK大賞」も、とうとう受賞作品が決定、昨日、東京・日比谷の東京會舘で贈賞式がありました。【ベストセラーの予感!の本】部門金賞:「おひとりさまの老後」銀賞:「中国の危ない食品」銅賞:「うちの3姉妹」【主婦力をあげてくれた本】部門金賞:「ごちそうさまが、ききたくて。」銀賞:「女性の品格」銅賞:「3日で運がよくなる「そうじ力」」【夫に読んでもらいたい本】部門金賞:「夫は「気くばり」で9割うまくいく」銀賞:「今から始める男の料理」銅賞:「忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス」他の入賞作品も含め、本の出版に関わる方々が多く出席されて、華やいだ贈賞式となりました。ハイライトは「ごちそうさまがききたくて。」の栗原ひろみさんの登場時。15年前からロングセラーを続けるこの本ですが、「私が仕事をするかどうか迷っていたときで、 この本が売れたら仕事としてやっていけるのではないか、と思って書いた本なので、 とても思い出深いです」というコメントがとっても心にしみました。「ベストセラーの予感!」部門の選考では3月の時点で「盛り」がすぎていたらどうしよう、とか、いろいろ苦しみながらの選考でしたが、フタをあけてみると、「おひとり様の老後」は75万部、ちょうど贈賞式の前日は「徹子の部屋」に作者の上野千鶴子さんが出演したこともあり、またまた売上に火がついた、ということでしたし、「うちの3姉妹」も100万部突破、春からアニメの放映も始まって、「200万部をめざす」勢いとか。よかったー!「中国の危ない食品」を出版した草思社は、現在民事再生申請中という厳しい状況の中、副編集長が出席。「この受賞を励みにがんばります。 ベストセラーの“予感”を本当の“ベストセラー”にします!」と決意と意気込みを語ってくれました。意義ある、良心的な出版を続けてきた老舗の草思社の危機は、出版に携わる人々に衝撃を与えています。長引く出版不況の中、危機にあるのは草思社ばかりではありません。それでも「本を出すぞ~!」という情熱の人々が一同に集まった感があり、とても勇気付けられました。第2回リビングBOOK大賞の選考と並行して行われた「ミセスの読書と書籍購入調査」では、ミセスがとっても本を読んでいることがわかりました。活字の仕事をしているから本を読んでいるかといったらけっこう本を読む時間がないのが、多忙な業界人の現状。ミセスの方が、ずっと本を読んでいるのではないか?・・・これが、この調査や選考を通して、たくさんの人々が感じたことだったようです。「子どもの本ではなくて、自分のための本を読んでいるか?」という観点からの調査でわかったことは、図書館をうまく利用しているミセスが多いということ。ではそんな中、「どんな本は買いたいのか?」というと、「何度も繰り返し読みたい」本「気に入った著者や内容」の本という結果が出ました。「手元におきたい」という本への愛情が生れるかどうかが本を「買う」という行動に結びつくんだということがわかりました。安ければ買うだろう、とか、そういうことではないんですね。本は人生の友。それは、今も昔も変わりません。最後に鹿間孝一さんがあいさつの中で「今回選ばれた作品は、決して“2007年”を代表するものではないです。 15年前に出版された栗原さんの作品がそのいい例です。 いつの時代に選ばれてもおかしくない、 いわば主婦の『古典』を認知させていく、 この『リビングBOOK大賞』には、そんな役割もあるのではないかと思います」と結んだ言葉が、とても新鮮でした。前にも書きましたが、この「BOOK大賞」応援隊に選ばれて、一層本を読む機会を得、本の魅力を再認識し、そして本好きなブロガーさんたちと出会い、いいことずくめの半年間でした。最後に贈賞プレゼンターまでやることになるとは思いもかけず、いろいろ経験できて、面白かったです!*贈賞式のもようは、BSフジで放映される予定らしいです。
2008.03.20
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おひとりさまの老後人生80年は当たり前、平均寿命は男より女の方が長いんだし、ということは、結婚していようがいまいが、誰でも最後はひとり。だから、女はみーんな「おひとりさまの老後」を迎えるんですよー、今「おふたりさま」の生活をしている人たちも、これからのことは、「おひとりさま」生活のエキスパートであるアタシに聞きなさい!・・・というのが、この本の趣旨であります。特に結婚して子どもを育てて夫が先に逝ってしまった人の場合、「おひとりさま」といっても「子ども」はいるわけで、ここがややこしい。「いっしょに住もう」という「悪魔のささやき」とどう戦うか、その精神性・独立性を説く本でもあります。「子どものいない人に、そんな話してほしくないワ!」というアナタ、上野さん、子どもはいないが親はいる。自分と親との関係をそのままひっくり返して、「親と子のカンチガイ」をやめさせようとしているのです。特に延命治療などに関して「もっと面倒を看たい」は看る方のエゴだ、死にゆく方の勝手で死なせろ、というくだりとか、介護「する」やり方はずい分論じられるようになったけど、介護「される」ノウハウ(自分の意志をうまく伝えるための技術)は、あまり語られていない、などというところはなるほどなー、と思いました。あと「ひとりでおさみしいでしょう」のウソ。「ロンリネス」と「ソリチュード」とは違うのよ、と。一人だってさみしくない生活。自分の主体性を生かせる生活。それには・・・おカネがいるのです、というのが結論なのであります。彼女が「そんなに要らない」という事例を読みながら、「それだけあったらいいよなー」と思う私は、ビンボーすぎなの?持ち家があって、年金があって、夫の残した退職金があって、そんなユメの老後は、私たちにはあてはまらないんじゃーないかしらん。「精神性」のおハナシにはなるほど、と思うところが多かったけれど、「こうすればユメのおひとりさま老後」プランは、絵に描いたモチっぽいところが多かった。何のかんのいっても、彼女の周りにはシアワセなおひとり様が多いのではないでしょうか。
2008.03.19
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中国の危ない食品これは日本人が書いた本ではなく、中国の人が書いたものです。著者の周さんは、食品や食物のエキスパートでもなんでもありませんが、「自分の親族や知人にどんどん病人が増えた」ことがきっかけでいろいろと学び、調べ、そしてこの本を書いたといいます。いわゆる「ギョーザ事件」より前に出た本です。「ダンボール肉まん」や「冷凍ホウレンソウ」の事件のことは載っています。日本で報道される事件ばかりでなく、中国の「食」は、私たちが想像するよりずっと深刻な状態にあるようです。いわゆる「ギョーザ事件」では今、そのあまりの毒物混入の量の多さから「意図的に入れたとしか思えない」という意見に傾きつつありますが、(そして私は専門家でも何でもありませんが)この本を読んでいると、私たちが思う「添加物の入れ方」という常識を超えた世界があるとしか思えません。「こんなことしていたら、生態系に影響どころじゃなくて、 中国人が滅亡しちゃうんじゃないの??」現に、子宮や卵巣・精子といった「産む」に関連する臓器の異常が急増しています。いくら人口が多い中国といっても、こういうダメージは重大問題なのではないでしょうか。日本でも、環境ホルモンとか、同様のことが叫ばれた時期があります。きっと今だって、全面解決はしていないだろうけれど、ここまで野放図になることはありません。その違いは、どこにあるのでしょうか?私は、「情報公開がされていないから」だと思っていました。国民に、これらの薬品の危険性が十分に伝わっていないから「知らずに」使っているのではないか。被害も「知らない」から、「やめよう」と思うきっかけがないのではないか?しかし問題はそれだけではないようです。著者の周さんは、中国がずっとひきずってきた「専制」という政治体系に問題があるといいます。「お上のいうまま」に動くしか、生きる道がなかった国民。その中に生れてしまった「絶望」という観点から説明するのです。曰く、―今日の中国の「有毒食品」騒ぎは、 「民主的な法制に欠けた経済改革による果てしない民族の災難」にある。―一党専制下の私有制を実施しながら、政治体制の改革を先延ばしにしている状態は、 実際的には「独裁統治と私有制が並列していた封建時代に逆戻りしたのと変わりない。―この種の腐敗が上から下へ、社会の各種業界に浸透し、 疫病のように中国の空気を毒し、道徳を喪失させ、事の是非がわからないようになっている。 人々は悪いことをするのに恥じることなく、 むしろ悪いことをして金を儲ける才覚とチャンスに恵まれないことを恨む。―中国人は貧富、(思想の)右左、善悪、正邪の号令をされるたびに、 全員がその号令に従って動き、その結果、 人間としての「個」(根っこ)を失ってしまった。 そして結局、 中国人は誰をも信じず、社会を信じず、国を信じず、明日を信じず、の状態なのだ。「明日を信じず」という言葉に、真実があるのではないでしょうか。たとえばもっとも光り輝いている青春時代にありながら、少女売春などを繰り返す女の子たちがいます。「もっと自分を大切にしなさい」などとお説教をしても、彼女たちには通じません。だって、「大切にする」ような自分を感じたことがないのだから。自分に「未来」など、あると思えないから。だから刹那的な行動に走るのです。コロンバイン高校の事件から引きも切らず起こる、アメリカの学校での銃乱射事件。自らも自殺する犯人たちも同じです。どうせ自分は死ぬのです。だから周りのことなど、どうでもいいのです。イラクでは、女性の自爆テロが増えているといいます。チャドルの下に爆薬を抱きやすい、というのも一因だけれど、今の社会の中に、女性が希望をもって生きられないというのがもっとも大きいという報道がありました。周さんは書きます。「たとえどのような悪質な事件がおころうが、人々の反応は、 まず驚き、次に怒り、しかし仕方ないと考え、ついに無感覚と絶望感へと転化していく。 …想像していただきたい。 無感覚と絶望に左右される一つの社会集団の、その出口、その未来が どのようなものになるのかを」最後に、この本の中で引用されていたカール・マルクスの言葉を。「適当な利潤があれば資本(投資)は大胆になる。 資本は、10%の利潤があれば、いたるところで投資される。 20%なら暗躍してくる、 50%なら危険を冒す、 100%になると一切の法律を無視する、 300%となれば、たとえ絞首刑になろうと、犯罪を犯す…」中国で非常に問題となっている「赤身化剤」を利用すると、豚肉の利益率は275%だという。排水溝のたまった浮遊物や残飯から作るという、ちょっと考えられないような「地溝油」も然り。すでに「利益率300%」の域に達しようかという中国の状態を、著者は本気で憂えています。もちろん、彼は「当局」がよく思わない作家の一人。天安門事件の時に投獄されたりしています。ロシアで暗殺された女性ジャーナリストのアンナ・ポリトフスカヤ氏についても「同じ覚悟、同じ心境」と語っています。明日の自分に希望を思い描けない社会では、人はせめて『今』を楽しむしかありません。あとは野となれ山となれ、それは「中国」だから、ではなく、誰にでも、どの国にでも起こりうることなのです。そして、私たちが「安いもの」だけを追求していけば、生産者はフェアトレードを支えていけなくなり、疲弊し、倒れ、結局安全な食べ物はこの世からなくなっていく、ということも肝に銘じていかねばならないと再認識。この本を読んで、億劫がってしばらくお休みしていた「食の安全」を掲げた宅配をまた利用するようになりました。反省。
2008.03.18
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有頂天家族森見登美彦という作家に特徴的なことは、3つ。1.京都を舞台にする。2.古典・名作をモチーフにする。3.すべてはつながっている。この「有頂天家族」も京都の話だ。7つの章から成っていて、その最終章のタイトルが「有頂天家族」。「納涼床の女神」「母と雷神様」「大文字納涼船合戦」「金曜倶楽部」「父の発つ日」「夷川早雲の暗躍」「有頂天家族」文芸誌「パピルス」に5回にわたって掲載されたものに加筆、書き下ろしを加え、7章立てとなっている。現代の京都に、人と狸と天狗が住んでいるという想定。もちろん、狸は人にも化ける。大文字焼きの日には、狸も納涼船を出す。ただし、混雑の地上や川を尻目に、空飛ぶ船!天狗の術や小道具も一役買っている。天狗は強い。狸は阿呆。でも、時には狸の化かしが天狗に勝つ。狸は人にも化けて、人間の暮らしを楽しむこともあるけど、「有閑倶楽部」では、1年に1度、狸を鍋にして食らう。食物連鎖の一番上は、人間。これは、変わらない。糺(ただす)ノ森に住む母狸と4人の子狸。ひとかど(?)の狸で狸界の重鎮だった父・下鴨総一郎は、ある日死んでしまった。狸世界の跡目争いに巻き込まれたこの家族。キマジメな長男・矢一郎、蛙に化けたら狸に戻れなくなっちゃった次男・矢二郎、気ままに阿呆な生活が大好きな三男・矢三郎(これが主人公)、怖がりですぐにシッポが出てしまう四男・矢四郎、海のような慈愛で4人を包むも、趣味はタカラヅカ、弱点は雷の母親。対する悪役狸一家は、夷川(えびすがわ)早雲と息子の金閣・銀閣。そこに「狸鍋」を楽しみにする人間たち、かつて化かされたことを根に持つ鞍馬の天狗たちが加わって、京都の町は大騒ぎ!どう考えてもきっと実在者をモデルにしたろう京大の酒飲みヘンクツ教授・天狗の「赤玉先生」、人間なのに、天狗の技をどんどん覚えて「鞍馬天狗」たちを従え、人をたぶらかし、狸を喰う女・「弁天」、絶対に本当の姿を見せず、ものかげから男言葉で悪態をつく女狸・「海星(カイセイ)」などなど、キャラが立っている。特に、颯爽として現代的な美しさを持つ悪女・弁天の、敵か味方が判じにくい描き方は、ミステリアスかつクリアで気持ちがいい。二代目に世代交代、大阪日本橋で趣味のカメラ店を開いている隠居天狗までいる。そんな人、狸、天狗が京都の町で生き生きと毎日を送るさまが、本当に肌から染み入るように馴染んでくる。「なんでもあり」の仰天ストーリーもちっとも違和感なし!だって、タヌキですからぁ。天狗ですからぁ。テキさん、うまい設定を考えたものだ。知ってる小路や寺や神社の名前がポンポン飛び出す。有名な食事処の店名まで出るから、京都の町を想像できる人なら、あなたも狸家族と一緒に京都ファンタジーへ仲間入り!ともに大文字を愛で、ともに糺ノ森や鴨川べりを散策し、寺町通りあたりのバーで一服、路地の奥の奥の骨董屋をひやかし、春の桜、秋のもみじの色彩にひたれます。軽妙な語りは宮崎駿の映画「平成狸合戦ぽんぽこ」をほうふつとさせる。おかしさ満載の小説だけど、どこかに哀愁の川音が聞こえる。突然父を失って、無我夢中で過ごした遺族の1年の物語だ。「どうして父は死んだのか」「自分に何ができるのか」「これからどうすればいいのか」4人の兄弟が、それぞれに悩んでいるのがわかる。反発もするけど、心は一つ。そんな家族の物語だ。心があったまる。いい話だった。森見さん、日ごろはおちゃらけたり強がったりしている人間の、コトバにできない悲しみを描くのがとてもうまい。「カラマーゾフの兄弟」がモチーフだ、というふれこみだが、そんなこと考えず、ただ森見ワールドで遊ぶのがよい。
2008.03.05
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今店頭に出ている「レプリーク」(2008january vol.10)は、「カーテンコール2007」と銘打って2007年に上演された舞台の総まとめになっています。あれも見た、これも見た、ああ、これは見たかったけど見逃した、え? これも去年だったっけ? などなど、いろいろ感慨にふけることのできる一冊です。ロングインタビューは小栗旬、松たか子、吉田都。2008年の「注目の人、注目の舞台」では、藤原達也、ソニン、チョウソンハ、「リア王」「IZO」「キル」など。ほかに「ファントム」「プロデューサーズ」「恋する妊婦」などなど。レミゼの20周年記念のページ、ふたつのエリザベートの特集、宝塚のコーナーもあり!どのページから読んでもいきなりテンション100%!オールカラーの変形A4112ページで1500円、お買い得です。
2008.01.30
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地名で読む京の町(上(洛中・洛西・洛外編))京都は歴史が何層にも重なって生き続けてきた町。ひと言で「京都」と言っても、その大きさ、形、繁栄は、時代ともに生き物のように変化し続けてきました。たとえば。京都は正方形に作られたことは有名。真ん中に道路幅85メートルというとてつもない「朱雀大路」が走っていて、中国の都の名にちなんで、西半分を「長安」東半分を「洛陽」と名づけたらしい。それなのに、今京都の真ん中に「朱雀大路」はないのはなぜなのか?西半分の「長安」地区は早々にすたれ、朱雀大路には人が住み畑が作られて道はなくなり、気がついたら「京」は「洛陽」だけになっていた。だから「洛中・洛外」などと「洛」の時を使って京都を表すのだ、という!京都は長方形になり、最初は「洛外」だった鴨川に向かって、東へ東へと膨張していく。鴨川に沿って高瀬川(運河)が作られたのは、江戸時代のことで、木屋町通りや先斗町は、その頃から繁華街になったそうな。「794年」の京都の形に、現在の京都の町を、そのままはめ込んでいた私にとって、この本、出だしで「ほお~!」の連続。たんざく形(長方形)の区画がほとんどだけど、真ん中辺だけが正方形なのはなぜか、とか、今ホテルになっているところって、昔は藩邸だったんだなー、とか、いろんなことがわかります。金閣寺、広隆寺、大覚寺、天竜寺など、有名なお寺や神社の変遷もわかりやすくテンポよくまとめられていて、自分の中で断片的だった京都の歴史がつーっと一本の縄にまとめあげられていきます。たくさんの寺社が応仁の乱などの戦禍で何度も焼失しながら、長い年月をかけてまた復活するところにも感動します。そして、天皇にたてついてまで寺を再興しようとする気骨のある僧たちの生涯に、ものすごく興味を持ちました。怒りにふれて流刑になって、許されて、またたてついて、みたいな人とか、ヘソまげて隠遁しちゃう僧とか、いろいろ。京都の町の地名をひもときながら、時代時代に生きている人々の顔が見えてきます。京都が好きで、訪れたことのある人は、町並みを思い浮かべながら、また行きたくなること請け合いです。
2008.01.27
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上野にある国際こども図書館で、今日から「チェコへの扉」という子どもの本の展示会が始まりました。図書館にたくさんあったチェコの絵本のコレクションと故・千野栄一氏の蔵書を中心に、充実した展示会になっています。どこがいいかというと…1.3階の展示会場で展示されている本のいくつかは、 1階の「世界のほんのへや」で手にとって読むことができる。2.隣国に占領されたり、独立したり、共和国になったり、社会主義国になったり、 分裂したり…と、いろんなことがあったチェコの国のことが、 展示のコーナーをひとまわりすると何となくわかってくる。3.とにかく、絵本の絵がすてき!4.すべての本に簡単なあらすじが書いてあって、思わず読みたくなる。5.チェコにも河童がいた! 「水男」(ねずみおとこではありません)というんだけど、 ものすごく河童に似ているので、翻訳するときは「カッパ」と訳すんだって! その上、芥川竜之介の「河童」がチェコ語の本になっていて、 すごーく親近感を覚えました。6.飛び出す絵本(しかけ絵)の展示もある。 チェコは一時期、ただの「絵本」を「飛び出す絵本」に特化して輸出することで、 外貨を獲得していたんだそうです。 これは私にとっての個人的な思い出ですが、 なんと! うちにあった「シンデレラ」の飛び出す絵本が展示してあったのです!! 1966年の作品。 少し遅れて入ってきたとしても、符牒が合います。コレだ! 飛び出すのはいいんだけど、しまうときグチャグチャになるのが玉に瑕だった。7.展示会場のすぐ脇の廊下(広くて、天井が高くて、ガラス張りで、明るい!)で、 チェコ・プラハの町並みを紹介するビデオが大きな画面で見られる。 これ、ぜひ見てください。 2004年に制作されたもので、観光案内のようなものですが、よくできている。 プラハの町並み全体がユネスコの世界遺産に登録されていることから、 町全体が芸術だということがわかります。 絵本を見て、このビデオを見ると、 チェコ人の祖国愛の強さにも、絵本作家の絵の素晴らしさにも、 納得がいくというもの。 今日、NHKでもチェコの特集をやっていたのですが、 「行ってみたい国」の一つとして急浮上です!「こどもの本」の展示会ですが、大人にこそオススメ。入場無料です。9月7日までやっていますから、何度でも行ってくださいね。*ちなみに、国際こども図書館は、「建物ツアー」というのをやっていて、 平日昼に時間のとれる方は、ぜひ一度行ってみてください。 国際こども図書館は戦前まで国立国会図書館だったので、 明治の建物としてさまざまな歴史がうかがわれます。 こちらも無料。ただしツアー人数が限られているので、予約が安心ですが、 当日フラッと行っても受けつけてくれます。 詳しくは、HPへ。
2008.01.26
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昨年の12月1日から始まったリビングBOOK大賞の最終投票期間が、とうとう大詰め!来週の1月31日まで、と、あと一週間に迫りました。5人のBOOK大賞応援隊ブロガーの一人として、4冊のノミネート作品をご紹介してきましたが、今日は自分なりの感動した!ランキングをやってみたいと思います。第1位「象の背中」これ、予想外。映画を見て、まったく共感できなかったもので、「確認」くらいの気持ちで読んだのですが、面白くて面白くて。いやぁ、秋元康さん、御見それいたしました。第2位「月のうた」話者が変わりながら、少しずつお話が進んでいく構成が新鮮でした。心にちりっとした痛みを持って生きていることを大切にしたいな、と思わせた佳作です。第3位「消えた年金を追って」もっとも期待して読んだ本。ちょっと資料が多かったかなー。前半は面白かったです。第4位「まこという名の不思議顔の猫」はっきり言って、「読む本」ではなくて、「見る本」だったし。猫好きの方にはいいかも。他のブロガーさんの紹介を読んで、読みたくなった本のランキング第1位「一瞬でいい」第2位「有頂天家族」第3位「下流社会 第2章」第4位「しゃばけ」第5位「中国の危ない食品」番外「幻夢(イルシオン)」・「天樟院篤姫」応援隊になってよかったなーって思ったことの第一番は、また小説を読むようになったことです。最近、ノンフィクションばかり読んでいて、小説に疎くなっていたのですが、「やっぱり、小説っていいな」と思うきっかけになりました。もう一つ、他のブロガーさんと交流を持てたこと。みなさんブログに特徴があって、とても刺激を受けました。彼女たちとは、これからもずっとおつきあいしていきたいです。今週のお当番は、次の方々です。有閑クーネルシネマさん → 「鉄板病」コニコの喫茶店さん → 「有頂天家族」ちーたんママ → 「マルイチ」投票は、こちらまで。来週木曜日、1月31日まででーす!http://plaza.rakuten.co.jp/chitanmama/diary/200801250000/
2008.01.24
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リビングBOOK大賞の投票期限も、あと2週間後に迫ってきました。BOOK大賞のうち「ベストセラーの予感!」部門ノミネート作品のご紹介、今週は「まこという名の不思議顔の猫」です。本っていうか、写真集っていうか。ニコニコ動画で「ネコ鍋」が流行ったのは去年ですが、やっぱ世界は「癒し」を求めている、ということでしょうか。里親さがしのセンターでみつけた一匹のネコ。名前はまこ。ちょっぴりやさぐれた表情で、「か~わ~い~い~」っていうほどかわいくない。でも、なんだか去りがたい。目が離せない。そんなお顔のネコです。私自身は犬も猫も飼ったことがないのですが、夫の実家には2匹の猫がいました。二匹目を飼い出したら、一匹目がちゃんと親の役目をし出した、というのを聞いていたので、頼りなさげな「まこ」も、次に「しおん」が来たら、先輩カゼを吹かせていろいろ指南していた、というくだりを読んで、やっぱり、と思いました。上目使いで不安げにじと~っとこちらを見るまこ。そんなまこの最後の写真は、瞳がまんまるで、天使のように無垢で明るい。愛情たっぷりにお世話したことが、まこのこの表情を生んだのかなー、とまこの悲しい過去を想像したりしながら読みました。何にしても、猫好き、動物好きには癒しの1冊。読む、というより、「見る」本です。投票は1/31までです。詳しくは、えるこみHPまで。
2008.01.17
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昨年12月よりやっている「リビングBOOK大賞」ノミネート作品のご紹介、新春第一弾(?)は、「消えた年金」を追ってです。年金問題追及の急先鋒、民主党の長妻昭衆議院議員が、ここまで年金問題が明るみに出るまでの経緯、特に「資料を出さない官僚」との闘いを中心にまとめた本です。この本がとても親切なところは、一番最初の章(ここでは「節」という項目を使っています)に「どうすれば年金被害を受けずに済むか」に焦点をあて、「あ、自分もこのケースに当てはまりそうだ!」と思い当たる場合、まずどのようにすればいいかを書いてくれているところです。面白いのは「お役所は『書面』に弱いから、必ず答えは『書面でください』と言いましょう」というくだり。自分が官僚からいかに苦労して「答え」を出させたか、そのノウハウを、国民一人ひとりの年金奪回ノウハウとして、おしえてくれているのです。長妻さんが、テレビ中継のある日の国会質問に立つまでの長い道のりがわかるとともに、これからも、「実態解明」までの道のりは長いな、ちょっとでも手綱をゆるめたら、また足踏み、あるは逆戻りしてしまうな、という危機感を感じる一冊でもあります。「事実」と「数字」を積み上げてここまでの仕事をしてきた長妻さんらしく、本の中には調査で出てきたデータがたくさんあります。「数字」に慣れてない読者には読み飛ばしたくなるところ、多々アリ。でも、もし自分の年金が「消えた年金」に組み込まれている心配があるならば、自分の住んでいる市町村はどうなっているか、など、この本が実態をみるきっかけになるのではないでしょうか。データをそのまま載せているというのは、長妻さんが「私の意見ではなく、事実を見てください」というとても誠実な姿勢の表れだと思いました。後半は、安倍首相(当時)との国会でのやりとりを記録した「答弁書」です。ニュースなどで、その一部は知っていても、全容というのはなかなか知らない人が多いですよね。これも、「一部始終を公開」というスタンス。ぶれてません。今も、年金問題は解決していません。「実態の解明」があって初めて「改革」ができるということ、「年金問題への不安」は「国家をゆるがす一大事だ」という認識。地道な努力に頭が下がります。私達も、「誰かが何とかしてくれる」と思わず、関心を持ち続けていくことが大切ですね。BOOK大賞応援隊のブロガーさんコニコの喫茶店で、「ニッポン・サバイバル」のレビューが見られます。投票は1/31までです。詳しくは、えるこみHPまで。
2008.01.11
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本というのは、今年出たとか前からあるというのは関係ないので、必ずしも「新刊」にこだわらず、私がこの一年で読んだ本や雑誌の中で印象深かったものについてとりあげます。劇場に行くと、必ずアンケート用紙を配られますよね。その日の舞台の感想はいいとして、「定期的に購読している雑誌は何ですか?」…という項目、いつも困ってしまいます。愛読誌って決まってない。本屋さんでパラパラ見て、面白そうだったら買う。お目当ての記事があるかないかで、買う。ところが、このところ、毎回買っているのが「婦人公論」。何といってもインタビュー記事が充実しています。女優から社会学者から、いろんなジャンルの人の人生がつまっています。特に目についたのは、安倍首相の辞職直後のデヴィ夫人へのインタビュー。スカルノ元インドネシア大統領夫人としての経験から、「首相の妻とは」「首相の日常とは」を語らせている。その切り口が斬新。最近では、元赤軍派メンバー重信房子インタビュー(連続)も内容が濃く、おそらく長期の取材だったろう、歴史的背景をしっかり把握した上で様々な視点を有しながらの展開が見事。インタビュアーの根気と、対象への愛情を感じました。単行本では「トヨタの闇」が衝撃的でした。知らないことがあまりにたくさんありすぎて。ちょうど、内野健二さんの過労死問題で、地裁の判決が下りた直前に読んだこともあり、ニュースやテレビでの番組とオーバーラップする形でますます忘れがたい問題となりました。実用本では「時間管理術」。私の自堕落な生活に、やさしいながらも「喝!」をいれてくれた本です。歴史関係もいろいろ読みました。古い本ですが、「ロスチャイルド王国」は目からウロコの歴史書でしたね。よく「タテ軸」「ヨコ軸」といいますが、「ウラの軸」というものがあったか、という感じです。日本の歴史では立花隆の「天皇と東大」でしょう。これも「ウラの軸」的な視点です。これを読んでいる時にたまたま古本屋でみつけた松本清張の「昭和史発掘」が、同じような題材を扱っていて、今までよくわからなかった「二・二六事件」やそれに先立つ犬養毅首相の暗殺事件のことが「歴史の一幕」「教科書の一行」ではなく、今の政治とずーっとつながっている出来事だったと感じさせる2作品でした。小説では、金原ひとみの「ハイドラ」、秋元康の「象の背中」。最近の小説、あまり手にとりませんが、この2つは「次のページ」に読者を誘う力がありました。「次が読みたい!」という意味では、ディケンズの「デヴィッド・コパーフィルド」がすごかったです。訳者の中野好夫さんのあとがきによると「小説がただ面白ければよかった」頃の作品で、近代小説で取り上げられるような深い心理考察はないということですが、「面白さ」を追求した、という点ではこれほどのものはないだろう、と思うくらいです。ちょっとした登場人物のしぐさが、そのまま映画の1シーンになるような描写力、章の終わりの、悲劇の予感を匂わせるような最終行。(ちょっとクサイが)「小説」が「テレビドラマ」や「映画」の役割を果たしていた頃の、ジェットコースター大河ドラマです。まだまだ、買っててつかずの本が何冊もあります。全部読めるのは、いつのことかなー。明日はいよいよ大晦日!映画の一年を振り返ります。
2007.12.30
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リビングBOOK大賞ノミネート作品、今週の紹介は以下の3冊をちーたんママさん、MOGUさん、クーネルシネマさんが紹介してくれています。天璋院篤姫(上)新装版 →ちーたんママの懸賞生活さよなら、そしてこんにちは →MOGU’s ATELIER下流社会(第2章) →有閑クーネルシネマ「天璋院篤姫」は、来年(あともう少し!)のNHK大河ドラマの原作本です。篤姫(あつひめ)とは、外様大名である薩摩藩から将軍に嫁した人です。フジテレビの「大奥」で菅野美穂がやっていましたよね。宮尾登美子さんは、歴史上の女性の一生を描く小説には定評がある人です。「クレオパトラ」も書いていますね。また、新聞小説のような連載の形で書ける人なので、長くダレるということがありません。私は「篤姫」は未読ですが、村上松園という女流日本画家の生涯を書いた「序の舞」が朝日新聞に連載されていた時は、毎日夕刊が来るのが待ちきれないほどのめりこんで読みました。他に、芸妓の世界を描いた「陽暉楼」も、面白かったです。強い女性の中の、もろい部分や恋愛に揺れる部分をうまく書く人だと思います。濡れ場を格調高くかつエロティックに描ける数少ない作家ではないでしょうか。(ただ、「篤姫」に濡れ場はないかも。)「下流社会(第2章)」は、「下流社会」という言葉の火付け役となった「下流社会」の続編です。クーネルシネマさんは、二冊とも読んで切れのあるコメントしていてます。「さよなら、そしてこんにちは」は、サラリーマンの日常をスケッチしたようなお話のようです(MOGUさんレビューより)。ノミネート作品の紹介は、来年も続きます。楽しみにしていてくださいね~!年末年始のお休みに、気になる本を読んでみてはいかがですか?投票は、こちらへ!(1/31まで)投票者には、抽選で商品券など当たります。
2007.12.28
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月のうた本を手にとった時は、「星月夜」「アフアの花祭り」「月の裏側で」「真昼の月」という、4つの短編集なのかな、と思ったのですが、実は、全部つながったお話です。ただ、語り手が全部ちがう。「星月夜」は中学生の娘・民子、「アフアの花祭り」はその継母・宏子、「月の裏側で」は民子の生みの親である美智子の親友・祥子、「真昼の月」は民子の父・亮太がストーリー・テラーとなっています。前の章で語られたことを、次の章では違う視点から見せられる。それを繰り返しながら、みんなが気を使い、悩み、おじけづき、決断し、一歩踏み出し、やさしく力強く生きていくさまが、心地よく描かれています。最初は民子が親のことを「父」とか「母」とか言わずに進むので、ちょっと違和感があるのですが、そこがまた大切なところです。不器用でかたくなで、あまり語らない民子。彼女が幼い時から抱いているある疑問の氷解とともに、彼女が少しずつ変わっていく軌跡をたどる小説でもあります。キーパーソンは、祖母と、祥子の息子・陽一で、一人も「悪人」が出てこない中でも、この二人は特に光ってる。読み進むうちに、心がなごみ、読み終わると、体中があたたかくなるような本。それぞれの「独白」に、思わずのめりこんでしまいます。自分の中にある「わだかまり」と、どう向き合っていくか。人の人生を読んでいきながら、気がついたら自分の心の「枷(かせ)」が一つ取れて楽になっている、そんな感じ。個人的には、若い後妻の宏子の内面に、一番共感したかな。読む人によっていろいろに読み解くことができ、おそらく何年か経って読み返したら、前と違う登場人物にいたく共感したりしそうな物語です。難しくない語り口なので、現代のおとぎ話のような感じで読めるでしょう。おすすめ!著者の穂高明さんは、この小説で第二回ポプラ社小説大賞の優秀賞を受賞しています。また、「リビングBOOK大賞」の「ベストセラーの予感!」部門にノミネートされています。この本を読んで、「よかった」「みんなに読んでほしい」「きっとみんなに愛される!」と思った方は、「リビングBOOK大賞」の方にぜひご投票ください。投票者の中から抽選で、デパート共通商品券や図書カードが当たりますよ!えるこみ「ミセスの本棚」では、他のノミネート作品についても紹介しています。私を含め、5人の“BOOK大賞応援隊”ブロガーが、毎週ノミネート作品の書評を書いて、紹介しているので、それらも参考にしてみてくださいね。今週は、MOGUさんが「しゃばけ」、コニコさんが「中国の危ない食品」です。
2007.12.21
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モンスターマザー最近「モンスター・ペアレント」という言葉をよく聞く。お金がないわけではないのに、給食費を払わない。その理由が「義務教育なのに、なんで払うんだ?」ほかに、「塾の試験と重なるから、運動会を延期しろ」というのもあるらしい。「運動会の昼食にピザを注文、ピザ屋のお兄ちゃんが校庭をウロウロ」というのも。うわー、コワイ。そんな人と自分は違うわ、っていうアナタのことも、この「モンスター・マザー」は書いていますよ。そして、私のことも。この本のテーマはズバリ、「母親に未来はあるか?」。今まで、まがりなりにも「専業主婦の良妻賢母」は尊敬されていた。子どもをおんぶし、髪をふり乱し、着るものをいったらどう汚れてもいいトレーナーにGパン、パーマ屋さん(この表現がまたダサイ)に行くヒマもないから髪は伸ばしてうしろでしばる。そんな母親は見た目はダサいけど、精神的には神々しい、ことになっていた。ところが。今や「専業主婦」は「役立たず」。なんてったって、「稼いでない」んだから。それなのに、年金もらえちゃうんだって?誰が払ってるのよ、アンタの年金保険料??…とか、いわれちゃうのだ。「世間」だけじゃなくて「政府」も公式にそういう政策に転換。配偶者特別控除など、どんどん切り捨てられている。専業主婦は、もう「社会的に保護すべき女性のあり方」ではなくなった。独身の女性たちが、ことあるごとにヒルズだとかハワイだとか京都だとか行ってる間に、子ども2人とダンナと自分と、4人分のTDLのチケット代捻出するために、ああ、今月もパーマ屋さんはなし、なんて生活してるのに、である。だーれも感謝してくれない。少子化の時代に、一生けんめい未来の納税者たちを自前で育成しているというのに。病気しないたくましい体になあれ、と手作りの食事を作る努力をしても。アトピーなんかにならないように、こまめに掃除しても。「自己満足」にはなっても、「感謝」にはつながらない。ダンナでさえわかってくれないんだから、他人なんて、当然ムリ、か。だから、これは「オンナのハンスト」なのだ。「オンナはハハになったらハハらしくなるのが当たり前」とばかりに、ただオンナにだけいろいろ押し付けてきた時代のツケが、ここにある。「やってもやらなくても評価されないんだったら、やらないー!」派と、「私を評価しないんだったら、子どもで評価して!」とばかりに子どもにすべてをかける派。どちらも根っこは同じ。「母親」ってこういうもの、という教育もせず、その「母親」をサポートしたり大事にしたりする教育もせず、女性は若いうちはチヤホヤされて「お姫様」なのに、母になった途端に家族の「奴隷」になる。少なくとも、そんな気持ちになってしまう女性を量産してきた結果なのである。だからといって、筆者は「モンスター・マザー」を肯定はしない。子どもを産んでも、自分のことしか見られなくなっている女性たちそして、「子育てしてる」と言われれば、何の意見もいえない周囲に対して非常に危惧を抱いている。モンスター・マザーが生み出すものは、モンスター・チルドレン、そして、彼らも、いつか親になる。
2007.12.18
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今月の「クーリエ・ジャポン」(1月号・講談社)に、「特別対談 中田英寿×沢木耕太郎」が載っている。「僕たちが旅に出る理由」というタイトルで、「旅の先輩」沢木が、中田が今、どんな気持ちで旅を続けているかを問うていく。沢木は以前にも中田をインタビューしたことがあり、中田という人間の性格をよくわかっていて、先輩なのに、ソフト・タッチで質問していく。「僕はこうだったけど、君は?」みたいな感じで、自分の手のうちをさらけ出し、少しずつ、少しずつ、中田の懐に入り込もうとする。しかし、中田の「心の盾」は堅固で、沢木の問いかけはことごとくはね返される。「ないですね。」「違いますね。」中田の様子が少し変わってくるのは、旅人の先輩としての沢木が、「僕は初めて小説を書いたんだ」と話し始めたころから。「もちろん」「そうですね」「理解はできますが、僕は違います。」沢木のナイフが少しずつ腱の際を注意深く切り込み、筋肉の奥の奥に、分け入り始めた。沢木「知識といえば、たとえばサッカーについて、 中田さんが持っている知識は確実に深いものがありますよね。 その知識を誰かに伝えようとは思わないの?」沢木「肉体面も含めた、サッカーの理解度というのは、 すごく深いところまでいけたという感じがある?」中田「そうですね。ある程度まで深く理解できたんじゃないかなと思います。 だからこそ、自分ができないことへの絶望というか、 わかってしまうからこその悲しさというものもあって、 それもやっぱり自分にとっては重荷になりましたよね(後略)」沢木「わかるよ」そしてついに、沢木のナイフが核心をつく。沢木「それはいつ頃そう思ったの?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中田は、正直だったと思う。彼は最後に、こう繰り返した。「やりかたも答えもわかっているにもかかわらず、それができない辛さ」引退するちょっと前くらいから、中田は「変わった」。「自己チュー」の代名詞とまで謳われた中田が、遠征中、食事の注文を自在にする英語力に、「オレのも」と言ったチームメイトのお願いを言下に断るくらい、自分にも他人にも「自己完結」を課していた中田が、日本代表の「精神的支柱」とまで報道されるようになった。それは、「自分ではどうしようもない限界」に気づき始めた頃だったのだろうか。そして、「人に頼っても自分の求めるものは得られない」ことに行き着いたとき、決断がなされたのかもしれない。最後のシリーズで、彼が見せた「苛立ち」。それは、チームメートに対する苛立ちだと思っていたけれど、本当は、自分に対する苛立ちだったんだな、とこの対談を読んで思った。中田が「旅する理由」は、まだまだつかめてこない。もしかしたら、中田もわかってない。沢木も、今だから若かりし時の自分のことがようやく見えてきたのだから。けれど、「現役で最高峰のサッカーをやる」という旅を終えた理由は、わかったような気がした。*あえて核心ははずして書きました。読みたい方は、本屋さんへ。 この号は、他の記事も非常に充実していて、 580円(税込609円)は高くないです。 環境問題待ったなしの地球で、孤軍奮闘未来を切り開こうとする世界のパイオニアたち、 日本に駐在する外国人記者の目から見た日本、 日本ではお目にかかりにくい各国の映画事情など、 美しい写真を交えた迫力のある紙面展開で、 今までの「クーリエ・ジャポン」の中でもっともいい出来ではないかと思うくらいです。
2007.12.15
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12/1から始まった「リビングBOOK大賞」最終投票。3つある部門の中の「ベストセラーの予感!」部門の最終ノミネート作品(20作品)について、「BOOK大賞応援隊」である5人のブロガーが毎週紹介しています。今週は、「うちの3姉妹」(松本ぷりっつ)「新幹線ガール」(徳渕真利子)「人間の関係」(五木寛之)です。それぞれのブロガーさんの紹介文を、読んでみてくださいね。うちの3姉妹「うちの3姉妹」のレビュー → ちーたんママ新幹線ガール「新幹線ガール」レビュー → コニコさん人間の関係「人間の関係」のレビュー → 有閑クーネルシネマさんしかし、「ベストセラーの予感!」というのは、本当に難しいです。ふと手にとった本が、とても面白くて、「これ、すごいかも!!」と思う瞬間、経験したことありますか?これからブレイクするかもしれない本を、「私、見つけちゃった!」みたいな感覚って、とってもワクワクしますよね。特に、まだ駆け出しの作家だったり、その道のプロだけど、それほど全国区ではなかったりするとき、数年してそういう人たちがものすごく有名になると、「私が見つけたのよ!」って言いたくなるほど誇らしかったりします。一方、有名作家の新作とか、すでにかなり売れている作品に対して「これは、もっともっと爆発的に売れるよ~!」という期待からのノミネートも。これは、タイミングが難しいですね。たとえば「ホームレス中学生」。今、売れに売れています。これからも売れまくるでしょうが、それは「ベストセラー」であって「ベストセラーの予感」じゃない。みんなが「面白い!」と思わないとダメだけど、「知ってる~」「今さら?」と思われてはもっとダメ。ここが、ホントに難しい~~!!だけどね。本来、芸術や文化に1番も2番もありません。(一流、二流はあるかもしれないけど)「私は、これが好き!」これこそ、アートを盛り上げる、一番のエネルギーです。「どれが一番ふさわしいか」もいいけれど、「どれが一番好きか??」これをバロメーターに、ぜひ投票にご参加ください!大好きな本や作家さんへの応援にもなりますよ。詳しくは、えるこみのミセスの本棚まで
2007.12.14
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プーチン政権の闇ロシア国内のプーチン人気は、すごいらしい。石油の高騰も背景に、経済成長著しいロシア。建国以来、常に西欧から「田舎侍」的な扱いを受けてきたロシアにとって、EUのお歴々と互角にわたりあう、弁舌さわやか、若くエネルギッシュな大統領は対外的にも自慢のタネらしい。そして国内では、ソ連崩壊以来続いていた「混乱」「治安の悪さ」を一掃、「安心」して暮らせる町を作ってくれた功労者でもある。(今、都市では夜中のショッピングが流行っているという報道もあったほど)だから、プーチンの支持率は8割ともそれ以上ともいう。その結果が12月2日に行われた下院選挙にも現れている。プーチン率いる統一ロシアは、450議席の3分の2以上を獲得した。すべて比例代表制のこの選挙、統一ロシアの名簿第一位は、なんと・・・プーチンその人!!ありえます? 大統領ですよ!国会議員になるためには、大統領を辞めるしかないんですって。プーチンの大統領任期はあとちょっと。実は、ロシアの憲法では大統領は2期8年しかできません。プーチンの2期目は、2008年で終わるんです。そこで、いろいろ言われている。今大統領を途中でやめちゃって、次の選挙で仕切りなおし、また大統領になるんじゃないか?とか、いやいや、国会議員の議長におさまって、「院政」をしくんじゃないか?あるいは、首相になって、次期大統領を「コントロール」するんじゃないか?とにかく、今のロシアは、プーチン抜きには語れないようです。ところで、プーチンって、ソ連時代はKGB(秘密警察)で働いていたのをご存知ですか?「だから治安関係に強いのね~」・・・と、単純に思わないでくださいね。若い人は知らないかもしれないけど、「秘密警察」っていうのは、民主主義の対極にあるものなんですよ。密告を奨励し、反政府主義者たちを尾行・盗聴・監視。「反政府主義者」というと、テロリストとか、そういうイメージですが、「このやり方、おかしくない?」なんて言っただけで「反政府主義者」ですから。今の日本でいえば、「年金ちゃんと払え!」と叫ぶのも、薬害被害者を救済するために署名するのも、みーんな「反政府主義者」ですから。日本でも、戦中は「特高警察」というのがあって、恐れられていました。今、私たちには「理由なく逮捕されない権利」というのがあります。裁判所の「礼状」がないと、強制的に連れていかれない、というもの。これ、先人たちのものすごい努力と、苦闘の末に勝ち得た権利なんです。現在のロシアに「KGB」はありませんが、ほぼ同じ形態の「国家保安局(FSB)」というものがあります。体制側の人にとっては、KGBだろうがFSBだろうが「それは、悪い人をつかまえるところ」にすぎず、自分には関係ない、と思っている。けれど、今多くの人々が、何の理由もなしに身柄を拘束され、裁判もなしに処刑されている現実を、多くのロシア人は知りません。「理由がないはずないじゃない」「きっとその人たちは悪いことしようと思っていたのよ」「政府に逆らうなんて、それだけで悪いことだもんね」かつて、日本でも皆そう思っていました。今もそうかもしれない。でも、本当に「理由がある」のか、「拘束」された人々は「拷問」などをされていないか。私たちは、そこをはっきりできるような社会的システムを、戦後ようやく手に入れることができたのです。私も、ロシアって、共産主義が崩壊して、いろいろ混乱はあったけど、今はずい分よくなってる、と思っていました。だから、この本を読んで、ものすごくショックです。北朝鮮やミャンマー(ビルマ)と、一体どこが違うのかって思ってしまいます。「プーチン政権の闇」という本は、多くのジャーナリストたちが「事実」を報道しようとして「FSB」ににらまれ、その多くが殺されていったことを伝えています。チェチェンという、つい最近まで公然と政府を相手取って内戦をしていた地区で、今回の「投票率が99%だった」ことを、皆さんはどう考えますか?自由な意志で投票できる国では、逆にこれほど高い投票率はありえません。「何か」の力が働いている。強制か、恐怖か。遠い国の現状は、私たちにはわからない。それを知らせてくれるジャーナリストの入国は厳しく制限され、政府関係者と一緒でなければ取材はできない。それでも「関係ないや」でなく報道してくれる人たちがいるからこそ、私たちは真実を垣間見ることができる。プーチンは、憲法を改正して大統領の多選を合法化するのでは?という話も出ている。「多選禁止」の法律を改正して「永久大統領」「永久護民官」などになった人物は、ナポレオンなど歴史上たくさんいるけれど、「自分が一番偉いときに、自分がずーっと一番偉いままでいられる法律改正をする」なんて、絶対おかしい、というのは、歴史の結末を待たないまでも明白なんだけど。民主主義というのは、本当にこわれやすいもの。一人ひとりがしっかりしていないと、あっという間に「国民」という名の奴隷になってしまう。それは、「○○の国だから」ではなく、どんな国でも同じことだと思うのです。だから、思う。私たちの国は、大丈夫??民主主義は、真の報道の自由は、守られている?ロシアに「これっぽっちも報道の自由がない」わけではない。大元は首根っこをつかまえ(テレビ局はほとんど政府系)、大勢に影響のないところではいくらでも吠えさせている。そして「わが国には言論の自由がある」ことの根拠とする。・・・というくだりが、本の中にあります。日本だって、気がついたら・・・。そうならないためには、どうすればいいのか。いろいろ考えさせられる本でした。
2007.12.05
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私が応援隊の一人となっている「リビングBOOK大賞」の最終投票が、今日から始まりました。以前にもお知らせした「主婦力をアップしてくれた本」部門「夫に読んでもらいたい本」部門「ベストセラーの予感!の本」部門について、それぞれ最終候補の20冊が出揃いました!「主婦力をアップしてくれた本」・女性の品格(PHP研究所)・3日で運がよくなる「そうじ」力(三笠書房)・鏡の法則(総合法令出版)・食品の裏側 みんな大好きな食品添加物(東洋経済新報社)・お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人(双葉社)・ごちそうさまが聞きたくて(文化出版局)・てんきち母ちゃんちの毎日ごはん(宝島社)・幸福な食卓(講談社)・対岸の彼女(文芸春秋)・ターシャの庭(メディアファクトリー)・節約のカリスマ・若松美穂のお金をかけない暮らしハッピー・テク(ベネッセコーポレーシょん)・しろくまおやこ(ゴマブックス)・おしゃべり力(幻冬舎メディアコンサルティング)・母の介護 102歳まで看取るなんて(新潮社)・お母さんのための幸せ心理学(新講社)・日本人の礼儀作法のしきたり(青春出版社)・子どもの心のコーチング(PHP研究所)・夢白書(文芸社)・女ですもの(ポプラ社)・家計簿の中の昭和(文芸春秋)「夫に読んでもらいたい本」・忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス(1万年堂出版)・鈍感力(集英社)・一瞬の風になれ(講談社)・わたしがあなたを選びました(主婦の友社)・壬生義士伝(文芸春秋)・夫婦は「気くばり」で9割うまくいくコスモトゥーワン)・健康の結論「胃腸は語る」ゴールド編(弘文社)・人生論(創元社)・子育てパパ力検定公式テキスト&問題集(小学館)・経産省の山田課長補佐、ただいま育休中(日本経済新聞出版社)・接待の一流(光文社)・今から始める男の料理(山と渓谷社)・祝婚歌(書肆山田)・脳が冴える15の習慣(日本放送出版協会)・男も女も更年期から始めよう(ゆうエージェンシー)・はんぶんで幸せ、それでじゅうぶん(ポプラ社)・妻と夫の定年塾(中日新聞社)・父子消費(日本経済新聞出版社)・いつまでもデブと思うなよ(新潮社)・狂いのすすめ(集英社)「ベストセラーの予感!の本」・おひとりさまの老後(法研)・犬と私の10の約束(文芸春秋)・人間の関係(ポプラ社)・しゃばけ(新潮社)・マルイチ(マガジンハウス)・新幹線ガール(メディアファクトリー)・月のうた(ポプラ社)・下流社会 第2章(光文社)・天璋院篤姫(講談社)・うちの3姉妹(主婦の友者)・鉄板病(日本放送出版協会)・中国の危ない食品(草思社)・消えた年金を追って(リヨン社)・ニッポンサバイバル(集英社)・さよなら、そしてこんにちは(光文社)・まこという名の不思議顔の猫(マーブルトロン)・幻夢(イルシオン)(双葉社)・一瞬でいい(毎日新聞社)・有頂天家族(幻冬舎)・象の背中(産経新聞出版社)投票の締め切り1/30(木)まで、こちらのサイトから投票ができます。投票すると、なんと抽選で10名に全国デパート共通商品券5000円分100名に図書カード1000円分が当たるんです!サンケイリビング新聞(フリーペーパー)にも詳しく載っていますが、サイトに簡単な本の内容も紹介してあるので、気軽に見てみてください。「ベストセラーの予感!の本」部門の候補作品については、私も含め、5人のブロガーが少しずつ本の感想を書いていきます。それらも参考にしてみてくださいね。さっそく私は明日、候補作品の一つ「象の背中」を紹介します。これ、以前に映画の紹介をしたんですが、原作はまだ読んでいなかったんです。今回、たまたまこの「リビングBOOK大賞」の候補に上がっているということで、迷わず「私に読ませてくださいっ!」と手を挙げました。「読んでから見るか、見てから読むか」は角川映画のコピーですが、私はいつも映画を見ると「原作とどこがちがうんだろう?」と思う人間。「象の背中」も、原作を読む機会に恵まれて、本当によかったと思いました。やっぱり自分で体験してみなくちゃ、わからないことってあります。それでは、明日のレビューに乞うご期待!
2007.12.01
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トヨタの闇今日、一つの判決が出た。2002年、月に144時間もの残業をしていたトヨタ自動車社員、内野健一さん(当時30歳)が職場で倒れ死亡したことにより、妻の博子さんが労災を申請したが却下された件に対し、その取り消しを求めた裁判で、名古屋地方裁判所が原告である博子さんの言い分を認めたのである。(直近1ヶ月の残業時間を労働基準監督署は45時間しか認めなかったところ、 裁判所は106時間45分と認定した)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071130i206.htm内野さんが「職場で倒れた」のは、午前4時30分である。自動車工場の中で、午前4時30分に働いていたのである。早番は6:25~15:15、遅番は16:10~深夜25:00の二交代制をとっている。深夜の1時まで働くのが「残業でない」というのもびっくりだが、その「定時」を3時間以上も越えた午前4時30分、内野さんは働いていた。倒れた内野さんを見つけた人もまた、働いていた。こうした内野さんの働き方を、妻博子さんが語っているのが『トヨタの闇~利益2兆円の「犠牲」になる人々』(林克明・渡邉正裕著)である。他にもトヨタやその傘下の系列会社における「ジャスト・イン・タイム」(在庫を抱えないように製品を完成させる方法)がいかに職員に加重を強いているか、社員と会社が一体になって企業を盛り上げる昔ながらの体質が、異議を唱えたり権利を主張したりできない雰囲気を作っていることとか、海外で「反トヨタキャンペーン」が広がっているのに、日本国内ではそれに対する報道が少ないのはなぜか、「トヨタは優良」というイメージだが、リコールの台数やリコール車の改善措置がどの程度進んでいるかについて数字をつきつめていくと、(たくさん売れているだけに)あの大問題になった三菱に次いでトヨタは群を抜いている、などといった話がいろいろ書いてある。大手広告主である大企業トヨタには、マスコミも大いに「配慮」している点も手厳しく書いている。実際、林氏のこの本は、大手新聞社などから事実上宣伝を断られているし、他のトヨタ関連の記事の企画も、ほとんど掲載を見送られたという。私は車に乗らないし、自動車についてあまり詳しくないので書いてあることのすべてをしっかりとは把握できなかった。しかし、誰が何といっても博子さんの気持ちだけはわかる。「夫は残業して朝帰ってくる。 本当は深夜に帰ってきて、 私や子どもが朝食をとる時間はぐっすり寝ていなくてはならないのに、 帰りが朝になって、私たちと食事をする。 一緒に食べられてうれしい反面、とても心配。 そして彼は、疲れていてほとんど食べられない」子どもが生まれる前は、何とか一緒にご飯を食べようと夜遅くまで(深夜2時ごろまでも)寝ないで待っていたという博子さん。子どもが泣いて夫の眠りを妨げないようにと、家を「封印」して外に出る博子さん。健一さんが倒れた日も、家の電話を消音にしていたため、彼女への連絡がつかず、臨終に間に合わなかったという。少子化だ、何だと騒いでいるけれど、こんな話を聞いてしまうと、誰も結婚に夢なんか持てなくなる。よく芸能人が「仕事が忙しくてすれ違い生活で」と離婚の理由を話すけど、この生活を続けていた2人は本当に愛し合っていたんだろうと思う。とにかく、名古屋地裁で原告勝訴の判決が下ってよかった。これから先、まだ続くのかもしれないけれど、「トヨタの城下町」で署名一つ集めるのも大変だった中、「事実」を認めてもらえたことだけでも本当によかった。人が、人間らしく暮らせる社会を、日本は、それも「世界に冠たる」トヨタという「優良」企業の、それも正社員ですら、獲得できていないということに、愕然とする1冊である。
2007.11.30
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子どもが生まれてみると、自分が読んだ絵本のことが急に思い出されてくるものです。私が子どもの頃は「キンダーブック」というのがあって、図鑑ぽかったり、ものがたりがはいっていたりしました。もっともよく覚えているのは、くじらの図鑑と、「だいこんさんとにんじんさんとごぼうさん」3人(?)がいっしょにおフロにはいったとき、きれい好きなだいこんさんは洗ってばかり、湯船が好きなにんじんさんはつかってばかり、ごぼうさんはあそんでばかり。それで、だいこんさんは真っ白、にんじんさんは真っ赤、ごぼうさんは真っ黒のまんまになりました、というお話。ストーリーはポピュラーで、今もいろんな絵本になっていると思います。でも、私は自分が見たタテ長でうすっぺらい「キンダーブック」の中でアワだらけになっているだいこんさんやおもちゃで夢中になってあそんでいるごぼうさんやきもちいい!という表情で口をあけているにんじんさんを鮮やかな色彩とともに思い出します。その頃住んでいた、目黒の家の居間の、カタカタなるガラス戸までその本越しに見えるのです。6月3日の日記でも書きましたが、「シナの五にんきょうだい」や「からすだんなのおよめとり」は、わざわざ出版社に問い合わせて買ったり、絶版になったと聞いてガッカリしたものの、数年後に復刻版が出たと知るや、もう子どもも絵本の年齢は過ぎたというのに、やはり買いなおしてしまいました。今の家に引っ越すとき、絵本はかなり処分してきた。近くに児童館があって、そこに寄付してきたのです。どれを寄付し、どれを残すか、中学生と高校生だった子どもを交えて相談。その中で、全員が「絶対残す。持っていく!」と言った絵本が、下の2つです。「カガカガ」と「たぁんきぽぉんきたんころりん」「カガカガ」は、アメリカの先住民の神話のような民話。「神様の使い」という、三角形の顔のヘンな存在が、「長い尻の毛」をどうこう、という、「・・・でしたとさ」と言われても、「なんで・・・?」と立ち尽くしそうな、シュールを通り越した作品です。絵本の老舗である福音館書店が出版するといったホノボノ系イメージとはちょっと違うので、大人の私はそれでまず、衝撃を受けたかも。「たぁんきぽぉんきたんころりん」は、サブタイトルに「たんたんたのしいうたづくし」とあるように、声に出して読まないと本当のおもしろさが伝わらない絵本。うちの家族が大好きなところは「あついひに かぼちゃとすいかが かわあそび かぼちゃぼちゃぼちゃ しぶきをあげりゃ すいかすいすい にげてゆく かぼちゃぼちゃぼちゃ すいかすいすい」ほかにも、「ゆうべみたゆめ へんなゆめ」とか、おつきさまがふりかえって「ふっふっふ」とわらうとか、とっても楽しい絵本です。この2つは、2人ともお世話になった公立の幼稚園で毎月とってくれていた月刊誌「こどものとも」(福音書館)のシリーズでした。「たぁんき」は上の子、「カガカガ」は下の子のときに配られたものです。子どもたちにしても、まさか「時々読むから」残したい、と思ったわけではないでしょう。その本の中に「幼かった自分」をとりまく空気が封印されていることを彼らも知っている。そして今はそんなこと思ってないでしょうけど彼らが将来子どもを持ったとき、きっと「おとうさん(おかあさん)が子どもの時にとっても好きだった本でね・・・」といって、この2冊の本の話を自分の子どもにするでしょう。「あの本、どこにあったっけ?・・・あった、あった!」「おもしろいだろう! え?ビミョー? そんなことないよ、ほら、ここなんかさぁ・・・」と小さい子どもたちに自分のシュミを必死になって強要する姿が今から目に浮かびます。それは、まさに自分の姿でもあるのです。本は「宇宙」です。自分と親と、近所にしか自分の世界がない幼年時代にそれらとはまったく異なる「空想の世界」へ自分をいざなってくれた絵本は、絶対に手元においておきたい1冊だと思います。昨日に引き続き「ミセスの本棚」からのお題で書きました。よかったら、そちらもぜひお立ち寄りください。「BOOK大賞応援隊」ですから!
2007.11.20
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私は「捨てられない女」である。自分の記憶、自分の思い出は、すべてモノの中に保存されると感じる。誰かからもらったプレゼントの包装紙だって、子どもに買ってあげたプレゼントの包装紙だって、どれも思い出深くて捨てられない~~!!・・・くらいの女だから、自分が好きで買ったものは、ぜーんぶ自分の手元においておきたい。映画のパンフレットも、演劇のパンフレットも、美術展の図録も、はたまた、会場で配られたチラシだって、なかなか捨てられない。そんな私に、えるこみの「ミセスの本棚」より、「手元におきたい本ってどんな本ですか?」というお題が・・・。本なんて、「捨てられない」ものの、最たるものじゃないかなー。感動した本は、ぜーんぶ手元に。最初は借りて読んだ本でも、「よかったー」という本なら結局買うことに。今日は、そんな私の「捨てられない本」の中から、もっとも「私の本棚」を占領しているもののお話を。それは、プルーストの「失われた時を求めて」の全集。なんと、4種類もある。最初に古本屋で買った新潮社のボロボロの本(井上究一郎訳)。これは買った時、すでに茶色に変色していた。なんせ、昭和28年発行の本を、昭和54年に買って、それから既に28年が経っている。ひもとけば、カビとホコリが舞おうというシロモノ。その上卒論のために思いっきり鉛筆で傍線を引いたので、見る影もないが、私にとっては最高の全13冊である。次に買ったのは、初めてフランスに行ったとき記念に、ちょっと無理して手に入れたプレイヤッド版。(今は修正版が出ているので、その前のもの)こちらも昭和55年に買ったのだが、「記念」の品なので、ほとんど中を見ていない。持ってることに、意義がある。だから、新品同様。インディアンペーパーの縁がキュッとしまって、今も手が切れそうなくらい。装丁も重々しい全3冊。このプレイヤッド版には畏れ多くて書き込みなんてできなかったので、卒論のためにFOLIO版のいわゆるペーパーバックのような本も買った。こちらは訳の書き込みと赤線とクリップで、ページがとれちゃった巻もある。全8冊。大学を卒業して約20年経った1999年、朝日カルチャーセンターでプルーストの翻訳家として著名な鈴木道彦先生の講義を受ける。やさしい方で、昔むかしの卒論も見ていただいて、感激!あしかけ3年の講義は、鈴木先生の全訳本刊行記念だったので、もちろんそれも求める。全13巻。サインしてもらった。最初に触れた井上訳も大好きなのだけれど「フランス語を知らない人が読んでもわかる文章にしなければ」という鈴木先生の訳は、これまたこなれていてすばらしい。とっつきにくいという評判ばかりが先に立つプルーストだが、その世界をしっかりと届けてくれる。豪華化粧版、ペパーミントグリーンの装丁は、鈴木先生のやさしいイメージそのまま。表紙や挿絵の絵は、かつて買い求めたFOLIO版と同じヴァン・ドンゲンのもの。ものすごーく懐かしかった。失われた時を求めて(13(第7篇))これだけで、なんと37冊。映画や演劇のパンフレットもどんどんたまるし、すぐに書棚はいっぱいに。「中身は同じなんだから」と、どれか1セットだけを選んで残し、あとは捨てる、なんてこと、私にはできない。第一「同じ」じゃないモン。ボロボロになるまで読んだ本も、一度として全部読んでいない本でも、私にとっては、自分の人生の大事な一部分。だから、いつまでも手元においておきたい。*鈴木道彦訳は、文庫にもなっています。(カヴァーの絵はヴァン・ドンゲン)失われた時を求めて(13(第7篇))
2007.11.19
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サッカー日本代表監督、イビチャ・オシム氏が脳梗塞で倒れた。いまだ予断を許さない状態が続いているという。持病を抱えながら、代表監督という激務をこなし、文字通り身を削って日本サッカーのために邁進してくれた彼に感謝。そして、とにかく病状が好転することを祈る。彼の手腕やサッカー人生については、「オシム語録」などに詳しいが、彼の母国であるユーゴスラビアという国については、なんとなく「ボスニア」紛争のところだね、とか、第一次大戦の引き金となった、オーストリア皇太子が暗殺されたところだね、というくらいしか知らない人が多いと思う。はたまた、政情が安定してきてからは、観光地、保養地としてのバルカン半島も見直されている。クロアチア・スロヴェニアは、女性を中心に人気の観光スポットだ。歴史は知らなくても「アドリア海の真珠」と昔から謳われてきた美しい城砦都市・ドゥヴロヴニクならご存知の方もいらっしゃるかも。なかなかなじみが薄く、複雑な歴史を非常にわかりやすく説いてくれているのが「バルカン ユーゴ悲劇の深層」(日本経済新聞社刊・加藤雅彦著)だ。クロアチア、スロヴェニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、コソボ、解体してしまったユーゴ連邦のそれぞれの地域には、周辺のオーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ、トルコ、アルバニアの人々も含め、民族がモザイクのように暮らしている。西ヨーロッパの東方への入り口として、大国が引いたり押したりする境界線となったバルカンでは、取り残された者、入植した者、追い出された者、故郷を捨てた者、様々な理由でそういう状態になったのだ。そして、どの民族も、自分が生まれた場所、育った場所、そして今いる場所に愛着を持つ。そして「かつて自分たちがもっとも輝いた時代」の復興を夢見、その栄光を語り継ぐべきシンボリックな「建造物」やそれがある「場所」にもまた固執する。自分たちが中心になって、バルカンを統一する夢・・・。それが、次々と悲劇を生んでいくエネルギーであるところが切ない。一つになることの素晴らしさもある。自分たちだけで独立することの誇らしさもある。共生することの幸せもある。でもどうやっても誰かにとっては不満が残り、それがいつ、再び紛争の火種にならないとも限らない。人間の忍耐と叡智を試すかのような、バルカンの歴史。読み終わると、オシムやストイコビッチらがいかに大変な時期を過ごしていたかということ、そんな中で「ユーゴスラビア」というチームを牽引し続け、今も民族を越えて誰からも尊敬されているということに、奇跡のような思いが湧いてくる。彼らの素晴らしい人格に、心から敬服。「平和ボケ」とよく叩かれる日本人だが、オシムやストイコビッチがなぜ日本を愛してくれるのか、その理由もまた「平和ボケ」できる国情にあるのではないだろうか。その「平和」の素晴らしさをいとおしく思う1冊である。1993年刊行の、少々古い本なので、古本屋さんからの方が探しやすいかも。
2007.11.18
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南仏を旅行することになった時、ロスチャイルド家の別荘にだけは絶対行きたかった。岬の突端にあるそのお屋敷は、「別荘」というより、「館」。王宮のようなインテリアもすごいが、庭園も広大で、しばし呆けるように海をみていた。眼下のコート・ダジュールには、ヨットが一つ、二つ。金持ちのための空間だなー、と改めてため息をついたものだ。しかし、そんな「別荘」一つでびっくりしている場合ではなかった。ロスチャイルドとは、この「全世界」に君臨した、王冠を戴かぬ王家ともいえる存在だったのだ!それをわからせてくれたのが、「ロスチャイルド王国」 (新潮選書・フレデリック・モートン著・高原富保訳)。「第一章を読んだだけで、ロスチャイルド家の魅力にとりつかれてしまう」という扉に書かれた草柳大蔵氏の言葉そのものに、私も最初の1ページから、まるでアラビアンナイトの世界にいざなわれるように、1764年の、フランクフルトの、マイン川に近く薄暗いユダヤ人街に入り込んでいった。この世界で、その名を知らないものはいないだろう「ロスチャイルド」家。政治、経済、宝石、ワイン、植物、石油、鉄道、その他もろもろ・・・。「ロスチャイルド」の名前が連なっていなくても、その分野でもっとも活躍している企業や団体には、必ずといっていいほど「ロスチャイルド」が出資していたり、実質的な経営者だったりする。それは、今に始まったことではない。ヨーロッパの歴史の中で、日本人には想像もつかないほどの差別と隔離を受けてきたユダヤ人でありながら、彼らはどうやって王家の金庫番となり、国と国との折衝のキーマンとなり、イギリスでは首相を親しく家に招いて世界を動かす陰の立役者になれたのか。フランスでは王政、革命、また王政、そして共和政とめまぐるしく政権が変わる中、ナポレオンもブルボン王朝も、どんどん衰退していったのに、なぜ唯一生き残ることができたのか。そして、初代よりロスチャイルド家がこだわった「ハプスブルグ」家の地・ウィーンで彼らはいかにしてヒトラーと向き合ったか。はたまた、イスラエル建設とロスチャイルドとの関係は?あまりに面白い歴史絵巻。これまでおそわってきたものすべてが、まったく違う色で塗り替えられる思いだ。先見の明を持つとはどういうことか。流浪の民が認められるためには何が必要か。「内側」の人々の証言や資料がほとんどのため、クリティカルな視点に欠けるのは否めないが、それを補ってあまりある「史実」の重さ。なぜ題名が「ロスチャイルド王国」となっているかがずっしりと体に響く。ロートシルト・ラフィットのワインが好きな人、デビアスのダイアモンドに見せられた人、蘭の花には目のない人。ぜひぜひ、ロスチャイルドの世界をかいま見てください。そうそう、この南仏の別荘で結婚式ができるんですって!関心のある方でお金のある方、問い合わせてみては??*昭和50年発行という古い新潮選書で、私も古本屋で見つけたんですが、ヤフーオークションの出品を見つけました。ヤフオク、私は一度も使ったことがないんですけど、なれていらっしゃる方、どうぞ。(締め切りが明日14日まで)アマゾンでもたくさん出品がありました。
2007.11.13
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日本映画、崩壊「最近、ハリウッド映画ってつまんない」「リメイクとか続編多すぎ。CGばっかだし」「そうそう、日本映画の方が、がんばってるよね」「2006年は、興行収入も、初めて日本映画の方が上回ったんだって」「へえ~、いよいよ、日本映画の時代??」・・・ちまたで聞こえてくる、「日本映画は元気」の声に、敢えて物申す、という斉藤守彦。20年間映画の世界を見てきた斉藤氏の筆致は鋭い。「洋画を越えた」という興行収入も、「結局、洋画を見る人が邦画を見ただけで、パイは変わらない」とか、1スクリーンあたりの収益を見ると、数年前よりずっと落ちている、など、数字やデータの読み方に目からウロコ。また、「○○製作委員会」って何? とか、シネコンの普及がもたらしたもの、とか、以前は黒澤明とか、「コワイ」が監督のイメージだったけど、最近は変わってきた、その根底にあるものが何か、などなど、映画館で映画を見ながら、ふと「あれ?」っと思うことについて、書いてくれている。仕事柄、私がもっとも注意深く読んだのは、「映画ジャーナリズムの没落」の章。「インタビュー記事は、まず質問ありき」つまり、読者が知りたいことを、いかに引き出すか、もちろん「対象」がなければインタビューは成り立たないけれど、逆に、誰かが書かなくては読者に伝わらない。宣伝したい方の書いてほしいことだけを書くだけで、それを「ジャーナリズム」といえるのか?それだけのことが書いてあるということは、書き手は映画を推奨していると見られる。「この映画いいですよ、見ないとソンですよ」の気持ちがなくて、単に右から左の紹介文でいいのか?読者はそれを見て「きっと面白いんだろう」と映画館に足を運ぶのだから。「原稿チェック」「個人プライバシー保護法」など、書く側に不利な条件が多くなる中で、斉藤氏はじめ諸先輩がいかに自分のオリジナリティを守ろうと奮闘しているか、ギリギリとした切迫感が伝わってくる。同じことが監督や脚本家にも言えるというのが、この本のテーマ。作り手も、資本提供者も、宣伝も、そして観客も、みんな鉄板指向、つまり「絶対に受け、はずれがない」かどうかを吟味して、何かと「守り」に入っている。自分なりの「思い」に固執しなくていいのか?ビジネスとして成り立たなくてはならないのは大前提として、そこに「映画文化に対する強い思い入れ」があるからこそ、時代や文化をリードできるのが、映画産業ではないのか?映画を愛する人間としての、覚悟の辛口。これで大丈夫?という斉藤氏の問いかけは、映画界だけでなく、日本全体が流されている傾向にも言えることのように思った。
2007.11.12
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「えるこみ」というサンケイリビング系のサイトの「ミセスブロガーズ」に登録していることがご縁で、今回「ミセスが選ぶBOOK大賞」の選考会に関わることになりました。主婦の目で選ぶ本、というコンセプトで、★「主婦力をアップさせてくれた本」★「夫に読んでもらいたい本」★「ベストセラーの予感!の本」の3部門があります。11月5日までに「リビング新聞」の読者からあがったノミネート作品は、上から187冊、118冊、126冊!「得票が多いもの」「推薦内容がしっかりしているもの」を中心に、事務局サイドで各部門30冊にしぼったものを、昨日、第一回選考会でそれぞれ20冊セレクトしました。その模様は、えるこみのサイト内「ミセスの本棚」をごらんください。この選考会で、私がもっとも印象的だったのは、最初に挨拶に立ったサンケイリビング社の方の言葉でした。「ミセスが選ぶ文学賞を始めることになった時、 いったいどんなものになるのか、 他の賞とそれほど変わらなかったらつまらないなー、との不安もありました。 でもフタを開けてみたら、 さすが女性ならではの価値観というか、 独特の本が並んでおもしろかった。 そして何より、みんな本が好きなんだ、活字離れの時代と言われているが、 みんなよく本を読んでいる、それも様々なジャンルのものを、 ということを再認識しました」さて、各30冊のラインナップを見てみると・・・。「主婦力をアップさせてくれた」というと、おそうじとかお料理とか、そういう実用的なものに関する本を連想しますが、家族をテーマにした小説や、女性の生き方を見直すような心理学ものなどもあり、「主婦力」の幅の広さを実感しました。「夫に読んでもらいたい本」でも、子育て本、健康本、ビジネス本、哲学本、そして少年時代を思い出す本、とジャンルが多岐にわたっています。この二つは、自分の経験とか、周りの主婦の考え方などを参考にして意見を言えたのですが、「ベストセラーの予感!」というのは、難しかった。何せ、「今ベストセラー」じゃダメなんですもの。BOOK大賞は、最終的な選考が2月21日。授賞式は3月。つまり、3月時点で売れてないと「ベストセラーの予感!」にならない~!ここでは選考委員のうち、取次店(本屋さんに本をおろす仕事)の方の意見がとても参考になりました。「タレント本は、寿命が短い」とか「これは数年前にブレイクしました」とか「この類の本は、なかなかベストセラーというわけにはいきません」などなど。選考委員に出版社の人がいないのは、自分の出版社から刊行した本を推したりできないように、との配慮なんですって。取次店は、出版社を問わず、さまざまな本に関わっていて、その上その「量」も実感しているので、とても説得力がありました。11月29日にノミネート作品が公表されましたら、随時、それらについての紹介もしていくつもりです。投票は12/1~1/31の2ヶ月間。リビング新聞(フリーペーパー)を読んでいない人も、投票できるので、好きな作品があったらどんどん投票してくださいね。
2007.11.10
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東京上野の国立科学博物館に行くと、青白いライトに照らされて、天井までの細長い水槽の水の中をゆっくり、ゆっくり、舞い降りては降り積もっていくマリンスノーを見ることができます。地球の海の底の底の、音のない世界で、1秒も止むことなく静かに、静かに、白いものが積もっていきます。それは、プランクトンの死骸。目に見えないくらい小さい生き物が、最後の最後に行き着く墓場です。地の底、海の底は真っ暗な地獄かもしれないけれど、博物館の水槽に再現されたそれを見ると、まるで天国のようにも思える美しい光景です。「石油の呪縛と人類」という、ちょっと小難しい新書の序章「石油の誕生」を読んだ時、私はこのマリンスノーの光景が、頭に浮かびました。びっくりです。1年で0.1mm積もるというマリンスノー。それが悠久の歴史の中、1千万年経つと、1kmの層になる。厚さ1キロですよ!そして、かつてのサッカー日本代表の岡田監督の言い草ではありませんが、「地球ができて40億年」地球に生物が誕生してからは、38億年と言われています。・・・つまり、38kmのプランクトンの死骸の層!!これが、石油のもとだったとは。現在、石油価格はうなぎ上り。一方で、石油を燃料としてすべてがまわっている人類の営みが、地球温暖化の元凶であることはすでに明白。後のことなどおかまいなしの掘りっぱなし、捨てっぱなし、流しっぱなしの歴史を知るだけでも、自分たちの生活の危うさが見えてくる1冊です。また、これまで「石油」をめぐって人類が繰り広げてきた愚かしい戦争の数々。世の中の紛争を見るとき、「そこに石油はあるのか?」「そこをパイプラインが横切るか?」この二つを考えるだけで原因がわかってきそうな勢い。だから、どうすればいいのか、答えはすぐには見つからないけれど、マリンスノーは1年でも0.1mmしか積もらない。「地球ができて40億年」でも、「人類がでてきて1万年」そして「石油を使って」は?私たちが40億年分を100年もたたないのに使い果たそうとしている、という事実だけは、不気味な感触を体に植えつけます。国立科学博物館に行ったら、ぜひ、マリンスノーをご覧ください。そして、この本を手にとってみてください。
2007.11.02
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江戸東京散歩最近、取材で東京を歩くことが多く、歴史好きの私としては、どこに行っても「昔ここはどういうところだったのかな?」と考える。そんな時、古地図というのはつかの間のタイムスリップの水先案内人になってくれるのだ。数ある古地図本の中で、人文社の「切絵図・現代図で歩く」と銘打った「江戸東京散歩」はすぐれもの。江戸開府400年記念保存版として発行されたこの横長の図録は、見開きの左に江戸切絵図を、右にそれと同じ場所の現代の地図を配し、今あるめぼしい建物や道路のあたりを見比べることで、どんなに変わったか、あるいはどんなに変わっていないかを実感できるしくみになっている。大名のお屋敷跡は公園や病院などやはり大きなものになっていることが多いし、ちょっとした道の曲がり具合が、江戸のころと同じだったりするのを発見するのも楽しい。また、紀尾井町、加賀町など、大名の名前にちなんだ町名もつけられていたりして、今さらながらに歴史の重みを感じる。本の目次のページには「震災や大戦をくぐりぬけ、激しく変貌する東京にあって、江戸時代の多くの寺社が、その場所に健在であるのには驚かされます」とあったが、同じ思いだ。寺の名前を江戸の絵図に探せば、区画整理でまったく町の形が変わっていても、あ、ここがそこね、とわかってしまうから便利便利。町とは、歴史が積み重なって出来るものだとつくづく思う。江戸の湾にはたくさんの島があったけれど、それらは埋め立てられ、吸収されていった。「大島」「京島」「月島」「越中島」そして「佃島」などなど、かつての島の場所をさがしてみるのも面白い。自分の家をさがして「ここは海の上か~」という人も、多いのでは?かくいう私も、その一人。(千葉の今も、東京に住んでいたときも)この本は地図だけでなく、「江戸東京セレクト散歩12コース」という歴史散歩のガイドつき。名所旧跡の紹介も充実している。「古地図で楽しむ鬼平・忠臣蔵の世界」というのもあって、フィクションの中の江戸の風景を身近に感じられるページもある。やはり古地図、現在の地図を比べ、登場する寺や居酒屋、道場などの位置を番号でおしえてくれる。実際に歩いてまわるもよし、小説を引っ張り出してきて、地図と見比べながら読み直すのも、またよし。楽しみがふくらむ本である。*このシリーズ、ほかに「明治大正東京散歩」「昭和東京散歩(戦前)」「昭和30年代東京散歩」などもある。
2007.11.01
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聴くだけでやせるCDブックマユツバもんだと思うでしょう?ちょっと、ありえませんよねー、「聴くだけでやせる」!でも、薬品などとちがって、絶対副作用はないはずだから、と友達から借りてみました。この本のいいところは「CDから聴きたい人は、まずCDを、 本を読んでから試したい人は、まず本を」というスタンス。「どうして効くのか?」をアタマでわかりたい場合は、先に本を読んでくれ、というのです。「なぜ?」「どうして?」にこだわり、部屋を片付けるにも、まず本を読んで片付け方を研究するところから始まる超・左脳人間の私は、とりあえず、読むのを先にしました。すると、これがなかなか面白い。「食べちゃいけない、と思うと、食べたくなる」「ウエストをしぼらなきゃ、と思うと、ウエストは太くなる」「やせたね、と言われて、どこが?と答えた瞬間に、あなたのカラダはやせるのをやめる」どうです?リクツはわからないけど、なんか、そんな感じ、しますよね。鏡にカラダを映して、「ここが太い、ここがミニクイ」と現実を受け入れてちゃダメなんだそうです。思い浮かべましょう!スレンダーな自分を!モデルのように、美しい曲線美を!なりたい自分になった自分を!・・・すると、カラダは自然にそうなっていくんだそうな。スポーツ選手が勝った時、ライバルを打ち負かした時、フィニッシュを決めた時をイメージするように、私たちは、「やせたアカツキの自分」を日々イメージし続けるのです!この本、はまります。ものすごい自己肯定。でも「太っていていい」の自己肯定と違う。ケンシロウじゃないけど「お前はすでにヤセている」状態。思うように体重が減らずにウツウツとしていては、カラダにもココロにもよくない。とりあえず、ハッピーになります。何となく、カラダにいい食生活をしたくなります。本を読んでハッピーになった私は、続けてCDを聴いた。・・・やはり右脳人間にはなれなかったのか、CDはイマイチ自分にあってなかった。だからヤセテナイです、というのは言い訳ですが・・・(苦笑)。人によってはCDでハッピーになるかもしれません。私はCDを続けていないので、この本が「ダイエットに効く」かどうかはわかりません。でもこの本を読んで、ハッピーになった。これは、実感です。たしかに、自己暗示って言ったらそれまでだし、現実逃避とも思える。でも、太っている自分がイヤでイヤでやせられさえすれば、あれもこれもできるのに、と何もできずに悶々としているよりは少し前向きで、たくさん行動的になれる気がします。自分が考える、もっともステキな自分を思い描き、そういう自分として生きていく。これって、すばらしいことですよね。充実感も増すし、背筋も伸びる。顔も輝くのでは?そうそう、もう一つ、ステキだな、と思った本の中のフレーズを。「寝る前に、ベッドの中でニコッと微笑んでから寝る」すると、シアワセになれるみたいですよ。少なくとも夢見は悪くないかも。どうせ一度っきりの人生。「今」を理想の自分で生きてみませんか?
2007.10.24
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右脳でわかる!会計力トレーニング最近ネットで株をやったりしている人、多いですよね。何でも「個人投資家」のパワーはだんだん世の経済の流れを作るほどになってきているとか。「私もやってみようかな」と思う人、すでに始めている人、ちょっとは経済のこともわかっておかなくちゃ、と思うでしょう。企業の業績とか。一応知っておきたいと、思いません?相場ってミズモノですものね。流されて大損するのだけはイヤ。せめて業績のいい会社の「株主優待」品で、トクした気分になりた~い!!とはいえ、本屋に寄ってごらんなさい。経済、財政の本ってタイトルからしてよくわからん。使われている用語も難しく、シロウトには何を見ても1ページ目から「ムリ!」と思ってしまうものが多い。そんなあなたにおススめするのが、「右脳でわかる!会計力トレーニング」。何と、簡単な棒グラフと円グラフしか出てこない。AとB、どちらがトヨタ?CとD、どちらが合併前と後?パ・リーグのオーナー会社6社、2番目に売り上げが多いのはどれ?そんな、あてずっぽうでもとりあえず答えちゃおうっかなー、と思わせるクイズを一つひとつクリアしていくと、なんとなーく「決算書」というものがわかってくる、というスグレモノなのである。もちろん、ヒントもあり、答えと解説もあり。パッと開くと右はグラフ、左は解説、というレイアウトもすっきりしているし、必要なところは数ページ割いて詳しく説明をしている。わからないところ、興味のないところはすっ飛ばしてもよし、あとから読んでもよし。一度ではわからなくても、気軽に何度でも本を開こうと思わせるところが経済の本として優れているところだと思う。新書サイズで持ち運びに便利なのもいい。電車の中でDSやるのと同じ感覚で、経済クイズ、やってみてください。会社の名前、覚えるだけでも、違う。ニンテンドーとかマツモトキヨシとかドンキホーテとか、知ってる店の経営が見えてくると、世の中のもう一つの顔が見えてくるかも!
2007.09.26
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嘘つきアーニャの真っ赤な真実この本には3人の友達のお話が入っている。いずれも米原が1960年代に通っていた在プラハ・ソビエト学校の同級生で、ギリシャ系のリッツァ、ルーマニア系のアーニャ、ユーゴスラビア系のヤスミンカである。それぞれタイトルが「リッツァの青い空」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、そして「白い都のヤスミンカ」。青、赤、白と、タイトルを聞くだけでも鮮やかな色彩が感じられる。内容を読むと、「ギリシャの抜けるような青い空」や「白い靄の中から浮かび上がる要塞都市ベオグラード」のイメージとぴったりあって、いよいよ感慨深い。特に「白い都の……」は、少女のヤスミンカが学校で語るベオグラード(白い都という意)の歴史的説明から入って、最後がユーゴ内戦のさなか、ベオグラードで30年ぶりに再会したヤスミンカと米原が、白い濃霧に包まれた城壁を見るという構成。感動的な中にも考え抜かれた筋立てで、心を揺さぶる秀作だ。3作の中ではこれがもっとも完成度が高い。しかし、本のタイトルに選ばれたのは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」。このネーミングはすごい。「嘘つき」と「真実」という対比、ふつうは「真っ赤な嘘」のところを「真っ赤な真実」。一体、「嘘つき」なアーニャがしゃべる「真実」とは、どんなものなのか、それも、「真っ赤な」真実とは?内容を何も知らなくても、思わず手にとってみたくなるではないか。その上、文庫の装丁も「真っ赤」。徹底的にコピーを盛り立てている。米原万里がソビエトに深く関わる人だと知っていれば、「赤」にはまた別の意味があるのではないかと、うがった見方も出てこよう。今の若い世代には考えもつかないかもしれないが、ベルリンの壁が崩れる1989年に近くなるまで、日本にあっても「社会主義」は一つの理想であり、その旗頭は「平等」だった。リベラルであるということは、多少なりとも左翼だった時代が続く。日本で60年安保などが世を騒がせていた頃、米原はプラハにいた。ソヴィエト本国ではなくチェコスロバキアのソビエト学校だったことで、彼女は純粋培養の「社会主義一辺倒」にならずにすんだのかもしれない。さまざまな国の事情を背負った友人たちとのつきあいは、米原の国際的感覚を豊かにしたことだろう。それでも、共産党員としてプラハに赴任していた父のもとで、社会主義国に暮らしたのだから、彼女は当然社会主義を誇りに思い、いいところをたくさん学び、体感もしたはずである。だから、アーニャの家庭が貴族のような生活をしていることは許せない。ありえないはずの現実を認めることは、社会主義の根幹を揺るがすことなのだ。無条件に社会を信じて生きる子どもたちにとって、こんな矛盾はありえない。幼い時、彼女はアーニャに向かって、自分の気持ちをうまく口にすることができなかった。プラハ時代も、チャウシェスク政権下のルーマニアでも、チャウシェスクが倒れた後でも、相変わらず特別扱いの贅沢な暮らしを続ける「アーニャ」の家の「真実」は、ある意味本当に「真っ赤な」体制の「真実」でもある。30年ぶりに会うアーニャの父に対し、今まで心に溜めてきた思いをぶつけるように、特権的生活をなじる米原。だが彼も米原の父も、資産家の家の出身ながら、若き日に理想の社会を求め、地下運動に命を賭けてきた。もしかしたら、自分の父親だってアーニャの父と同じになっていたかもしれない。アーニャの父を責める米原の苦しみは、深いのだ。一方リッツァはドイツにわたり、医師になった。貧しい移民や低所得者にへだてなく診療しているのを見て、米原はほっとし、あたたかい気持ちになる。またヤスミンカに対しては、内戦のユーゴで生きて再会できただけでもすばらしいのに、つい「あなたの住まいは特権階級のためのものではないわよね」などと確認してしまう。せめて自分の周りにあった理想がどこかに残っていてくれますように、という祈りにも似た願いを感じた。米原万里が自分の通った学校を訪ねる番組を、以前見た記憶があるが、本の方がずっと心に残る。懐かしさよりもっと激しく、少女時代に培われた自らのアイデンティティを求めずにはいられなかった心情が、よく出ているからだろう。
2007.09.19
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【中古本】日出処の天子(全8巻)<8冊全巻セット>名著「日出処の天子(ひいづるところのてんし)」は、「聖徳太子は超能力を持っていた」という設定のもと、両性具有的な妖しい魅力をもった若き日の聖徳太子(厩戸皇子)の物語。彼と同時代を生き、強いつながりを持っていた蘇我蝦夷(毛人)は、どろどろした政治権力の世界にあっても誠実な男、かつ彼のただ一人の理解者として描かれている。エンタテイメントを忘れないながらも重厚にして緻密、非常に冷徹に綴られた歴史もののコミックスである。厩戸と毛人との関係は、竹宮恵子の「風と木の詩」のセルジュとジルベールにも似ている。「陰陽師」の安部晴明と源博雅でもある。孤高の天才と無類のマジメ人間という組み合わせは、私たちに「自分にはないもの」をすんなり理解させてくれる究極のツールなのかもしれない。それにしても、歴代の天皇が豪族たちとくんずほぐれつ、血みどろの権力闘争を繰り返すさまといい、朝鮮半島の勢力地図の動きや、その中での仏僧の果たした役割といい、いくらでも難しく書けるだろう古代の歴史を、山岸涼子という人は誰にでもすんなり理解できるような形でマンガにしているのだ。その構成力たるや、見事というほかはない。その一方で、「マンガ」が持つ娯楽性を忘れない。ちょっと見、「男と男の恋物語」っぽい側面もあり、彼が女に対して見せる嫌悪のようなものを理解できずに右往左往する周囲の女たちの無理解にもリアリティがある。しかし、出色は「母」間人媛皇女(はしひとひめ)との関係。厩戸皇子の超能力は、母譲りであったのに、母が自分を理解するどころか、怖がったり遠ざけたりすることに対し、幼い子どものように絶望する皇子。ここが皇子の孤独を一層深くし、彼の冷徹さをいよいよ研ぎ澄ましたという伏線は、皇子が泣いたり叫んだりしないだけにはらわたがちぎれるような悲しみがかえって身にしみる。「歴史上の人物」が様々に取り上げられている例の一つとして、この「日出処の天子」が社会の教科書で紹介されているという話を聞いて、世の中も本当に変わったと、つくづく感慨が深い。今やMANGAは日本の一大輸出産業。不倫も同性愛も小児愛もあり、というイケナイサブカル歴史絵巻も、とうとうお墨付きをもらったということか。いや、どういう衣装を身に着けていても、人はその人の本質に感動し、敬意を表すということなのだろう。歴史好きの人には、絶対おすすめ。歴史をよく知らない人には、歴史の面白さを知る最適本として、さらにおすすめ。ちなみに、実写版で映像化するなら、厩戸皇子は、絶対Gacktでしょう。
2007.09.06
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あなたが「あなた」を超えるとき「煮つまる」は自分を甘やかす言葉だ・・・から始まる、この本。サブタイトルは「煮つまりから抜けだす55の方法」「下手な考え休むに似たり」というけれど、それを、コピーの達人・中谷彰宏は「動いていない人は、煮つまるのが好きです」と言い直す。そして「『煮つまっちゃって』と言い訳するのは、『私は傷ついた』と言いふらすのと同じ」とも。かなり辛らつ。でも、こういうアドバイス本は、とにかく心にグサグサきてナンボ。だからこそ、買うだけの価値があるのです。他にもいろいろ。「『自分探し』という言葉はきれいだけれど・・・自分探しをする人ほど動いていません」 本当に自分探しをしていれば、日々必死、「なんか煮つまっちゃって」「なんかここじゃないと思うんです」などと言っていられる状況ではない、というのです。「走っている人は走っている人同士で友達になる」止まっていては、ランナーには話しかけられもしない、というのは、なるほどー、と思います。あと、AさんとBさんの間でGive & Take と思わないこと。人生Give & Take、といいますが、それは、「与える、とる」の関係。そうではなくて、ABCの関係を作ろうというもの。AさんはBさんにGiveした。すると、CさんがAさんにGiveしてくれる。つまり「Give & Be Given」(与える、与えられる)の関係!要は、誰かに何かしてあげても、その人からの見返りを期待するな、ということですが、こういうふうに言われると、説教くさくないですよね。中谷彰宏という人は、なんと780冊も本を書いているというのです。本文中にそう書いてありましたが、そこはさらっと読んでしまいました。でも。本の後ろにその著書の一覧がついています。9ページも!びっくりします。すごいと思います。そして著者紹介のページには、こんなことも。「感想など、あなたの手紙をお待ちしています。 僕は、本気で読みます(中谷彰宏)」中谷彰宏に会ったことのある人の話では、「いつ話をしても、元気をくれる人」「いっぺんでファンになる」そうです。こう語ってくれた知人も、実は人々に元気を与える仕事をしているのです。いったい、どんな人なんでしょう。私も、会ってみたくなりました。
2007.09.04
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若い時吉本興業に勤務し、あの「やすしきよし」のマネージャーをやり、売れない時代の長かった「大助・花子」の売り出しにも成功した人、大谷由里子さん。今は自身の経験から社員研修の重要性を実感、研修、セミナー講師として八面六臂の大活躍を続ける「綾戸智恵」系・元気キャラの女性です。たくさんの著書がありますが、今日ご紹介するのは『その言葉、口に出す前に3つ数えなさい』。「あなたが気づかずに言っている悪魔の一言」と銘打って、人間関係を損ないやすいフレーズと、なぜそれがいけないのか、を自分の体験をもとにわかりやすく説明しています。たとえば「この程度なのか」人に仕事を頼んで、その結果を見ての第一声がこれではいけない、というイマシメ。その人ならもっとできるはず、だからもっと高いレベルで期待していた、という証ではあるけれど、言われた方は傷つくよ、というお話。まずはひとことお礼を言うとか、そういうクッションがないと、受け入れられないかも。おもしろいのは、同じ言葉を自分自身に対して言っているシチュエーションも載っている事。ボーナスや給与の明細をみて、「この程度なのか・・・・・・」。そして、この言葉をポジティブに使うとどうなるか?「この程度で落ち込んでいても始まらない!」言葉が人に与える影響を、見事についていると思いました。もう一つ、私が大きくうなずいてしまった言葉を。「くだらない」私の母の口癖。小さい頃から、何回聞かされたことか。私がテレビを見ていると、「くだらない」。時代劇は「くだらない」。お笑いは「くだらない」。スポーツは「くだらない」。じゃあ、そういうものを見て心から感動している私は?テレビの前でオイオイ泣いている私も「くだらない」人間?世の中、どんなつまらないものにも感動はある。他人から見れば、大したものじゃなくても、私にとっては宝物。それは、認めてほしい。私の人生は、そう自分で確信できたところから始まったので、「くだらない、しょうもない、は人生の可能性を狭める」という大谷さんの言葉に、心から共感しました。他に「情けない」とか、会社でも子育てでも友達関係でも、「気をつけよう」と思わせるフレーズ満載。一度手にとってみてください。
2007.06.22
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小さな花が咲いた日石川結貴(いしかわ・ゆうき)は、現代家族のリアルな問題を豊富な取材網をもとに描き出すノンフィクション・ライター。つい最近も、40代50代の男女の迷いや決断の数々について「オトナの迷路」というシリーズを『サンデー毎日』に連載していた。その石川が、今回は「小説」という形態にこだわった。取材の過程で出合った12の人生を、いつもと違った観点から描き出している。私がもっとも好きな短編は『団塊アパート』。気がつけば孫の世話に振り回されている律子にも、「全共闘の青春」があった。今も思い出せばナイフで胸を裂かれるほどの痛み。それとともに、官能のアドレナリンもまた、溢れ出す。そんな女の一面を、懺悔の念とともに思い出す一瞬。鮮やかである。冒頭の『包丁』もいい。最近は最近は「どうやったら妻に捨てられずに退職後を生きられるか」、とにかく「愛していると口で言う」とか妻に迎合するノウハウ花盛りだが、昔かたぎの男と女が長く連れ添って分かり合うとはどういうことか、自分の心から湧き出る愛情表現とはどんなものか、原点に還ることのできる小品だ。ほかにも『弁当』『スイッチ』など、12のうちの誰でもどれかには「これ、まるっきり私のことじゃない!」と思うような、共感できる話が満載。専業主婦の日常なんて、ドラマになりにくいものだけれど、人は心の中にそれぞれブラックホールを抱えているということが実感できる。現代の家族のつらい問題をとらえながら、「人を救うのは、人」という温かい視点を失わないことで読みやすく、読後の後味もよい1冊となっている。今の生活に漠然と虚しさを感じる人、もっと違う人生もあったんじゃないか、と立ち止まることの多くなった人、わけもなく、涙があふれる自分をどうすることもできない人。これは、実話をもとにしています。みんな、あなたと同じようにがんばっている。読んだ後、「私も、がんばってきたなー」と自分をほめてあげたくなるかもしれません。
2007.06.10
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ボロボロになるまで読んだ本がある。 「シナの五にんきょうだい」。 今で言えば、中国版「X-men」か「サイボーグ009」か? (「サイボーグ009」はもう“今”じゃない?) 海の水を飲み干せる、火の中でも生きられる、 「ONE PIECE(ワンピース)」のルフィみたいにゴムゴムの体、など それぞれが超能力をもった5人のよく似た兄弟が 王様の無理難題や拷問に打克ってシアワセに暮らす話。 以前、どうしても子どもに読ませたくてさがしたところ、 絶版になっていました。 どうも、「シナ」という言葉がいけなかったようです。 「ちびくろサンボ」などと同じです。 だけど、「中国の5人兄弟」じゃ、ゴロが悪い。 「シナの五にんきょうだい」は名タイトルだと思います。とっても面白い話だし、 別に中国人を差別したようなところはないし。 たしかに挿絵の5人は、 いわゆる辮髪(べんぱつ)・細い釣り目だったけど、 これで「絶版」かー、と納得いかない私でありました。 すると、数年たって、なんと復刻版が出たのであります! もちろん買いました! A4ヨコ長の本は、昔はペラペラだったんだけど、 復刻版はハードカバーになっていました。 (出版社も変わっています。復刻版は瑞雲舎で、もとは福音館書店。「こどものとも」のシリーズだったのでは?)もう子どもはずい分大きくなってはいましたが、 読ませましたよー。 私が子どもに「絶対読みなさい!」と命令した本は、 これと「ナルニア」しかありません。 ボロボロになるまで読んだ本は、あと二つ。 一つは「少女パレアナ」。 母の本で、もともとボロボロで、最後の数ページはなかった。 「プリズム」のところが大好きで、 オトナになってから、文庫で読み直しました。 以前の本は子ども用にリライトされていたので、 「こんなに深い話だったのかー」と感銘を受けたものです。 もう一つは「からすだんなのおよめとり」。 アラスカ・エスキモー(これも使用できたりできなかったり、難しい言葉)の童話集みたいなもので、 私は「てばたき山」というのが好きだった。 渡り鳥が、目的地に行くためにどうしても通らなければならない 難所のお話です。 これも、新しく買いなおしました。 その物語を全部理解して読んでいたわけでもないけれど、 心の奥深くに何かひっかかりがあったのでしょう。 単純だけど、印象深い挿絵も、すぐに頭に浮かびます。
2007.06.03
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教室の悪魔いじめを受けて自殺する事件が立て続けに起こった時期、朝日新聞に著名人の「呼びかけ」記事が毎日載ったことがあった。あの中で、私が一番好きだったのは、元マラソンランナーでスポーツライターの増田明美さんのものだった。アルピニストで環境活動家の野口健さんのもよかった。なぜこの2人のことを覚えているか、というと、彼らは「逃げないで」「がんばって」とは言わなかったから。いじめられている人の心に寄り添って書いていたから。この「教室の悪魔」を読むと、「いじめに負けないで」がどんなに残酷な言葉かがよくわかる。そして、一番大切なことは、子どもを守る「覚悟」。親も、先生も、とにかく「いじめは絶対いけない」という気持で一丸になって取り組む。子どもたちに「こりゃ、ただごとじゃない」と思わせる。つまり「大人はホンキだ」ということを見せるのだ。イジメがあったかなかったかの迷路にとりこまれないこと。これも大切だということがわかった。児童相談センターで実際に相談の最前線にいる著者だからこその、子どもに対する愛情溢れる視線が涙腺を刺激します。親の苦悩に対しても、多方面で理解を示しながら、陥りそうな誤った対処を指摘してくれます。それほど時間がかからないで読める本なので、子どもに関わるすべての人に、一度は手に取り、読んでほしい本です。
2007.05.10
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「僕の仕事は未来のビジョンの創造だ」 そう言い切るだけの裏づけを、高城剛は厚く積み重ねています。 個人レベルにも、国家レベルにも、具体的に提案ができる数少ない「ハイパー・クリエイティブ・ディレクター」。 「ヤバいぜっ!デジタル日本―ハイブリッド・スタイルのススメ」は、ここまでやれば、本当に、未来が見えるだろうと納得してしまう1冊です。 未来を生き抜くための彼の提言は3つ。 「スタイル」「ハイブリッド」そして「ブランド力」。 まず、スタイル。昨日のブログで「マトリックスは世界にスタイルを提供した」ようなことを書きましたが、スタイルとは、つまりそれが人々の生活を変えてしまうということです。これで成功したの例としては、たとえばi-pod。かつてソニーのウォークマンがそうだったように、「音楽を持ち歩く」形態を一気に変えてしまった。 「ハイブリッド」はトヨタの車が有名だけど、携帯電話が「通話」「メール」「ウェブ」「ナビ」「電子マネー」「音楽」と、どんどん違った要素をとりこんでいく姿もハイブリッドなのです。 「ブランド」。ブランド信仰というと、成金やチャラチャラした感じを抱く人もいるでしょうが、「ブランドとは信用であり、信用に足る自分の形成である」という著者の言葉にハッとします。 長い年月、同じものを売り続ける会社ならではの「信用」。品質が保証されていることは大きいですね。決して「そういうものを買いなさい」ではない。 「そういうものを生み出しなさい」であるところが、この本の本当のインパクト。 これからは「一芸に秀でる」でなく、「多芸に秀でる」ことが、成功の秘訣だという。 高城さん、要求が高い! 彼は、人にも厳しいが、自分にも厳しい。 「生死をかけて時代とコミットメントしている本業のクりエイティブ・ディレクターに、(兼任で仕事をさせられている)サラリーマンが勝てるわけがない」 世の中、「生死をかけて」生きていかねばならない時代に突入している。 その予兆を感じ取るだけでも、読む価値がある一冊です。
2007.03.25
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金原ひとみが「新潮」2007年1月号に書き下ろした「ハイドラ」を読みました。金原ひとみは「蛇にピアス」などで有名な、若くてきれいな芥川賞作家です。最近の作家さんの作品は、あまり読まないのですが、たまたま「ロープ」(1月5日のブログにあります)の戯曲が載っているということで、「新潮」を買ったところ、この「ハイドラ」も載っていた、というわけです。一気に読みました。面白かったです。好きな男性に対する女性の心理が、ものすごく自然に、そして丁寧に描かれている。たたみかけるようなリズムもいい。人物描写も過不足がなく、読みすすむうちにどんどん視界が開けていくような展開も見事です。「捨てないで」という願望の強さは、女性なら必ず一度は経験する、自虐的な願望。自分の価値が自分でわからない。そんな若さゆえの迷走。しかし、作品との出会いって、突然やってくるよね。かつて山田詠美の「僕は勉強ができない」が雑誌に初出した時、何気なく本屋で手に取ったまま、全部立ち読みしてしまったあの時の興奮に、似ている。おみそれいたしました。これからの作品も、要チェックです。「新潮」は月刊誌です。2007年1月号の特集「文学の5つの出来事」の中に「ハイドラ」と「ロープ」いずれも入っています。
2007.01.06
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