ことば 0
全44件 (44件中 1-44件目)
1
以前少し書いた「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」が1月17日から公開されます。「気ままにシネマナビonline」で紹介していますので、お立ちよりくださいませ。
2015.01.04
コメント(2)
「月刊スカパー12月号」で野村萬斎さん主宰の「ござる乃座」(第50回)ステージリポートと、CINEMA-CLOSEUPを担当しました。CINEMA-CLOSEUPでとりあげた映画についてはこちらを。特にお勧めは「ナショナルギャラリー 英国の至宝」。ワイズマン監督のドキュメンタリーで、一つひとつの美術品の圧倒的な力をよく引き出しています。学芸員たちの美術品に対する愛情が、とても共感できてわかりやすいのが特徴です。公式サイトはこちら。
2014.12.07
コメント(1)
ガレキを緑の防波堤にできる男監督:島田角栄配給:PUNK FILMストーリー●宮脇昭は84歳のカリスマ植物生態学者だ。家庭を顧みず植樹と研究に突っ走り、時に変人扱いされるが「シイ、タブ、カシ、ミズナラなど日本の真の郷土種を使えば森は勝手に育つ」「何が郷土種かは鎮守の杜を調査すればわかる」ことを国内外1700ヵ所以上、約4000万本の植林活動で証明。今や国土交通省など官公庁や一流企業も、道路、公園、工場周囲の植樹指導を彼に依頼する。鋭い眼光で「まじぇる、まじぇる、多様性が命」「毒以外、分解できる地球資源は焼かない、捨てない」などとまくしたてる宮脇の、愛と信念と人間的魅力に迫るドキュメンタリー。勝手に育つ「郷土種」は、すでに国土の0.06%にしか分布していないという現実。驚くことに、マツやスギも芝生などと同様、維持管理に手がかかる外来種に含まれるらしい。なるほど今回の震災と津波で、松林は根こそぎ倒れた。「残った一本松」の生命力が象徴的に語られる一方、彼が多賀城市で8年前に植樹した苗が「緑の壁」となり、震災後も超然と立ち続けていることを知る人は少ない。「震災ガレキに土を混ぜてマウンドを造成、その上に植樹して緑の防波堤をつくる」というプロジェクトも、彼が語れば決して絵空事ではない。ポット苗を植えてたった3年や5年で、赤茶色の造成地が豊かな緑に変貌していく写真を何枚も見れば、日本再生も夢ではないと、心の底から勇気が湧いてくる。
2012.09.15
コメント(0)
アメリカが基地をつくる本当の理由監督:エンリコ・バレンティ/トーマス・ファッツィ配給:アンプラグドストーリー●2009年、アメリカでは民主党のオバマ氏が大統領に就任し、イラクやアフガンからの撤退を宣言した。しかし翌年の軍事予算は、ブッシュ政権当時より300億ドルも多い6千800億ドル。これらの予算の多くは、世界中の米軍基地の維持に使われるという。不思議なことに、アメリカは戦争を「した」後の国に基地を作り続けている。その数は現在、世界の約40カ国700カ所以上を数え、駐留する25万人の兵士の生活の場でもある。つまり基地はアメリカにとって産業と雇用を創出する場であり、ローマ帝国の植民市さながらの役割を負っているのだ。日本では戦後60年以上、沖縄に米軍が駐留し続け、常に問題となってきた。なぜ沖縄に38もの基地が必要なのか、なぜ沖縄でなくてはいけないのか。それは安全保障の理由によるものだ、とずっと説明されてきた。しかし、沖縄も、イタリアも、コソボも、すでに「平時」になった国の米軍基地は、実はアメリカの経済のために「維持」されている側面が強い。「基地とは戦利品であり、略奪品であり、決して返還されないもの」という言葉には、現実に照らして説得力がある。作品のなかでは、土地を奪われ、騒音で日常をかき消され、事件が起きても治外法権で裁けない沖縄で、地道な返還運動をしている人々にも焦点を当てている。「自分の土地を戦争で人を殺すために使われたくない」という言葉には、ハッとさせられる。
2012.09.13
コメント(0)
魂の音楽を奏でる永遠の二十歳たち 監督:ミゲル・コアン配給:スターサンズ(配給協力:ビターズ・エンド) ストーリー●2006年。ブエノス・アイレスで最も古いレコーディングスタジオに、往年のタンゴミュージシャン22人が集まった。彼らは1940年から50年代に活躍し、アルゼンチンタンゴ黄金時代を作った名匠たち。最年長は90歳、最年少でも72歳だが、今もなお人々の心を震わす。スタジオでの練習、録音は熱気を帯び、最後はコロン劇場でのコンサートへ。世界有数の大劇場に集まった観客は、一夜限りの奇跡の目撃者となる。深く刻まれた皺や頬のたるみ、あるいはおぼつかない足元は、仮の姿か。70歳80歳の節くれだった指が、バンドネオンのボタンを速く正確に刻む。あるいは、ピアノの鍵盤の上を縦横無尽に走る。時折はさみこまれる、50年前の写真。その上にかぶるのは今の声なのに、力強さといい潤いといい、歌っているのは写真の人と思うくらい若い声である。人間、年齢じゃない! 80だって90だって、美しく歌い、激しく演奏するのだ。音楽に対する感性の見事さが、彼らに時空を超えさせる。音楽の前で、彼らはまさに「永遠の二十歳」だ。とはいえ、映画公開を待たずに22名中3名が亡くなったのも事実。マエストロたち渾身の競演は、二度とないタイミングだったのだ。限りある命の燃え尽きるその日まで、自分を磨き、前進し続ける彼らに、勇気と自信をもらえるドキュメンタリーである。
2012.08.07
コメント(0)
【送料無料】スマイルBEST::シッコ スタンダード・エディション [ マイケル・ムーア ]アメリカに皆保険が根付かないわけ監督:マイケル・ムーア販売元:ギャガ・コミュニケーションズストーリー●約4700万人が無保険者のアメリカ。さらに、保険加入者も医療の門前払いにあっているという。ムーア監督は医療難民を引き連れてキューバを訪れる。そこは廉価で薬が買え、いつでも病気の相談をしてくれる町医者が配備される社会だった。「アメリカが一番」の神話は、一体どこへ?アメリカの保険産業は、多額の政治献金によって政治家と取り込み、皆保険導入案をつぶして今の形を獲得した。驚愕は、診断医が高額で雇われ、会社の損になるような診断をしないという事実。治療費で家を失う人が続出しているのに、大半のアメリカ人は皆保険=共産主義=悪と決めつけ、反対する。プロパガンダが真実よりも力を持つ恐ろしさを感じた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「シッコ」については、こちらにもレビューを書いていますhttp://plaza.rakuten.co.jp/gamzatti/diary/200709100000/
2012.08.04
コメント(0)
【送料無料】キャピタリズム~マネーは踊る [ マイケル・ムーア ]資本主義って、民主主義?監督:マイケル・ムーア配給:ショウゲートストーリー●サブプライム問題、リーマンショック、世界同時不況。これまで「まじめに働けば右肩上がりで幸せになれる」と信じていた人々に突然襲い掛かる、自宅明け渡し命令。さらにアメリカ経済の象徴・GMの倒産。ムーア監督の父も、かつてGM工場に勤務していた。その工場跡は、今も更地のままである。愛する祖国がなぜ狂ったカジノと化してしまったのか、資本主義は本当に「善」なのか。庶民の立場から検証する。今や、1%の富裕層が国全体の95%以上の富を有しているというアメリカ。この状態をローマ帝国になぞらえ、自分たちは「奴隷」であるとほのめかして映画は始まる。レーガン~ブッシュ政権の間に、アメリカ政府の要職には銀行家などが多数入り込み、いつのまにか金融界にのっとられていた。「アメリカはいつから証券取引所の手先になったんだ?」と現職の議員たちが議会で公言している事実にも驚く。だがあからさまな金持ち優遇に、庶民はあまり不満を持たないできた。誰もがアメリカン・ドリームを信じ、いつかは自分も金持ちになれると夢見ているからだという。実際は、多くの庶民が最低限の生活さえ奪われているというのに。アメリカン・ドリームとは、なんと罪作りな夢なのだろう。アメリカを痛烈に批判しながらも、監督のまなざしには悲しみが見える。無垢な祖国愛が、痛々しい映画でもある。
2012.08.03
コメント(0)
「六ヶ所ラプソディー」【23%OFF!】六ヶ所村ラプソディー(DVD)価格:3,880円(税込、送料別)「放射能がかからない最後の野菜」の重み監督:鎌仲ひとみストーリー●六ヶ所村には原発使用済み燃料再処理工場がある。処理過程で出るプルトニウムを再利用して発電に使うのがプルサーマルである。2004年、試験運転開始を前に、反対者は少数だ。「もう建ってしまったから」「雇用があるから」「安全と説明を受けたから」。しかし運転が始まれば、高い煙突から常に放射性物質が放出される。「ただちに身体に影響がない」くらい「微量」だから安全、と電力会社は説明するのだが……。 この映画で危惧されていたすべてのことが、今現実に起きてしまった。シーベルトも燃料棒も、今の私たちは理解できてしまう。「中立は楽だけど、何もしないことは賛成と同じ」と気づいて反対し始めた人の言葉を、噛みしめたい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ミツバチの羽音と地球の回転」電力自由化という脱原発のへの道監督: 鎌仲ひとみ ストーリー●瀬戸内海に面した山口県の島・祝島。2000年にUターンした山戸孝さんは島の働き手としてもっとも若い。海辺でヒジキを取り、山では無農薬ビワを育てる。島の人々はもう30年以上、対岸の本州・上関原子力発電所の建設に反対してきた。決して漁業権を手放さない漁師と、子どもの命を守ろうとするおばちゃんたちの団結は固い。しかし中国電力はあの手この手で反対運動の裏をかき、原発建設のための布石を着々と打っていく。(各地で自主上映あり)孝さんの父親・貞夫さんは長年原発反対運動のリーダーを務めてきた。その彼が「地元民だけの反対では、原発は止まらない」と言う。「止められないが、引き延ばすことはできる。そのうちに、社会の情勢が変わって、原発が要らなくなるのを待つだけだ」。2011年3月。中国電力が準備工事を決行しようとする上関原発予定地には、多くの反対者が終結、両者の対峙が続いていた。そのさなかに宮城沖の大地震と福島第一原発の事故は起きた。考えうる最悪の形で、今「社会の情勢」は変わりつつある。しかし、これまで原発が生みだした電力の恩恵を受けていない日本人は1人もいない。脱原発は本当に実際できるのか。電気が自由化されているスウェーデンでは「風力由来の電気しか買わない」こともできるという。原発に代わるエネルギー自立のヒントを示唆した、現在進行形の映画である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は「Wife」という隔月誌で毎号、その時期に公開される映画とその映画のテーマに関連するDVDを紹介しています。6月上旬に発行された分の原稿締切は4月末。4月といえば、震災後の「自粛」ムードで多くの試写会が中止、映画そのものの公開も、内容によっては延期されるものがあった時期です。この時期に、紹介できる映画とは何か。私の頭にまず浮かんできたのが、「六ヶ所村ラプソディー」でした。鎌仲ひとみ監督とグループ現代は、これまでに、「ヒバクシャ 世界の終わりに」「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」という三部作を完成しています。グループ現代に連絡したところ、ちょうど6月に「ミツバチの羽音と地球の回転」がアンコール上映されるとのこと、これをメインの映画として、関連DVDに「六ヶ所村ラプソディー」もしくは「ヒバクシャ」をセットにすることとなりました。サンプルDVDを改めて拝見させていただき、ちゃんと気づいていた人はいた、ちゃんと「NO」と運動していた人はいた、けれど、大半の人は無関心だった、聞いて賛同しても、動かなかった、そういうことを痛感しました。先日、女優の吉永小百合さんが「原子力の平和利用ということばをなんとなく聞き流していましたが、 今こそ、私たちは声を出さなければならないと思います」とおっしゃったといいます。今からでも。ここからでも。まずは、今まで、何が起こってきたかを知ってほしい。六ヶ所村で、上関で、あるいは福島で、美浜で、玄海で、敦賀で、泊で、…。そして、その問題を今もなお、現在進行形で抱えているのだということを。電力を使うすべての人が認識するべきだと思います。「Wife」の誌面では「ミツバチ~」のほうがページの上部ですが、今回は、あえて「六ヶ所ラプソディー」を先にレイアウトしました。鎌仲監督の渾身の三部作、第一作目は「ヒバクシャ 世界の終わりに」。これはイラクの劣化ウラン弾の被害のお話です。でもそこで監督が戦車の横でガイガー片手に「うわ、◎◎シーベルト!」と、びっくりして紹介する数字など、今、日本では当たり前になってさほど驚かないような値になっているのが、ホラー映画よりずっとホラーです。こちらも、ぜひ見ていただきたい作品です。【23%OFF!】ヒバクシャ 世界の終わりに(DVD)価格:3,880円(税込、送料別)
2011.07.28
コメント(2)
BBCの地球ドキュメンタリー映画はいつも迫力満点ですが、今回のも「どアップ」がすごいです。動物達の生態を、すぐ隣りで見物しているような映像。日本語版は、松たか子と松本幸四郎の親子がナレーションをしていて、これがとってもいいです。とくに松さん。淡々とした口調の中に、ひたひたと感情の潮が満ちてくる感じ。キツネに狙われたシカの赤ちゃん。初めてキツネを見る。「逃げろ、と、本能が叫んでいる」松さんの声がいい。客観的ではあるけれど、臨場感が迫る。この場面を見ながら、そうだ、私たちは今、未曾有の原発事故の影響下で、これが一体どういうものかなんて、ちゃんとした過去の分析を持たない。その上、現在のデータすら手に入らない。けれど、本能が叫んでいる。「逃げろ!」と。本能で子どもたちを守ろうとしている。親が子を守ろうとするのは、それは本能なんだ、と改めて思った。完成披露試写会だったので、それも世界初のお目見えというタイミング、イギリスから監督もいらっしゃったし、松さんや幸四郎さんもかけつけて、豪華でした。監督さんたちは「私たちは日本語はわからないけれど、最初の5分を聞いただけで、松さんと幸四郎さんの声がイメージに合っていた、父と娘にナレーションをしてもらったのは、家族を大きなテーマにした今回の映画にぴったりだ」ととっても満足そうでした。幸四郎さんの「今、芝居をするということが難しくなっていますが、この時期に、このお仕事を引き受けさせていただいたことをうれしく思います」「歌舞伎には襲名というものがありますが、 襲名の『名』は『命』につながります。 私にとって、松たか子は、命をつなげたもっとも大切なものでもあります」というコメントがとても印象的でした。「ライフ」は9月1日からです。(このリンクから、きれいな映像が見られますが、重いかもしれないです)
2011.07.14
コメント(0)
[DVDソフト] 延安の娘2001年にNHKBSで放送された「延安の娘」を、BS20周年記念のセレクション番組最終回として、本日放送していました。今までにも再放送されているものですが、このドキュメンタリーは何度見ても引き込まれる秀作です。中国文化革命で延安に下放された青年カップルが、恋愛を禁じられていた中で産み落とした1人の女の子。生みの親たちは北京に帰り、自分は延安の養父母のもとで育ち、結婚し、子どももいる。しかし、自分の本当の親に会いたいと思っている。彼女の思いを、当時の下放青年たちがかなえようと奔走する様子、長い年月の末の親子の対面や、ずっとくぐもり続けた下放青年たちの持っていきようのない叫びが静かに、丁寧に、しっかりと描かれています。監督は、後に「蟻の兵隊」を製作する池谷薫。今回は放映後に池谷氏と大林宣彦を交えた対談がありました。そのなかで、ナレーションを入れなかった理由として池谷氏は「私は映像の力を信じたい」と語っていました。映像から読み取れるのは決して一つのことではない。そこを視聴者に託している。映像とともに、視聴者のことも信じて作ってくれていると感じました。北京に戻ってもそこにいい生活は待ってくれていなかった父親が細々の暮らしているフートン街も、オリンピックを機にかなり壊されているのですから、彼の居場所が今あるのかどうかも、わからないな、と思いながら見ていました。最初にこれを見たのが10年前だ、ということがすでに信じられない。光陰矢のごとし。BS20年のドキュメンタリーのなかでも、この「延安の娘」は最終回にもってくるべき秀作だった、ということでしょう。文化革命のさなか、国の政策に翻弄され、理不尽な理由で処罰され、それとは正反対の今の世の中で置き去りにされながらも、じっと耐え、ぐっとこらえて日々を生き抜く初老の下放青年たちと、その忘れ形見になんともいえぬ哀愁を感じる一編なのです。*下放=中華人民共和国で文化大革命の時期に、 労働第一を謳った毛沢東精神にのっとり、 大学生らインテリ青年は、親元から切り離され農山村に派遣された。 その理想は高邁であったはずだが、実際は強制労働に近く、 人間らしい生活は保障されない場合が多かった。
2010.05.30
コメント(0)
2006年。タンゴの黄金時代を作った往年の名ミュージシャンたちがタンゴのメッカ・アルゼンチンのブェノス・アイレスのコロン劇場で一夜のコンサートを開く。そのためのスタジオでの日々、録音風景などメイキングも含めたドキュメンタリーが、「カフェ・デ・ロス・マエストロス」だ。とにかく、その「音色」に心震わさずにはいられない。何なんだ? この力は?時折はさみこまれる、彼らの若かりしころの姿。写真に50年後の声がかぶる。力強さ。潤い。若さ。声だけ聞いていたら、若者の声である。深く刻まれた皺や頬のたるみは、声や喉には無縁なのか。70歳80歳の節くれだった指が、バンドネオンのボタンを速く正確に刻む。あるいは、ピアノの鍵盤の上を縦横無尽に走る。音楽の前で、彼らはまさに「永遠の二十歳」である。そして、ヴァイオリン。べっ甲のぬめりと光沢が、空気を一枚の布にして響かせる。押し寄せてはすべてを引きずるように持って行く、音楽の波。パーカッションが、バンドネオンが、ストリングスが激しくリズムをたたみかける。その1フレーズ1フレーズに、思わず拍手、そしてブラボー。後半のコンサート場面では、本当にスタンディングオベーションをしたくなった。素晴らしい音楽の連続に、夢見心地の90分である。90分では足りないくらい。120分にして、最後のコンサートの場面、もっと長くしてほしかった。一日中でも彼らの音楽に浸っていたい。巷では「たちあがれ日本」党なるものができて、老人すぎるんじゃない?という人が多いけど、この映画を観たら、人間、年齢じゃない!ってことがよくわかる。(だからこの党がすごいっていうことではないけれど)80だって90だって、美しく歌い、激しく演奏するのだ。彼らの音楽に対する感性の見事さが、まるで奇跡のように彼らに時空を超えさせる。そのメロディを耳にしただけで、涙がこぼれる。神が与えた天分を受け取り、磨き、開花させ、そして長年熟成させた、マエストロたち渾身の集大成が、この2006年の一夜であった。この映画の公開を待たずに、出演した22名のマエストロのうち、3名が亡くなった。そして2010年2月までに、もう8人計11人が鬼籍に入ってしまった。本当に貴重なタイミングだったということがわかる。プロデュースしたグスタポ・サンタオラージャに感謝。このメンバーで収録したCD、早速買いました。【送料無料】Cafe De Los Maestros - Deluxe Version 輸入盤 【CD】2006年ラテン・グラミー最優秀アルバム賞受賞。でもできるなら、まずは映画を見てほしい。東京・渋谷のbunkamuraル・シネマで、この夏陶酔の公開!(6月くらい。確定したらまた告知します)
2010.04.10
コメント(0)
今フランスで起きている農薬被害について、「子どもたちの未来はどうなるの?」という視点から描いたドキュメンタリー、「未来の食卓」。原題は「子どもたちは告発する」です。というか、こんなことやってたら、私たちはいつか子どもたちに責められて当然」という感じかな。フランスの農村の子どもたちが、白血病やガンに次々と侵されている。子どもたちの未来、というより、子どもの「今」がヤバイということが、次々と報告されていきます。山の中の小さな村で、「これじゃ子どもの健康は守れないから、給食は全部有機で!」という村長と村議会議員12人の大英断で始まったオーガニック給食の1年を追いながら、本当に豊かな食生活って何だろう?本当に必要な政治って何だろう?を考えさせるドキュメンタリーです。昨日、日本では衆議院が解散され、8月30日が総選挙の投票日に予定されています。街角の人たちが「どんな政治を望みますか?」と問われ「安心して暮らしたい」と、何人もの人が言っていたのが印象的でした。私たちの社会から、安心、がなくなってしまったんですね。この「未来の食卓」を見ていると、私たち一人ひとりの決断と参画がどれほど大切かがわかります。今、地方も疲弊していますが、危機感を感じるからこそ、逆にそれをバネにして、小回り利く地方から変えていける部分もある。そういうことも、この映画は言っているかもしれない。本当に大切なものを真剣に考えていかないと、本当に「未来の食卓」は危うい、と感じる作品です。「えるこみ」というサイトで、この映画の内容や試写会のもようを書かせていただきました。ぜひお立ち寄りください。特に、子どもさんを持つ方は、この現実から目を離してはいけないと思います。映画は8月8日より全国で順次公開しますが、そのほかに、自主上映も募っています。詳しくは、公式サイトをごらんください。
2009.07.22
コメント(0)
9.11で崩れ去ってしまった今はもう幻の、ニューヨーク、ワールド・トレード・センターのツインタワー。「マン・オン・ワイヤー」は、この一方の屋上から、もう一方のビルの屋上まで綱を渡し、その上を歩いて渡った男の記録です。今までに彼が「綱渡り」をした高いところのリストを見れば、きっと一度はその勇姿(?)をテレビのニュースで見たことがあると思い出すことでしょう。フィリップ・プティ。「どうしてそんなことするの?」って聞かれたって、「なぜ」なんて考えたことのない男。彼にあるのは「渡りたい!」という欲望のみ。理由は、ない。サーカスに所属したこともなく、ただただ綱渡りが好きだ、という変人で、学校は5回も退学になってる。自分の興味のままに突っ走る性格です。でも、一人では「ツインタワー」を征服することはできなかった。「渡る」前に、「しのびこむ」が必要だったから。ちょっとしたルパン三世かキャッツアイかっていうスリリングなお話を、この映画で知ることができます。彼のために身分証を偽造したり、何時間も工事現場のシートの中でじっとしていたり、太いワイヤーを渡したり、彼の周りにはいい「仲間」がいました。その「仲間」とのその後の関わり方の顛末が、ちょっとさびしかったりして、これは「綱渡りの物語」ではなく、「青春の物語」だな、と痛感。プティはいくつになっても青春真っ只中で、時計の止まったピーターパンみたいな人なんだけど、まわりはやっぱり、オトナになっていくのでした。そんな哀愁も感じさせるドキュメンタリー。実際の綱渡りの映像には度肝を抜かれます。
2009.07.14
コメント(0)
アメリカの穀倉地帯、アイオワ州の農地一面にトウモロコシが収穫を迎える。「ためしに」農業などやってみようかと、ほんの1エーカーの土地を借りておままごとのような農業をやってきた二人の映画おたく青年の農地にも、すくすくと育ったトウモロコシに黄色い実がなった。「どんな味かな?」「もう食べられるかな」衝撃である。「まずい」っていうんだもん。なぜなら、これは「食べる」トウモロコシではなく、飼料やコーンシロップの原料になる、「くず米」ならぬ「くずトウモロコシ」だったのだ!一見豊かにみえる、青々としたアイオワの農村。どこもかしこもトウモロコシ畑。中心部にある大きな倉庫とその周辺には、収穫した「トウモロコシ」が山と積まれている。しかし、「まずい」のである。食べられないのである。こんなにトウモロコシを作っていても、自分たちの食べ物にはならないなんて!補助金のこと、化学肥料のこと、遺伝子組み換えの種子のこと、私は知っていることが多かったけれど、かなりショッキングであります。一番ショックだったのは、ラスト。「あの人」が、土地を離れなければならないなんて……。アメリカの農業は、絶対間違っていると思った。日本でも、大規模農業こそが農業を救う、と思っている人が多いけど、このドキュメンタリーを見ると、規模が小さくたって自給自足ベースがいちばんだ、ということがよくわかる。いろいろな食物を育てることは、とっても大切なことなんだなー、と実感します。農家のみなさん、いつも、ほんとに、ありがとうございます!「キング・コーン」は、東京渋谷のイメージフォーラムで、4月に封切られます。
2009.03.11
コメント(0)
1969年、人間は初めて月に降り立ちました。最初の一歩は、アポロ11号の艦長、ニール・アームストロング、次の1人は、バズ・オルドリンです。物静かで多くを語らないアームストロング船長と対照的に、求められるまま気さくに口を開くバズ・オルドリンは、「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーのモデルでもあります。今回、月面着陸40年記念として作られたドキュメンタリー「ザ・ムーン」の紹介のため、バズは日本に来ています。昨日は、日本科学未来館で記者会見がありました。写真は、未来館でいつも「現在の地球」を表している球体に「月」を映しているところ。暗くて判別できないでしょうが、バズも写っていますよ。月には行っていませんが、やはり宇宙飛行士としても活躍した毛利衛さんは、この未来館の館長。オルドリンさんと、固い握手をしていました。「ザ・ムーン」は、先ごろ東京国際映画祭で先行上映されましたが、本番は来年1月16日からのロードショー。とてもよくできた映画なので、ぜひご覧いただきたいです。また近くなったら紹介しますね!
2008.11.01
コメント(0)
「シロタ家の20世紀」は、東京・神保町の岩波ホールで今日が最終日。90%の稼働率だったそうで、私が行った10/12も、開場した途端に8割がた席が埋まってしまう盛況ぶりでした。ここまでのヒットになるのはうれしい誤算だと、今後も上映の機会を模索しているそうです。私は「シロタ家の20世紀」のシロタって、城田? 代田? 白田?それくらい何も知らないで観に行きました。シロタって、外国の苗字にあるんですね。「ナオミの夢」という歌で、「ナオミ」が旧約聖書にも出てくる女性の名前と知った時以来の驚きでした。そういえば、この「シロタ」さんもユダヤ人。ダンディで、村井国夫さん似のレオ・シロタは、芸大でピアノの先生をしていました。あの山田耕筰が1928年、ハルピンのコンサートでレオのピアノを聴き、「ぜひ日本に来て演奏会をしてください」と頼んだのが始めだといいます。1929年に再来日したレオは、以来20年近く日本に住み続けます。太平洋戦争のさなかには芸大の教師をやめさせられ、ほかの外国人とともに、強制的に軽井沢に隔離させられます。戦後は、請われてアメリカのセントルイスの学校の教官となります。新憲法に男女平等の項目を入れるよう積極的に働きかけたベアテさんは、このレオの娘さん。戦争がひどくなる直前、アメリカの大学に入学して日本を離れていました。戦争で音信が途絶えた両親を探すため、進駐軍の職に就いて来日したのだそうです。日本で育ったベアテさんは、戦前の日本女性の置かれた立場をよく知っていたからこそ、「男女平等」に強くこだわったといいます。レオはロシアで生まれ、9歳でピアニスト、11歳ですでに弟子をとっていたという天才。弟ピエールも音楽の才能に恵まれましたが、「あがり症」のためピアニストの道はあきらめ、裏方の仕事に専念。プロデューサーです。ピエールはロシアからフランスへ移住し、そこで成功します。しかし、どんなに成功したとしても、1940年のユダヤ人に未来はありません。ピエールは、アウシュビッツの露と消えます。レオの娘・ベアテはアメリカに。ピエールの娘・ティナはピエールがつかまった直後にスイスへ脱出。ピエールが可愛がっていた甥のイゴールは、ポーランドの義勇軍に入り、最後は「史上最大の作戦」で有名なノルマンディ上陸作戦に参加、フランスが解放される2日前に戦死します。・・・というシロタ家の面々の「歴史」を追いながら、観客は、いったい何を思うのでしょう。私がもっとも印象に残ったのは、レオ・シロタという1人の音楽家の存在です。たくさんの日本人ピアニストを育ててくれました。その愛弟子の1人、園田高弘さんがまたすごかった。75歳の記念コンサートの演奏の確かさ。力強さ。表現の豊かさ。コンサートから1年も経たずに逝ってしまわれたというけれど、まだまだ弾ける、あと10年は弾ける、という感じでした。監督の藤原智子さんは、映画「ベアテの贈り物」の監督もしていますし、亡くなっている人が多い中、ベアテさんは健在で日本語も話せる。だから、勢いベアテさんのインタビューなどが多くなります。私は音楽的なところに多く興味が行ったけれど、この映画のテーマは実は「憲法第9条」。それをいうために、なぜ「シロタ家」なのか。シロタ家は戦争によって引き裂かれた、戦争をしないために、憲法9条は大切。なんとかそれを世界に広げましょう!・・・というのが、この映画の言いたいことです。ベアテさんが、映画の中で行っていました。「(第二次世界大戦という)戦争が終わったとき、これでもう戦争はない、と思いました」「絶対的にないと思いました」・・・でも、今もなお、あちこちで戦争が起きている。それはなぜなのか。どうしたらなくすことができるのか。「そうだ、9条を世界に広めよう!」それが、この映画のテーマなのです。私は、9条は必要な憲法であると思う人間です。しかし、いつも思うことですが、護憲派・反戦派が作るプロパガンダは、どうしてこんなにも同じ感情しか生み出せないのでしょうか。「戦争は悲惨だ」「戦争は不毛だ」「戦争は嫌いだ」「理想論だと笑われるかもしれないけれど、 現実を理想に近づけていくのが人間の力ではないだろうか」私が物心ついた時から、同じことしか言われていない。「戦後は終わった」の昭和30年代、日の丸・君が代問題、靖国参拝問題噴出の昭和60年代、ベルリンの壁の崩壊、多発する民族紛争、そして9.11、「テロとの戦い」・・・・・・。時代は、そして世間の考え方は、ものすごい勢いで変わっているのに、改憲を叫ぶ人たちはどんどん多くなっているのに、警察予備隊、自衛隊、PKO活動、インド洋での給油、イラクへの駐留、「専守防衛」も「集団的自衛権」も、憲法第9条のもと、ガンガン解釈が変わり、形も変わっているのに、護憲派はなぜ同じことしか叫ばないのだろう。自分たちと違う考えの人たちを振り向かせられるような視点が、どうにも不足しているように思えてならない。「そうだよね。戦争はいけないよね」とシンパシーをもっている人たちだけで手をつないで、うなずきあっているだけでいいのかしら。そういう人たちだけでこの「シロタ家の20世紀」を見ていて9条を守ろうとする人は増えるのかしら。9条を残したい私でさえ、スクリーンに向かって疑問が続出。「あなたの残したい9条は、自衛隊を容認する9条? しない9条?」「ナチの戦車は悪魔で、ノルマンディー作戦の戦車は英雄で、 それでも“戦争はいけない”って言えるの?」「レオが戦時中の日本で冷遇された時、 周りの日本人はどんな思いで、何をしていたの?」この映画は2008年キエフ国際ドキュメンタリー映画祭で、「審査員大賞」と「根源的な調査方法に対する賞」を受賞しています。いわゆる「よくぞここまで調べたで賞」を獲得しただけのことはあります。そして、「ポグロム」をはじめとするロシアにおけるユダヤ人迫害について、容赦なく言及しているこの映画を「大賞」に選んだキエフの映画祭の審査員たちも、肝がすわっています。しかし、日本人監督が、日本語で作ったのですから、もっと日本人につきつけられるものがあってよかったのではないでしょうか。「へえー、そんな人が日本に住んでたんだー」で終わらない何か、日本人に自分にとっての20世紀を、そして21世紀を考えさせる何かが、この映画には足りなかったと感じました。
2008.10.17
コメント(0)
昨年7月に命を絶ったドキュメンタリー映画の佐藤真監督作品が、東京・御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターで特集上映されています。彼の作った映画作品、テレビ番組、ビデオ作品などのほか、参考上映として佐藤真追悼番組「日常という眼差し」と「OUT OF PLACE(番外編)」(「OUT OF PLACE」未公開映像)が見られます。そして毎日講演やシンポジウムがあります。東陽一、羽仁進、キム・ドンウォンなど映画監督や写真評論家の飯沢耕太郎など。私も知ったのが遅く、東京・渋谷のユーロスペースでの特集上映(9/6~9/12)はすでに終わっていました。代表作のうち「阿賀に生きる」「SELF AND OTHERS」は、どちらの会場でも上映しますが、基本的に「1作品1回上映」。関心のある人は、タッチの差で見逃すことのないよう、とにかく一度スケジュールを確認してください。お問い合わせは良質のドキュメンタリーを発信し続けるシグロ(03-5343-3101)まで。
2008.09.15
コメント(0)
9月6日から、北京でパラリンピックが始まりますね。車椅子でやるスポーツとしては、バスケットボールやテニスがメジャーですが、今日ご紹介するのは、ウィルチェア(Wheel Chair=車椅子)ラグビーのお話です。私が紙媒体に書いた初めての映画評。今読むと、舌ったらずというか、「もっと書き方があるだろ」とつっこみたくなる・・・。あそこも、ここも、書き直したいけど、あえてそのまま掲載します。マーダーボール障害者もオトナシクできない映画:MURDERBALL(マーダーボール)監督:ヘンリー=アレックス・ルビン/ダナ・アダム・シャピーロ配給:クロックワークスストーリー●シドニーパラリンピックから正式種目の車イス(ウィルチェア)のラグビー。「障害者スポーツ」というには、あまりに激しいタックルの連続。世界一を目指すアメリカチームの主将ズパンを中心に、彼らの誇り高き日常と、それを支える家族愛を追ったドキュメンタリー。2005年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート作品。(10/7より全国で順次公開中)もしあなたの自慢の子が、親友の車に同乗して事故に遭い障害を負ったら、その友にどんな言葉をかけるだろうか。ズパンの父は言った。「気にするな。君のせいではない。でも責任はある。それは忘れるな」もしバイク好きが講じて事故に遭った息子が車イス生活になったら、あなたは彼にどんな人生を歩んでほしいか。車イス姿の自分を「ダサイ」といって受け入れられないキースは、「改造マシン」ともいえるウィルチェアラグビー用の車イスを見て、事故後初めて目を輝かせる。「これ以上なにかあったら、どうするの?」肉親なら絶対口に出したい叫びを封印して、本人が本人らしく生きる道を応援する家族や友人。通常のスポーツと同じく英雄として讃える国民。「障害者だから」こうでなければならない、という健常者の常識が、爽やかな涙とともにはじけ飛ぶ感動作だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回のパラリンピックでは、日本もウィルチェアラグビーに出場。試合は9/12からです。この映画に出てくるような、アツイ闘いを見せてくれることでしょう。ウィルチェアラグビーのサイトもどうぞ。こちらでは「マーダーボール」の映像の一部が見られます。
2008.09.04
コメント(2)
昨日の朝日新聞夕刊「惜別」のページに、記録映画作家・土本典昭氏が載っていました。6月24日に肺がんで亡くなったとのこと。去年、東京映画祭の特別企画「映画が見た東京」で土本監督の記録映画を見、ティーチ・インで本人にも会っている身としては、非常に残念。そういえば、少し弱っている感じはあったけど、当時78歳という年齢を考えれば、重病のご様子はなかったし、お声もハキハキと、よく出ていたのに・・・・・・。同じく鋭い視点での記録映画(「阿賀に生きる」など)を作っていた佐藤真監督の若すぎる死を、お話の中で悼んでいたのを思い出します。土本さんといえば「水俣」と、ステレオタイプに「公害反対」と結びつけてしまう人もいるかもしれませんが、彼の「人間を見てやろう」という、バイタリティあふれる好奇心、誰より「枠」を嫌いながら、商業映画という「枠」の中で自分はどこまでやれるかを常に考えていたそのど根性には時にユーモアも混じって人間臭かったことを、ぜひ知ってもらいたいと思います。新聞には、奥様の基子さんも一緒に写っています。ティーチ・インの会場でも、監督のマネージャーとして、関係者の方々とお話していました。どちらかというと、無口で単刀直入なだんな様を奥様の社交性と無類の明るさが補っている感じでした。私が「ブログでこのティーチインの内容を詳しく載せてもいいですか?」と了解を得た時も、快く承諾してくださり、「これあげるわ~」と小さな「きみまろアメ」の缶をくださいました。お二人にとって、監督の旅立ちは覚悟の日だったかもしれません。1人残された奥様が、今もあの明るさを保っていらっしゃればいいなと今はそれを祈ります。土本監督関連の記事は、以下のとおりです。「日本発見シリーズ・東京都」スタッフを迎えてのトーク(1)→200710月27日「日本発見シリーズ・東京都」スタッフを迎えてのトーク(2)→200710月28日「日本発見シリーズ・東京都」スタッフを迎えてのトーク(3)→200710月29日「路上」→2007年10月30日
2008.08.16
コメント(0)
昨日は8月6日。1945年、広島に世界で初めての原子爆弾が投下された日です。そして8月9日は、長崎にも投下されました。8月6日と9日には、高校野球の行われている甲子園でも、黙祷の時間があったように思います。63年も前のことであり、当事者でなければ、「あ、昨日だったっけ」だろうし、「この時期になると、『原爆もの』が多いよなー」と多少辟易している人もいることでしょう。かくいう私も、昨日はすっかり「その日」であることを失念していました。そうだ。原爆の日だった。今夜、NHKで「解かれた封印」というドキュメンタリーを放送していました。原爆投下直後の長崎に、従軍カメラマンとして入ったアメリカ人ジョー・オダネルと彼が当時仕事以外に撮って密かに持ち帰った写真についての番組です。私は、ジョー・オダネルの存在も、彼の写した「死んだ弟をおぶって気をつけをする少年」の写真も、知っていました。が、彼が45年間、その写真をトランクの中に入れて封印していたこと、そのトランクを、なぜ45年後に開け、祖国アメリカの裏切り者呼ばわりをされても原爆の真実を説いてまわったのか、彼を突き動かすものをわかっていませんでした。私は、彼が後年爆心地に滞在したために原爆病とおぼしき症状(背中の痛みと皮膚がん)に苦しみ、それで事の重大さに思い至って口を開くようになったと誤解していたのです。帰国後、彼はNAGASAKIの悪夢に襲われたといいます。その悪夢から逃れるために、資料の一切を、緑のトランクに入れて屋根裏にしまいこみました。結婚してからは、妻にも子どもにも、NAGASAKIの一切を話さず、「緑のトランクには絶対にさわるな」と言ったと言います。どんなに苦しんでも「ネガを捨てる」という選択は、彼になかった。それが、すべてを表しているのかもしれません。もっと言えば、任務以外に写したものを未使用ネガと偽り、「開封厳禁」とまで書いてアメリカに持ち帰ったその時から彼の葛藤は始まっていたのでしょう。そして45年が経ったころ、ふと立ち寄った教会で出会ったキリストの十字架像。そのキリストの体には、原爆被害者たちの写真がくまなく貼り込められていたのです!オダネルは封印したトランクを開け、憑かれたように、部屋いっぱいに原爆の写真を並べます。そして、この写真をもってアメリカ中をまわります。けれどどんなに誠意を尽くして説明しても、いかなるマスコミ、いかなるミニコミ、誰も彼の写真を受け入れませんでした。今まで一番の友であったはずの退役軍人仲間からは裏切り者扱い。他人だけではありません。彼と原爆の何も明かされていない妻も、夫の激変を理解できません。模範的で、絵に描いたようなアメリカの幸せな家庭は、一気に崩壊していきます。四面楚歌のオダネルを励ました一通の手紙。「非難するなら、図書館へ行って、歴史を勉強してからにしろ!」と中傷者たちを批判し、オダネルにエールを送ったのは、息子タイグでした。「原爆」が自分たちの小さな幸せを奪ったはずなのに。爆心地にたたずむ子ども達が、原爆を落とされる罪など背負ってなかったように、第二次大戦が終わってから生まれたタイグにだって、家庭を壊されるようなことは、何もしていません。彼が家族をバラバラにした「原爆」を憎まず、父親の遺志を継いでいることが、私には本当にすごいことに思えました。オダネルの言葉が録音されて残っています。「100年経っても、絶対に間違っている」「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もある」「どんなに小さな石でも、水に落ちれば波紋ができる。 いつかは広がって陸に届く。 『アメリカ』という、陸に届く日もあるだろう」スピルバーグの最新作「インディー・ジョーンズ~クリスタル・スカルの王国」では、冒頭、インディがネバダの原爆実験場に迷い込む場面があります。鉛の冷蔵庫に入って「その瞬間」をやり過ごしたとしても、爆心地近くを歩いただけで原爆は生物の体をむしばみます。たしかに、そこにいたすべての人が短命に終わったわけではないので、インディーがその後倦怠感も覚えず、髪の毛も抜けず、年齢をはるかに超えた軽快な動きで「冒険」を続けられても、それは「絶対にウソ」とはいえないかもしれません。潜水艦に泳いで追いついちゃうような人ですからね。マイノリティー目線の作品を世に送り出しているスピルバーグでさえ、あの程度の認識(というか、あそこに原爆持ってくるか?という、認識以前の認識)、という軽いショックが、日本の観客の脳裏には多かれ少なかれあったと思います。でも、それがアメリカ、なのかもしれません。そのアメリカにあってジョー・オダネルという人は、45年自分の中に「原爆」を抱え、命と、人生と、家庭と、その全てを賭けて、祖国に物を言った人なのです。「アメリカ人として、祖国の過ちをなかったことにはできない」重い言葉です。私たちも、日本人として、祖国の過ちに気づいたとき、真正面から立ち向かえるか。「原爆」だからではなく、「本当の愛国心」とは何かを突きつけて、この番組は秀逸でした。*ジョー・オダネル氏は、去年亡くなっています。 亡くなったのが8月9日だったというのは、言葉は悪いですがあまりにできすぎ。 でも、病魔と闘い続けたオダネル氏が、命をふりしぼって8月9日まで生きながらえた、 と思うと、病床のオダネルさんの心の中がふと感じられます。*今は息子さんが父の写真をインターネットで公開したりしています。*現在、日本でジョー・オダネルの写真展が開かれています。 ちょっと前のですが、これに詳しい。 現在は、長崎の原爆資料館で8/31まで。こちらに詳しい。オダネル氏の著書もあります。トランクの中の日本
2008.08.07
コメント(4)
「ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪」を見て「ポロニウム210」って何?と思った人に。放射能を飲まされた男の告発「暗殺リトヴィネンコ事件」監督:アレクセイ・ネクラーソフ配給:スローラーナーストーリー●2006年11月23日、ロンドンに亡命中だった元FSB(ロシア連邦保安庁)中佐・アレクサンドル・リトヴィネンコが死んだ。彼の体内からはポロニウム210という高濃度の放射性物質が見つかる。普通の死に方ではない。これはロシア政権による暗殺か? もちろんプーチンは否定する。しかしネクラーソフ監督は、リトヴィネンコの死の直前まで長期間取材を進めていた。これは、リトヴィネンコが何のために祖国を追われたかを克明に記した彼の映像遺書である。(12/22より、ユーロスペースにて公開)ロシアでは一体何が起きているのか。画面から流れるニュースは、日本で見られないものばかりだ。チェチェン問題など、ロシアの実態を世界に発信し続けていた人権派の女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤも、殺されている。死人に口なし。だがリトヴィネンコはネクラーソフという「口」を得た。革命以前に逆戻りしたかのような貧富の差とすさんだ社会がネクラーソフを悲しませる。彼自身、チェチェン問題の真実を追いかけ、リトヴィネンコを擁護したことにより、家を荒らされる。ロシアから遠く離れたイギリスのアパートの一室、祖国を愛し、その行く末を案じる二人の男が、一筋の光ももれないよう注意を払いながら、深夜インタビューを続ける。ソ連がロシアになっても、権力からの自由は存在しない。*Webで読みやすいように、改行などの修正をしました。*アンナ・ポリトフスカヤはオセチア行きの飛行機の中で毒を盛られましたが奇跡的に生還、 しかしその後、自宅アパートエレベーター前で射殺されています。
2008.07.12
コメント(0)
アニー・リーボヴィッツ、Who? デミー・ムーアの臨月ヌード写真を撮った人、といえば、 わかるかな? ジョン・レノン殺害の数時間前まで あのダコタ・ハウスで彼の写真を撮っていた人。 レオナルド・デカプリオが白鳥を抱いている写真を撮った人。政治家からロック・スターまで、彼女は「密着」して写真を撮る。「カメラマン」というよそ者だった女が、気がつくと、「仲間」になっていて、「空気」に溶け込んで。だから、彼らは無防備な一面を惜しげもなく彼女の前にさらけ出す。だって、いないと同じだから。いいや、前からそこにいたと同じだから。スクリーンに映される写真、写真、写真。それらのもつ力が、まず凄い。映画である前に、写真で圧倒される。そして、アニーの、女性カメラマンとしての人生も興味深い。生活のすべてを職業カメラに捧げていた時代。人生の中でもっとも愛する人に会った時代。「家族」を持とうと思った時代。娘と仕事と、どちらも全力投球の時代。超高齢出産の末、双子を得たアニーの今は、もっとも輝いているようにみえる。キャリアを全うしながら女の幸せを噛み締め、さらに前に進もうとするアニーは、うらやましいほどに輝いていた。今や時の人であるヒラリー・クリントンからローリング・ストーンズのキース・リチャード、バレエ・ダンサーのバリシニコフも女優のウーピー・ゴールドバーグも、歌手のベッド・ミドラーも、いろんな人たちが「撮られた」時の思い出を話します。写真ってすごいんだな、と改めて思った。 あと、 何にでも感激したり、面白がったりする気持ちが必要なんだってことも。 いくつになっても好奇心のかたまり!アニーのスマートさに、きっと女性は惚れます。「アニーリーボヴィッツ レンズの向こうの人生」いよいよ、明日、公開です。
2008.02.15
コメント(2)
ルテアトル銀座で、2月2日から始まっている「ニコラ・フィリベールのまなざし」ドキュメンタリー監督のニコラ・フィリベールの作品を集めて上映されています。その中から、「動物、動物たち」をちょこっと紹介。パリの国立自然史博物館に、はく製として陳列されている動物たちについて描かれたもので、予告編を観ていると、とっても楽しそう。大きなゾウから小さな蝶まで、それらに携わっている人々の苦労と至福がつまっています。私は上野の国立科学博物館が大好きで、あそこの動物たちもとってもリアルだし、陳列の仕方にも工夫がある。パリの博物館もちょっとのぞいてみたいな!観に行ったら、またご紹介しますね!2月2日~2月29日までですが、さまざまな映画をやるので、この「動物、動物たち」は2月9日から1週間休映になります。お時間、必ず確認してから行ってくださいね。(休映の間に上映する「かつて、ノルマンディーで」も面白そう!)
2008.02.05
コメント(0)
「ディープ・ブルー」でもその映像美は証明済みの地球をまるごと映した映画「アース」。撮影期間4500日って、12年以上前から??映されたその映像さえ、今じゃもう見られないかもしれない!という危機感もあり、とにかく絶対観ておかなければ!それも、こういう映画は、とにかく大画面に限ります。というわけで、現在首都圏最大スクリーンを誇るユナイテッドシネマ豊洲に行ってきました。感想は・・・今まで見たことがないはずなのに、「これ、知ってる!」なぜなら、私は同じようなものをアニメで見たことがあるのです。ディズニーの「ファンタジア」「バンビ」そして手塚治虫の「ジャングル大帝」・・・。人間ってすごいなー。今や「本物」を「本物」として見られるまでの技術を持ったというすごさ。「本物」と同じ感動をもたらす「アニメ」を既に作ってくれていたというすごさ。ヘンなところに感心してしまいました。もちろん、初めて見るものもたくさん。特に、あんなに大きなクジラが、たかが「オキアミ」ごときの極小動物を獲るために、群れで追い込み、協力し合って漁をする、というのにはビックリしました。映像の美しさ、動物のたくましさ、子どもの可愛らしさ、そういうものは、どう言葉で言い表しても、映像に勝れるものではありません。ただ言えることは・・・。みんな立ち止まることなく、歩いていた。水に向かって、餌を求めて。何百キロも、何千キロも。餌があるのは、寒いところ。子育てできるのは、温かいところ。子どもを育てている間は、親は何も食べられない。がまんして、がまんして、旅立つ日がくれば、今度は子どもががまんして、がまんして。ヒマラヤを越えようとする渡り鳥。赤道から南極までいくザトウクジラ。カモシカも、象も、オオカミも、チータも、北極グマも、みんな、みんな、歩いていた。敵から逃げるために、走っていた。それが、生きるということなんだ。地球温暖化のために、そのサイクルが狂って来始めている。それに警鐘を鳴らす映画でもあるんだけれど、カモシカの、象の、水牛の、長い長い動物たちの列を見るたびに、私はアメリカ大陸を西へ西へと移動した開拓時代の幌馬車の列を思い出していた。体力のある者が非力な子どもや女をかばいながら、来る日も来る日も「新天地」を目指して移動する。・・・あれは、動物の本能だったんだ、と気がつく。人間は、1人も出てこない映画だけど、人間を考えずにはいられない、そんな映画。懸命に生きる動物たちに、自分たち人間が重なる映画です。劇場窓口で買う場合、中学生以下は500円というキャンペーンをやっています。渡辺謙がナレーションをやっている吹き替え版なら、子どもにも大丈夫。ただ、動物や植物によほど興味がない限り、幼稚園児にはちょっとキビシイかもしれません。
2008.01.13
コメント(4)
1970年代、私たちが、何も考えずに歌っていたジョン・レノンの「Love」そして「Oh My Love」。こんなフツーのラブソングでさえ、当時のアメリカでは「反戦」の意味を持っていたなんて・・・・・・。「愛し合おう」というのが、「人殺しはいやだ」の裏返しとなり、国家反逆ののろしとなる時代だった。「ベトナム戦争についてどう思いますか?」と聞かれて「ノーコメント」で通せなかったジョン。売り物としての歌手に収まっていれば、チヤホヤされたものを、自分の意見を言い始めたためにバッシングされた。「Peace Bed」の意味も、私はよくわかっていなかった。私生活に土足で踏み込むマスコミを逆に利用し、「Peace」の張り紙を絶対に一緒に入れることを条件にベッドルームの取材を許可したのだ。ダブルベッドにジョンとヨーコ、そして周りの人々と歌う「Give Peace a Chance」。あの臨場感あふれるレコーディングの裏に、「Peace Bed」の運動があったことさえ、私は知らなかった。しかし、国家権力は思い知ったのだ。大規模なデモでこの歌が歌われたその時に。「歌」は、「アート」は、「ラブソング」は、民衆を動かすということを。ジョン・レノンの存在、そのものが脅威だということを。大きな紙袋に二人すっぽり入ってのインタビューも人をくったやり方だった。世間には、その「エキセントリック」さばかりが先に立って、ヨーコ・オノなんか、「東洋の魔女」(意味がちがうけど)とかいわれて、ヨーコのせいでジョンはおかしくなったと思われていた。バッグの中に二人。そこから二人は声を出してインタビューに答える。「こうすれば、僕たちがどんな人種かとか、髪や肌の色で先入観を与えることがない。 真の自分たちを見てもらえる」なんてスゴイ思いつきだろう!それを、オトナたちは「イカれてる」と斬って捨てた。コドモたちは、ただのイタズラをやらかしてくれたといって喜んだ。彼らが見ている遠く遠くの真実は、なかなか届いてはくれなかったのかもしれない。でも、あれから30年経って、ジョンのすべてが納得できる。今の人間なら、誰でもわかることだったんだ。世界中に「戦争は終わる、みんなが望めば(War is over if you want it)」というでっかいポスターを貼ったのだって、今だったら、ネットで呼びかけて一斉にイベントをやるそのさきがけみたいなものじゃないか。早く生まれすぎた?いや、ジョンがいたから、今がある。ジョンの歌という共通語があるから、私たちはつながっていける。9.11の翌朝。世界中で流れた歌は「イマジン」。まだ戦争は終わらないけれど、「決して絶望しなかった」ジョンを見習って、平和を唱えていきたい。「Peace Bed アメリカvsジョン・レノン」。歌声の持つパワーに、改めて思いを致す2時間。「懐かしさ」ではなく、「同時代」としてのジョンに会える。若々しく、希望に満ちたジョンとヨーコの幸せそうな顔がまぶしい。
2008.01.08
コメント(0)
2006年11月1日、一人のロシア人がイギリス・ロンドンの日本料理店で倒れた。名前はアレクサンドル・リトビネンコ。ロシアFSB(連邦保安局)の元中佐でありながら、そのFSBがやってきた数々の「悪事」を内部告発、数回の別件逮捕と釈放を繰り返した後にイギリスに亡命した男である。一気に彼の身体にダメージを与えたのはなんと、放射能性の化学物質だった。放射能の痕跡は、日本料理店だけでなく、その前に立ち寄ったホテルのロビーに、そのロビーで口にしたコーヒーカップに、そして、リトビネンコとともにロビーにいた男の乗ったロシア行きの飛行機の中に・・・。まるで「007」か「Mi6」か、というスパイ映画並み、いやそれ以上の国際的な暗殺事件が21世紀に起こったのである。本当に、そんなことがあるんだろうか?放射能を飲ませて殺すなんて、できるんだろうか?「FSB」って、味方じゃないんだろうか?誇りを胸にFSBに入り、国家のために忠誠を尽くしていたリトビネンコが何に気づき、何に怒り、いかにして「おたずねもの」になったのか。いまだに解決にはほど遠い、生々しいまでに新しいこの事件が彼の死後1年経つか経たないかで映画になったのには数年前からリトビネンコのインタビューを続けていたネクラーソフ監督が、リトビネンコが毒を盛られる数ヶ月前にインタビューを完了していたといういきさつがある。本来ならば、彼の死によってすべてが無に帰すところを、まるで彼の「遺書」のように、映画はロシアの闇を鋭くえぐっていく。ネクラーソフもまた、ずっと祖国のありようを懐疑的に眺めてきた一人なのだ。ロンドンの家の窓という窓を閉め、すべての明かりを消し、家の奥の奥で証言を続ける生前のリトビネンコとそれを撮り続けるネクラーソフ。祖国を思う二人の男の、強い決意と覚悟がずっしりと重い。強靭な知恵と身体と精神力によって、リトビネンコは11月23日まで生き延びる。その結果、「放射性化学物質」が尿の成分となって体内から排出された。「ポロニウム210」。致死量を購入しようとすれば、10億円はするという代物である。単なる「怨恨」や「通りすがり」の殺人に使う道具ではない。国家に反対意見を唱えることが、そのまま命の危険を意味する社会。農奴のいた帝政ロシアでもなく、共産党一党独裁のソヴィエト連邦時代の話でもない。今、私たちと同じ空気を吸っている人々の話。知らないことがたくさんある。ぜひ、彼らの叫びを直接聞いてほしい。「暗殺リトビネンコ事件」は現在は東京・渋谷のユーロスペースで上映中。以降、各地で上映予定です。*『Wife』の最新号・映画欄『仲野マリの気ままにシネマナビ』では、 この映画とDVD『イワン雷帝』について私が紹介しています。*この事件について、ジョニー・デップが映画化する企画があるとの情報があります。
2008.01.07
コメント(0)
昨年も何度かご紹介しましたが、「バレエ・リュス」バレエやダンスが好きな方、必見の映画です!この映画を観て、私がもっとも感動したのは、「動いてなんぼ」のバレエのはずなのに、スチールの写真だけを見ても心が震えてしまったことです。バレエダンサーとは、その1ポーズを以ってして、すでに芸術なのだ、と思い知らされました。そこには、ダンサー自身の身体的能力もあるし、彼らの表現力の高さ、アピール度の高さもある。そして舞台装置や衣装など、美術の素晴らしさ、斬新さにも目を見張ります。写真1枚でクラクラのところに、映像も残っているわけですから、もうノックアウト!特に、レオニード・マシーンという人の作品は、一体、彼の頭の中にはいくつの引き出しがあるの?というくらい、出すもの出すもの、まったくコンセプトが違う!あれと、これが、同じ人の振り付け??ディアギレフの死で「バレエも死んだ」と言われるほどの損失だった元祖「バレエ・リュス」の遺産を引継ぎ、甦らせ、発展させていった原動力がロシア革命からパリに逃れてきたロシア人たちだった、というのも初めて知りました。大体「バレエ・リュス」のことを、ロシアのバレエ団がパリに興行しにやってきたものだと思っていた私は、なんてオバカさんだったの??ロシア人のものであり、パリ発のものだった。だから、ピカソもマチスもコクトーもダリも、この運動に加わったわけですよね。「バレエ・リュス」に入りたい!祖国での生活レベルはいろいろだった人たちだけど、着の身着のままやってきたパリではみんな貧しい。そんな生活の中、苦労してでも子どもたちをバレエ学校に通わせようとした親たち。その原動力は、帝政ロシアで培われた最高の芸術・バレエに対する尊敬と憧れの気持ちだった。そして、そんな女の子の中から、未来の大プリマが生まれたのです。第二次世界大戦の間中、彼ら彼女らがアメリカを巡業していた話も面白かった。苦労話もたくさんあるけれど、バレエ自体を見たこともないアメリカの片田舎の村で、ダリの美術の、前衛的なコンテンポラリーが日々上演されていたという事実!それらの「こぼれ話」を上品な中にもウィットあふれる話しぶりで、時に噴出してしまうほど面白く話してくれるのは、当時のスターダンサーの面々。まことにオチャメな紳士淑女たちなんです。80歳、90歳になっても彼らは美しく、表情豊か。そして残されている映像に見る彼らの、ダンスの素晴らしさよ!考えてみれば、その一人ひとりが一つのバレエ団を背負って立っていてもおかしくないほど一流の人たちばかりが、ほんの一つか二つのバレエ団に集中していたのですから、そのレベルの高さはいうまでもありません。今、彼らをステージで、ナマで観られたら…。狂おしいほどにそう思った。そして、映像に、映画に、その断片が残っている幸運にも感謝。それを大スクリーンで見られた幸せを、しみじみ噛み締める2時間でした。バレエの好きな人、ゼッタイ、ご覧になってくださいね。劇場情報はこちらです。東京は今渋谷と有楽町の2館でやっています。それ以外はこれからのところが多い。とにかく、ぜひ足をお運びください。
2008.01.04
コメント(2)
セルゲイ・エイゼンシュテイン 人と作品(DVD) ◆20%OFF!エイゼンシュテインといえば、ポチョムキン、ポチョムキンといえばエイゼンシュテイン。映画の始まりがリュミエール兄弟ならば、映像芸術の始まりはエイゼンシュテイン?っていうくらい、映画を語る上でセルゲイ・エイゼンシュテインははずせない。今じゃ高校生の作った映画だって無意識のうちに使ってるモンタージュという手法を確立した。・・・などとエラそうに言っている私だが、実はロシア人だ、「戦艦ポチョムキン」と「イワン雷帝」を作った、くらいしか知らなかった。「セルゲイ・エイゼンシュテイン―人と作品―」は、1958年の作品。エイゼンシュテインは48年に没しているので、十年後にできている。英語のナレーションだがソ連の作品。ソ連の社会主義を積極的に宣伝する愛国的な映像作家として、エイゼンシュテインの生涯と作品を讃えつつ紹介している。彼が映像技術についてここまで世界で「師匠」とされる一因は、彼が本当に大学の教授として教鞭をとっていたこともある。彼の講義録が、たくさん残っているから、死後も彼の講義内容を学ぶことができるのだ。一番びっくりしたのは、彼の絵コンテ。日本では、黒澤明の絵コンテの素晴らしさには定評があるところだが、彼の絵コンテに通じるものがある。絵心がある人はうらやましい。映画をやる前に演劇にも携わっていたこともあり、舞台や衣装のデザインも手がけていた。彼のスケッチをもとに、映画のイメージは撮影前からガッチリ決まっているのだ。生きている間に撮りきれなかった絵コンテもたくさん残っている。惜しい!この作品を見たいと思った最大の理由は、「イワン雷帝」が遺作だと知ったから。それも、第二部制作途中でスターリンから批判され、三部構成で始めたものを大幅に修正して第二部で終わっている。さっきも言ったように、完全なる絵コンテはあったのだが、第三部にとりかかる前に亡くなったのだ。ちょっとアヤシイ。この作品は、さっきも言ったとおり、1958年の作品。スターリンに批判され、エイゼンシュテインが亡くなった後、今度はスターリンも没し、その後スターリン崇拝の時代は終わった。ようやくエイゼンシュテインが再評価されたときに作られたから、ことさら「愛国者エイゼンシュテイン」を連呼している作品になっている。死因は・・・病気だそうだけど・・・ちょっとアヤシイ。エイゼンシュテンの作品は、けっこうDVDが出ています。私のイチオシは「イワン雷帝」ですが、この「人と作品」ともう1本の2本組のDVDが出ているので、気になる方はこちらをどうぞ。「アレクサンドル・ネフスキー」/「セルゲイ・エイゼンシュテイン 人と作品」(期間【IVCF-243...十月+セルゲイ・エイゼンシュテイン-人とイワン雷帝+セルゲイ・エイゼンシュテインストライキ+セルゲイ・エイゼンシュテイン全線+セルゲイ・エイゼンシュテイン-人とこちらは単品ですが、ご紹介。戦艦ポチョムキン 復元(2005年ベルリン国際映画祭上映)・マイゼル版 クリティカル・エディシ...戦艦ポチョムキン(DVD) ◆20%OFF!
2007.11.05
コメント(2)
昭和38年は、東京オリンピックの前の年。ちょうど、オリンピックを来年に控えた今の北京と同じ状態である。どう同じかというと、インフラ整備のための突貫工事。幹線道路の上には高速道路を建設中。都会の空は、排気ガスに白く、そして黒く、煙っている。すでに限界を越えている通勤地獄の解消のために、山手線の内側では、道路という道路を掘り返して地下鉄工事。その道路の上には、まだ路面電車(都電)が走っている。こうした工事現場へ資材を運ぶため、そして掘り出した土を外へ出すため、路上はダンプカーとミキサー車の行列だ。その差5cmくらいで衝突を免れたダンプとタクシー。切り返そうにも、前も後ろも渋滞の数珠つなぎでにっちもさっちもいかない。そのために、ますます渋滞の列は長くなっていく。「○○方面の渋滞、信号3回待って動ける程度です」そんな交通情報を伝える交通局の職員。排気ガスも尋常ではない。まだ「光化学スモッグ」などという言葉も、そして対処もなかった頃。車にエアコンなんかついてないから、タクシーも窓を開けっぱなし。「アイドリング」という言葉もなかった。渋滞の間中、どの車もエンジンかけっぱなしは当然のこと。開いた窓の横には、ダンプの大きな車輪が見える。ブファーッ!!!排気ガスが車の中に充満。運転手はその横で、タバコをふかし、マッチを道路に捨てるのだった。「浅草まで。いいでしょ?」と声をかけられ、「だめだめ」「なんでだよー。近いじゃない」堂々と乗車拒否。スピード違反で切符を切られる。給料35,000円で、1回8,000円。まだ赤ん坊の娘の顔が浮かぶ。警察に罰金支払いに行くと、違反した人たちで、まるで満員電車のような混雑ぶり。支払い終わった運転手は、信号のない横断歩道を、車と車の間を縫うようにして横断しながら帰っていく。そうだった。すべての辻に信号なんかなかった。「路上」は交通局のPR映画として作られた。免許を取る人に見せるために企画されたみたいだが、土本監督は、あるタクシー運転手に密着し、運転手席から見た風景を中心に画面を構成していく。「安全運転いたしましょう」というより、その日々の過酷さに、罰金負けてあげられないかと思ってしまうくらい。結局、この映画は「おくら」になる。交通行政の無力さをアピールしたような映画になってしまったからね。映画のラストは地図である。交通事故のあったところに虫ピンがささっている。無数の虫ピン。もう刺すところがないくらい。ポツポツと白い頭の虫ピンが。死亡事故、だろうか。当時、交通事故は年間30万件くらいになっていたらしい。このあと、もっと多くなるという。件数だけを見れば、今だってそれほど変わらないかもしれないが、その頃と今と、道路の「長さ」が違う。ほとんどの事故が東京周辺に集中していたことを考えると、空恐ろしい。そう、交番の入り口に掲げられた「本日の交通事故」「本日の死亡事故」という看板。今でも、三桁に対応できるようになっているのは、一日100件以上の時があったから、なのだ。この映画を見てから、私は東京を見る目が変わった。家の前の幅広い歩道がついた道路。緑地帯つき。毎日乗る地下鉄。3歩で渡れそうな横断歩道にもついている信号。「アイドリングゼロ」も「ハイブリッド」もみんなあの時代を経て、ようやく市民権を得たのだ。何げなく享受しているあれも、これも、たくさんの犠牲者のおかげなのだということを、忘れないようにしたいと思う。*「路上」の制作にまつわるお話を、土本監督自身が語っているまとめを見つけました。 関心のある方は、そちらもどうぞ。
2007.10.30
コメント(0)
1964年東京オリンピック開催直前の日本を記録した「東京都」。あれから45年、「現在の東京をまた撮ってくれ、と言われたら、一体何を撮りたいですか?」司会の石坂氏が質問しました。カメラマンの奥村佑治氏は、「いっぱいありすぎて、しぼれませんね・・・」と迷いに迷った挙句、「若者の世界を撮りたいです!」そして土本監督は・・・。「ニートとかフリーターといった非正規雇用の人たちの存在が、 今問題になっていますが、 彼らの出現は、戦後の東京の問題です。 月収手取りが10万から、多くても20万。 それよりひどい、外国人労働者、研修生名目で働いている人たち。 結局、東京は、こうした"収奪される人々"がいなければ成り立たない町なのです。 それは、あの頃から変わっていない」かつて「東京都」以外の県の回を製作するため、様々な地方をロケしながら、次々と東京に出て行く人々を見て、(この人たちは、一体どうなっていくのか?)と思ったその疑問が「東京都」の回に集約されている面もある、土本版。社会から疎外されながら、その社会の繁栄を支えている人々に対する熱い思いは、45年たっても一貫して変わっていないのです。変わらないのは、各務監督も同じ。「現在撮るなら、地球温暖化の話は避けて通れないと思います。 今のこの、ビルの林立する東京の生活で、一体大丈夫なのか・・・」彼もまた、焼け野原から始まった「東京の建設」の行く末に今も視線を注ぎ続けていました。各務監督は続けます。「皆さんに、記録映画をたくさん見てほしいですね」昭和30年代というのは、今ノスタルジーをもって語られます。日本人が獲得した新たな「古き良き時代」。映画「三丁目の夕日」は、そうした私たちの甘い追憶の中で作り上げられた「夢の中の東京」「思い出の東京」「そうであってほしい東京」です。記録映画を見てみると、(記録映画とはいえ、それは演出もあるし、意図もありますが)ゴツゴツした生の手触りが、ハッとさせる。見たくないもの、忘れていたものも含めて、本当の記憶を呼び覚まさせてくれるから。そのことは、土本監督の「路上」を見ると、さらに強く感じます。・・・ということで、明日はその「路上」についてレビューを書きます。「トーク」の報告に長い間、おつきあいいただきありがとうございました。
2007.10.29
コメント(2)
様々な監督のもと、この「日本発見シリーズ」を映してきたカメラマンの奥村佑治氏。「当時はカメラマンになりたてでしたが、岩波は若い人間を起用してくれました。 今とまったく違うのは、 100フィートテープといって、1巻で3分しか撮れないテープを使っていたことです。 (つまり3分以上のカットは撮れない) この3分に一つの対象をしっかり収める、ということが非常に重要で、 そのことをたたきこまれました」バンバンとって、後で編集すればいいや、というわけにはいかなかったんですよね。スタッフは監督、マイクを持って録音もする助監督、カメラ、そしてカメラ助手の4人ですべてをやっていたそうです。「私は、記録映画の根本というのは、発見と思索だと思うんだ」と土本監督。「ある意味、私小説のように、エッセイを書くように、自分の思考を記録する。 それが記録映画というものなのに、 PR映画というのはスポンサーの目的が先行するからね。 このシリーズは、いわゆるPR映画なんだけれども、シナリオが大ざっぱで、 この県なら名所のここと、名物のこれは絶対撮って、くらいしか指示がなかった。 だから比較的自由だったし、 ロケに行った自分たちが見たことがすべてなので、 そこで面白いと思ったもので作ることができたね」でも、お蔵になった。「東京都」だけでなく、「山梨県」でも、ラストに自衛隊の演習風景などを入れて、物議をかもした、ということです。実は土本監督、国鉄のPR映画「ある機関助士」、交通局のPR映画「路上」、そしてこの「東京都」と、ある時期作っても作ってもそれが「お蔵」になってしまうPR映画監督でもありました。「PR映画量産の時代だった。それをうまく撮って稼いでくれ、という思惑を、 ビシビシ感じたね。 当時、青の会という、まあ飲みながら映画について論じるような集まりがあって、 カメラマンとか監督とか30人くらいいたんだが、そこで語らう中で、 映画作家らしい映画を作らなくてはならない、という気持ちを再認識していた」つまり、PR映画と記録映画というのは、その性質が正反対ともいえるわけで。土本監督が水俣問題などを取り上げ、自主映画製作を始めていくのには、そういう経緯もあったんですね。「東京都」がお蔵になったとき、監督は「やっぱりお蔵になったかー」と思ったといいます。「わかってて作るっていうんじゃ、いけないんですがね」自分の思ったものを作ることへの誇りは大切ですが、「おくら」は作り手にとって、ものすごいダメージです。後日読んだ土本監督の講話によると、青の会では「どうやってお蔵にならないPR映画を作り、かつ自分のいいたいことをそこに含めるか」を真剣に話し合ったことがでてきます。「フリーは絶対仕事を断ってはならない」そして、「いかなる状況下でも、妥協の中に、自分らしさを最大限に表現して仕事を仕上げる」という信念を、フリーランスライターをしている私は貴重なアドバイスとして読みました。もう一つ、会場では先ごろ亡くなった佐藤真監督について、お話がありました。「最近知ったんだが、彼は記録映画を撮ろうと思い立った時、 各務さんのプロダクションで2年間張り付いて、修行していたらしい。 各務さんのプロダクションは、それほど大きいところではないのに、 彼のもとで学ぼうとした、佐藤くんの覚悟がすばらしい。 このごろは、基礎的な勉強をしないまま作品を作っている人が多くなった。 そういう人は、自分の成功作を分析する力がついていない。 それでは自作を乗り越えられないから、次の作品につながらないんだ」「各務さんは、自分のことをしゃべらない人だから」と言葉を添えながらさりげなく各務さんを讃えていらっしゃいました。―自分の成功作を分析する力がなくては、次につながらない。 その力は、基礎的な勉強や訓練でしか培われない。―これも含蓄の深い言葉で、心の奥にまでズンと響きました。明日は「今、東京を撮るとしたら何を撮りたいか」について記録映画の製作者として、彼らが今何に関心があるかを報告します。
2007.10.28
コメント(0)
昨日、渋谷のル・シネマで「日本発見シリーズ東京都」の上映と、作品の監督・カメラマンをトークゲストに迎えてのお話がありました。東京国際映画祭の中の「映画が見た東京」という企画ものの一環です。この「日本発見シリーズ」というのは、岩波映画がテレビの草創期に46都道府県(1962年なので、沖縄は復帰前)全部について作られた記録映画です。それまで、民放のテレビ番組といえば娯楽中心だったのを、マジメなものを作ろうという機運があり、始められたシリーズ。スタッフもそしてカネを出したスポンサーも、新しい分野への強い理想と情熱を抱き、非常に力の入った番組だったということです。その「情熱」が、時として制作サイドとスポンサーサイドの思惑のずれを生み出し、「東京都」の回は、当初土本典昭監督が撮ったのですが、お蔵入りとなってしまいます。実際に放映されたのは、その後に指名された各務洋一監督の作品の方。今回は、土本版、各務版の2作品を一挙に見る、またとないチャンスなのです!・・・などということは、この日初めて知りました。単に、自分が生まれた頃の東京を見てみたいという動機でチケットをとった私は、ティーチインがあることも知らず会場に来たのです。「土本監督の大ファン」という石坂健治氏(東京国際映画祭「アジアの風」プログラミング・ディレクター)を司会に、土本監督、奥村佑治カメラマン、そしてたまたま観にいらした各務監督も交えてのお話は「東京都」の製作秘話だけにとどまらず、「記録映画とは」「映画作りとは」「2007年の今、同じように東京を撮るとしたら」にまで話が及びとても深く有意義な時間を過ごせました。せっかくの貴重なお話、ブログに載せることについて、関係者の方の了解を得られたので、何回かに分け、少し詳しく書きたいと思います。土本監督が「東京」と出会ったのは小学校3年生の時。公務員だった父親の転勤で名古屋から東京・麹町に越してきたそうです。方言のことでからかわれるなど、「東京に拒否された」という第一印象は大きく、どこかで常に「東京」への疎外感・反感を抱いてきた、とのこと。そんな土本監督の作った「東京都」には、「人」がよく出てきます。集団就職で上野に着いた中卒の少年少女、東京の胃袋を支える食堂の昼食前、大量の仕込みをする料理人、交通量が少なくなる深夜、空が白み始めるまで地下鉄工事をする人、はたまた芸能人(ジェリー藤尾や坂本九)のステージにむらがり、テープを投げ、握手を求め、その名前を叫び続ける若者たち、などなど。東京に勉強をしに出てきた学生たちも映っています。文化服飾学院で実習にいそしむ人たちも。「地方の8割にはこの学校の系列校があるけれど、それでも彼らは東京に出てくる」東京に憧れ、東京にしかないものを求めてやってくる地方の人たちの思いもそこには滲み出ています。でも、食堂のウェイトレスたちに対するインタビューは印象的。昼前から夜の10時頃まで、ほとんど12時間勤務だといいます。「家に帰ったら、お風呂に入るのが精一杯。洗濯しなくちゃならないし」「ラジオだけでも聞こうと思うけど、なかなかね。世の中のことは何も知らない」「びっくりするほど、楽しむ時間が全然ない」空から見た東京、というよりは、地面がめりめり盛り上がってくるような、「できあがった」東京ではなく「増殖する」東京のような、衝撃的な記録映画でした。最初から最後まで、BGMはJazz、Jazz、Jazz。当時としてはもっとも最先端な音楽だったと思いますが、今聞いてもモダン。そのせいか、作品全体からも時代を越えて訴えかけるものが強い感じがしました。対して、各務版。その半分以上は同じ映像です。でも、どこかあっさりしている。恨み節のようなところはなくて、バランスよく現状を紹介しています。最初の場面は「東京見物」のために東京駅に降り立った家族の映像。彼らと一緒に東京をめぐろうかという構成です。観光バスは官庁街を通って「宮城」へ。「宮城(きゅうじょう)」とは、皇居のあるところを指します。現在は使いませんよね、このコトバ。この頃は当たり前だったみたい。「ボクは東京生まれです。終戦の時は15歳でした。 この映画を作る時、私が一番描きたかったのは、復興です。 ここまで東京が復興したことが、とてもうれしかった。 今の東京の変わりようは、ちょっとここまではやりすぎかな、とも思いますけど・・・」と各務監督。東京生まれの各務監督が「東京見物」を下敷きにし、そうでない土本監督が、東京で生活する人を中心にすえる、とは、面白いものだな、と感じました。明日は、「記録映画」についてのお話を。それにしても、東京オリンピックを目前に控えた東京の交通渋滞はものすごい。これについては、「ドキュメント路上」という映画を見たので、それについてのレビューのときに書きます。
2007.10.27
コメント(0)
「とてもうれしいんだけど、これが全部タダだって聞いて、にわかには信じられないの。だって、20年間も、医療費を払って、払って、払い続けてきたんですもの」自らのガンと夫の心臓病のため、大きな家も売り払い、娘の家の物置部屋に住まわせてもらっている女性が、旅行先のキューバで言った言葉である。マイケル・ムーアの最新作「シッコ」は、人々のナマの証言で溢れている。病気になって医療を拒否された人、医療を拒否して自己嫌悪に悩む医師や元保険会社社員。そして、そのために家族を亡くした人々。9.11のあの現場で救出活動を続けた救命士は、今肺の病気で苦しんでいる。1本14,000円する吸入薬が、キューバで6セントで売っていると知るや、ポロポロと涙を流す。「バカみたい。カバンいっぱい買って帰りたいわ」病気になれば、誰でも気弱になる。仕事も休まなければならない。ただでさえ金銭的な不安が募るのに、「医療が受けられない」それも、医療保険に入っていながら!アメリカの深くて暗くて、出口のないような医療費問題。でも、それは他人事ではない。日本の介護保険制度はどうだろう。日本の障害者自立支援法はどうだろう。日本は、「払える人が払い、必要な人が医療を受ける」つまり「応能負担」という考え方から、「医療を受けた人は、受けたサービスに応じてお金を支払う」いわゆる「応益負担」というやり方に大きく舵をきったのだ。「貧乏人は、薬も買えない」時代劇の世界じゃない、21世紀の話だ。アメリカは、そうやって家もなくす。病院から路上に捨てられることだってあるという。日本も、すでに兆候が出始めている。「アメリカ人は、政府を怖がっている。フランス人は、政府が国民を怖がっている」といったフランス在住のアメリカ人。「国民を操るには、恐怖を与えるか、希望を砕くかどちらかだ。 国民を借金だらけにするのは、国民から将来への希望を奪ういい方法」といったイギリス人。そのイギリス人は続けた。「サッチャーでさえ、社会保険はなくさないと言った。今女性の選挙権をやめようといっても誰も許さない。それと同じこと」マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」は、彼の無名性が功を奏した突撃アポなしインタビューの名作だ。しかし、この「シッコ」は「有名」になったムーアが綿密なリサーチと、深い洞察力、そしてアメリカの国内の矛盾を、国の外と比較することで提示する用意周到な大作といってよい。自分も大好きな「アメリカ」が、どうしてこんなことになったのか。必死でその答えを探そうとするムーア。きっとどこかにアメリカらしいいいところがあるはずだ、とやっきになるムーア。そこが愛らしく、憎めない。病気になったことのある人、病気の家族を持ったことのある人へ。そこにいる病人を、無条件に救ってくれる社会でなければ私たちは希望をもって生きていけない。映画の間中、私は涙が止まらなかった。
2007.09.10
コメント(3)
デブラ・ウィンガーを探して「デブラ・ウィンガー」と聞いて、誰だかわかる人、日本人でどれくらいいるんだろう。往年の映画女優で、「愛と青春の旅立ち」がもっとも有名かな?映画のクレジットを観ていれば、「あ、この映画にも出てるんだー」と、あちこちで気づくはず。でも、一時期まったく第一線から離れていたので、その時期から映画を見始めた人には、けっこう知らない人が多いと思う。問題は、そのブランク。なぜ、デブラは突然いなくなったのか?その疑問を、今活躍している女優たちへのインタビューという形で映画にしたのが、このドキュメンタリーなのだ。メグ・ライアン、シャロン・ストーン、ウーピー・ゴールドバーグ、ダイアン・レイン、ジェーン・フォンダ、グイネス・パルトロウなどなど、総勢34人もの女優たちが、「女優」の置かれている立場を歯に衣(きぬ)きせずに喋りまくる。結婚した後、どうなるか。子どもを産んだら、どうなるか。子どもを育てながら女優をすることが、どんなに大変か、そしてストレスか。若くてきれいだから、女優なんじゃない、演技ができるから、女優、のはずなんだけど・・・・・・。誇りと現実の間で苦悩する彼女たちの本音が、ストレートに伝わってくる。多くのセレブたちが、まるで何の問題もないように自分のキャリアと結婚と子どものいる生活を手に入れ、難なくこなしている、と私たちは思いがち。「お金のある人はいいわよねー」「才能のある人はいいわよねー」そんなふうにうらやんだり、自分はあきらめたり。でも、そうじゃなかった。彼女たちにも壁はあり、苦労はあり、そして今も闘いは続いている。映画の最後の最後に、現在のデブラが出てくる。きれいなご婦人といったその姿は、それまでクレームというクレームを口にしてきた現役スターと比べると、面食らうほど穏やか。けれど、彼女は今、また映画に出始めている。闘って勝ち取るもの、軽くいなして手に入れるもの、人生、いろいろ。女性にとって、キャリアとは、仕事とは、生きがいとは?女性必見の映画。見た後、心の底に深い感慨が残り、人生に、ちょっと未来が開ける感じ。ちなみに、監督でありインタビュアーであるロザンナ・アークエットも女優である。
2007.06.24
コメント(1)
「三池~終わらない炭鉱(やま)の物語」は熊谷博子監督が三池炭鉱の地元大牟田市の協力を得て制作した、ドキュメンタリーの秀作です。昨年、東中野ポレポレで上映され、4月からモーニング上映のみなのに盛況で、延長延長できて、とうとう一日4回に。そして、11月にも再々上映、とロングランを重ねました。 約100年続いた三池炭鉱が閉山したのは1997年。監督はその翌年に三池に行き、「ここを撮りたい!」と思ったそうです。予算獲得に3年、その後7年かけて作り上げたこの映画は、人間の営みに対する優しい眼差しと、事実を事実として取り上げる冷徹さとを併せ持っています。三池の歴史を作ってきた一人ひとりに、誠実に相対することで、長い間心の奥底に秘めていた叫びを、浮かび上がらせています。「負の遺産」と言われようが、彼らにとって、それは青春であり、思い出であり、生きるよすがであり、そして忘れることなどできない苦しみ・悲しみなのです。知らないことがいっぱいありました。 当時の映像や写真を使いながらも、そこにあるような臨場感を感じさせるのは、今生きている人の証言を生き生きとつないでいるからでしょう。 私が観に行った日は、ちょうど日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞したこともあり、熊谷氏本人の挨拶がありました。失礼ながらどこにでもいらっしゃるような フツーのオバサンぽい方。この人の体のどこに、この映画を作るエネルギーがあるのだろう、と思ったほど。けれど、フツーの人のフツーの生活の価値を知るのは、フツーの人なのかもしれません。糾弾するでもなく、慰めるでもなく。結論づけるわけでもなく、訴えるわけでもない。ただそこにあった「三池」の光と影を掘り出す。「三池」を作り、「三池」に生きた人々を綴る。唯一つ、埋め戻されていない坑道から噴き上げてくる地下からの風にじっと耳を澄ましながら。
2007.06.17
コメント(0)
「蟻の兵隊」は、国や軍隊というものを糾弾し続ける元日本兵・奥村和一氏(撮影当時80歳)の、検証と闘いの日々を記録したドキュメンタリーです。 元日本兵による旧日本軍に対する告発ものは昭和のある時期、かなりポピュラーに取り上げられていたし、「テーマ=結論」になってしまうきらいがあって、見ても見なくても、いいたいことはわかる、みたいに考えがちです。昨年の夏、様々なメディアがこの映画を紹介したり、評価したりしていましたが、私は、ちょっと引き気味に、そんな騒ぎを眺めていました。ただ、ある情報を知った時、私はこの映画を見ようと思った。それは、監督が池谷薫氏だったということ。彼は、NHKスペシャル「延安の娘」を制作した人です。 文化革命時代に下放政策で延安に暮らした人々の青春と老い、 そこでできてしまった「子ども」の「今」をつづったドキュメンタリー。急激な社会変革の中で、人間がいかに翻弄されるものなのか。人生をあきらめた父と、生活にしがみつく母と、まっすぐな、混じりけのない瞳でおずおずと自分の存在証明を得ようとする娘。誰がいいでも悪いでもない、そこにある真実のコントラストが ただただ私を打ちのめしました。 その池谷監督が手がけた、「蟻の兵隊」。期待以上の作品でした。ある時は、国が「兵」として認めてくれない被害者として、 ある時は、中国人を殺した加害者として、 真実を知ろうとする奥村氏の強い心に打たれます。 沈黙した奥村氏の表情、 言葉を選びながら、必死に訴えかける彼の口元、 老いた体に鞭打って、激しい戦闘を戦い抜いた中国の山奥の要塞跡まで登った時の荒い息遣い、 初めて中国人を銃剣で刺し殺す「訓練」をさせられた処刑場に立って呟く「殺人現場に来た・・・」という言葉の重さ、 何もかもが、私たちに迫ってきます。 その上、日本・軍幹部と中国・国民党側との密約や、中国人虐殺を綴った旧日本兵の文章が、 60年たった今でもきちんと保存されていたという衝撃。奥村氏の目の前に提示されたそれらすべてを、日本の裁判は無視し続けます。 自分は、日本兵として戦った。国のために戦った。それを認めてほしいという、日本人の願いを、裁判は、国は、認めてくれません。国とは、一体…。 かつて奥村氏とともに戦った97歳で寝たきりの老人が、 それも、付き添う老妻に「もう何もわからなくなりましたのよ」と言われた老人が、 奥村氏の話に反応して、大声で叫び出す場面もありました。「ぅお~~~、ぅお~~~!」哀願するような、訴えかけるような、何かを貫き通すような、乾いた眼差し。死んだように生きていた一人の人間の奥の奥に、いったいどんな力が残っていたのでしょう。 それを引き出すのは、怒りか、悔しさか、信念か。 いろいろなことを考えさせられました。 途中、自分が「殺せ」と言われて殺してしまった中国人の遺族に対し、「自分は軍人として正しかった」ことを強調する場面があります。その後、池谷監督は奥村氏にやさしく質問するのです。「ごめんなさいね。 あの時、もしかして、 あの人がまったく無関係な村人じゃなくてよかったって、 思いました?」池谷監督が、奥村氏から絶大な信頼を得ていたからこそ氏はこの質問に真摯に答えます。でも逆に、長い時間をかけて奥村氏に帯同していた池谷監督にとって、この質問は切り出しにくいものであったはず。彼の「ごめんなさい」という言葉の持つ意味は大きい。奥村氏は十分傷ついてきた。傷を負い、苦しみ、それでも贖罪の旅に奔走する老人の心を知りながら、なぜこんなむごい問いかけをしなければならないのか?その壁を乗り越えて作った映画だからこそ、この映画は「テーマ=結論」のありきたりな作品に終わっていない。人間は複雑だ。そのことを、実感させてくれるドキュメンタリーです。この映画は昨年公開されましたが、今も各地で上映されています。詳しいことは、スケジュールをご確認ください。
2007.06.16
コメント(0)
今、日本経済新聞の最終面で、映画監督の新藤兼人氏が、『私の履歴書』を連載しています。現在90歳を越えた新藤監督の若かりし日の魂のおののきが、手にとるようにわかる素晴らしい文章なので、ぜひたくさんの人の目に触れてほしいと思います。その新藤監督が30年前、「私家版」と銘打って作った、溝口健二についてのルポルタージュ映画が、「ある映画監督の生涯」です。溝口健二と仕事をしたスタッフや俳優たちを中心に、39人のインタビューで溝口健二の生涯を綴っています。(近代映画協会製作・ATG配給)これを見てから『私の履歴書』を読むと、イメージがますますふくらんで来ます。溝口健二氏の内弟子になってシナリオとは、監督とは、を求め続けた新藤氏の、溝口氏へのオマージュと、同業者としての覚めた視線による真実の凝視とが映像を熱くもし、引き締めもしています。 圧巻は田中絹代。溝口監督との仲を聞かれ、「(このインタビューが)いい機会になりました」と、真正面から答えています。「私と溝口監督は、映画という仕事の上では完全に夫婦です」という言葉から始まって、どんどん心の奥の叫びが沸きあがってくる。すごい。 新藤監督と音羽信子との間柄も重なって、今観ると、また違う感慨があります。 当時のことを思い出しながら熱く語るつくり手たちの証言は、どれも溝口組の「演劇のような真剣勝負」としての映画作りを浮き彫りにさせます。この気迫が、名作を生んだんだと確信しました。 特に、「雨月物語」の最後のシーンに賭ける田中絹代の心構え、撮り終えた時の、森雅之の心境、溝口の表情。 映画に賭ける人々の裏側は、残ったフィルムとはまた別の感動を私たちに与えてくれます。
2007.05.12
コメント(2)
ボウリング・フォー・コロンバインはマイケル・ムーア監督の名前を一躍有名にしたドキュメンタリー映画。 つなぎのジーンズに野球帽、ヒゲもじゃ・小太り、どう見てもブルーカラーのむさくるしい若造が、その風貌を利用して相手を油断させ、大企業や政治家の本音を引き出す、そのゲリラ的手法と巧みな演出が、彼の持ち味です。 「ボクも中西部生まれ、ライフル協会の会員です」 これが殺し文句となって、セキュリティの厳しいライフル協会会長の家に堂々と正門から入り、インタビューに成功するマイケル。最初は仲間と思って無防備な笑顔と意見を振りまいていたのが、段々鋭い質問に表情を凍らせていく。そのすべてが、カメラに収められています。 「1市民」と「大アメリカ」という対峙のしかたが、ムーア監督の独壇場であり、映画に大きな魅力を与えています。 町のボウリング場でボウリングを楽しんだあと、「いっちょ行きますか」とばかりにコロンバイン高校に銃撃へと向かう少年の心理は、一体どこからくるのか? アメリカではまた、大学構内での銃乱射事件が発生し、30人以上が亡くなってしまいました。全国民が事件のたびに「衝撃」を受けながら、「銃社会の容認」という根本は揺るぎそうにありません。まるでガムかチョコレートのように、スーパーや理髪店で弾丸が買えるという社会にこそ、問題が潜んでいるというムーア監督の主張は、アメリカの根本的な問題に触れる大テーマです。 追加で・・・ 「華氏911」では、ビッグになりすぎ、「面が割れた」ムーア氏への警戒も強く、ゲリラ的取材の醍醐味は薄れてしまった感があります。 その分を「演出」で補おうとして、フィールドワークに支えられた本来の彼の底力が見えなくなってしまった気がします。 ただ、「作った」ことの意義は大きい。「1市民」が「大統領」に物申す、というやり方は、ムーアの信条ですから。華氏911 コレクターズ・エディション
2007.04.18
コメント(0)
「リチャードを探して」は、アル・パチーノ主演。ドキュメントタッチの映画です。 シェイクスピアの「リチャード三世」をやるために、役者たちがテキストについて論じあったり、ロケハンしたり、場面を演じたりします。 私が特に好きなのは、夫の柩の前で未亡人になったばかりの女性をくどく場面。リチャードは見映えもよくないが、何といっても夫を死に追いやった張本人。自分を憎み蔑んでいる未亡人を、リチャードはいかにたらしこんでいくか?? 跪き、しがみつき、哀願し、「あなたが好きだから、夫を殺した」とまでいうリチャード。誇り高く、「お前なんか!」と公言してやまない未亡人が、いつしか心をほだされていくのです。ありえないシチュエーションのはずなのに、うそっぽくない。私でもフラッといきそうです。いろんな「リチャード三世」を見ましたが、この場面にこれほど説得力があったのは、はっきりいってアル・パチーノのリチャードだけ。「男の魅力とは何か」「権力とは何か」「愛されることは武器か」いろいろと考えさせられました。 一つお断りしておきたいのは、これはいわゆる「メイキング」ではないということ。「芝居を作るために、俳優は、映画監督は、何にこだわり、それをどう具体化しているか」それを映像にした映画です。特に、シェイクスピアという巨匠に対峙するとき、作品として残る二時間三時間には、彼らの舞台人としてのすべてがこめられている。そこがわかる映画です。リスペクト。ひるがえって「メイキング」。舞台あるいは映画を作り上げるまでの過程を撮影し、それを「商売」にする、という行為が、今では当たり前になっています。DVD発売の時は、それが特典映像として付けられていることもありますね。メジャーな映画になると、封切りの前に長々と特番でメイキングを流します。中には、「ここまで見せられちゃったら、もう映画館に行く意味あるの?」と、へきえきするほどの番組もあります。私としては、メイキングは映画の後で見たいな。
2007.04.07
コメント(0)
もう一度、東京でオリンピックを、と石原慎太郎氏は言っているが、 たとえもう一度やっても、1964年の感動はないだろう。 オリンピックというものが、 ただスポーツを愛する人たちの祭典であり、 世界平和の象徴だと信じられていた。 そんなオリンピックがあったんだという証明がこ市川崑#長篇記録映画#東京オリンピックである。 同時代に生きた人にはたまらない、あのファンファーレや、 一糸乱れぬ開会式の整然美。 一転、閉会式は図らずも各国選手が入り乱れて肩を抱き合い、 文字通りノーサイドのホイッスル後を、互いに讃えあった。 最近、「閉会式は国別に入りません」という演出をすると、 結局はみな国別に集まり、国旗を振って騒ぐのがオチ。 「図らずも」 ここに、時代の空気と希望があったのだ。 オリンピック開催自体が日本の戦後復興アピールだったわけだが、 (冒頭であれほど持ち上げてはいるものの、政治的側面は歴然としてあった) ドキュメンタリー映画の製作もまた、 日本の映画界の総力を終結して作られた。 監督・市川崑 脚本には、市川とコンビの和田夏十や、 詩人の谷川俊太郎の名前も見える。 撮影陣に、溝口健二作品には欠かせない宮川一夫。 映像美のヒミツは、市川・宮川という布陣にあったと納得。 音楽は、黛敏郎。 渋くて重厚なナレーションは、三國一朗である(1965)。
2007.03.29
コメント(0)
ミステリアス・ピカソ 天才の秘密このドキュメンタリを見ていると、ピカソが1枚のキャンバスの中に、どれほどの物語を詰め込んでいるかがわかる。 だって、海の絵を描いていて、朝の風景から始まり、人が出てきて、その人が泳ぎ始めて、船がやってきて、波が大きくなって、太陽が動いて・・・なんていうのを、描いては塗りつぶし、描いては塗りつぶし、ずーっと繰り返しているんですよ。 最初から、最後の構図で描けっていうのが、私たち凡人。 でも、彼は、最後だけを切り取って描きたかったんじゃなく、全部を持った絵を描こうとしたんだと理解できた。 「時間」という積み重ねは、三次元空間では同時に存在できないけど、ピカソはそこまで「ほんとに」描いているのです。 これは、全幕のバレエに似ている。有名なパ・ドゥ・ドゥ(男女二人の踊り)は、そこだけ単独で踊るより、2時間の物語の最後に披露される時の方が、ずっと魅力的。 なぜなら、ダンサーも観客も、その踊り(結婚式での歓びの表現であることが多い)までのいきさつを、「時間」という積み重ねで共に体験しているから。 それは、レコードとCDの音の厚みの違いにも似ている。 「人間の耳には聞こえない」という理由からカットされる周波域。でも、聞こえないけど感じてる。科学的にどうかは知らないが、絶対に、その「厚み」の中に感動が潜んでいる。 「わからない」けどなぜか惹かれるピカソは、芸術そのものの秘密を体現しているのかもしれない。 監督は「恐怖の報酬」「悪魔のような女」で有名なアンリ=ジョルジュ・クルーゾー。1956年フランス制作のドキュメンタリー映画です。 驚きの連続。必見。
2007.02.27
コメント(0)
TVのゲームショウで獲得した1100ドルを元手に、 「女優ドリュー・バリモアと一日だけデートしたい」という昔からの夢をかなえようと、 30日以内に返せばタダのレンタルビデオカメラ片手に 出発!「デート・ウィズ・ドリュー」は その一部始終を記録した、 おバカな青年のドキュメンタル・ロード・ムービーです。 1100ドルといえば、13万円くらい。 これで広いアメリカを移動し、コネというコネを使って ドリューに少しでも近い人物にアタック。 「デート」という最終目的のために、エステなど、イイ男演出への準備も怠りません。 この映画は2004年にアメリカで爆発的にヒットし、 監督兼主演のブライアン・ハズリンガーは、まさにアメリカン・ドリームの申し子となりました。 昨年末、TBS『王様のブランチ』で流れたインタビューでは、「夢を実現するには、何が必要か?」の質問に、 彼は「Passion」と答えています。 願ったことを成就させる、その行動力と企画力。 あらゆる人脈を使って、運を手繰り寄せるエネルギー。 そして、それを映画に撮って自分をサカナにするサービス精神。 映画からあふれ出す、本人の明るく気さくな人柄もあって、「チャンスさえあれば、成功する」要素を、彼はすでにたくさん備えていたのかもしれません。それだけに彼が賞金を「1カ月の生活費」にしないで「夢」につぎこんだ、その決断がすべてを決めた、といえるでしょう。さて、彼は30日間でドリュー・バリモアに会えたのか?その結末は、ぜひ映画館で!TOHOシネマズ六本木ヒルズでやってます。(上映時間帯が短期間で変わるので、最新情報を確認してからおでかけ下さい)ちなみに、「チャーリーズ・エンジェル」などで有名なドリュー・バリモアは、6歳の時に「E.T.」に出演していて(あのかわいい妹役)、 それをやはり6歳のブライアンが観ていたというのが、 なかなかいいエピソードです。 鑑賞後、すべての観客から「面白かったねー」と声が上がるような、そんなステキな映画ですよ!*2006年12月16日のMixi日記をベースに、書き直しました。
2007.01.23
コメント(0)
アフリカで起こっている日本のブラックバス騒動のような、「不用意な外来種放流で生態系をメチャクチャにした魚のお話」、みたいに思っているアナタ!それは、認識誤りです。たしかに「ダーウィンの進化論」に関係しますし、もちろん、そういう魚は出てきますけど。「ナイルパーチ」という、大きな肉食魚。つまり、魚を食べて大きくなる魚の王者、みたいな。とにかく、デカイ。人の身長くらいある。100キロにもなる。マグロなんかより、ずっとタテもヨコもデカイから、不気味なほどです。でも、本当に不気味なのは、魚じゃなくて、人間なんです。弱くて小さな魚を食べて生態系の頂点にのし上がったのがナイルパーチなら、弱くて抵抗のすべを持たない人間を食い物にして、人間界の頂点にのし上がった、ナイルパーチみたいな人間は、一体誰か。今、何でもありの弱肉強食の世界で自然淘汰されて、一体どんな人間が勝ち、どんな人間は踏みつぶされているのか。弱者はどんな踏みつけられ方をしているのか。踏んでいる者たちは、それを知っているのか。知ってて、こんなことをやっているのか?このドキュメンタリーは、そこを鋭くついてくるのです。フーベルト・ザウパー監督は、最小クルーで4年間、撮影に取り組みました。身の上を隠しての潜入取材もしばしば。撮影資金のほとんどは、わいろと罰金に消えたというタフな4年です。しかしその長期取材のおかげで、ナイルパーチの周辺にいる様々な人々は、工場主も輸送パイロットも、警備員も加工業者も、牧師も売春婦も、漁師もストリートチルドレンも、次第に心を開き、本音で語ってくれるようになったのです。「悪いのは誰だ?」という視点ではない。よりよく生きるためにみんなが日々やっていることが、一体どんな世界を作り出しているのかに焦点をあてている。その愛情と悲しみと憤りが、観る者の心に届くのだと思います。日に何度も飛行機が着陸しては、「白身魚フィレ」の箱詰めとして、大量のナイルパーチが今日も輸出される。その飛行機は、代わりに向こうから何を運んでくるの?その飛行機は、空っぽのままやってくるの?ここが、この映画のキーワードです。今日もどこかでフィレ・オ・フィッシュを食べているアナタ。スーパーのお惣菜コーナーで、白身魚のフライを買っているアナタ。私たちが彼らにもたらしているものは何か、知っておく必要があるでしょう。「ダーウィンの悪夢」は、渋谷シネマライズで上映中です。グローバル化と奈落の夢
2007.01.06
コメント(3)
エンロン内部告発者渋谷の小さな映画館「ライズX(エックス)」で上映されている「エンロン」は、私が今年観た多くの秀作ドキュメンタリーの中でも、もっとも衝撃的、かつ考えさせられることの多い素晴らしいものだった。(1/20より、上映館が渋谷シネ・ラ・セットに移りました・後記)2001年前後のアメリカで起きた「エンロン事件」というものに聞き覚えがあるだろうか。あるいは、同じ時期、カリフォルニアで大規模な停電が何回も起こったことを。これはどうかな?この大停電の責任を問われた州知事が選挙に負けて、カリフォルニア州知事になったのは、「シュワちゃん」ことアーノルド・シュワルツネッガー!これらは全部つながったものなのだ!そして大停電の理由は、「電力」の売買についての規制が緩和されたことで、「株」の売買と同じく投機対象となったため。意図的に州内の電気を一時品薄にすることで値段をつり上げる、エンロンのオペレーターたち。その結果、カリフォルニア州は、従来の何十倍ものお金を出さないと、生活に必要な電力量さえ買えなくなってしまったのだ!この他にも、信じられないほどの倫理無視、会計のイロハさえ無視した粉飾の連続。これらは、政治的な保護も受けてのさばることができた。エンロンの最高経営責任者(CEO)のケン・レイは、パパ・ブッシュとも息子のジョージ・ブッシュとも家族ぐるみのつきあいを持つ。エンロンの粉飾が明るみに出たとき、エンロンの会計監査や法律相談をしていた監査法人や弁護士事務所は、非常に歴史あるところだったにも拘らず、倒産している。10年ほど前のアメリカの実態を目の当たりにしながら、一方でずっと違うことが頭をめぐっていた。そういえば、日本でも粉飾決算に伴って老舗の監査法人が解散したっけ。それに・・・。エネルギー会社である「エンロン」が、何かを生み出すのではなく、株や、他の会社や、電気や、その「売買による値のつり上げ」にかまけて会社の「時価総額」を上げることだけに血道を上げる。この構造、どこかで聞いたような・・・。そう、あまりにも似ている、「ライブドア」「ホリエモン」と。よく「アメリカの流行は10年後の日本のトレンド」というが、どうして、他山の石に学ばないのか。いや、悪知恵ばかりを学んだのか??今、時代は「官より民へ」。利益を生み出さない出費を許さないという風潮だ。しかし、「民」とは、「株式市場」とは、「営利主義」とは、そんなにエライのか?自分が儲かるとなれば、どんな事業にも貸し続ける銀行に、責任はないのか?映画「エンロン」を見ると、普通の人が、普通の感覚で「いけない」と思うことを、彼らは平気でやってのける。それを後押しするのは次々と改正(改悪?)される「規制緩和」の法律なのだ。ライフラインに不可欠な電力を投機対象にして、庶民の生活を成り立たなくさせるようなことが平気で起きる社会。私たちは、もっと賢くなって、愚かで欲張りで、「足る」ことを知らない経営者たちに「ノー」と言わなければならない。お勉強しなくっちゃ。ニュースの裏側を知ろうとしなくっちゃ。ということで、もう一冊ご紹介。粉飾資本主義エンロンとライブドア著者の奥村宏さんは、ほかにも「エンロンの衝撃」などを出版している。日本のジャーナリズムは、事件が起きたときは騒ぐけれど、アメリカと違ってあとから徹底的に検証することがない、という指摘に思わずうなずいてしまった。
2006.12.29
コメント(1)
全44件 (44件中 1-44件目)
1