★Day3 サンタマリア



さて、バスはアルコバサに到着。
おお、ナザレのターミナルより大きいし、
しっかりしてる^^

さて、修道院はどちらかな?ここからだと西の方になるはず。
南は、、、と。
右か。右に行ってすぐさらに右へ。
あ、そこに見えてる大きい建物ってすでに修道院??

かも。。。だとすると大きい~!!
あとは修道院の周りをぐるっと回って正面にいくだけだ。

着いた~。
サンタ・マリア修道院
おお、側面もだったが正面も大きい~。
今回の旅、3つ目の世界遺産^^

サンタ・マリア修道院


さ、中に入ろう。

おお、広お~い。
十字架は遥か向こうだ。
中はゴシック様式?
外はバロックだったのような??
改修したのだろうか。

十字架に近づく。
教会内にはペドロ1世とイネスの石棺がある。
二人の純愛と悲劇。

石棺を前に、その概略を、、、

旧スペインの王の親戚の娘との政略結婚をさせられ、
妻をかえりみない王子ペドロは
妻コンスタンサの侍女、イネスと恋に落ちる。
コンスタンサは、ペドロの子を身ごもっていたが、
(う~ん、かえりみない割には子供を。。。
 世継ぎは必要か。。。)
その保護母にすることを思いつく。

当時、保護母は両親の兄弟、つまりペドロとは兄妹関係に
あたるとされ、愛し合うことは教会が厳しく禁じていたからだ。

しかし、二人の関係は終わらなかった。
しかも、生まれた赤ちゃんは1週間で死んでしまう。
そうなると、イネスのせいで死んだという話が広まり、
イネスは国外追放される。

それでも二人は連絡をとりつづけた。
コンスタンサは二人目の子供を難産の末に産むが、
このとき死んでしまう。

ペドロは喜び勇みイネスを連れ帰り、幸せに暮らす。
子供も3人生まれた。しかし、王アフォンソの名をつけた長男は
死んでしまう。また、イネスの父がポルトガルに興味を示していたこと、
イネスの美貌へのやっかみ、これまでのいきさつから、
イネスを悪く言う人たちが絶えません。

悪いことに、黒死病や災害、不作などが続き、
さまざまな国内の争いやイギリス-フランス100年戦争などもあって、
イネスのせいにする人たちが日増しに増えていきました。

二人は居所を何度か変えていき、今度はポルトを離れ、
コインブラに移ります。

王の取り巻きは、正式な世継ぎとイネスとの子での争いを懸念し
イネスを殺すよう迫ります。
王は家族とポルトガルへの危惧との狭間で悩んだ挙句、
ポルトガルを選びます。

ペドロが狩に出かけている間に、
イネスは無残に殺されてしまいます。
ペドロはすぐに軍を率いて父と闘おうとしますが、
母ビアトリシュの説得により、和解します。

しかしペドロはイネスを殺した者たちを赦す気は微塵もなく、
父が亡くなり、即位するとすぐさま
殺した3人をあらゆる手段を使って探します。

「残酷王」ペドロは1人は逃しましたが2人を捕らえました。
一人は心臓を生きたまま胸からえぐり出され、もう一人は
背中からえぐり出されました。
そのあと、その心臓をかみ砕いたと言う伝説があります。

そしてペドロは愛するイネスの亡骸を安置するため、
とても美しい柩を作らせました。周りに妻と認めさせる柩を。
イネスの像は柩の蓋部分にあり、美しいイネスが王冠をかぶっている。
そして歴代の王の眠る入り口部分ではなく、
教会で最も神聖なる場所である、
教会奥の小聖堂の近くに安置された。。。

その後のペドロの治世は素晴らしく、
これまでにないといわれたそうです。
そして、その死にあたっては亡骸はアルコバサ、
イネス・デ・カストロのもとへ。死してなお共に。。。

ペドロの棺

これは見事な彫刻だ。
すごいや。。。
こういう物語を知っているとまた一段と感慨が深くなりますね^^


しかし建物の規模も違うなあ。。。
なんて大きいんでしょ。

さて、教会のとなりとなる、中へ行きましょう。
お、これが王の間だ。
王の彫像とアズレージョが壁を飾っている。

回廊の方へ行こうとすると、
さ、チケットを。
あ、有料だったか^^;

チケットと簡易ガイドを買って中へ。
★★


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