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もう少し…、で完全復活です。私の体が。後咳が止まればいいのですが、それがしつこくてたまりません。席をするっってこんなに体力を使うものなのかっていうことを実感しています。
2005年04月28日
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ウイルスバスター不具合、61社で被害確認(asahi.com)おとつい朝パソコンが急に動かなくなり、再起動しても立ち上がらなくなった。その時原因もわからず、復旧作業をしていた。いつもバックアップを撮ってあったので大丈夫、って思っていたらバックアップファイルが壊れていて復旧不可能。仕方なくということもあり、また調子が悪かったということもあって最初から入れ直そうと思い、やることにした。結果二日間かかった。未だに認識番号がわからないものがあり、立ち上がらないソフトがある。結構復旧作業はしんどかった。今朝朝FMラジオを聞いていると、ウイルスバスターに不具合があり大変だったということをやっと知った。おとついダウン路^度し尚したときには何のお詫びや表示がなかったと思っている。復旧するのが精一杯で文字を見ている暇がなかったのかも知れない。今朝起きてみてみるとちゃんとお詫びが掲載されている。今朝布団の中でラジオを聞き、これだったんだ!って思った。復旧作業の時間を俺に返してくれ!そう思わずにおれない。ついでに昨日の午後から体の調子があまり良くない。熱も出てきた。頭痛がする。また寒気もある。復旧作業で風邪をひいたのだったら誰が責任をとってくれるのだろうか。誰か責任をとってくれ!って叫びたい。
2005年04月25日
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昨日お釈迦さまの誕生会をしました。20人ぐらいの方が参加してくださいました。ケーキやお菓子なども食べたり飲んだり、そして少し工作をして、最後は子とも達だけで自由に遊び回っていました。今日は私はダウン気味です。頭が痛い、だるい、熱はないようですが、多分明日は寝込むでしょう。
2005年04月24日
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今日お寺で子どもを対象として行事を行う。お釈迦さまの誕生会である。みんなで誕生をお祝いしてケーキを食べる、これだけである。小さいときからお寺を意識してもらえばと思っている。でも、この少子化の中、子どもが塾やスポーツ団で忙しい中何人来てくれるだろうか。ケーキのこったらどうしよう。心配である。ちなみに楽天でこのプリンを買ってみました。本当はバケツプリンがほしかったのですが、妥協しました。
2005年04月23日
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「過去を反省、おわび」と首相演説 村山談話を踏襲(asahi.com)「ジャカルタを訪問中の小泉首相は22日昼(日本時間同日午後)、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)50周年の首脳会議で演説した。植民地支配と侵略によって損害や苦痛を与えたアジア諸国などに「痛切な反省と心からのおわび」を表明するなど、95年の村山首相談話に基づく歴史認識を改めて強調。そのうえで、アジア・アフリカ地域に対し、「経済開発」「平和構築」「国際協調推進」を提言した。」そうだ。謝罪をいつまで続ければいいのだという声がマスコミからよく聞こえてくる。世論の多くもそうだろうと予想する。今の韓国中国ので反日運動があるからしかそうなっても仕方のないことなのだろう。涅槃経というお釈迦さまのお説教が綴じられている書物には二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙、二つには愧なり。「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧(ざんき)」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。 とある懺愧という心があるかないかで人か畜生か決まるということである。人として生きていく中で大切なのは懺愧心であるとお釈迦さまはおっしゃっている。はじる心によって人として生きていけるということなのだろう。過去を反省し恥じ、その心に基づいて未来を築いていくことこれが人として生きる道であるとお釈迦さまはおっしゃっているのではないだろうか。我が国は過去を何度も言葉として謝罪している。仕方がなく謝罪しているのであれば意味のないことではないか。この謝罪が国民ひとりひとりの気持ちとなり、そしてみんなでどんな国にしていきたいのか。どんな生き方をしていくべきなのかを考える歩みとなっていくこれが真の謝罪というべきではないだろうか国だけではなく、私ひとりの生き方を振り返れば、仕方なく謝ることは結構あるが、心から謝罪することがほとんどなかったことに気付かされる。
2005年04月23日
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今花が満開です。でも桜ではありません。実は梨の花です。昔は上から見ると白の絨毯のように見えたのですが、今実を大きくしなければいけないということで枝をだいぶすいてしまっているので昔ほどではありません。そして最近風の強い日が多いので、梨の花のにおいもあまりしません。梨の花は決していい香りとはいえません。香水で売っても売れようのないにおいです。でも私にとっては春の香りです。好きな香りです。さてひとつ私には悩みがあります。それは臭いと香りと薫りです。使い分けがよくわからないのです。使っていてどっちだろうって悩んでしまうのです。前はいい香り、いやな臭いかなって思っていたのですが、最近はきつい臭い、かすかな薫りではないかと思っているのです。どんな使い分けなんだろう。そんなこと悩まないで辞書を見ればスキッとするのでしょうか…。
2005年04月22日
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新任男性教諭、学校内で首つり 授業参観日の朝--埼玉・越谷(MSNニュース)20日の出来事だがちょっと気になっている。最初は情けないやつだと思っていた。そして学校で自殺するなんて許せないと思っていた。でも新聞やテレビのニュースを見ているうちに少しずつ思いが変わってきた。彼は前の日午後九時まで学校にいたそうだ。よくよく考えるとうちの子どもたちが通っている小学校にも車が夜遅くまで止まっていて職員室の電気がついている。どうも学校の先生は残業が当たり前となっているようだ。授業の準備、そして事務作業がいっぱいあるそうだ。教員の質を上げるということも大切なことなのかも知れないが、教員の環境というものも整えなければいけないのではないだろうか。教育者の質を上げれば人は少なくなる。教育しやすい環境というものを整え、教育の質を上げる必要があると思う。今ゆとり教育について賛否両論であるが、そういうことより教員にゆとりを持ってもらう「ゆとり教育」が本当に必要なのではないだろうか。
2005年04月22日
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昨日、部落問題の学習会に参加した。太鼓についてお話を聞いたのだが、余談として人間国宝についてお話しなさった。すごく興味深かった。人間国宝になった特典というのは医療費免除ぐらいだそうだ。長生きしてほしいということらしい。絶滅寸前の動物のように、とにかく長生きしてほしい。そういうことだそうだ。芸や技術を次に伝えるということよりは本当に貴重な動物を保護ようなことが人間国宝という制度の目的だそうだ。なんかおかしいなぁって、首を傾けた。絶滅寸前の伝統芸能や伝統技術を継承している人で、高齢になった人に与えられるのが人間国宝というもの。伝統芸能や技術を未来に残していくために大切なのは。その仕事に携わっている多くの人たちがその仕事だけで食べていけること、それなりの収入があること。自分に誇りを持てるようになること。多くの人が尊敬することじゃないかな。誰もが自分を敬い、他を敬うこと。いのちを敬う。こういう歩みの大切さを感じてきた。
2005年04月21日
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昨日三番音の子どもがおたふく風邪になりました。私は教務所で勉強会、連れ合いは保育所父兄会の役員会と用事があったので、どちらかが連れて行くことになりました。子どもにうつすことが一番いけないことということになったので私が高岡まで連れて行きました。コミュニティーバス(いきいきバスという名前です)で、呉羽駅まで行って高岡駅馬で電車。高岡駅前から本丸会館まで高岡万葉線で行った。高岡万葉線は真っ赤の低床電車でおしゃれな感じ、だから三番目は結構うきうき。人に移してもらっては困るので、気休めにドラえもんの絵のはいったマスクをしてもらいました。よくよく考えると自分が勉強会を休めば良かったんですよね。絶対行かなければいけないというものではなく、行きたいもの、私が話しを聞きたかっただけなのですから。反省しています。菌をばらまいてしまって。
2005年04月19日
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昨日、近所の方から菜っ葉をもらった。だいぶ食べ飽き気味だったので、辛スミを出遭えて食べようと思い、一念発起してがんばって辛酢みそを作った。それを見て連れ合いはホタルイカを買ってきてくれました。初めて作ったにしてはよい味でした。ホタルイカもおいしく感じました。
2005年04月18日
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今日長男と次男は午後からコミュニティーバスに乗った。三男と自分がコミュニティーバスに2回も乗ったのに触発され手だろうか。それとも珍し物好きの血をひいてか、友達を誘って一周してきた。今日はしっったばすはいつも走っているバスではなく、かっこわるいバスだった。息子達云くへんてこバスは次回にでも写真にとってアップさせてもらうことにする。
2005年04月16日
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今日はは(も)三男坊に急かされてまた保育所までバスに乗っていきました。帰りいつものように梨畑を通ってきたのですが、なしの花がちらほらと咲いていました。これからなし農家は花の花粉を採取して受粉作業です。本来なら八などが受粉してくれるのでしょうが、消毒の西夏蜂はやってはくれません。だから人間が、梵天を使ってやっています。今は受粉用の機会ができてプシュップシュッとエアーで受粉しているようです。
2005年04月16日
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今週から私の住むところにコミュニティーバスが走っている。バスの路線や本数がどんどんなくなっている中、高齢者社会の今こういうコミュニティーバスは必要なのだろうと思っている。しかし、自分の住む田舎で採算が成り立つのだろうかということが本当に心配である。いつまでこのバスが走るのだろうとつい思ってしまう。そこで今日三番目の息子を保育所に連れて行かなければいけなかったので、早速乗った。誰も乗っていないだろうと勝手に想像していたが、私たちが乗ったときには4人乗っていた。ちょっとホッとした。近くのバス停から保育所の近くのバス停まで二区間。息子は楽しんでいるというより、緊張していました。多分保育所に行って保育士の人に、友達に自慢げに語っているのだろう。帰りもバスで帰りたいところだが、うっぽうほうこうの運行で、そして1時間に一本しかないので帰りはてくてく歩いて帰ってきた。梨畑に囲まれた道を帰ってきたが、なしのつぼみはそうちょっとって感じだった。だいぶつぼみは白くなっていた。また息子に乗りたいっていわれたらそうしよう。帰りの歩きが…。
2005年04月14日
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一昨日に引き続きチューリップが二つ花を咲かせました。いずれも白色です。いずれ歌のように「赤白黄色」といろんな花を咲かせるのでしょう。待ち遠しいものです。阿弥陀経というお経(お釈迦さまのお説教か書きとどめられた本)には阿弥陀如来が創られた浄土の世界が書かれています。そこの池にはチューリップと同じようにいろんな色の蓮の花が咲いているそうです。でも「微妙香潔(みみょうこうけつ)」とあります。それぞれの花が微妙(びみょう)で清らかな香りがすると。清らかな香りなのだけれど微妙だと。ほのかな香りなんです。このところはよく個性ということで引用されるのです。それぞれがそれぞれの花を咲かしているのですが、香りは微妙なんです。最近そのことが気にかかっているのです。俺が俺がって自己主張しているのではないような気がするのです。自分が生きているっていうことを声高に主張はしていないっていうことなのです。自分だけが目立てば他が目立たなくなる。そういうことなんでしょう。歌をみんなで歌っていても、自分だけ大きな声で歌っていると自分の声しか自分には聞こえてこない。しまいには伴奏も、他の人の歌声も聞こえなくなっていってしまう。そして他とずれていってしまうんじゃないかな。自分の声を少し下げると、いろんな人の歌声が聞こえてくる。自分の声のボリュームを少し下げると耳を澄ますことができる。いろんな人がそれぞれに生きていることが聞こえてくる。そんないろんな人たちとハーモニーを奏でること、すてきですよね。あこがれます。自己主張ばかりしていてもいろんな人と一緒に生きていくというハーモニーは始まりません。みんな自分を認めてほしいと思っている。だけど自分のことばかりいっていても仕方がない。
2005年04月12日
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春ですね。少しずつ花が咲き出しました。百合とチューリップが花をつけています。このチューリップはうちの地植の一等賞です。昨日急につぼみを出したのですが、今朝もう咲いていました。動き出したら速いものですね。今朝うちの馬鹿猫Qooに頭をこつかれて五時過ぎに起こされました。結構腹が立ったのですが、耳をすますと外からいろんな鳥の声が聞こえてきました。春ですね。冬には聞くことのできなかった鳥の声今朝起こされ耳を澄ませばいろんな鳥たちが合唱をしているではないですか。起こされたことに腹を立てていたことをわすれ気持ちよくなっていつのまにか眠りに誘われていました。2月末に買ったチューリップの鉢植え、実は四月に入っても花をつけていました。ちょっと疲れたせいか腰を曲げているやつがほとんどでししたけど。ご苦労さんでした。に三日前に外に出してやりました。
2005年04月10日
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中越地震の被災者を支援するため、というかがんばってくださいという思いを伝えるために被災者の人々に雑巾やタオルを送ろうということを仲間でやってきた。そして機能その仲間が小千谷市などの仮設住宅を回り雑巾・タオルを渡してきてくれた。最初は仮設住宅が結露がひどいということを聞き何とかしなくちゃってことで始めたのですが、結果として春の今になってしまった。だから最初の思いとは違うのですが、でも、がんばってください、私たちも気にしてますよということだつたわるのだうということで、時期は過ぎたかもしれませんが渡してきてくれました。私が有縁の人々に呼びかけて集まったのが雑巾タオルを合わせて220枚ぐらい。仲間全体で集まったのが、4200枚。ひとりの思いがこの雑巾の数になった。私は大きな数だと思う。思いが沢山こもり形となり、中越の被災者の方達に伝わったことでしょう。中越地震の復興はこれから始まるところです。私達にできることはいろんなことがあるでしょう。考えればいろりろあるはずです。何もできないと思っても、被災者の方々を心配し続けることはできるのではないでしょうか。そこからしか始まらないのでしょう。そこからいろんな形に表現されていくはずです。思い続けることこれが一番大事なこと。他に向かって書いてしまっていますが、思い返せばこれは自分に向かっての言葉なのでしょう。忘れっぽい自分。人情の薄い自分。これでいいのか!!
2005年04月06日
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忘れていました。「ごぼはんだより」を発行していました。見てください。それとおやこのつどいのチラシも作りました。見てくださいこちらからどうぞ
2005年04月03日
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昨日長男達が近所のどこかへ行って土筆を採ってきた。そしてこれ食べようっていった。どうも近所の料理屋さんと一緒に土筆を採ってきて食べれることも聞いたらしい。正直土筆は食べれることは知っていても食べたことはなかった。だからいい機会だから食べてみようと思い、連れ合いに作り方を聞いてもらい作ってもらった。砂糖醤油で煮ていた。食べてみるとセイン異質系がいっぱいある感じで、サツマイモの茎を食べているような食感だった。これだったらきんぴらにもできるかと思いました。もうふきのとうも食べれないぐらい大きくなっているので、しばらくこれでも食べていようかって感じです。息子よ!土筆を採ってこい。家計が助かるぞ、っていいたかった。
2005年04月01日
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今日から私が住むところは市町村合併に伴い、新富山市だそうです。まぁ合併する前も富山市だったんですが…。だから新生富山市になってもそんな行政サービスや生活が変わることがないだろうって安心しています。でもどうだろう、新しく富山市になるところは。特に山間部は。心配だ。でも、この心配をし続けることによってこの心配が解消されていくとも思う。NO PROBLEMこんなふうにインド人の口癖のようにいたらどんどん溝が深まっていくような生がする。問題を見つめる力、心配する心これが大事なのではって思う。実は綿ガムところは今ら40年ぐらい前に富山市に吸収されていったところ。未だに中心部というか旧市内と温度差を感じているし、いろんなことを思う。吸収されると何かいいことがあるのかも知れないが、間違いなく悪い面も沢山あると思う。本当に何のための合併か、なぜ必要なのかということは地域に住むものという視点からはからは何ら答えが見つからない。国を運営するところからは答えは勿論あるのだろうが。何かおかしいって思わずに入れない。
2005年04月01日
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