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最近コイズミクンのことを見ていると、こうやってヒトラーが出来上がっていったのではないだろうかって思う。人間にある利己主義的なところをこちょこちょこちょがして、気持ちよくさせ、人気をとる。そして権力を持つと今度は反発するものを切っていく。見せしめとして抹消していく。次は踏み絵をさせる。利権を散らかし、おまえはどうするのかと。そしてもうひとつの脅かしは、「おまえが俺を選んだんだろう」「おまえは俺を必要としたのだろう」こう脅かす。批判することを許さない環境を作り出す。批判することがこわくなる環境を作り出す。また同時に利己主義的な自分をこちょがす(くすぐる)。あめとむちのように。権力者に刃向かうことの出来ない環境にする。権力者に刃向かうことがばからしく思える社会を作り上げる。自分のことしか考えられない人間に育てる。自分さえよければいい、自分たちさえよければいいんだと思いこます。こういう国民を育てると、あなたもヒトラーになれますよ。コイズミクンがめざす、あの人になれるんですよ。富山県のある立候補者がこう言っていた。本籍ジミンはダメだって。つい頷いてしまった。そういうあなたもジミンと同じ体質の、政党ではないですか。どの政党も信じれない。でも選挙には行こう。信じれない人の中でも色々選んで一人を選ぼうっと。選べなくても投票に行こうっと。選べる人がいなかったことを表現するために白票などの無効票として、投票してくるんだ、俺は。消去して消去して選ぶんだ。それでもいなかったら白票として自己表現は絶対にするぞ~
2005年08月31日
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今朝起きてみるとちょっとあまたが痛い。昨日飲み過ぎたからだろうか。実は昨日京都に日帰りで行ってきました。真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会全体会に出席してきた。今年度(大谷派では7月から年度初め)より委員になり始めての参加だった。珍しくちょっと緊張!でも懐かしい人にも会えた。顕昭さん、旧姓清水、淳さん、菱木さん、芳原さん、敏暁さん(懐かしくはないか)、そしてネットつながりの旦保さん。いろんな人にお会いできた。会の雰囲気を嗅ぐことに一生懸命だった。まぁ任期三年間はやっていけるだろうって感じがした。でもハンセン病問題にしっかり自分の足で関わっておられるばかりに感じ、自分の関わりの薄さに恥ずかしさを感じた。初めての参加であったので皆さんと仲良くなろうということで終了後懇親会に参加した。最終列車までの時間だが。切符も買ってなかったのにぎりぎり京都駅に着き、乗車証明書をもらって列車に乗り込んだ。気がついたらもう富山だった。そしてタクシーに乗り、我が家について就寝、朝起きると頭が痛かったというわけである。会議室が寒すぎたとか、京都で雨に打たれたというわけではどうもないようだ。今日午後からお医者さんに言って定期検診なのだが、血糖値が心配である。
2005年08月31日
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ごぼはんだより119号作成しました。ごらんになってください こちらからどうぞ
2005年08月29日
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今見る番組がないので24時間テレビを見ている。見るものがないのならテレビを切りなさいって聞こえてくるんですが、ついついつけっぱなしなんですね。少し変わりたいのですが…。さて、24時間テレビにはがんばる障害者、がんばる闘病者が色々出てきています。がんばっているなぁって思います。それはそれでいいのですが、つい思ってしまうことがあるのです。がんばっていて、そしてテレビに取り上げてもらいたいのに取り上げてもらえない人、映像的にインパクトがないとか。そんな人もいる。がんばりたくってもがんばることの出来ない人もいる。がんばりようのない人もいる。この世にいろんな人がいるのだ。闘病者とか、障害者とかそんなこと抜きにして。いろんな人がいるのだ。がんばれる人だけが美しいのではないみんな人それぞれで、それぞれなりに、一生懸命生きているのだ。自ら命を絶つということも一生懸命生きたからでないだろうか。美化は私はしないが。一生懸命生きていない人なんてこの世にいない、僕はそう信じたい。生きている、その事が美しい、すばらしい。テレビのようにデフォルトしなくてもそのままがずばらしい生きてあることがすばらしいテレビには偏見がある。それだけは忘れてはいけない。テレビだけではなく、自分自身にも、きっと。
2005年08月28日
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8月は忙しいのを理由に畑の草むしりをしていませんでした。野菜がどこにあるの?状態になっていました。そこで昨日一昨日と草むしりをしたのです。庭もどきのところは草刈り記で買ってしまうのですが、今回血迷ってしまい、釜を使って根っこから取ってしまえと思ってしまったのです。一日2時間ずつ計四時間も草むしりをしてしまっているのです。手で取る草むしりなんていつもだったら30分したらいやになり投げ出してしまうのですが、今回は珍しく持っているのです、2時間も。おかげさんで手のひら辺りが筋肉痛なんですが。何をいいたいかっていえばがんばっています、っていうこと。とにかく体力がついたせいか、持久力がついたせいか、歳を取ったせいか草むしりが一日2時間できるようになりました。時間があったら今日もしようと思っています。そうしたらだいぶ、オクシク(これ富山弁:美しいの意)見えるかな
2005年08月28日
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関東地方を台風11号が通過中である関西や、九州を通過するときとマスコミのテンションが違うような気がする。まぁ東京発のマスコミがほとんどだから仕方がないといえばそうなんだろうけど、でも気になる、というか腹が立つ。そう思う私がひがんでいるのだろうか?
2005年08月26日
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昨日の夕方からおやこのつどいということで流しそうめんとバーべーキュー、そして花火をしました。子ども達は大体に十人ぐらい、親の方は5人ぐらい来ていただきました。その様子を写真にイッパイ撮っておこうと思っていたのですが、いざ写真を写してみると、数枚採ったら「電池切れで~す」でした。準備不足ですね。情けなく思いました、自分のことが。4人ぐらいの人が泊まってくれました。今からみんなで朝ご飯を食べるところです。いただきま~す
2005年08月25日
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今日の夕方お寺で子ども達やその親を呼んで流しそうめんをするのです。そこで昨日親類から竹を切ってきて、今朝から流しそうめんの準備をしていまして、今一応準備完了です。後はお客さんの来るのを待つばかりです。
2005年08月24日
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「沈黙のピアニスト」芝居だった? 英紙報道(asahi.com)やっぱりかって感じですね。でも彼ホッとしたでしょうね。このことについて批判をする人もいるみたいだけど、私たちも大芝居をうっているのかもしれませんよ本当に自分を隠してあこがれの自分に仕立てて、自分の生き方芝居なのって。そして芝居していることにも気づかす芝居していたりして。自分に嘘をつく、自分に虚像の自分を押しつけていたりして。そんなのいやだな、できたら止めたいな
2005年08月23日
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「空(くう)」と言うことについて最近私の中にひらめきがある。(仏教の伝統理解としての「空」については近所のボンサン方々や学者さんに聞くかネットで検索してみてください)最近この言葉を概念化してはいけないのではないかと思うのである。少なくても難しく、立派な概念として考えてはいけないのではないだろうかと思うようになった。「空」は一定の心境とかこころの在り方を言うのではないような木がしている。もっと簡単に、「むなしい」と簡単に読んだ方が、簡単に考えた方がいいんじゃないだろうかと思うようになってきている。何もないという空でもいいんだけど、むなしいの空の方が何となく自分にはがっちりくる私は少し親鸞の言葉は知っているが、正直伝統的な仏教概念、仏教哲学は知らないし、苦手だ。そういう私の考えだからこれが本当だとは言えないが、私はそう感じているんだ。何も無い空なのだろうけども、むなしい空でも「空」が読めていくような感じがしている。親鸞さんは仏教の伝統理解もシッカリ解られ、そのうえで彼独特の了解がある。自分には仏教の伝統理解と言うことは結構苦手であるが、でも、自分の仏教観というものも大事にしたい。自分が何故こう思うようになったのかと言うことを大事にしていきたいし、訪ねていく事が大事だと思う。
2005年08月23日
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忘れていましたが、ごぼはん便り118号を発行していました。お知らせするのというかアップするのを忘れていました。ごめんなさい(-_-メ)こちらからどうぞ
2005年08月22日
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昨日連れ合いと息子三忍が駅に迎えに来てくれました。息子達の顔をみると、まぁ~さっぱりって感じでした。三忍とも丸刈りになっていました。正直見たとき、どれが長男で次男で三男なのか、よくわかりませんでした。みんな同じ顔に見えました。見分け方は身長や肌の色でしか見分けることが出来ませんでした。みんな同じ顔でした。親なのに見分けるコトできないなんて 情けな~~い
2005年08月22日
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昨日今日と常讃寺の各講習に参加してきました。一応班担でということでシガが、その仕事が出来たか銅駝かは?です。常讃寺は藤場俊基さんが所属するお寺、藤場俊基さんのお話が4回、夜は深い川という映画を見ました。一つだけ確認できたことは宗祖親鸞聖人が真実であるかどうかと言う判断した基準は、私たちの思うような基準ではない。立派とかすごいと言うことで判断されているのではないと言うこと。「誰もが」「取り残されることにない」という基準で選んでおられる。そういうことがあらためて確認させてもらっった。もうひとつ感じたことは法然上人は私たちが宗祖とお呼びしている人が宗祖と仰いでおられる人なんだなぁって思った。法然上人は宗嘘からすれば七高僧という分類にはいるよりは「良き人」私たちの言う言い方で言えば宗祖なんだろうなぁって思わせてもらった。自分たち、いや自分はそう法然さんのことを頂けているだろうか。宗祖の七百五十回期が迫り、同じ年に法然上人の八百回期になるそうである。あらためて法然上人と出遇わなければならないと思った。
2005年08月21日
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俺は坊主が嫌いだ 坊主は動物にたとえるとハイエナ人の苦につけ込んでやってくる人が死ぬことで儲かる それが坊主人の不安につけ込んで設ける それが坊主俺は坊主が嫌いだだけど俺も坊主だそれも専業坊主だ。嫌いな坊主と何ら変わりのない生活をしているそんな自分が嫌いな時期もあった。坊主辞めようと思ったこともあるでもこの歳で転職先もないだろう坊主やるしかないのだ坊主で食っていくしかないのだ葬式に行って儲けるしかないのだ自分の嫌いな坊主を辞めずにやっている俺でもいつからかマコトの坊主に近づこうと思うようになった釈尊の弟子と認められるような生き方をできることからやっていこうと思うようになった出来るとか出来ないではなく近づこうと思う優婆提舎願生いきなり化けなくてもいい出来ることから、少しずつ近づいていきたい嫌いな坊主でなくなるように自分が目標となる坊主に少しずつ近づいてゆきたい悩みながら生きてゆきたい
2005年08月19日
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写真に写っているだろうか。今日の夕方我が家に新たな仲間がやってきた。鈴虫君だ。近所の人がくれた。去年も頂いた。去年は初夏にいただき、住まいが狭そうになったように感じたので、虫かごを増やしてやった。そして卵まで産んでくれていた。だけどその後の始末が悪くて孵化しなかった。春先水を拭きかけてやることができず、孵らなかった。我が家に仲間が増えすぎて人間の住むところまで狭くなってきた。カブトムシが入っている虫かご4カゴ、ノコギリクワガタのつがいが入っているのが1カゴ、そして今回鈴虫の入ったカゴが一かご、虫たちも住みにくいだろうが、私たち人間も住みにくい、はえ宿が結構よってきている。だけど蚊取り線香は使えない。人間の住みやすい環境がほ・し~~い
2005年08月18日
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月初めバタバタして愛用の腕輪念珠を無くしてしまっていた。そこで新調した。自作だ。半装束念誦に使われていた黒塗の木のタマを主に使い。このあいだコンビニで衝動買いした虎の眼の腕輪念珠を中ダマにして、、そしてこのあいだ京都の念珠店で購入しておいたプラスチック製のボサダマ等を使い作成しました。自作の良いところは自分の腕に合わせられるということだ。略念珠なんかは普通問題にならないことだが、腕輪念珠はちぃっちゃかったりすると腕が締め付けられるし、大きすぎると落ち着きが悪くなる。だから大きさということが重要になる。締め付けられ感が無く、動かない念珠、これが腕輪念珠には重要な問題になると私は思う。元々念珠をするのが苦手で、すぐになくしてしまう私にとっては重要な問題なのかも知れない…。とにかく自分にあった大きさのが自作では作れる。そして木念誦を使うと軽い、重量感がない、だからトレーニングにはならないが填め心地がいい。結構簡単に作れます、腕輪念珠は。略念珠も房でないものだったら結構簡単です。皆さんも作ってみませんか?
2005年08月17日
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蓮の花、つぼみ、実がそろい踏みです。蓮の花はまた偶然にも敗戦記念日の日に開きました。また昨春館を見逃してしまいました。本当にポーンという音が花開くときいうのだろうか。泥沼のような今、どうあがいてもどうもならない時代社会を私たちは生きています。そういう濁りに濁った私たちが生きている社会に蓮の花が泥沼から美しい華を咲かすようにきれいな華が咲かないものだろうか。ただ願っているだけではどうしようもなりません。その願いを少しでも実体化する努力、願いを形に表す思いを持ち続けることが大切なのでしょう。そうすればいずれ、私の生命がつきた後かも知れませんが、必ずきれいな花が咲くことでしょう、咲くはずです。
2005年08月16日
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昔「戦争を知らない子ども達」という歌があった。この戦争とは太平洋戦争を指す言葉なのだろう。同じように「戦後」というのもそうだろう。それだけ太平洋戦争が私たち日本に住むものにとって大きな出来事だったのだろう。でも、太平洋戦争を知らない世代はあっても、戦争を知らない世代は存在しないのである。太平洋戦争が終了しても、朝鮮戦争、中東戦争、いわゆる内戦、湾岸戦争、…アフガニスタン、イラク戦争、絶え間なく戦争が続いている。そして日本は関与したものもある。決して戦争は60年間無かったわけではない。然し私たちはこの意識が薄いかも知れない。「憲法に戦争放棄を」 元外交官、終戦直後に首相へ書簡(asahi.com)上の記事を発見した太平洋戦争を体験し、その中からもう戦争はいやだという思いが高まり、憲法第九条の精神となった。その憲法を相続する私たち、しかし今戦争に主体的に協力する日本という国家になってしまった。靖国神社に参拝する人達よ!これでいいのか!平和を愛するもの達よ!これでいいのか!おまえよ!私よ!こういう日本でいいのか!先祖の霊を大事にしているといえるのか。先祖の魂、精神を宝として、敬うべきものとして生きていると言えるのか。その事をあらためて考えなければいけない。
2005年08月15日
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子ども奉仕団の講師が全盲の田口さんの時、合わせて晨朝の法話が田口さんの日、本山のお朝事で読誦された和讃にはーーーーーー大聖易往とときたまう 浄土をうたがう衆生をば 無眼人とぞなづけたる 無耳人とぞのべたまうという和讃が含まれていた。ーーーーーーー正信偈が読誦されだして遅ればせながら和讃を確認すると上の一首があった。ドキッとした。田口さんに申し訳なく思った。視覚障害者と聴覚障害者を差別する和讃、そこまで行かなくても差別を助長する和讃が田口さんが晨朝法話を矢来の内で待つときに読み上げられた。胸を締め付けた。後ほど田口さんに直接このことについて聞いてみると「少なくても説明は入れてほしい」といわれていた。この和讃の他にも女性差別を助長する和讃もある。宗祖の差別心から書かれた和算、宗祖が当時生きておられた時代の無自覚な中での差別心こんな和算を今差別であると自覚する私たちはどうつきあったらいいのだろう。未来に対して証拠を隠滅するかのように抹消すればいいのだろうか。差別ではないと虚弁を使って読み続けたらいいのだろうか。田口さんと同じ場を共有する中で考えさせられた。わかることは宗祖親鸞聖人を完璧な聖人としておつきあいしていくのではなく、同じ求道者として、同じ道を歩むものとして等身大の宗祖として、宗祖と向き合っていかなくてはならないのだろう。然し遊のは易し…宗祖、聖人と頂き続ける限り子のことはなかなかすっきりしない。
2005年08月14日
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我が家にはリンドウが三株あります。いずれも私が購入しました。棟方志功さんがリンドウガスということもあり、そしてお寺の子ども会をやっている先輩方がよく歌われていた歌の中にリンドウの文字があったからです。リンドウってどんな花なんだろうって思っていたんです。「私の子どもたちへ」という歌です。今ネットで調べてみると笠木透さんの作曲になっていますね。私の子どもたちへ生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空をあなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは目をとじてごらんなさい 山が見えるでしょう近づいてごらんなさい コブシの花がみえるでしょう生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川をあなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは目をとじてごらんなさい 野原が見えるでしょう近づいてごらんなさい リンドウの花が見えるでしょう 父さんは目をとじてごらんなさい 山が見えるでしょう近づいてごらんなさい コブシの花がみえるでしょう 私はこの曲は環境保全を訴える曲だと思っていたのですが、今年そういうふうには聞こえてきませんでした。反戦歌に聞こえてきたのです。>生きている君たちが>生きて走りまわる土を>あなたに残しておいてやれるだろうか土壌が汚染されるのは工場から排出される物質だけによってはないのです。戦争中は自由に自由に外を走り回ることができません。戦争が終わった後でも地雷や不発弾、そして最近アメリカが使っている劣化ウラン弾。こんなものが落ちていたら自由に走り回ることができません。走り回らすことができません。地球の環境を一番劣化させるのは工場や、家庭から出るものではなく、戦争なんだなって今これを書き込んでいて気付かさせてもらいました。
2005年08月14日
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昨日で私のスタッフとしての子ども奉仕団が終わりましたわ。有終の美を飾れたかといえば、そうではありませんでした。課題を沢山頂戴しました。この課題を大事にして行こうと思っています。打ち上げの二次会の時カラオケ屋さんで自分にいっぱい歌を歌ってくれた、そんな感じがした。そしてみんなが寄せ書きをした色紙をくれた。そしてそれをいま読まさせてもらった。読んでいると涙が流れてきた。これで終わったのだ。
2005年08月12日
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今、サンダーバードに乗っいます。京都に向かっています。贅沢なことですがグリーン車です。実は2日急用で家に帰った時もグリーンでした。どちらも禁煙車両がなくてグリーンなのです。京都から乗る場合自由席だとほとんど座ることが出来ません。いつもへとへとになって帰るので仕方なくグリーンにすることもあるのです。 富山からの場合は始発なので自由てもいいわけです。でも今日は血迷ってしまいました、そうしか言いようがありません。冷静に考えればグリーンを買う必要は全くないのですから。 乗車券とお土産にます寿司の2段を買ったら財布には、札が一枚もなくなってしまいました。 あすからどうしよう
2005年08月08日
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先ほど書き込みを終えてから一眠りして、咲き補と目が覚め家族のいる部屋へ行きました。そうすると広島市長が平和宣言をしていました。そうです、今日は広島に原爆が落とされた日です。師長の平和宣言は途中から聞いたということもあって長いな~ってかんじないようの方はこんなもんかなって思いました。そして子ども達による平和への智海があった。この誓いは毎年聞くがいいたいことがよくわかる。簡潔だ。個人的には平和宣言より好きだ。今年広島の平和記念式典を見ていて本当に腹の絶ったのが今ちまたを騒がせている小泉首相。文章の内容については何も思わないのだが、読み方が腹が立つ。心がこもっていない、ただ文章を読まされている感じ、声がちっちゃい等々、やる気あるのか!って感じでした。そう思っていると連れ合いが生ゴミを捨ててきてほしいということで、命令をされて畑に捨てに行った。バケツを新井ついでに蓮の花を見るとついに蓮の花が咲いていました。売れ救てすぐさまカメラを取りに行きました。そうして連れ合いにはスノコとを話しすると、冷たく「写真を撮ってこなければ!」ってちゃかされました。講堂がすべてお見通しって感じでした。孫悟空がお釈迦さまの手のひらの上で遊ばされているように、自分もそうだなぁって思わされました。粋がっていてもダメなんですね。
2005年08月06日
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今朝布団の中でふと思いついたことがある。何故そういうことを考えていたのかよくわかっていないが、保育ということについて思ったことがある。保育ということは一つのことであるが、しかし実際のところ保と育ということは別なことであり相反することなのではって思った。「保」」ということは簡単に安全ということを意味するのだろう。そして「育」というのは育(そだ)てる、育(はぐく)むということであろう。何事もなく、安全に子どもが育ってほしい、成長していってほしいと願うことは親として当然のことなのだろう。なかなかそのことがうまくいかないということも事実な事ではないだろうか。安全にということを重点を置けば成長ということについては、特に心の成長ということについては少しゆっくりになってしまう。反対に成長させたいと思えば安全ということがおろそかになってしまうのではないだろうか。こんな事考えるの、思っているのは僕だけなのだろうか。ある人から聞いたことなのだけど、人間は人と出会う度に成長するのだそうだ。いろんなタイプの人との出遇いによって人間は成長していくのだそうだ。人間は他の動物と比べればのうが大きいが、しかし生まれてくる時にはのうの中にはあまり書き込みがなされていないそうである。親兄弟との出会い、他なるものとの出会い、そういうことの繰り返しによって、その出会いの時の感覚、感情において悩に書き込みがなされて人間は成長していくのだそうだ。そのことから考えれば子どもを成長させるには旅をさせるしかないのではないだろうか。親が子離れすることが子どもの成長を促すことになるのではないだろうか。しかし旅をさせることによって親の目が届かなくなってしまう。当然そこで安全にということがおろそかになってしまう。そんなことわかっているのだけれど難しい。自分もそうだけれど子離れできない。自分がいないとこいつはダメになってしまう、なんて思ってしまう。親ばかというか親の業なのだろう。だからついつい手を掛けてしまう。子に手を掛ければ掛けるほど、お膳立てをしてやればしてやるほど子どもはいつまで経っても独り立ちできない、親がいないと何もできないようになってしまう。成長させようと子離れできたふりをして何事にもどんな譏嫌がやってくるかわからない、いのちが奪われることもそのことによって生じてくる。子どもとの出会いにおいて、関わりにおいて保と育のバランスということが大事なことなのだろう。こんな事どれだけ頭の中で考えても実際の関わりの中では他いくかという極端な選びしか私の中にはないだろう。中道そんな理想的な有り様というものは全くないのだろう。
2005年08月06日
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昨日京都から急用で帰ってきました。そして今朝蓮を見に行っていました。もう咲いているのかと思っていたら、つぼみが大きく吹くたんだ蓮がいました。まだ咲いていませんでしたひとまずほっと!京都から急用で帰ってきたというのは実は同じ宗派でとなり在所にあるお寺の住職さんが亡くなられたからです。このお方は私の父が亡くなってから私が住職になる間、約20年間代務住職を務めていただいたお方です。そして井波別院の騒動の時、その在り方について意見の相違ができ、大げんかをしてお寺の付き合いを絶ってしまったということもありました。今は元通りですが。本当に思い出深いお方でした。弔いの時そんなことを色々浮かんできて涙が出てきました。お経がとぎれとぎれでしか読めませんでした。
2005年08月04日
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