GO GIRL!

GO GIRL!

胸が痛む両親との関係

外国人と結婚した人の中には両親との関係で悩んでいる人がたくさんいると思う。

でも私の場合はちょっと違う。

私の父は典型的なDV夫だった。

物心ついた時には母が殴られるのを見るのが日常的になっていた。

理由とか原因は良くわからない。

わかっているのは父はいつも酔っていたという事だけ。

暴力は幼い私にも及び、殴る蹴るを良くされた。それをかばう母も一緒にボコボコにされていた。

理由がよくわからないので、とにかく夜になって父親が帰ってくる足音におびえたものだ。

エリート意識が高かったので、友達を家に呼ぶ事は許されず、友達の事も、あいつは頭が悪い、親がこんなんだ、と文句ばかり言っていた。だから私は誕生会をしてもらった記憶もないし、自然と友達のいない子になった。

私はスポーツが得意で、小学校のマラソン大会では毎年優勝していた。しかし、6年生の時は、学校を転校して違う学区になったので、その学校で優勝することができなかった。
そしてそれに激怒した父はみんなの見ている前で私に平手打ちをした。
ばつの悪さと悲しさで私はニヤニヤするしかなかった。

父は鬱になる事が多く、失業保険をもらっては家で酒を飲んでおり、仕事も長続きしないようだった。そんなストレスから私が13歳のある日、酔って”お前なんか死ね”とあたり散らし、
私は本当に疲れてしまい、父が服用していた鬱のための睡眠薬を大量に飲んで自殺をはかった。
結局様子のおかしい私に気づいた母が病院にはこび、未遂でおわったが、そこでも病院に来た父は私を殴り飛ばした。私は死なせてくれなかった運命を心から憎んだ。

中学、高校と私は水泳で活躍し日本で3位以内に入るほどだったので、それで奨学金を取って大学に行く事が出来た。とにかく早く家を出たかったので、寮に入り、バイトをして、独り立ちをした。BFも友達も出来て私は初めて人生を謳歌した。

英語なんて全然できなかったが、卒業後けっこう有名な外資系の会社に就職し、破格の給料をもらったいた私は、そんな目にあいながらも機会ごとに両親にプレゼントをしたり、会いに行ったりしていた。

それでも彼らはいつも、”○○さんにお前の会社の事を言ったら感心された”とか、でも”○○ちゃんは銀行に就職して親にお金をすべて渡してる”とか、わたしがどうしているかとか、誇りに思うとかではなくて、いつも他人と比較したり、自分たちの体裁を考えているようだった。

”大学出だからって俺より偉いと思うのか?”と酔った父に絡まれた時には絶句するしかなかった。

そして私は留学し、その際にも父がアパートまで来て貯金通帳を奪ったり(留学を止めようとしたらしい)、いつもイザコザはあったが、親子関係は続いていいた。

結局母が病気で入院したので留学を中断し、看病した事で両親も感謝したらしく、喧嘩する事もない日々が続いたが、今の主人と出会って4年目に同棲をする事になり、その時は意外にも問題なかったが、長男を妊娠し結婚する事になったあたりからおかしくなってきた。

だいたい妊娠を報告した私に、”あまり喜ばない方がいいわよ。流産する人も多いんだから”と実の母親に言われたくらいだ。最初の妊娠で不安だったし、そんな親でも母親としての意見が聞きたくて電話するたびに同じような事ばかりで私は泣いてばかりいた。

その間も両親は夫に会う事を拒み続けていたが、妊娠5ヶ月の時に私が”腎盂腎炎”で入院し、病院に来た母と夫が鉢合わせになってしまった。

母親は明らかに不機嫌で、”おばあちゃんになるのはどんな気分ですか?”と聞いてきた夫に、”何も感じない”と言い放ち、夫は絶句していた。

長男も次男も帝王切開だったが、一度も両親が見舞いにくる事はなく、子供にも今までで母親が1度、しかも”お父さんに内緒で来たから夕飯前に帰る”と1時間で帰った。

何もしてくれない私の家族人代わって、当時岩国の基地にいた夫の母親が横須賀に1ヶ月も滞在し、産後の私の面倒を見ていてくれたがその彼女に手みやげのひとつもなかった。

その後も親子関係は変わらず、父親とはもう3年以上会ってないし、母親とも電話で話せないので(電話するなと言われている)、手紙だけのやり取りになっている。
子供におもちゃ一つ贈ってくるわけでもなく、何かと言えば文句や怒りの手紙が届く。

それでも私が両親との関係を継続していたのは、やはり実の親って事と、いつか奇跡が起きて私たちみんなが仲良く過ごす時を信じたかったからかもしれない。

でも私が働きだしてから、今度は私が大学在学中の初期にバイトもできず、仕送りをしてもらった分のお金を分割で返せと言ってきた。
1歳と2歳の子供を抱えて働く私に、お金を請求してきたのだ。

もう終わりだ、と思った。これ以上何も進展しないんだ。

私は一人っ子で、しかも変わり者の両親のせいで他の親戚付き合いも全くない。
だから彼らを失う事は本当につらい。

でも今は自分の家族があって、しかも母親である私はみんなの太陽でなければいけない。
私にストレスを与え続ける彼らとはもう終わりにしなければならない。

だから逆勘当しようと思う。

特に宣言するわけじゃないけれど、心の中で彼らとは完全に決別しようと思う。

今まで何度両親との関係が良くなる事を祈っただろう。
スーパーでおばあちゃんとお母さんと孫、っていう光景を見て何度涙ぐんだだろう。
母として、女として何度母と話をしたかっただろう。

でも一番大変な時に彼らは何もしてくれなかった。
帰る場所があると思う事さえ、私に許さなかった。
そしてもう私は大丈夫になってしまった。どんなことも一人で立ち向かう事が出来るんだ。

だからさようなら。

本で、”子供が産まれる両親を選ぶ”とあった。だとしたら、私はなぜこの両親を選んで産まれたんだろう?

子供なんて大嫌いだったし、結婚生活も信じてなくて、子供を産んだ後も、自分が父親のように子供を虐待してしまうのかすごく心配だった。

でもね、愛情たっぷり感じて育ってなくたって愛情を与える事はできるんだ。

この子達がたっぷり私に愛を与えてくれるから。

そして私は小さい頃の膝を抱えて泣いてる私にありがとうを言いたい。

”よく頑張ったね、だから私は今すごく幸せだよ。もう泣かないで...”

夫が外国人とか黒人とか関係ない。
両親は私を愛していると思うけど、世の中には人に愛情を与えるのは損だと思っている人がたくさんいる。彼らもその一人なだけ。

小さい頃、私はママッ子で母親の手をつながないと眠れなかった。
酔ってなければ父親は私を良く公園や喫茶店に連れて行ってくれた。

そんなおぼろげで優しい思い出だけを胸にしまって行きたいと思う。

さようなら、そしてありがとうお父さんとお母さん。
色々あったけど、たったひとつあなた達は私に命をくれた。
だから今の私がある。もう私は泣かない。

胸を痛める両親の話でした。


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: