元気力UP!

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2015年09月02日
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カテゴリ: 吾輩は猫である
すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。
やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。
この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。
といってまた立留まって三羽が立ち退 くのを待つのもいやだ。
第一そう待っていては足がつづかない。
先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。
従って気に入ればいつまでも逗留 するだろう。
れている。
いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのだ。
何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こんな黒装束 が、三個も前途を遮 っては容易ならざる不都合だ。
いよいよとなれば自 ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。
面倒だから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体 である。
口嘴 に尖 がって何だか天狗 の啓 し子 のようだ。
のいい奴でないには極 っている。
退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。
と思っていると左向 をした烏が阿呆 と云った。
次のも真似をして阿呆と云った。
最後の奴は御鄭寧 にも阿呆阿呆と二声叫んだ。
いかに温厚なる吾輩でもこれは看過 出来ない。
第一自己の邸内で烏輩 に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。
名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。
決して退却は出来ない。
にも烏合 の衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れない。
進めるだけ進めと度胸を据 えて、のそのそ歩き出す。
烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。
いよいよ肝癪 に障 る。
垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒 っても、のそのそとしかあるかれない。
ようやくの事|先鋒 を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏 をして一二尺飛び上がった。
その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外 ずして、すとんと落ちた。
これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴 を揃 えて吾輩の顔を見下している。
図太い奴だ。
めつけてやったが一向 かない。
背を丸くして、少々|唸 ったが、ますます駄目だ。
俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。
考えて見ると無理のないところだ。
吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。
それが悪るい。
猫ならこのくらいやればたしかに応 えるのだが生憎 相手は烏だ。
烏の勘公とあって見れば致し方がない。
実業家が主人|苦沙弥 先生を圧倒しようとあせるごとく、西行 に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞 をひるようなものである。
機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。
もう晩飯の時刻だ。
運動もいいが度を過ごすと行 かぬ者で、からだ全体が何となく緊 りがない、ぐたぐたの感がある。
のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまらない。
毛穴から染 み出す汗が、流れればと思うのに毛の根に膏 のようにねばり付く。
背中 がむずむずする。
汗でむずむずするのと蚤 が這 ってむずむずするのは判然と区別が出来る。
口の届く所なら噛 む事も出来る、足の達する領分は引き掻 く事も心得にあるが、脊髄 の縦に通う真中と来たら自分の及ぶ限 でない。
こう云う時には人間を見懸けて矢鱈 にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一を択 ばんと不愉快で安眠も出来兼ねる。
人間は愚 なものであるから、猫なで声で――猫なで声は人間の吾輩に対して出す声だ。
吾輩を目安 にして考えれば猫なで声ではない、なでられ声である――よろしい、とにかく人間は愚なものであるから撫 でられ声で膝の傍 へ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わが為 すままに任せるのみか折々は頭さえ撫 でてくれるものだ。


本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。
夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。





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Last updated  2015年09月02日 20時31分21秒
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