元気力UP!

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2025年06月01日
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カテゴリ: 吾輩は猫である





うちの亭主なんか己《おれ》の御蔭でもう壱円五十銭くらい儲《もう》けていやがる癖に、碌《ろく》なものを食わせた事もありゃしねえ
おい人間てものあ体《てい》の善《い》い泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟《りくつ》はわかると見えてすこぶる怒《おこ》った容子《ようす》で背中の毛を逆立《さかだ》てている
吾輩は少々気味が悪くなったから善い加減にその場を胡魔化《ごまか》して家《うち》へ帰った
この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した
しかし黒の子分になって鼠以外の御馳走を猟《あさ》ってあるく事もしなかった
御馳走を食うよりも寝ていた方が気楽でいい
教師の家《うち》にいると猫も教師のような性質になると見える
要心しないと今に胃弱になるかも知れない
教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底《とうてい》水彩画において望《のぞみ》のない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた
[#ここから2字下げ]○○と云う人に今日の会で始めて出逢《であ》った
あの人は大分《だいぶ》放蕩《ほうとう》をした人だと云うがなるほど通人《つうじん》らしい風采《ふうさい》をしている
こう云う質《たち》の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろう
あの人の妻君は芸者だそうだ、羨《うらや》ましい事である
元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い
また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い
これらは余儀なくされないのに無理に進んでやるのである
あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない
しかるにも関せず、自分だけは通人だと思って済《すま》している
料理屋の酒を飲んだり待合へ這入《はい》るから通人となり得るという論が立つなら、吾輩も一廉《ひとかど》の水彩画家になり得る理窟《りくつ》だ
吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧《ぐまい》なる通人よりも山出しの大野暮《おおやぼ》の方が遥《はる》かに上等だ
[#ここで字下げ終わり]通人論《つうじんろん》はちょっと首肯《しゅこう》しかねる
また芸者の妻君を羨しいなどというところは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものだ
主人はかくのごとく自知《じち》の明《めい》あるにも関せずその自惚心《うぬぼれしん》はなかなか抜けない
中二日《なかふつか》置いて十二月四日の日記にこんな事を書いている
[#ここから2字下げ]昨夜《ゆうべ》は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらに抛《ほう》って置いたのを誰かが立派な額にして欄間《らんま》に懸《か》けてくれた夢を見た
さて額になったところを見ると我ながら急に上手になった
非常に嬉しい
これなら立派なものだと独《ひと》りで眺め暮らしていると、夜が明けて眼が覚《さ》めてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしまった
[#ここで字下げ終わり]主人は夢の裡《うち》まで水彩画の未練を背負《しょ》ってあるいていると見える
これでは水彩画家は無論|夫子《ふうし》の所謂《いわゆる》通人にもなれない質《たち》だ
主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁|眼鏡《めがね》の美学者が久し振りで主人を訪問した
彼は座につくと劈頭《へきとう》第一に「画《え》はどうかね」と口を切った
主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生を力《つと》めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ
西洋では昔《むか》しから写生を主張した結果|今日《こんにち》のように発達したものと思われる
さすがアンドレア・デル・サルトだ」と日記の事はおくび[#「おくび」に傍点]にも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心する
美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目《でたらめ》だよ」と頭を掻《か》く
「何が」と主人はまだ
②本文要約
吾輩は、黒猫の怒りをきっかけに、鼠取りをやめる決心をする。黒猫は、人間の偽善を「体の良い泥棒」と称し、亭主が猫の稼ぎを利用しても満足に食べ物を与えないことを批判する。この体験により、吾輩は御馳走を求めるよりも寝ていた方が気楽と悟り、鼠以外も狙わず、黒の子分にもならない選択をする。
一方、教師である主人は、水彩画において自分の限界を痛感しながらも、「通人」となりきる夢を追っている。芸者の妻を持つ人に憧れたり、放蕩を論じたりするが、その見解は教師として不適切とも言える。日記には、水彩画が立派に飾られる夢や、アンドレア・デル・サルトへの感心が記されるが、実はその画家の話は美学者の嘘であった。主人はまんまと騙され、吾輩はその姿を冷静に観察している。
③解説
この章では、漱石が描く「人間の愚かさ」と「猫の冷静な哲学」が鮮やかに対比されています。黒猫が語る「人間=体の良い泥棒」という発言は、明治期の市民階層における労働と報酬の不均衡や、人間の偽善性を浮き彫りにしています。猫たちは無垢な存在でありながら、人間社会の不条理を正確に見抜く批評家のような存在として描かれます。
また、教師という知識人層である主人の姿も興味深いものです。彼は芸術家ぶって水彩画を描くものの、その未練は夢にまで現れるほど。漱石はこの姿を滑稽に、そしてどこか哀れにも描写しています。さらに、美学者の捏造した画家「アンドレア・デル・サルト」の話を真に受ける主人の姿からは、当時の“西洋信仰”や“教養ブーム”への皮肉も感じられます。
つまり、この章は、近代化の中で自己を見失いがちな知識人の姿と、現実を達観する猫という存在を対照的に置くことで、漱石独自のユーモアと鋭い風刺を効かせた名場面なのです。

夏目 漱石
慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる
本名は夏目金之助
帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する
帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表
1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表
1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社
そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる
1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠
享年50歳であった






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Last updated  2025年06月01日 06時48分08秒
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